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もく窓

~良い映画と究極の手抜き料理を探して~  

夢見るピーターの七つの冒険

2010年08月04日 | 
原題:The Daydreamer  イアン・マキューアン著 真野泰訳  中央公論社 2001年

何も考えないでボーッとしてるように見える少年が、実は繊細な感性を持っていて、
日常に起る小さな出来事を理解し受け入れるまでの奮闘を描いています。
七つのうち、特に「ネコ」と「いじめっ子」が好きです。
邦題は、冒険でなくお話にしたほうが、「夢見るピーターの七つのお話」のほうが
しっくりくると思いましたョ。
本の表紙は、日本版に軍配挙げます。雰囲気出てますわ~
写真右下の表紙は、この本を読まずに作ったに違いないと思いました
ピーターの雰囲気が違いすぎますヮ。



贖罪

2010年07月14日 | 
 イアン・マキューアン↑著 小山太一訳   新潮社 2003年

映画「つぐない」の原作本を読みました。
物質の損害ならば金品と謝意とを持って償うことが出来ますが、
償うことの出来ない罪を犯してしまったら、、  。
映画も原作もどちらもとても良かったのですが、軍配を挙げるとしたら原作です。
映像で表現しやすいものと、文章の方が表現しやすいものがあると思いました。
軍配は原作に挙げましたが、情景は映画はとても美しく、原作本の数ページにわたる描写を映画は一目で美しく見せてくれましたし、リンゴ園の中に横たわる子供達やダンケルクの海岸を埋め尽くす兵士達と観覧車など、戦争の悲惨さと恐ろしさも充分に映像で伝わってきました。
また、映画ではブライオニーの目撃が先で事の次第はあとで原作とは逆でしたが、インパクトの大きい映画の構成のほうが良かったと思います。
良くぞこの大作を2時間にまとめたと思いました。
しかし、しかし、原作は長い分、深いです。
描写がとても丁寧です。
ローラがチョコレート長者とハムレットの話をするセリフに、映画にはなかった2行ほどの説明が付いていて、僅かその2行で二人の人間像が浮き彫りにされます。

罪は償われることはなく、ただ償い続けることしかできず、生涯二人のことを思って悔恨の情に苦しみ続けたであろうブライオニーの人生と、その後会うことなく戦争の犠牲となった二人の人生に泣きました。原作のタイトル『贖罪』、読み終えて、タイトルが心に重く残る作品でした。




驚いたことに、原作では、ブライオニーは黒髪で、ロビーは大男となっていました。
もしも本のあとで映画を観ていたら、適役と思っていたこの二人に違和感を感じたことと思います。先に映画を観て良かったです。
この作品未読未見の方は、映画→本→再び映画の順をお勧めします。

「ベニシアのハーブ便り」

2010年03月26日 | 
  ベニシア・スタンリー・スミス著     2007年 世界文化社
NHKBSで放送している『猫のしっぽカエルの手』のベニシアさんのハーブの本ですが、とても内容が豊かです。
<京都大原の古民家暮らし>と副題が付いているように、ベニシアさんの素敵な生活が詰まっています。お料理やお菓子、そしてローションや石鹸の作り方、ベニシアさんのイギリスでの華麗な生い立ちから大原の古民家での暮らし方、多くの美しい写真とベニシアさんの手によるイラスト等々、宝物がたくさん詰まっていて、この値段で良いのかしらん、と思ってしまう一冊でした。
この本は借りて読むのではなく、手元に置いて時々開いてみる本だと思います。
いつもは翌日配達のうえ送料もかからない《密林》で注文するのですが、この本は、一生大切にするのでどうしてもサインが欲しくて、送料代を奮発しました。
奮発した甲斐があり、素敵なサインをして送ってくださいました♪


        


「面目ないが」

2010年03月25日 | 
 寒川猫持著    1999年 新潮社刊

文中の 『お巡りと聞いただけで、伊勢海老が税金を納めに行くような姿勢になってしまうのが我ながら情けない、、 』 の伊勢海老の例えに爆笑してしまいました。が、落語か何かにこの比喩があるのかしらん。猫持氏の創作ならばスゴイなぁ。
猫持氏は歌人で眼科医でもあり、バツイチ独身の身を古今東西の名著名文を自在に操って嘆くことを楽しんでいる爆笑エッセー集でした。歌人なので歌も詠んでいますが、若い頃の俳句のほうが気になるものがありました。下記の五句が特に印象に残りました。

  きちきちの吹き戻されし草の海
  風車並べて風を売る男
  まあだだよ天から声す百忌
  逆様に吾を見ている守宮かな
  六郎の絵の中で会ふ春の風



私小説的エッセーは、一気に読むと辟易とするものが多いように思います。雑誌連載時に時々読むのなら一服の清涼剤になるかと思いますが、単行本で続けて読むと同じような話でしつこいですネ。夜寝る前に一つ二つずつ読むのが良いかと思いました。猫持センセイは現在は再婚されておられるそうです。


面白南極料理人

2010年03月04日 | 
 西村淳著    新潮社 
映画は退屈でしたが、本はなかなか面白かったです。
ドームふじ基地って、宇宙船と同じくらい厳しい環境なんですね。雪原の白と空の青しかない世界、著者が大雪原の小さな家と言っている限られた空間の中での人間関係、そこで、気象や雪氷や極地の専門家が揃って研究に従事しているのですから、もう少し南極と南極研究についての記述があると良かったのですが。
著者は料理担当なので料理の話が半分くらいを占めています。富士山と同じくらいの高所なので水は85℃で沸騰してしまうし、食材は全て瞬間冷凍されてしまう所での毎日三度の調理は大変なことのようです。が、著者は、家族と離れて暮らす隊員たちへの思いやりと料理人としてのメンツから、アイデアを絞って、豪快に料理を作り続けます。
ちょっと話がしつこいので、一日に1章か2章づつ読むのが良いかと思いました。
お料理も豪快でしつこそうな男の料理という感じで、映画でも本でも美味しそうとは思えませんでした。隊員の中に胃腸の弱い人がいたなら大変だったろうなぁと、余計な心配をしてしまいましたが、選ばれた精鋭隊員達ですから要らぬ老婆心でしょうネ。




単行本も文庫本もカバーは和田誠氏が担当していますが、文庫の方はどうしてペンギンを描いたのでしょう。ウイルスさえも、もちろんペンギンも生存しない白い砂漠での生活なのに、、 。

潜水服は蝶の夢を見る(本)

2010年02月04日 | 
 ジャン=ドミニック・ボービー著 河野万里子訳   講談社 1998年

『古ぼけたカーテンの向こうから、乳白色に輝く朝がやってくる。』 という美しい文章で始まります。
1995年12月8日、脳梗塞でLISとなり、1997年3月9日に亡くなるまでの間に、動かせる左目の合図だけで執筆したという珠玉の作品です。二人の子供たちへ遺したものです。
瞬きで合図を送って一文字一文字伝えるという気の遠くなる作業のため、作者は無駄を省こうと文章を練って削って暗記するほど自分の中で完成させてから、書き取って貰ったので、どこまでも深くて透明な海を想わせる、詩のような文章でした。



         






かっぱ大さわぎ

2009年09月09日 | 
 木暮正夫著「かっぱ大さわぎ」1978年   「かっぱびっくり旅」1980年
映画「河童のクゥと夏休み」が素晴らしかったので、原作読みました。
原作は短いです。映画はかなり脚色されていたのですネ。でも原作の持ち味は活かしていて、改めて素晴らしい映画だと思いました。
原作も素晴らしいです。特にクゥの父親のエピソードは原作のほうが良いと思いました。



ドナウの叫び

2009年06月09日 | 
                      ↑ナンドールと千代

 「ドナウの叫び」 ~ワグナー・ナンドール物語~   下村徹著  2008年
『2001年、ハンガリーの首都ブダペストにあるゲレルトの丘に、日本人がつくった「哲学の庭」と名付けられた八体の彫刻が建立され、ハンガリー政財界の要人を含む千人近い人が集まり祝ったが、日本ではまったく報道されなかった。』~序章より抜粋~

1922年ワグナー・ナンドールは、第一次大戦でハンガリー領からルーマニア領へ変わったナヂュバラドの町で生まれる。オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の侍従武官長を務めた祖父から新渡戸稲造の「武士道」を、医師である父から「老子」の書を贈られて感銘を受け育つ。父の反対を押し切りブダペストの美術大学へ進む。第二次大戦に従軍。終戦後、美大へ戻りセオドーラという数学を専攻している女性と結婚。三子を儲ける。ハンガリー動乱(1956年革命)後、スウェーデンへ亡命。赤貧生活の中、妻セオドーラはスウェーデンの中学校の数学教師となり一定の収入を得るようになる。妻子と別居。1960年、千代と出会う。
千代は昭和5年(1930年)札幌で生まれる。日本女子大在学中に東大医学部出の医師権藤と見合いし、二年後結婚。千代の両親が用意してくれた東京本郷のお屋敷に住むが、権藤の母が断りなしに同居してしまう。ハーバード大学の医学研究室に留学する権藤に伴い渡米。2年後、権藤はスウェーデンのルンド大の研究室へ転職し、千代は暴力的な権藤との離婚を考え日本へ帰国。その年(1959年)の12月のノーベル賞授賞式に権藤が招待され、「二度とない機会なので二人揃って出席しよう。早くスウェーデンに来てほしい。」という権藤からのたび重なる手紙に、結婚生活をやり直そうとスウェーデンへ行く。ノーベル賞記念パーティーの舞踏会でスウェーデンの男爵と和服姿で踊りテレビや新聞に取り上げられる。1960年、知人の紹介で、ナンドールに絵を習い始める。こうして出会った二人だが互いに伴侶のある身ゆえ、まず離婚し、それから生涯を共にしようと誓い、1960年12月千代は権藤とともに日本へ帰国。1962年、千代は再びスウェーデンへ行きナンドールと暮らし始める。1965年、千代、権藤と離婚成立。ナンドール、スウェーデン国籍を許可される。亡命者は離婚の権利がなかったが、国籍を得たことでセオドーラと離婚する。1966年ナンドールと千代、結婚。1969年二人で日本に移住。本郷の千代の家は、権藤が再婚し新しい妻子と住んで居住権を主張し出て行かないので、姉夫婦の家に世話になる。1970年、益子へ引っ越す。1975年ナンドール、日本へ帰化する。日本名、和久奈・南都留。1987年タオ世界文化発展研究所を設立。1997年南都留、肝臓癌にて逝去。75歳。亡くなる前日の言葉「私の日本人への叫びは日本人に届かなかったようだ。それだけが心残りだ。」
南都留の没後、知人らの努力により1999年にハンガリアン・コープス像が、2001年に哲学の庭がハンガリーで建立される。


益子へドライブに行ったときにタオ世界文化発展研究所と書かれたポスターを目にしたのですが新興宗教か何かと思い、訪れなかったことを悔やんでいます。タオって道教の道のことなんですネ。
年に二回、春と秋の一ヶ月ずつしか公開してないので、次回の秋季展は10月15日~11月15日だそうです。

「冬の花火」

2009年03月02日 | 
 渡辺淳一著 1975年

乳癌で31歳の生涯を閉じた歌人中城ふみこを描いた伝記小説です。
この小説を読んで私が想像していたふみこの容貌と、あとでネットで探したふみこの実物写真とのギャップは大きく、このギャップと同じくらい小説とふみこの実像は掛け離れているのかもしれないと思いました。
また読み終えて感じたのは、渡辺淳一がこの小説を書いたのは、ふみこまたはふみこの歌に惹かれたのではなく、乳房切断と華やかな男関係というセンセーショナルな面に興味を持ったためではないかと思いました。渡辺淳一は医師であるためか医療の描写はリアルで怖ろしいほどでしたが、ふみこの内面は描かず乳癌治療の経過と彼女の行動だけを綴っているので、ふみこはまるで色情魔のように見えました。事実そうだったのかも知れませんが。
女性の作家でふみこの歌に魅せられた方が書いたならば、女性が持つ生命力やしたたかさを感じさせる全く違った印象の伝記になったのでと思いました。


(ふみこの歌から印象に残った八首)

冬の皺寄せゐる海よ
    今少し生きて己の無残を見むか

水の中に根なく漂ふ一本の
    白き茎なるわれよと思ふ

われに似しひとりの女不倫にて
    乳削ぎの刑に遭はざりしや古代に

二三本野菊が枯れてゐるばかり
    別れし夫と夢に会ふ原

息きれて苦しむこの夜もふるさとに
    亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし

癌新薬完成とほき教室に
    モルモットひそと眠る夜寒

灯を消してしのびやかに隣に来るものを
    快楽のごとくに今は狎らしつ

母を軸に子の駆けめぐる原の晝
    木の芽は近き林より匂ふ  

火の粉

2008年09月12日 | 
 「火の粉」  雫井修介著 2003年
クローズド・ノートがとても良かったので図書館でまた雫井氏の本を借りてきました。
これは2003年に出版されたものなので作者雫井氏は35才だったのですね。驚きです。裁判官、冤罪、そして介護、姑、小姑、嫁、子育て、親子、リアルに描いてあって怖いくらいです。
後半はサスペンス小説として秀逸で、ホントに怖いです。
ラストは良いです。
これは下手に映画やドラマにして欲しくないと思いました。安っぽい2時間ドラマになっちゃうのはイヤです。

クローズド・ノート

2008年09月11日 | 
「クローズド・ノート」   雫井修介著  角川書店 2006年
私的初雫井作品。良かったです。
これを読んだら皆、伊吹先生に会いたくなると思います。
万年筆の蘊蓄も良かったです。
でも、ラストで、人の物を勝手に読みあげちゃうのはいかがなものでしょうか。
こっそり読むのでさえ拙いことです、他人の日記ですから。
他人の日記を勝手に覗くという形式でなく別の方法で日記を読むお話にできなかったでしょうか。読んでいる間中、自分が覗き読みしているような罪悪感を(快感?)感じてしまいました。
映画も観てみたいですが、もう少しカスミがかかってからにしよう。
映画は竹内結子が伊吹先生なのか~。


ゴールデンスランバー

2008年07月27日 | 
 伊坂幸太郎著 2007年   ↑写真はアビーロード(Beatles)
面白かった~~。
寝食を忘れて読みふけってしまいました。
ラストの終わり方も良くて、読後感は「アヒルと鴨」より良かったです。
ただ、主人公青柳の個性が強くないためか、伏線があまりに見事に収束しすぎたためか、余韻の薄い作品でした。
とても良く出来ていて面白い作品だけにチョット残念です。
映画化されるそうなので主人公青柳を魅力ある人物にして欲しいと思いました。

印象に残ったのは青柳の父親です。自分の息子を褒めるのに
「こいつは人を殺すことはあっても痴漢はしない。」と言って胸を張ります。
「人を殺すのは正しいと思わない。ただな、自分の身を守る時だとか、たとえば、家族を守る時だとか、そういった時に相手を殺してしまう可能性がないとは言えないだろう。何かそうせざるを得ない状況が来ないとも限らない。だろ?ただ、痴漢てのはどう理屈をこねても、許されないだろうが。痴漢せざるを得ない状況ってのが、おれには思いつかないからな。」

本の中で度々出てきたビートルズのゴールデンスランバー♪、懐かしいです。
作品にぴったりハマっていてこの曲以外は考えられないです。
アビーロードの中のマックスウェルズ・シルバー・ハンマーはキルオ君を、ユー・ゴーイントゥ・キャリー・ザットウェイトは青柳君を思いました。

1997年ロイヤルアルバートホールでのゴールデンスランバー♪、Sirポールがエリザベス女王の前で落ち着いて歌っています。

「高円寺純情商店街」

2008年03月11日 | 
   ねじめ正一著    1989年 新潮社刊
 乾物屋の中学生の息子、正一君から見た家族とご近所の方々のお話です。
『江州屋乾物店の一日は、かつを節削りから始まる。』の書き出しで始まります。言葉が的確で文章に無駄がないのでグイグイと惹きつけられて、江州屋乾物店の店の中にいるような気持で読みました。
映画三丁目の夕日と時代設定や物語が似てなくもないのですが、全く別物です。
題名の純情という言葉からふざけたお話なのかと思い、読む前は敬遠していました。荒地の恋を読まなかったら手に取ることはなかったと思います。時を越えて残る一冊に出会えて嬉しいです。
 続編の二冊もセットでお勧めです。
「高円寺純情商店街 本日開店」 1990年 新潮社刊
「高円寺純情商店街 哀惜編」 1998年 新潮社刊



     
作品がとても気に入っただけに、↑文庫本のこのカバーには文句を垂れたい。印象が本の内容と掛け離れていて好きになれないな。おかか御飯も海苔も確かに出てきましたけど、、、このデザインならば写真でなく絵にしたらもう少し落ち着いた感じになったでしょうに、、。




「今森光彦のたのしい切り紙 」 ~森へようこそ~

2008年03月02日 | 
いつも素晴らしい写真を公開しているPさんが紹介していた「今森光彦のたのしい切り紙」の本です。昨日の午前11時に注文して今朝10時に届きました。23時間って、Amazonは早いですネ~。私はいつもは1冊でも送料がかからないコンビニ受取の会社を使っていたので2日後または3日後でしたから、早いのに感動しました。
この切り紙の本も感動です カタクリの花、シダ、キノコなどとてもステキです。クワガタムシやムササビも可愛いですヨ~。
今森氏の切り紙はシダと言ってもベニシダ、キノコと言ってもアカヤマタケ、クワガタと言ってもオオクワガタというように、自然の物を良~く観察して作ったものなので、シンプルな形ですが見飽きることはありません。
ヘビ・マムシというとても良く出来た作品も入ってます(T_T)

荒地の恋

2008年02月25日 | 

         ねじめ正一  文藝春秋社刊 2007年

『荒地』は1947年に鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、北村太郎らによって刊行された雑誌で、T・S・エリオットの詩にちなんで名付けられたものだそうです。
荒地の恋、荒涼とした嵐が丘の舞台を連想するような魅惑的な題ですね。

 この作品は、『荒地』のメンバーの一人、北村太郎の後半生を描いています。
普通に生きてきた人が、50歳を超えてから人妻と恋に落ち、妻子を捨てます。
それも相手は親友(田村隆一)の妻です。あ~、それでその後は末長く幸せに暮らしたというならまだしも、、、。人生を大きく狂わせてゆくんです。
先日観た映画コープスブライドのような若い人の恋愛ならば三角関係も哀しくも美しく感じますが、いろいろなものを背負いこんでいる年代の三角関係はやっかいなうえに見苦しいことこのうえないです。周りに深刻な波紋を広げます。読んで気が重くなりました。亭主を惚れ直すならともかく、この年になって恋なぞしたくないものだと、つくづく思わせる力作でした

* 北村太郎(1922~92年) 旧制府立三商時代に詩を始め、東大仏文科卒。29歳の時、最初の妻と息子を海難事故で亡くし、その詩には死の影が漂う作品が多い。詩集に『犬の時代』『笑いの成功』など。

* 田村隆一(1923~98年) 明治大卒。三商時代は北村と同級生だった。詩集に『四千の日と夜』『言葉のない世界』など。エッセーの名手で、生涯5度の結婚も経験した。

* T・S・エリオット 1888年ミズーリ州で生まれる。27歳で結婚。58歳の時、妻が精神病院で衰弱死。68歳で38才年下の女性と再婚。1965年、77歳で逝去。
1922年、代表作・長詩『荒地』(The Waste Land)発表。1948年、ノーベル賞受賞。
ミュージカル「キャッツ」の原作はエリオットの「Old Possum's Book of Practical Cats」だそうです。

     
          77才時の北村太郎(左)と田村隆一
           ↑ 70才で亡くなってますので、67才の間違いでした m(__)m


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   『うたの言葉』  北村太郎
 秋の夜の商店街では、水菓子をあきなう店が格別うつくしい。ナシ、ブドウ、モモ、リンゴなどが山と積まれた店先は、人工光線のせいもあろうが、豊かな色彩にあふれ、道行く人の目をひかないではいない。
 下の部屋に往む一家の奥さんから、先だってイチジクの実をいただいた。庭の片隅に植わっている木になったのである。少し冷蔵庫に入れておいてから食べたが、たいそう甘くておいしかった。子どものころ郊外に住んでいた家にもイチジクがあって、そのとき以来だったから、なんというか、この青にがいところもある果肉に、一瞬、時間を味わう思いがした。

    「心のなかで」  野村英夫
   陽を受けた果実が熟されてゆくやうに
   心のなかで人生が熟されてくれるといい。
   そうして街かどをゆく人達の
   花のやうな姿が
   それぞれの屋根の下に折り込まれる
   人生のからくりと祝福とが
   一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。
   さうして今まで微かだったものの形が
   教会の塔のやうに
   空を切ってはっきり見えてくれるといい。
   さうして淀んでゐた繰り言が
   歌のやうに明るく
   金のやうに重たくなってくれるといい。

 四季派の詩人の中で最年少の野村は一九四八年(昭和二十三年)、持病の肺結核で死んだ。行年三十一歳。二十六歳のとき、カトリックの洗礼を受けている。
 ここにうたわれているのは四つの願いである。それにしてもなんという控えめな口調だろう。「・・・くれるといい」の繰り返しに、わたくしは願いよりも諦めを感じてしまうくらいだ。しかし、この青年詩人が願いや諦めの彼方を見ていたのは終わりの三行で分かる。「歌のやうに明るく」「金のやうに重たく」と、野村英夫は言葉自体の実相をつかんでしまったのである。

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私はこの本を読むまで北村太郎が詩人であることを知らなくて、文学者か批評家なのかと思っていました。
上記↑は新聞の古い切り抜きです。『うたの言葉』と題して、北村太郎が野村英夫の詩「心のなかで」を解説したものです。
北村太郎の「願いよりも諦めを感じる」という解説が好きでした。詩の透明感が増すように感じられて何度も繰り返し読んでいました。あ~、まさか北村太郎がこういう方だったとは、、、
北村太郎の人生を知ってから読み直すと、野村の詩の透明感の奥にある生への願いと死への恐れとを解説していたのですね。