mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

旅行記⑩~広州(珠江遊覧)

2011-03-19 16:34:05 | 旅行

明るいうちに遊覧を終えたいと、タクシーを拾って船着き場に急ぐ。

「珠江」香港マカオの間を通って南シナ海に注いでいる。河口は海のように広く、デルタ河口の東の香港から西のマカオまでは高速船で約1時間かかる。 長さは2,200kmで流域面積は409,480平方kmに及び、長江、黄河、淮河などに次ぐ大河。流域面積は長江に次ぐ中国第二の広さを誇る。

 水上バス乗り場「天字码头」

 水上バス運行表
これは純粋な遊覧船ではなく、市民の足になっている水上バスのようだ。
遊覧客は別料金で、二階船室に案内される。 1周一人5元。


ホテルがとても詳しい広州の地図をくれたので、それを見ながら遊覧する。

 

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船は先ず「天字码头(埠頭)」①より海珠橋②方面へ上る。 ③;右河畔の風景


   
次の停泊地「西堤码头(埠頭)」と付近の風景

    
次の「芳村码头(埠頭)」(最も川上の埠頭)から「天字(埠頭)」へ戻る途中の風景

「広州水警」



「天字码头(埠頭)」より「広州タワー」方面へ下る。

        
「中大码头(埠頭)」から広州タワー方面の風景 

 
広州タワー付近の地図



残念ながら船は広州タワーの間近までは行ってくれない。

奇しくもこの日3月1日に「東京スカイツリー」が「広州タワーを抜いて世界一の高さを記録する。


涼しい川風を受けて、珠江河畔を船上から見ることが出来大満足。
流石広州は北京、上海に次ぐ第3の都市だけあって大きなビルが立ち並ぶ。 船上からでも緑の多さも分かる。
Mさんはこの街のどの辺りに居を構えるのだろう。
買い物をしていないので物価がどの程度なのか分からないが、落着いた楽しい生活が出来るように思う。

夫はもう1度夜に来て「ナイトクルーズ」を体験したかったようだが、私が疲れていて「一人で行って!」と言ったので、諦める。


しかし、帰ってPCで調べると下記のような案内が出ていた。 船内での食事は魅力だったが・・・・・。
華厦大酒店前のフェリーターミナルを20:00頃出発し、西洋建築物が集まる沙面と沙高級住宅地の集まる中洲の二沙島の先端までの往復約1時間半ほどのクルーズ。広州の美しい夜景が楽しめます。船内で食事をすることも可能です

 

下船後、最寄りの地下鉄駅1号線の公園前まで散歩がてら北京路を歩く。
適当なレストランがあれば夕食をして帰ろうと思うが適当な店がなく、地下鉄で広州東駅に戻り駅前で夕食を取るが、不味くて半分以上残す。

今日もよく歩いて17300歩!



旅行記⑨~広州(光孝寺)

2011-03-19 12:24:26 | 旅行

次の観光地 光孝寺へ、 地図ではレストランの近くではあるが方角がわからず,尋ね尋ね歩いて行く。 

【光考寺】
広州の諺に、「未有羊城、先有光孝」(廣州城ができる前に光孝寺はあった)とあるとおり、広州最古にして最大の仏教名刹である。
光孝寺は中国仏教史上重要な地位を占める寺院で、曇摩耶舍がこの寺で講釈を行って以降、多くの高僧が相次いで宣教に訪れた。南北朝時代にはインドの高僧、智薬三蔵が訪れ、祭壇に菩提樹を植えた。またインドの王子達磨和尚は釈迦仏の衣鉢を寄進し、やはりここで講釈を行った。西暦749年、唐の高僧鑑真は日本への5度目の渡航に失敗して海南島に漂着した後広州に辿り着き、一春を過ごした。儀鳳元年(西暦676年)には高僧慧能がこの寺の菩提樹の下で受戒し、南宗を開き禅宗六祖と称された。

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1;入口、左側に入場券売り場がある。 2;山門をくぐると、正面に天王殿がある。
3;天王殿の本尊


禅堂  他にも沢山の建物があり、人々が敬虔に祈りを捧げている。

     
寺内に安置されている像;豊かな色彩をほどこされた「四天王像」と「阿吽の仁王像」

  南北朝時代にインドの高僧、智薬三蔵によって植えられた菩提樹


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1;寺内に棟方志功を想わせる絵が掛かっていました。 何とも言えぬ味わいです。
2;これは近年のもののようです。 何の意味があってここに置かれたのか分かりませんが、クスっと笑いが漏れるほど可愛い!
3;境内には珍しい花がいくつか咲いていました。 何と言う木の花なのでしょう!?


大雄宝殿
  
大雄宝殿は光孝寺の最も主要な建造物である。高い基壇の上に建ち、中に三尊大仏像が奉られている。向かって中央が釈迦牟尼像、左が文殊師利像、右が普賢菩薩像で、三体を総称して“華厳三聖”と呼ぶ。また宝殿のある高台の左右には鐘楼と鼓楼が建ち、ともに屋根の斗拱が幾重にも重なった唐代以降の建築様式を呈している。中国南部の寺院の多くが、この寺院の建築様式に倣って建立されている。

 瘗发塔 
瘗発塔は7階建八角形の塔で、高さは7.8m、各階ごとに八つの神棚が奉られている。唐の儀鳳元年(西暦676年)、六祖慧能はこの寺の菩提樹の下で剃髪して僧となり、当時住職であった印宗により頭髪が埋められたことを記念して、この塔が建てられた。中国最古最大の鉄塔建造物で、保存状態も大変よい。光孝寺における最も有名な伝説は、六祖慧能がこの寺で「風幡問答」を行い、南宗禅の開祖となったことである


東西鉄塔

 西鉄塔(東鉄塔の写真は無し)
東西鉄塔は中国最古の双鉄塔である。五代南漢大宝6年(西暦963年)に西塔が建てられ、その4年後に東塔が建てられた。西塔は南漢の皇帝劉配下の宦官澄枢と、彼の妹弟子氏によって鋳造され、芸術的に高い評価を受けている。抗日戦争中に4階部分が倒壊したため、現存するのは3階までである。東塔は劉の名において建造された四角形の7階建て、高さ7.69mの塔で、石刻の須弥座の上に建つ。塔内900以上の仏壇にはそれぞれに精緻な小仏像が納められている。建立当時は全体が金箔で覆われていたため。“塗金千佛塔”の呼び名がある。


大悲幢 
唐の宝暦2年(西暦826年)の建造。青石製のキノコ型の鐘は高さ2.19m、8つの面それぞれに“大悲咒”の文字が彫られている。寺院に現存する石刻の中では最古であり、文字はかなり風化してしまっている。

 

 

 

いつもながらの駆け足の見学であったが、広州最古の寺と言うだけあって歴史の重みを感じられた。

沢山の建造物や仏像などが安置されており、観るべきものも多い。

こういう所はやはり時間をかけてじっくりと見たいものだといつも思うのです。

 

次は珠江の遊覧船に乗ります。


旅行記⑧~広州(昼食、下町散策)

2011-03-19 10:39:01 | 旅行

お昼になりました。

中国では、『食は広東にあり』と言われるほど有名な広東料理、近くに美味しそうなレストランを探します。

なかなか見つからないので、お茶屋さんに入り尋ねてみることにしました。
 ついでに、プーアール茶を買いました。 これで25元なら、安いでしょう!


店番のお兄さんに教えて貰った店もなかなか見つからず、途中目に入ったレストランに入ることしました。
周りにレストランが少ないからか人気店なのか分かりませんが、3階まで満席のようです。

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1;広州料理店「妈子靓汤」;メニューを見てもよく分からないので、お店のお勧めを頼む。②鶏の炙り頭付き38元、以下は写真がありません;連州菜23元(青梗菜炒めのようなもの)、粥13元、点心9元、プアール茶10元;合計93元
3;他の客が注文したお茶。 お茶を注文すると
大概このスタイルで持ってくる。 私達のは只ポットに入っていただけで、傍から見ていると何とも優雅に感じられた。(黒いポットに白湯が入っていて、中国茶の作法で自分たちで注いで飲む) 

お味は?大満足でした。  

 

食後は散歩がてら次の観光先の「光孝寺」を探す。

移動は地下鉄なので、なかなか風景を楽しむことが出来ないが、広島時代の友人Mさんが今春ご主人の転勤で広州にやって来るそうなので、街の様子を報告しなければならないと周りを観察しながら歩く。

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1;広州に着いてすぐに感じたが、広州はとても緑が多い。 歩いていてもとても気持ちが和む。
2;大きな木の下のベンチには大勢の人が憩って、おしゃべりを楽しむ姿がある。
3,4;広州でも、夫の名付けた「風呂敷商売」人たちをあちこちで見かける。 

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1;コンビニ「セブンイレブン」  2;「ファミリーマート」  3;パン屋さん;南ではパンを“西餅”と言うみたいです。

Mさんご安心下さい。 コンビニは沢山見かけましたから心配ないと思います。


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1;街の感じは、以前行った台湾に似ているように思います。  ここでも自転車よりはバイクが多く、街の至る所にこの様に駐車してあるバイクを見かけました。
2;広州でも水はこの様にして売られているようです。  配達人さんが居ませんでしたので、写真を撮らせていただきました。
3;このおじさん、お仕事が終わって休憩中!?  中国では街中でもよく見られる光景です。 

 

  

北京の「胡同」のような横町をみかけました。  なかなか風情がありますね。

 

次は「光孝寺」へ行きます。