goo blog サービス終了のお知らせ 

みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

まだニホンは捨てたモンじゃない。

2009-07-03 20:50:42 | ちょっと論じる
荷物が重いわけよ。
ワケあって、人生ゲーム買ったし。

ついでにドンドンドン♪ド~ンキ~♪♪でぷちちゃぶ台を
買っちゃったし(爆安。)。

で、一週間のオシゴトで疲れ切った身体にムチ打って、
というのはさすがに大袈裟ながら、ヒィヒィ(内心で)言いながら
東横線渋谷の階段を、ホーム目指して上ってたわけだ。


そこに、誰もが避けて通る、圧倒的に遅いお方の姿。

杖をついたおばあちゃまでした。

杖のせいでうまく階段が上れないのかと思いきや、
杖を持つ手にも、もう片方の手にも、たくさんの荷物を
お持ちだったため、うまく杖をつくことができずまごまごしてしまってる
ご様子だった。


そんなの、ちょっと注意して見れば分かること。

それなのに、おばあちゃまは誰からも助けの手がないまま
階段の後半戦にたどり着くまでに至ってた。

ここにたどり着くまでに少なく見積もっても5分はかかって
たんじゃないかな。
その間、果たして何人の人がこのおばあちゃんを
追い越して行ったんだろう。
誰ひとりとして、手を貸さないとはどういうことだ。


荷物いっぱいの私が行くのも滑稽だよなぁ・・・、と思いつつも
「荷物お持ちしましょうか?」とお声がけしようとした
その瞬間、

数段上方から駆け降りてきた小学校4、5年風の女の子2名。

まるで発表会か何かのように声を揃えてこう言った。


「おにもつもちましょうか~~?」


おばあちゃんはすごく嬉しそうに、

「ハイ、お願いします。」

と、言われてた。



いやぁ~、美しい光景を見ましたよ、アタシャ。
小さく感動すらしたもの。
と同時に、危うく「荷物(お持ちしましょうか?)」の
「ニ(荷)」の音を発しそうだった自分がやはり滑稽に思えた。

伊東四郎の一歩手前だよ。
ニンッ!!



ゲーム世代であるが故に思いやりに乏しくて自分勝手。
最近の学童はそんな傾向が強くなってるとかいう話を聞いたりしますが、

ナニ言ってやんでぇ。


そのへんのオトナよりもよっぽど思いやりと優しさのあるお子さん、

いるぜ。

意志のある人。

2009-06-27 18:51:55 | ちょっと論じる
朝から整体行ってきただわよ。

カラダはほぐれて快適ですが、隣で施術受けてた
オバハンの話に少しイラッとさせられて帰って来ました。

だってさ、
「ストレッチ最近されてますか?」と聞かれて、
「やろうとは思ってるんだけどさ、忙しくてそんなのできないわよ」
と、恥ずかしさも申し訳なさもなくのたまうんですよ?!

イヤ、やる時間がないのは分かるが当たり前の権利のように
言われちゃうとハァッ?って思っちゃう。
辛抱強く説諭されてた担当さんの姿が健気でしたよ。

揚げ句の果てには二の腕の贅肉が何とかならないかと
聞いているご様子。
ここはエステぢゃねーーーっ!!
健気な担当者はここではそれはできない旨を説明し、
個人的なオススメとして効果的な筋トレ法をご教授。

するとオバハン、
「そんなのは知ってるわよ。
私がやらなくてもどっかのお店に行けば細くしてもらえないかと
思ってるだけ。」だって。

さすがに担当者さんも、「ご自身が意志をもってやられるのが
一番効果的ですよ」
と、少し毒を含めて説諭してました。


そう、意志ですよ。


一緒にすると怒られそうですが、昨日亡くなったマイケル氏は、
良くも悪くも意志(意思)があったように思う。
ついぞ理解されずに終わった部分も含めて。

今朝のワイドショーがこぞって流した過去の彼のPVは、
いずれも斬新で、激しく何かに挑んだり、優しく皆を癒したり、
その時どきの彼のWILLが感じられた。

あの意志こそが、エポック・メイキングな大ブームを呼び、
ある番組でも言っていたが彼をタイガー・ウッズ、オバマ氏を
はるかに凌ぐ、黒人ヒーローの先駆者たらしめたのだろう。


ワイドショーで彼の歴代ヒットを聴いて思いあたったことが
もうひとつ。

私のカナダ滞在期は、彼のヒットとともに歩んだ感じだ。
当時は意識してなかったが、マイケルの曲を聴くと
カナダのあの日あの時あの場所が思い出される。

私の幼少の日々は、彼の意志のある歌に、一部支えられて
いたのかも知れない。


25年の時を経た気づきである。
不思議な気持ちだわ。


小学校の卒業式で合唱した、『We are the world』を思い出した。

名前を残す人。

2009-05-27 01:08:39 | ちょっと論じる
何年か前に亡くなったじいちゃんは、元大学教授で
娘である母いわく「変人」だったそうな。
研究に没頭するがあまり社会性や社交性ないということを
指して「変人」と評していたので、言ってみれば
分野は異なるもののドラマ『ガリレオ』みたいなものか。
・・・見た目はかなりの乖離がありますが。


可愛い孫をそれなりに愛しつつもそれ以上の愛と情熱を
研究に捧げていたたじいちゃんは、書斎にこもっては調べ物や
執筆をされていたという印象が強く、それを裏付けるように
じいちゃんの名前をWEB検索するとじいちゃんが執筆または
監修したその道の本の情報が多数表示される。


先日、フト思い付いて久々にじいちゃんの名前を
ヤホー(ナイツ風)で検索したら、ナントじいちゃんの名前が
Wikipediaに載っていることが判明。

早速読んでみると、そこそこ長い記述があった。

出生や、私も知らない歴任情報、今や「数年前」としか
覚えていなかった亡くなった年などが書いてあった。


私の知らないじいちゃんの一面に今になって触れたようで、
懐かしいような嬉しいような、不思議な気持ちになりました。

てかすごいね、Wikipedia・・・。



関連した別のお話。

少しだけお知り合いだった、渋谷某BARの常連さんが
少し前に亡くなっていたという話を聞いた。

とてもやんちゃで魅力的なおじさまで、これまた「その道」
では有名な方とのことでした。

有名だかなんだか知らんが私にとってはただの常連仲間の
可愛いおっちゃんだ、と生前は思っていたが、亡くなられたと
知ってからふと、彼の飲み以外の面を知らな過ぎたことが憚られ
遅まきながら彼の来し方を知れないものかと検索してみるものの、
思った以上に情報が引っ掛からなかった。



ワカモノの野望とかで「歴史に名を残したい」っていうけど、
あれってどういうことなんだろ?、なんてギモンが沸いた。

WEB検索だけを比べると、じいちゃんの方が名前を残してる。
でも彼は、前述のとおり「変人」で、知り合いと言えば教授仲間と
教え子くらいしかいなかったのではないかと言ってもそんなに過言では
ないと思われるくらい、交友関係は狭かった。

常連オジサマは、WEB検索数は少ないけど、その人間性や破天荒ぶりは
業界を初め多くの人を惹きつけ、果てにはワタシのような分野違いの
ニンゲンをも虜にしている。



どっちがいいか、という問題ではないけど、自分という存在の
残し方は1つじゃないんだな、ってのを改めて感じた。
その人の生き様を反映した、名前の残し方だ。

一瞬だけ、「ワタシならどういう風に名を残したいか」、
なんて考えた。
(そもそも名を残したい願望も野望もないヒトですが・・・。)
けど、そう思うことが無意味だと思った。
名前なんて狙って残せるワケがない。
狙った段階で、自分が湾曲するだけですもの。

じいちゃんもオジサマも、自分の美学を貫いて生き、
それがそれそれ記録や記憶として刻まれるに至ったわけだ。
つまり、結果はあとからついてくる、ってモンじゃないかな?


努力と魅力が成せること。
努力ができて、魅力のある人に与えられる勲章。
それが、記録だったり、記憶だったりで「名を残す」って
ことなんだろうな。



「残したい」ってだけじゃ残せないよ、絶対。
(分かったか、ワカモノ(※)め!!)




※ワカモノといっても、趣味や部活で青春時代を謳歌している
 学生さんがたの野望は、個人的には応援したい。
 社会人になってからも尚、中身もなければ身の丈にもあっていない
 抽象的な野望を掲げている未熟なワカゾーたちが許せないだけさ。
 ・・・結果的には今日もワカモノ批判??(笑)




色々考えた、連休。

2008-11-05 00:25:30 | ちょっと論じる
まぁ色々考えたわけです。
そして、何となくだけど、何となく答えも出したわけです。

その、ドキュメントです。


金曜日の夜、私はシモキタにいたです。
友人と、DJイベント(無論、素人DJっす)。
夜から、朝まで。

その前に、会社の友人宅で3時間ほど飲酒してました。

その日まで、仕事の関係で超寝不足でした。
深夜帰宅・早朝起床が続きました。
眠気だけではなく、息をすることすら疲れにつながるくらい、
体力を使い果たしつつあるような状態。

なのに、金曜の夜に散々飲んだあとにオールナイトのイベント・・。
途中ちょっと寝てしまいましたが、酔いつぶれることも
倒れることもなく、朝まで乗り越え、イベントを楽しみました。


早朝に帰宅し、ちょっとだけ睡眠。
案の定寝坊しましたが、タクシーに乗ってお台場へ。
大学時代の友人と会ってきました。
2時間の約束が、私の遅刻のせいで30分しか話せなかったけど、
会えてよかった。

そのあとは、昨日の日記にあるとおり、浜離宮で「空」を
撮りました。

で、ちょっと買い物して、ひとりでお茶して、Mamiちんのライブに
行って来ました。


この頃から、ちょっと思ったんです。


ワタシ、何でこんなに忙しくしてるんだろう・・。



「仕事のストレスがあるから」
「音楽イベントに興味があるから」
「写真が好きだから」
「友人を大切にしたいから」

どれも、ウソじゃない。

でも、その、ウソじゃない理由を“言い訳”にして、
一生懸命忙しくなろうとしていただけなのではないだろうか。


結局何がしたいんだ?
何に向かって生きているんだ?
その目的にどうやって向かっていくんだ?

それらに対する解が見つからず、
後ろめたさと焦燥感を隠すために、それっぽい理由をつけて
ジタバタジタバタしているだけなんじゃないだろうか?



激しいカラダの疲れとともに、そんな考えが強くなり、
何となくもやもやしたまま、Mamiちんのライブに向かった。

古い言い方でいうと、“脱サラ”して音楽の世界に入り込んだ彼女の、
10周年ライブだった。
私は縁あってそのほぼ始まりくらいから彼女を見てきていた。

10年を振り返り、彼女は要所要所で昔の自分の苦しみを口にした。
10年前当時は私も若かったため気づかないでいたが、
その頃の彼女は色んな悩みや不安に押しつぶされそうだったらしい。

今、当時の彼女の気持ちが何となく分かる。
先が見えず、手元も見えず、焦り、苦しみ、
自己嫌悪になるような気持ち。
私よりも全然真面目な彼女だから、苦しみもさらに大きかったろう。

でも、10年経った今の彼女は、とても輝いていた。
すごく等身大で、地に足がついていて、自信があるように見えた。
(彼女は「開き直り」と表現していたが・・・(笑)。)

当時の苦しみに共感し、今の輝きが喜ばしく、ちょっとうらやましく、
普段あまり歌に涙しない私が、彼女の曲で泣きそうになった。


嗚呼、泣いたって変わらない。
でも、なんだろう。
どう思い、どうするのがいいのだろう。

そんな気持ちをぐるぐる抱きながら、
渋谷で鬱々と飲んで帰った。
飲みたくて飲みに行ったくせに、
グラスを持ち上げることすら億劫だった。
(それくらい、体力が底辺だったような気もする。)


そのまた翌日。
会社の親友(♀)と江ノ島に行ってきた。
久しぶりにそこそこ眠った私は、ちょっと元気を回復していた。

海の存在でも癒されたが、そこでワイノワイノはしゃいで
都内に戻り、一緒に軽く一杯やっていたときが、
ちょっとした転換期となった。

前日までのもやもやを吐露した私に対し、
友人は本当にアタタカイ言葉をくれた。
ジタバタして、もやもやしている私を心から愛し、
認めてくれた友人のコトバに本当に励まされた。
どう言って貰ったかはナイショ。
(まぁ、「それに気づいたんだからイインダヨ」というような
 ことを言ってもらえたわけです。)



そしてそしてそのまた翌日。

年上の友人(♀)と、豊洲でデートしながら
来年からの楽しい野望について色々と語った。

多分、このシチュエーションがあと24時間前におきていたら、
もやもや中の私は「またジタバタと楽しい企画に関わってしまう・・」
と、内心ネガティブに捉えてしまっていたかもしれない。

それが、前日の親友の魔法のコトバのおかげで前向きになったところに、
演習問題でもするかのような絶妙のタイミングで、とても楽しい話を
提示してもらえたというこの運びが、あまりにも嬉しくて、
もやもやが完璧に晴れたような気分になりました。

また、その晴れやかさを後押しするように、とても楽しい会合にも
加わらせていただき、素敵な大人たちに囲まれて、
やはり当初予定よりも遅めに帰宅しました(笑)。



結局、この3連休で私のやってることはあんまり変わっていないの
かも知れない。

でも、私はこの3日間で、確実に変わった。
気分的に。考え方的に。

これからしばらくは、きっと
悩まない。自信を失わない。ジタバタしない。

うまく言えないけど、この3つだけは確かな気がする。
(当面は。)


空を見て、海を見て、色んな友人と触れ合って、
自分のアタマの中がスーーーーーッと広くなったように思う。



気持ちが晴れるときってのは、きっとそういうモンなんだ。


今日のブログ、何だか長いだけで当初予定のまとまりにも
なってないし、絶対読み物にはなっていない。

でも、この気持ちを書き留めておきたいと思ったし、
書き留め方はコレでいいような気がする。


いいんだ。きっといいんだ。




遠慮のない遠慮はキライなのです。

2008-10-12 17:11:48 | ちょっと論じる
これから(また)ライブに行ってきます。

とある方の、誕生日ライブ。


最近、「誕生日イベント」が私の周りで流行って(?)いて、
今日のイベントの2週間後にも、とある方の誕生日ライブがあります。

そして、負けじと私も誕生日イベントを開催。
明日の誕生日当日、都内某所で催されます!!

で、少ないご友人がたを招くべく、色んな方にメールを
送ったりしてたんですが、一部友人関係で必ず沿えた
一文がアル。

『尚、“遠慮します”という遠慮のない返事は要りません』


カンジ悪いでしょうが、私からすると「遠慮します」ほど
自己愛にまみれた無遠慮なコトバもないと思う。

先週の「サザエさん」で、波平さんが電話で「愚妻」という
コトバを使っていたのに、サザエ・ワカメの両女性が憤って
いらっしゃいましたが、身内も含めた自らをへりくだるのは
別にイイと思う。
お土産持ってって「つまらないモノですが・・・」というのも、
別に構わないと思う。

でも、相手のご好意/ご厚意への応え方として、「イヤです」
というのをへりくだって「遠慮」って、あまりにも自分の
都合を正当化しすぎじゃないでしょうか?
本当は参加したくないと思っているのに、「遠慮」という
コトバで責任逃れをしているような気がしてならないんですよ、
私は。


だから、それをあたかも免罪符のように使われると、
却って傷つく。
ご厚意に応えたくないと思われているうえに、
誤魔化されている気持ちになる。

同じ誤魔化すならば、「先約アリ」とか嘘を言ってくれたほうが、
よっぽど気がラクである。

そもそも、予定が空いてるのに来ないというのは、
「来たくない」以外の何があるというのだろうか?
遠慮じゃなくて、拒否ではないか。
フツウに「う~~ん、やめとく」と言ってくれりゃいいのだよ。
できれば、「ごめんね」というコトバを添えて。


もちろん、コトバの捉え方ってそれぞれです。
「遠慮する」と言われて、「丁寧な断り方をしてくださって
ありがとう」と感じる人もいるのかも知れない。

でも、私は、そのコトバはトモダチ以外の、
もっと本当に遠慮の要る相手にしか使わない。
トモダチ間で使うと、それだけで他人行儀な気がするんだけど。


と、いうわけで、今度からワタシに誘われたら、

「ん?やめとく」
「行きたくない」
「先約アリ」

の3種のどれかでお答えくださいませ。




お仕事論。

2008-06-19 23:53:21 | ちょっと論じる
毎年のことながら有休が余りまくっていてですね、
スキをみて休む体制にいるのですが、
まる一日休む勇気がなく、チマチマと午前半休を
とっている状態。
これがですね、休まるかと思いきや、生活のペースが
定まらなくって逆にエラく疲れることが分かり、
木曜日にしてかなりグロッキーしています・・・。

さておき、一昨日の我がブログの締め。
「目指せ!仕事を趣味にするヒト」という言葉ですが、
改めて自分で読み返すと、すっごい仕事に燃えたい願望が
あるように読み取れて、我ながらビビった・・(笑)。

正しく言いますと、「趣味は仕事なんですよぉ~~♪」
って言いたいのではなくて、「ん~~、コレ楽しそうだから
お仕事にしちゃおうかな?」ってやりたいという願望なのですよ。
自分の趣味に合った、楽しそうなことだけを仕事にしたいの。
うひっ、超ワガママ♪ 

以前から、今いる部署ではあれやコレや、「よろず屋」的な
仕事ばっかしていましたが、最近はそれが高じて単なる
「放し飼い」になってきていたわけですね。
で、それに乗じて、あまり興味のない仕事では手を抜き、
頼まれてもいないのに、面白そうと思ったビジネスを、
部署の垣根をKYして提案しちゃったりしているわけですのよ。

今日も、広告代理店さんと、本来お願いしているお仕事の
打ち合わせをやりつつ、数日前別部署の部長さんと盛り上がった
ビジネスの案について生き生きと相談したり・・・(笑)。
代理店さんも、お付き合いな部分も多少ありつつ、そこそこ
関心を抱いてくださっているよう(に私には見える)ので、
ますます楽しい。


わがままだなーってすごい思う反面、決して公私混同の、
利己的な動きをしているわけではなくって、本気でウチの会社の
収益UPや評価UPになるだろうと思って考えているんだから
イイジャンって自画自賛している部分もあったりして・・・。

言われたことだけを忠実にこなすのも、言われたとおりのことを
なかなかできない私からするとすごいなぁ~とは思うのですが、
そんな方々はどこが楽しくて仕事してるのか、さっぱりわからない。

楽しく仕事をするためには、私には趣味(ワガママ)が
必要だなー・・・。






青春の戦いだねぇ。

2008-01-12 20:28:28 | ちょっと論じる
すっかり忘れて他局のTVを観てしまってたが
ナントカ思い出して後半戦からラグビー大学選手権の
決勝戦を観ました。

ワセダ、優勝おめでとぉ~~~♪


生憎の雨模様・寒模様だったためか、観客席に空席が
目立ったのが残念。
晴天だったら、もっとたくさんの方が来てただろうね。
もしかしたら、私も(忘れてたくせに・・・)。
紺碧の空の下で優勝させてあげたかった。


私はラグビーというスポーツがかなり好きだ。
早稲田が活躍してるから、というのも少しあるが、
あれこそオトコの戦い、って感じがする。
ルールに詳しくなくても、観ているだけで心が昂ぶる。
(実は昔、副音声でルールを学んだりしましたが(笑)。)

1つのボールを、白線の向こうに置くためだけに、
彼らは走り、ぶつかり、倒れこむ。(たまに蹴る。)
その目は真剣で、熱く、鋭い。

カッコいいではないか。
青春ではないか。


今日の試合の終盤には一進一退の見事な攻防戦も見られ、
解説の方をして、「“これぞラグビー!”ってのを
見た感じですねぇ~~~」と嬉しそうに語るものだった。

そしてノーサイドの笛が鳴った瞬間、
メンバーは抱き合って喜んだ。
クールでポーカーフェイスな五郎丸くんも泣いてた。
その涙に、私も感動させられた。
“スーパー1年生”と言われてた彼も気づけばもう4年生。
ちょっと早い卒業式を見たような気持ちになりました。


親戚のおばちゃんかい・・。


ときどき、オトコノコに生まれてきたかったと思うときがある。
男だったとして、実際ラグビーをやってたかどうかは分からないけど、
あぁいう苦しみと喜びは、オトコノコでないと味わえないと思う。
ちょっとばかりジェラシーすら感じちゃう。


まさに、青春の輝きってやつだねぇ~~。
美しいし、誇らしいし、羨ましいし、
少しだけ、悲しい(←もう戻れない時代なので)。




キャパ。

2007-09-13 23:57:01 | ちょっと論じる
嗚呼マスコミとは恐ろしい。

幼い頃からのテレビっ子なので、うちではテレビがついていない
時間がまずない。従って、テレビ番組は全般的に嫌いではない。

でも、最近の報道っちゅ~のは何だかコワイね。
よってたかって騒ぎ立てて、この数ヶ月で何人のニンゲンを
壊してきたのでしょうか。

松岡さんとかいうおじさん。
朝青龍とかいう関取。
安部さんとかいう首相。

「ありゃ俺らのせいじゃねーぜ」なんて思ってるのかなぁ?
こわいコワイ・・・。


ただ、最近の集中的な批判が、これまであまりなかったケースかというと、
何となくそうでもないような気がする。

注目される世界で生きてるニンゲンは、多少の非難批判には
ビクともしないくらいじゃないと、勤まらないのかもね。
冷たい言い方をしてしまうと、前述の方々はそれに耐えられる
精神的なキャパを持ち合わせていなかっただけかも。


彼らのみならず、自分の精神的なキャパをちゃんとわかっていないと、
必要以上にヨクナイ方向に向かってしまう。
そんな人を身近でも見てきたから、余計そう思う。

ある程度までは無理して頑張っても、自分の内なるSOSにちゃんと気づき、
無理をしすぎず頑張り過ぎないようにすることが、
このセチガライ世の中での大切な処世術だと思うぜよ。




おいおい、おかしくね??

2007-07-19 00:28:22 | ちょっと論じる
朝のニュースで報じられてたブラジル飛行機墜落のニュース。
搭乗者名簿にイワサキさんという日本人らしき名前が見つかった、
というところまでは聞いていたが、帰宅してネットのニュース見たら、
「イワサキさんは日系2世だった」という見出しのものがあった。

・・・このニュース、何が伝えたいワケ?
うがった目で見ると、「純製ニホンジンじゃないからヨカッタ。」、と
言ってるようにも見え、非常に不愉快になった。

イワサキさんが日本からの駐在の方ならば悲劇で、
在日二世ならば悲劇じゃないのかね?
多くの方が亡くなってても、日本人が死んでなきゃ悲劇じゃないかね??
日本人が死んでた日にゃ~、遺族へのインタビューにやっきになるのでわ???
それが、「悲劇の実情を伝える」最良の手段なのかね????


昨日に続いてのマスコミ批判ですが、
ちょっと最近の新聞・TVの報じっぷりは不愉快なものが多い。
下品かどうかなんて気にしてたら仕事にならない!、とでも言う気かね?



まだ、お下品なバラエティの方が笑えるかもよ?




いち視聴者より。





不思議なんだけど、自然にも思えること。

2007-06-18 00:23:51 | ちょっと論じる
関係ないが、超ド近眼の私は、寝るときも眼鏡をかけっぱなしで寝る。
別に、「夢がぼやけないように」なんていうカワイイ発想ではなく、
目覚めた瞬間に視界がボヤけてると、異様に不安(&不快)になってしまうから。
寝相はいい方なので、それが支障になることはない。

が、ごくたまぁ~に、目覚めたら眼鏡をかけてないことがある。
目覚めた瞬間、軽くパニクり、「メガネメガネ・・・」と、我が眼鏡を
探すのですが、大抵私の右隣の腰~首の位置辺りに、添い寝してくれている。
寝相はいい方なので、寝返りうってつぶすことはないのですが、
いつの間に我が顔面から離れて行っているのかは、今のところ謎のままである。


実は今朝も久々にそんな朝でした。
別に、このことが何かの暗示になっていることはないのですが、
ちょっと楽しみなイベントがある日だったので、もしかしたら
そういうワクワクな心理が、私に寝ながらにして眼鏡を外させたのかも。
・・・・・・・う~~~~~ん、理屈が通ってるような通ってないような・・。

今日は、大学時代の学部の友人の新居へ訪問してきました。
ザックリ言って、私にはサークル側の友人と、この、学部側の友人の
2グループの友人関係があり、どちらも男女ほぼ同数で家族兄弟のように和気藹々
していた仲であり、どちらも卒業後もチョイチョイ連絡を取り合っている仲なのです。

学部側の友人は既婚者はほぼ全員お子さんいらっしゃいます。
そもそも、結婚した時期が異様に早い方が多い(私からしてみれば)のが、
ここのメンバーなのです。
余談ですが、このメンバーの女性陣の中では、私はかなり早い時期に
「残り1名」となってました・・・・。

で、今日は我が学部グループのリーダー宅へ、メンバー4名がお邪魔したのでした。
リーダーも今年の初めにパパになったばかり。
お邪魔したメンバーのうち、私を除いた女性2名も、ママさん。
それぞれのお子さん連れでやって来ました。

おうちはちょっとした保育園状態(?)で、お子さんたちの一挙手一投足に
我々オトナたちが翻弄されたり、笑わされたりしてた感じ。
話題も、必然的にお子さん・子育ての話になってきます。

当たり前ですが、彼らと出会った10ン年前にはありえなかった話題だし、
卒業直後でもありえなかった話題。
あの頃のボクたちは、まさか10ン年後に自分たちがこんな話で
盛り上がるとは思ってもいなかっただろう。
クラスメートがパパ・ママになってるというのは、何だか不思議なものです。

でも、その一方で、彼らはパパ・ママになったところで、内面が根本的に
変わるというわけでもないので、話題こそ変われど、接している印象は
学生時代の彼らのまま。
だからこそ不思議であったりもするけど、そんな中で“不変”な部分が
見出せるのは嬉しくもあったり、する。

不思議だったり、嬉しかったりしながら、フトした瞬間に、ちょっとひいて
俯瞰的な感覚で彼らを見回すと、パパママをしてる彼らの姿がとっても自然にも
思える。そう思うのが、また不思議だったりして・・・(笑)。
う~~~~~ん、この複雑ながらもほんのり温かい気持ち、表現が難しいっす。


余談ですが、自分がいまママじゃないのも非常に自然に思えたりして・・・。
・・・まぁ、それはさておき。


楽しい休日でした☆