みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

常識と非常識。善と悪。

2014-03-13 23:36:02 | ちょっと論じる
シンデレラガールが突然魔女狩りに遭っている。
そんな印象だ。

教育学部出身のワタシは「リケジョ」にさしたる思い入れはないですが、
都の西北出身者としては「ワセジョ」の快進撃には素直に感激していた。

ちょっと騒ぎ過ぎではないか、とも思いながら・・・。


そのほとぼりが冷めた今、彼女は別のカタチで騒がれてしまっている。
脚光はどこへやら、疑惑と批判の対象として・・。

まだまだ情報が明らかになっていない中、報道・マスコミはじわじわと
さまざまな「疑惑」を取り上げ、その情報に触れた一部ネット民族が
彼女への「批判」を言葉にしている。

恐ろしい話だ。



レベルは違えど(まぁ、そのレベルの違いがある意味問題だが)、
コピペは私の卒論でもやったし(ただ、私は小心モノなので
免罪符とばかりに引用元を書きつづった)。
私の時代以降にネットやPCが大普及しているのだから、
私より若い世代は「コピペ」はとても身近で馴染みある行為だったに
違いない。
ひょっとしたら、、だけど、学生の中では論文のコピペ転載は
「常識」になっていたのかも知れない。

ちょうど最近、「イノキの常識、非常識」と自ら言ってらした政治家さんが
いらっしゃいますが、世代や立場が変わると、
ある人の常識がもうひとりにとっては非常識、なんてことは
結構がるような気がする。

サラリーマン文化で例えると、同じフロアにいる人と話すのに
内線かけて怒られたり、電話かければすぐ済む社内の問い合わせのために
メールを書きはじめたりするワカモノを「非常識だ」となじる先輩がたと、
何が非常識なのか理解できない後輩たちがいた。

古くは、同棲も、デキ婚も、離婚も、「非常識」「恥」と思われていたことだって、
あった。


次元の違う話なので一緒にするのもよろしくないが、
言いたいことは要するに、ご本人含めた当時の博士号論文執筆者にとって、
こういう行為は「常識」の範囲内だったのかどうか、ということと、
そうじゃなかったとして果たして今回のことは彼女のみが批難に値する
ことなのだろうか、ということだ。

早稲田の博士号論文を全文丁寧に検証したら、9割がたの論文がコピペまみれ、
なんてことはないだろうか。
だったら彼女の行為も許される、、なんてことにはならないが、
この場合、責められるべきはそんな状況を見逃し、とるべき指導を怠った
大学側と、そんな大学の体質に甘え続けた全「コピペ論文」提出者、
ではなかろうか。

百歩譲ってコピペまみれが彼女だけだったとして、
複数人いる指導教官は何をやってきていたのだろうか。

「大学・大学院」という教育組織の信頼失墜、ブランド崩落にもつながりかねない
由々しき事態を、一部メディアと一部ネット民族は、「オボちゃん」個人という、
歪んだフォーカスで評価(批判)してやいないだろうか。


朝見たニュースでコメンテイターさんが「悪意があるならまだマシ」という主旨の
コメントをされていたが、本当にそのとおりだと思う。
彼女が真性の悪で、善良な指導官に見事に取り入り、たぶらかし、欺き、
テキトーな論文を巧みに通過させた輩であれば、皆も安心してその唯一の「悪」を
批難できる。
先日のサムラゴーチのように。。

しかしこれが、多くの無意識・無関心・無知により導き出された悲劇であるならば、
無念のぶづけどころがないどころか、空恐ろしくも思う。


彼女を盲目的に擁護するつもりはないが、
明確且つ客観的な結論や証拠が揃っていない中で、
盲目的に彼女を批判することは、ヒトとして稚拙すぎるように思う。


それが、盲目的に彼女を称賛した方々なら、尚更だ。



『金メダル』と『金メダリスト』。

2014-02-16 09:21:14 | ちょっと論じる
やってくれましたね、羽生クン。
大雪のニッポンを一気に華やかにしてくれました。

SPまでは“緊張しない”と言いのけていた彼をも飲みこんだ五輪の“魔物”。
FP最初の4回転後の転倒(←実はこのちょっとあとに起きたのでリアルには見ていない)、
トリプルジャンプでのステップアウト(←ここから見た)など、
嫌ぁ~な予感を漂わせた。

が、そのあと彼は自らの演技を立て直し、「魅せる演技」を披露してくれた。
それが、続くチャン選手にもきっとプレッシャーになったんだろう、
チャン選手も細かいミスを連発し、五輪の女神は羽生くんに微笑んだ。

本人は悔しさをぬぐえないようだが、立派な金メダル。
“五輪アスリート”らしいドラマを携えた、金メダルらしい金メダルだったと思う。


そして金メダルは、別のドラマも呼ぶ。
『金メダリスト・羽生結弦』という“個人”のドラマだ。

皇帝・プルシェンコへの憧れ・敬意。
髪型まで真似てマッシュルームにする、なんて微笑ましい裏話もあるほどの強い気持ち。
それが、一方的なものではなく、今や皇帝から「僕のアイドル」とまで
評されるに至るなんて、フィクションの世界で描いたら凄過ぎてつまらないけど、
リアルな世界で起きているからこその、素晴らしいドラマだと思う。

日本人らしい礼節を携えている姿勢も、金メダリストとして認められる要因の1つだろう。
演技後、リンクの各方向に向けて行う丁寧過ぎるくらいのお辞儀。
リンクを去るときの一礼。
表彰台にあがる前の一礼。
国歌をはっきりと口ずさむ姿。
記者会見での10代とは思えないしっかりとした受け答えといい、
どんなにひねくれた人でもケチのつけようのない立ち振舞い、清々しさ、
ついでに加えれば可愛い笑顔とリンク上の凛々しさというギャップも、
「羽生クンに金メダルを・・!」と願う人々を増やしたんだと思う。
また、実際に金メダリストとなった彼は、周りへの感謝の気持ちを忘れない。
ファンはもちろんのこと、自分が憧れた先輩たち、コーチ、スタッフ、協会、国・・、
自分と関わったすべての方への感謝の言葉をごく自然に、何度も口にする。
ファンならずとも嬉しくなってしまい、ついついファンになってしまうのではなかろうか。

恐らくは彼はそのルックスもあって女性ファンが先行してついたタイプだと思う。
私の周りでも女性ファンは圧倒的に多いし、男性はひがみも含めて否定的な見方を
している方が多かったように思う。
でも、このオリンピックでの活躍と彼の人となりを目のあたりにして、
羽生くんにココロ奪われた男性陣も多いはず(笑)。
これも、金メダルがもたらしたドラマの1つではないだろうか。


『金メダリスト』にはまだまだ影響を及ぼしてほしい。
羽生くんを含めたフィギュアスケーターは、脚光の裏で多くの苦難に悩まされている。
練習環境の整備不足、多額の費用負担などだ。

今朝見たテレビで言っていたが、スノーボード界などは小学生の頃から
複数のスポンサーがついていることもあるらしい。
理由は、単純に言うと「スポンサー名を記載する空白的余裕があるから」ということみたい。
ボードとか、ウェアとか。
一方のフィギュアの世界は、衣装のどこにもメーカー名は入っていないし、
シューズもどこのものか全然分からない。
ので、メーカーさんにとっては「スポンサーするメリットがない」ということらしい。
(この商業主義は大変残念であるが、オトコギだけでスポンサーすることができない現状を
 顕著に表しているようにも思う。)

そんな実態に、羽生くんが具体的にどうにか解決してくれまいか、、などという期待は
難しいと思うが、こういう実態が金メダリスト不出の背景にあったということが
『金メダリスト』という栄光の裏にある実態として報じられ、世間に知られて行くことで、
コメンテイターや世論を巻き込み、ビジネスモデルの変化や協会・国からの援助など、
何かしらかの改善に結びつくようなドラマを起こしてくれることを期待したい。

実際、変化をもたらした『金メダリスト』がいた。
荒川静香さんだ。
彼女は、トリノ五輪で見事金メダルに輝いた。
余談だが、もうあれから8年経ったことに驚いた。
このブログに歓喜の投稿をしたことをよく覚えているが、
改めて読んでみるとアホさ満載で情けない。。

話を戻すが、彼女は金メダル獲得後の会見等で「仙台のアイススケートの練習環境の悪化への懸念」を
口にし、栄光の陰にあるスケート環境の実態に世の注目を集めさせた。
その後、金メダリストとして故郷仙台に凱旋するなど仙台をフィギュアを盛り上げようとされた
荒川さん個人の尽力もあり、2004年に閉鎖されていたスケートリンクが県や市などの支援を受けて
営業を再開した。

これが、羽生くんの通っていたリンクだった。
金メダリスト荒川静香の計らい・影響がなければ、今の彼はいなかったのかも知れない。
彼が荒川静香を尊敬してやまない理由の、大きな1つと言えると思う。
だからこそ彼も、『金メダリスト』としての自らの立ち位置を自覚し、
決しておごることがないのだと思う。


羽生くんが3.11被災者であることは有名な話だ。
練習中に地震が襲い、着の身着のままで避難したらしい。
自宅は倒壊し、避難所生活を余儀なくされたそうだ。
一度はここで選手生活をやめることを考えている。
継続を決めてからも、被災地のことが色々なカタチで彼に悩みや葛藤を与えたそうだ。
当事者じゃなければ分からないことを多くいうことは避けたいが、
彼はそんな“色々”を乗り越えて精神的にたくましくなり、金メダル獲得時のインタビューで
「五輪の金メダリストになれたからこそ、復興に役立てることもあるんじゃないか」と
コメントするに至ったんだと思う。
自覚ある金メダリストの貢献に期待を寄せたい。


五輪における『金メダル』のドラマ。
個人を取り巻く『金メダリスト』のドラマ。

銀も銅ももちろん素晴らしいし、
「参加することに意義がある」というオリンピック精神、私は大好きだ。
メダルが獲得できなくても「自分らしく臨めた」「楽しめた」と言い切れるくらい
全力投入できる舞台は本当に特別なんだと思う。

が、そんな素敵な舞台の中でより一層輝き、より一層意義があるのは
やっぱり【金メダル】なんだ。
それは、断言する。


ここまでのドラマを生み、これから先のドラマを期待させる。
それが、金メダルのパワーなんだ。




『生涯現役』。

2014-01-27 23:03:23 | ちょっと論じる
波平さんの声を40年以上担当されてきた永井一郎さんが急逝された。
82歳。
お仕事先で滞在していたホテルのお部屋で亡くなったとか。

YAWARAのジゴロウおじいさんとか、じゃりん子チエ(←関西の同世代未満は知らんだろうな・・)の
小鉄など、馴染みの声は他にもあるが、やはり一番の馴染みは波平さん。
ともすれば、波平さんが亡くなったかのような気持ちになっている方も多いだろう。
2月以降に波平さんの声が変わるとすると、「ドラえもん」の声が変わったとき以上のショックを
感じるだろうなぁ・・・。


にしても、82歳までお仕事を続けられるということはすごい。
天職にあたられていたんだな、とも思うし、その気力体力・プロ意識にも
恐れ入ってしまう。

私なんて、引退ありきのサラリーマン生活だし、
外資企業のような高給が望める会社では「アーリーリタイヤ」なんて言って
サッサと働くのやめて仕事のない日々を濃密に充実させようぜ、などという発想もある。

仕事に精神的に疲れている身としては、できることならアーリーリタイヤしたいぜ、
と思ってしまうときもあるが、仕事にやりがいを求めたい身としては、「生涯現役」という
ものにも、正直憧れてしまう。

あくまでもwiki情報だが、永井さんの声優人生が順風満帆だったかというと
決してそんなわけでもなく、「声優」というお仕事が軽視されていてお給料的にも
低待遇だった時代に、声優陣の先頭に立って待遇改善要求に努めるなど、
辛酸をなめたり大きな敵と戦うことが多々あったようだ。
それでいて、「生涯現役」を選ばれ、全うされるというのは、
どういう考えからなのだろうか。

また、「生涯現役」にこだわるがあまりそのポストや仕事にしがみつき、
実はもうとっくに現役続行できる能力はないのが周りにバレバレで、
「あのヒト、早く引退すればいいのに・・」、なんて陰口を叩かれる方も
一部でいらっしゃる。
そんな姿を見せるのがイヤだから現役半ばで引退をされる大橋巨泉さんや
上岡龍太郎氏などもいらっしゃる。
「生涯現役」に対し色んな接し方・体現の仕方(しないことも含め)がある中、
永井さんは、ある意味年齢不相応なくらいの現役感が漂い続けていた。
そんな状態で天寿を全うされた『生涯現役』像は、
・・上手いコトバが見つからないが、「生きざま」「人生そのもの」を
感じるし、何よりも「誇り」を見せ付けられているようで、何だかまぶしく、
素敵であり、尊敬を禁じえない。


だから、波平さんと重なるんだろうな。。
芯が強く、昭和のオトコを絵に描いたような、波平さん。
設定はサラリーマンだったが、何年も何年も現役社員の波平さん。
そんな波平さんの声を演じる、生涯現役の永井さん。
素晴らしいシンクロだったんだなぁ。


話は戻って、私も含めサラリーマンはみんな引退ありき。
そんなゴールのある線路を走っているから、
なかなか「生きざま」や「誇り」ってもてないように思えてきたが、
それは私の劣等感ゆえの歪んだ発想だろうか・・・?





永井一郎さんのご冥福をお祈りいたします。

クレームとインネンと被害妄想とダイバシティ。

2014-01-24 21:14:42 | ちょっと論じる
久しぶりに金曜日の早い時間(ナント19時にはウチにいた)に帰ってきたワタシは
昨日からかなり不機嫌である。
昨日だったか、一昨日だったか。

見てないからよう知らんのだが、『明日ママ』ってドラマはそんなに有害なのかね?
「制作物」「創作物」、つまり「作り話」が前提というドラマであったとしても?
「真似るコがいるかも」ということがアカンのかね?
「ココロの傷をえぐる可能性がある」からアカンのかね?

後者は冷たいようだが耐えたまえ。
それがムリならその番組を見なければいいだけ。
TVで映される映像にココロの傷を痛まされている方は孤児の方々だけではない。
3.11被災者の中にもいらっしゃるだろうし、
イジメ・失恋・何かしらの喪失でココロにNGワードを抱えている方なんて
数え上げたらキリがない。
「ココロの傷がえぐられます」という訴えに、優劣はないはずだ。

じゃあ、そんな、ヒトのココロを傷つけたり、真似によるイジメの拡散の
懸念があるような作品を作るべきではない、という人もいるだろう。
う~~~ん・・私はその考え方が違うと思う。

真似るような子どもの育て方をするな、ってだけの話だ。
真似っこが拡散するのは、親が、大人がちゃんと躾けてないからだろうが。

今回の作品とはテーマがだいぶ異なるが、私らが幼い頃、お化け番組と言われた
ドリフ(8時だヨ!全員集合)に、世のパパママから苦言が上がっていた。
お下劣だと。
でも、ウチの親は見させてくれた。
ただその一方で、「よそでこんな話題はするなかれ」「これは、お下劣なネタだ」
ということを切々と説かれた。
うんこネタに涙を流して笑う娘を、120点満点の軽蔑の眼で見下ろしながら
「こんなので喜ぶコってヤァねぇ~~~・・・」と嘆いていた。
だからワタシはウチの外ではお下劣な話をしなくなった。
(社会人になるまでは・・・。)

次元が違う、という方はいらっしゃるかも知れないが、原理は一緒だ。
「ポスト」とからかわれているシーンで、
「こんなことをいうコは最低だ。万が一こんなことをする子が我が子だったら
しばき倒す」と、しっかり“いじめる側”の醜さを指摘してあげればいい。
いや、指摘してあげればいいのではなくて、「指摘しなければダメだ」。

その作業を放棄して、制作側に放映中止を訴えるのは、
お気持ちを斟酌することはできるものの、・・・賛同はできない。

まぁ、もっとヒドいのは、そんな方々の心からの訴えを
面白おかしく取り上げて、色んな角度で話題に挙げて、閲覧数を稼ごうと
しているように思われるマスコミさんたち
だけど。。
彼らの報道で、今回の件を誤って受け留めている人は多いと思う。
もしかしたら、私も含めて。。


このドラマの件もナンダロナァ~・・・、と思ったが、
それに加えてナンダロナァ~が重なってついに不機嫌になってしまったのが、
昨今の「CM中止・打ち切り」だ。

1つは、「金髪・鼻高変装」が外国人の方の誤った認識を浸透させるとかで
中止になった某航空会社のCM。
それがダメなら何年か(も)前にとんねるずさんがやられてた、
「テマ~キズシ~~♪ オイシ~クテ ハナタ~~カダッカ~~♪」
のCMは何だったんだろう。
世の良い子たちがこぞって口ずさんだ名CMと評されてたと思いますが・・。

企画にはなかったのかも知れないが、第1段CMが金髪ハナダカで、
次段がオリエンタル風、第3段がヒスパニック風、、と、
色んな外国人風の方が現れるシリーズだったのかも知れないとか
考えられないのかな。
過剰反応が過ぎるような気がする。
怒る側も、やめる側も。


その次が、某アルコール飲料のCM打ち切りだ。
「カエルのキャラクターが未成年層の興味を駆り立てる可能性がある」とのことだが、
ちょっと見て欲しい。
 ↓↓↓


・・・全然十分オトナムードだと思うのは私だけでしょうか??
タレントも、十分オトナな大沢たかおさんである。
これを見て飲酒に興味を持つ未成年層は、20代前半のイケメンや
かわゆい女優やアイドルちゃんが宣伝してる酒をとっくの昔に飲んじゃってると思う。。


どっかのクレジットカード会社から「カエルが類似しすぎてる!」とクレームされる方が
まだ健全な気がするんですけど。。



極め付きが某コンビニで「フォアグラ入りハンバーグ弁当」の販売を中止したという話。
「フォアグラの飼育は残酷」というクレームがあったとかで。。
その方々は、普通のお肉になる牛さんや豚さんや鶏さんがスーパーに並ぶまでにみんな等しく
殺されていることについては何にも思わないのかしら・・・。
これもさぁ、嫌なら買わなきゃいいだけなんじゃないの??



こんな訴え・・というかハッキリ言って個人(または個団体)の価値観に偏った
ワガママに近いと思うんですが、、にいちいち反応してる企業もどうなのかね?
コトナカレ主義の表れのように思われ、私は好感が持てない。

「不愉快ならば見なくて結構」
「乗ってくれなくて結構」
「ワカモノの教育は親の責任であって企業側じゃない」
「テメェに喰わせる弁当はねぇ」

と、返せないのは何故かしら・・?
江戸っ子は、このダイトウキョウのダイキギョウでは淘汰されてしまったのか?

まぁ、前述のように喧嘩売るような返し方はできないにしても、
言われるがまま、折角お金かけて作ったCMをお蔵に入れたり、
たくさんのお金と時間をかけて開発したお弁当を撤収したりして、
そのお仕事の関わっていた方々の士気は下がらないのかしら?
社内のモチベーションのほうが、一部の偏った意見よりも優先されていいのかしら?
そんなにカンタンにひっこめてしまうようなものならば、
ハナから出さなきゃいいのに・・・、と私ならば思ってしまう。


差別はあってはいけないけど、昨今は「多様性需要」という考えが広がっているはずだ。
「弱者を守ろう」という意識を強め過ぎて、逆に弱者をあぶり出したり、
弱者が逆差別されることは、誰も望んでいないはずだ。



話はまた変わるが、弊社には「ダイバシティ研修」というのがある。
その研修のために、女性社員のみが集められる研修。
きっちり毎年開催される研修。

参加者はそれを「差別研修」と呼ぶ・・・・・。



食材の秋。

2013-11-02 21:36:46 | ちょっと論じる
例えば有名ホテルやグルメ番組で紹介された名店(と言われるところ)に行って、食べて、
「やっぱり美味しいワァ~~~~♪」と大感激する方は、
ニッポンジンの何パーセントくらいんなんだろう。。

私はそもそもあんまりそういう肩書や情報に踊らされない、というか、
踊らされることを好まないので、あんまりそういうところに行かないのですが、
たまに友人に誘われて、たまに個人的に気が向いて、そういうお店に行ってみたりしますが、
「やっぱり美味しい~~~~♪」と思ったことはほぼナイ。
まぁ、ハードル上げ過ぎてるということもありますが、ぶっちゃけそんなに美味くない。

・・・と思ってしまうには、血筋もあると思うけど。
今年の夏に、母と某ホテルにディナーしに行ったのですが、京都人の母は終始、
「美味しナイ」と酷評でした。(だったら誘わなきゃいいのに・・。)
関東ってだけで店の味をコキ下ろすのが京都人の母のプライドかも知れませんが、
京都某ホテルのランチコースについても「美味しナイ」と言ってましたので、
本当に母は自分の舌に忠実なんだと思います。

その母あってのこの娘ですし、且つ、私は幼少の頃から「コレは美味い」「コレはアカン」と
京都人夫婦の父と母の食卓の会話を聞かされて生きてきましたので、
自慢じゃないが、そこそこ舌は確かなの。
美味いか美味くないかは、お店のブランドやメニューの肩書じゃなくて、
アタシが決めること。
美味い店は、他人じゃなくって自分で探すもの。
有名だって、高くったって美味くないものは美味くない。
まぁ、以前同期と行った築地の寿司屋があまりに美味しくないのに
みんなが「さすが築地!」と絶賛しているのにハラ立てて
「築地の底力はこんなモンじゃない」「これで築地を語るなんてありえない」
などと絡み(ポン酒飲み過ぎてましてん・・)、場の雰囲気をめっちゃ悪くしてからは、
本音を言う場所と言う相手は選ぶようになりましたが・・。


で、前置きが長くなりましたが、昨今の「食材偽装」問題について。
当初のニュースの扱いが随分雑でびっくりしましたが、やはり大問題になりましたね。
この問題は、私は聞いた瞬間からアリエネェって思いました。

でも、

ちょっとだけ思うのは、それでも「やっぱ美味しい♪」とカンゲキした方がいるなら、
その方には怒る権利はないと思うのよねぇ・・・。
食べて、「ん?コレ本当に高級食材か??」と疑問を抱きつつ高いカネ払って帰られた方は
怒り心頭で怒っていただきたいが、満足してたならそれでイイジャン、と思う。

ブランドに誤魔化されるような舌を持ってるアナタが悪い。
あ、これはちなみに自分がだまされたとしても、そう思って諦める。

てか、ニッポンジンの舌がそうやってブランドや肩書でだましやすくなっちゃったから、
今回みたいなコズルい事件が続々と起こるんじゃなかろうか。


今日、いつも使ってる某大企業系スーパーとは違う、地元系小型スーパーで食材を買いました。
「食欲の秋」と言いますが、最近何買ってもイマイチで軽く戸惑ってたんですが、
ここで買った食材がいちいち美味しかった!手頃なのに。

大型スーパーのものとは異なり、どう見ても新鮮そうで尚且つ厚切りなお刺身。
実際食べてみたら、飛び上がりそうなほど美味だった。
ほたても、本マグロも、カワハギも。
それでいて、価格は500円ちょっとくらい。

原木シイタケも、そのまま焼いて塩するだけで、大感激な美味さ。
大小5コくらいで250円ちょっと。原木シイタケにしては安いと思いません?

自分の料理のウデが上がったのかと勘違いしそうでした。
刺身パック開けて、シイタケ焼いただけなのに(笑)。


食欲の秋だからこそ、「何食べても美味しい」に陥らず、
「本当に美味しいもので大満足」したいものです。
カネ払ったから、有名だから美味しい、と自己満足しないように・・・。




セイシュンの甲子園。

2013-08-19 09:50:00 | ちょっと論じる
午前休をとっていたにも関わらずノコノコと朝から品川に出向いてしまい、
改札をくぐらずノコノコと引き返してきたボケボケな私です。。
まぁ、品川駅まで行ったのなら諦めて労働にはげめばいいじゃん、
という考え方もありますが、有給消化に追われている身としては、
確保できている休みは是が非でも全うしたいという都合もありまして。。

そんなワケで、自宅でボケッとしながら甲子園中継観ています。
(・ω・)

そんなにめっちゃフリークなわけでもないのですが、甲子園はいいね。
フリーク以前にミーハー要素のほうが大きいので、知ってる名前の高校同士なんて、
勝手に注目しちゃいます。選手の名前、全然知らないけど。
先日も、大阪桐蔭vs明徳義塾という好カードに見入ってみました。
お出かけの都合で9回の攻防を見れませんでしたが、それまでは熱狂してました(笑)。


さておき、甲子園中継は楽しい。
プロ野球ファン、サッカーファンには申し訳ないが、
ワタシ的にはプロ野球中継よりも、サッカー中継よりも見ごたえがある大会だ。

だって、毎回がドラマだから。

そんなの、プロ試合だってサッカーだって一緒だと仰るでしょう。
まぁ、否定はしませんわ。

でも、高校野球のほうが、もっともっとドラマなんです。
これ、間違いない。

理由は単純。
高校生の方が精神的鍛錬が足りない・・という表現が適切かわかりませんが、
ピンチに弱く、チャンスに盛り上がり、ただただひたすらがむしゃらなので、
言ってみれば、起伏が激しい試合が多いのだ。

全力疾走に、大スライディングに、破顔の笑顔に、大号泣。
大逆転劇なんてザラだし、大ワンサイドゲームなんてのも、ある。
そのひとつひとつが、やたらと愛おしい。
泥だらけ汚れだらけの彼らのユニフォームに、キュンとしてしまう。

・・・と、書きすぎると何だか単なる年下萌えのような感じになってしまうが、
そういう意味じゃなくて、甲子園には色んな面での「ニンゲンらしさ」を
感じられるから、好きなんだ。

我慢や取り繕いを覚えたオトナたち(自分も含め)に紛れて日々を過ごしていると、
こういう、一生懸命で、でも弱くて、でも助け合って・・、みたいな
生々しいパワーに触れると、それだけで感動してしまう。


つまりは、職業病、というかオトナ病なんだなぁ、、ワタシ。



気づけば現役甲子園生の誰をとってもダブルスコア以上の年齢。
青春の感覚よ、いずこ・・・。





ちなみに、がむしゃらなライブ音楽を聴いても、同じ感覚を覚えてしまう。
嗚呼、ないものねだり。。

8月15日。

2013-08-15 23:21:22 | ちょっと論じる
終戦記念の日ですが、私がニュースに触れていないだけか、
近年に比べても戦争に関する報道や特集が随分と少ないような気がする。

・・と、言っても私は正直あんまり戦争時代の話に触れたくない。
戦争の話を風化させたくないという気持ちはあるが、
あまり当時の話を知りすぎると、救われない気持ちになるか、
戦後の大復興を果たした諸先輩がたに、今のニッポンのテイタラクを
申し訳なく思う気持ちになるか、いずれにしてもポジティブな気持ちには
全くなれないから。。

小学校だか中学校だか忘れたけど子供時代、これくらいの時期
(というと、夏休みか・・?)に、
「おじいさんやおばあさんから戦争の話を聞こう」という宿題を
もらった。
そのことを聞いた母は珍しく激怒し、
「そんなのやらなくていい」と言い切り、じぃちゃんばぁちゃんから
話を聞くことを禁止された。

「つらい時代の話をほじくり返すべきではない」というのが、
母の考えだった。
そう聞かされて、激しく賛同して、以来私も戦争の話は史実のみを
知っていればいい、という考えをもつようになった。

そんなスタンスでも、報道やドラマや映画やアニメなどを介し、
当時の悲しい知識が増えてしまった。

だからもう十分、というのも甚だ不謹慎かも知れないけど、
悲しい話だけじゃなく、そこからの復興も同じくらい報じて欲しい。

まぁ、そう思うのは、私がそれなりに歳をとったからかも知れない。
前述したとおり、風化はさせたるべきではないと思っているので、
若い世代にはちゃんと、少なくとも史実はちゃんと、知ってもらいたい。



話は少し飛ぶが、誰が靖国行ったとか、どこが抗議してるとか、
そういう話だけをやたらと聞くが、そんな「現象」のみを報じている
ニュースはいかがなものかと思う。
そういう「現象」や「議論」に結びついている「背景」こそ、
毎年しつこいくらい伝えていくべきだと思う。
悲惨な世界大戦がもたらした悲しい後遺症を、きちんと理解している人は
意外と少ないような気がする。。


8月15日のこの日、私たちは本来何をすべきなのだろう。
終戦したその日は、国民全員が無念と失望の念に満たされていたのだと思うが、
その気持ちをいま共感すべきではない。
価値観の狂った国の先導や敵国の理不尽な攻撃で貴重な命を落とした方々に
想いを馳せ、黙祷するのはもちろん悪いことではないだろうが、
正直最近のTwitter上での「黙祷(なう)」ツイートは、
一種ブーム化しているようで、「黙祷すること」「黙祷を報告すること」が
目的となっているように思えてあまりいい気持ちにはならない。
「戦争はいけない」と思うことも大事だが、世界で現在進行形の戦争の惨事に
目を向けた方が、よりその気持ちは現実的に感じられるのではなかろうか。

・・ひねくれた考えかも知れないが、こう考えてしまうのも、
一種の「風化」なのかなぁ。。
そう思うと、自己嫌悪にもなってしまう。

私は愛されている(と、思う)。

2013-03-10 22:58:42 | ちょっと論じる
先月あたりから、私は来年度のことを考えてる。
まぁ、考えざるを得ない状況になっている。

7月から現職に就き、気づけばもう半年以上となる。
前任の同期の統制のおかげで、今年度の担当の販売目標は
今年度残り1ヶ月で早くもクリアできた。
それは、私のガンバリとは全然関係ないことなんだけど、
そんな影響もあり、次年度はその倍くらいの目標を課せられた。

てか、自分がそのように目標を設定したまでなんだけど(苦笑)。


前任が「貯金」してくれていたおかげで、
私は販売数をUPさせるところではなく、この担当の「甘さ」や「弱点」を
発見し、次年度はそれらを「解消」させるという課題を設定することができた。
めっちゃ楽観的に言うと、それらの課題がクリアできたら、ウチの担当、
めっちゃイケてる担当になると思う。
クリアできない課題ではないと思う。

私がこれまで尊敬してきた上司は、直前までいた本社の上司とな異なり(←軽く過去の愚痴)、
部下に課すこと以上の任務を自分にも課すタイプ。
自分が進めさせていることを、間違いなく遂行できるよう、
ボスとのすり合わせはもちろん、必要な「道筋」を作ることに尽力する人。

そんな上司に育てられてきたからこそ、自分もそうしなければと思っている。
それができないなら、部下にエラソーに指示する資格はないと思っている。

最近、そんな私の思い・姿勢が、部下の方々に伝わってきているのではないか、
という感覚を覚える。


「扱いづらい」と評判な方が3名ほどウチの担当にいらっしゃる。
・・が、その方々はいずれも、大変私に協力的でいてくださる。
つい先日も、ボスのオトコギで引き受けさせられてしまった某案件を、
苦笑いしながらもとても積極的に取り組んでくれた。
少し前だったら、全力で拒否されていたような気もする。
自己満足かもしれないが、この半年で培った信頼関係のような気がする。

元上司のボスとは基本的にはいい信頼関係になれているのだが、
元上司部下ゆえ、めっちゃキビチク叱られることもある。
相談に伺ったのに、怒鳴られて追い返されるオチとなることもある。
そんなときには、周りのみんなが(私としてはそんなに落ち込んでいなくても)、
エラく心配してくれたり、慰めてくれたりする。

慣れない業務を担当していて、何度も同じ質問してしまう私に、
嫌な顔もせずに何度も同じ説明をしてくれる方もいる。
その方が不当に負わされている、本来は別の方がやるべき業務を、
私が「正常な状態」に戻そう(やるべき人にやらせよう)と、
色んな関係者を巻き込んで説得して回っていることを認めてくれているからこそ、
繰り返しの質問にも応えてくれているんだと思う。

年上なのに、完全に私に怯えていた部下の男性ですが、
再三に渡る私のダメ出しに耐え抜いて、いま作成中の資料の完成が見えてきた頃から、
これまでよりもチョット自信が見えるようになったし、
明らかに積極性が増したように見える。


・・色々例を挙げるとドンドン「自画自賛」感が濃くなってくると思うので
この辺でやめておくが(笑)、
自画自賛もしたくなるほど、私のガンバリが部下の皆さんに、
ようやく理解され、信頼関係が浸透してきているように実感される。


そんな中、諸事情あり一昨日は久しぶりにひとりでヤケ飲みしてたけど(苦笑)、
総じて今、私は職場の部下の方々に愛されていると言い切れると思う。
あ、もちろん、私も彼らを愛している。もちろん、部下としてね(笑)。


この勢いで次年度に突入し、みんなでこれまでにない成功体験を共有したい。

切にそう希望してるんだ。



その準備期間でもある、この先の3週間あまり。
ガンバラねば。






ココロに響く名言。

2013-02-09 16:32:42 | ちょっと論じる
私もイチ女子ですので、占いはそこそこ好き。
ときどき“ヤホウ”の占いに頼ったりもしています。
(まぁ、「ときどき」と言ってるわりには有料会員に登録したりしてますが・・。)

でも実は、占いの結果よりも占い師さんの紹介文の方が面白かったりして・・(笑)。
あまりにも、個性的。
「当たる」ってことを、あらゆる表現を駆使して訴求されているその文章たちは、
週刊誌の見出し屋も舌を巻くのではないかと思う。

私の選りすぐり(?)を、一部抜粋でご紹介。
(占い師のお名前や占術名は伏せます。)

まずは、“標準的”なパターン。
私見ですが、老舗どころは余裕なのか、かなり普通の表現。

 ↓ ↓ ↓

 ・ 奇跡の的中力!

 ・ ~幾多の苦労を救いに変えた「●●」~

 ・ ~心癒やされ涙する“奇跡のサロン”


「有名人にも頼られる」ってのもよく使われるパターン
 ↓ ↓ ↓

 ・ 日本一予約困難と噂

 というのをより強調すると、こうなるらしい。


 ・ タブーなき的中鑑定にTV出演依頼殺到!“芸能界開運請負人”
   あまりの的中鑑定に芸能人さえ予約待ち!

 さらには、

 ・ 大物女優も救われ涙!“当たりすぎて虜になる”


 なんてのもアルヨ(笑)。 



以下、傑作選。
 ↓ ↓ ↓

 ・ 心潤し涙する。奇跡越えのド的中!

 ・ 声失う程に見抜かれ心震える。“99%の的中率”

 ・ 全視聴者トリハダの奇跡鑑定!

 ・ エゲツない的中力で決断導く



「エゲツない」って、こんなところで使われるんだ・・・(苦笑)。



さておき、


最近のCMお気に入り2作。
ココロにグッと来る名台詞にご注目。


■ BOSS20周年キャンペーン 金の懐中時計「辞退」編 ■

 “18金の「超・贅沢時計」が当たる”というキャンペーンの話を耳にした
 “いい人”大森南朋さんが、ほんわかした表情で言われる台詞にほっこりします。

 俺はいいよぉ~~・・・。
  だって、俺が当たっちゃうと、1人、当たらなくなっちゃうだろ?
  悪いよそれはぁ~~~・・・。」



■ TOYOTA ReBORN クラウン 「未来」編 ■

 フランク・シナトラをBGMに、北野武さん(秀吉という設定)と、
 ジャン・レノさん(ドラえもんという設定)が、
 さりげなくも深い会話をするシリーズ。

 どこでもドアに見立ててクラウンがピンク色になってる段階でシビれる。
 「前は権力大好きオジサンだったくせに」というやつも好きだったけど、
 今回の方が私は好き。

 どこでもドアのどっちが入り口でどっちが出口かと問う北野さんに、
 「ドッチモ」と、ジャン・レノさん。
 トンネルを抜ける手前で、「あ、出口だ。」とつぶやいた北野さんに、
 ジャン・レノさんはこう返す。


 「入口ダヨ、未来ノ。」



商品訴求だけがCMじゃないんだよなぁ・・。
演出や、CGだけがCMでもない。
ヒトのココロに響く、素敵なコトバを用いた作品に出会えると、
コトバ好きな私はめっちゃ嬉しくなって、エゲツないほどシビれてしまうよ(笑)。


ハタチ

2013-02-02 21:04:47 | ちょっと論じる
きゃりぱみゅちゃんの、「ふりそでーしょん」が結構好きだ。

はたちぃ~♪ はたち、はたち、はたちぃ~~~♪
あたしぃ~♪ あたし、はたち ふりそでーしょ~~~ん♪♪

成人を迎えたわくわくドキドキが、すっごく表現されているように思う。



・・・本当は、まだまだコドモだということにも気づかず、ね。


振り返れば、数は数えたくないけど自分が二十歳の頃、
意外とわくわくもドキドキもしなかったけど、
「大学生」ってだけで、バイトしてるってだけで、運転免許持ってるってだけで、
オトナになってる気分はしていた。

居酒屋でお酒を飲んで楽しい日々を過ごす一方、
バーでカクテルに詳しいオトナに憧れたり、
車を乗り回す女性に憧れてひとりドライブに行ってみては、
道に迷って半泣きになって帰ってきたり、
何だかよくわからんことをしていた。
今思うとくだらないことで、いちいち悩んだりもしてた。

好きな人がいたけどうまくいかなかったり、
やたらと痴漢やナンパに遭ったり、
昔過ぎてよく覚えてないけど(苦笑)、自分が“女性”であることを
これまで以上に意識もし始めたような気がする。


そういうのが、「ハタチ」なんだろう。
まだまだ未熟で、不器用で、
でもオトナであることを自分なりに意識し、
イイオンナになろうと背伸びをしたくなる年頃なんじゃないかなぁ。
誰がどう命じるわけでもなく、何の条件も制約もされることもないのに、
あぁなろうとかこうなろうとか考えちゃったりして。

それが、「オトナの階段をのぼる」ってことなのかもね。
・・・って、振り返ってから思うんだけど。


そこに変な制約が入っちゃうと、階段をのぼり間違えちゃうことがあるのかも。


・・・と、前置きが長かったけど、
やっぱ、こんなオトシゴロのオンナノコたちに、恋愛を禁じるとか、
変な制約を与えちゃいかんのだよ。
昔と違って、プライバシーがダダ漏れになりがちな時代に。。

変な制約があるから、変な丸刈り少女を生み出してしまうんです。
変な制約が、未熟な少女の正義感を狂わせてしまうんです。

自分が女性であるという意識が強まり、事実モテちゃう年頃の女の子には、
自由に恋愛させてあげましょう。
こそこそさせてあげましょう。
失恋もさせてあげましょう。

それを禁じる理由に、どういう正当性があるんでしょう。


ハタチらしく生きる権利を与えてあげて欲しいなぁ。
そのほうが、きっときっと彼女たちは輝けると思うよ。



遠い遠い記憶だけど、多分ハタチ頃の私も輝いてたと思う。