みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

常識と非常識。善と悪。

2014-03-13 23:36:02 | ちょっと論じる
シンデレラガールが突然魔女狩りに遭っている。
そんな印象だ。

教育学部出身のワタシは「リケジョ」にさしたる思い入れはないですが、
都の西北出身者としては「ワセジョ」の快進撃には素直に感激していた。

ちょっと騒ぎ過ぎではないか、とも思いながら・・・。


そのほとぼりが冷めた今、彼女は別のカタチで騒がれてしまっている。
脚光はどこへやら、疑惑と批判の対象として・・。

まだまだ情報が明らかになっていない中、報道・マスコミはじわじわと
さまざまな「疑惑」を取り上げ、その情報に触れた一部ネット民族が
彼女への「批判」を言葉にしている。

恐ろしい話だ。



レベルは違えど(まぁ、そのレベルの違いがある意味問題だが)、
コピペは私の卒論でもやったし(ただ、私は小心モノなので
免罪符とばかりに引用元を書きつづった)。
私の時代以降にネットやPCが大普及しているのだから、
私より若い世代は「コピペ」はとても身近で馴染みある行為だったに
違いない。
ひょっとしたら、、だけど、学生の中では論文のコピペ転載は
「常識」になっていたのかも知れない。

ちょうど最近、「イノキの常識、非常識」と自ら言ってらした政治家さんが
いらっしゃいますが、世代や立場が変わると、
ある人の常識がもうひとりにとっては非常識、なんてことは
結構がるような気がする。

サラリーマン文化で例えると、同じフロアにいる人と話すのに
内線かけて怒られたり、電話かければすぐ済む社内の問い合わせのために
メールを書きはじめたりするワカモノを「非常識だ」となじる先輩がたと、
何が非常識なのか理解できない後輩たちがいた。

古くは、同棲も、デキ婚も、離婚も、「非常識」「恥」と思われていたことだって、
あった。


次元の違う話なので一緒にするのもよろしくないが、
言いたいことは要するに、ご本人含めた当時の博士号論文執筆者にとって、
こういう行為は「常識」の範囲内だったのかどうか、ということと、
そうじゃなかったとして果たして今回のことは彼女のみが批難に値する
ことなのだろうか、ということだ。

早稲田の博士号論文を全文丁寧に検証したら、9割がたの論文がコピペまみれ、
なんてことはないだろうか。
だったら彼女の行為も許される、、なんてことにはならないが、
この場合、責められるべきはそんな状況を見逃し、とるべき指導を怠った
大学側と、そんな大学の体質に甘え続けた全「コピペ論文」提出者、
ではなかろうか。

百歩譲ってコピペまみれが彼女だけだったとして、
複数人いる指導教官は何をやってきていたのだろうか。

「大学・大学院」という教育組織の信頼失墜、ブランド崩落にもつながりかねない
由々しき事態を、一部メディアと一部ネット民族は、「オボちゃん」個人という、
歪んだフォーカスで評価(批判)してやいないだろうか。


朝見たニュースでコメンテイターさんが「悪意があるならまだマシ」という主旨の
コメントをされていたが、本当にそのとおりだと思う。
彼女が真性の悪で、善良な指導官に見事に取り入り、たぶらかし、欺き、
テキトーな論文を巧みに通過させた輩であれば、皆も安心してその唯一の「悪」を
批難できる。
先日のサムラゴーチのように。。

しかしこれが、多くの無意識・無関心・無知により導き出された悲劇であるならば、
無念のぶづけどころがないどころか、空恐ろしくも思う。


彼女を盲目的に擁護するつもりはないが、
明確且つ客観的な結論や証拠が揃っていない中で、
盲目的に彼女を批判することは、ヒトとして稚拙すぎるように思う。


それが、盲目的に彼女を称賛した方々なら、尚更だ。