みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

セイシュンの甲子園。

2013-08-19 09:50:00 | ちょっと論じる
午前休をとっていたにも関わらずノコノコと朝から品川に出向いてしまい、
改札をくぐらずノコノコと引き返してきたボケボケな私です。。
まぁ、品川駅まで行ったのなら諦めて労働にはげめばいいじゃん、
という考え方もありますが、有給消化に追われている身としては、
確保できている休みは是が非でも全うしたいという都合もありまして。。

そんなワケで、自宅でボケッとしながら甲子園中継観ています。
(・ω・)

そんなにめっちゃフリークなわけでもないのですが、甲子園はいいね。
フリーク以前にミーハー要素のほうが大きいので、知ってる名前の高校同士なんて、
勝手に注目しちゃいます。選手の名前、全然知らないけど。
先日も、大阪桐蔭vs明徳義塾という好カードに見入ってみました。
お出かけの都合で9回の攻防を見れませんでしたが、それまでは熱狂してました(笑)。


さておき、甲子園中継は楽しい。
プロ野球ファン、サッカーファンには申し訳ないが、
ワタシ的にはプロ野球中継よりも、サッカー中継よりも見ごたえがある大会だ。

だって、毎回がドラマだから。

そんなの、プロ試合だってサッカーだって一緒だと仰るでしょう。
まぁ、否定はしませんわ。

でも、高校野球のほうが、もっともっとドラマなんです。
これ、間違いない。

理由は単純。
高校生の方が精神的鍛錬が足りない・・という表現が適切かわかりませんが、
ピンチに弱く、チャンスに盛り上がり、ただただひたすらがむしゃらなので、
言ってみれば、起伏が激しい試合が多いのだ。

全力疾走に、大スライディングに、破顔の笑顔に、大号泣。
大逆転劇なんてザラだし、大ワンサイドゲームなんてのも、ある。
そのひとつひとつが、やたらと愛おしい。
泥だらけ汚れだらけの彼らのユニフォームに、キュンとしてしまう。

・・・と、書きすぎると何だか単なる年下萌えのような感じになってしまうが、
そういう意味じゃなくて、甲子園には色んな面での「ニンゲンらしさ」を
感じられるから、好きなんだ。

我慢や取り繕いを覚えたオトナたち(自分も含め)に紛れて日々を過ごしていると、
こういう、一生懸命で、でも弱くて、でも助け合って・・、みたいな
生々しいパワーに触れると、それだけで感動してしまう。


つまりは、職業病、というかオトナ病なんだなぁ、、ワタシ。



気づけば現役甲子園生の誰をとってもダブルスコア以上の年齢。
青春の感覚よ、いずこ・・・。





ちなみに、がむしゃらなライブ音楽を聴いても、同じ感覚を覚えてしまう。
嗚呼、ないものねだり。。

8月15日。

2013-08-15 23:21:22 | ちょっと論じる
終戦記念の日ですが、私がニュースに触れていないだけか、
近年に比べても戦争に関する報道や特集が随分と少ないような気がする。

・・と、言っても私は正直あんまり戦争時代の話に触れたくない。
戦争の話を風化させたくないという気持ちはあるが、
あまり当時の話を知りすぎると、救われない気持ちになるか、
戦後の大復興を果たした諸先輩がたに、今のニッポンのテイタラクを
申し訳なく思う気持ちになるか、いずれにしてもポジティブな気持ちには
全くなれないから。。

小学校だか中学校だか忘れたけど子供時代、これくらいの時期
(というと、夏休みか・・?)に、
「おじいさんやおばあさんから戦争の話を聞こう」という宿題を
もらった。
そのことを聞いた母は珍しく激怒し、
「そんなのやらなくていい」と言い切り、じぃちゃんばぁちゃんから
話を聞くことを禁止された。

「つらい時代の話をほじくり返すべきではない」というのが、
母の考えだった。
そう聞かされて、激しく賛同して、以来私も戦争の話は史実のみを
知っていればいい、という考えをもつようになった。

そんなスタンスでも、報道やドラマや映画やアニメなどを介し、
当時の悲しい知識が増えてしまった。

だからもう十分、というのも甚だ不謹慎かも知れないけど、
悲しい話だけじゃなく、そこからの復興も同じくらい報じて欲しい。

まぁ、そう思うのは、私がそれなりに歳をとったからかも知れない。
前述したとおり、風化はさせたるべきではないと思っているので、
若い世代にはちゃんと、少なくとも史実はちゃんと、知ってもらいたい。



話は少し飛ぶが、誰が靖国行ったとか、どこが抗議してるとか、
そういう話だけをやたらと聞くが、そんな「現象」のみを報じている
ニュースはいかがなものかと思う。
そういう「現象」や「議論」に結びついている「背景」こそ、
毎年しつこいくらい伝えていくべきだと思う。
悲惨な世界大戦がもたらした悲しい後遺症を、きちんと理解している人は
意外と少ないような気がする。。


8月15日のこの日、私たちは本来何をすべきなのだろう。
終戦したその日は、国民全員が無念と失望の念に満たされていたのだと思うが、
その気持ちをいま共感すべきではない。
価値観の狂った国の先導や敵国の理不尽な攻撃で貴重な命を落とした方々に
想いを馳せ、黙祷するのはもちろん悪いことではないだろうが、
正直最近のTwitter上での「黙祷(なう)」ツイートは、
一種ブーム化しているようで、「黙祷すること」「黙祷を報告すること」が
目的となっているように思えてあまりいい気持ちにはならない。
「戦争はいけない」と思うことも大事だが、世界で現在進行形の戦争の惨事に
目を向けた方が、よりその気持ちは現実的に感じられるのではなかろうか。

・・ひねくれた考えかも知れないが、こう考えてしまうのも、
一種の「風化」なのかなぁ。。
そう思うと、自己嫌悪にもなってしまう。