みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

8月15日。

2013-08-15 23:21:22 | ちょっと論じる
終戦記念の日ですが、私がニュースに触れていないだけか、
近年に比べても戦争に関する報道や特集が随分と少ないような気がする。

・・と、言っても私は正直あんまり戦争時代の話に触れたくない。
戦争の話を風化させたくないという気持ちはあるが、
あまり当時の話を知りすぎると、救われない気持ちになるか、
戦後の大復興を果たした諸先輩がたに、今のニッポンのテイタラクを
申し訳なく思う気持ちになるか、いずれにしてもポジティブな気持ちには
全くなれないから。。

小学校だか中学校だか忘れたけど子供時代、これくらいの時期
(というと、夏休みか・・?)に、
「おじいさんやおばあさんから戦争の話を聞こう」という宿題を
もらった。
そのことを聞いた母は珍しく激怒し、
「そんなのやらなくていい」と言い切り、じぃちゃんばぁちゃんから
話を聞くことを禁止された。

「つらい時代の話をほじくり返すべきではない」というのが、
母の考えだった。
そう聞かされて、激しく賛同して、以来私も戦争の話は史実のみを
知っていればいい、という考えをもつようになった。

そんなスタンスでも、報道やドラマや映画やアニメなどを介し、
当時の悲しい知識が増えてしまった。

だからもう十分、というのも甚だ不謹慎かも知れないけど、
悲しい話だけじゃなく、そこからの復興も同じくらい報じて欲しい。

まぁ、そう思うのは、私がそれなりに歳をとったからかも知れない。
前述したとおり、風化はさせたるべきではないと思っているので、
若い世代にはちゃんと、少なくとも史実はちゃんと、知ってもらいたい。



話は少し飛ぶが、誰が靖国行ったとか、どこが抗議してるとか、
そういう話だけをやたらと聞くが、そんな「現象」のみを報じている
ニュースはいかがなものかと思う。
そういう「現象」や「議論」に結びついている「背景」こそ、
毎年しつこいくらい伝えていくべきだと思う。
悲惨な世界大戦がもたらした悲しい後遺症を、きちんと理解している人は
意外と少ないような気がする。。


8月15日のこの日、私たちは本来何をすべきなのだろう。
終戦したその日は、国民全員が無念と失望の念に満たされていたのだと思うが、
その気持ちをいま共感すべきではない。
価値観の狂った国の先導や敵国の理不尽な攻撃で貴重な命を落とした方々に
想いを馳せ、黙祷するのはもちろん悪いことではないだろうが、
正直最近のTwitter上での「黙祷(なう)」ツイートは、
一種ブーム化しているようで、「黙祷すること」「黙祷を報告すること」が
目的となっているように思えてあまりいい気持ちにはならない。
「戦争はいけない」と思うことも大事だが、世界で現在進行形の戦争の惨事に
目を向けた方が、よりその気持ちは現実的に感じられるのではなかろうか。

・・ひねくれた考えかも知れないが、こう考えてしまうのも、
一種の「風化」なのかなぁ。。
そう思うと、自己嫌悪にもなってしまう。

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