みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

がっこう。

2013-01-31 23:09:36 | ちょっと論じる
ありがたいことに、私は学校生活がいずれの時代も楽しかった。
小学校も、中学校も、高校も、大学も。

細かく思い起こすと、小学校時代は優等生で運痴だったためにからかわれたり、
カナダでは異国人ということで差別されたり、
帰国してからは帰国子女ということでヤンキーに目をつけられたりはしたけど、
総じて楽しかった。

さらにありがたいことに、高校・大学とも、「あの学校に行きたい!」という目標をもて、
泣きそうな受験を奇跡的に乗り越えることができた。


そんな私が、いじめや体罰の問題を知ったような感じで論じるつもりはないけど、
生徒を自殺に追いやる体罰顧問がいた学校の入試が(一部のコースのみとは言え)
中止を命じられ、
先生がたがよってたかっていじめを黙認した結果
いじめ自殺者を出した学校がのうのうと継続されているのはどういうことなんだろう?


・・と、言っても、私は入試中止に賛成しているわけではないんですけど。

体罰が露呈した学校を受験するかどうかは、受験生が選択すべきであって
市長や教育委員会が勝手に選択肢を絞るべきではないと思うんですよね。。
一部受験生が、もしかしたら何年も何年も前から憧れていたものを、
一方的な価値観で奪ってしまうのは、果たしていいんだろうか??
それが、最善解なのだろうか?
入試を中止することで、体罰体質は改善されるのだろうか・・?

入試をやめさせたら学校の体質が浄化されるというならば、
自殺者を出しそうな“予備軍”の学校も、どんどん中止にしたほうがいいんじゃない?
そんな荒れた学校、結構あると思いますが。。

んで、それを大阪はやるけど滋賀はやらん、なんていうアンバラがあっちゃだめでしょ。
やるにしてもやらぬにしても、ニッポンの教育指標は統一であるべきじゃないのかなぁ?
(・・・あ、まぁ大津の話は中学校だから、入試も何もないんだけど。)

入試中止を反対した学生さんたちのことが随分とフォーカスされちゃったけど、
本当にフォーカスすべきは、入試を控えた学生さんの気持ちなんじゃないのかなぁ・・。
彼らへのフォローは、各中学校にお任せなのかしら。。


臭いものにフタをするように、「受験させない」ってことが
子供達を守ることだとはどうしても思えないんだよね。
もっと問題を正面から捉えて、いい学校にするには、どうすればいいんだろう。


オトナの集まりと言われる会社や社会でも、
陰湿ないじめ・セクハラ・パワハラや、そこまでじゃなくてもウマの合う・合わないなんかがあって、
毎年何人もの方が精神的に落ちてしまったり、俗に言う“不幸な事故”で亡くなってるんだから、
ましてやオトナほど精神的に成熟していないコドモたちのコミュニティーには、
もっともっと色んな諍い・傷つき・失望・絶望なんかがあるんだと思う。
それをオトナたちがちゃんと上手く対処・フォロー・激励してあげて、
学校を「楽しい」ところだと思えるようにしてあげないと。
毎日毎日ね。

そういうことをオトナがしてあげてこそ、
コドモたちは何年かして、自分の学生時代を振り返って
「色々あったが総じて楽しかった」
って思えるんだと思う。 多分。


そこまでできるオトナがなかなかいないくらい、
オトナの世界もオトナじゃなくなってきたのかなぁ・・・。



・・・尾木ママと語りたくなってきました。




言わないことがカッコいい。

2012-12-05 22:44:47 | ちょっと論じる
ワタクシ、おやぢ臭さには自負がありますが、
それでも何げに牛丼屋におひとりで行ったことがありません。
学生時代は、バイトの先輩からの誕生日ディナーに吉野家を指定したくらいですもの。

そんな私の学生時代の友人(♀)は、当時吉野家ではなくて松屋派だと
おっしゃっていました。

その理由は、「味噌汁がつくから」。 

某牛丼チェーンY(何故か今更イニシャルトーク)は、味噌汁が別売りになっている一方、
松屋さんは牛丼にデフォルトでお味噌汁が付くそうです。

でも、その話って、知る人ぞ知るって感じで、
決して松屋さんはそのことを前面に押し出してるってワケでもないんですよね。

・・・・・と、信じてその後の10数年を過ごしてきたのですが、
本日、都内某所の松屋さんの前を何気なく通ってみたところ、
ガラス扉のまん真ん中に、「松屋はお味噌汁が無料でつく!」みたいな写真とコピーが
掲示されていました。。


残念です!

あくまでも私の中の勝手な美学ですが、
本人は声高らかに言わないけど、知る人ぞ知り、評価している、といった
渋い魅力の方が、より魅力的に思えることってないっすか??

最近の草食傾向に関連してるかどうかは知りませんが、
年々、そういうカッチョヨサがなくなってきてるような気がします。


昨今人気の、ノンシリコンシャンプーもそうですよ。
いきなり「ノンシリコン」なんていう、馴染みのない単語をむやみに連呼して
「よくわからないけどなんか良さそう・・・」と思わせちゃって
買わせちゃうなんて、ある意味姑息とも取れる。
・・・まぁ、私もレヴール買っちゃったんだけど。。

【ガジェット通信】とかいうサイトによると、
以前よりみんなにおなじみの、「メリット」とか「いち髪」なんかも
実はノンシリコンらしいですよ。
要は、“ノンシリコン”ってものは昔からあったもので、
何ら新技術じゃないってことジャン!!
まぁ、サイエンス系サイトじゃないのでこの記事が本当に正しいのかは
よくわかりませんが、メリットの容器には「ノンシリコーン処方」って書いてあるらしい。
■記事:ノンシリコンシャンプーってどうなの?

花王さんやクラシエさんからすると、「何を今更アッピールしてるの??」と
思うようなことだったかも知れないワケだ。
で、それに私たち(文字通り、「私」たち・・・)は、まんまと乗せられたのだ。


これを知った今は、花王さんやクラシエさんの、
「男は黙って・・」的なスタンスが魅力的でならない。
まぁ、レヴールの詰め替えを買ったばかりなので、
しばらくはシャンプー変えられないけど。。
(てか、今調べたら花王さんはHP上でガッツリ訴求されてました・・・。)


女性陣は本来は「オレってオレって」的な男性は好まないハズなんだよね。
アピールするならさりげなく。
寒がってる女性に無言でマフラーかけてあげる勢いで・・・。


・・・そんなシチュエーションに憧れた時期もあった。。。。。。




「CM上の演出です。」

2012-09-02 18:56:53 | ちょっと論じる
最近の私はココロが広いので、大抵のことにはイライラいたしませんが、
CMにイライラさせられてしまうことが増えてきてます。

「※CM上の演出です」 ってナンジャソリャ??


多少広告かじった私ですので、有利誤認・優良誤認になりかねない演出に対して
テロップ入れるのは100歩譲って理解いたしますが、
最近、何で入れてるのかよくわからないタイミングでこのテロップが現れてキニナル・・。


東京スカイツリーの展望台の屋根にオンナノコが立ってて、
「※CM上の演出です。」

ノゾミちゃんの周りをたくさんのドライヤーが取り囲んでるシーンで、
「※CM上の演出です。」

タケルくんの周りに天使が飛んでて、
「※CM上の演出です。」


・・・・・要るか、ソレ??


ンなもん、誰しも理解してるでしょうよ?


確かに、こういうご時世だから、
「子どもが真似してスカイツリーに登ったらどうするんだ??」
とか言ってくるお父さんお母さんもいらっしゃるのかも知れない。

が、もし、本当にそういう方への対策としてあのテロップを入れていらっしゃるのなら、
私はその会社をハラの底から“ちっせぇ会社”と罵倒してやりたい。


過去に、「驚きの洗浄力!」とか謳って、CGイメージで汚れやバイキンが
全てなくなるような表現に対し、公取委だったか経産省だったかが、
優良誤認の恐れアリとして多少のCG上に多少の汚れの残りを描いておくベシ、
みたいな指導がされたことがありましたが、
あぁいう動きも、消費者過剰保護だと私は思います。
が、そういう動きに過剰反応し、指導されていないことにも不要な手を加える企業も
実にナサケナイと思えてならない。


でもきっと、監督省庁が実際にアクションするとしたら、過剰反応側を是とするルールが
作られちゃうんだろうなぁ・・・。

そのうち、「演出を加える等事実に反するCMは必ずその旨を表記すべし」とか
定められてしまいそうでコワイ。


 ※ この二名は実際の夫婦ではありません。CM上の演出です。

 ※ この女優さんは実際はこの化粧品を使っていません。

 ※ 木村拓哉さんは実際は織田信長ではありません。

 ※ トミー・リー・ジョーンズさんは宇宙人ではありません。

 ※ この犬は実際は日本語を喋っていません。アテレコによる演出です。

 ※ エネゴリくんの中身はヒトです。

 ※ パン田一郎くんの中身もヒトです。声はサバンナ高橋さんによるアテレコです。


などなど・・・。



昔、志村けんさんが自叙伝みたいなの出したときに話題になってた話で、
ドリフでのお下劣コントについて、一部親御さんから「子供の教育によくない」と
クレームがあったけど志村さんの考えとしては、「子供はちゃんとコントと
リアルが違うということを分かっている」ということを確信されていた、という話が
あったように記憶しています。
私もこのスタンスには激しく同意ですし、そうであると信じたい。


非現実的なものにいちいちエクスキューズを入れることをポリシーとして、
人間のイマジネーションを阻害するような会社の広報には、
クリエイティブな人材はいないんだろうな、と思う。

過剰反応なCM作ってる会社を、文科省あたりが取り締まればいいのにな。
「子供の創造力育成を阻害している」と。




自画自賛ですが、人徳あると思います。

2012-07-29 18:31:12 | ちょっと論じる
先に断っておこう!
今日のブログは自画自賛・手前ミソ過ぎて
若干かなりウザい内容になると思うよ!(笑)
ご了承ください。


最近しみじみ思うこと。

私、友達が少ない類だと思っていた。
ていうか、実際そうなんですが(笑)。。
その数少ない友人(飲み友達含む)が、格別に素晴らしい方々なんだな。

ここ数週間の活動をとっても、
美味しいお店を紹介してくださり、いつも多めに払ってくださる
(はずなのに、先日はバッツリ割り勘だった(笑))、4バカの長。
素敵音楽のライブに誘ってくれる素敵女子。
昨年の結婚式以来会っていなかったにも関わらず、
「お祭りオンナだから思い出した」と言って絶景スポットでの隅田川花火に
誘ってくれた中学時代唯一の友達。

・・・なんか、自分に何かをしてくれる人を「素晴らしい」と
評しているように思われてしまうかも知れないんですが、そうです(笑)。
そういうことを、見返りを求めずにやってくれる方々は、
やっぱり素晴らしいんだと思うし、
そういう方々に何かをやっていただける私は
やっぱり素晴らしいんだと思います。


前述の中学時代の友人にも話したことですが、
この度私は支店の課長さんになっております。
が、そこに行き着くまでには、紆余曲折ありまして、
所謂筆記的な試験をそこそこいい成績でクリアし、
「これなら人事部面談でよほどのヘタをこかない限りは大丈夫!」と
太鼓判を押され、人事部面談も無難にこなした。
・・つもりが、昇格不合格になったそうです。

それを、数々の先輩がたが必死にご尽力をくださって、
引きずり上げてくださったそうです。
聞いた話では、係長になったときも、同じようなことがあったそうです。

どこまで人事部面談に弱いのか、という感じですが、
その都度、引きずりあげてくださっている先輩がいてくださったということも、
友人に言わせると私の「人徳」とのこと。

自分でいうとヤラシイなと思いつつ薄々思っていたことを(笑)、
こうもサラリと言ってもらえると本当に嬉しいものです。

ちなみにこの友人は、「ワタシも人徳で生きてるのよ♪」と
ニヤリとしてました(笑)。
そう。彼女に限らず、私に何かを施してくれる、“素晴らしい方々”は、
漏れなくそれぞれ人徳を兼ね揃えている方々なんです。

小さな例を挙げると、この友人が誘ってくれた隅田川花火、
実は友人自身、仕事でメールと電話のみのやりとりをしていた支店の女性から
特別枠で誘ってもらった企画だったんです。
友人が人徳で誘われた花火大会を一緒に堪能できた人徳のあるワタシ(笑)。
素敵な構図じゃないですか。

前述のとおり、私はそんなに友人が多いほうではないし、
私をあんまり快く思っていない人も少なくはないと思う。

でも、いいんだ。
誤解を恐れずに言いきっちゃうと、
そういう方々は私から見ても人徳を感じられない方々だから。


逆に言うと、私の精神状況によって自分の人徳が薄くなることを
感じることもあった。
その“回復”も最近感じるんだけど、それはまた次回のネタに・・・。


・・自画自賛が長くなりました。
まだまだ書き足りないのですが(笑)、
とりあえずウザいブログのお口直しとして、
昨晩撮影した見事な花火(withスカイツリー)のお写真と動画を
掲載いたします。


ど~~ん その①


ど~~ん その②
お気に入りみたいで、他のサイトにも同じ写真掲載してました(笑)。


夜空にそびえ立つスカイツリー。かっけぇ。



↓動画よ。
隅田川花火2012.7.28




京都。

2012-04-13 01:01:20 | ちょっと論じる
本当なら今頃は・・


祖母の家で寝泊まりしながら、
トボけた母たち三姉妹の「四人目の末妹」として、
出来合いのお惣菜食べても「ヤッパリ関東より美味しいワァ~・・」と絶賛し、
桜の綺麗な頃に亡くなった祖父の想い出話に花を咲かせ、
今年も鴨川沿いの桜がとても綺麗だったなんていいながら、
面白おかしい昼夜を過ごし、
明日また続く雅な時間を楽しみにしていたはずなのに・・、


・・・ナゼにナニユエ東横線終電なう。



まぁ、愚痴っても仕方がないが、これがサラリーマンのつらいところだ。
でもなー・・、私、全然休めてませんがナニユエ??


こんな恨み節並べたいくらい、この時期の京都は本当に素敵。
あたりまえのような春らしさと桜たちの朗らかな美しさに
心奪われ、癒される。



だからこそ、今日の南座前の事故は本当に残念で、いたましい。
亡くなった8名の方々のご冥福をを祈るばかりだ。


京都はとってもいいとこなのに。

みんなの笑顔が似合うところなのに。



写真は昨年の今頃、祖母のいる老人ホームの窓からの桜。
ここからの眺めも、
南座隣の「松葉」でにしんそばすすりながら四条通りと川端通り(かな?)を
ボンヤリと眺めることも、

私のひそかなお気に入りだったのだ。

「思いをもつ」ということ。

2012-03-29 01:06:43 | ちょっと論じる
先月のことですが、大宮エリーさんの、『思いを伝えるということ展』(@渋谷PARCO)を
観に行って来ました。

最近のご活躍に加え、彼女がまだ社員さんでいらした頃にお仕事でご一緒したことがある
懐かしさも手伝い、興味を持って観に行ってみたンですが、
多くの方々の好評に反し、私は少し物足りなかったです。

あ、べつにコレ、同世代(確か同い年)で有能で注目されてる方をつかまえての
アンチテーゼのつもりではございません。(^_^;)
「アイツの何がいいわけ??」とか分かったようなかぶれた言い方して目立とうと
思ってるわけでもありません(笑)。

大変独創的で興味深かったんだけど、


なんか、


優しすぎる・・っちゅ~か、

アタタカスギル・・っちゅ~か・・。


意外なほどネガティブな要素やいい意味での攻撃的・挑戦的な要素がないなぁ~、
と思っただけ。


多分、自分が「世の中そんなに甘くはネェ」っつ~のに毒され過ぎてるんでしょうな(苦笑)、
「だからヤになっちゃうよなーー・・」という、新橋のオヤジ的なトホホ感だったり、
「でもさ~、諦めずにやるッキャないじゃん!!」という、松岡修造さん的な熱苦しさみたいなものを、
心のどこかで期待してたんだよね。

なんか、ワタシの勝手な大宮嬢像(←発音しにくい)が、そんなイメージだったんだよね~・・。


あ、もちろんそういうワケでアンチテーゼでも何でもないので、本はシッカリ購入させていただき、
昨日拙宅に無事届きました(笑)。



エリーさんの描いていた「思い」よりは、遥かにミクロな話ですが、
「思いをもつ」ということが、昨今希薄になってきているような気がします。

殊、サラリーマンの世界において。

少なくとも、弊社において・・(アレ?愚痴モード??)。



「売り上げを上げる、収益をあげる」というのがたいていの会社における大命題かと思いますが、
それさえ唱えてたら立派なカイシャインだと思われている方が多いように思います。

そんなこたぁ分かってることなんだから、声を上げるべきは、
「その実現のためにどうしたい、どうありたいか」
ということだと私は思うのですが、どうも皆さん、
「売る」「収益を上げる」というところでグルグルされてて、
「売れるものを作る」「費用を下げる」くらいのコンセプトに至ればまだマシ、
みたいな感じになってて、一生懸命具体的な「打ち手」を考えている方々に対しても、
「その結果売れるのか?」「どれくらい売れるのか?」というような質問だけが
投げかけられている状態。

経営的視点としては基本的な考え方なのかもしれないけど、
そんな当たり前のこと連呼されても周りのモチベが下がるだけで、生産的ではないと思えてならない。


日進月歩で競争が激化していて、ある一定の商品・サービスについては
大きな差が見いだせない昨今の飽和社会において、推進力の源っていうのは、
鼓舞することであって、評論や評価することではないと思う。

で、鼓舞するためには、「思い」がないと、誰からも信頼されないし、
誰も付いてこない。・・・と思う。


昔ね、弊社の広告のオリエンに同席したんですが、
広告担当者がパワポの資料を音読して終わっちゃって、たまげた。
自分が現役で広告やってた頃から比べて、あまりにも無味乾燥なオリエン。
領海侵犯を承知で口を挟み、当時の上司とともにこちら側の熱い想いを
切々と語ってしまいましたが、あとで、なじみの代理店営業マンAさんからは
お礼を言われ、Bさんからは「あの語りのおかげでやる気が出ました!」と言われました。
広告担当はあからさまにムッとしてたけどネ・・・(笑)。


そういう経験があるからこそ、いまだに私は確信している。

「思いをもつ」ということが、何よりも大切だと。

夢のような思いでもいい。
絵に書いたモチでもいい。
課題感でもいいし、心配ごとでもいい。
「誰かの言いなり」や、「流行りの猿真似」じゃなければ、
何だっていいんだと思う。(少なくとも、スタート地点では。)




今日、珍しく広告代理店さんと話をする機会があった。
元気のない(ように見えた)その広告代理店さんに、
現役広告担当ではないのをいいことに、
かなり無責任な話も含めて久しぶりにアツく語ってしまった。

私見と断って「王道や正道が見いだせなかったらサァ、
とりあえずどっかに向かって進んでみるしかないジャンねぇ」と言ったら、
「御社の方のそういう思いを久しぶりに聞きました・・」だって。
要は、何提案しても、「それでどれだけ売れるんですか?」とか、
「それがベスト解と言い切れますか?」みたいなことを聞かれちゃうらしい。
・・・可哀想に。



話は変わりますが、友人から聞いた話。
最近のワカモノ(高校前後)って、自分で好きなものを見つけられないとか。
多少の興味や関心くらいはあっても、それを「リアル」に体感しようというモチベが
沸かないから、関心が「好き」(または「嫌い」)に変わる機会がないとか。
いいのか?、そんな無味乾燥な日々で・・・・・・。


思いがあれば必ず正解でその先に必ず成功がある、なんて保証は
もちろんないけどさ、思いがないと、あらゆることから「色」がなくなって
しまうような気がして、私は怖くて仕方がない。



ウチの部署に来た、古い後輩が言ってたなぁ・・・
「今の本社には“色”が見えないですよね!?」と。

文句でも、怒号でもいいんです、極論をいうと。
「自分はこう思う」ということをぶつけ合うことが健全。
それが、色。
それが、人生の起伏であり充実感。


・・・・だと思うんだけど、最近のカイシャインやワカモノは
どういう風にお考えなのだろう。。。






誇りを。

2011-04-09 20:28:48 | ちょっと論じる
フジテレビ夢SP タモリ×SMAP僕らは未来を信じよう!
~宇宙への挑戦と奇跡の物語~

公式HP (←悲しいかなショボイ)
Wikipedia


恐竜ほどではないけど、宇宙にも多少の興味があるワタシ。
この番組を予約録画していた。

先に興味がある理由を書いておくと、四半世紀ほど昔の、多分12月ごろ、
家族とフロリダに旅行に行き、NASA宇宙センターに行ったことがあり、
そのときに、「もうすぐ宇宙に行く」というスペースシャトルを見たから。

それが、チャレンジャー号だった。

残念ながら、私にとってスペースシャトルは希望の直後に絶望をもたらしたものとして、
強く強く印象づけられていたわけです。
恐竜に抱く「ロマン」のようなストレートな感動とは異なる、
フクザツな感情ですな。。。


前置きが長くなったのですが、前述の宇宙の番組、すっごく素晴らしかった。
「宇宙ってスゴイよ!」みたいなミーハーなものではなく、
そこにはヒトの思いの強さの結晶の象徴としての、シャトルやロケットの話があった。


半分は意図的に構成されているんだと思ってしまうが、
アポロ月計画、アポロ13号、コロンビア号、はやぶさそれぞれの
困難や挫折と対になるように、それを乗り越えてきた“仲間”の想いや強さが
描かれていた。

私は知らなかったが、アポロ月計画は地球帰還前に絶望的なトラブルに見舞われていた。

アポロ13号は映画『アポロ13』を観て知っていたが、
機体ショートによる爆発、酸素の流出、寒さ、窒息の危機などの絶望的なトラブルから
よくぞ地球へ戻って来られたものだと奇跡を驚くし、帰還したパラシュートが
降りてくるのをアメリカ国民全員が大喜びをしている姿に、感動を覚えた。

コロンビア号の話はニュースで知った。
スペースシャトル計画の是非の議論にまで発展した、一大事件だった。
が、その事故で亡くなった方の中に野口聡一さんがいらっしゃり、
同僚の遺志を継いだ野口さんの友情・宇宙への熱い想いというものは、
今回初めて知り、何とも言えない感慨を覚えた。

身内?の話になるが、我が母校・浦和第一女子高校の後輩たちも、
実はこのコロンビア号と深い関わりがあった、ということも今回初めて知った。

コロンビア船内で行ってもらう実験を応募するために化学部が部員を増員。
兼部のコたちも含めてみんなで頑張った結果、テーマは見事採用されたが
コロンビア号の事故のためにその実験資料は無くなってしまった。
すると彼女たちは、不慮の事故による実験の中断を諦めるのではなく、
クルーたちの遺志を継いだかのように自分たちで同じ実験を始めて最終レポートを
作り上げ、見事最優秀賞に輝いた。
・・・・という話。

詳細はJSコーポレーションさんのHPを参照いただきたい。

私はこの話を知って、完全に手前味噌ながら、「一女の精神は受け継がれている」と
大変感動してしまった。
大学→リーマン生活で忘れかけてしまっていたが、この高校は本当に
前向きで、頑張り屋で、明るいコたちの集団なのだ。
それが、私の卒業から10年くらい経った2003年でも変わっていなかったのが
本当に嬉しい。
きっと、そこからさらに10年近く経った今でも、あの高校は変わらずにいることだろう。


はやぶさの話では、松本零士さん監修によるアニメ化が話題になっていたが、
私はアニメ云々よりも、そのドキュメントに感銘を受けた。

このプロジェクトがもっと世間の注目を浴びていたら、
きっと非難ゴウゴウであっただろうと思ってしまうくらいのトラブル続き(笑)。
そんなトラブルに続くトラブルをかいくぐった川口氏のリーダーシップが、
リーダーシップのなさがこと問題視されている今の世の中への当てつけのように
フォーカスされていた。
川口氏のリーダーシップと、メンバーの熱意を知り、
はやぶさが最後に撮った地球の写真を見たあとで、
オーストラリアの空に光ったはやぶさの最期の姿を見たとき、
帰還時に何度も何度も見たその映像とは違う感情がこみあげてきた。


私が言うまでもないことだが、この番組は、宇宙の魅力よりも、
逆境における人の強さを、3時間以上かけて訴えていたんだと思う。
それがすっごく伝わってきて、私の中にも何か希望というのか、前向きな気持ちが
沸いてきたように思った。


ヒトは強い。
そのことに、みんなもっともっと誇りに思っていいんだと思う。


≪追伸≫

番組を見終わり、フト部屋の隅に飾った花を見た。
昨日買ったにも関わらず、私がズボラして今朝まで生けなかった可哀想な花たちだ。

ひどい扱いをした私が言うのもおこがましいが、見事な復活を遂げていた。

【BEFORE】

【AFTER】※買い足したピンクのお花にご注目


最近の私の元気の源は、「笑い」「ヒトのパワー」「花」なんだな。




評論家にはなりたくないのだが、また論じてしまった。。

2011-04-08 22:04:22 | ちょっと論じる
明後日お花見に行ってくるんだ。
今日の風、明日の雨で散らないといいけど。。

昨年は花火大会も船上から見せていただいた。
・・が、今年は相次ぐ花火大会の中止で、それも無理そうだな。

ニュースの記事などを読むと、被災者に配慮した自粛という意味ももちろんあるが、
節電に伴い観客の安全が確保できないから、という理由も大きいみたいですね。

個人的には、「ならば納得」って感じ。


人の感情は色々あるので難しいことですが、
昨日の小林サッチャンの被災地訪問なんて、みんな喜んでいたように見えた。
ド派手なサッチャンがキラッキラに描かれたトラックで来て、ご本人は恐縮しきって
いたけれど、市長さんはニッコニコで「この衣装できてくれればよかったのに」って
言ってくれていた。

そういう人たちにとっては、「自粛」っていう名目で笑ったり楽しんだりする機会が
遠のいてしまうことは、逆に残念なことなのではないだろうか。
と、思ってしまったりする。


「自粛」という名目でCM放映を慎んでいる企業さんも、まだそこそこいらっしゃる。
弊社も・・・。

そんな中、とっても素敵なCMが始まった。

サントリーの特別CM

同社と関わりのあるタレントさんが、
(私が広告代理店さんから聞いた話では)ノーギャラで、
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」を歌い上げてくださった。

しかも、(私が広告代理店さんから聞いた話では、)サントリーさん自身、
企業クレジットを入れるつもりは本当はなかったらしい。
でも、企業が放映するCMの規定だか何だかの都合上、そういうワケには
いかなかったらしい。(ごめんなさい、裏付けを示せない、全て伝聞です。。)

もともとサントリーファンだった私。
このCMを見ただけで感動しましたが、
ホームページに添えられた想いや、広告代理店さんからの裏話を聞いて、
さらに感動ですよ。

CM放映を控えたり、文字と声だけの紙芝居みたいな暗い案内映像を作って
自粛の風潮に従うのは決して間違いとは言われないと思う。

でも、他の人に倣うことなく、色んなことを自分なりに考え、
自分なりにその想いを具現化することは、もっともっと素敵なんだと思う。

ACの文句言ったりギャーギャーいうヒマがあったら
こういう素敵なCMを見つけてほしいのよねぇ。。


原発についてもサ、不安になったり危険だと思う気持ちは分かります。
でも、この前まで無関心で無知だった人が、あまりにも簡単に
アンチ原発に転じる姿は、ちょっと理解できない。
それが本当に自分の考えなのか、ちょっと知的そうで大胆なヒトの考えに
ノセられてるだけなのか、自分のアタマで考えて欲しいなぁ・・・。
反対するなら代案出せよ、って感じ。

そんな中、「原発反対ではなくて、どうすれば原発が必要ない生活ができるか」
ということを考えるという趣旨での「原発をなくす会」ってのが
あるという話を目にした。
前向きで、素敵な発想だと思った。


自粛ばっかしてても、批難批判ばっかしてても、復興への道のりが長くなるだけだ。
気持ちを前向きにして、経済回そうぜ!


・・・・って考えを、最近は結構色んな人が持つようになってくれているのも、
嬉しいことなんだけどね。


PRAY For Tohoku, PLAY For Tohoku

2011-03-21 22:09:58 | ちょっと論じる
テレビでは徐々に・・・というよりはもっと急激に、
震災報道が薄くなってきたような気がする。
そして、Twitterでは(私がフォローしていないだけかも知れませんが)、
「【拡散希望】○○の安否を探してます」というリツイートを
ほとんど目にしなくなり、果たしてこれらの現状は、いいことなのか悪いことなのか、
またしてもよく分からなくなってきた昨今です。

バラバラになった避難者の皆さんや、行方が分からなくなった方々の情報、
ちゃんと届くべきところに届いてるんでしょうか・・・?

原発の話もシーベルトの話もヨウ素の話もそれなりに関心はありますが、
そのせいで大切な情報を流す時間が奪われているのだとしたら、
ヨウ素の話はもっともっと薄くしていいんですけど。。。
風評を信じる人には、いくら厚く報道しても通じないと思うよ。


被災地への関心は絶対なくしちゃいけないし、
ひとりでも多くの方の無事をみんなで願いたい。
海外からは、「PRAY For JAPAN」と主に言われているが、
ニッポンにいる私からすると、「PRAY For TOHOKU」のコトバが
もっともっと広まって欲しい。


その一方で、過度の自粛ムードは早いところ取っ払いたい。
再生復興のエネルギーの素となる元気を養いたい。


相変わらず賛否あるようだが、音楽・演劇の興行・イベントは
どんどんやるべきだと私は思う。
あまりにも大規模になると節電の観点から望ましくないのかも知れないけど、
ある程度の娯楽はどんどんやればいいさ。


それがニッポンを元気にするんだもの。



私は、この前の木曜日には川上次郎さんの主催のチャリティーイベント、
翌日のCLUB251でのwash?さんのライブに続き、
今日は日比谷シアタークリエでミュージカル『ウェディング・シンガー』を
観てきました。

いずれの公演も、開催・継続にあたっては賛否両方の意見があったようです。
ファンと思しき方でさえも、「不謹慎だ」「公演中に地震が来てけが人が出たらどうするんだ?」
などなど、、厳しいコメントを、関係者のブログなどで目にしました。

でもね、実際に現場に行った者からすると、やっぱりやっていただいてよかったな、って
思うわけですよ。結果オーライと言われるかも知れませんが実際事故はなかったわけだし。

人の絆を感じさせるライブ、トコトン元気なライブ、愉快で快活で楽しいミュージカル。
いずれの公演も、ここ最近緊張しっぱなしだった私のココロを軽く、温かくしてくれました。


何よりも、私が観たこの3公演はいずれも、気持ちを東北に寄せられている。
本当は直接何かを施したいけど、自分たちにできることは歌い、踊ること・・・。
多分だけど、そんな気持ちで皆さん演奏・演技をされているのです。

だから、私たちも余計に元気がもらえる。
元気をもらって、「私たちも、何かしなきゃ!」って前向きに考えられるようになる。



“PLAY” For Tohoku.


そんな動きもすごく意味のあることだと、
私は思えてならない。



PRAY For Tohoku
PLAY For Tohoku


それぞれ、とっても大切なことなのだ。
きっときっと。。。

頑張ってるさ。頑張っていこう。

2011-03-14 20:35:51 | ちょっと論じる
スーパーに行くと70年代か?、って思うくらいトイレットペーパーがない。
ミネラルウォーターやお茶類もないし、何ならワインもだいぶ品薄。
(言っとくけど、アタシャ買ってないぞ。)
カップ麺も少し前からなくなってるけど、パンもスナック菓子すらもない。

今日ビックリしたのは、オムツや粉ミルクなんかもなくなってる。
赤ちゃんにいるご家庭はさぞかしお困りなんじゃないか。。

「不要不急の買い物は控えて」と言われながらもみんな買い込んでるんだろう。
残念なことだ。
・・・と言いつつ自分もやはり会社のコンビニで水ペットを見つけて買い込む。
我田引水な心を持つ自分を実感し、自己嫌悪に陥る。


方や、被災地はそんなぬるいモンじゃない。
本当に、何にもないんだ。
水や食料、命にかかわる医療器具もない。
涙ながらに救援を訴える町長さんのインタビューに、もらい泣きをするとともに、
何の手も差し伸べられない自分を恥じる。

家を失った方、伝統を途絶えさせざるを得なかった方、仲間を失った方。。
たくさんの喪失が、人々の心に傷を残す。


やりきれないね。


方や、原発や電気会社や電車会社の非難批判をする声が挙がる。
言ったって仕方がない。彼らだって手を抜いているワケではないだろう。
9.0なんていう、未曾有の大地震のあとで、何とか日常生活に支障を
きたさないよう、一生懸命やってるはずだ。
ウチの会社があの会社のどれかだったら、もっとヒデェことになってる自信がある。
まじでまじで。


募金の活動が広まっているのは嬉しい。
コンビニなんかはもちろんのこと、ネット募金も広まってるし、
野球のオープン戦のニュースをさっき見たけど、
たくさんの募金が寄せられていた。
阪神大震災を経験した方も、募金されていた。
別のオープン戦では、バックネットの電光掲示板は表示されていなかった。
節電も心がけてくださっている。

こういう動き、嬉しいね。


私が大好きな音楽の世界でも、動きが出てきています。
節電のために営業を中止するライブハウスなんかもいらっしゃいましたが、
逆に営業をして、募金を募る動きも活発になってきました。
演奏は、極力電気を喰わないよう、アンプラグドなアコースティックライブがメイン。

「自分にできることなんて何もない」と決めつけず、
できそうなことを考え、見つけて、やってみることが大事だと思う。
目立たなくてもいい。微力でもいい。
みんなと同じでも、違っててもいい。

今すぐできなかったら、ちょっとあとでもきっと、いい。


できることを、できる人が、できる限りやれば、
それでいいんじゃないだろうか。


みんなが今頑張ってると、私は信じたい。