ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

病気の猫を持つと

2014-10-18 21:12:13 | 日常
季節は巡り黄金の秋がやってきた、一年で一番好きな季節だ。
しかし、生き物を飼うと、まして病気の猫がひっきりなしでは小旅行にも行かない。
どうしても時間も費用もそちらに回す。

みじめの件で、結局どうすればよかったのか考えつくした頃、結論も出ず、もうどうしようもない気分になってしまった。
自壊する前日の9月15日、早起きをし皆のお世話をし、思い切って長野の小布施に行った。

いざ、上信越道!

車のガラス越しの千曲川

車のガラス越しの妙義山
気分転換と、すでに苗木を注文したクッキングアップルの「ブライムリー」の成れている実物を見たいのと、大好きな紅玉が欲しかったからだ。
超特急の日帰りだったが、道沿いにたわわに、種類が豊富なリンゴが成れている姿だけでも心の洗濯になった。
また大学卒業時に行った史跡に、婆さんになってから再び寄り、


「植木も保存されている建物も何も変わっちゃいない、変わりゆくのは人間だな」と実感し、あの時の若さや元気はないけど、残りの分をがんばろうと思った。写真は知る人ぞ知る長野の五稜郭です。


(ちなみに横川の峠の釜めし弁当もかわっちゃいなかったが、包み紙が「祝世界文化遺産登録富岡製糸場」で、上信越道は群馬の富岡製糸場が世界遺産とあってその観光客で一杯だった。)

行ってよかったと思う、ずっと自分の頭の中では、まだ綺麗な林檎園と高原の青空の映像が続いているからだ。







たとえば2年前の10月20日はアカメちゃんの壮絶な気道切開と死、その少し前に2回もオペしたカラス対決ちゃんの死、あの頃もこれがすんだら出掛けたいと思っていたけど実行せず悶々、今年は、三日月、不死男が壮絶な死、現在みじめが手遅れで凹む時もある、その助けに今なっているからだ。
亡くなったらどこか綺麗な景色を見に行く、そしてふとなど残された猫に取り掛かると決めた。

みじめは、あとでまとめようと思うけど、
昨日壊死した部分をその場でレーザーで焼いていただいたので、浸出液や膿が無くなり、何日かした腹巻も取れ、これは腹巻あり、

日向ぼっこで普通に一日中過ごすことが出来た。只焼くとかでなく先生はQOLを良く考えてくださる。
腹巻なし、全員で太陽の方向いている。


土曜は胸水もなかった。呼吸苦もない。
今までこたつの中にもぐっていたが、この土日ベットの上の太陽の光を追って移動し一日中ウトウトしている。
なんとなく寝ているようで、きちんと太陽に合わせてじりじり移動しているのが面白い。
食べ物も輸液も受け付けなくなってきており、もう覚悟はしているとはいえ、
自分が寝て起きた時に、実は寝ている間に亡くなってしまったかと思い、それを確かめる瞬間が怖いようだ。
猫がしっかり首をあげて待っていると、もはや感動する。
みじめに我が家で幸せに安らかに逝ってもらいたいための医療を明後日からもがんばる。飼い主が。
コメント
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