ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

三日月♂の事 3

2014-10-01 21:52:01 | 猫病気
5月31日から鼻カテーテルになった三日月には、クリニカルケアとリーナルケアの缶詰を取りそろえ、
結局、脱水がとにかく酷いのでリーナルケアの方を選択した。
両方カロリーはほぼ一緒、成分はリーナルのほうが蛋白のカロリーを脂肪に置き換えている感じである。
鼻カテーテルに決めるまではa/d缶とk/d缶のシリンジによる強制給餌、ドライフードでは腎臓サポートのスペシャルなどをあげていたが、私は強制給餌は苦手なので、鼻カテーテルに切り替わると確実に一瞬で入るのでホッとしたし、
だからといって、フォアグラのがちょうでもあるまいし、そう簡単に詰め込みすぎてもと、
こまめにメモを残し、排便、排尿、輸液量、一日のあげた回数=カロリーなどをメモ用紙に書いた。
そのメモをたどると5月31日、6月1日はお腹も満ちたようだし、ほかの猫と一緒にくつろいだ様子も見せて一瞬希望が持てたのだが、
6月2日から入れたものはすべて何度でも吐き出し、様態は刻々と悪くなっていった。
輸液と缶詰数mlは試しに入れていたが、食餌に関してはもう消化する力もなくなってきており、入れたものは停滞している、排便も命がけのありさま、今までの猫が最後の最期に教えてくれていたし、苦しめることが素人でもわかった。

呼吸も苦しそうで、貧血では酸素に結びついて運ぶヘモグロビンがもはや少ないわけであるけど、
その苦しそうな様子をみかねて、効果が無くても酸素濃縮器を2台フル回転の、今まで通りの飼い主の悪あがきもした。

6月3日の夜10時10分に「鼻腔の邪魔だ、呼吸を助けよう。」と、
「もう日常には戻れないんだ、今日がその最期なんだ。」と、食餌の命綱ではあるが鼻カテーテルも抜いた。
6月4日深夜12時から酸欠に何度も陥り痙攣を起こし、気絶したようになって
「もう終わりか、これ以上苦しみを見ていられない。」と思うと、12時45分、1時10分に猫はまたよみがえって必死に私にしがみついた。
ゲージ利用の酸素室に戻しても側に居たがり、1時20分にはゲージからよろよろ這い出したので、もう酸素のホースごと抱きしめて布団の上に置いた。
その後も酸欠による苦しみの発作は続き、胸をかきむしられるような、胃が痛くなるような、「しかし猫はもっと苦しいのだ、神様苦しめないで。」という有様であったが、
2時20分に一度小康状態で意識がはっきりし、グルグル喉を鳴らし「まだ死にたくない、まだ一緒に暮らしたい。」とばかりに体全体で甘えてきた。

一瞬「鼻カテーテルを引き抜くのは早まったか、もう少ししたら食べれるのじゃないか?」と思った位の最期の一瞬の輝きだった。
そして2時50分から最後の酸欠の苦しみが始まり、私の布団の上でホースごと抱きしめていたのだが、あまりの苦しみに布団カバーをL字の形に引き裂いてバタバタ苦しんだ。
歴代の猫ではその時ダントツに苦しんだと思うので、もう猫は飼うまいと思うくらいに辛かった。(その後も、その思いを塗り替えることになる死がくるのだが。)

結局、3時15分に大きく痙攣して、すべての表の反応は消え、ガクッと弛緩したのだが、
聴診器を当てるとほんのかすかに心臓の鼓動が途切れながらも聞こえ、3時20分が、この世から三日月という名前の平凡な一匹の雑種が、本当にどこにも居なくなってしまった時だった。
「沢山いるので溺愛できなくてすまなかったが、彼のほうは我が家を溺愛してくれた、まだまだ離れたくなかったんだろう、無念だっただろう。」と思う甘えん坊の猫だった…。

本当にありがとう、そしてごめんね。
コメント
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