ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

三日月♂の事 4  -野辺の送りー

2014-10-02 21:23:48 | 星になった猫達
猫が亡くなり、まだ温かい体ながらもぐっとこらえて、いやあえて、てきぱきとした平静を装う態度で、
亡くなった猫に普通に話しかけながらも、事務的に生きていた時にお世話したように綺麗にし、最後の形を整え、
そのごたついた戦場のような周辺を一つ一つ整理しながら毎度思う事は、
「この闘病についてかかった費用は、あえて恵まれない野良猫の活動に寄付したほうがよかったのでは?」という自問自答である。
しかし、私は、猫は完全室内飼育して最後まで責任を持って飼って欲しいと願うものであり、どこかに行くことのない猫は、淡々と日常生活で最後の最後まで見せていく。
だから私はやはり、何の病気かわからないけど死んだとか、医者でもないのに伝染病に違いないとかの憶測をなるべく減らすべく、
変だと気が付いた時点で、信頼している先生に診せるやり方しか思いつかない。
そして沢山の不幸な飼い主のいない猫をどうにかしたいという志の人々の様々なやり方を見てきて、
私は数は稼げないけど、一つだけ誓ったことが、里親探しをする側からみて「みゃー大工のところにあずける分にはなんとか安心だ@最低限」と思われるような飼い主になろうとは思っている。
ただし、自分も病気をしたり、年齢を重ねてきており、いい里親さんを探す側になってきている事も事実である。


さて、重い体に鞭を打って6月5日夜7時10分頃から火葬をしたのだが、お骨になるのも歴代の子よりも非常に時間がかかり、この世から去るのは大変であった。
溶けたようで写らなかった顔の鼻の穴付近も立派に再生したのかしっかりあって、本当に偉かったね…。

最後に三日月の思い出を書こうと思う。
三日月は誰かにご飯をもらっていた体格の良い成猫で、私の猫ではないけど存在を知った以上、未去勢は非常に気がもめたので2003年9月26日にA病院にて去勢をし、即、庭に放した。
「うゎーあああん」と大声で悲しげに、「この人を信じていたのにひどい目にあった」とばかりに泣き喚いて庭から走り去った姿と、「これで飼い主も安心するだろう」と思ったのもつかの間、ほとぼりが冷めるといつものようにのんきな顔でひょっこりと庭に現れ、日中日向ぼっこしていたり、戸口にトカゲをプレゼントしてくれては、またどこかに消えていった。
(私はトカゲの傷に抗生剤を塗って生垣に放したのだが同じトカゲを殺すまで持ってきた。涙。)
私はその後、再度捕まえて10月21日にワクチンをしたが、その時の古いワクチン証明書に推定2歳9か月と文字が打たれている。
その後も我が家の庭に来たり来なかったりであったが、しかしある日子猫2匹とグレーのアメショーのような柄の非常に小さな野良の母猫を連れてきた。
もちろん路頭に追い出したりしない、出来ないが、次の課題で気がもめた。
その母猫は非常に怖がりでどうにも捕獲できなくて、ある朝、庭で虫の息で横たわっており、病院の開院時間前にすぐに亡くなった。
前日に庭の雑草を抜いていると、猛スピードで庭からダッシュで逃げており、素人目にはとうてい弱っていたようには見えなかったのだが…。
飼い主の手がかりにと写真も撮り、白樺の根元に埋めてあげたのだが、その日から三日月は張り切って子猫をバラの根元で育てはじめた。
横に寝そべりお腹を子猫の方に見せ、子猫2匹は夢中で三日月の後ろ足に近い2つの乳首をふみふみして、三日月のお乳は赤土で真っ赤になった。
猫の妊娠期間、去勢の時期を思うと、三日月の子ではないけど本当にかわいがっていた。
幸い離乳していたので、庭に餌を置いてあげて、絶対に去勢避妊手術しようと思った。
でもそれは先の話してあり、どうにも真っ黒な子猫のほうが猫風邪のような感じで様態がよろしくない。捕獲しようにも食もなく臆病な親そっくりでものすごいスピードで逃げ、私の敷地内から隣の会社の段差2mはある崖を降りて隠れてしまった。
ただ苦しそうなくしゃみのような音は聞こえ、三日月はその子猫を追ってもう一匹を連れて崖の下に行ってしまった。
明け方の3時、ものすごい子猫の悲鳴が一回「あーーっ」というような声が聞こえ、(探しても亡骸は見つからなかったのだが、)その時を境にまた三日月は最後の子猫を連れて庭に登場した。
トカゲや小動物を狩るのがいやで私は庭に猫のおもちゃを出しており、それを三日月は子猫のほうに差し出したりして遊びにに誘うのだが、その乳牛柄の子猫も具合がよろしくない。
庭で胃液をがーがー吐いているところを何とか捕まえたが、病院ではたいして検査もしないでパルボが流行だからそうだろうと即安楽死決定であり、ここから出て行って即着替えなさいとのことで、
絶対に救ってあげると約束してネットに入れた子猫は、振り回されてドアに消えていった…。
自分が悪いのだ。私はこの病院が本当は苦手、でも近所だからと妥協してして通っていたのだ。
私は着替え、出直して、お支払とやはり子猫の遺体を返してもらい、白樺の根元に埋め、庭中に石灰を何袋も雪のように撒いた。またその頃かなり距離の離れた先生にみてもらう時もあって、ビルコンを分けてくださったが、パルボではないのでは?とおっしゃった。
これを原点に絶対に勉強していい拾い主になることを誓ったし、その後も何度かこの病院とやりとりがあり、やはりだめで頑張って探し、今ではとてもいい病院、F先生に出会えて幸せである。
その後の三日月は子猫を探して狂ったようにしていたが、やがて一人ぼっちでガラス越しに家の中をのぞきこむ日が続いた。
私が不自由な家の猫に猫じゃらしを振っていると、自由な身である三日月は夢中になってガラス越しに猫じゃらしの動きを追っていた。「どうして僕はだめなの?」とうらやましそうであった。
そして、私の通院の時だと思う、
道の端の側溝の蓋沿いにひょいひょいと、いくら追い払っても、表の交通の激しいところまで見え隠れしながら犬のようについてきてしまった。
側溝のどぶ板が1枚だけ外れており、その穴にひょいと飛び込んで暗いトンネルを見ていたすきに走って受診したのだが、
大雨が降ったら、戻れなかったら、轢かれたらと気が気ではなかった。
そして家に帰ると三日月は庭に待っていたので「もういいよ、充分外で頑張ったね。」と汚れた体をギュツと抱きしめ家に入れたのだった。

とにかく飼い猫になっても人懐こくにゅっと割り込んでは「僕、僕」で、沢山いるので飼い主を独占できなくて、溺愛してあげられなくて申しわけないと思う。

後日談として別の猫の診察時ではあるが、F先生との会話で、先生は「鼻の癌の疑いの2011年時にもう駄目だと思ったよ。」とおそらく慰めてくださっても、
私は最終的にはあの進行なので最後、血液の癌とか?腎臓の腫瘍ではないか?それをを調べなかったダメ飼い主だと思う事、17歳くらいの猫と違い、心臓が強いとこんなに苦しむのかと思ったことなどをお話しした。
(猫のリンパ腫はリンパ腫の発生部位によって、縦隔型、多中心型、腎臓型、消化器型、鼻腔内型などに分類されます、あまりの進行の速さに鼻か腎臓だったのではと思うわけです。)

こんな私のことを心底信頼し、慕ってくれた三日月にこの最期は本当に申し訳ないと思っている。
本当にごめんね。
コメント (2)
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