5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

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ロコちゃんの旅立ち

2020年04月18日 | つれづれの日々
非常事態宣言が全国展開になり、こんな田舎でも人通りが本当に少なくなった。
職場はなんとか感染者を出さずに過ごせている。規模は小さいけれど、総合診療的なクリニックをはじめ、様々な介護サービスを包括的に行える法人体系。
なので、ヒトの出入りはなかなか縮小できない。特にデイサービスでは、感染防止策がトラブルの火種になることも増えていて、対応するスタッフを疲弊させている。
私の勤務する老人ホームではもう数か月にわたって、ご家族には本当に申し訳ないのだけれど面会制限をさせていただいている。
とはいえ、看取り期の利用者さんもおられるので、そこはやはり一律に制限はかけられない部分もあり…日々葛藤しながら対応している。
が、そういう日々の中で思うことは、3密を避けろ!といくら声高に叫んでみても、それを理解できない人が残念ながら一定数存在するということだ。
面会はできないと言っているのに、関東(最初の非常事態宣言県)から静岡へ高速バスで行き来し、在静の家族にまで感染のリスクを広げてしまっているのに
お母さん、コロナに気をつけて元気でいてねと言う家族…気分転換に食事に連れて行きたいという家族…気持ちはわからないでもない、でもね、でもね…。
挙げたらきりがない。
感染したくないのは誰しも。なのにどうして感染させないことには意識が低くなってしまうんだろ。
感染させられた、うつされたくないという被害者的な考え方じゃいけない。 もし感染したとしても、自分がそこから感染を拡げないことが大事。
もし自分が誰かを感染させてしまったとして、その相手は名前も知らない人かもしれない。けれどそこからまわりまわって次は自分の大切なヒトが感染するかもしれない。
ウイルスはそこらじゅうに存在している。
罹りやすさは個人の感受性(体力や抵抗力、既往など)に因るところが大きいが、ウイルスが何かを介して拡がっていく…この経路だけは本来コントロールが可能なはず。
私の大切なヒトを私が守る。誰もがみんなそんな気持ちでこの自粛期間を捉えて欲しいと思ってやまない。

ロコちゃんの里親さまから1通のメールが届いた。
掛川から埼玉へ、そして可愛い同居ネコとの暮らしと別れ、歩調を合わせて歩んでくれた里親さまご夫妻との穏やかな日々を経て、ロコちゃんが虹の橋へ旅立った。
このところなぜだか今はもう猫の姿もなく閑散とした藪横の駐車場を見るにつけ、この藪のことを知っている子はロコちゃんだけになっちゃったんだなぁ…と
思い返すことが多くなっていたが、もしかしたらなにか感じるところがあったのかもしれないな。


         

くろくろちゃんと同時期に保護猫生活をしていたロコちゃん。 人馴れは本当に不十分で、今考えてもかなり無謀な里親募集だった。
押し入れに引き籠り&激しい夜啼きのトライアル期間…これは無理だなと思っていたのに本譲渡の運びとなり、ありがたいより驚きの方が大きかった保護主の私。
もしもどうしてもお困りの時には戻してくださって構いませんと伝えた時「大丈夫です」と即座に応えてくださったことを覚えている。
そしてその言葉通りにゆっくりゆっくり時間を重ね、信頼を紡ぎ、穏やかな暮らしを作り上げてくださった。

             13年間のなかではいろいろなことがありました
             特に最初のころは苦労をしました
             でもそれはヒト目線であり、ロコに言わせれば全世界が○○家という状況に一転し不安と恐怖が最大級となっていたと思います
             それを少しずつ僕らを許してくれるようになり、ひところからは僕らを認めてくれるようになったとも感じています

          


          

             とても幸せな13年間でした
             これからもその幸せは続きます


知識も力もなくて、どうしたらいいのかわからず、救いたくても救えなかったたくさんの藪っ子たち。
藪横の餌場はcloseできた。猫の姿を見かけることもない。TNRとしては、ほぼ完了したと言えるだろうが、結局残ったのは後悔ばかりだ。
けれど、そんな中で保護にこぎつけ、新しい家族として迎え入れて貰えた5匹の子たちの存在が私を支えてくれてきたとも思っている。

メールはこんなふうに結ばれていた。

             13年前に僕らにロコを託してくださったことがすべての始まりです
             こんな素敵なネコと一緒になれたことを嬉しく思います 

ロコちゃんと里親さまを繋ぐ役割を与えてもらえたことに感謝。 なによりの嬉しい言葉です。本当にありがとうございました。 
ロコちゃん、ありがとう。いつか、またね! 


くろくろちゃんの里親さまからも春の便りが届く。

          

満開の桜の下で、ぶちとくぅが花見酒。
このカードを見つけた時、ぶちとくぅからの「元気にやってるよ」って伝えて!というメッセージなんだと思った…と里親さま。
折々に届く言葉の数々は、今は亡き猫たちが結んでくれたご縁から生まれたものだ。
なんにもしてあげられなかったのに、もらったものの方が多いじゃないか…。まったく…ダメだなぁ、この下僕。
まだなお、猫たちに支えられている。

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くぅちゃん またね!

2019年11月23日 | つれづれの日々

11月18日 早朝 くぅが虹の橋を渡りました。

長く暑かった8月の終わりに体調を崩して受診。検査データは思いのほか悪くなく、脱水の補正と数日の投薬で再び食べられる
ようになった。
このままこの秋も乗り切れるかなと思っていたが、10月に入った頃から少しずつ食べる量が減り、そのうちパッタリ食べなくなった。
ただし、本人はいたってゴキゲンで、だた「食べない」だけ。
様々な可能性を探った投薬のいずれにも好反応はみせなかったが、投薬を兼ねて高栄養ちゅーるを強制給餌すれば案外上手に
飲み込み、嘔吐することもなかった。しばらく続けて体力が戻れば、また食べられるようになるだろう…なんて構えていたが
どんな食べ物にも興味を示すようにならず、スッと離れてしまう…の繰り返し。
そして徐々に給餌への抵抗が増し、10月の終わりには給餌しても殆どを口から吐き出してしまうようになった。抵抗するたびに
顎からギリギリという音が聞こえるようになり、そのころから水もうまく飲めなくなった。急速に後肢の力が落ち、お気に入りの
出窓にも上がれなくなった。
理由はわからないが、猫の終末期には顎からギリギリガリガリという歯ぎしり様の音が生じることが多い。
もうすぐ18歳。お別れの時が近づいていると思った。
嫌がっても強制給餌をがんばって、濃厚な治療をすればもう少し生きられるかもしれない。
けれど、食べないだけで日々を楽しそうに過ごしているくぅにとって、それは必要なことではないんじゃないかな。
むしろ変わらない日々を過ごすことこそが彼女の望みなんじゃないのかな。
チームしろりんらしく送る。くぅが嫌がることもいたずらに苦しめることもしない、したいことをして、行きたいところへ行って
眠りたいところで眠れるよう。そうして最期の日々を穏やかに過ごせるようにできるだけのことをしよう。
強制給餌したちゅーるをとうとう吐いてしまった日、そう決めて強制給餌を止めた。

くぅは仔猫の頃からとびきり臆病で用心深いステルス猫で、4兄妹のうち3匹がゴハンを食べていてもなかなか近寄らないのに、
真っ先に食べ終わりぶっ飛んでどこかへ消えていく子だった。
それなのに思いがけないところで大胆で(笑)ネコ嫌いのじいさんが作業をしている目と鼻の先で一日中ぐぅぐぅ寝ていて
「見つかりはしないか?」?と見ているこちらをヒヤヒヤさせたりもした。
慎重で頭が良くて、(オペ時を含めて我が家の猫たちは1~2回トラップケージのお世話になった子が殆どなのだけど)くぅは
どうしてもトラップできなかった数匹のうちの1匹でもあった。だからオペ時と保護時の二回とも私はくぅに咬まれて流血…
今思い返しても手強い子だったと思う。
保護してからも夜啼きが激しくて、猫との生活に慣れないダンナはかなり苦労していたし、なんとか落ち着かせようと猫の
先輩たちにたくさんのアドバイスいただき助けて頂いたのも今になればいい思い出。
抱っこもスリスリも本当は大好きなのに結構なツンデレ&元来の臆病さが災いしてなかなか素直に行動できない。
保護した子がダンナに懐いて胸の上で眠る姿をタンスの上からじぃぃぃぃ-っとにらんでいた姿が忘れられない(笑)
ぶちのことが大好きで頼りにしているくせに常に態度はめっちゃ強気(笑)ぶちも「仕方ないなぁー」って感じで対応(笑)
そんな彼女も歳を重ねるごとに穏やかにしなやかに気持ちを表せるようになり、酔っぱらったダンナがお腹に顔をうずめて
眠ることを許したり、ぶちや一歩、まさおとくっついて眠る姿を見せるようになった。





昨年末にぶちが逝ってしまった後からは、ぶちの定位置だった私の左脇に顔をうずめて眠るようになった。一緒に暮らして14年。
くぅを抱いて眠れる日が来るとは思いもよらなかった。

食欲は廃絶、嘔吐を誘発してしまうので強制給餌は止めた。上手く水が飲めないが水入れの前に佇むことがあれば、様子で水を
背負ってもらうくらいしかできなかった。それでも、仕事を終えたダンナが部屋に戻ると「おかえりー」といい姿勢で迎えた。
毎晩、喉をゴロゴロさせて我先にと布団にやってきて眠った。
半ば気を失っている時間が多くなってからも、その習慣は続いた。よろよろとおぼつかない足取りでもやめなかった、
そしてその日の朝も私の左脇に入り込んでしばらく眠ったあと、静かに静かに旅立っていった。




存在感って、躯体や動きや声の大きさなんか関係のないもの…その子の在り方「佇まい」なのだと思う。
動物には「死」を受け止める悲しさや淋しさは無いかもしれない。そもそも「死」という概念があるのかどうかもわからない。
だけどそこに在るべきものがないという「喪失感」は、彼らの中にも確実にある。
くぅの姿の無いリビングがやけに広く感じているのは、私とダンナだけではないはずだ。

ぶちが逝ってしまった後、くぅは夜になると時々「あーあー」と啼いて歩くようになった。普段ほとんど出入りすることのない
寝室に入り込んで、物陰に向かって啼いた。
帰りが遅い私を探しているとダンナが言った。でも私が居ても啼くときがある。やっぱりぶちを探しているのかな?
猫は環境の変化に弱く、変わらないことがなによりの安心感になる。
くぅが求めていたものは必ずしも私でもぶちでもなく、時の流れの中で少しずつ自分の周りから欠けてしまったなにか…だったの
だろうと今は思う。

2002年にしろとぶちとくぅ、そして風になってしまったちゃってぃーの4兄妹と出会って始まった猫たちとの暮らしとTNR 
何も終わっていないし、これからも変わらず続けていくのだけれど、それでもなにか自分の中でひと区切り。
それは淋しさよりもあの日母ネコから預かった仔猫たちを時を経て、空へ還すことができた安堵感のほうが大きいかもしれない。
「死」はだれもが往く道。どんなに悲しくても淋しくても、いつか自分も必ず往くのだと思えば、しばしのお別れに過ぎない。
だからさよならは言わない。くぅちゃん、一緒に暮らしてくれてありがとう。その日まで、またね。
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いっくん またね!

2019年11月05日 | つれづれの日々
11月3日 いっくんが虹の橋を渡りました。
急速に脱水が進んでいることに気づいてから、わずか4日目の朝でした。

食欲にはムラがあったものの「お腹空いたー!」とゴハンを要求して啼くこともあったし、焼きかつおなども食べるようになって
食の幅も拡がってきていた。
保護当時は食べて出してひたすら寝る…だけだった生活が、「だせー!だせー!」とケージのすき間から前足を出したり大きな声で
啼いたり。トイレ掃除の際にケージから逃走したりw時にはダンナと一緒にソファでテレビを見て過ごしていた。

               

        

保護当時、敷物に尿失禁が続いていたが体調の回復とともに消失、ひと安心していたが、「だせーだせー!」と騒ぎ始めた頃から
また時々敷物に粗相をするようになった。
特別体調が悪そうでもないのに…いわゆる拘禁反応的なもの?元々外で過ごしていた子だからそういう苛立ちを敷物への排尿という
形で表しているのか???

大急ぎで保護部屋を再編成。まだしばらくは様子をきちんと見たいから…やはりいっくんはひとり部屋がいいだろう。
ぽぽとゴローの部屋を空けていっくん部屋に。
ぽぽとゴローにはこれまで荷物を置いていたスペースを整理して与え、隣接するふわり部屋と行き来できるようにした。

久しぶりに気持ちよく晴れた日で、部屋にはいい風が通っていた。
移動したいっくんは、新しい部屋に最初少し啼いてしまったけれど、ラティス越しにぽぽのすけと鼻ちょんをして、隣のニッキ部屋を
覗いて、そのあとは窓から外を眺め、風に当たり夕方までの数時間を過ごした。

その夜、それぞれの子にゴハンを与えていったが、いっくんの食欲がない。動きはそれほど悪くないが…少し脱水なのかな?と。
急きょ支度をし、水を背負わせようと背中をつまんで驚愕した。皮膚が硬い…本来あるべき皮下のスペースがまるでなくなり
ピタッとくっついてしまっていると言ったらよいのかな…。かるびやぶらっきぃで経験した、脱水末期の状態がそこにあった。
「なんで?どうして?」「何をいつ見落とした?」と頭の中でぐるぐるぐるぐる。

猫は皮下のスペースを使って水を背負ってもらう。だがこうなってしまうと穿刺をすること自体が本当に困難になる。
少しでも皮膚の柔らかい部分を探してなんとかなんとか祈るような気持ちも一緒に背負わせた。

翌朝になっても事態は好転せず、食べられない。出せ出せと暴れていた姿はない。
保護時の血液データが頭を掠めた。来るべき時が来たのだと、思った。
思い返せば、僅かずつ食べる量が減っていた。それでも元気があったし、口内炎が悪化した様子もなかったから食ムラの範囲内と
考えていた。
だがこうなってみると敷物への粗相が再燃したのも、実際は体からの声なきサインだったのだろう。
元気そうに見えていた。ちょっとした奇跡が起きたみたいに!元気になってきたと思いたかったんだ、私。

極度の貧血と末期的腎不全
かつて兼続がそうだったように、猫は貧血を補完しようとするのかギリギリまで食べ、動く。だが…一定のラインを越えると
急速に食べられなくなり動けなくなる。
これを改善するためには輸血しかないが、貧血の進行ですでに心臓に負担がかかっているから、その負荷に耐えられないかも
しれない。また抗体を産生するから繰り返し行うことはできない。
VETが「余生をしろりん家で…」と言ったのは、この日が近い将来来るであろうこと、そして来た時に打てる手はないということ
なんだよな…とあらためて思った。

何度も猫を看取ってきた友人がずっと心配してくれていた貧血の進行による「呼吸苦」
おなじ貧血でも急速に進んだ兼続は本当に本当に苦しんだが、かるびやぶらっきぃ、ちゃっぷのように緩徐に進んだ場合には
強い呼吸苦が起きないことが多いように思う。年齢や心臓の強さなども関係しているのかもしれない。
幸いにもいっくんは、穏やかな呼吸のまま逝った。

殆ど意識がないのかな…と思うほど眠っていたのに、保護部屋のドアを開けるとニッキやうっしーたちと一緒に啼いて呼んだ。
からだを撫でる手に顔を押し付けて眠った。
少しずつ少しずつ体温が下がっていくなかでも、声をかけると返事をしてくれた。
もっといろんなもの食べさせたかった。もうちょっと時間があると思ってた。

お気に入りだったあご枕を一緒に持たせた。焼きかつおやウェットパウチやドライを体が隠れるくらい持たせた。
ここ数年ですっかり馴染みになってしまった出張火葬の担当さんは毎回「大丈夫だから、たくさん持たせてやって」と言ってくれる。
友人も遠くから一緒に祈ってくれた。

そしていっくんは、山ほどのゴハンとともに煙になって、現れたときと同じ我が家の庭から青空へ昇っていった。

わが家で過ごした6週間が、いっくんにとって幸せな日々であったかどうかわからないが、新しい仲間を迎えたチームしろりんの
下僕として楽しく楽しみな毎日だったことは間違いない。

いっくん、わが家を終の棲家に選んでくれてありがとう。私たちに看取らせてくれてありがとう。いつか、また会おうね。

               
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それからのいっくん

2019年10月21日 | つれづれの日々
さて、チームしろりんの一員になった「いっくん」順風満帆とはいかないが、なんとなく右肩上がりな感じかな?
             

多飲多尿はもちろん変わらないが、食欲はそれなりに保てている。
腎サポは仕方なしに食べている感アリアリだけど、20歳以上の超シニア向けのウェットでなくても食べられるように
なった。
そしてなによりも…あの顎関節が軋む音がしなくなったことが嬉しい。
これからのことは皆目検討がつかないが、少なからずあの時の危機は脱したということだからね。それで充分だ。

      

基本的には本当に静かな子で、お腹が空いたとき以外は啼かない。あとは…遊びたいときかな(笑)
このごろは店の一部に作ったダンナのテレビ部屋で、ちょっとだけフリータイムを楽しむようになっている。

             

小部屋の中をグルっと一周すると、ソファに乗ってウトウトし始める。
まだ被毛が生え揃わないので…若干アレな姿ではあるがw 表情はだいぶ良くなったんじゃないかと思う。

      

そうはいっても食欲や動きにはムラがあるので、4~5日に1度程度水を背負ってもらうが保定もほとんど必要がない。
想像以上のかなり良い子なのだ。

ねぇ、ぽぽのすけ…いっくんはいい子だよ?   聞いてる?ぽぽのすけ???   てか、聞けよっ!ぽぽのすけ!

      

先日もニッキさんとお嬢を脅しているところを止めに入って、左の手のひらに10cm以上の切り傷。ニッキさんとお嬢は
無事だったので良しとするが、仕事に支障をきたすことこの上なし。デカいんだよ、ぽぽのすけ。そろそろそれに気づいてくれ。

そんなぽぽのすけ。合計1か月半の投薬 めでたく無事終了。

              
 
             

名付けてちゅーるガン(笑)
 
50本入りのちゅーると極小5号サイズのカプセル
大変…大変お世話になりました。私も大変でした(笑)
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ようこそ!いっくん

2019年09月26日 | 口腔内トラブルとケア
先の台風で被災された地域の停電がようやっと復旧したとニュースが入る。
これからやらなくてはならないこと、どうしたらよいか悩むこと、不安ばかりが募ること、たくさんたくさんあると思います。
平穏な日常が、一日も早くみなさまのもとに戻りますように。

日頃ほぼ料理をしない私だが、たまには…気が向けば作ることもある。そんな激レアな気分の日にその子はやってきた。
気持ちの良い風が通る日で、勝手場のドアを開け放して(我が家の勝手場は土間)ダンナからリクエストされた煮物などを仕込んでいた。
「にゃあ」と声がして振り向くとドアのところに茶トラの猫が座っていた。10年ほど前は茶トラや茶白の子が多かったが、トラちゃんが
プイッと姿を消して以来、わが家の庭で茶トラの猫を見かけることは殆どなくなった。

出会ったころのぎんちゃんよりは少しだけマシなくらい痩せこけている。みれば体は毛玉とノミだらけでどこからか膿臭?がうっすら。
お腹が空いているようだったので、ウェットを出してみると食べだすがすぐにやめてしまう。気に入らない?別のウェットを出すが
おなじ塩対応。ドライもミルクも。口が痛い?痩せているし口内炎で食べられないのかも。
その後出してみたちゅーるはなんとか半分ほど舐めたが結局やめてしまい、気づくと勝手場に入り込んで、私の足元に座り込んでしまう。
右耳にカットが入っているさくら猫。大人しい子のようだから餌場からはじかれてしまったのか…。それにしても人馴れしており、
人恋しくて堪らないという感じにさえ見える。
庭に留まるのは一向に構わないし、今後のことはまた考えることにしても…そのノミだらけなのは些かマズい。が、こんな時に限って
手元にあるのは小分けしなくちゃならないデカいサイズのフロントラインだけ。
急ぎ市内の猫友に尋ねてみるが、みんな多頭飼いだもんね、状況はおなじ(笑)しかもかかりつけの動物病院が定休。で、初めての病院へ
突撃。レボリューションをゲトして大急ぎで帰宅したら、ダンナと茶トラ猫が勝手場でしっかりココロを通わせていた。
人懐こい茶トラの猫が庭に居る→いつもいるはずの時間に私がいない→この猫のために出かけている とダンナは判断したらしい。
取り急ぎレボを滴下して、さて…どうするか…とThinking-timeに入るところで口を開いたのはダンナだった。
                   「入れてやるしか無くね?こんなに人恋しいのに」
様子も見てやりやすいし、少なからずノミが落ちないと保護部屋には入れにくいので、ケージを店のスペースに設置して茶トラをin。
少しだけ啼いたけど、上段の敷物に落ち着いたところで、改めてじっくり観察。
             

明らかなるい痩状態。膿様の眼脂多量。口周囲に血液混じりの汚れがこびりついており、流延と悪臭あり。透明鼻汁(+)咳(-)発熱(-)
痩せてはいるが目立った創や病変はなさそう。肛門周囲の汚染(-)、膀胱緊満(-) 背~腰にかけて毛玉多数で部分的に脱毛を認め、
ノミ寄生あり。

抗生剤の目薬を点眼。大人しくほとんど抵抗なし。やはり少なからず口内炎があって食べにくい状態になっている様子。。
腎機能が分からないから、とりあえず手持ちのジスロマックを少しずつでも口にしてくれることを期待して高カロリーチュールに
混ぜて出してみる。ガリガリゴリゴリと具合の悪いネコ特有の嫌な音がする。だが、えづいたり、前肢で口を掻いたりしながらも
なんとか1本食べられた。よしっ!!もう1本、また1本足して…と計4本食べ、うとうとし始めた初日の夜。

翌朝、敷物は涎と尿でびしょびしょ。表情は決して良くないが多少動けるようになってきた。
             
水はたくさん飲んであるが、残った水は口腔内からの出血でうっすらピンク色になっている。トイレに降りた様子はない。
体力的な問題で失禁したのか、そういう癖の猫なのか、あるいはトイレが気に入らないのか…。
食欲はあるから、体力的なものならいずれ収まるだろう。問題はそうでなかった時だ。
夜になってもその傾向は変わらず、夜遅く仕事から戻ったその足でド〇キへ急ぎ、木質ペレットから鉱物砂に変更。日付が変った頃、
しっこを吸ったペットシーツをトイレに突っ込み、しっこでびしょびしょの猫をごしごし拭き、敷物を替え、ケージも丁寧に拭き上げた。
すると何がヒットしたのかわからないがの夜にはうん〇トイレに発見。そのウン〇を敢えて片付けずに置き、翌朝しっこだま2個発見。
下僕感涙。目指せ!部屋ネコへの希望のひと山を越えた瞬間だった。

              

         

病院の休診日と下僕のシフトがどうにも合わず、やっと受診できたのは保護から5日目。キャリーの中で少しだけ啼いた。
BW3.0㎏ 口腔内には口内炎の所見があるが、それほど酷くはないとの由。年齢的には…10歳overくらいかな?とのことで。
触診では、両腎臓の固さと表面の凹凸があること、腸内には硬便が溜まっているという所見。
血液データは、まぁ想像通り良くない。WBC30500 Ht17.2% Hb5.9 BUN128 Cre5.1 K4.9 FeLv(-)FIV(-)
輸液と抗生剤、消炎剤を皮下注。腎機能が悪いので、ジスロマックを量を控えて内服継続することになった。
「この感じでよく食べ始めたね」とVET  ホントホントと頷くスタッフと私。
「結構立派なデータだもんね」と私  うんうんと頷くVETとスタッフ。
「ま、いっか。このままわが家で余生ってことで」と私
「そうそう。せっかく助けてもらったんだから、それでいいんじゃない」とVET

そんなわけで、茶トラ猫 コードネーム「いっくん」がチームしろりんに新加入。

         

ちゅーるを卒業し、三ツ星グ〇メちょっと混ぜの腎サポをポリポリやってます。
出せ出せもせず、食べて出して寝る ひたすらその繰り返しだけど、表情はだいぶ緩んできた。 ま、ボチボチ行こう!


         

同僚の長崎旅行のお土産 「桃カステラ」 元は桃の節句由来のお菓子らしいが、慶事一般に使われるとのこと。
いっくんのニャン生がおいしくたのしくありますように! と願いつつ食す。 
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ぽぽが、熱を、出した

2019年09月06日 | 猫の黄疸
暦の上では残暑のはずなのに、まだまだ暑中感満載だった数日のあと それは起こった。
残業で深夜に帰宅した私を迎えてくれた保護部屋の子たち。ぽぽのすけもゴローと一緒にいつものようにそばに寄ってきた。
あれ?なんだか動きが悪くね?表情もなんだかスッキリしないし、鼻が乾いて若干体温も高めに思える。食欲もいまひとつで
わずかに口をつけただけで「もういいや…」とコテンと横になる。
暑い一日だったからなぁ…いくらクーラーを使っているとはいえ、終日室温を確認しているわけではない。暑さにやられたかなぁ
なにしろデカいし。
とりあえずアイスノンやクールパッドを増量。明日以降の様子では早めに受診も考えることにした。

翌朝、それほど様子に変化はなく…ただ食欲はあまりないぽぽのすけを一番涼しいふわり部屋に移動させておいた。意外にも
ふわりともめない。お互いにちょっと威嚇の声を出すのだけれど、それ以上にはならないので様子見。
しかし夕方帰宅したころには、ぽぽのすけの鼻も肉球も真っ赤で明らかに高熱を出しており、食欲も廃絶。少量の嘔吐の跡が1カ所
あった。時々口をくちゃくちゃさせて気分も悪そう。感冒症状はなく、今のところ今のところ表立った兆候はない。
しかし、この体型の子が食べないのは原疾患であれ、二次的であれ要注意だ。翌日の受診を決めた。

そして翌朝。最悪の予想が当たった。
トイレトレイを引き出してため息が漏れた。
         

ビリルビン尿。画像はペットシーツの裏面、比重の関係で表面よりも下部の色が濃い。友人曰くペーパークロマトグラフィー。
昨夜は異常はなかったぽぽのすけの耳。日光に透かしてみるとうっすら黄色い。大急ぎで診療前のVETにメール、画像を添付して
朝一で受診したい旨を伝えた。

さすがに元気のないぽぽのすけをキャリーに入れる。…が、思い直してネットに入れてからキャリーへ再度イン。

診察室でキャリーから出そうとするが威嚇するわ、突っ張るわで出せないので、キャリーを分解して診察台へ。
ネットに入れてきたと告げると、VET&スタッフ一様にホッとした表情。うん、まあ、そうだよね。でもね、今日のぽぽのすけは
ぽぽのすけ史上一番元気がないと思うよ?ととりあえず付け足してみる下僕。
まずBWチェック。「ん?」VETが二度見する。「そんなはずないよね?」と私を振り向く。いや…たぶん事実です(汗)と思う私。
ゼロ点合ってなかったかな?と合わせ直して再計測。驚愕の10.55㎏  
そう…ぽぽのすけはとにかくデカいのだ。太っているというよりも個体としてデカいといったらいいか…。たるんたるんではなく
硬いのだ。そして、それだけの大猫だから当然と言ってはなんだが力も強い。
なにはともあれ、採血をする。VETもスタッフも私も緊張Maxで変な汗が噴き出てくる。
なぜなら…ぽぽのすけにはいくつもの武勇伝があるから。興味のある方は…ほんの一部ですがドゾ
            こちら こちらも

巨猫で俺様だけどホントはノミの心臓なのだ。だからめっちゃ暴れる。41.0℃の高熱で具合の悪い今回も火事場のバカ力?を
必要以上に発揮。
ネットを破り、エリカラを吹き飛ばして大暴れ。日頃、私が持ち込む外の子たちを難なく扱っているVET&スタッフさんたちもどーにも
手をこまねく。最終的にVET二人、スタッフ二人と下僕の計5人がかりで採血。診察台の上でバスタオルを掛けられ、私の腹に顔を
うずめてようやく大人しくなったぽぽのすけを抱えたまま、データ分析を待つ。
   採血データ: WBC 9000 / Hb 10.7 /GOT 45 /GPT 100 / T-Bil 4.2 /Cre 1.4 /BUN 10
やっぱり…な高ビリルビン血症。Hbの著明な低下はないから溶血性ではなさそう。GPT値が高いが以前のもじゃの時に比べればそれほど
でもない。ここで持ち堪えるのか?これからまだ上がるのか?
…とりあえずデータからは、肝リピや三臓器炎などの肝胆管系(肝性)もしくは胆石や腫瘍などの物理的な閉塞性(肝後性)の黄疸が疑われる状態。
本来ならX-Pや腹部エコーで肝臓と周辺臓器の様子を確認したいところだが…採血だけでこの有様。これ以上の検査もましてや入院など
とんでもなく無理な話。
なにか他の疾患が隠れているかもしれないけれど、とりあえず三臓器炎に対する治療に反応するかどうか、それで切り分けていくしかない。
輸液200mlと抗生剤&ステロイドを皮下注。抗生剤とプレドニン10mgとウルソ100mgを処方され帰宅した。

食欲は全くない。水も飲まない。高ビリルビンによる食欲不振で食べられない。が、こんな時ぽぽのすけの巨体がさらに状態の悪化を
後押しする。とにかく食べさせて肝リピドーシスへの移行だけは防がないといけない。
一度にたくさん入らない。様子を見ながら回数でカロリーを稼ぐしかない。高カロリーチュールがいい仕事。1本ずつ、嘔吐しないことを
確認しながら2時間おきに入れていく。
病院ではあんなに大暴れだったぽぽのすけも、自宅に戻ったら不調全開。爪切りも強制給餌も案外できる。様子を見ながら水を背負わせる。
回復しているのか、いけるのか…は食欲の改善と尿色で推測していくしかない。
※以下サムネイル表示。シーツについているモロモロしたものは尿を吸って崩れた木質ペレット

受診当日夜  食欲廃絶。飲水せず。高熱持続し寝ていること多い。

二日目 朝  ゴハンの皿に興味を示すが食べず。強制給餌続け、水200背負わせる。日中少し解熱傾向も夜になって再び高熱。

三日目 朝  銀スプを数粒+チュールを自ら舐める。強制給餌続け、水200背負わせる。日中ほぼ解熱、少し動き始める。夜発熱あり。

三日目 夜  ウェット・ドライ共に食べ始める。チュール減数して強制給餌、水100背負わせる。動き良くなってくる。夜発熱あり。

四日目 夜  食欲かなり改善する。チュール減数して強制給餌、自力飲水OK。終日発熱なし。

最初に処方してもらった薬は5日分。なんとか飲み切った。ビリルビン尿もすっかりなくなり治療に好反応を示したと言えるだろう。
もちろん油断はできないし、決して本調子ではないのはわかっている。
ゴローちゃんとうっしーがふざけあっていてもぽぽのすけは参加しない。ゴハンを食べてコテン。部屋を移動してコテンとすぐに 休んでしまう。
継続してデータを追えない以上推測するしかないが、おそらくあの後、肝機能データはさらに上昇していたのだろうと思う。
幸いにもビリルビン血症が改善、食欲も戻り最悪の事態は避けられたが、肝臓はそれなりにダメージを受けている。
今回、潜在的な肝臓疾患の関連があったのか、外因による食欲廃絶が肝リピドーシスを引き起こしたのかはわからない。
ただ、今回の病態がこれから先もぽぽのすけの体調を左右する大きな因子であり続けることだけは確かだ。
                 
これは多頭飼いあるあるだと思うんだけど…1匹調子悪くなると必ず後に続く子が出る。
体調を崩したくぅ姐さんの受診の際に今後のぽぽのすけの治療方針を相談する。もちろんみんなの平和のため再受診はしない方向w
とはいえ再発しやすい病態なので、可能ならあと1か月の投薬を…とVET。
わかりましたと返しながらどうやってこの投薬期間を乗り越えようかアタマの中はぐーるぐる。
あの時ホントに具合悪かったんだよね、ぽぽのすけ。
最初の2日は抵抗もせず薬を飲めたのに、食べられるようになればなるほど全力で拒否だよ。
いくら爪を短く切ってもなにしろ力が強いしデカいのだ。なかなか手に負えない。抱えたところで弾き飛ばされる。
一日2回の投薬は正直キツイ…
せめて1度にしてもらえないかとお願い。プレドニンを10→5mgに減量し ウルソ50mg×2回を100mg×1回/日に変更、抗生剤は
1回/日で継続。でも結局3錠飲ませるのが大変で…朝)プレドニンとウルソ 夕)抗生剤 という感じでなんとかなんとか。
確実に飲ませるため苦くて内服させにくいプレドニンははじめからカプセル詰を選択。抵抗が強く口腔内に放り込めなくなってからは
投薬用の粘度の高いチュールも使った。猫の投薬には、その子に応じて毎回無い知恵をしぼりださなくてはならず、下僕はマジ疲弊する。
とはいえ、飲ます方も飲まされる方も息があってきたというか、割とすんなり飲める方法を新たに生み出しつつある。
手元の薬はあと2週間分。一生モノの病態を背負わせてしまった申し訳なさを抱えて、下僕はひたすら頑張るのみ!なのだ
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これから

2019年08月13日 | つれづれの日々
          
見えてても気づかないフリするのが礼儀よ? の ちょびこ@最近とてもフレンドリー

そろそろ季刊なblogカテでも無理めになってきた、ここ。
書いてはいませんが、みなさまのところへは「ランチの友」としてコッソリお邪魔させていただいてます。


日々変わらずドタバタでクタクタ。ですが、ご褒美といってはなんですがっ、行ってきました埼玉。ええ…東海地方から(笑)

          

          たまアリでかっ!その姿を写真に収めながら…
          今はこうして巨大イベントスペースとして在るここが、被災地外の避難所であった日々のことをふいに思い出す。

                君の好きな 故郷の街に また あの日々が戻って きますように

          

          古くからの友人が「行っておいで」と急遽譲ってくれたチケット。
          本当に長い長い家族ぐるみの付き合いの間柄なのだけれど、お互いに小田さんファンだったとは知らず…。
          この数年、実は自分の周りにたくさんの小田さんファン(しかも筋金入りの!)が居たことが次々判明し、
          縁の不思議を感じている。
          友人たちも私も、みんなそれぞれに人生の折り返しを過ぎた。変わらないように見える日々は奇跡の積み重ね。
          行きたいところに行き、会いたい人に会い、見たいものを見る。いつか…じゃなく、今。


友人が「運がよければわりといい席のような気がする」と言っていたが、巨大スペースの中に探し当てた席は「わりと」どころではなく
私的には間違いなく「神席」※画像お借りしてます
          


          サブステージの斜め前、花道の真横  
          かなりの曲数をサブステージのピアノで歌ってくれて、ベスポジでがっつり見入り聴き入る。
          撮影用のクレーンが反対側のブロックだったのもラッキーだった。
          花道で立ち止まって歌ってくれたのもホントにすぐそこで…え?今、目合ったよね???
          かなり序盤のうちに完全に冷静さを失うwww

アンコールを含めて30曲以上(収録の関係上、やり直しがあったからね・笑)を一緒に歌いまくる。全体に観客の平均年齢は高いけど
3時間みんな頑張った!が、私の斜め前の男の子はなんと5歳。まわりのおばちゃん観客たちから「小田さん好き?」「渋いねぇ」と
かわるがわる声をかけられる。「愛を止めないで」のあたりまではノリノリだったがさすがに5歳児。終演時には父親に抱っこされて
爆睡で退場。小田さんのファン層の広さに感涙&安心したわ。

そして小田さんも71歳とは思えない走りっぷり。
「キラキラ」を歌いながらオンステージの客席に突入していったと思ったら「あれ?消えた!」同時に上がる短い悲鳴
かなり派手にコケたらしいけど、日ごろの鍛錬が違うんだろうね、すぐに立ち上がってその後も走る走る走る。
ライブの最後に「みなさん、元気で暮らしてください」と小田さん。
「これからも元気で歌っていてください」と願いながら、たまアリを後にした。

帰路は深夜ということもあってか…東海地方まで2時間半ちょいで帰り着くwいやあー意外と近いんじゃね?埼玉。

行きたいところも見たいものも体験したいこともまだまだたくさんある。
とりあえず、大好きな元同僚に 会いに行く。2年来の約束果たすために、行くよ埼玉!!待ってろ、埼玉!


下僕が近づくコンサートの日を指折り数えていたころ、離れのネコ部屋で異変。
どんなに朝早くても、私の帰りが遅くても、ラティスから3匹顔を出して待っているニッキさんとうっしーとお嬢。
前夜、疲れてしまって早めにお世話をして休んでしまった私。その時点では特に違和感を感じることはなかったのだけど
翌日のネコ部屋は、ドアを開けた瞬間からおかしかった。なんかやけに静かじゃね?
ざわざわする気持ちで見まわすと、ラティスから覗いている猫あたまが足りないじゃないか。またニッキさん具合悪いのか?と
思ったら…あれ?居るやん。あ…うっしー、うっし-が居ないから、いつもみたいに大声で啼いていないから静かなんだと気づいた。
とにかく落ち着きがなくていつも走り回っているうっし-。なにかあったのかと慌てて部屋に入り、ネコマンションのカゴのひとつに
ちんまり収まっているうっしー発見。顔を上げてはいるが動く気配がない。
   おかしい  これはおかしい  うっしーが部屋から脱走を試みない…てか一つ所で動かないなんてアリエナイ

見回せば あちこちに嘔吐の跡。食残から水様物まで様々。トイレの中をさらうが下痢はなし。トイレトレーのペットシーツの
尿色にも目立った異常はないように見える。

とりあえず声をかけてみる。「にゃ」返事をするが表情に活気がなくこころなしか顔色悪い感じがする(感じが…ね)
大好きなシーバにも一切反応しない…どころか顔をそむけて食欲廃絶
眼をのぞき込む、ついでに耳を光に透かしてみる。どうやら黄染はない。眼脂は増えていない、鼻汁もない。
さわった耳は熱くない。むしろ全体に体温が低い印象をうける。
口を開けて覗く。肉球の色を見る。貧血や低酸素の兆候はない。
カゴに収まって動こうとしないけれど呼吸の回数・深さなどは普段とかわらない。喘鳴も咳もない。
からだのあちこちをさわってみる。腹部が水っぽい感じはしない、膀胱も少なからず緊満はしていない。
いつもならひっくり返って腹モフ要求のうっしーが「う゛ーう゛ー…」と小さく唸った。
左の腰のあたりに吐物がこびりついており、さらに異常な状態が起きていることを察した。
痛みがあるのか、痛みがあったのか、せつないのか、もっとせつない瞬間があったのか? いずれにせよこれは緊急事態だ。

幸いにも遅番だったので「遅れたらごめん」と同僚にLineして、うっしーをキャリーに放り込みVETのところへ向かう。
車中、不安そうに啼いていたものの、途中でだるそうに横になってしまい私も久々に焦る。
しかもなんとかたどり着いたびよいんの待合室にはやたらと吠えまくる先客犬がいて、うっしー、さらにビビりまくる。
うっし-の体温を測りながら「あ…それでもなんとか38℃はあるのか…」とVET 
そうなんだよね、なんだか低く感じるのが気持ち悪いんだよね…と独り頷く私。
触診でも聴診でもこれといった異常は見つからずとりあえず採血とX-P
採血の結果 WBC 35200 TP7.8 と感染を疑う所見 Hb13.1 ととりあえず貧血はなし。
X-Pでは肺野に気になる影 気管支炎を起因とするびまん性の肺炎 もしくはリンパ腫も除外できない。
腹部には取り立てて気になる所見はなく、ガスの貯留も多くない。
エコーでも異常は見つからず。嘔吐は一過性の中毒の可能性が高いのでは?とVET。とはいえ完全室内飼いで同部屋の2匹に
異常がないため確定はできないが、私が異常に気づいて以後の嘔吐はないことからも推定。
こちらは制吐剤対応で経過をみることとし、気になるのはWBCとTP そしてX-P
思い返せば時々咳をすることがあったうっしー。抗生剤の内服で効果があれば気管支炎~肺炎など感染由来のWBC増加 
効果がなければ感染は除外される。
仕事の都合上1泊入院、翌朝1W分の抗生剤を処方されて帰宅。案外上手に内服できたうっしーにココロの中でガッツポーズ。
が…ネコの投薬はそんなに甘くない。分かってる分かってる。
徐々に食欲が戻ると抵抗も激しく逃げ足も速くなり、出勤前から毛だらけ汗まみれの1W後 再検したWBC 17900 やたっ!
下がってきてるけどまだ微妙に高いから…ともう1W分追加の処方をもらいうれしいやら、若干悲しい気もしたり(笑)
それから1か月半 残暑もなんのその。
         
うっしー元気です! やっぱりこうして3匹で並んでいてくれないとね!



今日は8月13日  夕方、庭で迎え火を焚く。

昼間ダンナと話した。「ぶっちゃん、帰ってくるかな」「来るよ、みんなで。てか…ぶちはちょいちょい来てるんじゃない?(笑)」
「列作ってくるのかな?」「いやー押し合いへし合いで来るんじゃない?(笑)おいっ!押すなよーとか言いながら」
「虹の橋から滑ったらどうすんだよ?みたいな?(笑)」「そうそう!きっとそんな感じでみんなで帰ってくるよ」

ここだよー戻っておいでー 名前を呼びながら迎え火を焚く。
ダンナと私を、きみたちの最後の下僕にしてくれて、ありがとう。
 
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かいせんくん またね!

2019年04月07日 | つれづれの日々
3月16日 かいせんくんが虹の橋へ旅立ちました。
保護してからちょうど1年4か月 頑張りぬいた日々でした。

うっかり?入ってしまったトラップケージから始まったかいせんくんの家猫修行生活。
もともと触れる子ではなったから、時間はかかるだろうなぁ…と思っていたが、流石!のかいせんくんは
自分の流儀を貫き通した。

今思えば、保護当時が一番体力的にも安定していたのだろう。
ケージの上段でしゃーしゃー言いながらも本当に良く食べ、飲んだ。本格的な寒さが来る前の保護だったが
おそらく初めてのホカペの温かさにとろけた表情が、外にいた時とは全く違って嬉しかったな。
トイレも失敗することなくすぐに使いこなすようになり、水入れもゴハンのお皿も一度だってひっくり返すこともなく
ワタシとの距離は全く縮まることはなかったが、かいせんくんは保護ケージでの暮らしにすぅーっと馴染んでいった。
当初の予定では体調の観察も兼ねて1か月位ケージで、その後は陽当りの良いふわり部屋でケージフリーに。
大好きな日向ぼっこをして、できればふわりと仲良くなってもらえたらいいなと思っていた。

でも…かいせんくんは頑としてケージから出なかった。扉をフルオープンにしておいても出なかった。
外に出るといっても所詮は保護部屋の中だ。かつて闊歩していた庭とは風も匂いも違う、けれど狭いケージより
良いだろう?と思ったのはワタシだけだったのか…。
保護してみて初めて知ったことがたくさんある。殊に驚いたのはかいせんくんがとてもビビリな猫だったということ。
迫力ある面構えなのに、ニンゲンが怖くてビビリしょんまでしてしまうほど怖がりだということ。
百戦錬磨の子だと思い込んでいたけれど、実際はそうではなく、争いを好まず避けて通っていたのかもしれない。
少なからず、我が家の庭にたどり着いた晩年の彼は。

ようやく手にした自分だけの場所。
暖かく涼しく、探さなくても食べるものがあって、大嫌いなニンゲンが時々覗くのは嫌だけど、敷物を替える時以外は
特段こわいこともされないから「まぁいいか」って思える、そんな場所。
二段ケージの、上段の、四つ折りのケットで一杯になっちゃうような、ほんのわずかなスペース。
そこはかいせんくんにとって、外への興味を凌ぐほどの安心できる場所になったのだろう。

体調の波は激しかった。保護後調子よく食べることができていたのはほんの1か月足らずで、そこから先は薬を変えたり
その薬をどう飲んでもらうか、食べられるものはどれか、好きなものはなにか、どうしたら食べられるか…思考の日々。
かつて同じ難治性口内炎で苦しんだぎんちゃんのことが頭をよぎった。
口腔内潰瘍の痛みと出血と排膿。食べられないことで栄養不良となり、緩徐に貧血が進み、じわじわと体力を落とす悪循環。
食べて体の中に栄養を取り込むという、当たり前にしていることにも実は相当なエネルギーと体力が必要だ。だから本当に
体力が落ちてしまうと食べられないし、貧血が進み低酸素で機能低下した消化管組織では消化吸収することができなくなる。
食べることは生きること。食べてくれることは希望。けれど、食べさせることが苦痛を招く状況も存在する。

かいせんくんの最期の日々をどうすごしてもらうか…考え続けた最後の平成の3か月。
目指したのはソフトランディングであり、死への行程に逆らわない ということ。それがしろりん家流のおくりかた。

                  


かいせんくん。
陽だまりのマシュマロクッションで昼寝してる姿、見たかった。
お刺身ワシワシもっと食べて欲しかった。
ミルクまみれの顔で「にゃ」って声聞かせてほしかった。ホントはとってもかわいい声なんだよね。
おひさまの匂いのするふわふわケット大好きだったね。

ホントはね、もっともっと仲良くなりたかったよ。
食べてもらおうと思って買い込んだゴハンがたくさん残っちゃったじゃないか…全部、全部持っていくんだよ。
ミルクも焼きかつおも銀スプも。大好きなもの全部。お腹いっぱいになってゆっくり眠るんだよ。
そして、かいせんくん。いつの日か、またね!

                            




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ぶっちゃん またね!

2018年12月25日 | つれづれの日々

       
12月18日 ぶちが眠りにつきました。
最期は本当に静かに眠ったまま、お気に入りのマシュマロクッションの上で、ダンナとくぅと
まさおと一歩に看取られて。
私が職場から戻ったのと、ダンナからのケータイが鳴ったのが同時だった。
旅立ちには間に合わなかった。けれど、きっとぶちの耳には私の車が近づいてきている音が聞こえて
いたと思いたい。

昨年の12月25日 食べられなくなったぶちを連れて定期の受診をした。体重の減少が著しいこともあり
回復は難しいと思うと告げられた。最後に少しでも楽になるかもしれないから…と2種類の抗生剤を
打ってもらい、帰宅。抗生剤の効き目を待った。
でもその夜も次の夜もぶちはぐったりしたまま、一息ごとに痩せていくばかりに見えた。
元々覚悟はしていた。その時が来たのだと思った3日目の夜、ぶちは起き上がり、お皿のドライに
興味を示した。けれど食べられない。食べたい気持ちはあるようなのに舌も顎もうまく動かない。
慌てて、チュールをシリンジで吸い上げ口腔内に流してみた。
あの背筋が凍るような歯ぎしり様の音が響いたけれど、それでも飲み込めた。
もう一度、もう一度…少しずつ繰り返してチュールが1本、空だったぶちの胃袋に4日ぶりに収まった。
時間をおいて1本ずつ、焦るな焦るな…自分に言い聞かせながら一晩かけて強制給餌した。
私は本来強制給餌が好きではない。だから苦痛を与えるだけの意味がなければ、しない。
けれど空腹が満たされてペロンペロンと満足げな表情のぶちを前に、この時ばかりは「もっと
食べさせたい」と思った。

なんとか食べることができるようになったとはいえ回復には程遠く…もとよりそんな回復が
望めるわけもなく体調の波は大きかった。
残された時間が数日なのか、1週間なのか、もう少しあるのか…皆目見当がつかないがそれでも
ぶちの猫生だもの、ぶちのしたいように生きられたらいい 生きられるようにしようと決めた。

食べたがるものも食べられるものも日々変わった。
ダンナは喰いつきの良かったイカ風味のチュールをホムセンから買い占めてきたし、私は夜中で
あろうと欲しがる時にお気に入りのドライをカラカラと皿に出すのが仕事だった。小分けパックの
ドライは、都度フレッシュな香りが食欲をそそるのだろうね、喜んで食べた。
お刺身も焼きかつおもよく食べたなぁ。徐々に顎の力が衰えてかなり細かくしないと食べることが
難しくなっても頑張って食べた。
ダンナからもらったあとは、私の方を向いて座って「おまえからはまだもらってないぞ」と
言わんばかりの態度で(笑)じっと見つめた。
私が2Fへ上がると、だれよりも先に起き上がって待っていた。ヘトヘトになって帰宅した
深夜にはおぼつかない足取りなのに、階段まで迎えに出て来てきてくれた。
夜中にお腹が空くと、きまって前足でそっと私の頬をさわって教えた。
私の枕がお気に入りで、毎晩1人と1匹で取り合った(笑)
ダンナの晩酌の酔いが回るころそっと体に寄りかかって眠るのが好きだった。
                
一番最初に陽が差し込むリビングの出窓がぶちの定位置で、最期まで大好きな場所だった。

2002年の春生まれの4兄妹だったがほどなくしろとぶちとくぅの3兄妹になった。
外暮らしをしていた3年の間にぶちも2回輪禍に遭った。幸いにも命を落とさずに済んだが
まっすぐなシマシマしっぽを失った。カラダはタイヤをすり抜けたもののしっぽが巻き込まれて骨折
そこから壊死が進み長かったしっぽの半分ほどが脱落した。骨がむき出しになったしっぽで
戻ってきたぶちの姿をはっきり覚えている。その後去勢オペ時に改めて断尾
けれどある朝、ぶちが興奮気味に咥えてきたものをみてさらに驚いた。それは脱落したしっぽの先
半分だった。「オレね、持って帰ってきたよ、しっぽ! つけてくれる?オレのしっぽ!」

そのしっぽは新聞紙に包まれ乾燥剤を入れた缶の中で16年の時を経て
ぶちと一緒に青い空へ上っていった。

キャットステップに上がることもなくなって、走り回ることもなくなって、ゆっくりゆっくり
歩いていた。
6キロ近かったカラダがどんどん小さくなり、寝ている時間も多くなった。
それでもね、ぶちの存在は大きかったんだな。
そんな小さな小さな姿がなくなっただけなのに、どうしてこうもこの部屋が広く見えるんだろう。


動物には治療の意味が分からない。ましてや望んで治療を受けているわけでもない。
治ってほしい、失いたくない。時間もお金もいくら費やしても構わない。その気持ちは否定しないし
その価値もわかる。
けれど、ともすればそれは飼い主のエゴだけで苦しみを長引かせることになりはしないのか。
それを考え続けたこの4年間だったと思う。
低空飛行ながらもぶちが存えている間に、ちびが逝き、もじゃが逝き、ウォルが逝った。
たくさんの決断をしていく中で、治療よりも大切なことがあるんじゃないかと思った。
治療よりも大切で、飼い主にしかできないこと
「どこよりもだれといるよりもココチヨイこと」それは飼い主と過ごす時間以外にないだろう。
動物は共に生きてくれるだけで、誰かのために生きているわけではない。その子の命の時間を
慈しむことの意味をこれからも考えたいと思っている。



あの日、しろに連れられて初めて越えた自転車屋さんの屋根の向こうに新しい世界が開けたように
しろと一緒にまた屋根を越えていくんだよ。今度は、あの屋根の向こうの虹の橋へ。
猫の神様に逢えたら真っ先に、あのしっぽをつけてもらうの、忘れちゃだめだよ。
           

ぶっちゃん、一緒に暮らしてくれてありがとう。楽しかったよ、だから、またね!

今年もくろくろちゃんのパパとママからクリスマスプレゼントが届いたよ。
くろくろちゃんに逢ったら「ありがとう」って伝えてね。
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さすがにちょっと焦った近況を垂れ流すw

2018年11月17日 | つれづれの日々
昨夜からグッと冷え込みが強くなってきた。もう11月も半ばだもんね。
私はと言えば…相変わらずの毎日。景気が良くなると介護業界は人手不足になるというがまーさーにーそれ。
さすがに猫の手は借りれないので、介護にナースの手を貸す始末。いや…ナースもギリギリなんだけど、
そこはもう致し方ないというか…。
求人は出してるみたいだけどね、ホントに集まらないし、簡単に辞めていく。
そんな先の見えない日々の中、深夜PCを開いたまま椅子に座ってうたた寝してしまったワタシ。
左腕がストンと落ちる感覚で目が覚めた。時計を見ると20分ほど経っていた。あ…寝ちゃったんだ…と
思った次の瞬間、左手の異常に青ざめたわけよ。
手首から先がダラーン、下垂したまま動かない。親指と人差し指はほとんど動かず運動麻痺。
そして部分的な感覚麻痺もある…。どうした…どうしたワタシ…???
突然の出来事に結構狼狽しながら、でも必死に考えた。出血か梗塞を起こしたか?
いやいやいや…少なからず意識は明瞭(自分で思ってるだけかもしれんがw)肩も上がるし
下肢や左顔面の麻痺もない。
感覚麻痺は親指と人差し指周辺だけの限局性でその他の感覚はまず正常のように思えるし。

それでもんどん上がる心拍数。
冷静に分析しようとするワタシと病気だったらどうしようと焦りまくるワタシのせめぎあい。

ひねり出した結論は…これはどうやら脳血管系の問題ではなさそう。…てことはだな…アレか。
やっちまったか。。。
それは…

橈骨神経麻痺(Saturday night palsy:土曜夜のマヒ)は、とても艶っぽい名前がついています。
その名のとおり、恋人を腕枕して眠ると神経麻痺を起こしてしまうものです。この神経の麻痺では手の甲が
シビレます。しかし、多くの場合感覚の障害より、筋肉の麻痺が主体となります。筋肉は、前腕の手の甲側で
指を伸ばしたり、手首を反らしたりする筋肉の麻痺が起こります。手首を反らす筋肉がうまく働かないため、
指を曲げる筋肉は麻痺していないのに、ものをうまく握ることができなくなります。


wikiによれば
橈骨神経麻痺は、ハネムーン症候群(honeymooner's palsy)、サタデーナイト症候群(Saturday
night palsy)とも呼ばれる。
原因としては上腕骨外果骨折、うたたね、注射などがある。
症状は下垂手(英語版)(垂れ手)。回外運動不能、手関節・手指伸展不能、手根・指屈曲位などの
運動麻痺。上腕前腕の背面、手背橈側半の皮膚の知覚異常。


なんだか色っぽいシチュエーションてんこ盛りの症状なんだが、ワタシの場合そんな話でもなく(笑)
どうやらうたた寝したとき、椅子の背もたれかひじ掛けで神経を圧迫しちゃったらしい。
で、こんな有様。
                

一晩経っても症状は殆ど改善されないまま。でも人手不足の日曜日。急外に駆け込むわけにもいかず。
しっかし何が困ったって…坐薬が持てない、入れられない。で、たまたま一緒に勤務だった施設長兼
看護部長を使い倒すワタシw
おまけに間の悪いことに、夜になって利用者のひとりが突然の高熱とその後に血圧が急激低下。
点滴開始の指示が出たけど、手首は相変わらずグラグラで輸液の準備もままならず。
てか、ちょっとーどうやってラインいれるのさ!入れられるのかー???の緊急事態。
それでもナースはワタシしか居ないわけで。
ビビる介護スタッフに力を借りながらほぼ片手でラインを取るという…ね、荒業(笑)
翌日、ようやく整形外科に受診して、予想通りの診断をもらったわけ。
10分15分のうたた寝でも起こりえるので気をつけてと言われ、装具とビタミン剤で経過を見る事2週間。
親指にわずかに感覚麻痺が残るものの、日常生活や仕事に支障をきたすことはないレベルまで改善。
ここまで良くなれば、あとは時間の経過とともに元通りに治るとお墨付きをもらって(´▽`) ホッ
どーせなら、猫に腕枕して発症したかったわ!と笑えるようになった次第。
皆さまもどーかどーかお気を付けください。←おまいといっしょにすな!と言われそ。。。

ワタシの左手がなんとか良くなってきた頃、保護部屋ではニッキさんに異変が。
食欲が落ち、鼻水とくしゃみ。一見猫風邪。でも昨年の膵炎の初発症状もこんな感じだった。
…が、今回2日経っても嘔吐はなく、手持ちの抗生剤にも反応悪し。
なんかやだな…私のこういう勘は意外に当たるのだ。とりあえずニッキさんをキャリーにつっこんで受診。
脱水と貧血。
血算データでHt26.3%だが、脱水であることを考慮すればおそらく20%を切っているだろうということ。
白血球が23800↑とかなりの上昇が認められること。
これまでの経過で消化器症状が出ていないのならば、膵炎の再発とは考えにくいこと。
データ上ではCre1.3 BUN29と異常はないが、エコーでは片腎の萎縮が認められること。
そしてなによりもニッキさんはFIVキャリアであるということ。

猫風邪の感染が引き金になったのか、それとも免疫力の低下が猫風邪を呼び込んだのかどちらとも
分からないが、状況からみて造血機能の低下などFIVの関連症状が出始めているのではないか…との
診断だった。
いずれにせよ現状は、抗生剤と点眼で猫風邪感染の諸症状をコントロールし、食欲回復を期待する
しかない。多めの輸液を入れ抗生剤をもらって帰宅。

そして明日で1週間。ニッキさん、だいぶ食欲も戻ってなんとか復活の兆し(喜)
もちろん、貧血はそのまま(ひそかに進行中かも)だけれど、ね。
逃げ切れるかなーと期待してたけど、FIVの本気の追い上げが始まったらそれは難しいことだろう。
どちらにしてもワタシのできることなど決まっている。日々を楽しくおいしく心地よく。それだけだ。
大好きなもじゃと過ごしたこの部屋で、いつも通りに過ごしていこうね。

2Fの子たちにはホカペとエアコンとファンヒーター三昧でぬくぬくの季節が到来。
保護当時、ファンヒーターの音が怖くて仕方なかった子たちだとは思えない(笑)
            

日々波はあるけれど、穏やかな日々と陽ざしの中で過ごしているぶっちゃん。
朝、背中に水を背負うことが、たったひとつの約束。
            

                「蜻蛉のごと点滴の針を愛し」

↑猫友さんラインに添えられていた一句。まさにその身で命を繋ぐ蜻蛉。

            

                ぶっちゃん、今年もお庭に秋が来たよ
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