聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 8章 ペトロ、信仰を言い表す その2

2009年11月12日 | 新約聖書日記
つづき


新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『ガリラヤ湖の付近で活動していたイエスは北のフィリポ・カイサリア地方に退く。イエスの一行はもはや以前のように舟でガリラヤ湖を渡ることはなく、道(ホドス)を歩む。それは最終的にはエルサレムへの道、十字架への道である。
すでにしばしば直接的にあるいは間接的に示されたキリスト論的問題―イエスは誰であるか―がここで初めてイエスから弟子達に問いかけられる。

27節「フィリポ・カイサリア」はパレスティナ北部、ヨルダン川の水源に近く、ヘルモン山の南西の山麓にあった。多産の神パンの聖所があり、パニアスと呼ばれていたが、ヘロデ大王はその近くに皇帝アウグストゥスの神殿を建てた。
ヘロデ大王の子フィリポスは皇帝に敬意を表してその町をカイサリアと名づけ、自分の名前をも付し、地中海沿岸のカイサリアから区別した。周辺の村々もその都市に属していた。

28~29節 民衆のイエス観を背景にして、弟子達自身のそれがイエスによって問われる。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。
原文では「あなたがた」(ヒュメイス)が文頭に置かれて特に強調されている。
ペトロは弟子達を代表して「あなたは、メシアです」と答える。
ここでは、イエスの復活の後に成立した教会の信仰がペトロの口をとおして言い表されている。

「メシア」と訳されている言葉はギリシャ語原文ではクリストス。
クリストスは後に―特に、ギリシア語を話す教会では―固有名詞として用いられるようになったが、本来は、「油注がれた者」を意味するヘブライ語メシアのギリシア語訳で、称号である。
新共同訳はクリストスが称号として用いられている場合はメシアと訳し、固有名詞として使われている場合はキリストと表記している。
イスラエルの祭司、預言者、王は油を注がれた。
メシアはイスラエルの民全体にも、さらにユダヤ人をバビロン捕囚から解放したペルシア王キュロスにも適用されている。
イエスの活動との関連で引用されているイザヤ61・1においては、「貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」神が遣わす者は、神から油注がれた者である。
油注ぎは神への奉仕のための聖別を意味する。
油を注がれた者とは神から特別の課題のために選ばれ、それを果たすための力を与えられた者である。
後期ユダヤ教の多彩なメシア観を背景に、原始キリスト教会は早くからメシア(クリストス)を終末的な救済者イエスの称号のひとつとして用いたが、そのユダヤ教的意味内容はイエスの出来事によって根本的に変えられた。
イエスは、彼の死と復活の中に終末的な救いの出来事を見る教会の古い伝承において、キリストと呼ばれている。

30節 ここでは「あなたは、メシアです」と告白するペトロをはじめとする弟子達を「御自分のことをだれにも話さないように」と戒める。
弟子達がここでこのように戒められているのは、そのキリスト告白がイエスの奇跡に基づいてなされたからではなく、また、その告白の定式が誤りであるからでもない。
問題は告白する者の在り方である。
イエスから自己を防御するために彼に向かって「あなたは神の子だ」と叫ぶ悪霊どもには、イエスへの随従が欠けていた。
ペトロの告白にも受難のイエスへの理解と随従がともなっていない。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
ペトロのように、イエスさまをメシアですと告白しながらも、自分のうちに主イエスを理解し従うということができていない自分を思い、反省します。
思いと行動とが、イエスさまに従えますように。
どうか足りない私をお導きください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン