聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 洗礼者ヨハネ、殺される その3

2008年01月14日 | 新約聖書日記
つづき


新聖書講解シリーズ マルコの福音書 いのちのことば社 を、まとめて。
『イエスに注がれる人々の関心はさらに高まった。
いったいイエスとは誰なのか。さまざまな憶測が生まれた。
ある者はヨハネのよみがえり、ある者はエリヤの再来、他の者はあの預言者であると主張した。
これらはすべて、当時のユダヤ人が待望していたメシヤのイメージに基づくものである。
イエスのうわさを聞いて動揺する者もいた。国主ヘロデである。
彼は以前パブテスマのヨハネを不当に殺害した男であり、そのことで良心の責めを感じていた。
そのためイエスのことを聞いてたまらなく不安になり、「あのヨハネが生き返ったのだ」と言った。
ヘロデは自分が殺したヨハネの影につきまとわれ、自分の罪におびえている。
罪を犯したものは常に不安の中をさまよい、罪悪感に悩むのだ。たとえ権力をほしいままにしている者であっても、人は罪の前にみじめな存在なのである。

次にマルコは、ヘロデの不安を説明する形でパブテスマのヨハネの投獄と処刑について語る。
ヘロデヤはヘロデ大王の孫娘であり、ヘロデの姪にあたる。したがってヘロデはヘロデヤと結婚できない近親であるばかりか、それにもまして妻を追い出し、自分の兄弟の妻であったヘロデヤといっしょになることは絶対に許されないことであった。
それをヨハネは大胆に断罪したために、ヘロデの怒りとヘロデヤの恨みをかった。

ヘロデヤはことばを悪用し、サロメにパブテスマのヨハネの首を所望するようそそのかした。
ヘロデは動揺したが、優柔不断な性格のためにそれを断われず、再び罪を犯し、ヨハネを殺してしまった。
総督ピラトも同じ罪を犯した。
権力者の無責任で優柔不断な決定は、しばしば歴史に汚点を残してしまう。
パブテスマのヨハネの死をめぐって、人間の弱さと醜さが実に見事に描かれている。
私たちも、自分の弱さと優柔不断によって誤りを犯すことのないように、また個人的な感情や恨みによって罪を犯すことのないように、自戒したいものである。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
自分の弱さや優柔不断さで、誤りをおかすことのありませんように。
個人的な感情や恨みで、罪を犯すことがありませんように。
御言葉に従うことができますように、お導きください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン