聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

エステル記3章 その2

2007年08月25日 | 旧約聖書日記
つづき

旧約聖書略解 日本基督教団出版局をまとめて
『「アガグ」はサウルの敵であったアマレク人の王の名であり(サム上15・8~33)、さらに古来イスラエルの宿敵であったアマレク人と結びつく。
したがってハマンとモルデカイの関係は、アマレクとイスラエルの関係を二重写しにする。
王の命令によって役人らは皆ハマンに敬礼したが、一人モルデカイはユダヤ人ゆえに断固これを拒否し、ハマンの激しい憤りを買うことになる。
結果、ハマンはモルデカイだけでなく老若男女すべてのユダヤ人を殺そうと、くじによってその計画実行日を決める。

ハマンは巧妙にユダヤ人抹殺の必要性を王に説く。
彼はユダヤの名は伏せたまま、帝国全土に散在して決して同化せず、独自の法律を持って王に従わない危険な民族があるとして、その根絶を旨とする勅書を作るように王に進言する。
しかも、「銀貨一万キカル」という国家予算の三分の二にも相当する大金を王に献上しようと申し出る。
ペルシアの被征服民政策は概して寛容であったとされるが、ハマンのような人種的偏見によるユダヤ人迫害もこの時代すでにあったことが分かる。』


新聖書講解シリーズ エズラ記・ネヘミヤ記・エステル記 勝原忠明・工藤弘雄著をまとめて
『敵役ハマンの登場である。本章に突如として登場する「アガグ人ハメダタの子ハマン」なる人物は、
ユダヤ人の伝承とヨセフォスによれば、彼はアマレク人の王、アガグの子孫であった。
アマレクといえば「主は代々にわたってアマレクと戦われる」とあるように、代々にわたってユダヤ人の敵であった。
またアガグといえば、あのサウル王の失敗を思い起こす。
彼は主のことばに従わず、敵王アガグを生かしたままにしておいた。こうしてサウルは、神の言葉を捨てたことにより、神に捨てられ、ついに悲惨な滅びの谷底へ転落していった。

モルデカイがハマンにひれ伏さなかった理由は何であったか。
この世の権威を鼻にかけるハマンにおもねることのできない彼の見識の高さからであったろうか。
しかしそれだけではない。
ここで見落としてはならないことは、「モルデカイは自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである」の一節である。
つまりモルデカイは個人的理由からというよりも、彼がユダヤ人であったが故にハマンにひれ伏さなかったのである。
このことは、エステル記を理解する上で、非常に重要なことである。
ここでの「ひれ伏す」という行為は、王たちに敬意を表すという当時の一般的な行為とは別の、唯一神信仰の否定につながる宗教的行為であった。
ハマン自身も、このことを一番よく知っていた。
だから、単にハマンに対するモルデカイの個人的な感情が理由ではない。
それだけなら、自分の行動が、同胞の危機につながることを知りながらあえてその姿勢を崩さないということはなかっただろう。
だから、ハマンはモルデカイの個人的な敵ではなく「ユダヤ人の敵」だったのである。
ユダヤ人の敵はすなわち「神の民の敵」である。
神の民の敵は、結局は「神の敵」である。
今や、ハマンの背後にちらつくサタンの姿を見据えなければならない。
神とサタンとの激突が今まさに始まろうとしている。』

つづく