![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/8d/df913105361bc89c6eedf4a773d5f93c.jpg)
もはや
プロレスゲーム話よりも
こちらがメインと
なりつつあるような
『戦国立志伝』プレイ日記。
睡眠削って
やっちゃったりしてます。
これはイカンですねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a4/89e78bbc3696623d76cc1de96c5d07ff.jpg)
今回はいよいよ
満を持しての
伊達軍の武将での
プレイとなります。
楽しみは後の方に
とっておきたい
タイプなんですよね、私。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/8a/8b029d78ec5c8a8b6761621ec18b5a22.jpg)
独眼竜こと伊達政宗は
トップクラスの
パラメーターに加えて
強力な特性の
「独眼竜」を持つ
優秀な戦国大名。
そんな政宗の配下には
"智"と"武"、
それぞれの面で頼れる
右腕と左腕がいるのは
皆さんもご存知でしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/86/325b43f25bcbc3fa7190e6746d5f2749.jpg)
"智"の面で
政宗を支える片倉小十郎は
伊達軍の参謀的な存在。
知略92が光ります。
政宗ほどではないにしろ
かなりのオールラウンダーです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/bd/497bb7482fa0cf65df866fdb42cec8a6.jpg)
伊達軍一の
武勇を誇るのは
成実と書いて「しげざね」。
カブトに付いた
毛虫の前立ては
ちょっと不気味ですが
戦の強さと趣味の悪さは
何の因果関係もないので
心配ご無用!?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/03/161042b76a0dcea61c72d5d9760f9d67.jpg)
そんな伊達の双璧に
この鬼庭綱元を加えて
"伊達の三傑"なんて
呼ばれてたりしますが
小十郎や成実と比べて
どうにも印象が薄いのが
綱元なんですよね。
見た目は
モブ顔っぽいですし
能力値もこんな感じで
2人と比べて
光るところがないですし・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ab/2f2d09385b4a014941fe0d90c7c4844e.jpg)
そんなところが
逆に気に入りましたので
1584年のシナリオを
綱元で遊んでみる
ことにしました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/6e/c7895827e27fe526d15d3044a173e70e.jpg)
序盤はいつものように
自分の領地の内政に
専念しながら
政宗、小十郎、成実らと
親交を深めていきます。
政宗のこのツンデレ感、
嫌いじゃないですよ(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/7f/993b19d2c66af9f228d2137951516cda.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d8/ec5ffea34bba8a98f05059f8e6bc4ae2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ab/de08a088c2750bc29765f9590bd73173.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/cd/9f58462f63e5dd2803a9de01eb07a895.jpg)
ただ、いつもと違うのは
内政をしている間に
伊達軍の領地が
ドンドン広がっていくところ。
政宗が好戦的で
強すぎるのか、
それとも周囲の大名が
あまり強くないのか・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/63/689783503dc5dd316a8a373804c35680.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/2a/4967834f1bcb04e4767dd0221ce8bde7.jpg)
城主を任されるまで
それほど時間も
かかりませんでしたし
城主としての目標達成も
何もしないうちに
政宗が城を落としている
こともあり
序盤は見せ場もないまま
立場と名声ばかり
上がっていきました。
伊達軍は・・・
ダテじゃない!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/aa/e6851680dd60142161288608d95bfdcb.jpg)
伊達軍が南と西へ
領土を広げたのに対して
同盟国の最上家が北への
北海道の方へ、
北条家も北上し
茨城、栃木、群馬の方へ
勢力を伸ばしたことで
勢力バランスは
こんな感じになりました。
中部地方は徳川家が
ほぼ制圧しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/4d/5f0956749d2d7d87a37dbf3ca6a5b8b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/04/830b0edc55d15266046c4cf6d8bca777.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/8a/a13b7c32821dbb4ee97ccc5710b6f190.jpg)
ならば伊達軍の
取る道は一つ。
北の最上家との
友好関係を続けながら
南の北条家と戦い
関東を制圧するしか
ありません。
北条家には
佐竹義重や真田幸村ら
歴戦の猛者たちもおり
かなりの苦戦を
強いられましたが
北条家に不満のある
義重は引き抜きに成功、
中部の上杉家を打倒し
関東に侵食してきた
徳川家と挟み撃ちする
形となったこともあり
20年近い戦いを経て
ようやく北条家を
滅ぼすことが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/a1/7d0cd3d5b88773e3e3674d8a2dcb3780.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/cf/3e46a8563fa1a646649d298488132d7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/57/dde987a1d11ce0803f64b55239766dea.jpg)
決して自らは
戦が得意なわけではない
綱元ですので
自己鍛錬だけでなく
他の武将と友好を深め
特性を教えてもらったり
時には捕らえた武将を
泣く泣く斬り
特性をいただくことも
必要でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c0/dc30f9e86f839d06d4e2f37d3f0f2a18.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d5/f196411b5aa86bbcda0ddda1424b2495.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/96/acf860b987a932d8a4ca92c771124597.jpg)
東北北側~北海道は
同盟国の最上家が押さえ
東北南側~関東は
我が伊達家、
中部、近畿地方は徳川家と
わかりやすい構図で
政宗から下ったのは
徳川家攻略の指示。
最上家との関係を
維持しつつ
徳川軍との戦いに
全戦力を傾けるのが
定石と考えた私ですが
主君・政宗の野心は
もっと高みにありました。
政宗は
軍団長の綱元と
腹心の小十郎に
徳川家打倒の
指示を出しながら
同時に自身は
最上軍との同盟を破棄し
北征を開始。
「最上はオレがやるから
徳川はオマエが
なんとかしろ」と。
さすが独眼竜・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/79/0d6e85f577958934e69ef43b48538b31.jpg)
まずは
関東に点在していた
最上家の所領を奪い
神奈川、静岡経由で
家康の本拠地、
愛知を目指す
我らが綱元の軍団。
真田幸村と佐竹義重を
味方に加えた
我が軍団ですが
天下人・家康の力は
やはりすさまじく
東海の方では少しずつ
勢力を伸ばしながらも
北陸・中央高地は
支配されていく
一長一短の攻防が
続きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/1a/cdb73ca92837f27715b3c297982f16e4.jpg)
浜松城を巡る戦いは
30近くあった
すべての拠点から
兵を動員して戦う
総力戦となりました。
史実では大坂の陣があった
このタイミングで起きた
天下分け目の大戦で
大活躍を見せたのは
日ノ本一の兵、
真田幸村だったことには
なんだか不思議な縁を
感じましたねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/36/8e3f7d12f3a627077221ce40c0ff0214.jpg)
幸村とともに
綱元を支えてくれた
佐竹義重は他界しており
その役割は息子の義宣へと
引き継がれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d5/943adeecdf79ea6ef7dcbb577050ab11.jpg)
この2人と同じくらい
力になってくれたのが
元・北条家の
甲斐姫こと成田甲斐。
随分と強くなりました。
嘘みたいだろ?
49歳なんだぜ。
これで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/44/da0cc900cb159ba63125f26256d43886.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6a/7654fc8917a4dc76fa65b86708ee0ddd.jpg)
静岡を押さえて
いよいよ家康の
本拠地まであと一歩!
・・・というところで
家康が天寿を全う。
伊達軍としては
これ以上ない追い風ですが
私としては
家康とガッツリ
やり合いたかった
気持ちもありましたので
内心フクザツ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ba/08127c0f49088ad9367d004f34cea7ae.jpg)
・・・とはいえ、
千載一遇のチャンスを
逃すわけも無く
東海地方を押さえた
我らが伊達軍は
ついに近畿地方に進出!
「上洛じゃ~!!」
ダメ押しとばかりに
関西の豊臣家と
同盟を結んでの挟み撃ちで
徳川家壊滅を狙います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/0e/59e9ecfb7a1a74c7c38ab2dcac942cf4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/68/894e5452e65ec5c22100f0899b7df78b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/62/12ddec1af86a6e0d75f075766eb4ec1b.jpg)
1620年12月、
二条御所を押さえて
惣無事令を発動し
伊達家が天下を統一。
東北から京を目指す
36年間ものプレイは
激動そのものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/75/4d587d7dc065d31e2c1bcbf006d64f51.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/f4/1d4a3447f402f5ba325528a1fdaf0684.jpg)
天下統一時の
綱元の能力値はコチラ。
統一目前で他界した
片倉小十郎に代わり
筆頭家老としての役割を
果たすことができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/42/49792a52d7f586e16af02fd9b41c165d.jpg)
天下人となった
政宗の能力値は
ご覧の通り。
・・・圧巻の一言。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/2b/ca85780a05615b736b39a180946ae362.jpg)
伊達軍の武将を
名声値の順に並べたのが
コチラです。
ちなみに三傑の1人、
伊達成実ですが
画面には映っていませんが
名声4で幸村や甲斐姫と
同列になっています。
北征が上手くいかず
あまり伸びませんでしたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/03/161042b76a0dcea61c72d5d9760f9d67.jpg)
"伊達三傑"に
数えられながら
他の2人に比べて
やや華やかさに欠ける
鬼庭綱元でしたが
今回のプレイでは
堅実かつ根気強く戦い抜き
政宗の天下統一に
貢献することができました。
90歳まで生きたという綱元、
その最大の武器は
粘り強さだったのかも
しれないですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/9b/5676a403828b11f1ada844a05e0d9ceb.png)
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