一燈照隅

日本が好きな日本人です

秋季例大祭

2007年10月18日 | 日本の戦後
昨日から靖国神社の秋季例大祭が行われています。
この時期、全国の護国神社でも秋季例大祭が行われます。
今日は国会議員67名が靖国神社に参拝しました。
本当ならもっと出来るだけ多くの保守系議員に参拝して貰いたい。
そして、天皇陛下が靖国神社に御親拝できるように政治家はしっかりして貰いたい。


 
十月三十一日、天皇、皇后両陛下の記者クラブ御引見の席上、ロンドンタイムズの中村記者が、陛下の「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」といふ御言葉を引用しながら、「このことは陛下が開戦をふくめて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味に解してよろしゅうございますか」といふ質問を発した、耐へがたいおもひに耐へ、すべての責めを一身に背負ふてこの三十年を生き抜いてこられた陛下の御苦衷を御偲びするとき、それはまことに許すべからざる発言であつた。
だが、この質問の中でもう一つどうしても腑におちないことは、この記者が戦争開始の責任は日本にあることを当然のことと考へてゐるその発想である。たしかにこの記者にかぎらず、新聞一般の論調の中では、開戦の責任はすべて日本にありといふ考へは、牢固としてぬきがたいもののやうに思はれるが、一体それでいいのだらうか。
インドのパール判事の、
「もしハル・ノートのごときものをつきつけられたならば、モナコ王国や、ルクセンブルグ大公国の如き国さへも、武器をとつて立ち上つただらう」(パール判決書)
といふ言葉も一般に知られてゐるはずであるが、今のところ誰一人このことを問題にする者はゐない。

真珠湾が、当時ナチスの急追によつて窮地に立つていた欧州に、アメリカを引きこむためのオトリであつたといふ説も詳細に報道されてゐるし、さらには真珠湾攻撃の知らせをうけたイギリスの首相チヤーチルが、「感動と感激の気持で胸が一杯になり、ベツドに行き、救はれ感謝に満ちた気持で眠りについた」(第二次大戦回顧録)といふのも記録に明らかなところである。このチヤーチルの言葉などは、開戦前後の真相を究明する上での極めて重要な資料であらうが、これもまたさして人々の関心の対象にはならないやうである。

そしてたゞ日本の犯した誤ちを世界に詫びなければならぬ―さういふ議論だけが、圧倒的に日本の言論界を蔽ひつくしてゐる。その判断の基礎をなすものは、いふまでもなく東京裁判における判決であつて、それが戦後の日本の思想界を決定的に左右してしまってをり、その呪縛はいまだにとけようとはしない。といふより、最近の戦争責任論においては、むしろ一頃にもまして固定化された観さへあるやうである。だが、パール判事の手になる判決書はいふまでもないが、例へばアメリカのローガン弁護人でさへ、「日本は挑発せられて自衛戦争に立った」と題して、次のやうに述べてゐるのである。

「ABCD諸国は完全なる軍事的及び経済的包囲を二つともつくっていた……経済戦争は頑強に不断に圧縮され、時とともに、より効果的、蹂躙的になったので……もしそれが続けられたなら、それだけでも、日本を滅亡させたかも知れなかったのである。日本の人々はそれを知り、それを信じ、それを信ずる理由を有し、そして彼らは自身のために行動したのである。……
彼らは日本国を愛した。そして彼らの決定は、祖国にとっても生きるか死ぬかの決定であった。彼らは祖国を愛した。そして決定をしなければならぬ地位にあった。われわれはこの裁判をされる方々に彼らの立場に立って考へていたゞきたいと思う。その立場に立ったら、愛国者として、あなたたちは一体他のどのような決議をすることが出来るだろうか。……もしその決定が犯罪的意図からではなく、祖国を護持するのに絶対に必要であるという強い信念と愛国心の動機からなされたならば、われわれはそれが犯罪であるとして、法廷で裁きを行うべきではないと申し立てる。
      
     ○

このやうなことは、歴史にすなほに接してさへ行けば誰しも納得できる当然のことなのだが、その当然のことがどうしてか日本では全く通用しないやうになってしまつた。それには日本の過去を抹殺することを第一の戦略目標にする革命思想家たちの執拗な動きがあることは勿論だらう。だがそれにもまして大きな要因は、日本人が歴史をふりかへる時に、事実そのものにつきあはうとはしないで、歴史を予め作られた図式にあてはめて見るやうな習性がしみこんでしまつたからではなからうか。

現実そのものは複雑に入り乱れて果てしないものだが、その複雑さを煩はしく、手に負へないものと感じて、前もつて与へられた「歴史を見る尺度」に安易に頼らうとする。それは精神の硬直化と呼んでもいいし、怠惰と呼んでもいい。戦勝国が正義の味方で、戦敗国が犯罪者だといふ、子供にでもわかるドグマにいつまでもかゝはりあふのは、そのドグマに頼ってゐる方が、余計な苦労をしないですますことが出来るからなのだらう。だから、たとへその尺度にあはない事実があつても、それには目をつぶらうとするし、一時それに心を動かされるやうなことがあっても、心の針はいつの間にかもとに戻つてしまふのである。

さらに考へられることは、これまで東京裁判の尺度で善悪を判断するのになれきつた頭には、もしその尺度がとり外されると、一体何が善か悪か、その判断の下しやうがなくなるといふ事情もあるのだらう。

これまで戦争の一切を悪ときめつけ、それを全面的に否定し糾弾することが正義であると信じきつてゐたところに、その大前提を外さなければならないといふ事態になれば、これまでの倫理観の土台がゆさぶられてしまふ。人々はその煩はしさに耐へきれず、大前提に疑問をいだくそのことが、すでに反動であるときめつけて、依然として善玉悪玉の論理に固執するのだ。かうして人々は、愛僧違順、さままざまに入り乱れる人生の全体像を見る目を失ひ、歴史をさながらに蘇らせる力を失つてゆく。このやうないはゞ「文化の衰弱現象」が、又逆に束京裁判の呪縛を容易にする下地をつくつてゐるのである。この果てしない悪循環、われわれはそれをどうにかして断ち切り、日本人本来の瑞々しい心をとりもどさなければならない。

天皇陛下に戦争の責任があるなどといふ許しがたい論理に対しては、当然徹底した批判が用意されるべきであるが、それに気をとられるあまりに、その論議の前提になつてゐる「日本の国が戦争の責任をとるべきだ」といふ考へそのものを、もしも肯定するやうなことがあれば、とりかへしのつかぬことになることを知らなければならない。

一切の国際法を無視して、東京裁判のためのみの条例を施行し、それを至上命令として行はれた裁判、「ここは日本を裁く法廷であって、連合国を裁く法廷ではないので、連合国側の違法を立証することはすべて本裁判に関連なきものとして却下する」として、連合国側の違法行為に対しては一切ノータッチで行はれた裁判、まさに裁判に名をかりて復讐をほしいまゝにしたやうな、私刑(リンチ)にも等しい裁判、この裁判の判決を金科玉条とするがごとき愚をくりかへしてをれば、日本の精神的自立を達成することは永久に不可能であらう。(昭和五十年十二月『国民同胞』第百七十号所載)
「戦後教育の中で」小柳陽太郎著 国民文化研究会
*太字管理人






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4 コメント

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戦後レジーム (小楠)
2007-10-19 08:28:15
戦後レジームの根源の一つ、東京裁判の茶番劇。
そしてGHQ発表の「太平洋戦争史」と真相箱。
これらは日本人の日本精神を破壊してしまいました。
私は今のリベラルを東京裁判症候群と名づければ
よいと思っています。
今、拙ブログでは徳富蘇峰をご紹介していますが、
次には東京裁判の弁護側資料を掲載する予定です。
何とかこの茶番から多くの人々が目を覚まして欲しい
ものです。
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Unknown (まさ)
2007-10-19 23:07:56
小楠さん。
講和条約発効以後も占領政策は今も続いていますね。
それから目を覚まそうとしない。
目を覚ますには巨大な衝撃が必要です。
それがどんな衝撃か…。

東京裁判未提出却下資料の記事拝読させていただきたいと思います。

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初めまして (mugi)
2007-10-20 00:25:04
こんばんは、初めまして。
ハハサウルスさんのブログを見て、彼方のブログを知り、コメントをTBさせて頂きました。

ロンドンタイムズに中村記者という名の者がいたのは興味深いですね。
つまり、日本人若しくは帰化した在日ということになりますが、たとえ前者でも英国メディアの犬であるのは変わりない。
英国もまた反日国家であり、事ある毎に侮日報道で知られます。英国人の狡猾な所は、裏切者や内通者を徹底駆使出きる事ですね。個人的にインド、中東史に関心があるので、連中のやり口は現代に至るまで変わりないと、つくづく認識させられます。
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Unknown (まさ)
2007-10-20 22:41:51
mugiさん。
初めまして。
英国に限らず西欧諸国は今もアジア、アフリカ諸国を利用しようと考えていると思います。
インド、中東は英国の植民地でしたね。
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