一燈照隅

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「すぐそこにいる誇るべき人々」

2012年09月01日 | 日本の戦後
8月15日敗戦の日、護国神社に参拝し、住之江会館ホールで行われた「戦没者追悼記念講演会」に参加してきました。

今年の講師は、「太平等戦争最後の証言」三部作の著者門田隆将さんで「若き兵士の最後の証言」と題して講演されました。

門田さん著作の「太平等戦争最後の証言」三部作からの裏話や本に書けなかった事を話され、ときおり涙をすする音が会場内から聞こえました。

太平洋戦争では三一〇万人の日本人が亡くなっています。そのうち大正生まれの二〇〇万人が戦死しています。
太平洋戦争の主力はこの大正生まれの人達でした。

圧倒的火力に勝る連合軍に、ひたすら「突撃」を繰り返し戦いました。

日本が戦後焼け野原の復興から、奇跡と言われる高度経済成長を遂げたのは、大正生まれの人達が経済社会の戦場でひたすら「突撃」を繰り返したからです。

門田さんによれば、バブル崩壊後不況が今も続いているのは、この大正生まれの男達が現役を引退したことが原因だと言われました。
平成元年に大正十五年生まれの人は六十三歳、大正十五年生まれの人は七十七歳になっています。

「太平等戦争最後の証言」三部作を書いたのは、これらの人達が数年すると亡くなり二度と話を聞くことができなくなります。それまでに、この誇るべき大正世代の事を残したかったとのことです。


太平洋戦争を選んだ理由は何でしたか。
一番は大正世代を考えることでした。大正生れの、男性は千三百四十八万人いて、そのうち二百万人が戦死した。およそ七人に一人が亡くなっています。戦国時代にもこれほどの過酷さはありません。戦争の主力であり、また最大の犠牲者だったのです。
生き残った大正生まれの人々は今度は日本の復興、高度経済成長のためにがむしゃらに働き、敗戦から立ち上がる原動力となった。
世界からエコノミックアニマルと呼ばれてもひるむことはなかった。彼らは戦後も「突撃」を繰り返したのです。
辛抱強く、黙々と働き、戦争に負けているから言訳もせず、過去も語らない。「恥」を教えられているからです。だから私は大正世代を「すぐそこにいる誇るべき人々」と言っている。この世代の分析によって日本の奇跡の復興の背景も見えてくると思う。戦争の渦中にあった大正世代を捉えることで今日の日本を考えようとした。
(平成二十四年八月十一日東京新聞)









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