一燈照隅

日本が好きな日本人です

償いは済んでいる

2009年04月19日 | 日本の戦後
先日、上坂冬子さんが亡くなられた記事を見かけました。
七十代という年齢を考えれば残念でしか有りません。
ご冥福をお祈り申し上げます。

上坂さんが戦後五十年に、戦犯として処刑された方と、その遺族の方々を書いた「償いは済んでいる」を本棚から取り出して久しぶりにページを捲ってみました。
戦後五十年にあたる平成七年は、国会で謝罪決議が行われ村山談話が出された年です。
上坂さんはこの謝罪に対して非常に憂慮されていて「償いは済んでいる」と題して出版されたのだと思います。
以下にプロローグとエピローグからの抜粋を掲載します。


戦後五十年にさしかかったころから、日本の戦後補償問題がしきりに取り沙汰されるようになっています。
なかには日本がいかにアジアで悪事を働いたか、しかもそれに対して何の償いもせず、いかに罪の意識に欠ける国民であるかと口走る人もいるようです。
しかし、戦争というのは何の償いもせずに済ませられるような簡単なものではありません。
五十年といえば長い年月なので、日本が戦争直後に戦勝国のいうなりにお詫びや償いをさせられてきたことを忘れてしまった人がいるのでしょうか。あるいは若い人のなかには、自分が生まれる前に日本がどんな思いで償いをさせられたか知らない人がいるのかもしれません。
忘れた人は思い出し、無知な人は勉強すべきです。
日本はかけがえのない人の命をもって、戦後にお詫びや償いを済ませてきました。
何よりの証拠に、戦犯絞首刑終了と引き換えに、戦勝国はサンフランシスコで平和条約を結んだではありませんか。
東京駅丸の内側に下りたら、駅を背にして正面左手を見てください。駅前の植え込みの木の間がくれに、天に向かって両手をさしのべている男子の銅像(口絵写真)があるのに気づくでしょう。
日本が独立してから戦犯の遺書を集めて『世紀の遺書』(講談社、絶版)を出版し、その売上金で建てたものです。いつかこの像のいわれを考え、像に込められた思いをしのぶ人があるようにと、本の出版に関係した人々が建てました。
戦後について語るとき、戦争の償いとして命を奪われた人がいること、そしてその妻や子が銅像にまつわる思い出を胸に秘めたまま日本の各地で暮らしていることを、見落としていいはずはありません。

外地では中国・上海、あるいはシンガポール・チャンギー、その他南の国々や島々の片隅で裁判とは名ばかりのあわただしい裁きを受けて処刑された人々がいますから、すべてを合計すると千六十八人の方々が平和になってから命を奪われたとされています。
長い間、戦争犯罪人とか戦犯裁判など英語の直訳がそのまま使われてきたので私もうっかり同じ言葉を使いましたが、私は戦犯を俗にいう犯罪者とは思わないし、あの裁判も裁判とは認めません。
なぜなら、戦犯といわれる人が敗戦国にだけいて、戦勝国に一人もいないというのが納得できないからです。また法廷では裁く側に戦勝国の人々がズラッと並び、被告席に座ったのは敗戦国の日本だけだったからです。
勝ったほうも負けたほうも同じ位置に並び、中立国が善悪を判断する立場についたときに、はじめて公正な裁判の形が整ったといえるのです。勝ったほうが負けたほうを裁くのは、裁判ではなく腹いせであり報復だと私はいまでも思っています。


三十五年前の安保反対騒動さえ知らない人々が社会の中堅になっているいま、若い人が戦後のことを知らないのは無理ないと思います。でも、だからといって敗戦からサンフランシスコ講和条約が結ばれるまでのことを忘れていいわけはありません。
いま、そのことを無視したかたちで、日本が相手かまわず一方的に戦争をしかけ、あげくの果てに何の償いもせずのうのうと経済大国に君臨しているかのように認識するのは、不勉強による誤解です。
他人の認識がまちがっているからといって周囲から口をはさむことはないかもしれません。しかし、まちがった認識が世論としてまかり通ったとすれば、戦争の償いとして命を捧げてきた人々とその妻や子の存在はどうなるのでしょう。


五十年前、日本の状況もアジアの状況もいまとまったくちがっていました。いま日本もアジアも見ちがえるほど豊かになっています。この楽な状況に身をおいて五十年前を振り返りながら、あのとき大虐殺があった、このとき従軍慰安婦がいたと問題をつまみ出すばかりでは、肝心な大きな流れを見落とすことになりかねません。
そもそも戦争に人道を求めるのがまちがいで、戦争となれば負けているほうはもちろんのこと勝っているほうも集団ヒステリー症状となります。いま平和でおだやかな時代に身をおいて五十年前を振り返りながら、このスキャンダルに反省を、あのスキャンダルに補償をとつまみ上げることにどれほどの意味があるというのでしょう。こういう形での追及とお詫びをサンドイッチのように繰り返していけば、行きつく先に夢のような平和な世界がひらけると考えているとしたら、浅はかというほかありません。


戦後五十年にちなんで、過去の日本がワルだったから国民はすべて反省しろといわれても、私としては反省ザルのように頭を下げる気になれません。過去の日本が犯した過ちを、自分は生涯の恥として心に刻むという立派な人もいますが、私には立派すぎて思い上がりにさえ感じられます。普通の人間は自分が罪を犯した場合は大いに恥じ、自分の責任において徹底的に償うでしょう。しかし自分の関与していない罪についてまで詫びるような、不誠実なことはできません。国家の過ちは国家間で政治的あるいは経済的に解決すべきで無名の個人の良心とはかかわりのないことです。むしろ私としては、ここで国家の責任と個人の良心とをこちゃまぜにすべきでないといいたいのです。

ついでにふれておくと、日本が負けたのは次の十一カ国に対してでした。

アメリカ・イギリス・中華民国・ソ連・オーストラリア・カナダ・フランス・オランダ・ニュージーランド・インド・フィリピン

いうまでもないことですが、韓国は戦勝国の中に入っていません。ですから従軍慰安婦問題に関して同じように日本に戦後補償を求めてきても、オランダやフィリピンと韓国とでは立場がちがうのです。こんな点すらも、こちゃまぜにしながら戦後補償が論じられているのではないでしょうか。どちらにしても五十年前の補償問題は国と国との間ですでに解決しています。
侵略論議や補償論議を交わすなとはいいません。しかし、大事な点がこちゃまぜだったり、見落とされたりしているのを私はただしたいのです。
くどいようですが、四十五年前に、償いは済んでいます。
日本社会の底辺で名もなく貧しく生きてきた人々の命と引き換えに、平和への調印が済みました。戦争の償いとして夫や父の命を奪われた人々が黙って耐えているからといって、あのときの"いけにえ"を無視していいはずはありません。
すでに私は戦犯として処刑された人々とその周辺に関して、私なりに調べた事実を何度も出版しています。
『巣鴨プリズン13号鉄扉』(中央公論社より一九九五年六月に復刊予定)
『貝になった男-直江津捕虜収容所事件』(文芸春秋)
『遺された妻ーBC級戦犯秘録』(中央公論社)
『生体解剖-九州大学医学部事件』(中央公論社より】九九五年六月に復刊予定)
これらの著書にくわしいことが述べてありますから、本書で物足りない裁判の内容に
ついては上記の四冊を参考にしてください。

繰り返していいましよう。
戦後補償を論ずるなら、敗戦から講和条約締結までの問に敗戦国が戦勝国から受けた報復の事実と、いわれたとおりに日本が済ませた償いの事実を見極めてからにすべきです。
そして、もし日本が国際社会に向かって不戦決議をするなら、まず何よりも不公平な裁判によって戦争"犯罪人"と位置づけられてきた名もない国民の名誉回復を決議するのが先決だ、と私は考えます。

敗戦五十年目の春

上坂冬子





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1 コメント

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同期の桜 (70代の青年)
2009-04-20 17:01:32
同期の桜を見る思いで上坂さんの文章を何時も読んで居ました。
戦前・戦中・戦後を生き抜いた人にとっては現在の100年に一度?の悲惨?が理解出来ないでしょうね。

現在の日本は「東京裁判」で日本人の戦後の特権階級が生きるに便利なものをフルに応用して国民を騙し続けて来たと考えています。

日本の当時の状況を知れば戦争は避けて通れるものでも有りませんでした。多分戦争をしないで生き延びれば今日の日本でも有りません。

完全にあの時点で現在の平成21年と同じ状況に日本は置かれたと思います。アメリカの僕、そして歴史も語れない民族に転落していたのでは無いでしょうか?

未だ遅いと言う事は有りません。日本人は本当の歴史を教わる権利も、教える義務も双方が欠けて居ます。上坂さんの歴史と書物を若い人が読んで欲しいものです。

話は変わりますが民主党の鳩山幹事長が「日本列島は日本人だけのものではない」発言には怒りを通り越して「笑うに笑えない」気がして居ます。

古代からの日本人が血を流し・汗を流し・泣き笑い・働き・今日の日本を築き上げた歴史を平成に生きる人間が「日本人のものでない」誰がそんな事を許しておけるのでしょう。

コンなバカが幹事長をやってる「民主党」何を言おうが許せません。
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