曽祖父母の出身地 丹波へ訪れてみた。
曽祖父は明治15年、曽祖母は明治20年生まれ。
明治時代は宿場町として栄えていたので、人口の流入もあり、曽祖父母の親の代から近隣農村からこの宿場に移り住んだようである。
地租改正で僅かながらの田畑を売らなければならなかったか、あるいはもともと持っていなかったか。
貧しい農民が日雇い的な仕事を求め、宿場町に流れてきた。具体的にどのような仕事をしていたのかはわからない。
が、多分今では想像できない苦労をした事であろう。しかし、その時代はそんなものだったろうから、苦労と思わず楽天的に過ごしていたんじゃないかな。
住居もとりあえず雨露凌げて、冬の寒さから身を守る程度だったかと。しかし、たぶんそれなりに収入はあり(曽祖父とその父で稼いだはず)まぁまぁ食べれたのではないだろうか。
曽祖父は長男だったので日清日露戦争にも徴兵されなかった。曽祖父の下にふたり弟妹がいたが子供時代に亡くなったようだ。それを考えるとやっぱり過酷だったのかな。
曽祖父母はほとんど10代で結婚して、それは明治時代でも早かったと思う。 もしかしてできちゃった結婚とか?
今は美しい山間の集落だ。人少なく自然は多い。 あくせく働く人も見かけず、時間が非常にゆっくり流れている。
しかし、この宿場で一生を終えるなどとは曽祖父母は考えたくなかった。田畑も持っていない。
明治後期になれば鉄道が普及し、人力や馬や牛での物流は衰退していく。
明治の終わりに一家でさらに大都会へ出て行く決心をする。鉄道に乗って新しい地へ行こうと思った。
最寄り鉄道の駅まで二里ほどだ。
何をどう考えて、そういう決心をしたのか。でも先祖代々わりと楽観的な性質なので 案外考えてないかも。 都会へ出て住むところに事欠くほど苦労したようだ。
その後、上手く商売を興し、その繁盛ぶりは私も嫌というほど聞かされたほど自慢だったらしい。(それまでの生業については一切伝わらないほど)
わたしは商売が成功した後よりも、その前に暮らしの方が興味がある。
明治時代の暮らし。何を食べ、どんな暮らしで、どんな事を考えていたのか? ドラマになる明治時代の主人公は皆裕福だ。しかし、ほとんどの人は裕福ではなかったはず。
明治時代の写真を見ると驚くことがある。
たくさんの子供が子供を背負っている。小学校すら行けてない子もたくさんいた。
曽祖父母も祖父母も、両親がちゃんといたし、愛情もたくさん注がれた家庭で育ったらようだ。裕福ではないが幸せなほうだったに違いない。
明治時代初期から中期に生まれた人は、田畑を相続した人はそこでそこそこに暮らせるが、そうでないものは商売を興すしか成功の道はない。 教育も受けてないので公務員になったりすることも不可能。 奉公人か土木などの日雇い労働者で終わってしまうこともあっただろう。
曽祖父母は身体を酷使したのか、当時の医療ではどうにもならなかったのか双方54歳で亡くなっている。現代なら早すぎる。
現代より職を求めるのはかなり困難な時代。その中で必死にもがいてきたご先祖を思うと現代の私の悩みなど 屁のようなものだと一笑されるだろう。
しかし、令和は令和で別の苦労もある。物質的には恵まれた生活ではあるが、精神的ストレスが多すぎるようだ。それについてはまた別の機会に。