われわれはいま 避難者としてたくさんの物質的支援と精神的支援をいただいております。
人はこの世で
苦難(苦労)を乗り越えた対価として
物質的なるものを享受するものと
精神的なるものを拝受し
満足し 充実感を味わうものとがあります。
両者を受けるに越したことはありませんが
物質的なるものの対価が多ければ多いほどに
精神的なるものの喜びを忘れ
ついに物欲のとりこにおちいり
身を救うどころか
物質的価値観を通して この世を見通し
気付いたころには すでにおそく
見損なったままの眼鏡で
終焉(しゅうえん)を迎えることになり兼ねません。
まして
物質的価値なるものが
次第に両の手から落ちこぼれてしまえば
後は 何も残ろうはずがありません。
ところが 精神的なるものでの対価は
しらずしらずのうちに
身のうちをひとまわりもふたまわりもおおきくさせ
心の土壌(:肚)にまで生かされ 守られていることの喜びで
積み重なり
心を心して鋤(す)き耕し
次から次へと波紋が広がり
その効果は
自らの日々の仕草(しぐさ)や態度
そして 顔の表情に及んで行くことになりましょう。
(佐竹龍心)
身の回りの物がなくなった自分に
貸していただいたものなど
「ありがたい」
そう思えました。
でも、自分の物が増えたら
どんどん以前の自分が出てきて
自主避難先の平凡さにすっかり天災前の自分です。
皆さんが何か買ってくださると
大切なお金を使わせて・・・
人の世話にならないと生きていけない自分・・・
哀れみ・・・を受けているようで・・・
私という人間は。。。
弱さまるだしです。
お元気ですか。
今朝(5:30-6:30)の気功のとき こんな話をしました。
むかし お百姓さん(私の父親たち)は よい種籾(たねもみ)を選別するために 大きな桶(おけ)に水を満たし その中に塩を入れました。
その中に種籾を入れると
軽い(生命力のない)種籾は ・・・ 浮き
重い(生命力のある)種籾は ・・・ どっしりとそこに沈んでいます。
そして 浮いた種籾は捨てられ
どっしりとした種籾は苗代(なわしろ)に播かれ 芽を出し ・・・ 新たないのちとなります。
厳しい環境(塩分の濃度が高い)のときこそ どっしり(気沈丹田)としていて下さいな。
まさに 浮沈に関わることです。
賢い貴女なら 私が何を伝えたいのかわかりますね。
避難生活は学びの場ですよ。
ご家族を大切に。
龍心
この写真も素晴らしいです。春の木漏れ日、うもれびと言うのでしょうか。心落ち着く写真です。
私のパソコンに取り込ませていただきます。ご了解くださいませ。
避難された皆様が平安であることを心より願っております。
ありがとうございます。
写真のことは全くの素人で ・・・
しかも 被写体は 避難所の庭や周辺をうろうろして写すだけです。
また 今は戻れない拙宅の庭で写したものです。
見ていただけるだけで嬉しいです。