負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

先が見えないつらさ ・・・ 

2011-06-06 13:51:47 | 原発震災避難者




本日(6日)付「新潟日報」のある記事に挿入された地図で

南相馬市が

鹿島区 ・・・ 一部緊急避難準備区域

原町区 ・・・ ほぼ緊急避難準備区域 (普通に生活が可能)

小高区 ・・・ スッポリ「警戒区域」

を区分し 明示されていました。


今まで新聞・テレビで 南相馬市とひとくくりで報道されることに

大変不満を感じておりました。



最近 第一次入居があった応急仮設住宅は

かろうじて半径30キロからはずれた鹿島区です。


まして 増設されている次の応急仮設住宅は

鹿島区の このたび津波の水がきたギリギリところに建設されている

と聞いています。



私が育った実家は「小高区」の海岸近くで

甥が跡を継いでおりましたが

今は 家屋はもとより 田地田畑は流され

・・・ すべて なくなりました。


我が家も小高区で 原発から約14キロの「警戒区域」内です。


日程は国が決め 対象者は一週間前に知らされる一時帰宅すら

・・・ いまだ 実現しておりません。

「警戒区域」は とくに不透明 ・・・ 先が示されていないのが現状です。




避難生活も 間もなく3ヶ月 ・・・ 少々疲れてまいりました。

正直 ・・・ 先が見えないのは疲れます。



安らぎなど ・・・ どこにもありません。


「安全・安心」という言葉があるそうですが

・・・ どこの言葉ですか?