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井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

サガを出発

2006-09-04 19:20:33 | カイラス巡礼・旅行記
6月9日
 朝、目をさますと動悸がかなり治まっている。
ベットの上に座わってみると少し頭がふらつくが、
しばらくすると治まってくる。
体の調子を確かめるために散歩に出かける。

朝食前にサガの街を少し歩く。
ヤルンツァンポ河に向かって歩いていくと小学校らしい建物がある。
まだ登校時間には早いので誰もいない。

ゆっくりゆっくりと自分に言い聞かせながら歩くが、
だんだん脈が速くなってくる。
心拍数をはかると80~90はあるようだ。

ヤルンツァンポ河まで300~400メートルの両側には
土造りの家が並んでいる。
その中には商店と思われる建物もあるが、
まだ早い時間なので開いていない。

 この街は道路が舗装されている。
しかし、舗装されているのも市街だけで、河のそばで右折する
先からはダートな道となる。 

 宿へ戻ると朝食だ。コンフレークを少しもらって
チャーを入れてゆっくり咬む。
お腹に何かを入れると少し元気になってくる。
まだ調子が戻っていないのでダイァモックス250mgを飲んでおく。

出発は9:00分だという。
それまで荷物をまとめて、ベットで少し横になる。
 
 サガの街を出発する。
私達が泊まっていた宿は、サガの街の入り口に近いところにあったが、
そこから少し走ると道が右に曲がり中心街となっている。
カーブの左手には大きな門があり解放軍の施設がある。

このカーブを曲がると中心街のようだ。
ほんの数百メートルほどの中心街ですがビルが軒を並べており
大きな商店、レストランやホテルがある。
ニャラムよりは数倍大きな街だ。

ホテルの前にはランクルが駐まっており私達と同じカイラス巡礼者が
出発の準備なのか沢山いて道をふさいでいる。
突き当たりがT字型の交差点となっており左折すると
その先には私達が泊まっていた付近のような土造りの家が軒を並べ、
さらにその先で舗装が切れている。
ここからは、ダートコースだ。

 今日は緩やかな大平原を疾走する。
道の横に石造りの標識がある。
そこに「219国道」と書かれており、この道路は国境へ続いているようだ。
この道路で平均時速も60Kは出ている。

 12:50分、小さな集落に着く。
道の両側に小さな家があるが、その中にビリヤード台を置いている店がある。

テントの日よけの下で数人のチベット人がビリヤードをしている。

ランクルがこの街で止まる。
そうすると、チベタンの女性が子供を連れてでてくる。





よちよち歩きの子供は何歳だろうか?
1歳半か2歳くらいだと思った。
お母さんの回りにくっついて離れないのは、日本の子供と同じだ。
こういう点は、日本もチベットも同じだと思い、
この子の仕草を見て癒されました。


ちょっと休憩した後、街を抜けると街はずれの小高い丘に小さな僧院が
あることから、この集落がゾンバだということが分かった。

 

サガ

2006-09-02 21:15:09 | カイラス巡礼・旅行記



途中で出会った遊牧民の家族です。
こんな何もないように見えるところですがチベットの人が
確かに生活しているのです。


 ローリングを続ける車の中でぐったりしていると
目の前に茶色に濁った水の流れが目に入ってきます。
川幅は20~30メートルはあるでしょうか。
どうやらヤルンツァンポ河のようです。

対岸に街が見えてきます。
結構大きな街のようです。
川に沿ってしばらく上流へ向かって走ります。
前方に橋が見えてきます。
ヤルンツァンポ河はフェリーで渡ると思っていたのですが
今は、橋が出来たようです。
まだ新しい橋を渡り川に沿って少し下ると
サガの街(標高4,450M)です。 

橋の袂に黄色い色をした渡し船が2隻、川岸へ上げられています。
以前はこの船で川を渡っていたのでしょう。
それが今では橋が出来たのであっという間に川を渡ることが出来ます。

 17:30分、サガの街の入り口近くにある宿に入ります。

思いの外、立派な宿でした。
写真には写っていないのですが左手の方には直径2メートルほどの
衛星用のアンテナが空に向けられていました。


車から降りると動悸が激しくて手荷物を持つのがやっとの状態です。
部屋の場所を教えてもらうとベット脇に荷物をおくと
すぐに潜り込んで少し寝ます。

心配そうに声を掛けてくれるゲリーに「具合が悪いので、
ちょっと寝るから」と伝える。
心拍数をはかると90ぐらいある。
私の安静時の心拍数は60ぐらいなので、相当高くなっている。
軽い吐き気もあるので、これは高山病の症状に違いない。
ダイアモックスを250mg飲んでひたすら寝ます。

夕食を持ってきてくれた22:30分頃にようやく起きあがることが出来ました。
夕食の内、バナナとミルクティーだけもらってゆっくりと食べます。
ベットから起きあがって外に出ると救急車が来ている。
今日は私だけでなく、かなりの人に高山病の症状が出たようです。
救急車で運ばれた人が2~3人はいるようだ。

ニャラムに比べると一気に標高が上がった性だと思います。
5千メートルを超える標高の峠も越えてきましたので
この影響が一気にでているのでしょう。

夕食を食べ終わると少し元気が出てきました。
上空を見ると星空です。
その星を見ていると1個がスーッと動いていきます。
エッ!と思ってよく見ると、明らかに1個だけが動いています。
ゲリーにいうと星空を見上げて「動いている」といいます。
どうやら人工衛星なのでしょう。
こんなところで見るとは思いませんでした。

夕食を少し食べることが出来たので、お腹のむかつきは治まったようです。
ダイアモックスを飲んで、さらに水を多めに飲んで寝ることにします。
明日は直っていると良いのですが!?


高山病

2006-09-01 20:25:08 | カイラス巡礼・旅行記
 大きな湖の西側を登っていく。 
この湖はペグ・ッオ湖だろう。
空の藍色を写し取ったかのような深い藍色をしている湖だ。
周りの茶色と鮮やかなコントラストを描いている。
湖岸が白くなっているところを見ると塩水の湖なのか?

昼食は湖の上流部で食べた。
南面には真っ白に輝くヒマラヤの山を見ながらなので
最高のロケーションだ。

草原でに昼食風景です。
左側からお皿を持って次々にカレーを盛りつけてもらいます。


 ここからの道がすごかった。
数キロはあろうかという広い河原のような所を走るのだけれど、
小さな流れの後のような凹凸が次から次に現れてくる。
その流れを横断するように乗り越していくのだけれど
まるでロデオをやっているように車が前後左右に大きく揺れる。

私は後部座席の真ん中に乗っているので左右に振られるたびに
バランスを取りながら両側に迷惑がかからないように座っている。

時々、ものすごく細かな砂が溜まっているところに車が突っ込む。
すると土煙が舞い上がる。
土煙で一瞬前が見えなくなる。
この土煙が車の中にはいると息が出来なくなる。
それを防ぐために窓を開けることが出来ない。
窓を閉め切ると折からの日差しで室内の温度はドンドン上がる。

こうして締め切った車の中で揺られているうちに胸がムカムカしてくる。
車酔いはしない質なので、どうやら高山病の症状が現れたのか?

 小さな集落に車が止まる。
みんなは、先を争うように車を降りて新鮮な空気を吸ってホッとしている。
私は胸のムカムカが直らないので車から降りられずに
背もたれにもたれかかって少し寝る。
これで、いくらか気分が楽になる。
 
今日は昨日より高度が上がっているので、
どうやら、高山病の症状がでてきたようだ。

今日の宿があるサガまではまだしばらくランクルに乗らないと着かない。
ここは我慢するしかない。


トン・ラ峠

2006-08-31 20:18:30 | カイラス巡礼・旅行記
 休憩地点からさらに高度を上げていく。
石ばかりの荒涼とした荒れ地の中をモウモウと土煙を
上げながら走っていく。
車内にはどこからともなくこの土煙が進入してくる。
運転手のウェイさん以外は全員が前日渡されている
マスクをつけて乗っている。

 しばらく走ると前方に無数のタルチョンが束ねられて
道路の上をトンネルの入り口のように覆っている。
ここがトン・ラ峠だ。標高5,120Mほどある。
ここで車が停車する。

後を振り返ると白銀がまぶしい山が見える。
皆一斉に車を降りてこの景観を楽しむ。
ウェイさんの話だと、右手に見える一番高い山がシシャ・パマ
(標高8,012M)だという。
シシャ・パマはゆったりとした山容を見せて青空の中に
真っ白に輝いている。
私が8千メートル級の山を目にしたのは初めてだ。



風にはためくタルチョンとシシャ・パマです。
昔のタルチョンは絹製だったと聞いています。
そのため古いものは自然に風に吹かれて飛んでいったようです。
今のタルチョンは化繊で出来ているので風に強く腐りもしないので
古いタルチョンが汚れてゴミのようになって溜まっています。

左手の方にある山の名前を聞くと「ハマラヤ・モンテ」と教えてくれる。

どのピークがハマラヤ・モンテなのか、私の語学力では
確認できませんでした。
写真の中のどれかのピークであることは間違いがないのですが・・・


☆☆ 検問所 ☆☆

 トン・ラ峠からは本格的なダート走行に移る。
草木のほとんどない荒涼とした平原を土煙を上げながら
緩やかな丘陵を登ったり下ったりを繰り返しながら走る。
地図を持っていない私には幾ら走っても風景が変わらないので
どこを走っているか分からない。

 そんなとき前の方に瓦屋根を持った白くて大きな建物が見えてきた。
先行するランクルが止まっている。
どうやら検問所のようだ。道理で立派な建物だと思った。
中国政府関係の建物はチベットの人達の物より数段立派に建てられている。
この検問所も周りに何もないところにポツンと建てられている。


でも、北の方を見ると集落があるようだ。
真っ白い建物が岩山の土色の中に輝いている。
ウェイさんに聞くと「ポルン」だと教えてくれる。


こんな場所に検問所があるのは何のためか分からないが、
チベットの交通が要所要所で中国政府の管理下にあることがよく分かる。
そういえば、ニャラムの町はずれにも検問所があった。


ニャラムを出発

2006-08-30 22:37:10 | カイラス巡礼・旅行記
6月8日
今日は朝食も取らずにサガへ向かって出発します。
チャー(ミルクティー)を1杯飲んだだけです。
昨夜の軽い頭痛も治っています。
ダイアモックスが効いているのでしょうか。


ニャラムの朝です。肩がオレンジ色のジャケットを着ている人
はエコトレックのツァー参加者です。

出発準備をしているとこの坂道を上の方から牛の一団が降りてきます。
ガラン!ガラン!と鈴を鳴らしながら放牧地へ向かうのでしょうか。
のんびりと追われながら歩いていきました。

しばらくすると、かけ声を掛けながら2列になって走ってくる一団があります。
解放軍の兵士でしょうか?
顔を見るとまだ20代と思われる若い兵隊さんばかりです。
毎日走っているのでしょうか。
私達に目もくれずに走り抜けていきます。

さて、さて、なかなか出発しないと思っていたら
私達のランクルの調子が悪いようです。
トランスミッションの調子が悪いので代わりの車に乗り換えると行っています。
その車がザングムからこちらへ向かって走っているといってますが
なかなかその車が来ません。
1時間は待ったでしょうか。
他のグループは全部出発してしまいました。
私達のグループだけが残っています。

どうするのかと思って待っていると、
結局、ウェイさんの車で行くことになりました。
車は大丈夫なのでしょうか?


途中で休憩したときの写真です。
やっとチベットらしい風景となってきました。

2時間ほど走ったところで休憩です。
後を振り返ると白銀に輝く山並みが見えています。


右手を見ると桃源郷のような光景が目の前にあります。
荒涼たる岩山に囲まれた沢に広がる緑の段畑です。
「水がある所に緑あり」
水がなければ人も動物も植物も生きていけません。
そのことをこの風景が示しています。
日本のように水が溢れている国では感じることの出来ないことです。

遠くの山に光る万年雪、赤茶けた岩肌、その中の緑の段々畑、
朝食の用意をしている竈から上がる煙、幸せな光景です。
そう思うのは、見知らぬ国から来た外国人の感傷なのでしょうか?


砂煙を防ぐためにマスクを付けて車に乗り込みます。
本格的なキャラバンは始まったばかりです。


ニャラム

2006-08-29 21:54:35 | カイラス巡礼・旅行記
 ニャラムには商店や食堂もあり街の中の道路が舗装されている。
旅館は表に食堂があり、裏手に2階建ての部屋数にすると20室ほどある。
その中の2階にある4人部屋に落ち着く。
部屋の中は4つのベットとテーブルが1台置かれ小さな窓が一つあるだけの
簡素な部屋だ。

これが今晩の宿です。
裏に回るとこんな風になっています。

私達の部屋は、2階の奥から3つ目の部屋です。
一番奥にトイレと洗面所があります。

部屋の中はこんな感じになっています。
天井が低く狭いのですが、誰も文句を言う人はいません。
そういう点では扱いやすい客だと思います。

は~い!すっかりくつろぎモードの3人です。

 荷物も落ち着いたので高度順応を早めるために街を散歩します。
 この富士山の山頂に匹敵する高度は初めてなので、出来るだけゆっくりと歩く。
ニャラムは弓状に大きくカーブする5~6百メートルほどの通りを中心に開けた街だ。
通りには旅館や食堂があるほかには登山用の防寒着などを売っているお店もある。

そのなかにシャワーと書かれた店がある。
シャワーには気を惹かれたが、それほど汗もかいていないので入らないことにした。

食堂にはテレビがあるが画面写りはひどく、砂嵐のようになっている。
そんなテレビをお客が熱心に見ている。
画面を見るとどうやら卓球を放送している。

通りを一通り歩いてみたが息切れがするわけでもなく
高山病の症状は特に現れていない。
昨晩よく寝られなかったこともあり宿に戻り、少し仮眠することにする。

 仮眠から目を覚ますとゲリー達が散歩に行くという。
一緒に行かないかといわれたので起きていくことにする。
外は冷たい風が吹いて寒いのでジャケットを着ていく。
4人で街の両側にあるお店を見ながらブラブラと歩いていると
すぐに街はずれまで来てしまう。

街はずれで辺りを見ると、所々に低灌木が地面に張り付くように
生えているだけで砂と岩石が入り交じった地面がほとんどだ。
目を上の方に転じると岩山が覆い被さるように連なっている。
小さな川に架かった橋があるのでここで記念写真を撮り合う。

ヴィジュヌーと記念写真


 宿に帰ってくるとどこからかお祈りの声が聞こえてくる。
それも沢山の人達がお祈りをしているようだ。
私達の部屋の少し手前にある中位の部屋に沢山の人が集まっている。
お祈りの声は約2時間ほど続いていた。
 宿の1階からも同じようなお祈りをする声が聞こえている。
この声の人達は違うグループのようだ。
どちらもヒンドゥー教の人達のようだ。

 夕方17時頃に雨が降ってくる。
この場所で雨が降るとは思わなかったが、ニャラムはチベットとはいっても
高度も低くネパール寄りなので降るのではないかと思う。
1時間ほどで止む。その後はまた青空が顔を出している。 

 チベット時間で夜になるのは21時近くなってからだ。
20時では空を見るとまだ青空が広がっている。
したがって、夕食の時間は21:30分頃になる。

今晩の夕食は、カレーが2種類にカリフラワーの炒め物、
デザートにマンゴーが付いている。

夕食の前にスープが運ばれてくるが、今日はトマト味のスープで
ちょっと酸味があり美味しかった。

 この食事時間は私の習慣とは違いすぎるので少し参りましたが、
それでもきちんと毎日便通があるので、身体の方は適応しているようです。。
今日一日を見ても朝食は8:00分、昼食が17:00分、夕食が21:30分、
どう考えても食事時間に間が開きすぎていると思うが、
これは日本人の感覚なのでしょうか?

 シェルパが食事を運びに来てくれるときなどに日本語で話しかけてくれる。
「大丈夫ですか?」とか、「元気ですか?」などの短いことがですが、
それだけでも嬉しくなるのは、彼らの心遣いだと思うからです。
こんな風に一日が過ぎていくと、日本語で話が出来なくても、
英語で話すことが出来なくでも孤独感がないので、
気持ちの上では普段通りの生活が出来ている。

 横になるって静かにしていると軽い頭痛を感じるので、
今晩から高山病の予防薬ダイアモックスを飲んで寝ることにします。

 明日の朝は8時に出発するといっているが、果たしてどうなることやら?

大渓谷

2006-08-28 21:02:06 | カイラス巡礼・旅行記
朝食後、やっとこの街を離れる。

10時30分出発予定がインド時間で30分遅れる。
街の中に狭く急な坂道が九十九折りとなって上へ上へと続いています。
この坂道をぐんぐんと登っていくが道が狭いので降りてくる車との交差が
大変でなかなか前へ進まない。

途中、集荷場だと思われる場所がありトラックがたくさん止まっている。
トラックが崖から落ちそうなくらいギリギリまで崖から車体を出して止まっている。

 今日は、本来、昨日着いているべき街「ニャラム」まで走る。

 やっと街を抜けると大きな渓谷をドンドン登っていくが
道の傾斜が変わると下っているような錯覚に陥る。

このようにドンドン深くなっていく谷に沿って登っていきます。

途中、所々に人がいる。
どうやらこの急斜面に生えている細い竹を刈り取っているようだ。
刈り取った竹が一抱えほどにまとめられて所々に立てかけられている。

ここで私といつも一緒に行動している人達を紹介します。
写真の左側から、グレゴリー、ゲリー、ヴィジュヌーです。
そして後にある車が私達が乗っているランクルです。
左側に積んであるのが竹です。このように所々に積み上げられています。

ザングムから2時間近くはこの渓谷を川上に向かって登っただろうか。
さすがにこの渓谷も終わりが見えてきた。
結局、この谷は崖崩れのあった場所から登り続けて、正味でも5時間ほど
登り続けたことになります。
そしてこの谷を登ることでいっきに高度を上げて、
緑多い気候から乾燥地帯へとその景観まで変わってきます。

谷から離れ少し走ると正面は低い灌木だけの荒れ地が見えてくる。
この低灌木地帯を少し下っていくと街が見えてきた。
この街がニャラムだ。ニャラムの標高は3,750メートル。
富士山の高さと同じくらいある。
13:00分、ニャラムのゲストハウスに着く。
今日はここで、高度順応を図る。


 

国境の町・ザングム

2006-08-27 19:54:47 | カイラス巡礼・旅行記
6月7日
 一夜明けて、ザングムの街が朝日の光でその姿を現す。
この町は急な渓谷の斜面にへばり付くように建物が建っている。
宿にある食堂の窓からは昨日通ってきた友誼橋がはるか目の下に見える。

ちょっと分かりづらいのですが、谷の中央にある白い場所がコダリです。
左下にある白い筒状のものはビニールハウスです。

 上を見るとまるで高層建築のように建物が見えるが、
それはつづら折りの細い道の両側にぎっしりと建てられている建物が
上の道路際に建てられた建物に軒を接するように建てられているため
そういう風に見える。

食堂から見たザングムの景色です。
上の方にお寺があるのかタルチョンがたなびいています。

しかし、この街の道路は狭いがしっかりと舗装されています。
ザングムの街にもたくさんの商店や旅館、食堂やお土産物店があり
種々雑多なものが売られています。
コダリに比べると、とても大きな町です。
そしていろいろなものが売られているだけでなくて、
食堂で朝食を食べている人達を見ても東ヨーロッパ系の人達だと思われる
人が沢山います。

中央のテーブルに座っている白人は、私達のグループのオーストラリア人でジョーです。
背中を向けている女性はフランス人のミッシェルです。


そして、街を歩いていると目につくのが両替をしないかと
次から次に声を掛けてくる女性だ。
小さな鞄を肩から提げて手には円の札束を持っているのですぐに分かる。
「エクスチェンジ!」と言いながら寄ってくる。
「ノゥ!」と言うとすぐに離れていく。


ここが私達が泊まった宿です。
宿の前にあるランクルは私達のグループが乗っているものです。


また、また、入管・・・

2006-08-25 19:14:02 | カイラス巡礼・旅行記
 ここからはランクルに乗り換えてカイラス山を目指す。

 友誼橋から九十九折りの路沿いにランクルがたくさん駐車している。
このランクルに乗り換えてカイラス山を目指す。
私達のランクルはすぐに見つかり運転手さんを紹介される。
運転手さんはチベット人で「ウェイ」さん、小柄な人だ。
年齢は40代後半か?

 私達のランクルは、ゲリー、グレゴリー、ヴィジュヌーに私、そ
れにエコトレックのポーター役の若い子が乗る。
ランクルに乗り込んだもののなかなか出発する気配がない。
どうやら配車に手間取っているようだ。
この街を出発するときには辺りが暗くなってきた。

 川沿いの狭くつづら折りの道路をドンドン登っていく。
私は、先ほどの入管での騒ぎで疲れたのでウトウトと寝ていた。
しばらく走ると車が止まる。
何かと思ってみると目の前に立派な建物がある。
ランクルを降りるように促されたので、荷物を持って降りる。
外は小雨が降っている。

雨具は大きな荷物の中にあるので雨具なしでみんなについて行く。
大きな建物があり、その前には人があふれている。
どうやら、ここがザングムという街にある本当の入管事務所のようだ。

真っ暗で街頭もなく事務所から漏れてくる明かりの中で入管事務がはじまる。
先に着いているグループと後に着いたグループが、雨を避けるため
屋根の庇の中へ入ろうとしてゴチャゴチャになっている。

雨がどんどん強くなってくる。
街灯もなく事務所からもれる光しかないのであたりは暗い。
この状態で、またしてもグループごとに入管するようだ。

グループの列を作ろうとするが誰がどんな順番に並べばいいのか
指示する者もなく混乱の中に一グループずつ終えてザングムの街へ消えてゆく。

ツァー会社のしっかりしているところは列を作り何とか入管を終えているが、
我がエコトレックグループは声を掛けてまとめる人が不在の状況なので
一番最後のグループとなってしまう。

「エコトレックNO4」の私は、前の人に続いてパスポートを中国の係員に渡す。
係員は私のパスポートから名前などをパソコンに入力しているようだ。
そして、パスポートの顔と私を見比べてパスポートを返してくれる。

私は特に質問もなく淡々と終えたが、向こう側にいる白人女性はパ
スポートの写真と本人を見比べながら顔が違うとでもいわれているのか
笑顔を作り髪を上げたり精一杯の愛想笑いをしている。
その頑張りでやっとOKとなったようだ。

 ゲリー達も無事に入管を終えて合流する。
ここの入管を終えるのに2時間はかかっただろうか?

この町には街灯がない。
両側にある商店や飲食店から漏れてくる明かりを頼りに私達のランクルを探すが、
どこにあるか分からない。
暗い夜道を登ったり降りたりしなが探すが、ナンバーもよく覚えていないので
結局、探し出すことが出来なかった。

 雨はドンドン強く降ってくる。
お腹がすいたので入管事務所のすぐそばのテラスのあるお店で
飲み物や食べ物を買って一休みする。
 この先どうすればいいのか分からずに4人で顔を見合わせていると
エコトレックのシェルパがやってくる。

「これからニャラムまで行くのか?」と聞くと、「ニャラムまでは道路が
雨で崖が崩れたところがあり危険なので、こんばんはこの街に泊まる。」という。
「荷物は?」と聞くと、「先にニャラムまで行ってしまった。」という。

しかし、何とかこの先にある宿を確保したようだ。
着の身着のままだけれど、この季節は気温もそれほど下がらないので
何とかなるだろう。それよりお腹がすいた。

シェルパに宿まで案内され、3階にある食堂でカレーを食べる。
食堂でお茶を飲みながら一息ついてるとカレーが用意される。
このカレーも急遽作られたもののようだ。

腕時計を見ると10時になっている。
しかし、食堂の時計は11時30分を指している。
これが中国時間のようなので時計の針を直しておく。

 さて寝場所はどうなるのだろうと思っていると、この食堂に寝るようだ。
テーブルを片付けて絨毯を敷く。
その上に布団が用意されて我々4人ともう一人の白人男性がここに寝る。
奥にあるカウンターの中に中年の白人女性が寝る。

この狭い場所に男5人で雑魚寝する。写真に写っている男性がゲリー君です。

 布団に入って一段落!
思い切り背伸びをしながら、大きなため息をつく!
今日は本当に長い一日だった!



国境通過と思いきや・・・?

2006-08-24 19:52:59 | カイラス巡礼・旅行記
 橋の向こう側に行くと右手に入管の窓口があり
その前で待っているとどんどん人が集まって来る。

どうやら入管の手続きは各グループごとに行うようだが、
橋の上には3~4グループの人達がグチャグチャになって並ぶどころではない。 
いったいどうなるかと思って並んでいるがさっぱり進んでいかない。

そのうちに小雨が降ってくる。
雨の中を並んで待っていると白い紙が配られる。
その紙をあちらこちらのグループが我先に奪うようにして取るので、
本来配られるグループに人に渡らない。
もらえなかった人は配った人に詰め寄って文句を言うし
責任者が中国側の手配者にもっともらってくるように言っているが
どうにもこうにもならない状況が続く。

我が団長さんも中国側のエージェントにもらっていない人がいるから
もっと手に入れるように詰め寄っている。
しかし、中国側のエージェントも必要な数は渡したと言っているようだ。
険悪なムードでやり合っている。
団長さんは怒ったりお願い調になったりエージェントと懸命に交渉している。

しばらくすると、手に白いものを持ってエージェントが橋の上にやってくる。
その紙を私もやっと手にいた。
手に入れた紙を見るとどうやら防疫関係の申告書のようだ。
表は英語で書かれているが裏を見ると漢字で書かれている。
そこには発熱とか下痢とかいくつかの項目があり、
チェックするようになっている。

時折降ってくる小雨に濡れながら同じグループのインド人の手招きで
入管の窓口へ行く。
窓口で、パスポートに書かれているナンバーを「エコトレック、ナンバー4」
と読み上げる。
係官が防疫申告書を見て隣の窓口を指さす。
この申告書を隣に提出するように言っているようだ。

窓口に群がる人をかき分けて隣の窓口に防疫申告書を出すと
内容をチェックしてから変な器具で私の目に赤い光を当てて数値を確認する。
その後にOKのサインをくれたので、再度、入管の係員にパスポートを出す。

入管の係員が私のパスポートとリストを照合している。
パスポートと私の顔を数回見比べてパスポートを返してくれる。
そして、中国側の出口を指さしながら「OK!」という。
どうやらこれで入管はOKのようなので橋から中国側へはいる。

そぼ降る雨の中で中国側にある商店の軒先を借りて雨宿りをしながら
他のメンバーの到着を待つ。

 入管での混乱はすざましいものでした。
何でこんなに混乱するか考えると、エコトレックのシェルパも
巡礼団の団長も誰一人としてどういう状況になっているのか説明をしてくれない。
だからみんな勝手に動いてしまう。
それがさらに混乱を招く。
混乱のうちめいめいが自分勝手に動いて何とか入国を果たしたといった有様だった。
この中国側の入管を通るだけで1時間半はかかっただろうか。
この騒ぎですっかり疲れてしまった。

 中国側にもお土産物を売る店や食堂が数軒軒を並べています。
そして若い女性が両替をしないかと呼びかけてきます。
私が「ジャパニーズ円,OK?」と聞くと、
首を傾げケイタイを取りだし、どこかへ電話をする。
そして、両替をしてくれる。
ここの交換レートは1元が20円だった。
両替も終わり、あとは車を乗り換えてニューラムへ向かうだけだと思っていた。

ところがこの考えは甘かった!