鎌倉市大船にある常楽寺は臨済宗建長寺派の古寺です。
境内に山茶花の木が二本ほどあり、一本は八重で白い色の山茶花です。いろいろな気候にに耐え未だ咲いているのでここで紹介します。
常楽寺の歴史はこの号の最後をご覧下さい。。
(山茶花1)
(山茶花の花1)
(山茶花の花2)
(山茶花の花3)
(山茶花の花4)
(山茶花の花5)
(山茶花の花6)
(山茶花の花7)
山茶花の花の残骸が残った様を表現したかったブログですが、この写真では表現できなかったようで未熟なブログになりました。
ご容赦を・・・。
常楽寺の簡単な歴史は以下のとおりです。
常楽寺はもと「粟船御堂」(あわふねみどう)と呼ばれ、北条泰時夫人の母の追善供養のために建てたものでしたが、。創建当時は密教系寺院、また、浄土系寺院でもあったとされていて、次第に禅宗色が強まり、後に臨済宗の寺となったそうです。
建長年間、北条時頼によって宋の禅僧、蘭渓道隆が鎌倉に招かれ、蘭渓ははじめ常楽寺の住持となり中国風の禅宗を広め、寺には多くの僧が蘭渓の教えを乞うために訪れたとのことです。
その後、建長寺が創建され(落慶供養は建長5年(1253年))、同寺が鎌倉における禅宗の中心寺院になりましたが、それ以降も臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と重視されつづけたそうです。
(略歴終わり)
ひろさんの旅枕へ
境内に山茶花の木が二本ほどあり、一本は八重で白い色の山茶花です。いろいろな気候にに耐え未だ咲いているのでここで紹介します。
常楽寺の歴史はこの号の最後をご覧下さい。。
(山茶花1)
(山茶花の花1)
(山茶花の花2)
(山茶花の花3)
(山茶花の花4)
(山茶花の花5)
(山茶花の花6)
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山茶花の花の残骸が残った様を表現したかったブログですが、この写真では表現できなかったようで未熟なブログになりました。
ご容赦を・・・。
常楽寺の簡単な歴史は以下のとおりです。
常楽寺はもと「粟船御堂」(あわふねみどう)と呼ばれ、北条泰時夫人の母の追善供養のために建てたものでしたが、。創建当時は密教系寺院、また、浄土系寺院でもあったとされていて、次第に禅宗色が強まり、後に臨済宗の寺となったそうです。
建長年間、北条時頼によって宋の禅僧、蘭渓道隆が鎌倉に招かれ、蘭渓ははじめ常楽寺の住持となり中国風の禅宗を広め、寺には多くの僧が蘭渓の教えを乞うために訪れたとのことです。
その後、建長寺が創建され(落慶供養は建長5年(1253年))、同寺が鎌倉における禅宗の中心寺院になりましたが、それ以降も臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と重視されつづけたそうです。
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