善人閑居

鎌倉の風物詩と全国の温泉の旅を写真で報告します。

鎌倉身辺雑記・常楽寺文殊祭

2017年01月27日 | 鎌倉


2016年の1~3月は、同年の初めに発覚したがんの入院騒ぎで慌ただしく過ごしました。その後も免疫療法やリハビリなどのため、身近なこともついついおろそかになり、また精神的な余裕もありませんでした。

今年になってからは、気持ちの上で若干の余裕ができたのか、近所の常楽寺の文殊祭の取材に出かけても良いと思うようになり、このページでどのように紹介するかを事前に考えるようになりました。

1月25日は快晴で、常楽寺の参道は幟旗が青空に映えお囃子の太鼓も聞こえるのどかさでした。

(常楽寺参道)

鎌倉囃子保存会のお囃子は地元の保存会が毎年文殊祭のとき演奏してくれます。場所は常楽寺の駐車場です。

(鎌倉囃子)

山門は例によって北条鱗の幕が下がっています。

(常楽寺山門)

午後2時からの文殊祭の行事にあわせるかのように次々と僧侶が到着しました。近隣の臨済宗建長寺派の寺院のご住職たちだそうです。

(近隣寺院のご住職が到着)

山門をくぐると甘茶の接待所がありました。甘茶を勧めてくれます。

(甘酒のご接待)

ひなびた味の甘茶でした。

(甘酒)

この間次々とお参りの人が訪れ、仏殿と文殊堂にお参りしてゆきます。

常楽寺は仏殿と文殊堂が並んでおり、どちらも江戸時代に建てられたという古建築だそうです。

(仏殿お参り)


(文殊堂のお参り)

文殊祭は文殊堂の中で行われるのですが、境内の隅にあり、解放部分が狭く、見物客も陣取りに余念がありません。

所定の午後2時に20人を越える僧侶たちが中に入りました。また、外縁にも5人の僧侶の席があり、大般若経が席毎に備わっていました。
お堂の中は、常楽寺の住職が中央最先端に座り、左右に向き合って7~8人が座っています。
また、太鼓を敲く僧侶もおります。(申し訳ないのですが映像はありません)

(20名を越える僧侶が文殊堂に入る)

全員が所定の席に着くと、文殊堂の中からかすかにお経が聞こえ、それから太鼓が鳴って般若心経が唱えられ始めました。

(外縁の読経)

その後、大般若経の転読です。

大声でお経を唱えながら分厚いお経を開いたり閉じたりして、そして読んだこととしてお経を閉じ、次のお経にとりかかるのです。その間大声で大般若経を唱和します。

(外縁の大般若経1)


(外縁の大般若経2)


(外縁の大般若経3)

大般若経の転読が行われた後は、別のお経の唱和です。これも長く続きました。

そして、ご住職が出てきて、正面の参列者と右側の参列者に大般若経本をかざしてパラパラと
開閉し、功徳を授けました。

(外縁でご住職が・・・)

最後に、ご住職は、文殊堂の奥に向かって座り、お経を上げて一切の行事が終わりました。

およそ35分のお祈りでした。


この文殊祭の動画をYoutubeで見たいと思います。


鎌倉:常楽寺の文殊祭



(簡易版)
常楽寺の文殊祭 2017


(詳細版)
鎌倉 常楽寺の文殊祭詳細



鎌倉身辺雑記・春の息吹-スイセン

2017年01月22日 | 鎌倉


これも昨年の12月中旬ごろからの話ですが各ご家庭と路地の境などに咲く水仙が目立つようになりました。

いくつかの種類に分けられそうです。純白、やや黄色がかったもの、ラッパ水仙系?などです。

ご近所のスイセンを写しました。

(スイセン1)


(スイセン2)


(スイセン3)


(スイセン4)


(スイセン5)


(スイセン6)


(スイセン7)

各ご家庭の庭の中でも一番ポピュラーな花がスイセンのような気がします。

鎌倉身辺雑記・春の息吹-ロウバイ

2017年01月19日 | 鎌倉


昨年の12月中旬ごろからロウバイが良い香りで花を咲かせています。

ご近所のロウバイを写しました。

(ロウバイ1)


(ロウバイ2)


(ロウバイ3)


(ロウバイ4)

年末、円覚寺の龍隠庵を訪れたとき、隣の居士林の庭に一本のロウバイを見つけましたが花を付け始めていました。

(円覚寺塔頭 居士林のロウバイ)

数日前、気象予報士が「雪中四友」がという言葉を紹介していました。

ロウバイも四つの花の中に入っていました。


鎌倉身辺雑記・ナノハナ

2017年01月15日 | 鎌倉


ご近所さんのご自宅の花壇にナノハナを見かけることはほとんどありませんが、散歩道の途中に三菱電機の大船製作所があり、ここの道路との境界線上に小さな花壇があって、管理は近くの農家が任されているらしくナノハナが植わっています。

(ナノハナ1)

昨年の10月頃、一つの花壇にはあまり育っていないナノハナの苗が植えられ、もう一方の花壇にはやや大きめのナノハナが植えられました。

(ナノハナ2)

現在、この正月のぽかぽか陽気で、両方の花壇はそれなりの開花を迎えました。

そしてなんと、大きめのナノハナにはミツバチが集まってきたのです。

(ナノハナ3)


(ナノハナ4)

一方、自宅のナノハナは、ムクドリ対策でネットをかぶせましたが、1月は日当たりが悪くまだつぼみの段階です。

(自宅のナノハナ1)

気温より日照時間の方が開花には大きな影響を与えるらしいことがわかってきました。

(自宅のナノハナ2)

実生から育てた自宅のナノハナの開花が待たれます。

鎌倉身辺雑記・春の息吹-梅の開花

2017年01月12日 | 鎌倉


年が明けて暖かい快晴が続いたせいかこの数日で梅の開花が見られるようになりました。

紅梅は、初詣にお参りした臨済宗の常楽寺の裏山を背にした農家の庭先で、日当たりの良い場所に伸びた枝だけですがそこだけ春が来たような幹事です。

(紅梅1)


(紅梅2)


(紅梅3)

白梅は常楽寺の境内の木の一本でまだちらほら咲きの状態です。

(白梅1)


(白梅2)


(白梅3)

これから寒くなりそうですが、春も近づいてきたという気がします。


鎌倉身辺雑記・鎌倉芸術館のカンツバキ

2017年01月09日 | 鎌倉


カンツバキは冬に貴重な庭花です。

大昔に友人から頂いた木に花がよく付いて冬の陽に輝くのですが今日紹介するのは鎌倉芸術館の生垣のカンツバキです。

ご多分に漏れず鎌倉市もバブルの頃大金を使って箱物を造りました。

(鎌倉芸術館)

立派な芸術館です。
ところが案の定バブル後は、鎌倉芸術館の使用率も下がり、鎌倉市は手に余って指定管理制度によって第三者に管理を任せ、ついに貸しホールに成り下がってしまいました。
鎌倉市自身が行う行事にも、鎌倉芸術館を使用することは滅多に無いようです。
せいぜい毎年の成人式くらいしか市自身が使っていないのかも知れません?。

しかし、生垣の花は健気に毎年花を付けます。
鎌倉芸術館に向かって右側の鎌倉女子大学との境界にある生垣は、鎌倉芸術館の地上駐車場に面しています。

ここのカンツバキの取材をしました。

(鎌倉芸術館の生垣1)


(鎌倉芸術館の生垣2)

カンツバキはサツキのの間に点々と植わっています。

ですから、連続している訳ではないのですが花の少ない時期ですからかなり目立ちます。

(カンツバキ1)


(カンツバキ2)


(カンツバキ3)


(カンツバキ4)


(カンツバキ5)


(カンツバキ6)

鎌倉芸術館で行われる行事は、商業的な行事だけでなく、いろいろな団体がいろいろいろな催し物をします。大きな芸術館を、大ホール、小ホール、展示会場1と2と時間売りもしていまるようです。

それでもカンツバキは美しい花を咲かせ続けています。


鎌倉身辺雑記・初詣は常楽寺

2017年01月05日 | 鎌倉


2017年の正月は暖かな穏やかな日が続きました。元日は例年通りに近くの常楽寺を詣でました。

初詣の時刻はおよそ日の出前後の6時40分~7時10分頃です。これは、山門の提灯の灯りが消される寸前で、しかも建物が良く写る頃を狙っての設定で、あまり暗いと建物が写らないし、明るすぎると灯を消されてしまうという微妙な時間帯が永年通っていて判ってきたからです。

幸い、ちょうど良い時間帯だったようで、境内では本堂でのお勤めを終えたご住職と最近副住職になった息子さんに出会うことも出来ました。
本堂からお線香を携えたご住職が北条家の墓にお線香を上げに向かう途中の様子です。

(常楽寺山門)

常楽寺山門は古い建物だそうです。

鎌倉の古建築を研究している鎌倉シチズンネットの泉ノ井さんのページ(シチズンネット内のHP)によると、江戸時代初期に建てられたものと推定しています。

鎌倉の古建築・常楽寺にリンク


(常楽寺本堂)

本堂は昭和の時代の建物です。

しかし、仏殿は上記の泉ノ井さんのページによると「棟木から、元禄四年(1691)の建立と分かっている」とのことで、江戸時代の建物です。

(常楽寺仏殿)

仏殿の中には阿弥陀三尊 が祀られ神奈川県の県重要文化財に指定されています。阿弥陀如来の左右には、左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配されています。

(常楽寺ご本尊)

このとき、ご住職が現れ、新年の挨拶をしたあと、後ろ姿を撮影しました。
ご住職は、常楽寺・開基の北条泰時の墓にお経を上げに行かれたようです。

(ご住職と副住職)

常楽寺の文殊堂は鎌倉市内の扇ガ谷にある英勝寺から、明治十四年に移築されたものだそうです。江戸時代前期の建物と考えられているとのことです。

(常楽寺文殊堂)

文殊堂では、毎年1月の25日に文殊祭が催されます。
近隣の建長寺派の寺院のご住職が20人近くも集まって大般若経を読みます。大船の名物の一つになっています。
狭いお堂のなかに左右それぞれ5~6人づつの老僧が並び、観音経を大声で唱えながら開いたり閉じたりします。お堂に入れない僧呂はお堂の縁に並びやはり声をそろえながらお経を詠みます。

文殊様は知恵の仏様なので学業成就の子供たちも親に連れられて来たりします。

龍隠庵の餅つき 2016

2017年01月01日 | 鎌倉


毎年恒例になっている円覚寺塔頭の龍隠庵の年末餅つきの模様の速報です。

龍隠庵は円覚寺の境内に入って、仏殿の左脇の小高い尾根にあります。

今年の餅つきは、12月30日に行われました。
ノロウイルスの蔓延等もあり、ご住職は開催するかどうか大いに迷ったそうですが、万全の対策を立て開催に踏み切ったそうです。

さて、円覚寺総門は北条氏ゆかりの家紋の北条鱗(ほうじょううろこ)の門幕が用意され、正月気分をかきたててくれます。

(円覚寺総門)

龍隠庵に行くには総門をくぐり山門をくぐり、左側の選仏場と居士林の間の石畳をたどります。

(コ円覚寺三門)

選仏場と居士林の間には石の道標に「龍隠庵」と彫ってあります。

(道標の石)

道標の小道を行き石段を二度折れ曲がると龍隠庵の境内です。石段の途中には三地蔵?のお像があります。

(階段途中の三地蔵?)


(龍隠庵本堂)

本堂と別の段に客殿がありその前の広場が餅つき会場です。

受付で記帳します。

(餅つき行事の受付)

広場では餅つきがすでに佳境に入っていました。

(客殿前の広場に集まった人々)


(餅つき1)


(餅つき2)


(餅つき3)


(餅つき4)

搗き手はいろいろな人がかわるがわる搗きます。皆さんが飛び入りなのでとても面白く、搗き手も周りも笑い声が絶えません。

さて、餅搗きの裏方です。
搗く人がへぼでも安全に搗きあげ、美味しいお餅に仕上げなければなりません。

ですから、今回は、裏方にポイントをおき、写真を掲げます。

まず搗き手に対する返し手が命がけで頑張ります。
慣れない人は力を入れて杵を搗くので、狙いが定まらず臼のヘリを打ったり返し手の手を打ったりしかねません。

返し手は様子をうかがいながら餅を返したり水を打ったりしていました。

(裏方-返し手)

また、大きな釜で火を焚き餅米を蒸す係は毎年参加するベテランです。
二箇所の臼が空かないように、また、早すぎないように蒸すことは至難の業に違いありません。
この日は170キロの餅米を蒸すそうで、汗だくで対応していました。

(裏方-餅米を蒸かす)


(裏方-のし餅を整える)


けんちん汁は鎌倉発祥の精進料理で隣の建長寺と共に昔の味を伝えています。
けんちん汁係は前日から仕込みにかかったそうです。

今年はけんちん汁係の方々がこのブログに協力してくれて撮影に応じてくれました。

(けんちん汁を造る)

今年は14~5人が掛かりっきりでサービスしていました。
けんちん汁は餅入りした。

(けんちん汁は餅入り)

けんちん汁はもめん豆腐もざっくりと入っていました。

この方々の他、裏方さんには、当日お昼ご飯として振る舞われる各種絡み餅に関わる人、客殿の中でお手前があり呈茶をするお茶の先生やお菓子を手配して器に盛りお手前の人に渡す人、食器のゴミを回収する人などたくさんの方々のご協力を得ていました。

客殿の中の情景です。外人さんも数多く参加していました。

(客殿には外人さんも・・・)


(客殿2)

客殿もこの日はひっきりなしの入れ替えで、多くの人がお茶を楽しみ、お餅を楽しみ、高台から見る円覚寺の景色を楽しんでいました。

大成功の餅搗きでした。


当日デジカメで撮影した動画を YouTube にアップしてあります。
以下をクリックしてご覧ください。つたない動画です。

龍隠庵の餅つき 2016年12月30日