善人閑居

鎌倉の風物詩と全国の温泉の旅を写真で報告します。

妙高高原の旅(13)・信越五高原ロングライド

2011年05月28日 | 温泉

香嶽楼をチェックアウトして公道に出ると、高原を走るロードサイクルが散見されました。

交通整理をしている観光協会の人に尋ねると、「信越五高原ロングライドサイクリング」の参加者とのことです。
新潟県と長野県にまたがる斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱の各高原を走り抜ける行事で、妙高高原は参加者にとって2番目の通過地点とのことでした。

(信越五高原ロングライド1)


(信越五高原ロングライド2)


(信越五高原ロングライド3)


(信越五高原ロングライド4)

サイクリングにさして興味を持たない善人は、こういった催しに泊まりがけで参加する人たちにエールを送りたい心境になりました。

信越五高原ロングライド

毎年続くことを祈るばかりです。

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妙高高原の旅(12)・香嶽楼の朝食

2011年05月25日 | 温泉

さて、香嶽楼の朝食です。

朝食はバイキングで、品数はさほど多くはありませんが手作りの心のこもったメニューが多い印象です。

(朝食はバイキング1)


(朝食はバイキング2)


(朝食はバイキング3)


(朝食はバイキング4)


(朝食はバイキング5)


(朝食はバイキング6)


(香嶽楼の食堂)

中でも、手作りパンの香ばしさ、牛乳の新鮮さ、目玉焼きの玉子のうまさなどが際立っていました。

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妙高高原の旅(11)・朝の散歩

2011年05月22日 | 温泉

朝食前の散歩をしました。

妙高山が顔を出し温泉街も昨日に比べて太陽に輝いていました。

香嶽楼の庭と温泉街を歩いただけなので、高原の花を取ったわけではありません。

季節の進み方は鎌倉とほとんど変わりがありません。

(栗のイガ)


(ホトトギス)


(コスモス1)


(コスモス2)


(シュウメイギク)


(ハギ)


(シオン)

コルチカムは球根から花が出るという植物で、花の後、球根を土に埋めると毎年美しい花が咲くそうです。

(コルチカム)

来年はコルチカムの栽培に挑戦したいと思いました。


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妙高高原の旅(10)・香嶽楼の夕食

2011年05月19日 | 温泉

香嶽楼の夕食は食堂で摂ります。

食堂は地階ですが、建物は妙高山の斜面を利用しているため地階と云っても見晴らしの良い場所です。
こぢんまりした食堂は静かで、従業員も適切なサービスに徹していて、うるさくなくかつ親身になってくれます。

(香嶽楼の食堂)

以下は主な料理の写真です。

(先付四品)


(酢の物)


(土瓶蒸し)


(刺身)


(煮物-車麩と野菜)


(牛肉のタタキ)


(丸なすの味噌焼き)


(野菜の天ぷら)


(自家製豆腐)

この他に、デザートと味噌汁がありましたが、写真は撮りませんでした。

宿泊料の額を勘案すると、まあまあ結構な品数と品質なので大満足でした。

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妙高高原の旅(9)・香嶽楼の内外

2011年05月15日 | 温泉

香嶽楼は見た目は洋風の印象ですが、内部は和風の旅館と云って良いでしょう。

道路から数十メートル奥まった香嶽楼です。

(道路側から見た香嶽楼)

建物は、妙高山の裾野に向かってなだらかな下りの地形を利用して、入り口のある一階は道路と同じレベルですが、地階の食堂も二箇所ある浴場も、中庭と同じレベルにあります。

(中庭から建物を望む)

庭は広めの芝生と、コスモスやシュウメイギクなどの咲き乱れる花壇があり、春から夏にかけては紫陽花や他の花が咲くのでしょう?。

(中庭から浴場を望む)

廊下も凝っていて、各階ともいくつかの絵画が陳列されています。

(廊下のインテリア)


(一階の廊下から地階の食堂を望む)

また、二階と三階の廊下の窓からは妙高山の山頂が望める場所があります。

(三階の廊下の窓から妙高山を望む)

まあ、今回の宿選びは思った以上に良かったというのがここまでの評価です。

さて夕食はどうだったでしょうか?。

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妙高高原の旅(8)・香嶽楼(こうがくろう)のお風呂

2011年05月12日 | 温泉

今回予約したのは「香嶽楼」(こうがくろう)という赤倉では老舗のやや大きめの旅館です。

いつもは、あまり大きな旅館は敬遠するのですが、ホームページを見ていて何となく良さそうだと思いました。
また、若女将の「アボカド通信」というブログに強く惹かれました。

アボカド通信へリンク

率直な表現や、多くの写真の美しさ、しょっちゅう更新しているなど、参考にさせて頂くことがかなり多いのです。

香嶽楼は赤倉中央通りと本通りが交差するあたりで、奥に引っ込んだ三階建ての建物は洋風の白亜の殿堂です。

(香嶽楼)

到着早々お風呂に入りました。

浴場は二箇所あり、やや大きめの内湯と露天風呂のセットの浴場と、やや小さめの内湯と露天風呂がセットの二箇所です。

これは、毎日男女が入れ替わるようになっています。

大きめの内湯の方は、ガラス張りの内湯が気持ちよく、露天風呂はやや小さめです。

(内湯1)


(露天風呂1)

小さめの内湯の方は、露天風呂がかっこよく、両者合わせればどちらもバランスが取れていると云っていいのでしょう。
しかも、翌日は男女が入れ替わるので宿泊客にとっては公平です。

(内湯2)


(露天風呂2)

お湯は、北地獄谷からの引湯で、やや硫黄の香りのするカルシウム・ナトリウム・マグネシウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉(低張性・中性・高温泉)です。
滝の湯と同じ泉質で、ややぬるめでよく温まります。

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妙高高原の旅(7)・赤倉温泉の成り立ち

2011年05月08日 | 温泉

赤倉野天風呂滝の湯にゆっくり浸かた後、予約した香嶽楼に行く途中に赤倉足湯公園がありました。
無料足湯は今時どこの温泉場でも珍しくはありませんが、赤倉温泉の足湯公園には、赤倉温泉の開湯の歴史を書いた看板が目につきました。

(赤倉足湯公園)


(赤倉足湯公園2)

赤倉温泉は、江戸時代文化13年(1816年)に村人が、越後藩主榊原政令(まさのり)に温泉場開発の願いを出したのがはじまりです。
村人たちは温泉買い入れ金の800両と関温泉に対する迷惑料300両を、当時妙高山を領有していた宝蔵院(現関山神社)に支払うことを条件に許可を得て、文化13年に着工し、同年9月に引湯に成功し、共同浴場二箇所が出来上がったとのことです。た。引湯にあたっては、佐渡,越中より大竹をとりよせ、妙高山地獄谷より7キロの距離を500本の大竹で結んだのだそうです。

その間の総経費は3、120両2朱と拝借米2000表、さらに温泉宿の建設、新田開発などに2、161両という壮大なプロジェクトに発展したとのことで、高田藩と地元の官民共同事業ということになるのでしょうか?。

(赤倉温泉の成り立ち・説明板)

これを読んで、あだやおろそかにこの温泉が元気を失うようなことが無いよう、地元の宿も、観光業に携わる人たちも、がんばってもらいたいという気持ちになりました。

ぶらっと妙高号が乗客を無視するなどとんでもない話です。

(シオンの花)

おりしも、赤倉足湯公園にはシオンの花が咲き乱れていました。
シオンの花言葉は「君を忘れず」、「ご機嫌よう」、「追憶」です。


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妙高高原の旅(6)・赤倉温泉 滝の湯

2011年05月05日 | 温泉

赤倉野天風呂 滝の湯は、赤倉天心堂から行く場合は高原を横切るように進みます。
温泉街から行く場合は、メインストリート(赤倉中央通り)を突き当たりで左折し、赤倉本通りの温泉街がつきるあたりです。

高原の斜面にあるので建物は下から見上げるような角度になります。
一階は管理棟や脱衣場など、二階は休憩所です。

(滝の湯)

脱衣場は大きいけれど質素です。
脱衣場の目の前に露天風呂が広がります。

(脱衣場)

巨石が配してあってワイルドな印象です。

巨石の一つからうたせ湯のような滝が流れ落ちています。

(滝の湯の浴槽)


(別角度の滝の湯の浴槽)

お湯は北地獄谷から引き湯している「カルシウム・ナトリウム・マグネシウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉」(低張性・中性・高温泉)のお湯で、ほとんど無色ですがやや硫黄臭のするよいお湯です。

この赤倉温泉の開発秘話は、次に掲載する「赤倉温泉足湯」で詳しく報告します・

(夏期のみ運営している?ウオータースライダー)

赤倉温泉の共同浴場は露天風呂で、これは温泉街の露天風呂としては数少ない例だと思います。

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妙高高原の旅(5)・赤倉温泉 天心六角堂

2011年05月02日 | 温泉

さて、燕温泉のバス停は道路どん詰まりの駐車場にあることは前回報告しました。

ぶらっと妙高号はここで方向転換しなければならないので停車しました。
そのときドアを開けてもらってぶらっと妙高号に乗り込みました。
関温泉方面から来たとき乗客はゼロで、赤倉に向かう乗客もゼロでした。
客が居ないだろうとスピードを出していたので途中で2回も通過されたのは間違いないようでした。

駐車場には福島県から妙高山に登山にきた団体客が群がっていました。
運転手が車から降り乗客を誘導していました。
路線バスから観光協会にチャーターされたぶらっと号と登山同好会にチャーターされたバスとは、運転手の気配りが違うのですね。

(ぶらっと妙高号-けいなんバス)


(福島県のチャーターバス)

燕温泉から赤倉温泉に向かう道はタクシーで赤倉温泉→関温泉の道と違う道でした。

赤倉温泉に着いた初めのバス停の「赤倉天心堂」でぶらっと妙高号のバスを下りました。

(赤倉温泉 天心堂バス停付近)

岡倉天心は東京美術学校を創設した明治期の日本美術育成の先駆者です。
横山大観や菱田春草などを育てたと云われています。
また、ボストン美術館の中国・日本美術部長として日本美術を海外に広く紹介するなど明治期に活躍しました。
天心が晩年過ごした山荘跡に、有志によって建てられた六角堂は奈良法隆寺の夢殿を模したといわれています。
中には平櫛田中作といわれる天心座像が有るそうです。

(赤倉温泉 天心六角堂)


(説明版)


(岡倉天心の墓石)

ここは赤倉温泉のかなり高い場所で、パターゴルフ場などがあります。

高原を横に巻くように歩くとお目当ての滝の湯にたどり着きます。

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