そう、今日は10月29日
去年のこの日からブログ版「ねぇさん日記」を開始した日なのだ~っ!
この一年、いろいろあった。
まぁ生きてりゃ~、誰にでもなんなとあるもんなんだろうけれど、
出会いや別れ、始まりや終わり、繋がり、反転、もちろん悪いこともたくさん…
このブログをやめてしまおうか、と思ったことも正直あった。
改めて「言葉」ってーのを扱うのはとんでもなく難しいもんだと思ったし、
だからこそいかにそれを使って「自分」の中のモヤモヤ・ドロドロしたもんを
表現できるのかと考えたり、考えずにただひたすら歩いていたり、
立ち止まったり、くるくる回ってみたり・・・。
自分の言動というものがまわりの人にどういう印象を与えるのか、なんて
今までそんなに考えたことはなかったのだけれど、
この一年はすごくそれを考えた年でもあった。
そんなつもりじゃなかったのに…って言葉はもうその相手には届かなくて。
説明しようと思っても、その言葉がまた微妙なズレを招いてしまったり。
あるイメージで決め付けられてしまうと、もうそこから抜け出すのは至難の業で。
悩んだり落ち込んだり、いろんな言い訳を考えたりもしたけれど、
結局私はこうやって毎日しょーもないことでも書き続けることで
「自分」というものを表現しようと思ったわけで。
最近話題の中沢新一の「アースダイバー」を読んでいる。
私は少しの間、東京の世田谷に住んだことがあり、兄貴も中野にいたこともあり、
出てくる地域や地図を見て「はぁ~あそこはそういえば・・・」
なんて思いながら読んでいるとなかなか先には進めず、また戻って読み返してみたり…
こうやって今当たり前に私たちが生きているこの場所地球には
もっとずっと昔から「地球の営み」としての動きがあって、
その流れで地形は変わり、生物が生まれ死に、人間が生活をするようになり、
私たちの生活は当たり前になにかしらそこにあることに理由があるわけだ。
今もそれは大きな流れの中で変わり続けている…
私たち一人ひとりは地球のようなものなのかもしれない、と思った。
人間にはいろんな面がある。
それは「表か裏か」なんていう単純なものではなく、
かと言って「まーるい球体」のようなものでもなく、
歪んだり凹凸があったり、トゲトゲがあったり、
暗くて見えない部分があったりするもんだと思う。
中にはドロドロとした高温のマグマのようなもんがあって、
いつそれを噴出してやろうか、と企んでいるのかもしれない。
そう思うとなにか面白い気がした。
私の中にも乾いた高所や、湿った低地があるのだ。
そしてどこか奥底深くには自分でもわからないなにかが渦巻いている。
それを少しずつでも探検してみようじゃないか。
自分の中へのアースダイバー。
また今日から新たな一年が始まるのだな
去年のこの日からブログ版「ねぇさん日記」を開始した日なのだ~っ!
この一年、いろいろあった。
まぁ生きてりゃ~、誰にでもなんなとあるもんなんだろうけれど、
出会いや別れ、始まりや終わり、繋がり、反転、もちろん悪いこともたくさん…
このブログをやめてしまおうか、と思ったことも正直あった。
改めて「言葉」ってーのを扱うのはとんでもなく難しいもんだと思ったし、
だからこそいかにそれを使って「自分」の中のモヤモヤ・ドロドロしたもんを
表現できるのかと考えたり、考えずにただひたすら歩いていたり、
立ち止まったり、くるくる回ってみたり・・・。
自分の言動というものがまわりの人にどういう印象を与えるのか、なんて
今までそんなに考えたことはなかったのだけれど、
この一年はすごくそれを考えた年でもあった。
そんなつもりじゃなかったのに…って言葉はもうその相手には届かなくて。
説明しようと思っても、その言葉がまた微妙なズレを招いてしまったり。
あるイメージで決め付けられてしまうと、もうそこから抜け出すのは至難の業で。
悩んだり落ち込んだり、いろんな言い訳を考えたりもしたけれど、
結局私はこうやって毎日しょーもないことでも書き続けることで
「自分」というものを表現しようと思ったわけで。
最近話題の中沢新一の「アースダイバー」を読んでいる。
私は少しの間、東京の世田谷に住んだことがあり、兄貴も中野にいたこともあり、
出てくる地域や地図を見て「はぁ~あそこはそういえば・・・」
なんて思いながら読んでいるとなかなか先には進めず、また戻って読み返してみたり…
こうやって今当たり前に私たちが生きているこの場所地球には
もっとずっと昔から「地球の営み」としての動きがあって、
その流れで地形は変わり、生物が生まれ死に、人間が生活をするようになり、
私たちの生活は当たり前になにかしらそこにあることに理由があるわけだ。
今もそれは大きな流れの中で変わり続けている…
私たち一人ひとりは地球のようなものなのかもしれない、と思った。
人間にはいろんな面がある。
それは「表か裏か」なんていう単純なものではなく、
かと言って「まーるい球体」のようなものでもなく、
歪んだり凹凸があったり、トゲトゲがあったり、
暗くて見えない部分があったりするもんだと思う。
中にはドロドロとした高温のマグマのようなもんがあって、
いつそれを噴出してやろうか、と企んでいるのかもしれない。
そう思うとなにか面白い気がした。
私の中にも乾いた高所や、湿った低地があるのだ。
そしてどこか奥底深くには自分でもわからないなにかが渦巻いている。
それを少しずつでも探検してみようじゃないか。
自分の中へのアースダイバー。
また今日から新たな一年が始まるのだな
けど、だからこそ、まわりの人の言葉がありがたく感じられるし、
自分も人に対してそうありたい、と思います。
ま、これもまたなかなかむずかしいのですが、ね
色々と考えることが多くて、続けるのは大変でしょうが
こっそり見て応援しています。
まだ凹んだまんまですが・・・
日記の更新は今となっては日課のようなもんで、
やらないと落ち着かないんですよねぇ~。
もっといろんなものを削ぎ落とした文章を書きたいのだけど
大阪人の性がなかなかそうはさせてくれません
俺も2月からブログを書いてますが、なかなかねぇさんみたいに毎日更新は出来ないです。
継続と文章のうまさに頭が下がります。
今後もよろしく
光栄のいったりきたりでございますぅ~
来月ね…ほどほどによろしく♪
来月、九州で祝杯をあげましょうか(笑)