どんな1日も365分の1(今年は366分の1)で同じはずなのに
年末年始のこの数日はそれに対する感覚が違うのはなぜだろう?
終わりよければすべてよし。とか
一年の計は元旦にあり。とか
そんな言葉で帳尻をあわそうとするからか。
なんにせよ、新年も2日目である。
テレビでは若者たちが箱根に向かって襷を繋いでいる。
◆
昨日、本家に親戚一同が集まった際、
予想通り甥っ子は会う人会う人から
「次は何年生?」とか「大学はそのままあがるの?」などという
質問攻撃を受けて顔を真っ赤にしながら大汗をかいていた。
それに対する彼のこたえは
「ほぼ二年生です」とか「だいたいそうです」としどろもどろ。
だから言うたやん。
みんなに聞かれるで、って。
だって他の親戚の人はフツーに学校行ってると思ってんねんもん。
一年に一回しか会わへん親戚同士の交わす普通の会話やわなぁー。
それでも「お年玉」という目の前のにんじん欲しさに
あの場に行ったというのは、それなりの試練も受けないかんっちゅうことやし。
なんもなしに自分の権利だけを主張するのは間違いやということを知らなアカン。
彼曰く、この一年は(私たちがイメージする)「停滞」というものではなく
「前向き」な一年だったらしい。
それでもなおこの4月からどうなるか?は自分でもわからんらしいが。
なにがいいのか?とか
どれが正解なのか?なんて
そのときにはわからんもんなのだろう。
彼といろいろ話をしていて、
「匍匐前進でも少しずつ進んでいる」というイメージがあるのなら、
それもまたえぇんかな、と思った元旦であった。
ちなみに、両親が連れて行くことになっていたビジネスクラスで行くイタリア旅行も
そのシーズンはあちらがバカンスでオフシーズンだということで中止になったらしい。
世の中、予定通りに進むことなんて少ないのかもしれん。
年末年始のこの数日はそれに対する感覚が違うのはなぜだろう?
終わりよければすべてよし。とか
一年の計は元旦にあり。とか
そんな言葉で帳尻をあわそうとするからか。
なんにせよ、新年も2日目である。
テレビでは若者たちが箱根に向かって襷を繋いでいる。
◆
昨日、本家に親戚一同が集まった際、
予想通り甥っ子は会う人会う人から
「次は何年生?」とか「大学はそのままあがるの?」などという
質問攻撃を受けて顔を真っ赤にしながら大汗をかいていた。
それに対する彼のこたえは
「ほぼ二年生です」とか「だいたいそうです」としどろもどろ。
だから言うたやん。
みんなに聞かれるで、って。
だって他の親戚の人はフツーに学校行ってると思ってんねんもん。
一年に一回しか会わへん親戚同士の交わす普通の会話やわなぁー。
それでも「お年玉」という目の前のにんじん欲しさに
あの場に行ったというのは、それなりの試練も受けないかんっちゅうことやし。
なんもなしに自分の権利だけを主張するのは間違いやということを知らなアカン。
彼曰く、この一年は(私たちがイメージする)「停滞」というものではなく
「前向き」な一年だったらしい。
それでもなおこの4月からどうなるか?は自分でもわからんらしいが。
なにがいいのか?とか
どれが正解なのか?なんて
そのときにはわからんもんなのだろう。
彼といろいろ話をしていて、
「匍匐前進でも少しずつ進んでいる」というイメージがあるのなら、
それもまたえぇんかな、と思った元旦であった。
ちなみに、両親が連れて行くことになっていたビジネスクラスで行くイタリア旅行も
そのシーズンはあちらがバカンスでオフシーズンだということで中止になったらしい。
世の中、予定通りに進むことなんて少ないのかもしれん。