先月初めに「評価シート」と「自己申告書」を提出していたので、
面談があるだろう、ということはわかっていたのだが、
もう一ヶ月余り経っていたし、ないもんだとばかり思っていたところ
昨日の朝 突然、部長から「今から面談するから」と声をかけられた
あらま~、なに話そうかなぁ~、などと思いながら面談室へ。
「さて、と・・・」
一瞬の沈黙が流れたあと、結局40分ほど話していた
時代の違い、意識の違い、役職の違い、性別の違い、性格の違い、
などいろいろあるだろうが、
私の「思い」みたいなもんを部長にぶつけて、ある意味スッとした。
部長はどんよりしたのだろうか・・・
これによってなにも変わらないかもしれないし、少しは変化するのかもしれない。
ただ、問題意識を持つこと、向上心を持つこと、考えること、
変わろうとする勇気、変えようとする熱意、そして時には変わらない決意は大切だと思う。
まわりの人のイメージでは「私」という人間は
どうも「思ったことをバンバン言う」ように思われているようだが、
たしかに年上の男性に対しては、どんなエライさんであっても、
「正しいと思うこと」とか「自分の意見」なんかを言えるのに、
これがどうして「年下の女子」となると、なぜかなにも言えなくなるのだなー。
それはなんでなのか?と自分なりに分析してみた。
一つは・・・
学生時代、部活でも先輩至上主義みたいな
「年上は絶対である」という偏った感覚を根っこに植えつけられ、
社会人になってからも、いつも20~30歳くらい年の離れたお局さまがいる状態で、
「まずその人ありき」みたいな感覚でいるのが当たり前だった
それが今は自分が一番年上で、ふと下を見るとみんな10歳以上年下の女の子ばかり。
自分がやられたこと(たとえば精神的な苦痛になるような)を
同じように後輩にやる気もないし、
おうちで躾けられるような常識的なことを、
10歳やそこらしか年の離れていない私が言うことでもないだろう、
という気持ちが大きいのかもしれない。
でも、たとえば部屋を出ようとするのと入ろうとするのとが同時になった時、
女性として自分が控える、というのが自然にできるのが当たり前だろうと思うし、
朝「オハヨー」と挨拶しても反応がなかったり、
言葉遣いは丁寧でも、「それはないでしょ~?」というような
常識のないようなことを言われたり、されたりすると、
その辺に穴を掘って叫びたくなる、という衝動に駆られることもあったりする
そういう意味ではやはり「お局さま」というのは
「嫌われ者」になるかもしれないけれど、
「教育担当」という意味では存在価値はあるのだろうな。。。
「オニババ」も捨てたもんじゃーないのかもしれん
そしてもう一つの理由としては・・・
昔、ある女性に対して、仕事に対するモノの考え方について
「それはおかしいでしょ」と意見したとき、ポロポロと泣かれてしまって
「あぁ、女性を泣かせてしまった」という
普通は男性が感じるであろう、なんとも言えない罪悪感を感じたことがあって、
それが言った方の私にとってもトラウマになっているのかもしれないのだな
ということで、「年下に弱い」がその分「年上には強い」ということで、
まー、凸凹あっての私、なのである
面談があるだろう、ということはわかっていたのだが、
もう一ヶ月余り経っていたし、ないもんだとばかり思っていたところ
昨日の朝 突然、部長から「今から面談するから」と声をかけられた
あらま~、なに話そうかなぁ~、などと思いながら面談室へ。
「さて、と・・・」
一瞬の沈黙が流れたあと、結局40分ほど話していた
時代の違い、意識の違い、役職の違い、性別の違い、性格の違い、
などいろいろあるだろうが、
私の「思い」みたいなもんを部長にぶつけて、ある意味スッとした。
部長はどんよりしたのだろうか・・・
これによってなにも変わらないかもしれないし、少しは変化するのかもしれない。
ただ、問題意識を持つこと、向上心を持つこと、考えること、
変わろうとする勇気、変えようとする熱意、そして時には変わらない決意は大切だと思う。
まわりの人のイメージでは「私」という人間は
どうも「思ったことをバンバン言う」ように思われているようだが、
たしかに年上の男性に対しては、どんなエライさんであっても、
「正しいと思うこと」とか「自分の意見」なんかを言えるのに、
これがどうして「年下の女子」となると、なぜかなにも言えなくなるのだなー。
それはなんでなのか?と自分なりに分析してみた。
一つは・・・
学生時代、部活でも先輩至上主義みたいな
「年上は絶対である」という偏った感覚を根っこに植えつけられ、
社会人になってからも、いつも20~30歳くらい年の離れたお局さまがいる状態で、
「まずその人ありき」みたいな感覚でいるのが当たり前だった
それが今は自分が一番年上で、ふと下を見るとみんな10歳以上年下の女の子ばかり。
自分がやられたこと(たとえば精神的な苦痛になるような)を
同じように後輩にやる気もないし、
おうちで躾けられるような常識的なことを、
10歳やそこらしか年の離れていない私が言うことでもないだろう、
という気持ちが大きいのかもしれない。
でも、たとえば部屋を出ようとするのと入ろうとするのとが同時になった時、
女性として自分が控える、というのが自然にできるのが当たり前だろうと思うし、
朝「オハヨー」と挨拶しても反応がなかったり、
言葉遣いは丁寧でも、「それはないでしょ~?」というような
常識のないようなことを言われたり、されたりすると、
その辺に穴を掘って叫びたくなる、という衝動に駆られることもあったりする
そういう意味ではやはり「お局さま」というのは
「嫌われ者」になるかもしれないけれど、
「教育担当」という意味では存在価値はあるのだろうな。。。
「オニババ」も捨てたもんじゃーないのかもしれん
そしてもう一つの理由としては・・・
昔、ある女性に対して、仕事に対するモノの考え方について
「それはおかしいでしょ」と意見したとき、ポロポロと泣かれてしまって
「あぁ、女性を泣かせてしまった」という
普通は男性が感じるであろう、なんとも言えない罪悪感を感じたことがあって、
それが言った方の私にとってもトラウマになっているのかもしれないのだな
ということで、「年下に弱い」がその分「年上には強い」ということで、
まー、凸凹あっての私、なのである