今週月曜日から木曜日まで、奈良と京都へ行ってきた。
先月福岡へ行ったばかりということもあって乗り気はしなかったが、「行ける時に行っておかないと」という家族の言葉に押されて行くことにした。
さっそく航空券とホテルを予約したが、ハタと気づいた。
そういえば政府の旅行支援が始まり、さらに海外からの旅行客の受け入れも始まって、観光地は混んでいるのではなかろうか、、、
特に京都なんて激混みかもしれない。
やっぱりやめれば良かったと思ったが、すでにキャンセル料金が発生するので行くしかない。
というわけで行ってきたのだが、今は行って本当によかったと思っている。
予想通り飛行機もホテルも満員だし、観光地は修学旅行の団体も加わって激混みだったが、今回の旅は、まるで夢の中にいたような不思議な感じがしている。
ところで京都は10年近く前に行ったことがあるが、奈良は高校の修学旅行以来で40数年ぶり、、、
当時は修学旅行に来たことですっかりおだち(はしゃぐこと)、たしかに有名な歴史的建造物や仏像を観たと思うが、そのほとんどが記憶に残っていない。
しかし還暦を過ぎて行くと(もうおだったりしないし)、見方が全然違った。
仏像の柔和なお顔や手の動きに見惚れ、古寺の枯山水の庭を心静かに眺める。
千年以上も昔に、このような素晴らしい建造物が存在していたことに何度も感動を覚えた。
また今回は、地元の方とお話しをする機会にも恵まれた。
奈良で出会った高齢のご夫婦。
息子さんが、北海道新十津川町で働いているそうだ。
新十津川町といえば、奈良県十津川村からの移住者によって開拓された町で、ご夫婦はその十津川村出身だそうだ。
この話は地元北海道でも度々ニュースになったのだが、明治時代、大洪水が十津川村を襲い、2400名あまりの村民が北海道移住を決意する。
移住者たちの「必ず第二の郷土を建設する」という決意のもと、ふるさとの十津川村を後にする日、残った村民らがなけなしのお金をかき集めて持たせてくれたのだという。
厳しい北海道の自然の中、移住した十津川村の住民たちは、未開の地を必死に開墾して、お米が実る豊かな農村へと変えていった。
現在でも新十津川町住民は十津川村を母村と呼んで慕い続けているそうだが、十津川村の方でもそうだということが、このご夫婦のお話から分かった。
新十津川の開墾の話は大好きな話だったので、十津川村のご夫婦からお話を聞けたことはとても良かった。
まるで仏様の仏像のように柔和なお顔のご夫婦だった。
今になってみれば、ご夫婦に会ったのは現実だったのだろうか、もしや夢の中だったのかしら、、などと思ったりもしていている。
まだ続きを書きたいのだけど、長くなるので続きは次回にしようと思います。