ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

スプーンおばさん

2016-04-27 12:31:39 | 日記
桜はまだだが、春になりやっと野山の木々が芽吹き始めた。

茶色ばかりだった森林が少しずつ緑色に変わってきたのが嬉しい。



出たばかりの新芽を食べに、裏庭から続く森の木に小鳥たちがたくさんやってくる。

もう庭の野鳥のエサ台は店仕舞いしよう。

不思議なもので、冬の間あれほどエサ台に来ていた野鳥たちが、最近はさっぱり姿を見せなくなった。

乾燥した粟やヒエより、やっぱり新鮮な木の芽の方が美味しいのだろうなぁ。

ところで話は変わるが、最近よんだ本の中になるほどと思うことが書かれていた。

「読書の効用」について

自分のことは自分が一番知っているようで、実は自分のことが一番わからないという人が多いそうだ。

「自分らしさを見つけよう」とか「自分の得意ジャンルを伸ばそう」と言われても、どうしたらよいのかわからない人も多いと思うが、そんな時は過去に自分がどのような本を読んでいたのかと振り返って見ると良いそうだ。

過去に読んできた本には、自分が目指してきたものが隠されているのだと言う。

自分が何に興味を持っているのか、自分が面白いと思うものは何なのか、自分が好きな世界観はどのようなものなのか、過去に読んできた本は、さまざまな事情を浮き彫りにしてくれるのだという。

たしかにそうかもしれない。
手あたり次第、読んできたようであっても、やはりそこには自分の好みがある。

私は小説やエッセイなら、日常生活の何気ないことを書いたものが好きだ。

それは多分子どもの頃から変わらないのだと思う。

子どもの頃に夢中になって読んでいたのが、ノルウェーの作家アルフ=プリョイセンの「小さなスプーンおばさん」だった。



ほかにも「スプーンおばさんのぼうけん」「スプーンおばさんのゆかいな旅」があり、私はどれもみんな持っていたが、中でも一番好きだったのがこの「小さなスプーンおばさん」だった。

普通のおばさんが、ある日、とつぜんティースプーンほどに小さくなってしまうのだが、おばさんはちっとも動じず「なんてこった」とぶつぶつ言いながらも、「小さくなっちゃったんなら仕方がない」と家事をこなしていく。

なんと動物たちに家の掃除を手伝ってもらい、フライパンやつぼをなだめすかして、出かけているご亭主のお昼ご飯も作ってしまう。

そしてご亭主が帰ってくる頃には元の大きさに戻ったおばさんが何事もなかったように涼しい顔で、おいしそうな昼食をご亭主の前に出す。

さらにほかのお話では、小さくなったおばさんがカラスの会議に出席して、落ちている色々な鳥の羽根を拾って身に着けカラスとおしゃれを競い合ったりする。

小さくなったおばさんにハラハラしたり、胸をなでおろしたり、またおばさんの作るコケモモジャムやパンケーキと言った美味しそうな料理を想像してみたり、スプーンおばさんと一緒にゆかいな冒険に出たりと、あの頃は何度読んでも飽きず、表紙が擦り切れるほど繰り返し読んでいた。

実は知らずに本の中に出てくる登場人物をお手本にしているということがよくあるそうだ。

フィクションだとわかっていても、登場人物の失敗や挫折が他人事とは思えず、「よし自分もがんばろう」と思うのは私も経験がある。

現実に生きる人間をお手本にすることも、もちろんあるのだが、生きている人間は複雑で、それもまた魅力なのだが、小説などに登場する人物は文字で書かれている分、この人物のどういうところが好きかを自分でも把握しやすいのだそうだ。

「どんなふうに人生を歩んでいきたいのか」
「困難にどう立ち向かえばいいのか」
「自分はどんな人間になりたいのか」

このような難しい問いにも比較的明確な答えを出してくれるのが、本の中の登場人物なのだとか。

そして、子どもの頃に読んだ本と言うのは鮮烈な印象を残すことが多く、今はあまり読書をしなくても子どもの頃にどんな本が好きだったのか、どんな登場人物に憧れたのかなどを思い出すと、自分のことが少し見えてくることがあるそうだ。

私もスプーンおばさんのことはすっかり忘れていたが、今思い出してみると、やはり私はスプーンおばさんのようになりたかったのだと思う。

スプーンおばさんみたいに小さくはなれないし、カラスの会議にも出ることはできないが、困難があっても「仕方がない」とたくましく思い、ご亭主においしいご飯を作り、ふつうの何気ない日常生活を大事にしたい。

大人になって、少しはスプーンおばさんに近づけたかな?

いやいや、私はスプーンおばさんほど肝が据わっていないからまだまだだろう。

なんだか久しぶりに「スプーンおばさん」を読んでみたくなった。











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想いは通じる

2016-04-22 14:40:11 | 日記
ここ数日、妹の体調や精神状態が気になって、ずっとそのことを気にかけていた。

そして、私自身も眠りがいつもより浅く疲れが取れないような感じがしていた。

ところで父を見て下さっている病院の看護師さんから電話が来た。

「お父さんのかかとの検査を受けて来てはいかがですか」というものだった。

父の足のかかとに腫瘍らしきものができ、それが悪性なのか良性なのかを病院で調べてもらう必要があるそうだ。

「妹さんと検査の相談をしてみてください」と看護師さんに言われ、そのことについて話すために妹に電話をかけようと思った。

体調不良が続く妹と会って以来だが、妹宅に何度か電話をかけても通じなかった。

そして、あきらめて翌日にかけた時にやっと繋がった。

かけたのは携帯電話ではなく、妹宅の固定電話だったので、私から何度か電話が来ていたことを妹は知らなかったそうだ。

また妹は私が体調の心配していることも知らないのだが、電話に出た妹の第一声は、想像していないようなことだった。

「お姉ちゃんが(私のこと)昨夜から朝までずっと私のそばに居たよ。普段、お姉ちゃんが夢に出てくるなんて一度もなかったのに、一体どうしたんだろうと思うくらい昨夜から朝目覚めるまで、ずっと一緒にいる夢を見ていた。本当にお姉ちゃんが現実にそばにいるかと思うほど、リアルで生々しい夢が続いていたの。何かあった?」

そう妹から言われて「あっ」と思った。

私が妹のことを気にするあまり、自分の肉体から抜け出して幽体の姿で妹のそばに行ってしまったのだろうか?

だからなのか、妹からそのように言われた日は、朝から身体全体がダルくて、疲労感がずっと取れなかった。

これは単なる偶然なのかもしれない。

たまたま私が妹のことを考え続けていた時に、妹がめったに見ることのない私の夢を見ただけの偶然・・・

しかし、そうとは言い切れない何かが、人の想いとか念のようなものがあるのではないかとも思う。

戦争に行った人が戦地で亡くなった時間に、会いたかった人の枕元に立つなんて話はよく聞くことで、非常に強い想いがそうさせるのかもしれないと思うのだが、とすれば自分もそんな強い念を発していたのかもしれない。

そう思うと、やはり人を思うこともほどほどに、できれば風のように流せるくらいにしなければいけない。

この疲労感は普通の疲労感ではないので、もう肉体を離れるなんてことはしないようにしなければと思う。

ところで、妹が見た夢の話だが今回と似たような出来事が昔もあったことを思い出した。

それは、母が亡くなってまだそれほど年月は経っていなかった時期だった。

妹とは6歳も年が離れているので、私はすでに結婚していたが、妹は独身で当時お付き合いしている男性がいた。

ある日、妹は私に付き合っている彼にぜひ会ってほしいと言った。

妹はその男性との結婚を考えているようだった。

彼氏のことは事前に妹からいろいろと聞いていたのだが、経歴や職業に関して言えば申し分のない、いわば「エリート」だということは知っていた。

転勤はあるがそれは仕方のないことだし、それだけだったら私も大賛成したのだが、実際にあってみたところ、どうしても引っかかる部分があった。

人当たりも良く、ルックスも良く、社交的で明るい青年だったが、どうしても気になったこととは「移り気っぽく」見えたところだった。

そう・・・今でいう所の「チャラ男」だろうか。

同じチャラ男でも実は中身は誠実な人というパターンもあるが、妹が連れて来た彼の場合は何度会っても、その懸念が消えなかった。

もしかして結婚後、数年したら「浮気」するタイプかもと思った。(この予感は、あとから聞いた話によると当たっていた)

何度か彼に会った結果、妹に「できれば彼はやめた方がいい」と言ったのだが、彼に夢中になっていた妹には何を言っても通じず、しまいに妹は怒り出してしまった。

「お姉ちゃんが何と言っても、絶対にあの人と結婚する!!お姉ちゃんになんか、聞くんじゃなかった!」

ぷりぷりと妹は怒り、そんな妹にはもう何を言っても無駄だろうと思ったが、それでもどうしても妹のことが心配でたまらなかった。

「あのチャラ男は将来浮気する=妹が不幸になる」という図式が頭の中を巡り、どうしようもなくて父に相談したのだが、父は「妹の思うようにさせたらいい」と言って、彼氏と妹の結婚を望んでいるようだった。

父に相談してもダメ、妹に話そうにも怒っていて無理。

そんな中で私が頼ったのが亡き母だった。

その当時は今やっている先祖供養を知らなかったのだが、私は毎日のように仏壇の前に座りお線香を焚いて手を合わせて母に語り掛けていた。

「妹が結婚したがっている男性が本当に誠実な人なのか、結婚して妹が不幸にならないのか心配です。お母さんにはどう見えますか?」などなど、そのようなことを亡き母に心の中で語り掛けていた。

それから半月ほど経った頃だろうか。

妹が突然、こんなことを言った。

「はっきりとした姿でお母さんが夢に出てきたの。おねえちゃんがあなたのことをすごく心配しているけど、その彼氏は一体どんな人なの?お母さんに教えて。本当にその人と結婚していいのかい?」

母がそう言ったのだという。

妹からこのことを聞いた時は本当に驚いた。

「母に伝わったんだ!」そう思ったが、もしかしたら私の言葉が気になっていた妹が単に母の夢を見ただけなのかもしれない。

このような目には見えない世界の話では、本当に亡き母に私の言葉が伝わって妹の夢に現れたと言い切れないのだが、実際にこのあとから妹の様子がすこし変わったような気がした。

あれほど夢中になっていた彼への想いに変化が出たように思った。

そして夢の話を聞いてからしばらくして、妹が「彼と別れた」と言いに来た。

すこしホッとした気持ちで良かったと思いながら、「本当にそれでいいの?」と念を押すと「いいよ」とすっきりとした顔で答えた妹の顔が今でも思い出される。

それからまもなくして妹に別の出会いがあり、二度目に会わせてくれた男性を見たときは、私は二重◎で即OKを出した。

けっしてエリートではなかったが、誠実で真面目で大阪弁を話す好青年だった。

彼と一緒ならきっと妹も幸せになれると思えた。

これが今の妹の旦那さんですが、結婚して20年以上が経った今でも、奥さん一筋で妹は幸せな結婚生活を送っている・・・と私は思う。
(あんなに幸せなのに不満を言ったらバチが当たるわ~)

長々と書いてしまったが、一体何が言いたかったのかと言うと、先にも少し書いたが人の念や想いは、言葉は無くても、相手に(相手が亡くなっていても)通じるのだろうということ。

だからなるべく良い想いだけを持っていたいと思う。

恨みや心配などと言った想いは、想いを受け取る方にも想いを知らずに出している方にもけっして良くない。

現に私は体調が悪くなった。

心配と言えば聞こえはいいが、心配もまた「執着」なんだよなぁ。

もうこの辺でこの執着を断ち切りたい・・・と思う今日この頃です。








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梅干しにカビ

2016-04-18 16:17:38 | グルメ
昨年漬けた梅干しの瓶を見ていたら、中の梅干しに白いものが所々についていることに気付いた。

これは!?どうみてもカビだよねぇ・・・

以前は大量の梅を大きな樽で漬けていたのだが、家族の数も少なくなって食べる量も少なくなったので、ここ最近はお手軽な方法の瓶で少量の梅を漬けていた。

瓶で作る梅干しは重石をすることもなく塩だけで梅酢が上がってくるのと、よく熟れた南高梅を使うことによって柔らかな美味しい梅干しができる。

いつもカビが生えるということもなく美味しく出来上がっていたのに、これは一体どうしたことか?とよく考えてみたら、昨年は塩の量を減らして作ったかもしれない。

家庭で作る梅干しは防腐剤などの添加物を入れない為、塩分をやや多めに(15~20%)して作るのだが、しょっぱいのが苦手な私は塩の量を減らして10%ほどにして作ったと思う。

そしてまた冷蔵庫か涼しい場所で保管しておけばよかったものの、ずっと暖かな室内に置いていたのが良くなかった。

時々、梅干し好きなチェリーが瓶のふたを開けて梅干しを食べていたのだが、空気に触れたり箸についた雑菌のせいでカビが生えてしまったのかもしれない。

しかし発見が早かったせいか、まだ白いカビはそれほど多くはなく、さっそく気を取り直してカビ退治をすることにした。

まず35度の焼酎で梅干し一つ一つを丁寧に洗い、そして天日干しをした。



部屋中に梅の良い香りが広がる。

よく乾いたら、新しい梅酢に漬けて今度は冷蔵庫で保管しようと思う。

今日は梅干しのカビに慌ててしまったが、こうして普段通りに家事ができるとは、なんとありがたいことかとしみじみ思う。

九州の被災地で不便な避難生活を送られている方々を思うと、何事もなく普段通りの生活をしていることが申し訳ない気持ちになる。

地震が起きる数日前、娘さんが住む熊本へ遊びに行き札幌へ帰って来た義姉夫婦から熊本の話を聞いていたばかりだったのに、このような大きな地震が起きてしまうとは・・・

義姉の娘さんは熊本に嫁いだのだがご主人が突然亡くなり、若くしてシングルマザーになってしまった。

だから義姉たちは娘にこちらへ帰ってくるよう何度目かの説得に行った。

義兄などは「絶対に連れて帰ってくる」と鼻息も荒く熊本に行ったのだが、今回も娘さんから拒否されてしまったとこぼしていた。

シングルになってしまったとは言え、嫁ぎ先の家の方々に可愛がられていた姪は、今も婚家の方々によくしてもらっているのだそうだ。

またご近所の方も片親で子どもを育てるのは大変でしょうと言って野菜などを持ってきてくれるとか、姪が働く職場の方々も良い方ばかりだそうで、なにより子どもが熊本を離れたくないと言っているのだとか。

姪が帰ってこないのには諸々の理由はあるのだが、義姉によると「帰ってこない一番の理由は、娘自身が熊本を離れたくないのだろう」と言っていた。

亡くなったご主人と生活した思い出の地であり、周囲の良い方々との出会いが説得に応じない理由なのかもしれない。

とはいえ、このような大きな災害が起こってしまい、姪はどういう状況になっているのかと心配していたが、それほど大きな被害のない地域だったから大丈夫とのことだった。

しかし、報道番組で流れる被害のあまりの大きさに呆然となる。

そしてこれは姪に対してだけではなく、被災している多くの方々のために、この状況で自分がいま何ができるのかを考えていた。

とりあえず私にできるのは義援金を送ることくらいなのだが、きっと今、日本中では「自分に何ができるだろうか」と考えている人が数多くいるのではないかと思う。

自分がここで何を得ることができるか・・・ということばかり考えている社会は本当に生きにくい世界だが、他者の為に自分は何をできるのだろうかと考える社会は愛の溢れる理想郷にさえなっていくのだと思う。

あまりにも悲しい出来事で被災された方にはかける言葉も見つからないが、このような状況で「他者のために自分が何ができるのか」ということを多くの人が考えられる機会が再び与えられたことが唯一の救いかもしれない。

一日も早く地震がおさまり、平安な日常生活が戻りますよう心よりお祈りいたします。






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抑圧された感情

2016-04-14 15:45:26 | 日記
治癒不能と言われた末期がんから生還した患者の医学論文は1000件以上あるそうだが、その原因を探った人はいなかったそうだ。

つまり医師は治すのが仕事なので、こうした事例を追跡研究することはなく、「たまたま」治ったという話は「偽りの希望」を与えるだけだとして積極的に口外することもなかったために、自然治癒事例は事実上放置されてきたということらしい。

そこで医学的に見放された末期がん患者で、奇跡的に「治った」人達を10ヶ月間、日本も含めて10ヶ国を調べたそうだ。

75項目を元に聞き取り調査した結果、そこには「治った人たち」に共通する上位9項目があったそうだ。

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ

これらに順位はないが、劇的寛解の経験者はほぼ全員が程度の差はあれ9項目ほぼすべてを実践していたのだそうだ。

これを実践したからと言って必ず病気が治るとは思わないが、私が最も興味をひかれたのは「抑圧された感情を解き放つ」ということ。

抑圧された感情を心の奥深くに長く押し込めていると、いずれ身体に何かしらの不調や病気が現れるのではないかと感じていた。

ところで先日、妹と会ったとき「最近体の調子が悪い」と言っていた。

これは今始まったことではなく、もうずっと前から調子が良くないということが続いていた。

妹は病院で治療しているのだが、「更年期障害」ということで、なかなかすっきりとは良くならないのだという。

しかし妹と話しているうち、もしかしたらその調子の悪さは「感情の抑圧」にも関係しているのではないだろうかと思うようになっていった。

妹は、自分の家族に対しても友人に対しても常に自分の気持ちを押さえつけ、彼らにとっての「よい人」を演じている。

不満があっても口にせず、できるだけ彼らの望みに応えられるように努力を惜しまない。

家族は付き合わないという訳にはいかないにしても、友人ならばすこし距離を取ればいいのに・・・と思い、またそうするようにアドバイスをしたが、友人との付き合いは嫌なことだけではなく楽しいから付き合っているのだという。

「じゃあ、仕方がないね。でも自分の気が進まないことは断ることも大切だよ」と伝えた。

さらに家族のことも、妹いわく「すべて母であり妻である自分に家族が相談や問題を持ち込んでくる。夜中であっても体調が悪い時であっても家族からのSOSがあれば、頑張って自分がなんとかしようとするから、とても疲れる」という。

どのようなことがSOSなのかと聞くと、とても重要なこともあれば、それは家族本人に任せたらと思うような些細なこともあった。

妹がこんなに疲れている・・・このままでは本当に病気になってしまう。

そう思って「家族に自分の身体の状況を話して、もうすこし手を抜いたら」と言ったのだが、この「手を抜いたら」という言葉が妹の中にある地雷を踏んでしまったようだ。

急に妹が怒り出した。

「手を抜くって言うのは怠け者の言うことだよ!私は今までなんでも全力でやってきた。じゃないと、結果が出せないじゃん!子どもの頃だって、私はお父さんやお母さんの言うことに逆らったことはなかった。本当は部活だってやりたかったのに、お母さんが駄目だと言うからやらなかった。自分がやりたいと思ったこと(部活)をやってしまうお姉さんとは違う!」

「そうだったかなぁ。私は母に部活はやめなさいなんて言われた覚えはないのだけど、妹にはそう言ったんだ」と自分の学生時代の遠い思い出を頭の中で引っ張り出していた。

そして「そうなの?そんなこと言われたの?お母さんってそういうことは言わない人だと思っていたけど」と言うと「それはお姉ちゃんが自分のわがままを通していたからだよ。だからお母さんの言うことも頭に残っていないんじゃないの?大した努力もしていないのに、すいすい道を歩いて行くお姉ちゃんにいつもなんで?と思っていた」と感情が高ぶっている妹に言われた。

すいすい道を歩いて来たなんてことも自分では思っていないし、そのように言われることは心外だった。

あちこちに頭をぶつけて、のたうちまわって苦しむこともあった。

また「大した努力もしていない」とか「わがままだった」とか、自分自身では全く自覚はしていなかったが、そう見えていたのだ。また実際そういう所もあったのだろうか。(ちょっとグサッときた)

ただ・・・部活をやりたいと言った子どもの頃と同じように、今でも私は父母であろうと、きっと自分の考えを伝えてわかってもらう努力はするだろうと思う。それに変わりはない。

これを言うと、妹は今でも父母には逆らわず言う通りにするだろうと言い、ここが妹と私の決定的な違いだということがはっきりしたことだった。

重たい更年期症状を抱える妹にこれ以上言ってもヒートアップさせるだけなので、その後は黙って話を聞く側に徹したが、妹の口からは「愚痴、不平不満」ばかりが出てくる。

これが妹の抑圧された感情。

妹自身は自分の感情が抑圧されているとは思っていないだろうが、心の奥底に押し込められた感情が、妹の体調不良の原因の一つにもなっているような気がしてならなかった。

じゃあ、どうしたら抑圧された感情を解き放つことができるのか・・・

やはり家族に自分の気持ちを素直に伝えることだと思う。

体調が悪いから、これはできるがあれはできないのでお願いとか、そういうことを家族に伝えれば、じゅうぶん理解してくれる妹の家族であることには間違いない。

逆になぜそれが言えないのかが、私には不思議でならないのだが、妹が自分の意に反して無理にやっていると思っていることが半分、そしてもう半分は妹が自分でやらないと気が済まないからやるという妹自身の気質もあるのだろうと思う。

だから私は友人との付き合い方でしたアドバイスと同じく「じゃあ、仕方がないね。やるしかないよね」と言わざるを得ない。

こうして妹の体調も心配だが、今は時々愚痴を聞いてやって見守るしかない。












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静かな時間

2016-04-11 15:34:13 | 旅行
前から行きたいと思っていた「足湯」へ行って来た。

場所は札幌の奥座敷と言われている定山渓温泉にある「心の里 定山」

温泉街でも珍しい足湯だけの施設です。

ここは小学生以下は入場不可となっていて、自然に囲まれた環境で心静かに過ごしたい大人のための足湯なのだそうだ。

入館料1000円だけで開館時間内であれば時間制限なく、心ゆくまでゆったりとした時間を過ごせる。
(5月から1500円に値上げ予定だそうです)

ちなみに入館料の中には、セルフサービスで自由に頂くことができるケーキやクッキーなどのお茶菓子類、コーヒーや紅茶、ハーブティなどが用意されている。
(お茶菓子はスタッフの女性が作られているのだが、これがまた美味しかった!)

さらに足湯に入ったあとに使うタオル、寒さ対策のひざ掛けや半纏、また日差しを避けるための麦わら帽子も用意されているので何も持たずに行くことができる。

心の里・定山を経営しているのが隣接する老舗ホテル「ふる川」で、さらに500円プラスすると、「ふる川」の温泉も利用することができるので、私は1500円で足湯と日帰り温泉セットを申し込んだ。

さて行った日が平日だったせいか、はたまた時間が早かったせいか(入ったのは午前10時半ころだった)お客さんは他にはまだ誰もなく、本当に入っていいのだろうか?と思うくらい「心の里 定山」はひっそりとしていた。

すると中から従業員と思われる女性が現れて、建物の中へと案内してくれた。

木がふんだんに使われた室内はこのようになっています。



外の足湯を望める大きな窓に面して、座り心地の良さそうな椅子が置かれている。

これ以外にもいろいろな椅子が部屋の中の各所にあり、好きな場所の椅子に座ってくつろぐことができる。



800冊以上と言われる本は自然専門書が数多く揃っていて、もちろん自由に手に取って読むことができる。
私は好きな野鳥の写真集を眺めながらお茶を飲んでいた。



こちらは茶室。

茶室も自由に使うことができて、道具も貸して頂けるそうだ。

そして、こちらが足湯です↓



足湯はこれ以外にもあり、合わせて8種類の足湯があるのだが、ここにも座り心地の良い座椅子が用意されていてリラックスできる。

今はもう4月とはいえ、外はまだところどころに雪が残っている。

足湯に浸かっていても外に出ている身体が寒くなってくるので、20分ほど足湯に浸かって室内へ戻った。

ちなみに足湯の効果的な入り方は40℃くらいのお湯に15~20分、一日に3回以上が良いのだそうだ。

足湯に効果的に入ることによって心臓機能や肝臓機能の改善や血行の促進が期待できるのだとか。

行った日は外の気温が6℃くらいだったので、もう少し暖かい日であれば3回以上は入ったのだが、この日は寒すぎて1回のみで足湯を断念。

あとは部屋の中でくつろぐことにした。

館内は小鳥のさえずりなど自然の音が入ったヒーリングミュージックが流れ、本物の小鳥たちがひっきりなしにやってくる窓の外の景色を見ながらゆったりとした静かな時間が流れて行く。

私たちのあとから何組かお客さんが来られたが、みなさん静かに本を読んだりお茶を飲んだり、ささやくような声で会話をしたりと、静寂な空間を乱さないようにされている。

・・・と、その時!

突然、その静寂な空気が一変した。

「な、なんなの~?」と振り向くと、騒々しく入って来たのは外国人観光客の団体さんでした・・・

施設の方のお話によると、ここは観光コースに入っていることがあるとかで、時々このようにアジアの外国人観光団が来るのだそうだ。

「外国のお客様はいつも一時間程度の滞在で出発されますので、その間騒がしくて申し訳ございません」とすまなそうにおっしゃった。

施設の方がおっしゃったとおり、観光客の一団は珍しそうに半纏を着て麦わら帽子をかぶり足湯に入って、自撮り棒で記念撮影をしたあと、また嵐のように去って行った。

私たちは時々このように騒々しいある国の観光客の一団に眉をひそめることがあるが、30年以上前、日本人もヨーロッパなどで同じように眉をひそめられていたことがあったことを思い出す。

それは日本がまだバブルで浮かれていた頃、日本人が大金を持ってヨーロッパの名だたるブランド店に大挙して押しかけ、商品を買い漁っていたことがあった。

20代初め、私は友人と初めてヨーロッパへ海外旅行に行った。

当時は観光コースにブランドの名店での買い物が入っていた。

私も友人もブランド品にはまったく興味がなかったので、ほかの人たちが血眼になって高価なバッグや財布を選ぶのを見ていたのだが、日本人が商品を選ぶ間の現地の店員さんたちの冷たい目が忘れられない。

売ってやるわというような横柄な態度と眉をひそめて呆れたような顔つき。

そんな態度をされたら、もう買う気も失せると思うのだが、その当時はみんな気にしていないように大量に買っていた。

当時のフランスの店員さんよりも日本のお店の方がずっと丁寧な接客をしていると思うし、商品を爆買する以外は礼儀正しい日本人観光客と周囲への気づかいがあまりない外国人観光客では大きな違いもあるが、今はまだ某国の人は外国での観光マナーがよく理解できていないのかもしれないと、騒々しい観光客の団体さんを見て思っていた。

あと何年かしたら、この方々も大人の空間になじむくらい成熟した観光客になっているのかも。

だから私は多少うるさくても、ひそめそうになる眉をそっと手で伸ばしている。







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木を切ったのは

2016-04-05 16:09:53 | 介護
しばらく行っていなかった父の所へ行って来た。

私が旅行で留守をしていた間、妹が行ってくれたのだが、父の脈拍数が高くなり、さらに血便も出始めたとのことだった。

ただ父は意識もはっきりしていて元気なので、今後の治療については後日、担当の医師からお話を伺うことになった。

さて私が父の所に行くと、父は珍しくベッドに寝ていないという。

じゃあ父はどこにいるのかな~?と探したら、車いすに座ったまま、テーブルに顔を突っ伏して寝ていた。(どおりで父を見つけられなかったわけだ)

職員さんが「娘さんが来てくれましたよ」と言って父を起こしてくれた。

眠っていた父がゆっくりと顔をあげたら、父の顔に赤く手の跡がついていた。

長く寝ていたのだろうか。

とりあえず父の部屋に車いすのまま連れて行って、そこでお話をすることにした。

職員さんからは「最近、ほとんど声を出さなくなったのでお話をさせてください」とお願いされた。

父に向っていろいろな話をしたが、にこにこと笑ってうなづくだけで、やはり職員さんがおっしゃっていたように自ら声を出して話そうとはしなかった。

そこで、父の大好き(だった)な話をすることにした。

それは父の過去の栄光ともいうべき、働いていた頃の話題だった。

すると父は「そうそう、そうだったな」と言って、当時の様子を話し始めた。

思った通り、話に乗って来た父の様子に「やっぱりお父さんは仕事が好きだったんだね~」と思った。

ずいぶん話の内容は変わっていたが、これも認知症の影響だと思えば仕方がない。

ちなみに父は男性の職員さんやお客さんが来ると、たちまちシャキーンと元気になることが多い。

これも働いていた頃の記憶がそうさせているのかもしれない。

父は70代半ばまで現役で働いていたのだが、当時の仕事関係の方は男性が多く、それで男性と話をする時にはしゃっきりするのだろう。
まるで今でも仕事をしているかのように・・・

しかし、やはり確実にいろいろな問題は起きてきている。

今、父はもう自分ひとりでは立ち上がって歩くことができないのだが、なんと夜中にひとりでベッドから降りると這って冷蔵庫まで行き、中に入っているものを食べてしまうのだそうだ。
(食べ物に対する執着がすごいと思う)

父は血糖値が高いので食べ物の制限をしているし、寝ている時には入れ歯を外しているので、食べた物を喉に詰まらせてしまう恐れがある。

そこで、今後はかわいそうだが冷蔵庫には何も入れないことにした。

また歩けなくなって自分でトイレに行くことができなくなったので、今はオムツにしているのだが、夜中に自分でオムツを外してしまうのだとか。

しかし、汚れたオムツを布団の中で外すと悲惨な状態になる。

寝間着も布団も汚物まみれ。

布団は中に汚物が浸み込んで洗濯しても臭いが取れないし、そもそも布団の洗濯が難しい。

そこで今までは羽根布団を使っていたのを、洗濯が簡単な木綿の布団に変えた。

ただ父がオムツを外したくなる気持ちもわかるような気がする。

きっとオムツの中に汚物が溜まるのが気持ち悪いのだろうと思う。

こまめにおむつ交換をしてあげられれば良いのだろうが、夜中は特に人手が少なくなっているので難しいようだ。

夜中はこんな具合に職員さんたちに大変なご迷惑をおかけしているが、昼間、私たち家族と話す父は穏やかで、甘いものも「血糖値が上がるからひとつね」と話すとちゃんとわかってくれる。

ただ、どんどんと変わっていく父を見ていると、やはり一抹のさみしさを感じる。

あんなに昔はしっかりしていたのにとか考えてね。

そうそう、我が家にはもう一人高齢者がいる。88歳のお姑さんだ。

やはり女の方が元気なのか、身体はいたって健康で今もちょっとした料理や裁縫をする。

・・・のだが、やはり認知症の症状はだんだん進んできていると思うことがある。

このところの暖かさで庭の雪はすっかり溶け、先日は庭木の雪囲いを外した。

雪囲いを外したのは私がやったのだが、今日外出から帰ってきたら、お姑さんがやって来て「木をもう切らないでくれる」と私に言った。

その言葉でピンと来た。

お姑さんが言っている木を切ったのは夫で、昨年、夫が何も考えず木を切ってしまった為、いつもは花をつける木が昨年は花をつけなかった。

毎年、花を楽しみにしていたお姑さんはがっかりして、しばらく気落ちしていていたのが昨年のことだった。

そして、お姑さんは何度も夫に「もう切るな」と怒っていたのだった。

冬になり雪で木が見えなくなると、お姑さんは木を切られたことも誰が切ったのかもすっかり忘れていたのだろう。木のことは何も言わなくなったのだが・・・

ところが、春になって姿を現した木を見て「木を切られた、それも最近。切ったのは庭の手入れをする嫁に違いない」と思い出したのだ。

そこで私は「今年は木を切っていませんよ。木を切ったのは○さん(夫の名)で、○さんにはもう切ったらだめだよと言ってあります。だから今年は花が咲くかもしれませんよ」とお姑さんに話した。

お姑さんは「そうかい、てっきりお母さん(私のこと)が切ったのかと思った。すまなかったね」と言った。

これでしばらくは納得してもらえるかもしれないが、またお姑さんはそんなことを忘れて同じことを言い始めるのだろうなぁ~

同居し始めたばかりの頃の私ならば「もう私のせいにしてー!!ぷんぷん」と怒っていただろうが、今はそんなことも面白く思える。

面白いなんて言ってられないのかもしれないが、年を取ると人間いろいろなことをしたり、言ったりするようになるのだなぁ。

私はそうならないぞ~!!

なーんて今は思っているが、わからないですね・・・こればかりは。












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本当に必要なものは多くない

2016-04-04 16:02:52 | 日記
忙しくてしばらく植物たちに心を配っていなかったせいか、サボテンを枯らしてしまった。

サボテンは水をしばらくあげなくても大丈夫というのが頭にあったので、「水をあげなくてもまだ大丈夫、まだ大丈夫」と思っていたのが間違いだった。

植物も子どもと同じでちゃんと見てあげないとだめですね。

サボテンちゃんにはかわいそうなことをしたが、サボテンを捨てるのと一緒にセントポーリアも捨てることにした。

これは葉から増やした苗だったが、どうもうまく根付かず外側の葉が枯れ始めていたので、これ以上は無理かもしれないと、思い切って二つの苗を処分した。

サボテンとセントポーリア合計3鉢を処分しても、まだまだ植物がたくさんの我が家。

苗を新たに買ってくることはしていないのだが、減らないどころか増える一方で、なぜなんだろうとよく考えたら、自分でせっせと挿し木をしたり株分けをして増やしていました・・・

もうやめよう、物も植物もこれ以上増やすのはやめようと固く心に誓う。

ところで次女ピーチのアパートで過ごしていた時、食器もお鍋も家庭用品も必要最低限のものしか無いのだが、ピーチのリクエストに応えて食事の時には何品かを食卓にのせていた。

ピーチの台所にあるのは、小さなお鍋がひとつとフライパンがひとつだけ。

ひとつしかないお鍋は洗ってから次の料理を作り、自宅ではお鍋で作る料理も水分を少なくしてフライパンで作った。

調理の同時進行ができないのが難点だったが、それほど大幅に時間がかかるわけでもなかった。

また調味料も自宅ほど揃っていないので、レシピとは違うがあるもので味つけてみたりして、それが意外と美味しかったりした。

ほかにも掃除用のバケツが無いのでごみ箱をバケツ代わりにしたりと、とにかく物が無ければ無いなりに、なんとかしようと考えることがだんだん楽しくなっていった。

お店へ行けばなんでも手に入る。

だから調味料が無ければすぐに買ってくる。
それも数回しか使わないようなスパイスなんぞも買って来たりしたが、最後まで使い切れた試しはない。

「ちょっと賞味期限が過ぎたけれど、まだそんなに使ってないし冷蔵庫に入れてあったから大丈夫かな」なんて、使い切れなかったという罪悪感もあって、また冷蔵庫にそっと戻したりする。

しかし、絶対に使い切ることはないのは分かっている。

もっともっと賞味期限が過ぎて、すっかりあきらめが付いて捨てられるまで一時的に冷蔵庫で保管しておくだけ。

これは調味料に限らず、洋服やインテリア雑貨(昔、雑貨が好きだった)なんかもそうで、買ったのは良いがあまり気に入らず、捨てるのは惜しいというのでそのまま保管しておいたりした。

だけど、それらを目にするたびに罪悪感でいやな気持になったし、なにより保管場所も必要になった。

だいたい物が多いとサボテンを枯らしてしまったように管理ができなくなってくる。

そして、必要なものが見つからないということがしょっちゅう起きてくる。

ところで父のいなくなった実家へたまに掃除に行くと、亡き母がせっせとため込んだお宝?がたくさん家の中に詰め込まれている。

頂き物で、かつては真っ白だったはずの高価なシーツやタオルは、長い間押し入れの中に放置されて黄色いシミがついてしまっている。

リビングの戸棚には旅行で買ってきた人形や食器類がぎっしりで、どれも母が好きで集めたものだが、私や妹とは趣味が違うのでもらいたいと思うものはない。

母は亡くなるまでの時間があまりにも短くて、自分自身の身辺整理ができなかったのだが、身辺整理をする時間があったとしてもこれだけたくさんの荷物を片付けるのは大変だっただろうと思う。

母はたくさんのお気に入りを持っていたが、どれもあの世には持って行くことはできなかった。

人は生まれてくる時は何も持たず裸で生まれてくるが、亡くなる時も何も持たずに死んでいかなければならない。

このことは頭では理解していたことだが、最近とくに強く思う。

子どもの立場で親の家を片付けるという大変さを経験したから、自分は子供たちに同じような大変さを味わわせたくないと思うようになった。

だから、今のうちから自分で自分の荷物を減らしていこうと思う。

自分で物が管理できるぶんだけ、本当に必要なものはそれほど多くはないのかもしれない。






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かかあ天下とからっ風

2016-04-01 15:48:06 | 日記
引っ越しをお願いした○帽のおじさんとは、引っ越しをしながら世間話も少しした。

私が榛名神社へ行った時、風が強くて寒かったという話をすると、おじさんは「からっ風は群馬の名物だから」とおっしゃった。

からっ風、つまり赤城山を始めとする山々から強い風が吹き下ろしてくることから、そう呼ばれるようになったのだとか。

さらに「上州名物は、かかあ天下とからっ風っていうんだよ」とも教えてくれた。

「かかあ天下ですか?」と聞くと、群馬県がかかあ天下になった意味も教えてくれた。

諸説あるのかもしれないが、とりあえずおじさんが教えてくれた話はこうだ。

「群馬にはギャンブル場が多かったんだよ。パチンコを始め、競馬場やオートレース場があってね。
男はギャンブルにうつつを抜かすわけ。男がそんなんだから、女は家庭を守るためによく働いてね、必然的に女の人が強くなったんだ」

多分おじさんもギャンブルにハマった口だったのでは?と思ったが、それはもちろん言わず口にしっかりチャック・・・

さて話は飛ぶが、帰りは時間に余裕があり、また窓からの景色が見たかったので、群馬から上野まで新幹線は使わず普通列車で行くことにした。

本当のことを言うと時間のかかる普通列車ではなく、せめて特急にしたかったのだが、列車の時間を事前に調べていなかったので駅員さんに聞くと「今から出る普通に乗るといいです」と言われて、停まっていた普通列車に飛び乗ってしまった。

飛び乗ってしまったのはいいが果たして本当にこの列車でいいのか?上野方面ではなくて長野とか新潟とかへ行く列車だったのではないのか?などなどの不安が頭をよぎりはじめた。

そこで誰かに聞こうと周囲を見回すと、すこし離れた席に60代とおぼしき女性が座っていた。

その女性の所に行って「この列車は上野まで行きますか?」と聞くと「行きますよ」と笑顔で教えてくれた。

やれやれ、ひと安心。

ホッとしながらチェリーと二人で座っていると、先ほどの女性がにこにこしながら近づいてきて「横に座ってもいいですか?」とおっしゃった。

「どうぞ」と言うと、私の横に座って「私も普通列車で行くのは初めてなんです。いつもは新幹線なんですけど、今日は時間があったので普通に乗ってみたんです」と教えてくれた。

列車に乗っている長い時間をおしゃべりがしたかったようで、わざわざ席を移ってこられたようだった。

その女性は群馬の方で、その日は用事があって東京に行くとおっしゃった。

また私も娘の引っ越しで来て、これから帰るところだという話をした。

とても朗らかな方だった。

それぞれの故郷の話、桜の話などの他愛のない話だが、列車に乗っている間、その方とおしゃべりをしてあっという間に時間が過ぎた。

そんな会話の中で、とても印象的なことを女性がおっしゃった。

「運命だと思って一緒になると、石の嵐が吹くことが多いのですよ」

一瞬、なんのことをおっしゃっているのか分からず「石の嵐ですか?」と聞き返すと、「そう。たくさんの小石が混ざった強い向かい風が吹くの。その中を歩かなければいけないから痛いし大変よ」と女性は言った。

たしか私の娘が結婚する年齢になったら・・・というようなことを話していた時に出たお話だったと思う。

もしかしたらこの女性はご自分のことをお話しされているのだろうかと思ったが、すでに女性が降りる駅に列車が入ってしまった。

「からっ風と聞いたら、私のことを思い出してね」

最後に女性はそう言い残して、笑顔で手を振りながら列車を降りて行った。

「かかあ天下とからっ風」

その言葉と一緒に○帽のおじさんの顔が浮かんだ。

そうか、あの女性は「私はかかあ天下よ」と言いたかったのか。

まさかご夫婦ってわけはないでしょうが、群馬で出会った男性と女性のそれぞれから聞いた「かかあ天下とからっ風」の話でした。












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