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ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

懐かしい香りのする街

2025-05-25 15:55:12 | 旅行

奈良へ旅行に行ってきた。

奈良へ行くのは(高校の修学旅行を含めて)今回で三回目。

これまで奈良は、京都に行くついでに寄るという感じだったが、今回は奈良にだけ行きたかった。

奈良に行くぞ〜とばかり、事前にいそいそと奈良の行きたい場所を調べていたが、行ってみれば時間が足りず、行きたかった所の半分くらいしか行くことができなかった。

でも終わってみれば色々と思い出に残る良い旅だった。

一番の思い出は、多くの地元の方や同じ旅行者の方とたくさんお話ができたことで、一緒に行った家人に「なぜ初めて会った人と、昔からの知り合いのように喋れるのか?」と呆れられるほどだった。

いやいや、自分でもそう思う。

前はこんなに話すことはできなかったが、なぜか今回は違った。

最初はムスッとした怖い顔した方も、話し始めるとまったく違っていたり、最初からずっと昔からの知り合いのようにおしゃべりできる人がいたり、もっともっと話していたいのを無理に断ち切って、次の目的地へ向かうということが何度もあった。

ところで話しながら不思議な感覚になることがあった。

性別年齢に関係なく、この人もあの人も全部繋がっているという感覚。

そして目に見えている人たちが、ずっと昔から知っているかのように思えた。

私たち人間も、動植物も、自然も、大きな何かで繋がっているのだということは、頭の中でわかっていたが、こうして実際に感じたことは初めてだった。

さて肝心の観光だが、奈良では日本最古の道と言われる「山辺の道」を歩いて観光してみたかった。

ところが実際に行ってみるのと、地図で見るのとは大違い。

あまりの遠さとあまりの暑さに、歩き出してわずか200メートルほどで引き返して来た。

「こういう時は無理をせず、文明の力を使った方がいいよね〜」と言いわけしながら、冷房の効いた電車で時短。途中下車しながら観光してきた。

そして遂に、山辺の道のゴールに決めていた大神神社到着。

ここでも遠く離れたところにいた警備の方が突然駆け寄って来られて、大神神社の歩き方などをご親切にレクチャーして下さった。

大神神社とその周辺神社のことは、ほとんど調べていかなかったので、これは本当にありがたかった。

さて大神神社に参拝して、ふと見ると生卵と日本酒が幾つもお供えしてあって、日本酒はともかく、生卵なんて珍しいお供えだと思ったら、ここは蛇の神様だったと思い出した。

そのことを家人に話していたら、昨夜見た夢の映像が突然脳裏に浮かび、すっかり忘れていたが、それが蛇の夢だったことを思い出した。

夢の中で、胴体の直径が50センチくらいある大きな白い蛇が、目の前で動いていた。うねうねうねうね、、、

蛇さんの顔は見えなかったが、白い蛇の太い胴体が動く映像だけはっきりと思い出した。

実は私の最も苦手なものが蛇で、遠くから見ても鳥肌が立つほど怖い。

それが夢の中ではすぐ間近で見ているのだが、まったく怖くなかった。

実際に夢の中でも「この蛇は気持ち悪くも、怖くもないなぁ」と思っていた。

なんでも結びつけて思い込んではいけないと思いながらも、前日の蛇の夢は、吉夢のようでちょっと嬉しかった。

ところで連日30度の奈良から帰ってきたが、今日の気温は12度で雨も降っているのでとても寒い。暖房をずっとつけている。

そういえば、汗を拭いながら地元の方と話をした時のこと。

「暑いですね、この時期はいつもこれくらいなんですか?」と聞いたら「そうですねぇ、こんなもんです」とおっしゃった。

「そうですか、出てくる時は13度で、薄着だと寒いくらいだったから、余計に暑く感じます」と言うと、「えー13度ですか!それは羨ましい」とおっしゃっていた。

寒いのが羨ましい?とちょっと意外な気がしたが、暑さが続くとそう思うのかもしれない。

でも帰って来た今は暑いのが羨ましい。

13度が羨ましいとおっしゃっていたあの方にそう伝えに行きたい。

そして、町中で漂っていた懐かしい香りのする奈良へ、もう一度行ってみたいと思う。

 


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観たかったもの、その三

2025-04-30 21:33:00 | 旅行

今回の旅行で見たかったもの三ヶ所めは、、の前に、家族が一度通ってみたかったという国道273号。

旅行中に帯広から大雪山系の三国峠を通るコースをドライブしてきた。

このコースは、携帯電話の電波も届かない大自然の中を走るため、運転する時は(家族が)かなり気をつけていた

事故はもちろんだが、万が一車が故障で動かなくなった場合はどうするかなどと、シュミレーションをしながらのドライブ。

通りがかった他の車に頼んで、電波が通じる場所でJAFに連絡してもらう、枯れ木を燃やしてのろしをあげる」

なんてことを言ってるうちに三国峠に着いた。

三国峠の頂上です。

北海道の国道では最も高い標高1139メートルで、ここから見下ろすと大樹海が眼下に広がり、それを取り囲むようにして東大雪の山々がそびえている。

これは約100万年前の大噴火で陥没してできたカルデラだそうだ。

北海道の真ん中にあった大きな火山が陥没したとは、いったいどれだけの大噴火だったのだろうと思う。

そして今は一面の樹海になっているが、かつてはこのカルデラの中心地に旧国鉄士幌線の終着駅と集落があり、木材の積み出し基地として栄えていたそうだ。

1960年ごろには2000人が住んでいたと言うから驚きだが、今は住む人もなく電波も届かない。

使われなくなってから長い年月が経った錆びた線路だけが、当時の面影を残している。

さて私が見たかったものも、実はこの国道沿いにあった。

タウシュベツ川橋梁(タウシュベツがわきょうりょう)

古代ローマの遺跡のようにも見えるが、これは今から90年ほど前に造られた旧国鉄士幌線の鉄道アーチ橋。

建設された1937年は、世界が戦争に向かった頃で、貴重な鉄の代わりにコンクリートで造られたため、毎年自然に崩落を繰り返していて、近い将来完全に崩壊するだろうと言われている。

橋はもうかなり痛んでいるけれど、遠くから見ると一枚の美しい絵のように見えた。

現在、橋の周囲は人口ダム湖(糠平湖)になっているため、水位が上昇する6月ごろから沈み始めて、8〜10月には完全に水没してしまうが、今はちょうど水位が低い時期だったので、遠くからではあるが、その全体を観ることができた。

ところでタウシュベツ川橋梁を観るために、展望台へと続く林道を歩いていたら、二頭の鹿がじっとこちらを見ていた。

鹿はあまり怖くないが、やはり会いたくないのは熊さんで、この辺りはヒグマの生息地になっている。(一昨日もこの林道にいらっしゃったらしい)

この日は歩いているのは、私たち家族三人だけで、熊よけの鈴も持っていなかったので、大きな声で歌いながら歩いた。

歌っているうちにだんだん楽しくなってきて、ますます大きな声で歌っていたら、前から二人の方が歩いて来ていることに気がつかず、赤面してしまった。

行かれる場合は、ラジオか鈴を持参されると良いかと。。。

というわけで、以上が行きたかった場所でした。

どこもタイミングよく観ることができて、大満足の旅行になった。

 


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マガンの渡り

2025-04-28 15:52:18 | 旅行

道内旅行の続きです。

今回の旅行で、男山自然公園に続いて行きたかった場所。

それは美唄市にある宮島沼。

宮島沼は渡り鳥マガンの飛来地として、日本の最北端の沼になる。

本州で越冬したマガンが、シベリアへ北上する途中に立ち寄って羽を休める日本の最終地で、まさに今は渡りの途中で、宮島沼には多くのマガンがいる。

と言っても、もう半数近くのマガンがシベリアへ向けて飛び立って行ったと、環境省が管理しているセンターの方が教えてくれた。

それでも、まだこの時は四万羽以上のマガンがいて、一斉に飛び立つ姿は圧巻だった。

宮島沼には春(4月中旬〜下旬)と秋(9月下旬〜10月上旬)にやって来る。

繁殖地ロシアのアナディルから飛び立ち、途中でロシアのハルチンスコエ湖、それから北海道の宮島沼、ウトナイ湖で休み、秋田県の八郎潟を経由し、そして宮城県の伊豆沼、内沼、蕪栗沼で冬を越すそうだ。

空を見上げていると、ウトナイ湖から次々とマガンが、美しい編隊を組んで飛来してくる。

その編隊は、ほとんどが家族単位だそうだ。

そして束の間の休憩の後、シベリアに向かってまた編隊を組んで次々に飛び立って行く。

宮島沼で休んだ後は、なんと24時間も飛び続けてシベリアに向かうそうだ。

体力に自信のない私などは、途中の稚内あたりで休んでいけば良いのにと思うが、そうもいかないらしい。

もしかすると途中で脱落する鳥もいるのかもしれない。

すべての鳥が無事に帰れますようにと願いながら、宮島沼を後にした。

本当は、これで道内旅行の話は終わろうと思っていたが、書き切れなくなったので、しつこくまだ続きます。

 


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春の妖精

2025-04-26 18:15:51 | 旅行

昨年まで本州や九州へ行く旅が多かったのだけど、初心に戻って道内旅行をしてきた。

道内でとれた美味しい海の幸や山の幸をたくさん頂き、とろりとしたお湯が良く温まると言われるモール温泉に浸かって、もうこの世の天国だと思った。

これは外国人がたくさん来るのもよくわかる、、、と思ったら、外国人の観光客が、前よりもずいぶん少ないような気がした。

泊まった二ヶ所のホテルのうち、大手ホテルでは外国人観光客は二〜三組くらいで、もう一ヶ所の小規模なホテルなどは、すべてが日本人のお客さんだった。

実際に、外国人観光客が少なくなったのは事実のようで、ホテルの人が「以前よりも、外国からのお客さまがずいぶん少なくなりました。本日も外国の団体のお客さまはいらっしゃらないので、ゆっくりお過ごしください」と言ってくれた。

ずっと忘れていたが、日本人だけだと食事中も静か。

静かに食事をして、静かに去っていく。

それからお風呂で会うと、挨拶を交わすというのも久しぶり。

外国人が多い時は、相手が外国人かもしれないので、挨拶することはしなかったため、今回はちょっと嬉しかった。

さて今回は行きたかった場所に、タイミングよく行くことができた。

行きたかった場所、その一はカタクリの花の群生地。

花の時期が1〜2週間程度と短いため、花の時期に合わせて行くことができるか心配だったが、タイミングよく満開のカタクリを見ることができた。

旭川にある地酒メーカーの「男山」が所有する「男山自然公園

標高239メートル、総面積225haの丘陵に、ピンク色のカタクリの花とブルーのエゾエンゴサクが群生している。

カタクリの花もエゾエンゴサクも春の妖精と言われているそうだが、まさにその言葉にぴったりで、小さな妖精たちが飛びまわっているような景色だった。

その二に続きます、、、

 

 

 


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そうだ!京都へ行こう

2024-12-07 15:02:44 | 旅行

京都へ行ってきた。

航空会社のマイルが貯まっていたので、それを使ってどこかへ行こうということになり、家族で相談した結果「そうだ!京都へ行こう」となった。

京都といえば外国からの観光客が多すぎてオーバーツーリズムと聞いていたので迷ったが、紅葉も見頃を過ぎて、観光客も少し落ち着いたのではないだろうかという希望的観測で行くことにした。

混んでいそうな嵐山や清水寺、東福寺などの観光スポットは避けたものの、やはりそれなりに京都は混んでいた。

特にバス。

長蛇の列ができているバス停もあって、特に人気の観光スポットが途中にある便は、行きも帰りもだいたいが満員御礼だった。

乗っているのは、自分も含めて(外国人の)観光客が多く、バスを使う地元の方は、さぞ不便だろうと気の毒に思った。

その一方で札幌市内を走るバスも、これくらいとは言わないまでも、この半分くらいの人が乗ってくれたら、バス料金の値上げも減便もしなくて済むのにねと家族と話していた。

観光客がほとんど乗ることがない札幌市内を走るバスは、だんだん不便になっているように思うが、何か良い知恵は無いものだろうか、、、なんてことをバス会社の関係者では無いけれど、京都の満員バスに乗りながら考えていた。

ところで京都は、紅葉の時期は終わりかけていたものの、まだまだ美しい紅葉を見ることができた。

禅林寺の紅葉は本当に美しかった!ただし人気のスポットのため混雑はしていました、、、

あまり混んでいなくてゆっくりとできたのが、こちらの青蓮院(しょうれんいん)。

実は今回の旅で一番行きたかったのが、ここ青蓮院でキーヤンこと木村英輝さんの描かれた襖絵を見ることができる。

絵手ぬぐいが好きで、ネットでたまに絵手ぬぐいを見ているが、ある日、青い蓮の描かれた木村英輝さんの絵手ぬぐいを見つけた時には、もう一目で気に入ってしまった。

すぐに買おうと思ったのだけど、なんとか思いとどまったのは、実際に京都へ行って青蓮院で襖絵を見て、木村さんのお店(キーヤンスタジオ)へ行って買いたいと思ったからで、それまでの楽しみにしようと思っていた。

そしてついにその日がきたーー!

青蓮院は、もともと皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶が門主を務めてきた寺院だそうだが、襖絵だけではなくお庭も素晴らしかった。

何より混雑していないのが良い。

今回はゆっくりお座敷に座って、お庭を堪能することができた。

そして買ってきた絵手ぬぐいをさっそく飾りました。

他にも買ったのだけど、これが一番欲しかった絵手ぬぐい。

青い蓮はとても珍しくて、実際に見たことはないが、前回行った高野山で青い蓮のことを知って益々好きになった。

青い蓮とは、仏教では仏の半眼を指していて、海のように深くものごとを見る目のことであり、慈悲の心を形容する言葉として仏教界では青い蓮が使われるそうだ。

この絵手ぬぐいを見るたびに、それを思い出したいものだと思う。


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高野山と大阪のおばちゃん

2024-11-19 15:25:07 | 旅行

お祭りのようなユニバーサルスタジオを楽しんだ翌日は、高野山へ行って来た。

高野山はもちろん初めてで、テレビで観た高野山は、凛とした静寂さが漂っていて、決してお祭り気分で行ってはいけない場所に思っていた。

当日の朝ホテルを早く出て、なんば駅から電車に乗ったのだが、高野山へ向かう電車はすでに混んでいた。

途中で降りて人が少なくなることはなく、混み合ったまま極楽橋駅に着き、電車を降りると一斉にケーブルカー乗り場へ向かった。

人波に流されるように止まっていたケーブルカーに乗り込んだら、四人掛けの席のうち二席が空いていたので、先に座っていた二人の女性に「ここ、いいですか?」と聞いて座らせてもらった。

「今日は混んどるね」

「せやね、紅葉やからとちゃう?」

先に座っていた女性二人が、そんな会話をし始めたので、「高野山は紅葉の時期なんですか?」と、つい口を挟んで質問してしまった。

そこから話が弾んだ。

「どこから?」と聞かれたので「札幌です」と答えると、二人とも大げさに驚いてくれて「札幌は雪が降ってるやろ?」と言われた。

札幌を発つ日は、まだ道路に雪が残っていたと言うと、またまた大げさに驚いてくれたので、大阪の暖かさには「夏?」と思ったくらい驚いたと話した。

お天気の話から始まって、ユニバーサルスタジオの話から住んでいる場所の話まで、ケーブルカーに乗っていた短い時間に、せっかくの外の景色も見ずに、三人で楽しくおしゃべりした。

私よりも少し年上の二人のおばちゃん達は、堺市に住んでいて、新緑の時期と紅葉の時期に、毎年高野山へ来るそうだ。

ところで「さかい」と聞いて、すぐに思い浮かんだのは引越しのサカイ。

あそこの引越し屋さんは、二度ほど頼んだことがあるけど、丁寧な仕事で良かったわ、、などと考えているうちに、ケーブルカーは高野山駅に着いた。

大阪のおばちゃんたちともここでお別れ。

ケーブルカーを降りて、また人の波に押されるように歩いていると、先に行ったおばちゃんの一人が、波をかき分けるようにして戻って来てくれた。

そして「まだあんまり知られてないけど、あそこにエレベーターがあるねん。乗ったら便利やで」というと、また人の波をかき分けるようにして友だちのところへ戻って行かれた。

わざわざ戻って来てくれたご親切に感激して、教えてもらったエレベーターに乗ろうと思ったが、意思に反して人波に押されて階段へ向かってしまった。おばちゃんに申し訳ない、、、

さて高野山。

やはり人が多くて、とにかく外国人ばかりで、ユニバーサルスタジオとはまた違った賑やかさだった。

上の写真は、人がいない奇跡的な瞬間。

賑やか過ぎてイメージとは少し違ったが、一度は行ってみたいと思っていた高野山にお詣りができてよかったと思う。

そして親切な大阪のおばちゃんたちと、楽しくおしゃべりができてよかった。大阪が好きになった。。。

なんばの商店街を歩いていたら、とても珍しい光景を見つけた。

外の道に並んだ洗濯機!まさかのコインランドリー!

外に洗濯機を置くのは、北海道では考えられない(冬は水道管が凍結する)のでちょっと驚いた。

なんばも人が多くて、そのほとんどが外国人で、こちらもまるでお祭りのようだった。

「堺は日本人の方が多いわ」と、おばちゃんが教えてくれたのを思い出して、堺に行ってみようかと思ったが、時間がなくて行くことができなかった。残念、次に取っておこう。

そうそう、帰ってから引越しのサカイを調べたら、やっぱり本社が堺市となっていた。

それが何か?という話だが、引越しのサカイが堺市だったことが、個人的になんだかとても嬉しかった。

 


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ユニバーサルスタジオの続き

2024-11-17 14:46:07 | 旅行

ユニバーサルスタジオでとても感心したことがある。

それはクルーと呼ばれる従業員さんが、皆さん笑顔で挨拶をしてくれること。

そして時には、笑顔で話しかけてくれる。

「何かお困りのことございませんか?」と声をかけてくれた時、ちょうどトイレを探していた時だったのですごく助かった。(なぜトイレを探していることが分かったのかしらん?)

会社の方針として、お客様には笑顔で挨拶をする決まりになっているのだと思うが、時には挨拶をしても無視して目の前を通り過ぎるお客もいる。

ちょうど私の前を歩いていた人がそうだった。

「かわいそうに、、会釈くらいしてあげればいいのに」と思ったが、若い女性のクルーは無視されても笑顔を崩さず、次に通った私たちに何事もなかった様に手を振って挨拶をしてくれた。

だからユニバーサルスタジオにいる間は、移動中もけっこう忙しかった。

挨拶をしてくれたクルーには、こちらも笑顔で手を振るか会釈をするか、時には上のような質問に答えなければいけなかったから、、

でも挨拶をされると、たとえそれが仕事だと分かっていても嫌な気持ちにはならない。

ユニバーサルスタジオの外でも、このようにみんなが笑顔で挨拶する世界だったら、戦争や些細な争いごとも起こらないだろうに、、、

ユニバーサルスタジオだけではなくディズニーランドもそうだが、それが夢の国と言われる所以なのかもしれない。

日が暮れて帰るために駅へ行くと、頭にユニバーサルスタジオで買った帽子やヘアバンドを付けた若い人がたくさんいた。

園内では色鮮やかに見えたグッズが、一歩外へ出たらとてもくすんでいるように見えた。

夢の世界から現実の世界へ戻って来たと思った瞬間だった。

 

 


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ユニバーサルスタジオへ行ってきました

2024-11-16 14:45:18 | 旅行

一週間ぶりに散歩に行って来た。

歩数を稼ぐために、いつもは車で行くスーパーまで歩くことにした。

普段の日なら道ですれ違う人は五人以下だが、今日はなんと二十人近くの人とすれ違った。

もうこれだけで、今日はどこかで催しでも開かれているのだろうかと思う。

そして、つい数日前にいた大阪と和歌山の高野山を思い出してしまった。

どちらも人がものすごく多くて、まるでお祭りのようだった。

大阪に行った主な目的はユニバーサルスタジオ。

長女が行きたがっているから仕方なく、、というのは口実で、実は私も行きたかった。

「ユニバーサル〜」とウキウキの長女と私を横目に、夫が「60過ぎたじいさんは絶対にいないな、、」と言いながら渋々着いて来た。

行ってみたら本当に若い人ばかりで、夫が言う通りじいさんも居なければばあさんだっていなかった。

話題のニンテンドーワールドにも行って来た。

乗りたかったハリポッターや鬼滅の刃のアトラクションも乗った。

どれも80分くらい待って一瞬で終わってしまったけど、これ以上乗っていたらひどい乗り物酔いになっていた(最後は吐きそうだった)ので、これくらいの短さでよかったと思う。

ユニバーサルスタジオにいた時間のほとんどは列に並んでいたが、夜までねばって、乗りたかったアトラクションはすべて制覇した。

さすがに年齢的にも体力的にも、これが最後のユニバーサルスタジオだろうと思って来たので、後悔のないように昼食も食べずに遊んだが、意外と足が痛くなることもなく、疲れ果てて動けなくなることもなくて、絶叫系アトラクションを楽しんできた。

これも日々行っているスワイショウと真向法、かかと落としの賜物だろうか、、、なんて思ったが、帰って来たらどっと疲れが〜〜

今日の散歩だけでヘトヘトのため、続きは次回にします。

 


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函館トラピスチヌ修道院

2024-10-01 16:36:13 | 旅行

函館の旅の続きです。

函館の街を歩いていておもしろいなと思うのが住宅の形で、和洋折衷になった住宅を見かけることがある。

こちらの建物も和風建築の一部が洋館になっている。

函館は横浜、長崎と同じ時期に開港したことで、外国の文化が入ったのだが、他都市のように外国人遺留地がかたまっておらず、市中に混在したため、至る所でこうした住宅が見られるようだ。

でもこれが函館らしい風景なのかもしれない。

というわけで函館では主に神社仏閣巡りや街歩き少々をしたが、最後に修道院に行ってきた。

女性の修道院で聖トラピスチヌ修道院。

修道院の門をくぐると、大天使聖ミカエル像が迎えてくれる。

ドラゴンに向けて槍を振り下ろそうとする大天使ミカエル像。とても強そうですね。

 

さらに進むと両手を広げた慈しみの聖母マリア像が迎えてくださる。

マリアさまを見るとき、いつも遠い昔のことを思い出す。

 

そして聖テレジア像。

テレジアは実在した修道女で24歳という短い生涯を閉じるまで、神を信じて祈りの生活をされたそうだ。1925年に聖人として認定されている。

 

 

ところでほとんどの人は、これまで幾つもの人生を生きてきている。

それらのことを前世と呼ぶのだが、前世のことはほとんどは忘れて生まれてくるらしい。

たしかに新しい人生を始めるにあたって、過去の人生の思い出は邪魔になる。

でも私は、なぜか二つの前世を憶えている。

そのうちの一つが、修道院で生活していた人生で、これは物心ついた子どもの頃には今よりもずっと多く、しばしば思い出していた。

修道院の孤児院にいた頃のわたし、修道女となったわたし。

断片的ではあるが、脳内に鮮やかにその時の映像が浮かぶことがあり、現実でも偶然マリアさまの像を見かけると、いつまでも見入ってしまう。

マリアさまを見る時の感情は、なかなか言葉では言い表せないものがあり、懐かしさとか、悲しみとか、訳のわからない感情で胸がいっぱいになる。

今回もマリアさまの前に行ったら、そのような感情が湧き上がるのかもしれない思ったが、不思議と平常心だった。

前世のことが、今やっと自分の中から浄化されたなと思った。

それが嬉しかった。

でももう一度修道女として生活してみなさいと言われたら、今でも喜んでやれるだろうと思う。

祈りと労働と読書の日々。

トラピスチヌ修道院のホームページには「神を探し求める生活」と書かれている。

これは今の人生でも同じようなことをやっていると思う。

でも当時と決定的に違うのは、今は市井の中で自由に暮らしていることで、自由というと何かポジティブに思うが、規律のある中で決められたことを規則正しく行うよりも、自由に暮らす方が私にとっては難しい。

(自分にとって)難しいことにチャレンジしている今の人生は、レベルが一段階上がってるのかも?

実は、この記事を書くのは二回目で、一回目は前世のことをもっと詳しく書いていたのだが、ちょっと目を離した隙に全部消えてしまっていた。

変な操作もしていないのに、そしてせっかく苦労して書いたのになぜ消える?と残念に思ったが、もしかすると書いてはいけないことを書いたのかもしれない。

というわけで、投稿ボタンを押すまで記事が消えないことを祈つつ終わりにしたいと思います。

 

 


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函館の神社仏閣巡り

2024-09-28 14:33:17 | 旅行

一泊で函館へ行って来た。

函館はもう数えきれないほど行き、観光スポットと言われている所もほとんど行ったが、実はまだ行ったことがない場所があった。

それは神社仏閣。

これまで函館といえば五稜郭公園や函館山からの夜景、そして歴史のある洋建築といった場所ばかりを観てきたが、神社やお寺は一度も行ったことがなかった。

調べてみると、函館にも行ってみたい神社やお寺が多く、これまで気づかなかったが、特に神社の数は、札幌とは比べ物にならないくらい多いように思う。

まず訪れたのがこちら。1963年に建てられた函館で最も古い高龍寺。

山門をはじめとして、繊細な彫刻が見事だった。

さらに高龍寺には「傷心惨目の碑」と呼ばれる石碑が建てられている。

箱館戦争の時、旧幕府軍の野戦病院が高龍寺に設けられていたが、高龍寺に新政府軍が乱入し、傷病兵らを惨殺し寺に放火するという事件が起きた。

この時、多くの会津遊撃隊の者が犠牲になったそうだ。

寺の敷地内の石碑、これは旧会津藩士の有志が鎮魂のために建てたそうで、石碑に書かれた「傷心惨目」とは、中国の文人李華による言葉で古戦場を弔うという文からとったものだそうだ。

また石碑横にある写真の高松凌雲氏は医師であり、旧幕府軍に参加して渡道し、箱館戦争が始まると箱館病院の頭取となって、敵味方区別することなく負傷兵の治療に力を尽くした方だそうだ。

強い意志の中にも優しさが感じられるお顔をされていらっしゃる。

現代でもたまにこのようなお顔の方をネットでも見かけるが、きっと強い意志と優しさを持って、信じた自分の道を進んでいらっしゃるのだろう。

そしてもう一つ、行ってみたかったのが北海道最古の神社、船魂神社で、ここには義経伝説が残っている。

1190年、義経一行が津軽海峡を渡る時、遭難して船が沈没しかけた際、船魂明神のご守護によって無事に蝦夷地に着くことができたそうだ。

また一行が飲み水を探していたところ、童子が現れて、湧水のある場所を指差して教えてくれたということで、童子の現れた岩が「童子岩」として祀られている。

立待岬から津軽半島が見えた。

また青森へ行きたいな。

続く


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富良野

2024-07-14 15:33:24 | 旅行

日帰りで富良野へ行ってきた。

そろそろラベンダーも終盤だが、とてもきれいだった。

写真の場所は、ラベンダー畑で有名な「ファーム富田

平日にも関わらず、多くの人で賑わっていたが、今はそのほとんどが海外からの観光客。

多くはアジア系の方だが、日本人より外国人の方が多いほどで、あちこちから韓国語や中国語が聞こえてきて、園内のお土産店も飲食店も混んでいるし、ラベンダー色のアイスクリームを販売している店の前にも長い行列ができていた。

行列に並んで買ったアイスクリームを食べながら、ツレと話をした。

「ほとんどが外国人だね」

「そうだなぁ、でも外国から観光客が来ないと、こういう観光施設はやっていけないんじゃないか?」とツレが言った。

たしかに、ここから外国人観光客がいなくなった事を想像してみたら、園内は、がらがらに空いているだろうと思う。

見学する側からすれば、その方が良いのだけど、お店のことを考えると、それでは経営が成り立たなくなるのかもしれない。

それにしても円安だからなのか、久しぶりに行った富良野は、これまでにないくらい外国からの観光客が多かった。

この後、富良野のとある町でお昼ご飯を食べようと、小さな食堂に入ったのだけど、いきなり英語で話しかけられて驚いた。

話しかけてきたのは、日本人の店員さん。

返す言葉に詰まっていたら「あ、日本人のお客さんね」と言われて、日本語での応対をしてもらったのだが、席についてから英語で話しかけられた意味がわかった。

そこは、とにかく外国人観光客が多い店だった。(もしかすると、海外のガイドブックに紹介されているのかも?)

入ってくるお客さんの半数以上が外国人観光客で、日本人の店員さんは皆カタコトの英語で接客していた。

こんな小さな町の小さな食堂でも、外国人観光客がいることにちょっとびっくりだったが、やはり外国人観光客が来てくれることで、ずいぶん助かっているのかもしれない。

「外国から観光に来てくれるのは、ありがたいことだね」と話していたが、良いことばかりではないらしい。

オーバーツーリズム(観光公害)と言うそうで、京都でも問題になっていたが、函館では観光客が多すぎて、市民の足である市電が大混雑しているのだとか。

外国人の団体客が市電になだれ込み、身動きができないほど混雑して、後方に押し込められた人が、降りられない事態になったこともあるそうだ。

「降りまーす、通してくださーい」と声を張りあげても、周囲に日本語が通じず、運転士さんが気づいて後方の扉を開けてくれたため、やっと降りることができたとか。

また立ち入り禁止の場所に入るというマナー違反も問題になっているそうだ。

外国からたくさん観光に来て欲しいけど、来過ぎるのもまた問題というので、なかなか難しい問題だと思う。

とはいえ北海道を観光するなら、個人的には今が一番よい季節ではないかと思う。

富良野では、ラベンダー以外にも美しい景色をみてきました。

まるで黄色の絨毯のような菜の花畑。

 

新富良野プリンスホテルのニングルテラス。


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オベリベリ(帯広)

2024-07-04 15:41:07 | 旅行

用事があって一泊二日で帯広へ行って来た。

十勝地方は毎年一度は行くので、十勝の中心都市である帯広も毎年のように訪れている。

食料自給率1200%以上という日本最大の食料基地 十勝地方は、広大な大地に豊かな大地の恵みが感じられる土地で、札幌で森林そばに住んでいると言うのに、帯広の方が自然を身近に感じられるのは何故なのだろうと思う。

さて朝に家を出て、帯広に着いたのがお昼を過ぎだったため、有名なインディアンカレーで遅い昼食を摂り、次にどこへ行こうかと連れと相談した。

用事があるのは夕方で、時間はたっぷりあると言うので、帯広市内の銭湯へ行くことにした。

オベリベリ温泉 水光園。

源泉掛け流しの茶褐色のモール温泉で、驚いたことに洗い場のシャワーや蛇口から出てくるのも茶褐色の温泉水。

お湯から上がった後は、お肌がツルツルになり、これで入浴料が480円とは、帯広の人がうらやましい。

ちなみにオベリベリとは「おびひろ」の意味で、元々はアイヌ語の「オペレペレケプ」がなまって「オベリベリ」になり、最終的に帯広となったのだそうだ。

そして翌日。朝食はホテルで摂らず、車でパン屋さん「麦音」へ行った。

こちらはすべて十勝産小麦粉を使ったパンで、他の食材も十勝でとれた食材を使っている。

有名なのか外国人の方もいらしていて、皆さん外で朝ごはんを食べていた。

私も小麦畑を眺めながら、美味しいパンを頂いて来ました。

さて帯広最後は、行きたかった六花亭の施設で「六花の森」

六花亭が好きで、どこへ行っても六花亭があると、必ず入るほどの六花亭ファン。

ちょっとした贈り物は六花亭でお菓子を買うし、自宅でたまに食べるおやつも六花亭。お茶を飲みに行くのも六花亭のカフェが多い。

このように六花亭はほとんど行ったが、唯一行ったことがなかったのが「六花の森」だった。

100,000平方メートルの広大な土地に、六花亭の包装紙に描かれている山野草が植えられていて、坂本直行さんの絵が飾られたギャラリーが点在している。

坂本直行さんといえば坂本龍馬の子孫であるが、それよりも画家というイメージの方が強い。

北大農学部を卒業後、一旦は就職したものの開拓農民となって十勝の原野に入った。

その後三十年あまりの開拓者としての生活は、想像を絶する厳しさで離農。晩年は画業に専念したそうだ。

坂本直行さんの絵は、山野草と日高山脈が多い。

「自然というものは 人間を簡単に殺しもするし 生かすこともある。また暖かく抱いてもくれるし 冷酷極まる圧力で迫ってくるが 要はそれを受けとめる 人間の考え方次第である」

野原に咲く草花と山。

どちらもちょっこうさんが愛したものだったことが、絵からもその言葉からも伝わってくる。

ちょっこうさんの絵を鑑賞しながら六花の森を歩き、どうしてこんなに六花亭が好きなのか、わかった様な気がした。

お菓子の包装紙から、六花亭の各店舗の庭から、自然が感じられるからだった。

妖精が居そうな六花の森でした。

 


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仙台、山形

2024-06-08 16:42:34 | 旅行

今週は旅行に行っていた。

行った先は仙台と山形。

山形は初めてで、宮城県は今回で三回目だが、仙台に行くのは初めてだった。

久しぶりの東北旅行だが、距離的に近いからなのか、言葉に共通点があるからなのか、なぜか東北はとても落ち着く。

まずは朝市へ行った。

市場好きなので、ここでは目の色が変わった(らしい)

観光客が多いので、高めの価格設定なのかと思ったら、そんなことはなくてむしろ安いくらい。

最近、価格が高騰していた野菜類がお買い得だし、いちごも安くて美味しそうだし、三陸産の塩蔵わかめもお買い得価格で美味しそうだった。

「これ持ち歩きで何日くらい大丈夫でしょう?」

わかめが欲しくて店員さんに聞いたら「この気温なら三日くらいですね」とのことだった。

あぁ仙台市内観光が最終日だったら、全部背負って帰ったのに、、、

後ろ髪をひかれながら、仙台を観光した翌日は山形へ向かった。

本当は出羽三山へ行く予定だったが、急遽予定を変更して熊野大社へ行った。

あらゆる命を生み出し育む「むすひ」の神様がいらっしゃる熊野大社。

1200年以上もの歴史があり、東北の伊勢とも言われているそうだ。

参拝者が奉納した風鈴が涼やかな音をかなで、とても気持ちの良い神社だった。

気持ちが良いと言えば、こちらも、、、蔵王温泉の大露天風呂。

硫黄の香り漂う長い階段を降って行くと、自然の中に大露天風呂がある。

掛け湯だけで洗い場はないが、強酸性の硫黄泉が皮脂も洗い流してくれるそうだ。

頭に手ぬぐいをのせてお湯に浸かっていたら、旅の疲れも吹き飛ぶようだった。

まだまだ良かった場所はたくさんあるのだけど、長くなるのでこの辺にして、、、

ところで最終日、飛行機の時間には少し間があったので、空港近くの名取市へ行って来た。

名取市は、東日本大震災の時の津波で、大きな被害を受けた町。住民の一割が、犠牲になられたという。

メモリアル公園にある慰霊碑に刻まれたお名前を一つ一つ見ていたら、どんなに怖かったことだろうと思う。

今一度、あらためて防災を考えなければいけないのかもしれない。

 

 


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宮崎と鹿児島へ(続き)

2024-04-15 21:50:11 | 旅行

レンタカーで次に向かったのは鹿児島県指宿市。

ところで「指宿」という名前、何と読むかわかりますか?

「ゆびやど?」「ゆびしゅく?」などと思っていたら、正解は「いぶすき」と読むそうだ。

それは絶対に読めないわと思ったら、やっぱり正しく読める人は半数もいないと地元ガイドさんが仰っていた。

指宿の名前の由来だが、第三十八代の天智天皇が行幸の折「今夜の宿はあの湯煙の立つ場所にしよう」と指をさしたのが由来になったとか。

「本当かどうかはわかりませんけど」と、由来を教えてくれたガイドさん。

それにしても古い歴史がある町なのだなぁと思う。

和人が住み始めてからの歴史が新しい北海道から行くと、日本各地の古い歴史に驚かされる。歴史で習った人名や地名がたくさん出てきて興味深い。

それはさておき指宿に行ったのは目的があった。

それは砂風呂に入ることで、砂風呂にはデトックス効果があるそうで、ぜひ一度体験してみたいと思っていた。

その前に少し時間があったので、夫が途中で調べて見つけた「鹿屋航空基地資料館」へ行ってみることにした。

こちらは海上自衛隊の航空基地にある海軍航空の歴史資料館で、「自衛隊の飛行機が見られるようだ」と夫が言った。

夫の言う通り資料館の前には、たくさんの古い飛行機が並んでいた。

さっそく資料館の中へ入ると、係の方がまず最初にビデオを観るように案内してくれる。

しかしビデオを見始めて思った。「まずい場所へ来てしまった、、、」と。

てっきり海上自衛隊の紹介がメインの資料館だとばかり思っていたら、特攻隊の話が始まってしまった。

実はここ指宿は、海軍の特攻隊が飛び立つ場所であったと、ビデオを観て初めてわかった。

若い人たちが片道だけの燃料を積んで、次々に飛び立ってゆく映像に涙が溢れそうになる。

泣いてはいけないと涙を必死にこらえてビデオをやっと観終わると、次は資料を見学。

資料館は一階と二階になっているのだが、一階は航空機についての資料などが展示されている。

ところが二階へ上がった途端に空気がガラッと変わった。

室温が一階より1〜2度下がったような冷んやりとした部屋の中に、かすかにユリの花の香りが漂ってくる。

たくさんの千羽鶴が飾られ、特攻隊で飛び立って行った若者たちの遺書が展示されていた。

どの手紙も達筆ばかり。このような美しい文字を書く優秀な若い人たちが、むざむざと命を落としたのかと思うと、とても悲しくて悔しい。

本当はじっくりと遺書を読んだ方が良かったのかもしれないが、感情が乱れて、また彼らに同調するのが怖くてできなかった。

さらに奥に進むと、ここから飛び立っていった若者たちの遺影がずらりと並んでいた。

とても近くへ行って観ることができず、離れた所から見ることしかできなかった。

鹿児島で有名な特攻隊の資料館は、知覧特攻平和会館だが、知覧は陸軍の特攻隊で、指宿は海軍の特攻隊だそうだ。

戦時中、女学生など多くの人に見送られて飛び立って行った知覧の特攻隊比べて、指宿は滑走路が海沿いに造られたため、見送りは僅か数名の関係者だけだったそうだ。

単純に見送りの数が多い方が良いかと言われると違うのかもしれないが、それでも命をかけて国を守ろうとした若者たちの最期にしては、寂しいものだったのではないかと思う。

ところで指宿に薩摩富士と呼ばれる開聞岳という美しい山がある。

指宿の基地から飛んだ特攻隊の飛行機は、必ず開聞岳の上を飛んだそうで、ここが祖国で最後に見る山だったそうだ。

開聞岳の標高は924メートル。

若者たちは、924に語呂合わせをして「国よ(924)さらば」と言って飛んで行ったという。

こうして書いているだけで胸が痛く、鼻の奥がつーんとなる。

戦争は絶対にだめだ。もう二度としてはいけない。

「繰り返しません、過ちは」というスローガンがあったが、今の時代すっかり聞くことは無くなった。

この国が同じ過ちを二度とおかすことがないように、私たちはしっかり目を見開いていなければいけないと思う。

というわけで話は戻るが、砂風呂について。

砂風呂はとても良かった。

温かい砂に埋もれているとじわじわと汗をかく。

15分ほど入ってから出たら汗の匂いが違っていて、初めて嗅ぐような酸っぱい?臭いがした。これはデトックスしたかも〜

鹿児島では桜島や霧島神宮など他にも良い所を見てきたのだけど、長くなるのでこの辺で終わります。

宮崎と鹿児島、とても良い所でした。。。

 


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宮崎と鹿児島へ

2024-04-13 22:07:25 | 旅行

月曜日から九州へ行っていた。

今回行ったのは宮崎県と鹿児島県。どちらも初めての土地なのでとても楽しみにしていた。

飛行機は福岡空港で宮崎行きに乗り継ぐことになったのだが、福岡に飛行機が到着してスマホの電源を入れたら、宮崎県日南市で地震というニュースが飛び込んできた。

日南市は翌日行く予定だったので心配だったが、さらに心配なことが起きてしまった。

当時の九州のお天気は風をともなう雨。

天候が悪いため、乗り継いだ飛行機が宮崎空港に降りられない可能性があり、出発はするが福岡へ引き返すかもしれないとのアナウンスがあった。

すでに宮崎ではホテルやレンタカーを予約していたので、どうしても行きたい、、、飛行機がだめなら新幹線。そう思うと気が重かった。

飛行機の中で祈るような気持ちでいたが、なんとか宮崎に着陸することができた。

到着後は雨の中、靴もびしょびしょになって宮崎市内を観光したが、ブーゲンビリアの花やヤシの木が、気分を一気に明るくさせてくれた。

翌日は雨が上がり、予定していた青島神社と鵜戸神社の参拝に行った。

どちらの神社でも参拝をすると、嬉しさが湧き上がってくる。

また九州に来ることができたことが嬉しいのか、飛行機が無事着いて嬉しいのか、はたまた参拝できたことが嬉しいのか、何が嬉しくてこんな気持ちになるのか自分でもよくわからないのだけど、嬉しさでいっぱいになりながら参拝をした。

上の写真の鵜戸神社は、洞窟の中に御本殿がある珍しい神社だった。

ところで宮崎はフルーツが豊富というイメージがあって、フルーツを食べることも楽しみだった。

特に皮ごと食べられる金柑というものを食べてみたいと思っていた。

ところが、どこのお店をのぞいてもない、、、

諦めかけた時に通りがかったお土産さんで偶然見つけることできたのだけど、なんと最後の一袋だった。

実は金柑の旬はもう終わりだそうで、食べることができるギリギリだったとお店のお姉さんが教えてくれた。

お姉さんがとても嬉しそうに金柑の美味しさや果物のことを教えてくれるので、最後の一袋を握りしめながら私も嬉しくなってしまった。

ホテルに戻って食べた金柑は、食べたことがないくらい甘くて美味しかった。

お店のお姉さんはもちろん、工事現場で交通整理をしていたおじさんも親切丁寧に観光案内をして下さって、宮崎は嬉しさいっぱいの旅になった。

というわけで、次は鹿児島へ向かいました。

 


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