ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

銭湯

2017-01-30 16:11:55 | 日記
もともと温泉などの大きなお風呂へ行くことが好きだったが、冬道を運転して遠くの温泉まで行くのは危険なので、最近はよく市内の大型銭湯などに行っている。

昨日も夫が住宅街で偶然みつけたと言う、昔ながらの銭湯へ行ってきた。

大型銭湯ではない銭湯へ行くなんて何年ぶりだろう。

まだ家にお風呂が無かった時代、私が小さな子供だった頃は銭湯へ行くことが当たり前だったが、家にお風呂がついてからはほとんど行くこともなくなり、さらに家庭のお風呂が普及するにしたがって町中からどんどん銭湯が消えて行った。

今では市内で昔ながらの銭湯を見つけるのは難しいと思う。

ところで銭湯と言うと、必ず思い出すことがある。

私が小学校5年生の時、学校の友達と「学校から帰ったら、みんなで銭湯に行こう」という約束をしたことがあった。

当時はすでに私の家にはお風呂があったが、家にお風呂が無い友達が何人かいて、その友だちがいつも通っている銭湯へ行くことになった。

家に帰って母親に銭湯へ行く了解をもらい、お風呂道具を持っていそいそと銭湯へ向かうと、集まっていた友だちの一人が小さな弟と妹を連れていた。

弟さんは小学校1年生、妹さんはまだ4歳だったが、その友だちのお母さんは毎日働きに出て忙しいので、いつもこうして彼女が小さな弟と妹を連れて銭湯へ行くのだと教えてくれた。

彼女は4歳の妹が服を脱ぐのを手伝い、弟と妹の服をきちんとかごに仕舞ってから、妹さんの手を引いて浴場へ入った。

さらに弟と妹の身体を洗ってやり、二人の髪の毛を洗ってやって、最後にようやく自分の身体を洗った。

弟や妹を連れずに行くことができる私にとって銭湯は「遊びの場」だったが、その友だちにとって銭湯へ行くことは自分がやるべき仕事の一つだったのだ。

小学校5年生と言えば、まだ11歳になったかならないかだったはずだが、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」じゃないけど、弟や妹の世話をしている友だちがとても偉くて大人に見えた記憶がある。

その時の記憶があまりにも鮮烈だったのか、銭湯を見るといつもその友だちのことを思い出してしまう。

その友だちだが、中学に入った頃から徐々にグレ始めた。

中学ではつき合いが無くなり、高校になってからはほとんど会うことも無かったのだが、一度だけ道で偶然会ったことがある。

その時の彼女は凄まじい姿をしていた。
セーラー服のスカートは引きずるほど長く、パーマをかけた長い髪は金髪に染め、怖いほどのキツイ化粧をしていた。

小学校で仲良くしていた友だちだったので、手を振って挨拶をすると、キツイ化粧の顔でニコッと笑顔を返してくれた。
その笑顔を見て、「あぁ、やっぱり銭湯で弟や妹の世話をしていた友だちだった。変わっていない」と思ったが、それが友人と会う最後になった。

それからまもなく彼女はある事件で亡くなってしまった。まだ17歳だった。

その友人については亡くなった後に非常に生々しい夢を見るのだが、それは今はまだ書くことができないでいる。

さて、なんだかまた話が逸れていってしまった。

本当は銭湯の良さを書こうと思っていたのだけど、友人の話になってしまった。

この友人については、まだまだ昇華できていない私の気持ちがあるのかもしれない。
供養をしよう・・・






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旅の途中

2017-01-27 16:48:34 | 日記
先日25日は私の誕生日だったが、夫に某女性作家が書かれた本の題名をもじって「56歳、何がめでたいって気分だろう?」と失礼なことを言われた。
(おめでとうと言ってくれたので許してあげるが・・・)

とは言え、身体は若い頃のように疲れ知らずというわけにはいかなくなり、夫の言いたいことが「歳をとることはもう嬉しくないでしょ?」という意味合いだとしたら当たっていなくもない。

それでも今までなんとか事故や病気に遭うことなく、我ながらよくぞここまで生き延びたと思うと、ありがたい気持ちと嬉しさがこみ上げてくる。

ところで・・・それは48歳の時だった。

自分の身体はこの場所にいるのだけど、旅をしているという不思議な感覚を時々感じるようになった。

そして時期を同じくして、その頃に自分の過去生(かもしれない)映像を次々と見た。

それは今と同じく女性だったこともあるし男性だったこともあった。

男性だった頃、私は戦いの場で槍を持って人を傷つけ(もしかしたら殺して)自分も同じようにされた。

また修行の為だろうか、山の中をひたすら歩くという人生もあったし、女性になってマリア像に祈り続けた人生もあった。

また、たぶん自分が過ごした場所だと思うが、草がほとんど生えていない砂埃の舞う赤い土地を上空から見たこともあった。
頬を撫ぜる風、そして自分の頭につけた鳥の羽根の飾りが首筋にふれるのをはっきりと感じることができたのが映像を見ながら不思議だった。

ところで旅を続けているという感覚は、それから8年経った今もまだまったく変わっていない。

毎日同じような日常が過ぎているようだが、実は少しずつだがそれは変化している。

現在の肉体を持った今の「わたし」の人生という旅は、今この瞬間も続いていて、傍から見ると平凡な主婦の人生にしか見えないかもしれないが、わたし自身にとってはとてもワクワクした旅になっている。

そんなワクワクする旅をしていると気づいたのは、やはり大いなる存在(神とも言いますが)を心から信じるようになってからかもしれない。

こんな風に書くと何かあやしい宗教でもやっているんじゃないかと思われるかもしれないが、それはまったく違う。

むしろ宗教団体に入る事に対しては否定的な考えを持っている。

その理由は今ここでは書かないが、少しだけそういう場に足を踏み入れたことのある者として思う。

ところで、以前から自分の心が疲れたり落ち込んだりすると、どうしようもなく森の中を歩きたくなるのだが、これも地球という星に生まれて以来、ずっと自分のそばにあった自然が癒してくれるのを思い出すからなのかもしれない。

大いなるものはすべての中に存在している。ひとの胸の奥にも自然の中にも。

私は森林に入ると元気になるが、鎮守の森は特に元気になれる場所だと思う。



私の元気になれる場所のひとつ、相馬神社。年末に訪れた時の写真です。

これからもまだまだ「わたしの旅」は続いて行く予定だが、どの道を進んでどんな旅にしていきたいのか、自分の行く道は自分で選びつつ、これからもワクワクした気持ちで旅を続けたいと56歳を迎えて思うのでした。






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感情とは

2017-01-23 15:44:35 | 日記
お姑さんが風邪をひいて、しばらく咳が続いていた。

熱は無いのだが咳が出て、特に夜は咳の為に眠れないのだという。

お姑さんは89歳と高齢なので肺炎を起こしたら大変だ。

病院へ連れて行こうとしたが、お姑さんは「大丈夫だから」と言って病院へ行こうとしない。

咳が始まった週はちょうど二か月に一度の内科の診察があり、お姑さんは近々病院へ行くことになっていた。

病院へ行く日まで数日あったが、夫も「それまで大丈夫だろう」と言うので、デイサービスは休んでもらって家で様子を見ることにした。

日中も咳込んで苦しそうなので市販の咳止め薬を買ってきて飲ませたところ、効果てきめんで飲んでしばらくすると咳がおさまった。

そして「咳が止まった」と喜ぶお姑さんに何度もお礼を言われた。

それからは時間を見ては咳止めの薬を飲ませていたのだが、私の顔を見るたびにお姑さんはニコニコした顔で「ありがとう、ありがとう」と言う。

別に大したことをしているわけではないのだが、そのように感謝されると私も嬉しくなってきて、少しでも早く風邪が治るようにと思いながら、お姑さんの体調をこまめに観察して過ごした。

幸い大したこともなく、すっかり元気になったお姑さんは、またいつものようにデイサービスに行っている。

少し前にお姑さんの薬が足りなくなるということが続いて、それを私が盗んだかのように思って怒っていたお姑さんだったが、今度は薬を私があげたことをとても喜んで感謝しているお姑さんがいる。

同じ「薬」のことで、短い期間にまったく逆の現象が起こって、お姑さんの感情も私の感情も「怒り」から「喜び」へと変わっていったのが不思議でもあり面白いことだと思った。

ところで「感情」というのは動物にもあるものだが、こんなにも繊細で複雑で、また自分自身で持て余すほど大きくなったりするのは人間くらいなんじゃないかと思う。

怒りや悲しみの感情はできれば経験したくないと思うのは誰でも同じだと思うが、もしかしたらこうした感情(喜びや幸福感も含めて)を味わう為に、人は何度も生まれてくるのかもしれない。

どんな時に自分はこうした感情になるのか。

その時に自分はどんな行動をとるのか。
例えばそれが「怒り」だった場合、攻撃的になるのか、落ち込んで引きこもるのかとか。

なぜ今、こういう感情が自分に起こっているのか、その感情によって反応した行動が自分やその周囲にどんな影響を及ぼしているのか、最近よくそのようなことを考える。

私がお姑さんに薬どろぼうじゃないかと疑われた時に、怒りにまかせてブチ切れていたら、今頃どうなっていたのだろう。
最大級の被害者意識を持って、泣きながら夫に訴えていたらどうなっていたのだろう。

どちらの行動をしても、きっと今よりずっと悪いことが起こっていたような気がする。

あの時、その出来事をブログに書いたおかげで、いつのまにかそれが「面白いこと」に置き換わって、自分の感情が怒りのままで終わらなかったから、今このような状況が現れているのではないのだろうか。→  「カタツムリの殻」

そうだ!

先ほど書いた「もしかしたらこうした感情を味わう為に何度も生まれてくるのかもしれない」に続きがあった。

それは自分の感情から生み出されたものは、どのような未来でも作っていくことができ、どのような想念や状況をも引き寄せることができるということだ。

そして一番重要なことは、それは自分自身で選ぶことができるということだった。

そのことをはっきりと知るために、そして自分の感情を使って喜びのあふれた未来と状況を引き寄せることを知るために何度も何度も生まれ変わってくるのだろう。

そしてもうひとつ重要なことは、怒りや悲しみを決して抑え込んだり、気づかないふりをしてはいけないということ。
それは自分自身を偽ることだから。

悲しければ涙が枯れるまで悲しみ、怒りがあれば怒っている自分を認めてあげればいい。

そうした感情は自分の一部なのだから嫌う必要はなかった。

自分で自分を嫌ってしまったら、生きて行くのがつらくなるだろう。

こんな感情も持っている自分だけど、自分だけは決して見放したりしない。

ナルシストじゃないけれど、たまには「大好きだよ」と鏡の中の自分に言ってもよいのかもしれない。

義母の風邪の話から、後半きゅうに飛ばしてしまったような気がしてますが、心地よい疲れがあります。

自分をいたわって、これからコーヒータイムにするとします。










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運動不足解消法

2017-01-18 16:23:29 | 日記
冬の間はどうしても運動不足になりがちになる。

道路の両脇には人の背丈ほどの雪が高く積まれ、歩道の道幅も場所によっては人が一人通れるくらいに狭くなっている。

また一番用心しなければいけないのは滑って転ぶことで、雪のない季節のように気軽にウォーキングもできない。

だから今は週に一度、塾のアルバイトに行くときに片道30分の道のりを歩くことくらいしかしていない。

これは運動の為と言うより、車で行くと雪で道路に駐車できないからだが、鼻呼吸をするたびに小鼻がくっつくような寒さの時でも、歩いているうちにぽかぽかと身体が暖かくなっていくのが「運動してる~」という気になってなかなかよい。

今日は買い物に行く用事があって車でお店まで行ったのだが、その店の駐車場に車を置いて他の用事をするためにしばらく歩いてきた。

氷点下一度と最近の気温としては割と高めの気温だったので歩くのは気持ちが良かった。

やはり歩くのはいい。

ところで、外でウォーキングができない季節に、なにか家の中でもできる簡単な運動はないものかと思っていたら偶然にも見つけた!

昼食後、寝転んで読んでいた本の中に載っていたもので、即、本を置き、そして立ち上がってやってみたのだが、本当にこんなことでいいの?というくらい手軽にできる運動だった。

以下、紹介します。

①「フラミンゴ運動」

直立した姿勢で、片足を床より離し、他方の脚で1分間立ち続け、次に脚を代えて同じく1分間立ち続ける。
ふらつく人は、指先を軽く壁につけてもよい。

計2分間の運動で52分間歩いたのと、同じ効果力があるとの研究を昭和大学の阪本桂造教授が発表されている。
この運動をすることによって骨密度が上がったり、また骨だけでなく、股(こ)関節や腰、背中周辺の筋肉も鍛えられるため、股関節痛、背中や腰の痛みが改善したとの声も聞かれるそうだ。

②「貧乏ゆすり」

「行儀が悪いからやめなさい」と言われてきた貧乏ゆすり・・・え~本当なの!?と思ったが、実はこれも運動としては優れものらしい。

椅子に座った姿勢で、両下肢を上下に振動させる「貧乏ゆすり」を3分やると、20分歩いたのと同じ効果があるという研究がある。
1日3回やると、なんと1時間のウォーキングをしたことになる。

ウォーキングができない冬の間は、優雅なフラミンゴになってみたり、亡き母には見せられない貧乏ゆすりをして運動不足の解消を図ろうかと思っている。
(このブログを書きながら、貧乏ゆすりしてます・・・)







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発酵が好き

2017-01-17 16:34:06 | グルメ
今朝は朝食の後片付けを終わらせてからやりたいことがあった。

それは玄米の乳酸菌を作ること。

これはブログでも何度か書いたが、玄米のとぎ汁に黒砂糖と自然塩を入れて常温にしばらく置いて発酵させて作る。現物がこちらです↓



なにやら得体のしれない怪しい液体に見えるでしょうが、色が黒いのは黒砂糖が入っているためです。
発酵が進んでくると、もう少し色が薄くなる。

そして、私はこの乳酸菌でヨーグルトを作って毎日たべている。

玄米乳酸菌を作り始めた当初は「ちゃんと発酵するだろうか」と心配して日に何度もボトルを振って観察していたが、今は古い乳酸菌をすこし足すことで、すぐに気泡が上がって発酵してくれるので失敗することなく乳酸菌を作ることができるようになった。

使い方としてはお風呂に入れるなどもあるようだが、私はヨーグルトを作る事だけに使っている。

ヨーグルトは一リットルの無調整の豆乳に玄米乳酸菌を大さじ6杯くらいを入れてよくかき混ぜ、ヨーグルトメーカーで40度で7時間ほど温めて作っている。

室温によっては7時間では固まっていない場合があるので、そんな時は室温にしばらく置いておくときれいに固まる。
この時に油断していると発酵しすぎて分離してしまうことがあるので、室温に出してからはいつも気にしていなければいけない。

「おいしいのか?」と聞かれると、作って食べ始めた頃は、正直「牛乳から作った普通のヨーグルトの方が絶対においしい」と思ったものだったが、今はすっかりやや酸っぱめの、この豆乳ヨーグルトが気に入ってしまった。

最初は恐る恐る口にしていた夫も今や「今日は豆乳ヨーグルトまだ?」と催促するほどで、すっかり玄米の乳酸菌で作った豆乳ヨーグルトにハマっている。
(時々、市販のヨーグルトを混ぜたりしているが、それもまた美味しい)

だから、こうしてたまに玄米の乳酸菌を作らなければならない。(作った乳酸菌は冷蔵庫に入れておくと発酵が止まってしばらく使える)

このヨーグルトを食べ始めた頃は非常に腸の調子が良くなったのだが、今は菌に慣れてしまったせいか、あまり体調の変化は感じない。
しかし風邪ひとつひかないのは、もしかしてこのヨーグルトを食べているからなのかもしれない。

とは言え、これはあくまでも個人の責任と趣味の範囲で作っているので、同じように作ってお腹を壊しても一切の責任は取れませんのであしからず。

ところで玄米はやはり農薬が気になるので、農薬を通常より減らして作った玄米を取り寄せていて、乳酸菌を作る場合、最初のとぎ汁は捨てている。

そしてとぎ汁を使って残った玄米は、もちろん炊いて食べます。

玄米を6時間ほど発芽させてから小豆を加えて炊くのだが、私はこの小豆のご飯が大好きで、おかずなしでご飯だけで食べられるくらい。

しか~し、家族はそうはいかないのでおかずを作ることした。

おかず作りに使ったのはこちら↓



これは一時期ブームにもなった「乳酸キャベツ」です。

作り方はキャベツの千切りに塩ときび砂糖を混ぜ、常温で数日間発酵させる。

最初はビニール袋に入れて重しを乗せて置いておくのだが、発酵が進んで来たら瓶に移し替えて冷蔵庫で保管する。
この状態で一か月ほど持つそうなので、私は常備していて料理に使っている。

キャベツは栄養価の高い野菜で抗がん作用もあるそうだが、なにより胃腸の健康に良いそうなので、胃腸が弱めの私は積極的にキャベツを食べようと思っていた。

ところが乳酸キャベツにするとキャベツの栄養に加えて乳酸菌のダブルパワーで、腸内細菌のバランスが整い免疫力もアップするのだとか。

これはぜひ乳酸キャベツを作ってみなければ・・・と思って作ってみたのだが、乳酸キャベツのお味はどこかで食べたことのある味だった。

乳酸キャベツを口に入れた途端「酸っぱくなったニシン漬けのキャベツだ!」と言ったのは夫。

そう、まさにニシン漬けのキャベツの味だった。

ニシン漬けとは北海道ではなじみ深い漬物だが、ニシン漬けを食べたことのない方でも「漬けすぎて酸っぱくなったキャベツの浅漬け」と言えば想像がつくかもしれない。

さて、今日はこの乳酸キャベツを使ってコールスローサラダを作ることにした。
ニンジンやキュウリ、玉ねぎなどの野菜も加えて・・・

そんなわけで今日の午前中はとぎ汁を発酵させて、発酵したキャベツ使って料理して・・・と発酵まみれの楽しい時間を過ごすことができた。

つくづく思うことは、「私は発酵がやっぱり好き」ということですね。。。







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2017-01-16 12:19:53 | 日記
前回、友人とのつきあいが減ったことを書いたが、なんとブログ記事を書いた翌日に突然長く会っていなかった友人から電話をもらった。

私は知り合いの誰にもブログを書いていることは言っていないので、まさか私が書いた記事だとわかって電話をくれたのかしら・・・とも思ったが、話をしているうちにそれは違うことが分かった。

友人が私のことを思い出して久しぶりに電話をくれたのはまったくの偶然であり、「話がしたくなったから」電話をかけてくれたのだそうだ。(本当にありがたいです)

その友人とは学生時代からのつきあいだが、彼女は結婚で本州へ行ってしまい、さらにご主人の転勤で長く海外でも暮らしていてずっと会うことは無かったが、それでも年に数回は電話で話す仲だった。

学生時代はよく二人で将来の夢を語り合い、そして目指す方向が似ていたからか彼女とはとても気が合った。

それがたぶんお互いに「ん?ちょっと違うかな?」と思い始めたのが、ここ数年のことだった。

喧嘩別れをしたわけでも言い争いがあったこともないのだが、なんとなく距離を置くようになっていた。

受話器から聴こえてきた「誰だかわかる?」と言う第一声で、すぐに彼女だとわかった。

懐かしい友の声。歳を重ねても高校時代と全然かわらない。

近況を報告しあって時間はあっという間に一時間越えの長電話になってしまった。

彼女は結婚してからも自分のやりたい夢を持ち続け、それに向かってパワフルに進んでいく人だった。

そして今は夢の一つを叶えて仕事をしているそうだ。

私のやりたいことが「主婦」であり、そして「家事育児」だったのとは正反対に、彼女のやりたいことは外の世界で仕事をすることだった。

話をしているうちにそれらを互いに理解しあうことができ、そして相手の価値観を認め合うことができた。

「どんな世界にいようと、地に足をつけて暮らしたいね」と言った友人の言葉には私も同感だった。

そして「私たち少し大人になったよね~」という彼女に「すこし所じゃないけどね。私も、もうすぐ56歳になるよ」と答えた。(笑)








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また、ひとりごと

2017-01-11 14:35:07 | 日記
お正月休みが終わって、またいつものように静かな日常に戻った。

子どもたち二人が帰ってしまって寂しさもあるが、連日リクエストの料理作りに少々疲れが出ていたので、ほっとしているというのも正直な気持ちだ。

お正月中はバタバタとしてゆっくりと年賀状を読んでいる暇もなかったので、今また頂いた年賀状を出して読んでいた。

最近はネットの普及などによって年賀状のやり取りを減らしていく傾向があるそうだが、我が家の年賀状も最盛期の半分以下になった。

今、私が年賀状の交換をしているのは学生時代の友人が数名と会社員時代の同僚が数名、それから子供たちが小さかった頃に知り合ったママ友が数名ほどだが、この中で実際に会って話をする人は学生時代の友人が一人か二人だ。
それも年に一度会えば良い方で実際はほとんど会うことはなく、ゆいいつ年賀状だけで繋がっている。

年賀状に書かれた近況報告を読み、なつかしく思い出したり、元気そうでよかったと思ったりしていた。

思えば友人と会う機会はすっかり減ったし、たまに電話で会話をする友人も今は一人だけになってしまった。

中学時代の同級生だった彼女はいま認知症のある実母の介護の真っただ中にいて、煮詰まった時にSOSの電話がくる。

私も認知症の実父と義母を見ているので、同じような境遇だと彼女も話しやすく思ってくれているのだろうと思う。

それにしてもある時から、私はみるみるうちに友人が少なくなったと思う。

しかし、私より若い50歳の妹(妹なので当たり前か)は、いつも「ライン」とやらで友人たちと連絡を取り合っている。
それも学生時代のライン、会社員時代のライン、習い事のラインなど知り合いによっていくつものグループがあるのだそうだ。

「おねえちゃんもやったら?」と言われるが、いつもいつもネットで連絡を取り合うというのがどーも面倒くさい。

第一、そんなに用事なんてないでしょう?と思うのは「年寄り」の考えだろうか。

少なくとも私と同じ年齢の同級生に聞いてみたところ、「ラインはやっていない」と言う人がほとんどで、やっていると答えた人も「用事のある時、年に1~2回しかラインは使わない」と言っていた。

みんなそれぞれ介護や仕事に忙しい世代なのか、はたまたスマホは使いこなせずガラケーで通話とメールができれば十分だと思っている世代なのか、たぶんその両方なのだろうけど、とにかく私の周りの知り合いたちはラインはもちろん、フェイスブックやツイッターなどもせず、年に一度の同窓会的集まりで会う程度か年賀状だけの付き合いになっている。

でも私はそれで十分満足している。

友人たちとの会話もたまにならば楽しいのだが、私が興味のある話題はほとんどすることはないしできない。

だから、今は年に一度だけ友人たちの集まりに参加して昔話や最近の楽しかったことなど他愛のないことで笑い合い、時々電話で介護で苦労している友人の話を聞くくらいが丁度よいと思う。

友達と会って話しても楽しくないと感じた頃、どんどん友人との付き合いが減りだした頃は寂しさもあったが、今は一人でもいいと思えるようになった。

本を読むことで自分の知らない世界を知ることができるし、興味のあることも本から知ることができる。

そして、これが私にとって最も重要なことだが、ブログを書くことによって自分自身と対話をすることができる。

「外側を見ずに自分の内側を見なさい。外に答えがあるのではなく、答えはいつも自分の内にある」

忘れてしまったが何かの本にこのような文章があり、深く感動したことがある。

外ばかりを見ていると他人と比較して自分のできないことを責めたり、また落ち込んだりしてしまう。

そして自分の中心からどんどん離れてしまう。

自分の中心つまり良心に沿って生きて行けば、すべてはなるようになっていく。

一人ひとりはすべて大いなるものの一部、だから安心して進めばいい。

「そうですね、そうしたいと思います」これを書きながら読んでいる自分がそう答えた。









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おいしくなーれ

2017-01-05 16:33:12 | 日記
今日は長男パインが大学のある街へ戻って行った。

次女ピーチも9日の成人式が終わってから戻ることになっている。

年末から今日まで、そしてそれはまだ続いているのだが、私は料理作りに忙しい。

久しぶりに帰ってきたパインとピーチにたくさん食べてもらいたくて、連日料理のひとつひとつに「おいしくなーれ」と願いを込めて料理に集中している。

そのせいか、最近作っている料理はどれも美味しくできる。(自画自賛です、お許しを)

年末に煮た黒豆なんぞ、その甘さといい固さといい、今まで作ってきた黒豆の中で最高のデキなんじゃないかと思ったほどで、めずらしく義母と夫が「うん!美味しい」と言ってほめてくれた。

私は結婚してからずっとノートにレシピを書き溜めているが、黒豆もレシピ通りに作っているので、それほど大きく味が変わるわけはないのだが、「美味しくなれ」の念が入ったのか今回は絶品黒豆になった。

またパインの好きな焼き餃子も今までで一番おいしくできたと思うほど上手くできたし、里芋の煮物もかなり美味しくできた。

子どもたちもたくさん食べてくれて、毎回のように「次のご飯は何?」と聞かれるのが、嬉しくもありプレッシャーでもありで、「さて次は何を作ろうか」と頭を悩ませている。

ところで何年か前に実験をしたことがある。

同じ形の瓶に同じく炊いたごはんを入れ、一つには「ありがとう」と書いた紙を貼り、もう一つには「ばかやろう」と書いた紙を貼った。

そして、時々そのふたつのご飯に、それぞれの紙に書いた言葉をそれぞれに声がけした。

空気が入ったり細菌が入るといけないので、両方ともしっかりとふたは閉めて開けることはせず、瓶の外側から声をかけ続けた。

その結果どうなったかと言うと、日が経つにつれて双方の御飯に変化が現れ、最終的にはっきりとした違いがでた。

「ありがとう」のご飯は、瓶の中で白いままトロトロのおかゆのようになり醗酵した良い香りがしたのに対して、「ばかやろう」のご飯はカビが生え、黒っぽく変色して嫌な臭いがした。

その時の様子は写真付きでブログに載せたのだが、昔書いたブログ記事のほとんどを消去してしまったのでお見せすることができないのが残念。

これはもう一度やっても、きっと同じ結果になるのではないかと思うので、いつかまた実験をしてみようと思う。

さて今回の美味しくできた料理も「おいしくなーれ」のほかに、二人が無事に帰って来てくれたことに感謝しながら作っていた。
また料理の途中で窓の外に目をやると森林があるので、その森林や自然そのものに感謝をしていたのだが、もしかして料理が美味しくできたのはこのせいなのだろうか。

集中して料理をすると、調味料をきちんと量ったり、火加減に気を使ったりするので、面倒だと思いながら作るよりずっと美味しくなるのかもしれないが、作る人の念というのも料理の味の良し悪しに影響するのかもしれないと思う。

これからも「感謝」しつつ美味しいご飯を作りたいと思う。

さてさて新しい年である酉年がスタートしたばかりですが、すでにうちの鳥はお疲れ気味です。

帰省している二人が久しぶりに会うP太郎が可愛すぎて、交互にかごから出してかまっているのでP太郎はすっかり疲れたようです。

最近は日中はこうして膨らんで寝ていることが多いです。

しかし夕方には復活して「(かごから)出せー!」と騒ぐので、ちょっと疲れているだけかもと安心しています。



足に羽毛をかけて片足で寝るP太郎。








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新年の抱負

2017-01-02 16:27:24 | 日記
明けましておめでとうございます。

さて新しい年が明けたが、年末から今も、私は非常にうれしい気持ちが続いている。

それは一つの文章が何度も心の中に浮かんでくるから・・・

その文章とは「すべては自分の心が決める(決めていた)」ということで、これは前から分かっていたつもりだったが、頭の中ではわかっているつもりでも完全には分かっていなかったのだと思う。

だから今まで何か嫌なことが起こるとつい被害者意識になったり、相手が悪いと非難する気持ちが湧いてきたりして、結果的に起こったことの何倍も自分の中で嫌なことを大きくしていた。

何をしていても、その嫌なことが頭から離れないというのは非常につらいことだ。

起こった出来事は、自分の中で尾ひれがついて次第に大きな化け物になっていく。

自分の心の中で育てた化け物なのに、まるでどこか別の世界からやってきた化け物のように勘違いして、恐怖と怒りと不安でいっぱいになる。

その化け物つまりネガティブな感情があまりに大きくなりすぎると、身体や精神に不調が現れるのだと思う。

しかし冷静に観察すると、自分にとって嫌な出来事も、元をたどれば自分が招いたことだったということが多い。
(というか、私の場合はそのすべてが自分の問題だったと思う)

ネガティブな感情を経験することはけっして悪いことだとは思わない。
それは、何度も同じ経験を繰り返し「あぁ、自分はこういう時にネガティブな感情になるのだなぁ」と学ぶことができるからであり、そのような経験から学ぶために私たちは生まれてくるのだとさえ思っている。

しかし、喜びや幸せといった感情なら何度でも味わいたいものだが、つらくなるような感情はできれば経験したくはない。

しかし、不思議なことに何度も同じようなことが起こることがある。

嫌になるほど繰り返し同じような嫌な状況が目の前に現れるのは、まだまだ自分がその経験を学びきっていないからだ。

悪いのは私ではない、私は被害者だと思っている限り、何度でも起こる可能性があるのかもしれないと思う。

しかし今やっとこの「カラクリ」が理解できたから、次はもう無いと思える。

たとえ起こったとしても、すべてが自分が学ぶための出来事だったと心から感謝して、安心した気持ちでそこから離れようと思う。

それが心の中に大きな化け物を育てて自分自身を苦しめないコツなのかもしれない。

私の拙い文章でこのことを伝わるように書くことはとても難しいのだけど、これが腑に落ちた時からずっと喜びの気持ちが続いている。

そして思うことは、もっともっと感謝の気持ちを持って、それを出していきたいということ。

以上、これが私の新年の抱負でしょうか。








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