ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

あ、書けたかも

2022-06-27 15:17:49 | 日記

そろそろブログを書かないとなあーと思いつつも書くことがない。

朝起きて、朝ごはん作って食べて、掃除して洗濯して、たまに買い物に行って、昼ごはん作って食べて、本読んで運動して、夕ごはん作って食べて、お風呂に入って寝る、、、という一日。

もちろん、これしかやっていないわけではないが、一日の流れとしてはほぼ同じなので、これと言って書くネタもない。

退屈と言えばそうなのだけど、考えてみればなんと幸せな日を送っているのだろうと思う。

今日も一日、何事もなく平凡に、そして平穏に暮らすことができたと、寝る前に布団の中でありがたいと思う。

でも細かいことを言えば、心配事はある。

例えば、私たち親がいなくなった後に、残される障害のある長女の将来のことなど。

長女は、手助けなく一人で暮らすことは難しいので、親亡きあと一人になっても生きていける道筋を、私たちが元気なうちに考えておかなければと思う。

兄妹がいるから大丈夫と他人はいうが、兄妹には兄妹の生活があるので、長女の面倒を見てもらうつもりは無い。

どうしても頼らざるを得ない事は、お願いしようと思うが、基本的には兄妹に頼らず暮らしていけるようにしたい。

とはいえ、それも眠れないほど心配している訳ではない。

長女の将来を思いながら、アンテナを立てていれば、きっとうまくなるようになっていくだろうと思っている。

なんて、何の確証もないのだけれど、、、

そんな事を言うと、また夫に「何にも考えてないだろ?」と言われる。

「失礼な、考えてるよ」とは一応言い返すものの、さすが30年近く一緒にいると、よくわかっているなと思う。

あまり深く考えていないのを見抜かれている。

私に比べて、夫はなんでもよく考える。

それも色々なパターンを想定して考えるのは、長く社会で仕事をしてきた人と、そうじゃない人(私)の違いかもしれない。

とは言え、たまに心配し過ぎじゃないかと思うこともある。

テレビのニュースを観ていた夫が言った。

「戦争は無くならないし、治験中なのに打て打て言うし、物価は上がるが若い人の給料は上がらないし、年金は下がるし、大地震が近いというし。少子化だと言うが、こんな世の中に新しい生命を生み出すことを躊躇する気持ちもわかるわ」

そう言われると、確かにこの先、夢も希望もない世界に思えてくるが、そこまで言うほどは、悪くないと思う。

生きていればこそ、楽しい経験もそうじゃない経験もすることができる。

今まで明るい道を歩いていた筈なのに、急に真っ暗闇の世界に放り込まれた気がしたことも、今となっては懐かしいと思えるようになった。

また、あれほど怒ったり悲しんだりしたことも、やはり今となってみれば、相手が悪いだけではなく、自分にも問題があった事がわかるようになり、よい経験だったと思えるようになった。

楽しかったことは言うに及ばず、つらかった経験の方が、後になってみれば懐かしく思い出すようになる。

その証拠に楽しかった経験よりも、辛かったことや大変だったことを話される高齢者の方が多いのも、そう言ったことなのかもしれない。

だから未来もきっと大丈夫。

大丈夫じゃないように思えても、きっとうまく、なるようになっていくのだろう。それが出来るのが、人間なのだから。

あ、書けた。

 


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初コメダ

2022-06-21 22:27:39 | 日記

「コメダ珈琲」は知っていたのだけど、今まで入ったことはなかった。

たまに朝、お店の前を通りかかると、行列ができていることがあって、並ぶほど何かいいことがあるのだろうかと興味を覚えたが、結局入らずに今に至っていた。

ところが、遂にコメダ珈琲に行くことになった!(びっくりマークを付けるほどのことじゃ無いが)

「コメダ珈琲に行くけど、一緒に行く?」と夫に聞かれた。

これまで何度か、こうして誘われたことはあったが、忙しかったりでほとんど断っていた。

と言うか、コーヒーなら家で飲めばいいじゃないかと、貧乏性の私は思ってしまうのだ。

しかし、夫は言う。

「コーヒーを飲むのが一番の目的じゃなくて、カフェという場所での時間を楽しむために行くんだ」

夫は勤めている時も、昼休みによく喫茶店へ行っていたそうだ。

仕事で煮詰まった思考が、喫茶店で飲む一杯のコーヒーでリセットされるのだとか。

その時の習慣が続いているのか、退職した今もふらっと一人でお茶を飲みに出かけて行く。

コメダ珈琲と聞いて、気持ちが動いた。

夫によると、モーニングセットが人気だそうで、飲み物を頼むと飲み物だけの値段でパンと卵やあんこがついてくるそうだ。

朝、お店の前に行列ができていた理由がわかった。モーニングセットを目当てに来ていたのかもしれない。

早速コメダ珈琲に行くと、今日は行列は無くて席も余裕があった。

二時間半くらい前に朝ごはんを食べたばかりだったが、せっかくなので私は丸いパンと茹で卵を頼み、夫はトーストとあんこを頼んだ。

パンにはバターかジャムがつくそうなので、バターにする。温かいパンも茹で卵もコーヒーも美味しかった。

コーヒー500円だけのお値段で、これだけついてくるとは、なんてお得なんだろう!

でもよく考えたら、家で食べたらもっと安上がりかな、、、と思う。

家なら、このセットに野菜サラダもつけて500円以下で食べられる。

なーんて長年の主婦感覚が、すっかり染み込んでしまっている。

「ほら、周りを見てごらん。ここで朝食を食べながら仕事をしている人も多いよ」

夫に言われて周りを見れば、パソコンを広げて仕事らしき最中の方が数名いる。

また友だち同士なのか、女性二人で楽しそうにおしゃべりをしながらモーニングを食べている方もいる。

夫の言うように、此処でおしゃべりをしたり仕事をするためにお金を払って来ているのだなあと思った。

コロナ前は、友だちや妹などと、おしゃべりをするのにカフェを利用したこともあったが、ここ二年くらいその様なことも無くなっていた。

というわけで、私もお店に置いてある雑誌を読んで、しばしのくつろぎの時間を過ごして来た。

でもまた夫とカフェに行くかと聞かれたら、10回に1回くらいならいいけど、家でお茶を飲んで朝ごはんを食べていた方がいい。

その方が落ち着く、、と思うのは、やっぱり貧乏性だからなのかもしれない。

 


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見てはいけないモノ

2022-06-17 15:36:00 | 日記

先日いつも行く近くの銭湯に行き、お湯に浸かっていたら視線を感じた。

誰かがこちらを見てるような気がした。

そこでつぶっていた目を開けたら、離れた場所で、ちょうど向かい合う形でお湯に浸かっている方と目が合った。

でも目が合った途端、私の方が慌てて目をそらしてしまった。

また見てはいけないモノを見てしまったような気がした。

その方の年代は、40代と言ったところだろうか。

ショートヘアで、割とふくよかな女性だったが、お湯から出ている胸から上の周りには、黒いモヤがかかっており、そのお顔は人間の顔ではなく、まるで獣か何かのように非常に恐ろしいものだった。

それを見た途端、驚いて思わず目をそらしてしまったのだった。

もしかしたら今のは、目の錯覚だったのかもしれない。

そう思って、女性の視線が自分から外れたのを感じると、もう一度あらためて、その女性のお顔を見てみた。

肉眼では、(当たり前だが)普通の人間の女性に見える。

でも別の意識で見てみると、やはり恐ろしい獣のように見える。どちらが本当の姿なのだろうと思った。

ところで「また」と強調して書いたが、実はこのように見えたのは、これが初めてではない。

別の温泉でも、偶然に別の女性を見た時、獣のような恐ろしいお顔に見えて驚いたことがあった。

この時も肉眼では普通の人間に見えるのだが、別の意識で見ると、先の女性のように恐ろしい獣の姿に見える。

最初に見た時は、これは一体何なのだろうと思ったが、それ以上のことは考えることもなく、いつの間のか忘れかけていたのだが、さすがに二回目にもなると考えてしまった。

見えたのはどちらも湯船に浸かっている時で、この時の自分の意識というのが、通常の意識とは違い、ちょうど眠る直前と同じような意識になっていたと思う。

今までの経験上このような意識の時は、見えない物が見えてくることがある。

恐ろしい姿に見えたのは、このお二人の女性だけで、どちらの時も他にたくさんの入浴客がいたのだけど、獣に見える人は、他にはわからなかった。

ところで大きなお風呂は気持ちが良いので、これからも行こうと思っているが、今後もまたこのような方を見るのかもしれない。

どうして特定の人だけが、恐ろしい姿になって見えるのか?という知りたい気持ちはあるが、今はそれ以上深く考えるのはよそうと思う。

幽霊と同じで同調してはいけないと、本能が警告しているような気がする。

というわけで、気分を変えて先日行った旅の写真。

向こうまで歩くと、一体どれくらい時間がかかるのだろうと思ったほど広い草原だった。

 

 


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道内旅行

2022-06-13 15:02:43 | 旅行

長男の提案で一泊旅行へ行ってきた。

「奥さんと話して、それぞれがそれぞれの親と旅行に行こうということになったんだ。ちょっとだけ親孝行」

親孝行とは嬉しいが、結婚したのに別々でいいのかなと心配になる。

でも「次は両家みんなで旅行へ行こう」と言うので、今回は長男の提案に喜んで参加することにした。

長男が選んだ行き先は、北見市にある温泉。

途中、前から行ってみたかった「大雪 森のガーデン」へ寄った。

広い土地に約900種類もの草花が、美しく植栽されているそうだ。

四季折々の草花は、冬を除いて鑑賞することができる。

ここはもう花好きには、たまらない場所で、見る草花すべてが写真に撮りたくなる。

どこを見ても絵になるのは、草花がお互いを引き立て合うように、センス良く植えられているからで、庭作りをしている人には、とても参考になる。

うちの庭もこんな風にしたいな、、、といっても、とてもこんなに素敵な庭は作れないけど、北海道で越冬できる草花を知ることができたのは良かった。

宿根草だと思って買ってきても、越冬できずガッカリすることがよくあったので、これを参考に苗を購入しようと思う。

さて広いガーデンを歩き疲れたら、所々に一休みできる場所もある。

美しい景色を見ながらひと休み。

でも美しいのはガーデン内だけではない。

ガーデンの外には、このような景色が広がっている。

遠くに見える山は、大雪山。

こちらは牧草地かな。

ところで車で走っていると、道路を横断して行く鹿を見かけることがある。

スピードを出していると、鹿とぶつかる事故が起こるので注意しなければいけない。車に轢かれる鹿も可哀想だが、人間も怪我をするし、車も壊れる。

明らかに敵対心を持った顔で、にらんでくる鹿もいるが、この鹿ちゃんは「ん?どしたの?」と言った感じで、草を食べながら興味津々にこちらを見ていた。かわいい。(車に気をつけてー)

ところで動物といえば、宿泊した宿の敷地内には同じ看板がいくつも立っていた。

なんでも宿の露天風呂に三頭の親子の熊が現れたそうだ。

山の中に建つ宿なので、熊もいるだろうとは思ったが、さすがに一人で露天風呂に行くのは怖かった、、、

「熊に注意してください」と、お風呂の入り口にも貼り紙がされていたけど、どう注意すれば良いのかと思う。

とりあえず熊が歩いていたという山の斜面を凝視しつつ、熊が来たらいつでも逃げられるように、心の準備をしてお湯に浸かっていた。

多少の緊張感はあったが、気持ちの良い温泉を満喫して、翌日は長男が行きたいという「北鎮記念館」へ行った。

ここは以前も一度、行ったことがあるのだけど、長男が初めてなので行くことにした。

北鎮記念館は、陸上自衛隊が管理する資料館で屯田兵から始まって現代まで、これまで経験してきた幾多の戦争など、たくさんの資料と共に知ることができる。

顔を近づけるようにして真剣に資料を見る長男。

短い期間だったとはいえ、自衛隊に体験入隊したことのある長男には、とてもおもしろかったようだ。

ただ戦争の悲惨さは、ひしひしと伝わってくる。

「もう二度と繰り返してはいけないね、、」と言ったら、長男は黙って頷いていた。

この美しい土地の平和が、これから先もずっと続きますように、、と願いながら帰ってきた。

 


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前を向いて

2022-06-08 14:23:59 | 日記

夫の学生時代の友人が、仕事で来たついでにうちへ寄ってくれた。

会うのは、実に四年ぶりだが、夫が定年退職したので、気軽に遊びに来てもらえるようになった。

前に来た時は、奥さんも一緒だったが、今回は体調があまり良くないそうで、友人ひとりだけだった。

夫が羨ましいのは、学生時代の友人と今でも繋がっていることで、全国にいる友人たちと60歳を越えた今でもよく連絡を取り合っている。

そして、その土地に行くと、こうして訪ねて行ったり、時には家族も一緒に会ったりする。

若い頃は、夫の友人に会うことにとても緊張したけど、今はもう慣れてしまって、私も会うことが楽しみになった。

さて、遊びに来てくれた友人だが、会っていなかった四年の間にお孫さんが生まれて「おじいちゃん」になったそうだ。

「お孫さんは可愛いでしょう?」と聞いてみた。

すると、目尻を下げたままで言った。

「よく孫はかわいいって言うしょ?あれね、、、かわいいなんてもんじゃないから。もう可愛過ぎて、かわいいって言葉では表現できないほどのかわいさだからね」

なるほど、、、孫がいないのでよくわからないが、とにかくかわいいと言うことだけは間違いないみたいだ。

ところで話しているうちに、とても懐かしい気持ちになった。

今までその友人と会っても、そんな気持ちになったことはなかったが、これは何なのだろうと考えてみたら、わかった。

亡くなった父によく似ているのだ。

少し方言の混ざった話し方と雰囲気が似ていて、顔もなんとなく似ている。

若い頃は、まったくそんなことは思ったことはなかったが、夫の友人が歳をとったせいなのか、私の覚えている晩年の父によく似ていると思った。

四年ぶりに会った友人には、亡き父に似ている、、、なんてことは、絶対に言えない。

いくらなんでも80代で亡くなった父と似ているなんて聞いたら、気を悪くするだろう。

でも私としては、父に会えたようで、とても懐かしかった。

とはいえ、友人の老け方が少し早いことが気になった。

なーんて、私も他人から見れば、そう思われているのかもしれないので、他人のことは言えないのだが、、(いつも鏡を見ては、皺を伸ばしている)

ところで、急に老けたなと思うのは、この友人だけではない。

70歳を少し越えた知人男性。

三ヶ月前に会った時は、七三に分けたヘアスタイルで白髪に黒髪が混ざったグレーヘアだった。

ところが先日会ったら、すっかり髪が抜け落ちて、残った髪の毛は真っ白になっていた。

本人も気にしているようで、以前は被っていなかった帽子を深く被っていたが、最近体調が悪いと言って、被っていた帽子を取って頭髪を見せてくれた。

「ここ二、三ヶ月の間に、こうなってしまったんだ。それにほら、眉毛まで真っ白。股関節も痛くて、前のように歩けないんだ」

髪の毛と眉毛が真っ白になって、動きが遅くなったせいか、とても歳を取ったように見えた。実年齢より10歳以上も年上に見えた。

最近、続けて友人知人の二人に会い、二人とも以前より歳をとって見えたことで、私のテンションも下がりっぱなしだった。

どこか悪いのか、それとも自然現象なのか、それとも、、、と考えると心配で仕方がない。

とはいえ、私が心配して気持ちが沈んでいても仕方がない。

前を向いて、生きて行くしかない。

なんてことを考えるような時代なのだ、今は。

 

 


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バトン

2022-06-03 11:44:46 | 日記

妹から久しぶりにラインが送られてきた。

今、東京に居るのだという。

ラインにはたくさんの人が映っている写真や動画もあって、妹の嫁ぎ先の親戚たちが集まっているのだとか。

妹の嫁ぎ先の親戚の方を見るのは、妹の結婚式以来だから30年ぶりくらい。

結婚式の時に会った方もいたが、ほとんどは初めて見る方ばかりで、なんだか垢抜けた方が多い。

やっぱり東京に住んでいる人は違うわ〜と思って返信したら、「その人は歌手で、隣の人は女優だよ」と妹から返ってきた。

どちらの方も私は知らなかったが、YouTubeなんかを観ると出ているらしい。

妹の旦那さんは、ごく普通のサラリーマンだが、聞けば親戚はバラエティーに富んだ人材が揃っているそうだ。

それが良いのか、そうじゃないのかは別にして、日本だけに留まらず世界へ出て行く人が多いのも親戚の特徴だとか。

それに比べて、海外どころか日本の中でさえ地元から出ることなく、良く言えば質素で実直だが、非常に地味なのが、私の嫁ぎ先の親戚の特徴だと思う。

同じ環境で育った姉妹なのに、結婚相手に選んだ相手の背景が180度違うのが面白いなと思う。

でも、姉妹とはいえ性格も興味の対象も違うので、そうなるのは当たり前なのかも知れない

ところで最近、その傾向がさらに子どもたちへも受け継がれていることを発見した。

子どもたちが大きくなるに連れて、それぞれの家系の影響を色濃く受け継ぎ、親や親戚たちと同じような道を選んでいると思う。

やはり子どもは、親の背中を見て育つのか、、、と思ったら、たまに親も親戚もそうでは無いのに、突然お笑い芸人になる子が現れて、よく調べたら何代か前に芸人だった先祖がいたなんて話を聞く。

これは不思議。お笑い芸人になりたいという遺伝子が、長い年月を経て受け継がれて来たのだろうか?

何代もかけて先祖からバトン(遺伝子?)が受け継がれてきたのかも知れない。

もしもそうなら、、、

自分たちから子どもたちへ(又は親戚の子に)、そして孫、曾孫へ、その先もずっと受け継がれて行くかも知れないバトンなら、悪いバトンではなくて良いバトンを渡してあげたいと思う。

生きている間、できる限り善きことを想い、善き行いをして、よいバトンを作っていけたらと思う。

 

 


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