そろそろブログを書かないとなあーと思いつつも書くことがない。
朝起きて、朝ごはん作って食べて、掃除して洗濯して、たまに買い物に行って、昼ごはん作って食べて、本読んで運動して、夕ごはん作って食べて、お風呂に入って寝る、、、という一日。
もちろん、これしかやっていないわけではないが、一日の流れとしてはほぼ同じなので、これと言って書くネタもない。
退屈と言えばそうなのだけど、考えてみればなんと幸せな日を送っているのだろうと思う。
今日も一日、何事もなく平凡に、そして平穏に暮らすことができたと、寝る前に布団の中でありがたいと思う。
でも細かいことを言えば、心配事はある。
例えば、私たち親がいなくなった後に、残される障害のある長女の将来のことなど。
長女は、手助けなく一人で暮らすことは難しいので、親亡きあと一人になっても生きていける道筋を、私たちが元気なうちに考えておかなければと思う。
兄妹がいるから大丈夫と他人はいうが、兄妹には兄妹の生活があるので、長女の面倒を見てもらうつもりは無い。
どうしても頼らざるを得ない事は、お願いしようと思うが、基本的には兄妹に頼らず暮らしていけるようにしたい。
とはいえ、それも眠れないほど心配している訳ではない。
長女の将来を思いながら、アンテナを立てていれば、きっとうまくなるようになっていくだろうと思っている。
なんて、何の確証もないのだけれど、、、
そんな事を言うと、また夫に「何にも考えてないだろ?」と言われる。
「失礼な、考えてるよ」とは一応言い返すものの、さすが30年近く一緒にいると、よくわかっているなと思う。
あまり深く考えていないのを見抜かれている。
私に比べて、夫はなんでもよく考える。
それも色々なパターンを想定して考えるのは、長く社会で仕事をしてきた人と、そうじゃない人(私)の違いかもしれない。
とは言え、たまに心配し過ぎじゃないかと思うこともある。
テレビのニュースを観ていた夫が言った。
「戦争は無くならないし、治験中なのに打て打て言うし、物価は上がるが若い人の給料は上がらないし、年金は下がるし、大地震が近いというし。少子化だと言うが、こんな世の中に新しい生命を生み出すことを躊躇する気持ちもわかるわ」
そう言われると、確かにこの先、夢も希望もない世界に思えてくるが、そこまで言うほどは、悪くないと思う。
生きていればこそ、楽しい経験もそうじゃない経験もすることができる。
今まで明るい道を歩いていた筈なのに、急に真っ暗闇の世界に放り込まれた気がしたことも、今となっては懐かしいと思えるようになった。
また、あれほど怒ったり悲しんだりしたことも、やはり今となってみれば、相手が悪いだけではなく、自分にも問題があった事がわかるようになり、よい経験だったと思えるようになった。
楽しかったことは言うに及ばず、つらかった経験の方が、後になってみれば懐かしく思い出すようになる。
その証拠に楽しかった経験よりも、辛かったことや大変だったことを話される高齢者の方が多いのも、そう言ったことなのかもしれない。
だから未来もきっと大丈夫。
大丈夫じゃないように思えても、きっとうまく、なるようになっていくのだろう。それが出来るのが、人間なのだから。
あ、書けた。