ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

声が出ない!?

2017-11-30 14:14:35 | 日記
しばらく前のことだが、次女ピーチから「風邪を引いたかもしれない。喉が痛くて微熱がある」と電話が来た。

「温かくして寝なさい。あとで病院に行って、帰りに食べられそうなもの多めに買っておいで」

とりあえず、そんなことくらいしか言えない。

ピーチは、家から離れた大学へ行っており一人暮らしをしている。

これまでも何度か風邪をひいたと電話が来たが、すぐに行ける距離ではないので、心配しつつもこまめに電話をかけて様子を聞くしかない。

しかし、今回の風邪はかなり重かったようで、熱は下がらないどころかどんどん高くなり、それと共に声がかすれ始めて、しまいには全く声が出なくなってしまった。

病院からもらった薬を飲んでも熱が続き、何日も声が出ないと言うので、今度は内科ではなく耳鼻咽喉科へ行ってみるようにと言った。

耳鼻科へ行ったピーチによると、気管がかなりの炎症を起こしていたそうで、もしかしたらインフルエンザだったのかもしれないと言われたそうだ。

インフルエンザの流行にはまだ早い時期だったので、最初の病院ではインフルエンザの検査をしなかったそうだ。

今やそれがインフルエンザだったのかどうかは不明だが、とりあえず、それからしばらくすると熱も下がり声も出るようになったと言うので安心した。

ピーチの声がやっと出始めて安心した頃、それと入れ替わるように、なんと今度はオカメインコのP太郎の声がかすれ始めた。

最初にそれに気づいたのは、用事で外泊していて久しぶりに家に戻った長男パインだった。

「あれっ、なんかP太郎の声かすれてない?」とパインに言われて、そういえばそうかも・・・と思った。

最近なんだかP太郎の鳴き声が小さくなったかなとは思っていたが、あまり気にしていなかった。

言われてみると、確かにP太郎の声がかすれているようだったし、P太郎の唄も聞いていない。
機嫌が良い時は、いつも音程の外れた鳩ぽっぽを唄っているのに、しばらく聞いていなかったことに気づいた。

そこで試しに口笛を吹いてみた。

いつものP太郎なら一緒に歌うはずだった。

一瞬、P太郎は歌い始めたのだが、声が出せないようで、かすかに小さな声を出した後はまったく歌わなくなってしまった。

「やっぱり声が出ないんだー!!(真っ青)
何が原因なのだろう?
ご飯はいつものように食べていると思うが、声が出ないって一体どういうことなの?」

こういう場合、ピーチの声が出ないより、P太郎の声が出ないということがずっとずっと心配でオロオロしてしまう。

小鳥は弱いので、ちょっとしたことでも命とりになる。

試しに「声が出ない。オカメインコ」などと検索をしてみると、病名が現れ、すぐに病院へとか、残念ながら昇天してしまったとか、かなり重い内容が書かれていた。

「すぐに病院へ連れて行くか?だけど、一人でP太郎を連れて行くのは無理だ。
誰かが一緒に車に乗って、できるだけ揺れないようにかごを押えてP太郎に声をかけてくれないと、P太郎はパニックを起こす。
下手すると、それで命を落とすかも・・・あ~だめだ、一人で病院へ連れて行くのはできない」

以上のようなことをひとり頭の中で呟いた結果、病院へは行かずにしばらく見守ることにした。

P太郎のかごのそばに座って、P太郎の様子を見ていると、私がずっとそばに居るのが嬉しいようで、P太郎はニコニコ笑いながら寄ってくる。

そして声をかけると、翼を少し広げて嬉しさを表す。

見ている限り、声が出ないと言うこと以外は、普段と様子はあまり変わらないようだった。

・・・が、鳥は具合の悪さを悟られないように、最後まで元気なふりをすると書いてあったので、まだまだ油断はできない。

そうこうして、P太郎の声が出ないという症状は一週間以上続いた。

その間、毎朝P太郎のかごに掛けている布を取る時は、祈るような気持だった。

「どうか生きていてください。間違っても、下に落ちて冷たくなっていないでください」
そう思いながら布を取り、そして生きているP太郎を見た時の嬉しさは、P太郎を飼って10年近くで、初めての気持ちだった。

その祈りが通じたのかどうなのか、なんと再びP太郎の声が出るようになった!

しばらくはまだかすれた声だったが、そのうち徐々に低音が出せるようになり、そして高音も出るようになった。

今はP太郎の18番「鳩ぽっぽ」も問題なく歌えるようになった。

本当に心配したが、元気になってよかったとホッとしている。

それにしても、P太郎が一番なついているピーチと同じ時期にP太郎の声も出なくなるとは、偶然かもしれないが、なんとなく不思議だったなぁと思う。

でも二人とも元気になってくれて、よかったよかった!!



ちょっと毛並みが乱れてますが、P太郎、元気です!





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老い

2017-11-27 16:09:58 | 介護
夫の甥が家族を連れて遊びに来てくれた。

短い休暇を利用して帰省したそうだが、夕方の飛行機で帰らなければいけないそうで、時間が無い中どうしても子供をおばあちゃんに見せたいと我が家へ寄ってくれた。

突然の甥一家の訪問におばあちゃん(お姑さん)は驚いていたが、もうすぐ一歳になる曾孫を見て涙して喜んでいた。

甥は母である義姉からおばあちゃんの最近の様子を聞いたらしく、心配して来てくれたようだった。

お姑さんは物忘れが進み、先日は鍋を火にかけていることを忘れて危うく火事になる所だった。
鍋から煙があがって、部屋の中が白く霞んでいるにもかかわらず、それに気づかずにテレビを観ていたということがあったので、義母が料理を作る時は外出しないようになった。

また便の漏れもますます多くなっている。

今年になってから、お姑さんはいろいろな面で一気に老いが進んだと思う。

そんなわけで心配して来てくれた甥一家と短い時間ではあったが楽しい時を過ごし、義母は帰って行く甥たちを来た時と同様に涙々で見送ったのだった。

さて甥の乗った車が見えなくなると、義母は私に向かって聞いてきた。

「あれ(曾孫)は孫かい?」

「曾孫ですよ。孫は〇ちゃん(甥)のほう」

「そうかい。孫は〇かい」と言うと、今涙で別れたばかりの曾孫は忘れたかのように、昔の思い出が今の話のように語られる。

「娘たちが孫を預けて遊びに行くから、私は4人の孫の面倒を見たの。大変だったわ」以下、孫の世話をした日の話が続いていく・・・

義母は最近のことを憶えられなくなり、憶えていることも限られた昔の出来事になってきた。

義母にとって特に忘れられない出来事だけが、これまでの人生の膨大な記憶の中で、切り取られた一枚の写真のように残っているのだと思う。

例えば小さな孫達の世話をして大変だった日という事もそうだが、最近では戦争の頃の思い出を話すことが多い。

空襲が始まり、逃げ遅れた義母が隠れた木の下で爆弾が次々に落ちるのを見ながら、一緒に逃げた友人が命を落とすという体験は強烈な記憶として残っていることは想像に余りある。

また、先日も義母が唐突に「戦争に負けた日、私なんであんなに泣いたんだべ」と言った。

日本が戦争に負けて号泣した自分という記憶はしっかり残っているが、その時の悲しみや悔しさのような気持ちまでは記憶にとどめていないのだろう。

しかし悲惨な戦争体験は、最後まで記憶の中から消えないのかもしれない。

ある時は「汽車の切符がぜんぜん買えなくて苦労した。お母さん(私のこと)もそうだったかい?」と言うので、いつの話だろうと思ったら、やはりそれも戦時中の話だった。

その当時、私はまだこの世にいなかったのでなんとも返答に困ったが、義母は別に私の返事を待っているわけではなく、延々と思いつくまま昔話は続いていく。

何度聞いたか分からないほど繰り返される同じ話の数々だが、その話の種類が徐々に少なくなっていることに最近気づいた。

それが分かった時、どうしようもなく悲しい気持ちになってしまった。

人間、年老いていくのは仕方がない。記憶が消えていくことも仕方がない。
いずれは身体ごと、この世から消えるのだから・・・

義父母と一緒に暮らして12年あまり。

義父がいなくなり、そして義母もこの先、自宅で看ることが困難になれば施設への入所も考えなければならない。

「義父母との同居は大変だ~」と思ったことは今まで数えきれないほどだが、それもこの先それほど長くないかもしれないと思うと、嬉しさよりも寂しさや悲しさをより感じることは、一つ屋根の下で一緒に暮らしてきた年月がそうさせるのかもしれない。

そして、もうひとつは自分も歳をとったということだろうか。

「老いる」ということを、亡き父や義父母を通して見せてもらっていると思う。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

剪定と植林

2017-11-20 16:22:07 | 日記
昨日降った雪は今朝になってもとけず、裏庭の森はこんな感じ↓



これは根雪になるだろうか。30センチ近く積もった。

先月、森に入って木を切ってきてよかった。

育ちすぎてウチの庭にまで枝を伸ばしていた木を切っていなかったら、今頃は雪の重みで庭に森の木が覆いかぶさっていたかもしれない。

この土地に住み始めた頃は、まだ森の木が小さくてずっと遠くまで見渡せるほど見晴らしがよかったのだが、10年以上の歳月で木はすっかり大きくなり、今や庭にまで枝を伸ばしてきてしまった。

それにしても、まさかここへきて木こりのお仕事をするとは思ってもいなかった・・・

木を切ると言っても切り倒すのではなくて、上部の幹をノコギリで切っただけなので木は死んではいない・・・と思う。

ここは市が管理している森林なのだろうと思うが、誰かが来て管理しているところを見たことが無く、それ故に管理されない森林は伸び放題になる。

人の手が入っていない自然の美しさというのもあるが、人里近くの自然はやはり人の手で管理しないと荒れたという印象になると思う。

しかし、我が家の年代物のノコギリはあまりにも切れなさ過ぎて大変だったわ。

来年は切れるノコギリを買ってこないと、雑木林の剪定は無理。

電動ノコギリはなんだか怖いし、斧も使いこなせる自信がないから、やっぱり新しいノコギリ買ってこよう。

ところでウチの裏が管理されていない森林だとすれば、管理された林を作ろうという取り組みが北海道夕張市で始まっているそうだ。

夕張と言えば、2006年に財政破綻した町。

かつては炭鉱の町として栄えた夕張も今は閑散とした寂しき町という印象が強い。

唯一有名なのが夕張メロンと狂暴キャラのメロン熊?だが、そんな夕張が再建をかけて薬木の植林を始めたそうだ。

漢方薬の原料となる薬木は現在輸入に頼っていて、国産原料の安定供給が課題になっている。

また成長の早い薬木がほかの樹種より短期間で収益が見込めることも、薬木の植林に着目した点だそうだ。

ちなみに夕張市で植える薬木は樹皮を胃腸薬に使う「キハダ」で、植栽面積は2019年度にも全国最大になる見込みだそうだ。

超高齢化社会になり、漢方薬の需要は高まる一方だろうと思う。

知恵を絞れば、まだまだ道が見つかるものだと感心する。

今後は日本一の薬木生産地を目指すそうだ。薬木の植栽でなんとか再建して頂きたいと心から思う。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精霊

2017-11-16 14:52:07 | 日記
朝方、夢を見た。

私は、口に釣り針が刺さった大きな魚を手に持っていた。

魚は弱っているが、まだ生きている。

「かわいそうに・・・」と思った。

「早く川に帰してあげないと死んでしまう」と思い、大急ぎで魚を抱えたまま家を出た。

外は薄暗く激しい雨が降っていたが、躊躇している間はない。

一刻も早く釣り針を抜いて川に帰そうと、家の裏庭を走り抜けて川へ向かった。

実際に我が家の裏庭にある森を進むと小さな川が流れている。

ちなみに私は釣りはしたことがないが、魚がいるようで釣りをしている人をたまに見かけることがある。

さて、夢の中に出てきた川は、現実の川の数百倍はあろうかと思うような大きな川だった。

雨が降っているせいか、川の水が濁り川岸も泥状になっていて滑る。

転ばないように慎重に川岸に寄り、そっと魚の口から釣り針を抜くと、手に抱いていた大きな魚を川に放した。

魚はしばらく斜めになった身体で川に浮いていたが、しばらくすると元気に泳ぎ始めた。

よかったと思いながら見ていると、その魚が戻って来て「川に帰れて嬉しい」というようなことを言った。
・・・と、ここで目が覚めた。

変な夢だったな~と思いながらも、そのうちに夢のことも忘れていたのだが、日課の床供養をした後にふと夢に現れた魚を思い出した。

あの夢は、もしかしたら、この地域で釣られて命を落としたたくさんの魚の精霊だったのではなかったのだろうかと・・・

日本では古来から、すべての生き物はおろか物にも命が宿るとして供養をしてきた。

例えば有名なのでは針供養というのがあるが、畜産業や漁業関係者であれば、人間の為に命を失った動物たちの供養をされているのかもしれない。

それはさておき、命あるものであれば尚更、魚とは言え供養が必要だったのかもしれないと思った。

床供養はほとんど毎日のように続けているが、最初は迷って入ってくる人霊の為に供養の線香をあげていたが、最近はこの地域に存在する自然霊や精霊のことも念頭に置きながら供養していた。

私たち人間が北海道のこの地域に住むようになって、まだ日が浅いが、それまでは人が入ることのない豊かで厳しい自然が広がっていたのだろう。

そして、魚も人間に捕まえられることなく自由に泳いでいたに違いない。

供養をいろいろな事柄に結び付けて考えることは良くないが、魚にも命があり無駄に殺生してはいけないのだという思いが、今朝はふと湧いてきた。

そして私は魚を食べるのが好きなので、食べる時は命を頂いていることに感謝しながら食べなければいけないなぁと思った。

これからは忘れずに感謝して頂きたいと思います。

このようなことをブログに書くことは、いつもどうかと悩むのだが、少数の方しか読まれていない気安さで書いてみました。以上






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駐車場

2017-11-13 15:39:57 | 日記
休日になると、よく銭湯へ行く。

最近よく行くのはなんと銭湯でありながら、また銭湯料金440円という安さなのに、とても良い温泉が湧き出ているという所。

設備は古いのだけど、きれいに清掃していて清潔感がある。

また湧き出している温泉のせいで、お風呂から出た後もずっと身体がぽかぽかと暖かい。

そのせいかいつも混んでいるのだが、お湯が良いので毎週1~2回は通っている。

しかし難点がひとつある・・・それは、駐車場が狭くて車を停めにくいということ。

道内は札幌市内中心部を別として、大体どこでも広々とした駐車場が多い。

特に郊外などへ行くと、飛行場の滑走路かと思うほどの駐車場がコンビニの前に広がっていたりする。

でも、私が行く郊外の銭湯は土地はまだ余っていそうなのに、なぜか駐車場は狭くて車が入れずらい。

とくに私が行く時間はいつも満車状態なので、両脇に車があって一台分がやっと空いているような場所に入れることになるのだが、狭いので両脇の車にこすらないよう非常に気を使って入れなければならない。

さて、今回は夫の運転で行ったのだが、駐車場に入ると前方の車がまさに一台空いていたスペースに車を入れようとしていた。

その車が入るまで通れないので、しばらく前の車が駐車するのを待っていたのだが、夫が突然大声を出した。
「あああ、ぶつかるー!!」

見ると駐車スペースにバックしながら入ろうとした車が、横に停めてあった車にぶつかって、ぶつかられた方の車が大きく揺れた。

通りがかったおじさんもそれを心配そうに見ていたのだが、ぶつけた車は一旦前へ出てから再度バックで入ろうとした。

そこで夫がまた叫んだ。
「だめだ!またぶつかるー!!」

いくら夫が運転席で叫んでも相手に聞こえるはずはなく、車を降りて行って誘導してあげた方がいいんじゃないかと思ったが、その暇もないほどの速さでぶつけたドライバーはためらうことなく車をバックさせた。

夫が叫んだ通り、今度は運転席のドアを隣の車にこすってじゃりじゃりと音が鳴った。

ところが驚いたことにこすっているのに車は止まらず、そのままこすりながらバックさせようとしている。

たまりかねた夫が飛び出していき、通行中のおじさんも加わって、運転席の窓ガラスを叩きながら「止まれ、こすってる」と教えてあげた。

車はやっと止まり、降りてきたのは高齢の女性だった。

ぶつけられた車にも女性の車にも傷ができていて、それを確認した女性は、その場所に停めることをあきらめて少し離れた所に停めた。

もうバックでは入れず、前から突っ込む形で空いていた場所に車を停めたのだが、その時にどーんと大きな音がした。

たぶん行き過ぎて車止めにバンパーをぶつけたのだろうと思われる(汗)

車を降りた女性は自分の車のバンパーを確認するでもなく、そのまま銭湯の建物へ行ってしまった。

ぶつけた相手の車はどうするのだろうかと心配になったが、あとから銭湯へ行ってみると、その女性はちゃんと受付で車をぶつけたことを申告していた。

その後、しばらくしてぶつけられた車のドライバーさんを呼ぶアナウンスが流れ、夫曰く、そのアナウンスが流れた途端、湯船の中から走って出て行く人がいたので、たぶんそれが被害者だろうと言っていた。

ところで、私と夫にはまだ気がかりなことがあった。

それは女性が帰る時、はたして車を無事に出すことができるのだろうかということだった。

女性は車を前から入れたのだが、混みあう時間ということもあって、女性の車の両脇にはしっかりと車がとめられている。

女性が車を出すには、バックで出てハンドルを切り返さなければいけないのだが、バックした後ろにはやはり車が停めてあってその距離はそれほど広くない。

うまくやれば出られないことはないが、慎重にぶつかりそうなところを確認しながら出ないといけない難しい場所だった。

「被害者があと3人出るかもしれんなぁ。両脇の車と後ろの車だな・・・」と夫が言った。
私もそうならないことを願いたいが、その可能性は低くないと思う。

見ず知らずの私が言うのもなんだが、あの高齢女性はもう運転をすべきではないかもしれない。

こすっているのに車を動かし続けているというのは、認知症もあるのかもしれない。

高齢化が進みドライバーも高齢者が多くなり、その中には認知症の疑いのある方も多いと聞く。

うちの亡くなった父も免許を返還するときにかなり抵抗したが、できれば高齢でその疑いを家族が感じることがあれば免許の返還を勧めるのがよいのだろう。

あとは車が無くても大丈夫なように、交通網が発達してくれたらよいのだけれど・・・

そうなったら、もちろん私も使わせてもらいたいと思っている。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せですか?

2017-11-09 12:58:55 | 日記
先日、妹が久しぶりに遊びに来た。

妹は車の運転をしないので、私が妹の家に行くのに比べると、妹がウチに来るのはずっと少ない。

と言っても、妹の家のそばが実家ということもあり、必然的に私が行く回数が多くなるのは当たり前なのだけれど。

久しぶりに遊びに来る妹を迎えに近くの駅まで車で行き、そのあと一緒に買い物をして昼食を食べた。

昼食後はウチでお茶を飲んでもらうことにして、妹をわが家へ連れてきた。

久しぶりに来た妹は、前回来た時と部屋の様子が変わっていることに興味深々の様子で、室内をいろいろと見ていた。

私はインテリアが好きで、家の模様替えも大好き。
夫曰く、家の模様替えをしている時の私が一番生き生きとしているのだとか。

そういえば模様替えをしてから、妹がウチに来たのは初めてだったかもしれない。

インテリアの話をした後に座って妹と二人でお茶を飲んでいると、ふと妹が言った。

「お姉ちゃんは幸せだね」

突然何を言い出すのかとびっくりしたが、妹の目には久しぶりに来た我が家がとても新鮮で良く見えたらしい。
「ここで運動したりするの?幸せだよね~いいなぁ」と言いながら、妹は置いてあったストレッチマシーンに乗った。

「同じでしょう?あなただってとても幸せに見えるよ」と言うと、ちょっと間があって妹は不満そうに「そうだね」と答えた。

私から見れば妹の方が何不自由なく、とても幸せそうに見える。

妹の住む大きな家はいつ行っても綺麗にしているし、インテリアだってセンスがいい。

また子どもたちは優秀だし素直にも育っている。
そして何より妹のことをとても大事にしてくれて、一生懸命に働いてくれる旦那さんがいる。

家族みんな健康だし、これ以上の幸せがあろうかと思うのだが、妹は妹なりに悩みや心配事があるらしい。

そう、妹に会うといつも何かしらの悩みを聞かされる。

ある時はご近所とのことであったり友人とのことだったり、またある時は家族のことであったりする。

そして一つが解決すると、また新しい悩みや心配事ができる。

妹は気づいているのだろうか・・・ずっとその繰り返しをしているということを。

でも、妹のことを笑うことなどできない。
昔の私も妹と同じだったから。

心配事や悩みを抱えていたある日、「これが解決しても、いずれまた別の悩みが来るのだろう」と思ったことがあった。
そして、それは予想通りそうなった。

いつになったら心が平穏になる未来が来るのだろうと思っていた時、「このままなら永遠に来ないだろうな」と思う自分がいた。

それ以来、何か悩みがあると「これが解決してもまた別のことで悩むはずだ」「ほら、やっぱりそうなった」と自分で自分を観察する癖がつき、気が付けば、深く悩むことは時間の無駄、心身を疲れさせるだけだったと理解できた。

悩みや心配事があるのは仕方がないことだが、そればかりに囚われてしまったらどんどん不幸で落ち込んだ気分になって行く。

自分ができることをすべてやったならば、そして今そのことを考えてもどうすることもできないならば、今楽しめることをした方がいいと思ったのは、そんなに昔の事ではない。

未来は白紙というのはその通りだと思う。

もちろん最悪の想定も必要だが、意外と「な~んだ。心配していた事は自分の心の中で作っていたことだったのか」と思うようなことがたくさんあった。

妹の悩みや心配事を聞くと、そのほとんどがまだ来ていない未来のことばかりであり、自分が心の中で作ったストーリーに対して悩んでいる。

例えば、年老いていく義理の両親の世話が今後必要になった時、本州へ来て世話をしてくれと言われるんじゃないかとかを今から心配している(笑)

もしそうなったとしても、意外と悩んでいたほどのことではなかったとか、別の解決法が見つかったりとかと言うことも十分あるわけで、それを今から悩んでいるのはもったいない。

生きる時間は限られている。

そして、どんな環境であっても幸せだと思えることはできる。

だから今を楽しんで一生懸命に生きなければ、きっと私は後悔する。

また妹に「お姉ちゃんは幸せだね」と言われたら、今度は即座に「うん、幸せ!」と答えようと思う。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする