ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

戦うオンナ

2022-04-26 16:46:05 | 日記

次女が幼稚園に通っていた頃に仲良くなったママ友から久しぶりに電話をもらった。

当時は子ども同士も仲良くなって、母子共々一緒に遊ぶことが多かったが、子どもの卒園後すぐに彼女はご主人の転勤で本州へ行ってしまった。

それ以来、会うことはなくなったが、離れてからもこうしてたまに電話で話すことがある。

「今ね、地元のバス路線を変更してもらうための活動をしようと思っているんだけど、どう思う?」挨拶もそこそこにいきなり彼女にそう聞かれた。

彼女の住む町の住民の足はバスだけで、そのバスが走るコースは昔から変わっていないのだという。

ところが数年前から町のはずれに新しい住宅が建ち始めて、多くの人が移り住んできた。

その中にママ友さん一家もいるのだが、そこは昔から走るバス路線から離れていて、バスに乗るためにはかなりの距離を歩かなければいけないそうだ。

「若い人ならまだしも、高齢者は歩くのが大変なのよ。新しい住宅街をバスが通ってくれたら、喜ぶ人がたくさんいると思うんだ」

なるほど、、、それはよい考え。

「それでバス会社に直接電話してお願いしたんだけど、あっけなく断られちゃった。しつこく食い下がったんだけど、面倒なことはしたくないって態度がミエミエで、、、ねえ、ほかに何かいい考えはない?」

彼女らしいなあと思った。

彼女は子どもを幼稚園に通わせている時も、子どもたちがより良く過ごすことができるようにと色々考えて、おかしいと思うことを先頭に立って幼稚園側に交渉してくれた。

それによって、子どもたちが快適に過ごせたのは言うまでもない。

思えば幼稚園の時も、今と同じようなことがあった。

当時、幼稚園バスは走るコースが決まっていて、彼女と私を含めて数家族は、少し離れたバス停まで歩かなければいけなかった。

悪天候の日など下の子がいる人は、二人の小さな子どもを連れてバス停まで行くのは、けっこう大変だった。

そこで立ち上がったのが、彼女だった。

「変えてもらいましょう!」と言って、私たちの代表として幼稚園側にバス停の変更を願い出てくれた。

その時は揉めることもなく、あっさりと変更してくれたが、今回は幼稚園バスとは規模が違う。

地元のバス会社に個人がお願いして、すんなり変えてくれるとは考えられない。

そこで、二人で電話による作戦会議を開いた。

作戦会議の内容は、あまりここで書くことはできないが、ようは多くの人を巻き込んだら良いのではないかという結論になった。

個人の力は小さいが、一人ひとりの力を合わせたら大きな力になる。

みんなが便利になることなら、バス会社だって、町だって、動かせるのではないだろうか。

ただし、反対する人も必ず一定数いるだろうし、バス会社の利益がどうなるのかなど細かなことを話し合っていかなければいけない。

こちらの融通ばかりを押し通さず、これからよく話し合わないといけない。

あー、、、考えただけで大変そうだ。

一緒に考えたのに、尻込みしている自分がいる。

弱腰になっている私をよそに、彼女から今度はメールが来た。

「協力してくれそうな人たちに連絡しています。多くの人が動いてくれるといいのですが」

「戦うオンナ」という文字が頭に浮かんだ。

それは決して彼女を揶揄する意味ではない。

尊敬の気持ちから出た言葉だが、多くの人が幸せになるために戦えるのは本当にすごいことだと思う。

私なら多少不便だと思っても、諸々を考えると億劫で彼女のようには動けない。だから、それを行動できる彼女のことは尊敬しかない。

彼女と話したら、きっとできるだろうという確信と力が湧いてくるような気がした。

 

 


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旭川

2022-04-22 14:48:09 | 旅行

用事があって旭川へ行ってきた。

夕方に旭川に着き、さっそく夕食。

旭川に来たら「旭川ラーメン」を食べなければ、、と、駅近くのラーメン店に入った。

旭川ラーメンは、札幌ラーメンに比べて麺の色が白くて少し細めだろうか。(札幌ラーメンは、黄色っぽくて中太のちぢれ麺)

でも、いかにも身体が温まりそうな濃厚なスープは、どちらも変わらず美味しい。

札幌ラーメンは味噌が有名だが、旭川ラーメンは醤油が有名なので醤油ラーメンを頼んだ。

この日の旭川は、日中17度とずいぶん暖かかったのだが、夕方になるとさすがに底冷えがしてくる。

遠くに見える大雪山は、まだ雪をかぶって真っ白。

夕方は寒かったが、ラーメンのおかげで身体はずいぶん温まった。

翌日は、用事を済ませてから少し観光をした。

井上靖記念館

作家の井上靖氏は、父が軍医で旭川の旧陸軍第七師団にいたことから、明治40年に旭川で生まれた。

井上靖氏が旭川に居たのは、わずか一年だったそうだが、母から聞かされた百花が一度に咲く旭川の美しさに「私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った」と、著書「幼き日のこと」に書かかれたほど、旭川に対する想いが大きかったそうだ。

記念館は、世田谷から移転された井上靖氏の家の書斎が、そのままの状態で展示されており、他にも井上靖氏の生涯を紹介する貴重な資料の数々を見ることができる。

ここは時間をかけてゆっくり見学した。

そして井上靖記念館のお隣に建つのが、こちら。

日本の近代彫刻史に大きな足跡を残した旭川ゆかりの彫刻家、中原悌二郎を記念した彫刻専門の美術館で「旭川市彫刻美術館」

展示されていた作品はどれも興味深いものだったが、一番目をひいたのは美術館の建物で、古い西洋の映画に出てきそうな、すてきな洋館になっている。

この建物は、旧陸軍第七師団が旭川に設営された時に、将校たちの社交場として明治35年(1902年)に建てられたそうだ。

現在の建物は、昭和43年(1968年)に復元修理工事され、国の重要文化財の指定を受けている。

それにしても旭川へ行くと、旭川が昔、軍都だったということを、いつも思い出される。

井上靖氏の父が旧陸軍第七師団の軍医、そして将校たちの社交場だった洋館など、旭川は旧陸軍第七師団の面影が色濃く残っている。

また同じく旭川にある「北鎮記念館」へ行くと、それがよくわかる。

北鎮の鎮は、おさえしずめること、まもりという意味がある。

現在の自衛隊の第二師団も、旧陸軍の第七師団も、その前の屯田兵の時代も、全ては北方からの脅威から身を守るという大きな目的があった。

北とはロシアのことだが、不思議なのは「南鎮」という言葉がないことで、昔から南の国はあまり脅威では無かったということだろうか。

ところで「年寄りが勝手に始めた戦争で若い人が命を落とす」とは、作家の村上春樹さんの言葉だ。この言葉には深く同意できる。

自衛隊は、ほとんどが若い人ばかり。

決して命を落とさせるようなことがあってはならないと、旭川に行って思ったことだった。

 


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好きな場所

2022-04-18 16:04:52 | 日記

最近よく図書館へ行く。

読みたい本があって行くこともあるけど、ほとんどは特に読みたい本を決めず、ただふらっと立ち寄るだけというのが多い。

図書館に着くと、まず椅子に座って新しい雑誌を読む。

それから当てどもなく本棚を見て歩き、興味のあるタイトルの本があれば、それを借りる。

借りる本はもう様々で、好きな推理小説の時もあれば、普通の小説もあり、エッセイ、健康関連、医学系、自然科学、植物や動物関係、料理本と、その時に興味を持った本を手当たり次第に借りることが多い。

こんなに色々な本を無料で読めるとは、なんて幸せだろうと思う。

六歳の時に病気になって、しばらく入院生活を送ることになった。

やっと退院しても体調が悪く学校を休むことが多かったのだが、この時、何もすることがなくて、、、というか出来なかった時に、唯一の楽しみが本を読むことだった。

たまに、本当にたまに、お見舞い人が持ってきてくれる本が、何より楽しみだった。

元気になってからも本を読むのは変わらず好きで、母が年に一度だけ、年末に大きな書店に連れて行ってくれて、「好きな本を一冊だけ買っていいよ」と言ってくれた時の嬉しさと言ったら、半世紀が過ぎた今でも忘れられない。

嬉しくてスキップしたいくらいの気持ちで、広い書店を隅々まで見て歩き、迷いながら時間をかけて選んだ一冊の本は、それから表紙が汚れるまで何度も繰り返し読んだ。

また小学校の高学年になると、少女漫画も好きになったが、新しい本は買ってもらえないので近所にあった貸本屋へ行っていた。

当時、たしか漫画本が一冊5円とか10円で貸してもらえたと思う。

今でこそ5円、10円は大した金額ではないが、その頃(昭和40年代)は、10円であっても、貸本に10円を払う余裕がウチには無くて、たまにしか借りることはできなかったが、その分、借りた時の嬉しさ、時間を忘れて漫画に没頭したことは、忘れられない思い出になっている。

でも大人になって、読みたい本は大体自分で買えるようになった。

読みたかった新しい本を手にした時の喜びはもちろん今でもあるが、あの頃のような湧き上がる爆発的な喜びはもう無い。

でも新しい本の匂いがする書店に入ると、爆発的喜びまでは無いものの、ワクワクするのは今も変わらずにある。

書店の本棚に並ぶ本は、みんな新しくてキラキラしているように見える。

ところで新しい本が売られている書店が、キラキラしてワクワクする場所だとしたら、図書館は、陽だまりの中でじんわりと幸せを感じる場所といったところだろうか。

どちらも大好きな場所。

今日も図書館に行き、椅子に座ったまま深呼吸をしたら、古い本の匂いがした。

その匂いが、本を読む喜びに溢れていた子どもの頃に連れて行ってくれたような気がした。

安心して、好きな場所で、好きな本を、好きなだけ読むことができる幸せに感謝の一日だった。

 

 


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一回10分の筋トレ

2022-04-14 14:53:38 | 健康

最近少しネットもテレビも観る時間を減らしていた。

今やニュースは、どれもロシアとウクライナのことばかり。

そうじゃなければコロナの話。

ここ三年くらい息が詰まるような暗いニュースが、トップを飾り続けている。

もっとほのぼのとした話や楽しい話は無いのかと思うが、マスメディアの使命とやらでは、このようなニュースを流し続けなければいけないのだろうか?

本当はテレビは観ないタイプなのだが、家族と一緒に暮らしているとそうも言っていられない。

家族がつけたテレビからは、ウクライナとロシアの戦争のニュースが聴こえてくるし、ネットでも悲惨な写真を目にすることがある。

そして相変わらずのロシア叩きと、気の毒なウクライナというスタンスは変わっていないらしい。

わたしにはロシアとウクライナ、どちらが正しいのかわからない。

でも戦争は、どちらも自分が正しいと思っているから起きるのだろう。

間違いないのは、一番の被害者は庶民であるということで、これは過去の戦争すべてに言える。

というわけで、この様なニュースばかり観ていると、どうしても気持ちが沈むので、そんな時は身体を動かすようにしている。

最近やっているのがダンベルで、一回につき10分程度、ダンベルを持って筋トレをしている。

ところで、先日読んだ新聞記事に興味深いことが載っていた。

病気の発症予防や死亡リスクを下げるために必要な筋トレは、一週間に30~60分が最適だということで、それ以上、特に130分〜140分を超えると効果が得られず、むしろリスクとなる恐れが出るというものだった。

一回に30分〜60分ではなくて、一週間合わせて、、、というのがとても驚いた。

たったそれだけでいいの?という感じだが、東北大と早稲田大、九州大の共同研究グループが、研究結果を英国のスポーツ医学専門誌に発表したそうだ。

研究グループが筋トレと病気、死亡の関係を調べた結果、筋トレをしている人はしていない人に比べ、ウォーキングや有酸素運動をしているかどうかに関係なく、死亡、がん、心血管疾患、2型糖尿病の発症リスクが12〜17%低くなることが判明したそうだ。

また筋トレに費やした時間別で調べてみると、死亡や心血管疾患、がんの発症リスクが一番低かったのが、一週間に30〜60分の筋トレをしたグループで、リスクが9〜18%低下していた。

ただし生活習慣病である2型糖尿病では、筋トレ時間が長ければ長いほどリスクが低減していたということだ。

いずれも適切な筋トレに有酸素運動を組み合わせることで、さらにリスクが下がることがわかっているそうだ。

わたしの場合、身体の健康のためと言うより、精神の健康のための方が大きいのだけど、でも身体を少しでも動かすとスッキリするので、今は飽きるまでダンベルで筋トレをしようと思う。

そして飽きたら、次、行ってみようという感じで、ゆる〜くね。

 


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脳の活性化

2022-04-09 17:19:58 | 健康

若い頃と違って、最近、物覚えが悪くなったと感じることが多い、今日この頃。

歳をとると、どうしても脳機能が衰えるのは仕方がないが、少しでも機能低下を食い止める方法はないだろうかと色々と調べていたら、「遊び」が脳を最適な覚醒状態にするとあった。

遊びとは、文字通り好きなことをして遊ぶことで、好きであれば一番のおススメは旅をすることだそうだ。

中高年の旅だからと言ってなにも高級ホテルに泊まったり、豪華客船の旅をしなくても、気が向くままに行ったことのない街や場所に身を置くと、五感がフル稼働し始めて、脳を活性化するそうだ。

また旅に出るのは億劫だという人は、楽器演奏でも、絵を描くことでも、ダンスでも、ボランティアでも、今までとは違ったことをするのが良いそうで、とにかくそれをしていて楽しいと思うことが、脳にとって一番良いのだとか。

ただしギャンブルは、脳にとって良い遊びではなく、ギャンブルに限らず報酬や見返りを期待するものは、脳にとって逆にストレスになるそうだ。

遊びは飽きたら止める、旅に疲れたら帰って来る、遊びに目標や結果を追い求めないなど、中高年になったらゆる〜い遊びを楽しむのが、脳にとっては良いらしい。

というわけで、先日の旅は、脳に良かったのかもしれないと分かったので、今回は散歩をすることにした。

とはいえ、散歩ならいつもしているのだが、脳は新しいことで活性化する、、、と書いてあったので、これまでの家の周りの散歩コースではない所を歩くことにした。

街の中心部の札幌駅からススキノまでは、地下歩道で繋がっているので、寒くても天気が悪くてもウォーキングができる。

途中にたくさんある店や百貨店を見て歩くのもまた楽しい。

というわけで、街の中心まで公共機関を使って行き、まず百貨店で目の保養をしたあと、デパ地下で美味しそうなお菓子とお惣菜を買い、地下街の雑貨屋さんで目が釘付けになった花瓶を買った。

目についたお店を見て歩くだけで、知らないうちにずいぶん歩数を稼ぐものだと思う。

歩き疲れた頃に、行く前にリサーチしておいた安くて美味しいと評判の店に入って休憩をしたが、視覚と聴覚、味覚、触覚に嗅覚の五感が刺激されて、大満足の散歩になった。

たまには、こんな散歩もいいなぁ。

ポットの方が目立ってしまったが、左にあるのが買った花瓶。

(ポットは父が若い頃に使っていた古いもので、穴が開いているので実用はできないが、形が可愛いので飾っている。父の形見になってしまったが・・)

花瓶のレトロな感じが好きで買おうと思ったのだが、あまりに安くて値札を二度見してしまった。

なんと、お値段110円。

昔から雑貨が大好きなのだけど、最近は物を減らすようにしているので、雑貨(花瓶)なんて買うのは久しぶりだった。

庭に花が咲いたら、この花瓶に挿して飾りたいと、今から楽しみにしている。

 


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庭に集う動物たち

2022-04-06 18:39:50 | 日記

暖かくなってきて、庭の雪が一日毎にすごい速さで減っていく。

雪は放って置いても必ず無くなるのだけど、早く土が見たくて雪割りをしていた。

ザクザクとスコップを雪の塊に差し込むだけで、ずいぶん雪の溶け方が早まる。

私より早くに外に出て雪割りをしていたのは、お隣りのご主人で、ばったり裏庭で会った。

お隣りとは生垣や塀など遮るものが無いため、庭続きのようになっている。

だから庭に出ると、たまに両隣りさんと顔を合わすので、そんな時はよく立ち話をする。

立ち話をするのは、圧倒的に奥さんとが多いのだけど、珍しく今回はご主人と立ち話をした。

普段、挨拶をした後は、無言を通す無口なご主人なのだが、珍しく向こうから話題を振ってこられた。

「最近、庭にアライグマが来るんですよ」とご主人がおっしゃった。

アライグマと聞いても一瞬、何のことか分からなかったが、昔のアニメが頭に浮かんだ。

「アライグマって、もしかしてラスカルですか?洗濯する熊?」

思わず両手で洗濯をする動きをしたら、「そうそう、洗濯する熊です」とおっしゃった。

お隣さんは、最近、庭にカメラを付けたそうだ。

「後で画像を確認したら、夜中にアライグマが来てるんですよ」

アライグマがこの辺りに居るとは知らなかった。今まで一度も見たことがない。

単純な私は「見たいなあ、、可愛いでしょうね」と言ったのだが、ご主人は少し困った様子で教えてくれた。

「アライグマは外来生物なので駆除の対象なんですよ。もともと住んでいる蝦夷たぬきが住めなくなってしまうので、、、それにアライグマを一匹見つけたら、周囲には百匹いると言われているくらい繁殖力が強い」

ご主人は仕事で駆除をしているそうだが、罠にかかるのは、カラスが多いのだとか。

「というか、カラスはわざと罠の中に入るんです。罠の籠の中に餌を置くんですが、朝行くと、いつも同じカラスが罠にかかっていて、中で堂々と餌を食べてますよ。カラスは駆除の対象じゃないので、すぐに逃してもらえるってわかっているんですね」

やっぱりカラスって頭がいい。

でもアライグマが罠にかかったらどうなるのだろう、、、考えたくない事だが、仕方がないのだろうか。

元はと言えば、人が飼っていたアライグマを、野山に放したのが原因だという。

まったく、、、最後まで覚悟を持って飼えないのなら、最初から飼うな!と思う。

今後ペットを飼う人には、資格審査を受けることを条件にしたら良いのではないかと、いつも思う。

「これから暖かくなってくると、森の中で親から離れて迷子になっている子どものアライグマを見かけますよ。可愛いです」

お隣のご主人は、初めて笑顔になって教えてくれた。

ただし、野生のアライグマはキツネと同じく、エキノコックスを持っているので、決して触ってはいけないそうだ。

「それからアライグマだけに、気性があらい。噛みついたら離しませんから」と、ご主人は表情を変えずにジョークを言った。

ここは笑うべきか迷う、、、

他にもテン(イタチ科)やエゾリスなどが映っていたとか。

昼間はあまり見ることは無いが、夜になると庭はかなり賑わっているのだな〜

庭に集っている動物たちを想像しながら、雪割りを終えた。

 


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今ここにある

2022-04-03 14:49:47 | 日記

早いもので旅行から帰ってきて、もう一週間が経った。

短い時間だったが、とても思い出に残る旅だった。

ところで帰ってきてからは、ずっと本を読んでいた。

読んでいたのは、伊坂幸太郎さんの「終末のフール」

八年後に地球に小惑星が衝突して、人類が滅亡すると予告された人々が、残りの人生をどう生きていくのかという物語。

旅行に行く前に読み始めて、その時はまだ数ページしか読んでいなかったのだけど、小惑星が衝突することがわかっている状況下で人々の心の内側を描いた物語と言うのが面白そうで、早く読みたいと思っていた。

物語は、八年後と予告されてから五年が過ぎ、残り三年になった頃から始まる。

予告された当初は、絶望からパニックに陥り、大勢の人たちが右往左往と逃げ惑い、恐怖や焦りに取り憑かれた人々があちこちで暴れ、商店やデパートは暴徒に襲われ、さらには暴行や殺人をする者たちまで現れて、小惑星が衝突する前に、この世の終わりが来るのではないかと思われるほどひどい状況になった。

また地球破滅の恐怖に耐えきれない者たちは、みんな自殺を選び、暴漢に襲われて亡くなった人も含めると、大勢の人たちが亡くなってしまった。

予告された八年のうち五年が過ぎた頃、ある程度のあきらめがついたのか、世の中が少し落ち着きを取り戻し始める。

生き残った人たちは、いかに残りの時間を有意義に暮らそうかと考え始めた。

とある団地に住む住民たちも、余命3年という期間限定の中で、それぞれの人生を見つめ直し始め、物語は住民たちそれぞれの人生を取り上げた幾つかの短編で成り立っている。

喧嘩別れしていた家族の再生、新しい生命への希望など、終末を前にした人間の幸福や今日を生きる意味など、考えさせられることが多い小説だった。

ところで話は変わるが、今回旅行に行って感じたことがあった。

それは旅行の間、すべてと言ってもいいくらいの時間を「今ここに心を置いていた」ということで、それは過去でもなく未来でもなく、まさに今、この瞬間だけを生きていると感じていたことで、このように感じることは、これまでほとんど無かったので非常に驚いた。

というか、これが今ここにあるという事なのかと、初めてわかったような気がした。

大人になってからは、過去を思い出しては後悔したり、また未来を思っては心配したりすることが多かった。

これまでの人生で、今この瞬間に心を置いて生きていた時がどれくらいあっただろうか。

あったとすれば、それは時間を忘れて遊んだ子どもの時かな?

今回、旅行という非日常の中では、見るものすべてが新鮮で興味が尽きなかった。

自然の風景を見ても、花を見ても、普通の民家を見ても、電車やバスに乗っても、そこで暮らしている人にとっては日常の当たり前のこと全てが、目を見張るばかりだった。

そして美しいものは、この世界に溢れているのだなと思った。

小説のように余命があと三年しか無くなった時に気づくのではなくて、今、気づく事ができてよかったと思う、、、とはいえ、旅行から帰って来たら、またいつもの日常が続くわけだが、今回の旅の間、ずっと感じていた感覚を忘れずに生きていければと思う。

伊勢志摩の展望から見た風景。写真の数十倍、美しい風景が広がっていた。

 

山道に咲いていた椿の花。椿が野に自生しているなんてびっくり。

 

あまりに綺麗で思わずシャッターを切ってしまった民家。庭の蜜柑の木と菜の花が本当に綺麗だった。

 


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