ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

感情

2015-07-30 13:17:51 | 日記
TVで映画の紹介がされていた。

アニメーション「インサイド・ヘッド」

物語は11歳の少女ライリーの頭の中からヨロコビとカナシミが放り出されてしまうというもの。

感情のバランスを失ったライリーは、どんどん不幸せになっていく。

感情たちはライリーを幸せに戻すために大奮闘・・・という物語だそうだ。

私はまだこの映画を観てはいないが、まさに、このところずっと私が考えてきた「感情」の物語というので、このアニメを知った時にとても興味を持った。

ところで、私がなぜ「感情」について考え続けていたのかというと、日々の暮らしの中で次々と変わっていく自分の感情を、第三者のように客観的な目で見ることが多くなってきたからかもしれない。

今とても喜んでいる自分、幸せな気持ちになっている自分、悲しい気持ちになってる自分、怒っている自分・・・などなど、次々と変わっていく自分の感情をすこし持て余していたというのもある。

喜んでいる時やハッピーな感情の時はよいのだけれど、問題は悲しみや怒り、そしてまれにある恐怖の感情が現れる時だ。

それが大きければ大きいほど自分の中のバランスが崩れていき、ともすればその怒りや悲しみ、恐怖を他人のせいにしてしまいそうになる。

本当はそれは他人のせいではなくて、自分自身の問題なのだと分かっているのに・・・

もちろん、すべてが自分自身の問題ではないが、大体ほとんどは自分自身の問題であると思う。

湧き上がる感情は誰のものでもなく自分自身のものであり、単に起こっている出来事には悲しみも恐怖も怒りもない。

それをどう捉えるのかは、それぞれ個人によって違うだけだということが、やっと腑に落ちた。

ある出来事が起こった時、それに対して私が悲しみや怒り、恐怖を覚えても、他の人は何も感じないかもしれない。

それどころか同じ出来事を見て、私とは真逆に歓喜や高揚感を覚える人がいるかもしれない。

物事の捉え方の違いは個人の性格なのか、育ってきた環境(親や出会った教師など)の違いなのか・・・

きっと、その両方なのだろう。

とにかく、私は自分の中に時たま湧き上がる悲しみ、怒り、恐怖の感情を持て余していた。

だから、なるべくそのような感情が湧きあがると予測される出来事から目をそらすようにしていた。

だけど日常生活の中には、避けられない出来事ってたくさんあるのよね。

人間関係、経済問題、子供の問題、健康問題などなど・・・日常生活には色々な出来事が起きる。
生きているということは、そのすべてが修行なのだと思う。

わざわざ山にこもって滝に打たれなくても、どこに行かなくても、今ここでの日常生活の毎日が修行に満ちている。

そして、それらの出来事を自分自身の心のバランスを崩さずに、最善の努力をした上で、やり過ごすことができたら、人はまたひとつ成長できるのだろうと思う。

物事は中立、それは自分の解釈によって変わる。

ある出来事を嫌なことだと思うか、自分を成長させてくれる有り難いことだと思うのかで、その後に起こる事は(本当は自分が起こすのだが)、状況が変わってくると思う。

そうは言っても、もしもまた自分が避けたい感情が沸き起こってしまったら、とりあえず深呼吸をして、感謝の言葉を思い出している。








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見直し

2015-07-27 17:38:24 | 介護
週末にまた父の所へ行ってきた。

ちょうど昼食の時間で、入所者の方々は食堂に集まっていらした。

「お父さんもいるかな」と、いつも父が座っている席を覗くと「いた~!!」

ちゃんと席についているではないの。

いつも寝ているので、食事の時間になっても、なかなか起き上がれず、時間通りに食事に行けることはないのだが、今日はなんと時間通りに食堂にいる。

父のそばまで行って声をかけると「おぉ」と言って笑ってくれた。

今日はかなり調子が良さそう!私の気分もあがる↑

ただ、いつもお世話をしてくれる看護師さんやヘルパーさんからは「ずいぶん弱ってきたので、介護計画の見直しをすることになりました」と言われた。

父が二年前に高齢者住宅に入った時には、スタスタというわけにはいかないが、自力で歩くことができたし、もっと頭もしっかりしていた。

しかし、今は寝たきりに近い・・・

私も、このまま同じ介護では難しいと思っていたので、そのように言って頂いてホッとした。

ところで、今回は父のことでヘルパーさんから購入を頼まれたものがあった。

それは洋服とヒゲそり用シェーバー。

父は昔からとてもお洒落で、ふだん着はスラックスにベルトをしめ、上の服は襟のついたカジュアルなシャツを好む。

しかし、徐々に自分でベルトをしたり、ボタンを留めたりすることができなくなってきたので、父が好んで着ていた服ではなく、ウエストがゴムのジャージのようなズボンとTシャツを着るようにして欲しいとのことだった。

たぶんその方が介護しやすいし、父の負担も減るのだと思う。

また、ヒゲそり用のシェーバーは故障したので、買って来てほしいとのことだった。

「次にいらした時までで良いです」とヘルパーさんはおっしゃってくれた。

父の部屋でしばらく父を待っていて、戻ってきた父とすこし話をした。

今回の父はやっぱり絶好調!?で、珍しく父の方から話をしてくれた。

あぁ、こんなことは久しぶりだ。

「お父さん、今日は調子がいいね」と言うと「うん、調子がいいんだ」と笑ってくれた。

しかし、しばらくすると疲れたようで、またすぐにベッドに横になってしまった。

「じゃあ、帰るから。また来るからね」と言って、父の部屋を後にして自宅に帰るつもりだったが、「やっぱり洋服やシェーバーは早いほうがいいかもしれない」と思いなおして、そのまま車で大型ショッピングセンターへ行った。

ヒゲそり用シェーバーは男性店員さんオススメの商品を買い、ウエストがゴムのズボンは、形がスラックスに似ているものを買った。

Tシャツも父が好きそうな柄のものが見つかった。

さっそくまた父のいる施設に戻って、父の部屋に行くと、なんとちょうど父は履いていたズボンを自分で脱ごうとしている最中だった。

ところが、父は横たわったままでズボンを脱ごうとしているので、なかなか思うように脱げない。

悪戦苦闘している父に「お父さん、どうしたの?着替えるの?」と聞くと「いや、寝ようと思って」と父は言った。

寝る時に、ベルトのあるズボンでは窮屈なので脱ごうしていたようだ。

そこで、買ってきたズボンを見せて「履いてみる?」と聞くと、「履く」と言ってくれたので、ベッドに横たわっている父にズボンを履かせた。

それからシェーバーは箱から出して充電し、父に「今度はこれを使ってね」と言った。

父はベッドの中で横になったまま「わかった」というようにうなずいていたが、突然「いろいろとありがとう」と言った。

これまでも何度か父はありがとうを言ってくれたことはあるが、今日は「ありがとう」と言ってくれた父の目に涙が光っていた。

父の涙を見たのは、母が亡くなった時以来かもしれない。

これまで父はとても頑張って生きてきたと思う。

貧しい家に生まれ、「お前が働いてくれなければ生活できない」と母親(私の祖母)に泣かれ、大学進学をあきらめて就職した。

しかし、どうしても大学へ行きたかった父は日中働き、そして自分で働いたお金で夜学へ通ったそうだ。

父は公務員だったが、若い頃はよく上司にそろばんで頭を叩かれたそうだ。

今の時代、そんなことをしたら、上司は訴えられるかもしれないが、当時は当たり前のことだったのか、父はじっと耐えたそうだ。

父は、頭を叩かれて壊れたそろばんの玉が、音をたてて床に散らばった光景が忘れられないと言った。

そして「今に見ていろ、絶対に偉くなってやる」と思ったそうだ。

その頑張りのおかげで、父はそこそこの地位につく事ができたのだが、そこから父の自慢話を延々と聞かされるという苦行を家族は受ける。

同じような自慢話を何度、いや何十回、いやもっとかな・・・聞かされて来たかわからない。

父のおかげで私たちが生活できたので、これは感謝すべきことだが、やはり自慢話を延々と聞かされるのはつらいものがあった。

今になって分かったのは、それはきっと父のコンプレックスの裏返しでもあったのかもしれないと思う。

貧しい暮らしから這い上がってきたという自負心もあったかもしれないが、やはり貧しさが父のコンプレックスだったように思える。

年老いた今、父はもう自慢話などすることはない。

「ありがとう」と言って涙を見せてくれた父は、もうコンプレックスも、地位や名誉への執着も、きれいに無くなったようにも見える。

そして、私自身もこれまで父に言われて傷ついたことや怒りに震えたことなど、きれいさっぱりと無くなったことを感じている。








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心の棘

2015-07-24 15:02:36 | 日記
年に一度だけ、高校時代に部活で一緒だった仲間達と会うことが、ここ数年の恒例行事になっている。

集まるタイミングは、本州に住んでいる友だちが帰省した時で、11名ほどいる仲間達に声をかけて、集まれる人だけでランチを食べながら楽しくおしゃべりをしている。

今回も友だちが帰省したので、ホテルでランチをすることになった。

今回集まったのは7名ほど。
みんなとは一年ぶりの再会だったが、変わらずに元気でまた再会できたことは嬉しかった。

まずは再会を祝ってジュースで乾杯し、ビュッフェのホテルランチをもりもりと食べながらおしゃべりをした。

話題は親の介護や子供の話などで、子供はもうすでに結婚している人もいて、孫の話が出るのも遠くはないかもしれない。

それから結婚30年以上にもかかわらず、子供やペットのではなくて、だんなさんの写真を持ち歩いているという、うらやましいくらいの仲良し夫婦を続けている友だちもいた。

「これ、うちのだんな」(と写真を見せる友人)

「知ってるよ~。だって結婚式行ったもん!」(その他一同うなづく)

「あらっ、でも相変わらず優しそうな人ね~ 優しいでしょ?」(その他一同、一斉に写真を覗き込む)

「うん、まあね」(と言いながら、友人ニヤける)

その他一同、微笑ましく(うらやましく)思いつつ笑う。

と、こんな感じで賑やかにおしゃべりは続いていった。

まさか、このあと自分の口からひとりの友人(Aちゃん)に対して、謝罪の言葉を口にすることになるとは、この時は夢にも思っていなかったのだが・・・

その友人Aちゃんとは、席が隣になり、今回も色々な話をした。

ところで部活の仲間達とは、高校時代も卒業後も、仲は良いが、べたべたといつも一緒にいるような関係ではなく、それぞれがたまに会って話をするという程度の関係が続いている。

(もしかしたら、それが長続きのコツなのかもしれない)

しかし、Aちゃんとはお互いに就職してからの数年間、会っておしゃべりをすることが多い時期があった。

きっかけは、Aちゃんから「勤めていた会社を辞めた」という話を聞いたことだった。

その時、仕事を探していたAちゃんに、私が自分の勤めていた会社の臨時職員の仕事を紹介したことがきっかけだった。

仕事を紹介したと言っても、一介の若い女子社員にすぎなかった私に友達を会社に入れるような力があるはずもなく、私が人事の担当者に話をしてAちゃんの履歴書を届けたというだけあって、あとはAちゃんの実力で入ったのだが、Aちゃんは臨時職員でも入社できたことを喜び、私にとても感謝をしてくれた。

社内ではAちゃんとは、ほとんど会うことは無かったが、仕事が終わってから、よく一緒にご飯を食べに行ったりしていた。

そして、Aちゃんが同じ会社に入ったことで、共通の話題ができたので、私はよく仕事の悩みや愚痴をAちゃんに聞いてもらっていた。

そう、本当によく聞いてもらった。

当時の私は毒ガス(愚痴)を吐きまくっていて、それをAちゃんに聞いてもらうことで、自分のストレスを発散していたのだと思う。

まるでAちゃんを自分のゴミ箱のようにしていたのだと思う。

それがやっと分かったのは、Aちゃんが私の話を聞きながら、ふと見せた怒ったような顔だった。

「そうだよね~、こんな話ばかり聞かされたら嫌になってくるのも当たり前だわ」と、Aちゃんの怒った顔をみて、やっと分かった。

それからはAちゃんと会う時には、絶対に毒ガスは吐かないと心に誓ったのだが、Aちゃんを自分のゴミ箱にしていたことは、それからずっと私の心に引っかかったままで、50歳を過ぎた今も、時々思い出してはAちゃんに対して申し訳なかったという気持ちになっていた。

今回、隣同士に座ったAちゃんと色々なおしゃべりをしていた時、Aちゃんが言った。

「そうそう、勤めていた時、あなたはよく会社辞めたいって言ってたよね。
その度に、お給料の為に居なさいって私が言ったの覚えている?」

「覚えてるよ~!!もちろん覚えている。Aちゃんにそう言ってもらって、会社を辞めずに勤めていて良かったと、今でも思っている。色々な人に出会えたし、お給料も良かったし、いい経験をさせてもらえた会社だった」

そう答えたのだが、Aちゃんをゴミ箱にして申し訳なかったという気持ちが湧き上がってくるのが抑えきれなくなった。

「あの時は本当にごめんね。愚痴をいっぱい聞いてもらったよね。あんなこと聞きたくなかったと思うけど、いつも黙って聞いてくれて本当にありがとう。あの時は、Aちゃんの気持ちも考えずに、自分の毒ガスを吐くことばかりしか考えていなかった。でも、あとからやっとわかった。Aちゃんには悪いことをしたなと、今でも思っている。本当にごめん」

Aちゃんに向かって一気にそう話して謝ったら、Aちゃんは「そんなことはなんとも思っていなかったよ。もう昔のことは忘れた。がはは」と豪快に笑い飛ばしてくれた。

長い人生の中で、誰もが心の中に引っかかっていることが一つや二つあるのではないのだろうか。

私の場合もまたそうで、それは他人からなにか自分が傷つくようなことや、嫌なことをされたということより、自分が他人にしてしまったことの方が、より強く心の中に「後悔」という形で残っている。

Aちゃんに謝って、Aちゃんが笑い飛ばしてくれたことで、心の中にずっと刺さっていた「後悔」という棘が、やっとまた一つ抜けたように思える。

こうして、ひとつ、またひとつと、心の中の棘を抜いている。

このような場を作ってくれた「ご先祖」や「大いなる存在」に感謝をしている。











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父の近況

2015-07-20 21:11:51 | 介護
高齢者住宅にいる父の顔を見に行ってきた。

特にここ最近、父は非常に弱ったと思う。

週に一度は父の所へ行っているが、行くたびごとに、また一段と弱ったという感じがする。

思えば二ヶ月くらい前、「調子はどう?」と父に聞くと、父は力なく「もうだめだ。おしまいだ」と言ったことがあった。

身体がどんどん弱っていくことを、父自身が一番わかっていて出た言葉だろうと思う。

その時、私は父に「まだまだ大丈夫。先生は、身体はどこも悪いところはないと言っていたでしょう。あとは足を弱らせないように、なるべく歩くようにしないとね」と言った。

しかし、父が目に見えて弱ってきたのは、あの頃からかもしれない。

あれほどおしゃべりだった父は、もうほとんど自分から話すことはない。

私が何か聞くと、それに対して、うなずいたり手を振ったりして合図をするだけ。

テレビを観るわけでもなく、ひたすら布団の中に横たわったままで一日を過ごしている。

しかし、できる限り自分の足で歩くという施設や病院の方針で、歩行器を使って、食堂まで、まだなんとか自分の足で行っているようだ。

ところがこの前、私が行った時、父はなかなか起き上がることができず、仕方なく食事を部屋まで運んだことがあった。

その時、父はようやく起き上がって、ベッドに腰掛けて、食事を自分で食べたのだったが、これは歩くのも難しくなってきたのかなと思った。

そして、今回もまた父のベッドの横に食事のお膳が置いてあった。

「ついに自力で食堂へ行けなくなったのか」と心配になって、布団の中で目をつぶっている父に聞こうと思ったが、父はいびきをかいて寝ていた。

しばらく様子を見ていたが、父は一度も目を開けることがないので、帰ろうと思って、父の耳元で「帰るね」と声をかけたら、うなずいて返事をしてくれた。

「聞こえていたのか」と、それから色々話しかけると、すべてにうなずいて返事をしてくれたが、結局一度も目は開けなかった。

今までこんなことはなかった。

声をかけると、必ず目を開けてくれた。

それにしても、目を開けずにうなづくだけの父の姿には不安が募った。

帰る時に、看護師さんにお話を聞くと「普段は、まだ自分で歩いて食堂まで来ています。今日はたまたま食事のタイミングがずれてしまって、部屋に食事を運びました」とのことだった。

それを聞いてすこし安心したが、看護師さんに「ところで、今日はなにかお菓子などを持ってきましたか」と聞かれた。

父は甘党なので、行くたびに少しだけお菓子を差し入れていたが、最近の父は、まったくお菓子を食べなくなっていたので、もう差し入れはしていなかった。

「いえ、なにも持ってきていません」と答えると、「それはよかった。もしも誰も見ていない所で食べて、のどに詰まらせてしまっては大変なので」と言われた。

これを聞き、「もう飲み込む力も弱っているのだな」と思った。

もうあまり時間は無いのかもしれない。

母の時もそうだったが、今、生きている父の姿をしっかりと目に焼き付けておこうと思いながら、父に会いに行く今日この頃だ。







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山道の参道

2015-07-16 17:46:35 | 旅行
次女ピーチの部屋をすっきり綺麗に掃除をした翌日12日、いよいよ神社へお参りに行ってきた。

その神社は「榛名神社」

ピーチがこちらへ来ることになって初めて知った。

4月に来た時に、もらった地図を見て「あ~行ってみたい」と思ったのだが、その時には時間の都合で行くことが叶わなかった。

でも、今回はついに参拝することができる!

榛名神社への参拝は、4月以来ずっと楽しみにしていた。

さて、榛名神社へは高崎駅からバスが出ているのだが、バスは一時間に一本しかないため、乗り遅れると次のバスまで一時間も待たなければならない。

炎天下の中で一時間も待つのはつらいと、早めに家を出たら以外と早く着いてしまい、結局20分くらい外で待つことになってしまった。暑かった・・・
(嬉しくて、つい張り切りすぎた)

やっとバスが来て乗り込んだら、一時間に一本しかないバスなのに、乗客は数えるくらいしか乗っておらず、榛名方面に行く人はあまりいないのだろうかと思ったが、ゆったりとくつろいで風景を楽しみながらのバスの旅ができた。

さて、バスに揺られること一時間。

バスは緩やかな坂道をどんどん登って行き、そしてバスを降りてから、さらに徒歩で坂道を登っていくと、鳥居が見えてきた。



鳥居をくぐって本殿までの参道は、大自然に囲まれた長い山道になっている。


下には榛名川が流れ、途中にはいくつか滝を見ることができた。

この景色がなぜかとても懐かしく思えるのは、どこか北海道に似ているからだろうか。


参道の途中には、落石防止のためのトンネルもある。


しばらく長い山道の参道を歩いて行くと、大きな岩に接するように建てられた双龍門が見えてくる。
そして、この門をくぐると本殿はもうすぐ。


本殿です。

この地球上に生きるすべてのもの、人間も動物も植物も、そのすべてが生かされている事に感謝をして手を合わせる。

さて、私が参拝に行った時には、先客が一人いらしただけで、すぐに参拝をすることができたのだが、手を合わせて後ろを振り向くと、ビックリ仰天!
あっという間に長い行列ができていた。

さすが関東圏の神社だけあって、参拝客が多いのには驚いてしまう。

たしかバスには数人しか乗っていなかったはずなのに・・・皆さん、観光バスや自家用車で来ているのですね。

本殿で参拝を済ませ、帰ろうと思ったら、空を見上げている方が多数いらっしゃって、私も同じように空を見上げると、そこには本殿の後ろにそびえたつ大きな岩が在った。
御姿岩です。



榛名神社は「延喜式」に式内社として記録に残る古社だそうで、第31代 用明天皇(585~587年)の時代に創建されたという。

江戸時代までは、怪岩奇岩(龍体)に取り囲まれた神仏習合の霊地であり、将軍地蔵を本尊にして榛名寺と称していたそうだ。

しかし明治の廃仏毀釈から、榛名神社と改称し、主祭神は火の神である火産霊神(ほむすびのかみ)と土の神である埴山昆売神(はにやまひめのかみ)だが、江戸時代には国常立尊(くにのとこたちのみこと)、イザナギ尊、イザナミ尊などが祭神だったとか。

ついに参拝をすることができた榛名神社は、大自然の中にある気持ちの良い神社だった。

また必ず参拝に来ようと思いながら帰ってきた。

そうそう、神社の参道にあるお店に、群馬名産こんにゃくの味噌おでんとクシに刺した丸ごと1本のきゅうりが売っていて、帰りに食べたのだが、これがまた美味しかった。

特に、手のひらにのせた塩をつけながら食べる冷えたきゅうりは最高でした~

暑いときはきゅうりにかぎる!?






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エアコン掃除

2015-07-15 17:17:29 | 日記
私たちが関東へ行っている時から、北海道もずっと気温の高い状態が続いている。

気温が高いといっても、昨日は日中の気温が28度くらいだったが、夜になっても室温はあまり下がらなかった。

「あ~暑い、暑い。まだ28度もあるぞ!」と夫が部屋の温度計を見ながら言い、ベランダの窓を開けた。

ベランダの向こう側は森林地帯なので、涼しい風が木々の良い香りと一緒に部屋の中に吹き込んできた。

しかし、私は夫が言うほど暑いとは感じていなかった。

関東での、あの暑さを思えば、これくらいへのカッパ。ぜんぜん暑くないっしょ。

そう言ったら、「おっ、関東人になって帰ってきたな」と夫に茶化された。

ディズニーシーで遊んだ翌日は、新幹線で次女ピーチの住む町へ移動した。

前日の雨模様の天候とは打って変わって、ぴかぴかの良いお天気だったが、気温もぐんぐん上昇してきた。
(多分、午前中にはすでに30度を軽く越えていたと思う・・・)

本当は公共機関を使ってピーチのアパートまで行くつもりだったが、娘達二人が暑さでヨロヨロし始めたため、急遽タクシーで移動して、ピーチのアパートへ行った。

4月の入学式の時に来て以来だから、3ヶ月ぶりだろうか。

「部屋汚いからね!すっごく汚いから驚かないでね!」ピーチがそう言いながら、鍵を開けてくれた。

部屋の中へ入った途端、私の頭の中で「進軍ラッパ」が高らかに鳴り響いた・・・と言いたいところだが、暑さで身体が弱っていた為、弱々しく進軍ラッパが鳴った。

私の場合、汚い部屋を見ると、モーレツに掃除をしたくなるという特性があり、ヘルパーのお仕事で、高齢者の「汚部屋」に派遣されると、頭の中で進軍ラッパの音が勇ましく鳴り響き、やる気満々になる。

・・・のだが、やはり暑いとやる気もでないものね。
頭の中のラッパは情けない音で鳴り、そして消えていった。

ピーチの部屋は閉め切っていたため、高温サウナ状態で、部屋に入った途端、体中の毛穴から汗が噴出してきたが、このままではあまりに汚すぎて泊まることもためらわれるので、さっそく部屋の大掃除に取り掛かった。

そうだ、臭いというエアコンも掃除をしなければいけないのだった。
そのために、はるばる北海道から脚立を送っていたのだ。

さっそく脚立に上ってエアコンのカバーを外し、中のフィルターも外した。

フィルターと内部は見る限り、それほど汚れていないように思えたが、よく見ると細かな部分が真っ黒なカビで覆われていた。

フィルターを洗い、念入りにカビを雑巾で拭き取っていく。

業者さんに頼めば、きっと本体の中も綺麗に掃除してくれるのだろうなァと思ったが、今回は私がやるしかない。

それでも掃除をした後は、ピーチ曰く「臭いが消えた」と言ってくれたのでよかった。
わざわざ脚立を持ってきた甲斐があったというものだ・・・

そんなわけで、ピーチの部屋についた日と、さらにその翌日は部屋の掃除で一日が終わり、あとは買い物に行って食事を作っていた。

夕食は焼き魚、ひじきの煮物、豚汁など、簡単で栄養の取れる献立にしたのだが、家にいる時のピーチはそのような献立はあまり好まなかったのに、今回は無言でガツガツと食べていた。

文句も言わず、ひとつも残さずに、綺麗にぜんぶ平らげた。

あぁ、ろくなものを食べていなかったのかもしれない。母の胸はすこし痛んだ・・・

というか、少しは自分で作りなさいよ!それから少しは掃除をしなさい!


続く





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ディズニーシーで遊ぶ

2015-07-14 16:36:02 | 旅行
9日の木曜日に朝一番の飛行機で関東へ行ってから4日間は、まるで別世界にいたような気がしている。

一日目だけは雨が降っていて、ちょうどよい気温だったが、そのあとの暑さと言ったら・・・

それはもう聞きしに勝る暑さだった。

エアコンを切ると5分もしないうちに、部屋の中はサウナ状態。

外を歩けば、凶暴なほど強い日差し。

札幌も暑いとは言え、10度近い差は大きい。

こちらへ帰って来た途端、身体がとても楽に動けるような気がする。

例えて言うなら、熱湯の中でハァハァ言いながら水泳をしていたのが、適温の水になって楽に泳げるようになったような感じ。
(一度、だれもいない温泉で泳いでみたことがあるが、お湯の中で泳ぐのは思ったより体力を消耗する)

とにかく、あのような暑さで夏を過ごすのは本当に大変だと思う。

あまりピンときていなかった熱中症というものが、今回はよくわかったような気がした。

夏に涼しいのがいいのか、長い冬に大雪と格闘して過ごすのがいいのか・・・
う~ん、迷うところだわ。

とにかく、帰ってきた途端、やらなければいけない諸々の仕事があって、今日からまた現実世界での日常が始まったという感じがしている。

さて、旅行の話。

着いた日は長女チェリーが夢にまでみた東京ディズニーシーへ行った。

幸い雨だったこともあり、暑いどころか肌寒いくらいで、私たちにはちょうどよい気温だった。

しかも3年前に行ったディズニーランドの時のように、気が遠くなるほどの長い待ち時間もあまりなく、「過酷な修行場」というディズニーのイメージがすこし変わったと思う。

待ち時間が短かったおかげで、ほとんどのアトラクションは制覇したが、今回はまさかの「火山故障中」だった。

火山はディズニーシーのシンボルとも言えるものだそうで、ディズニーシーの中で一番目立っている。
その名は、プロメテウス火山というのだとか。

時折火が吹くという火山の噴火が中止になっていたのと、それに伴ってセンターオブジアースというアトラクションも中止で乗る事ができなかった。

「ディズニーシーに行ったら、センターオブジアースに乗らなきゃ」と言っていた次女ピーチはかなりがっかりな様子だったが、他のアトラクションをじゅうぶん堪能したので、私はもうこれでじゅうぶん満足、お腹一杯。。。

「もう一生来なくてもいいわ」とつぶやいたら、チェリーに「また来たい!また来ようね!」と言われてしまった。

いえ、いえ、けっしてディズニーシーがつまらないというのではございません。

それなりに面白かったし、チェリーもピーチもすごく楽しそうだった。

思えば20代の頃、初めてディズニーランドへ行った時、一緒に行った友だちが動いている(着ぐるみの)ミッキーマウスを見て、感動のあまり涙を流し、私は涙こそ流さなかったが、こんな夢の世界があったのかと感動したものだった。

あれから30年・・・何を見ても、何に乗っても、しょせんは人が造ったものだという思いで見てしまうせいか、くやしいほど感動しない、楽しめない自分がいた。

やれやれ、やはり年かなぁ。

でもチェリーが来たいというなら、お母さん、頑張るよ。また行こうね。

ただし、暑い時期はやめよう。

というわけで、この続きはまた・・・








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毒は残さず

2015-07-07 16:38:14 | 日記
「いつも元気だよね~。一体、何食べてるの?」

冗談交じりに、妹にそう言われた。

「普通のもの食べてるよ。あと乳酸菌」と答えたが、自分ではそんなに元気だとは思っていないので、傍から見ると、いつも元気に見えるのかと不思議に思う。

しかし私が元気というより、妹の元気が無さ過ぎるのかもしれない。

妹は私よりも6歳若いし、体格だって、ひょろひょろ型の私に比べると、妹はずっとスポーツをやってきた為、がっちりとした筋肉質で、いかにも元気がありそうに見える。

子供の頃は、私が熱ばかり出している病弱な子だったのに対して、妹は風邪一つ引かない元気印の子だった。

それが今や逆転、すっかり妹の方が病弱になってしまった。

先日、妹は胃腸炎に罹り、二週間の入院をしたのだが、退院してきたと思ったら、今度は肺炎になって、また入院することになってしまった。

検査の結果はどこも異常がないそうで、疲れなどからくる免疫力の低下ではないかということだった。

姉の私から見ると、妹は何でも頑張りすぎるところがある。

特に家事は一切の手抜きをしない。

だから、旦那さんも子供たちも居心地がいいので、すべてを妹に頼っているところがあるのだが、その全ての要求に完璧に答えようとするので、妹がひとりできりきり舞いしている(ように思える)

そして私と二人になると、妹の口から愚痴が出ることが多い。

「ホントに嫌になっちゃう。すこしは自分でやれって思うの」という妹に、「じゃあ、それを家族に言えば。自分でやってって言えばいいんだよ」と言うのだが、妹としてはそれが言えないらしい。

なぜ家族なのに言えないのかと、私はとても不思議に思うのだが、妹はたとえ家族でも言えないのだとか。

家族の仲はとても良いので、家族の面倒を事細かに見るというのは、妹の性分なのかもしれない。

これも自分が好きでやっていることなら問題はないのだが・・・

もしかしたら、これが元気の差なのかもしれない。

愚痴や不満、怒りなどは、それを口から出すと、まるでその人の口から毒ガスが出ているように思うことが、最近よくある。

もちろん、私も人の事は言えない。

この前は、お姑さんとのことで猛毒ガスを吐いたかもしれないから。

周囲の人に毒ガスをかけてしまったことは申し訳ないとして、すでに吐いてしまったことは仕方がない。(開き直り)

しかし毒ガスを吐いてしまったら、もう自分の身体に毒を残してはいけないと思う。

その毒が体中に回ると、病気になる・・・のではないかと私は思う。

お姑さんとは、その後、何事も無かったように、今は普通に接している。

お姑さんが友だちに「嫁にはなんでも話せない」とか何とか言っていたことも、今となっては別にどうでもいいことだったと思える。

私の中にあった毒はすっかり消えてしまったと思うのだが、やはり不平不満、愚痴はできるだけ身体に溜めない方がいい。

もちろん社会に出て仕事をしていたら、それもなかなか難しいこともあると思うが、それでもやっぱり溜めない方がいい。

どうやって?

そう単純なことではないと怒られそうだが、やはり生かされている事への感謝を思い出すことではないだろうか。






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思い込み

2015-07-06 15:19:34 | 日記
買い物に行ってレジに並んでいたときの事。

私の前には、年配で強面の男性が並んでいた。

レジが年配男性の番になり、「実習」と書かれたネームプレートをつけたレジの女性が「321円です」と言った。

男性はお財布から100円玉と10円玉をそれぞれ3枚ずつ取り出すと、合計330円をトレーに置いた。

すると、レジの女性が「あと1円ありませんか?」と言う。

男性は自分のお財布の中を探していたが、1円はなかったらしく「これで」と言った。

すると、またレジの女性が、今度はすこし大きな声で「あと1円ありませんか?」と言う。

男性はすこし怪訝な顔をして「いや、無いからこれで」と再び答えた。

すると、またまたレジの女性は、今度はとても強い口調で「あと1円です!」と言った。

あまりにきっぱりと言い切るので、その男性は自分が間違っているのかと思ったようで「え?え?違うの?これでいいんだよな」とトレーに置いたお金を数え始めた。

うしろに並んで、その様子を見ていた私も、321円なら330円で良いはずだと思っていたが、レジの女性があまりにきっぱりと言うので、その男性と同じく「え?これで間違ってるの?」と一瞬わからなくなってしまった。

心の中で男性と一緒に硬貨を数えてみる。しかし、どうみても間違っていない。

これは多分、レジ女性は勘違いをしているのだろうと思ったが、レジ女性は「あと1円ありませんか?」を繰り返しており、男性はとても混乱していた。

それを見ていて思わず私は「それでいいんですよ!330円でおつりを9円だせば」と口を挟んでしまった。

そこでやっとレジ女性は自分の間違いに気がついた。

レジの金額とトレーの上の硬貨を見比べると、まるで目が覚めたように「あっ、これでいいんでしたね。申し訳ございませんでしたっ」と大慌てでおつりを出した。が時すでに遅し・・・

年配男性の顔はみるみる紅潮し、ただでさえ強面の顔がさらに怖さを増して、明らかに怒っているようだった。

「だから、さっきから言ってるだろ!これでいいんだと。そもそも俺は1円玉なんて持たない主義なんだ!!」と大きな声で言い、さらに「な、そうだろ?」とでも言いたげに私の方を振り返って同意を求めてきた(ように見えた)

まずい・・・ここで私が深刻そうな顔でうなずいてしまったら、男性の怒りは、ますますレジ女性に向かっていくだろうと思った。

そこで咄嗟にへらへら笑いながら「いや~、よくあるんですよね、こういうことって。私もありますもん。思い込んじゃうと間違いに気がつかないってことが・・・」

「アハハハ~」と笑いながらそう言った。

するとレジ女性が「そうなんです。1円ばかりに気を取られて、1円が足りないと思い込んでいました・・・本当にすみません」と言って男性に頭を下げた。

私が「そうそう、そんな事ってあるあるぅ~」と言いながら、へらへらと笑ってたら、強面の男性もつられて笑いだし、仕方がないなといった感じで行ってしまった。

私の商品をレジで打ちながら、女性は「ありがとうございました。完全に思い込んでいました」と言われた。

それにしても、「思い込み」というのは恐ろしい。

周囲までも、一瞬自分の方が間違っている?と思ってしまうくらい、本人が思いこんでいる事ってあるのだなぁ。

だから「思い込み」で大きな事故になってしまうことだってあるのかもしれない。

それから、他人が自分の悪口を言っているという思い込みもよくある。

勝手に相手の気持ちを想像して、自分の思い込みから、自分で自分を傷つけてしまう。

冷静になって客観的に自分を振り返ることができるように、これから私も気をつけて行かないとなぁ~

これは私の教訓になった出来事でした。おしまい










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感謝の場

2015-07-04 16:40:47 | 日記
次女ピーチの住む街へ行く日が近づくにつれ、私の中で身が引き締まるような思いが高まってくる。

それは、ある神社へ参拝をしようと思っているからだと思う。

その神社は、今年ピーチが関東へ行くことになって初めて知った。

一体どのような神社なのかとネットで調べてみたが、社殿の写真を見るたびに畏れ多く、そして深い畏敬の念が湧いてくる。

こちらの神社への参拝は、私の中ではすでに始まっているのかもしれない。

神様の前に出た時に、自分自身に恥かしい気持ちなく、参拝をしたいと思う。

だから、少しでも心身を浄化するような気持ちで、今は感謝の言葉を心の中で繰り返す日々だ。

このような心境で神社へ参拝に行くというのは、自分で神棚を持って、毎日感謝の気持ちで手を合わせるようになってから。

それまでの私は、神社とは自分の願いを叶えてもらうようにお願いしに行く場だと思っていた。

昔、風水を勉強していた時、先生から「自分の吉方の神社に行くと良い」と教えられ、さらに「願い事のあとに自分の住所、氏名を付け加えること」とまで教えられた。

悪いことに神社も個人の祈願を受け付けているので、そこには何の疑問も感じていなかった。

当時は風水を一緒に習っていた方々と、どこの神社で祈願をしてきただとか、ご利益はどうだとか、そんな話をよくしていたが、今思うと穴があったら入りたくなるほど恥かしい。

そして、風水をやめてからも付き合いがあった風水仲間とは、自分の気持ちが変わってくると徐々に縁が切れていった。

それは私がその人たちから離れるというより、相手の方がどんどん離れて行った。

それまで親しくしていたので、なんとなく寂しくも思ったが、これでよかったのだと思う。

なぜなら、お互いに価値観の違いを感じ始めていたから。

相変わらず神社で祈願をして、それが叶った(一時的に)と嬉しそうに話す風水仲間を、私は今までとはなにか違った、とても冷めた感覚で聞くようになっていたので、いつかは離れることになったと思う。

ただ、神社は祈願をする場ではなかったと知ったことは、本当によかった。

あのまま神社に祈願を続けていたら、心の安定や安心を見つけようなんて考えも付かず、今も同じような願望や悩みを抱えていたかもしれない。

人間の欲望はキリがない。

ひとつの悩みが解決しても、不思議なことに、また新たな悩みや願いが生まれるものだ。

そして、いつまでたってもぐるぐると同じような場所を回り続けている。

神棚を祀り、毎日感謝の心で手を合わせる行為が、こんなにも自分自身に変化をもたらしたことは驚きだ。

ところで、もしかしたら今回の旅の目的は、ディズニーシーでもなく、ピーチの部屋の掃除でもなく、この神社への参拝なのではないかと思えるくらい、日を追うごとに期待と緊張感とが高まっている。

心を込めて感謝の参拝をしてこようと思っている・・・が、台風が近づいているとかで、どうなることやら。

天候が荒れないことだけは祈っている。





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荷造り

2015-07-01 15:22:34 | 日記
来週末には、いよいよディズニーシー&関東に住む次女ピーチの所へ行く予定をしているが、今、事前に送る荷物の準備に忙しい。

まずは寝具。

前回は私ひとりがピーチの部屋に泊まったが、今度は長女チェリーも一緒なので、布団が足りないため、布団を送ることにした。

それから、冬に使う厚い羽根布団も送る。

今年の4月にピーチの暮らす街に行って、思っていたより部屋の中がず~っと寒いことに驚いた。

よく見ると、換気扇の羽の隙間から外が見えていたし、窓も普通のガラスでペアガラスではない。

これでは隙間風ぴゅーぴゅーで、部屋の中は寒いだろう。

工事に来ていた人に「冬は寒いでしょうね~。換気扇の隙間から外が見えるんですから」と言ったら「えっ、それは普通ですよ」と言われて驚いた。

そんな話を聞くと、冬の屋内は、極寒の北海道よりも関東の方が寒いのかもしれないと思った。

今は道内の多くの家は機密性が高く、全室暖房というのが多い。

そして、少なくとも換気扇の隙間から外は見えない・・・と思う。

省エネには反するが、暖房をがんがんつけて、冬でも半そでシャツで過ごしているという強者もいるくらい(私はしませんが・・・)どこの部屋も暖かくしている。

ピーチの部屋の外が見える換気扇を見て、これは冬は寒いだろうなと思い、家ではほとんど使っていなかった厚い掛け布団も送ることにした。

そして、忘れてはいけないのが「脚立」。

脚立は、ピーチが「臭い、臭い」と騒いでいたエアコンの掃除をするために送ろうと思っている。

不動産屋さんに「エアコンが臭う」と連絡したところ、「自分でエアコンのふたを外して中のフィルターを水洗いしてください」と言われた。

ほほぉ~、なるほど自分で掃除をするのか。

よく考えれば当たり前のことだったが、なんせエアコンなんて使ったことがない。

冬はエアコンだけでは寒そうだし、夏はエアコンがなくても扇風機か団扇でじゅうぶん凌げる。

そんなわけでエアコンが付いている家は、隣近所を見回しても、とっても少ない。

昔、次女ピーチが、関西から転校してきた友だちの家に遊びに行ったら、エアコンが付いていて、とても涼しかったと言って帰って来た。

「凄いんだよ!その部屋だけ涼しいの!!エアコンが付いているって言ってた!」と驚いた顔で話すピーチの言葉に「へ~え、部屋にエアコンが付いていたの!?すごいね~」と、これまた真剣に驚いたことがあったが、それくらいエアコンのある家は珍しい。

初めてのエアコン掃除だが、脚立にのって、ふたを外せば、なんとか分かるだろうと思うが・・・古い歯ブラシなんぞもあった方がいいのかしらん?

他には荷物の中にピーチの冬物の衣類や靴類も入れた。

ピーチが「持ってきて」と言っていた本も入れる。

手荷物で持っていくのは大変なので、この際、送れるものは全部送ってしまおうと思う。

それから、最後にこれも入れる。

焼きそば弁当~通称「やきべん」



東北に行った長男パインから「こっちに、やきべんが売っていないから送ってほしい」と言われたことがあった。

そこで初めて、焼きそば弁当が道内でしか販売していないものだったと知った。

普段、家では焼きそば弁当を食べることは、ほとんどないのだが、子供たちだけで留守番だったりする時に、焼きそば弁当が重宝する。

ピーチもいくつか持っていったのだが、もうないらしい。

「でも、こっちにはペヤングっていうのが売ってるよ」

ピーチから聞いたペヤングとは・・・どこかで聞いたような気がするが、こちらでは見たことが無い。

じゃあ、帰りにお土産で買って帰ろうかな。

荷物の準備やら、日常生活の中でやらなければいけない数々のことなど、毎日があっという間に過ぎていくが、旅行を指折り数えて楽しみにしている長女チェリーを見ていると、私もすごく楽しみになってくる。









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