ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ピラティス

2017-05-23 12:55:32 | 健康


桜はもう終わりかけだが、それでもまだあちらこちらに満開の桜を見かけることができる。

北海道はこれから花々が一斉に咲き始めて、一番よい季節と言われる時期になってきた。

こうして気候が良くなってくると、何かを始めたいという気持ちがムクムクと湧いてくる。

そんな時にたまたま近くでやっていた「ピラティス」の講習知り、さっそく申し込みをして、先日は初めてのピラティス教室へ行ってきた。

ところで、私、ピラティス教室に申し込みをしたにもかかわらず、ピラティスが一体どんなものなのかを知らなかった。

身体を動かす運動だと言うことは分かっていて、それはストレッチ運動かな?程度の知識しかなかったのだが、教室へ行ってみてインストラクターの先生からいろいろと教えて頂くうちに少しずつピラティスについて分かってきた。

インストラクターさんから教えて頂いたお話によると、ピラティスとは、元々はドイツ人のピラティスさんが1900年代の前半に「健康な身体を取り戻すこと」を目的に考案した身体調整法だそうだ。
第一次大戦中にピラティスさんが、英国で同胞の捕虜の健康管理に応用したことが原点になっていて、慢性的な痛みの改善などに効果があるそうだ。

ちなみに皇后陛下の美智子様も公務の合間を縫ってピラティスを含む運動を行われていらっしゃるのだとか。

ピラティスとは体の深い部分の筋肉を効果的に鍛えるというもので、深い呼吸に合わせてゆっくりとした動きをすることが特徴なので、高齢者でもベッドに寝たままの病人であっても、ピラティスをすることが可能なのだそうだ。

深い呼吸とゆっくりとした動きと言うと、なんとなくヨガに似ているのだろうかと思ったが、ピラティスがヨガと異なるところは、ヨガが呼吸とポーズを連動させながら瞑想するのに対して、ピラティスは呼吸法を取り入れた体幹トレーニングといった感じで瞑想はしないが、「自分の体を頭で理解するためにイメージをしてください」と言われた。

ピラティスの呼吸は鼻からゆっくりと息を吸って肋骨を横に広げ、口から思い切り完全に息を吐きだすのだが、その時に「みぞおちから骨盤まで、コルセットのホックを上から留めるように閉じて行く」とイメージするとよいそうだ。

しかし・・・

「ハイ吸って~!ハイ吐いて~!コルセットのホックをとめるように上から体を閉じていきますよ~」

そうインストラクターの先生はおっしゃるのだが、これがえらく難しい。

「コルセットなんてつけたことないし、まして上からホックを閉じて行くなんてしたことないし。
そうだ、むかしのヨーロッパ貴族の女性がコルセットをつけて身体を細く締めつけていたわ。
あんな感じなのだろうか?でも、あれはホックじゃなくて紐で留めていたし・・・ホックで上から留めるってどんな感じ??」
頭の中でごちゃごちゃと独り言を言いながら、息を吸ったり吐いたりしていたのだが、あまりにイメージにとらわれると、かえって上手くできなくなるので、普通に胸とお腹を使って呼吸をしていた。

途中で先生が見に来てくれて、うなづきながら行ってしまわれたので、なんとなくそれっぽい呼吸ができていたのかもしれない。

ピラティスがもっと分かって来て、正しい呼吸ができるようになると、新鮮な空気をたくさん取り込むことができるようになり、毛細血管まで酸素が行き渡って免疫力も高まるそうだ。

また今回「体のバランスを意識して動いて」と言われ続けたのだが、ピラティスを続けると全身の筋肉が柔らかく使えるようになって体の可動域が広がり、その結果、体幹が安定して日頃の立ち振る舞いも美しくなるそうだ。(まさに皇后さまのように・・・)

教室は期間限定なので、あと何回かしかないのが残念なのだが、できればずっと続けてみたいなぁと思っている。







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生命力

2017-05-19 15:13:43 | 介護
先月、誤嚥性肺炎で入院した父だったが(父、再び入院)、思いのほか回復が早くて、わずか一週間あまりで退院したのだったが、それから数日後、また熱を出して緊急入院となり、現在も入院が続いている。

今回は前回の肺炎よりもさらに事態は深刻で、胸の写真を見せてもらうと、わずか数日間のうちに両肺に白い部分がたくさん広がっていた。

父はと言えば、呼びかけにもほとんど答えることなく、意識が混濁していて、ずっと眠り続けているような状態が今も続いている。

前回の嚥下性肺炎の時に医師から説明されたが、この病は繰り返すことが多く、退院した翌日に悪くなって、また入院といったことも十分あり得るとのことだった。

まさにお医者様のおっしゃるとおりになってしまった。

血液検査の結果、白血球の数値が異常に高いため、再び点滴で抗生物質の投与がされた。

食事はもちろんできない。というか、父の意識がはっきりとしないので食事どころか、ふだん飲んでいる肺炎以外の薬さえ飲むことができない。

「今日はすこし良くなっているだろうか?」と淡い期待をもって病院へ行くのだが、父はいつも目をつぶったままで、呼びかけるとすこ~し目をあけてくれるようになったものの、まだ眠っている時間が圧倒的に長かった。

「今日からリハビリを始めます」
ちょうど私が父の見舞いに行っている時に、病室に入ってこられた作業療法士さんに言われた。

「リハビリを始められるということは、父はよくなっているのでしょうか?」と聞くと、作業療法士さんは「白血球の数値はすこしずつ下がってきていますが、全体的には良くありません。リハビリというのは、手足が硬直しないように動かしてあげることです」とおっしゃった。

あんなに体格の良かった父の手足は細い木枝のようになってしまった。

また胸はあばら骨が浮き出てしまった。

作業療法士さんは父の小枝のような手足を軽く動かして、あばら骨の浮き出た胸の部分をやさしくマッサージしてくれた。

時折、父の喉がゴロゴロと鳴った。

「こうしてマッサージをしていると、肺の中からもゴロゴロと音がするんです。これは肺にも痰が入っているということなんですが、こうしてマッサージをしてなるべく痰を口の方へあげようとしています」と作業療法士さんはおっしゃった。

そんな父の入院生活も一週間以上が経った昨日、担当の医師から「話があるので病院へ来てください」との連絡がきた。

妹と二人で行くと、話とは父の現在の状況と今後の治療方針だった。

お医者さんのお話によると、心配していた白血球の数はほとんど平常時まで下がったそうで、肺の炎症がすこし消え始めているとのことだった。
「入院した時、実はとても危険な状況で、そのままお亡くなりになってもおかしくなかったのですが、よくここまで治りましたね。まさに奇跡的です」とお医者さまはおっしゃった。

先生のお話は大変うれしかったのだが、それでも父の様子が入院前に比べて格段に悪くなっているというか、弱っているのがはっきりとわかる。
このままでは高齢者住宅へ帰っても、以前の生活には戻れないのではないだろうかと思った。

そのことをお医者さまに聞くと、高齢者の場合は肺炎は治ったとしても、長く絶食していることで、飲み込む力が無くなってしまうことがあって、それが原因で死亡したり、なかなか元の場所に戻ることも難しくなるそうだ。

そこで、もしも口から食べることができなくなった場合の選択肢としては、「胃ろうにする」または「胃管と点滴にする」というのがあるそうだ。(この場合、何もしないで見ているというのはないそうだ)

胃ろうはしないことに決めているので、残された選択肢は「胃管と点滴」。

お医者さまは言った。
「胃管は鼻からチューブを入れるのですが、やはり違和感があるので、患者さんによっては無意識に引き抜いてしまう方もいるんですね。お父さんももしかしたらそうするかもしれません。そうなった時、お父さんの手にミトンをはめてチューブを抜けないようにしますが、それでもかまいませんか?」

これを聞いて思わず妹と顔を見合わせた。

以前も父は入院中にミトンを手にはめられたことがあって、その時は「とってくれ~とってくれ~」と言って、本当にかわいそうだった。

今回もそれをするかもしれない?
それに胃管で鼻からチューブで栄養を送るというのも痛そうだ
「胃管をしたら、すこし寿命が伸びるのですか?」と聞いたのは妹だった。

すると医師は「伸びるかもしれないし、変わらないかもしれない。お父さんは今、身体のエンジンを止めようとする時期にきているのだと思います。エンジンを止めようとしているのに、どんどん栄養を流し込んで無理に引き留めておくことが、はたして彼(先生は彼と言った)の為になるのかと僕は思います」と言った。

この言葉はまさに私たちも思っていたことだった。

しかし、これがまだ若くして逝った母だったら違っていただろうと思う。
なんとしても、母には逝ってもらいたくなかったから、できる限りの治療をお願いしていただろう。

でも今、父の86歳という年齢を考えた時、「もう十分に生きたし頑張ったよね、もう楽になっていいよ、お父さん」という想いが湧いてくる。

「胃管もやめてください」そうお願いすると、お医者さまは「わかりました。では点滴だけにします。ところで、これはお父さんが口で飲み込むことがまったくできなくなった場合です。まだまだ口から飲み込むリハビリは続けますので、それにかけましょう」とおっしゃってくれた。

父の病室に戻ると、作業療法士さんが飲み込むリハビリをする為に、トロミをつけた水と医療用の小さなゼリーを持ってきてくれた。

父に飲んでもらうために、呼びかけるのだが、父は少し目を開けるとまた目を閉じてしまった。

「意識が覚醒していないので、リハビリ自体できないことが多いんです」と作業療法士さんは残念そうにおっしゃった。
隣では妹が涙ぐんでいる。
どうしたらいいのか・・・私にできることは、父の寝顔に向かって感謝想起を送る事だけだ。

ひたすら父に向って感謝の言葉を心の中で送った。

非科学的と思われる方もいるかもしれないが、私はそうは思っていない。
人間の意識は時にすごい力を発揮する。

一緒にいた妹も父に向って呼びかけ続けると、父は薄目を開け、徐々に目が開いている時間が長くなり、しまいにはぱっちりと大きな目が開いた!(父の目は二重まぶたの大きな目なので・・・)

作業療法士さんもここぞとばかりベッドをあげて、父の上半身が起き上がるようにして「これから、これを食べますよ」と言ってコップに入った水とゼリーを父に見せた。

すると、なんと父は自分の口を開けて、歯のない口の中を指をさした。

「入れ歯が入っていない。入れ歯を入れてほしい」という意思表示だった。

すぐに作業療法士さんが入れ歯を父の口の中に入れて、スプーンで一さじの水をすくって飲ませると、父はもぐもぐしながらごっくんと喉を鳴らして飲み込んだ。

「飲んだ~!!」妹と私と作業療法士さんの三人で歓声をあげてしまった。

そのあとも父は水を飲み、小さなゼリーも完食することができた。

そしてしばらくの間、大きな目を開けて私たちを見ていたのだが、さすがに疲れたのか、また眠ってしまった。

こういった父の様子からはまだまだ生命力のようなものを感じる。

父にあとどれくらい寿命が残っているのか分からないが、最後の最後まで命を輝かせてほしい。

私も後悔しないように、お父さんのことずっと見ているからね。







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銭湯通い

2017-05-15 12:35:09 | 日記
私がよく行くお風呂はいくつかあるのだが、最近はいわゆる銭湯と呼ばれるお風呂が気に入っていて毎週のように行っている。

銭湯なので料金は大人440円ほどと安いのだが、石鹸やシャンプー、タオルなどは自前で持て行かなければいけない。

最初は面倒かなとも思ったが、今や銭湯用のかごにすべて詰め込んで、いつでも行けるようにスタンバイしている。

銭湯と言っても広々とした露天風呂はあるし、サウナもあるし、電気風呂やトルマリン?風呂など、付加価値をつけたお風呂が揃っている。

私は家族と行くので、長女と一緒に入ることが多いのだが、長女が一緒だと「熱い、のぼせる、もう出たい」と言うので、忙しくバタバタと上がらなければいけない。

そこで、ゆっくり入っていたいな~と思う時は、ひとりで銭湯に行くことにしている。

ゆっくり時間を気にせずに一人でお湯に浸かっていると、周囲の会話が聞くともなしに聞こえてくる。

私がよく行く銭湯は年代が高い層が多く来ているのだが、主婦なのだろうか・・・料理の話をしている女性二人がいた。

どうやらうどんの作り方を一人の女性がもう一人に教えているらしかった。

「わたし、うどんはいつも鍋焼きにするの。肉だとか野菜だとかさ、いろんなもの入れてね。おいしいよ~」

「なるほどいろいろと入れるのか。確かにおいしそうだわ・・・」
私も頭にタオルをのせてお湯に浸かりながら、彼女たちに向けた背中でうどんの作り方を聞いていた。

次にやってきた二人の女性たちは70代くらいなのだが、こちらはスポーツの話題でプロゴルフの話だった。

私はゴルフはやらないので、うどんの作り方に比べると、まったく興味はなかったが、やはり聞くとは無しに話が聞こえてくる。

「韓国の〇〇〇という女性選手、最近人気あるけど、ちょっとスカート短すぎないかい?」
「ホント、ホント、あれじゃ、おじさんたちのファンが多いのも分かるよ」

「な~んだ、プレーの話じゃないのか」と思っていたら、今度はやはり二人組の60代くらいの女性たちが入ってきた。
お湯に入りながら、株式投資の話をしていた。「あの会社は評価は低いけど分配率はいいんだよ」などと話している。
なんだか難しそうなので、しばらく浸かってから、私はまた別のお風呂へと移動することにした。

長女と二人で入っている時には分からなかったけど、銭湯っていうのは今も庶民の社交場なのかもしれない。身体を洗うだけではなく、こうしていろいろな話をして楽しんでいる。

さて、移動したお風呂には先客の女性が入っていて、湯船の中から見られるようになっているテレビを観ていた。
テレビではプロ野球の試合がやっていて、ちょうど日ハムの試合中だった。(というか、北海道では日ハムの試合以外はほとんどやっていない)

私は野球ファンではないけど、ルールのよくわからないゴルフより、まだ野球の方が見ていて飽きないかもしれない。

先に入っていた高齢のおばさんはいかにも日ハムファンと言った様子で、テレビから目が離せないようだった。

ちなみにこの時は日ハムの連敗が止まらない時で、「昨年は優勝したから、今年はもういいんでないの」な~んていうあきらめと負け惜しみムードが漂っていた。

私もお湯に浸かりながら、なんとなくテレビの野球中継を見ていたら、突然バッターが大きな当たりを打って、ランナーがホームベースに帰ってきた。
 
テレビからは興奮した野球中継の声と歓声が流れてきた。

「打った?打ったの?今、何点さ」と突然、お風呂の中でおばさんに聞かれた。

「私、目が悪くてテレビがよく見えないんだよ」と言うので、私が見てあげた。

テレビ画面を見て「あっ、七点目はいりましたよ」と言うと、おばちゃんはお湯から身を乗り出して「七点目が入ったって!すごいじゃない、日ハム!!」と喜んでしまった。

しかし、せっかく喜んだおばちゃんを奈落の底に突き落とすようで申し訳なかったが「七点目が入ったのは相手チーで・・・」と教えると、おばちゃんはがっくりと湯の中に沈んでいった。

「相手に七点も入ったって。やいやいや~、わやだわ」

おばちゃんの言った「やいやいや~、わやだ」というこの言葉、とてもなつかしい・・・

「やいやいや~」もしくは「やんやんや~」というのだが、これらの言葉は最近まで日本全国で使われている言葉だと思っていたのだが、そうではないということを知った。

「やんややんや」という言葉があるが、この意味とはすこし違っていて「やいやいやぁ」とか「やんやんやぁ」というのは「やれやれ」というような意味で、どちらかと言うとネガティブな時に使う。

それに続く「わやだ」は「ひどい」という意味なので、このおばちゃんは「やれやれ、ひどいものだ」と言ったのだった。

おばちゃんの懐かしい言葉を聞いて以来、注意して家族や周囲の人の言葉を聞いていると、けっこうな確率で「やいやいやぁ」を言っている事が分かった。

しかし「そういうお母さんもよく言うよ」と長女に指摘されてしまった。

「やいやいやぁ、そうだったかい?」

というわけで、銭湯通いはやっぱり楽しいです・・・








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一皮むけたか

2017-05-12 13:23:43 | 日記
昨日、五十肩のリハビリで病院へ行ったら、今年の4月に入ったばかりの新人理学療法士さんがずいぶん成長していてびっくりした。

たしか10日ほど前に見かけた時は、まだ患者さんへの声掛けが固かった。

患者さんに対して、流れるように自然に話しかける先輩を見て「自分も何か言わなければ」と焦るのか、新人さんは一生懸命に患者さんに向けて話題を作るのだが、患者さんは気乗りしない返事をして、なんだか気まずい雰囲気が漂っていた。

見ていてかわいそうになりながら「話しかけなければと構えて固くなっているから、患者さんも構えちゃうんだよね・・・」などと、けっして人のことは言えないが、自分も固くなった五十肩をさすりながら考えていたのだった。

ところが昨日は違った!

昨日の新人さんは、まるで一皮むけたようにふるまいに落ち着きが出て、患者さんへも自信を持って向き合っていた。

またそれが伝わるのか、患者さんも安心して身を任せているように見えた。

「新人さん達、ずいぶん成長しましたね」と私を担当してくれているベテラン療法士さんに伝えると、「そうですか!今年の新人はみんな真面目で一生懸命にやる子ばかりなんですよ」と嬉しそうにおっしゃってくれた。

さてさて、うちの新人くん(長男パイン)はどうなのか・・・

パインは研修で自衛隊に入隊していたのだが、先日、全身筋肉痛になりながら日焼けした顔で帰ってきた。

自衛隊内は当たり前だが、規律と団体行動の世界。

有事に備えて日々訓練している中に入れてもらって何を学んで来たのかと思っていた。

パインによると、生活も訓練もすべて決められたチームでの行動が義務づけられていて、基地内であっても上官以外は一人で出歩くことは禁止だったそうだ。

毎日早朝、ラッパの音とともに起床し、短い決められた時間内で身支度や掃除、食事を済ませ、国旗掲揚をしたそうだ。
もちろん、国旗掲揚の時は敬礼の姿勢。(当たり前だが、初めて敬礼のやり方を習ったそうだ)
その後、国歌を歌い、歌う声が小さいと「もっと声を出せ」と指導が入る。

そのあとはひたすら訓練、訓練で、全身筋肉痛になったそうだ。

自衛隊では一人のミスは連帯責任としてチーム全員が責任を取るという厳しい決まりがあったそうだが、逆を言えば決して仲間を見捨てないということも教わったそうだ。

ほかにも色々と興味深い話を聞いたのだが、中でもトイレットペーパーの話は驚いた。

自衛隊内のトイレにはトイレットペーパーがついていないそうで、決まった数のトイレットペーパーがチームごとに支給されるのだとか。

「トイレットペーパーも国民の税金で買っているのだから無駄にはできない」というのが理由だそうだ。

だからトイレに行く時は支給されたトイレットペーパーを持って行かなければならず、他の人のことも考えて、あまりたくさん使わないように気を付けたそうだ。

この話を聞いたとき、「いいよ、いいよ。トイレットペーパー買うくらい税金使ったっていいよ。場合によってはたくさん使いたい時だってあるだろうし、もっと買ったらいいよ」と思った。

大した仕事もせずに税金でたくさんお給料をもらっている政治家に比べれば、トイレットペーパー代くらいどうってことはないのでは?と思うのは私だけだろうか。

とはいえ、少ないトイレットペーパーをわけ合って使うことも、訓練の一環なのかもしれないけど。

さて、こうして厳しい訓練を受けて帰ってきたパインだが、はたして一皮むけたのだろうか・・・

「自衛隊から帰って来ると、なんかシャバへ出てきた~っていう解放感がすごくするんだよね。ところで、今日は同期と会社帰りに飲みに行くから夕飯はいらないよ」と言って、今朝出勤していったパイン。

はたして、はたして、一皮むけたのだろうか・・・








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弟、帰省する

2017-05-07 12:50:25 | 日記
連休を利用して弟が来ていた。

入院している父の様子を見るためだったが、帰省してくるのは半年ぶりだろうか。

半年に一度は帰ってくるというのは、これでも父が元気だったころに比べれば増えた方で、父が元気だったころには一年に一度帰ってくれば良い方だった。

仕事があるので、そう頻繁に帰ってくることができないということもあるが、帰ってくると父や近くに住む妹に気を使わせてしまうという遠慮があってか、あまり帰ってくることはなかった。

父はよく「元気ならば帰ってこなくてもいい」と言っていたが、寝たきりになってしまった今、弟が帰ってくることを知らせると表情が変わる。
一瞬、顔が明るく嬉しそうになるのだ。

やはり息子が帰ってくるのは嬉しいのだなぁと思う。

父は86歳だが、この年代のせいなのか、長男というものを非常に大切に思っているところがあって、祖父母が買った土地はすべて長男である弟に譲るという遺言状を書いてある。

これは父が元気だった頃に書いたもので、父は遺言状を前にして「家と土地は息子にすべて譲るがいいか?」と私と妹に聞いた。

もちろん私も妹も「それでいい」と了解した。

すると父はホッとした顔をして「おじいちゃんとおばあちゃんが北海道に渡ってきて、苦労して手に入れた土地だから息子に継がせたかった」と言った。

父は土地と言うものに対して非常に執着がある。

これは「自分の土地」に対してほとんど執着を持たない私たちとは違うところなのだが、「祖父母が苦労してやっと手に入れた」ということでは、父の気持ちは分かる気がする。

しかし、この執着が死後にも残ることがあって、それがまたそこで生きる人たちにとっては怖いことで、迷惑なことでもある。

「子供の頃から数々の霊体験をしていた」と最近カミングアウトした弟とは、今回は土地にまつわる不思議話をした。

実家の建つ土地は市の中心部に近い場所にあるが、私は子供の頃からこの家でいろいろな怖い体験がある。

仏壇に手を合わせると必ず同じ場所から大きな家鳴りがする。(これは家族みんなが分かっていた)

たまに居間の椅子に誰かが座っている。
これは目には見えないのだが気配がする。それを母に伝えると「やっぱり。おかあさんもさっきからそう思ってた」というので、たぶんそうだったのだろうと思う。

また誰もいないのに階段を下りてくる足音がすることもあった。

最も怖かったのは、20代の頃に経験したことで、寝ていたベッドの周りをグルグルと歩き回る人がいて、不思議なのはベッドの片側が壁に面しているにもかかわらず、壁の方もちゃんと歩く気配がすることだった。

薄目をあけてそっと見たら、黒いたびを履いた人の足だけが見えた。

男なのか女なのかも分からなかったが、生きている人ではないことははっきりと分かった。

この頃は頻繁にそのようなことが起こっていたので、怖さもあったが、それよりも腹立たしさの方が勝り、目の前に来た黒たびの足を思い切りつかんでしまった。

今思うと、若気のいたりで無謀なことをしてしまったが、つかみながら「勝手に人の部屋に入って、ベッドの周りを歩き回るとは何なのっ!」と怒りの感情をぶつけてしまった。
すると、その人は私のつかんでいた手をゆっくりと外すと、私の背後に回り思い切り首を絞めてきた。

今まで誰かに首を絞められる体験はしたことは無いが、この時は本当に息ができなくて死ぬかと思うほど苦しかった。実際に首を絞められるとこうなるのだなと思ったが・・・

その話を弟にしていたら「そういえば亡くなったお母さんも同じようなことを言ってた」と教えてくれた。

弟が母から聞いたところによると、母が寝ていると布団の周りを誰かがグルグルと歩き回って、しまいには布団の端をめくられるということがよくあったそうだ。

そういえばそんなことを母が言っていたような気もするが、あの頃は当たり前のようにそんなことが起こっていたので、聞いたとしても特に気にもしていなかった。

気にするようになったのは父が高齢者住宅に入って、実家が空き家になった頃だった。

近くに住む妹が誰もいない実家を訪ねると、仏壇に手を合わせると家鳴りは相変わらずするのだが、電池の入っていない健康器具が突然動き始めたりすることがあって、とても怖いと言った。

結婚後、実家を離れてずいぶん経っていた私は「そのような現象が起きるのはやっぱりおかしい」とやっとノーマルな考えができるようになっていて、これはこの家か土地に執着を持って憑いている霊ではないかと思った。

同じ時期、本州で暮らす弟も実家の夢を何度も繰り返し見ていたそうだ。
そして、弟も「あの土地には何かいると思っていた」と言った。

そのようなわけで、弟に先祖供養の仕方を教え、たぶん弟はそれをしていると思うが、私も供養を続けた結果、まったく不思議な現象は起こらなくなった。(・・・と妹は言う)

今回、弟と会って「あそこにいたのはどんな人で、何の理由で長い間いたのだろうね」という話をしていたら、弟は「それはわからないけど、いなくなったのは確かだ」と言っていた。

私もそう思う。長い間、気がつかずごめんなさいという想いが通じたのだと思いたい。

不思議話に花が咲き、久しぶりに姉弟やその家族が集まり休日のひととき、楽しい夜だった。









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