ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

決断するとき

2019-12-27 15:06:23 | 介護

久しぶりにお姑さんのお見舞いに行ってきた。

私が風邪気味でしばらく咳が続いていたため、お見舞いに行くのを遠慮していたのだが、約二週間ぶりに逢ったお姑さんは、驚くほど衰弱していた。

毎週行っている夫も驚くほど、今回は衰弱が進んだように見えた。

通常の点滴から中心静脈栄養に切り替えて半月あまり経ったが、全身のむくみがひどく顔はふだんの1・5倍くらいに腫れていた。そして、むくみからなのか瞼が閉まらずまばたきもしない。

ただ意識はハッキリしていて、私たち家族のことも分かっているし、問いかけにもかすかにだが答えてくれる。

意識障害を起こす時に必ずなった、あのきつい目や顔になることは、今はもう無い。

しかし意識が戻ったからこそ、自分の置かれている状況がわかってしまい、思うようにならない身体でお姑さんはどれほど苦しいだろうかと思う。

「生き地獄だ」と言っていたと夫から聞いて、余計にかわいそうに思う。

夫や義姉たちは、今やっている中心静脈栄養で終わりにして胃ろうはしないと医師に伝えたそうだ。

「中心静脈栄養では、一年もたないでしょう」と医師には告げられたそうだが、夫たちは胃ろうで命を長引かせることは本人を苦しませることになるのではないかと思い、胃ろうはしないという決断をしたそうだ。

高齢の親が老衰で病院に入ると、必ずと言っていいくらい決断しなければいけない時がくる。

自分で食べられなくなった時にどうするのかという決断だ。

医療の力によって(胃ろうや点滴など)生きて行くのか、それともそれらをやめて自然に任せるのか。

看取りをしている、ある高齢者施設では「自分の口で食べられなくなった時がきたら、それは最期の時が近づいているという事なので、無理に食べさせたりせず自然に任せる」そうだ。

動物でも人間でも死が近づいてくると自然に食べなくなって、枯れるように亡くなるそうだ。その方が苦しまずに逝けるのだとか。

たしかにそうなのかもしれない。

父も最後は点滴からの栄養だけになったが、何度も誤嚥性肺炎を起こして最期まで苦しそうだった。

実は、父にも苦しまずに眠ったまま楽に逝ける時があった。

それは突然、心拍数が落ちて血圧も下がった時で、ちょうど入院していた為、すぐに心臓にペースメーカーを入れる手術をした。

医師から「どうします?入れますか?入れないとこのまま亡くなりますよ」と言われ、妹と二人で「おねがいします」と答えていた。

あの時ペースメーカーを入れないという選択肢は私たちの中には無かったが、そのあと時間を置かずに父が誤嚥性肺炎になって苦しそうにしている姿を見て、あの時に入れなければ苦しまなくても済んだのに・・・という少しの後悔があったことも事実だ。

家族はこのような決断を迫られるとき、本当に心が揺れ動く。

しかも決断は一度とは限らない。老親の状況の変化で次々と迫られる。

少しでも希望があるのなら、賭けてみたいというのが家族の本音だが、もうこれ以上長引かせて苦しませたくないというのも本心だ。

揺れ動く心の中で迫られる決断は、家族にとっても苦しい。

事故にも遭わず、病気にもかからず無事に90代、100歳を迎えた先に決断を迫られる「自分の口から食べられなくなったらどうするのか」という問題は、今後ますます増えていくような気がしている。



 


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比べる心

2019-12-25 14:21:44 | 日記

最近、長女と一緒に食事の支度をすることが多い。

以前から料理は時々手伝ってもらっていたのだが、途中で嫌になって(飽きて)くる長女をおだてたり叱ったりしながらやっていたため、長女と一緒にする料理はとても疲れた。

思えば、その頃の私は「長女に料理を教えなければいけない」と思い込んでいた。

教えなければいけないと思うから、私も疲れたし長女も嫌々ながらという感じになっていた。

しかし、今は私の気持ちが変化した。

「教えなければいけない」から「大変だから長女に手伝ってもらいたい。楽しいから長女と一緒に料理を作りたい」になった。

そうなると不思議なもので、多少の失敗くらい何とも思わなくなった。

それよりも長女が手伝ってくれるから楽になったし、一人で黙々と料理しているより、長女とおしゃべりしながらの方が楽しくなってきた。

「さぁ教えるか~」と気合を入れてから長女と一緒に料理を始めていた頃とは、格段に意識が変わった。疲れなくなったし、今度はアレを一緒に作ろうかな~と思って、一緒に料理ができることを楽しんでいる。

すると、長女の方にも変化が現れて、以前より嫌がらなくなって、むしろ嬉々として手伝ってくれるようになった。

今は、私が台所に立っているとやってきて、自分から手伝ってくれることも多くなった。

こんな長女の様子を見て「すごい子だな、優しい子だな、大人になったな」と思うことがよくある。

以上のような変化があった今日この頃だが、今朝は(薄々は勘づいていたが)ひとつ気づいたことがある。

それは「私の中にある、他と比較する心に気づく為に、長女がやって来てくれた」ということで、このことがはっきりわかった瞬間、長女に対する感謝と喜びが胸いっぱいに広がった。

長女が一歳頃から私はずっと他の子と比べては、焦ったり落ち込んだりしてきた。

そんな焦りや落ち込みは、学校教育が始まるとますます大きくなった。

他の子と比べては落ち込み、なんとか同じようにしなければいけないと焦った。

娘を連れてあちこち奔走し、ダメだと分かると落ち込み、そして他の子と比べてすべてが劣っているという発言をした教師に怒りをぶつけた。

この時は「なんてひどい教師なんだ」という怒りで目の前が真っ赤になった。(落ち込むと目の前が真っ暗になると言うが、怒りが最高潮になると目の前が真っ赤になるものだと、この時わかった)

しかし、私もこの先生と同じようなものだったと、今は思う。

なぜなら心の中では、ずっと他の子と長女を比べていたのだから。

長女本来の良さがたくさんあるのに、それを見ようとせず、みんなと同じようにできなければいけないと思っていたあの頃。

中学で特別支援に移るまでの間、私自身もがき苦しんだ時代だった。

でも、もがき苦しむということは決して悪いことではない。(その時は本当に苦しいが)

もがき苦しむことで水面に顔が出ることだってある。

もしかしたら次は陸に上がることだってできるかもしれない。

どちらにせよ、もがき苦しんだ先には、もっと楽に生きられる明るい光があるのだと今なら思える。

できれば、あの人やこの人のように何事もない平穏無事な人生を送りたいと思うが、比較する心がある限り心に平和は訪れないのではないだろうか。

あの人もこの人も平穏無事な人生を送っているように見えているだけで、実はもがいているのかもしれない。そんなことは外側から見ているだけではわからない。

すべては自分の中にある比較する心が作り出した苦しみだったのだと思う。

それにしても、日常生活の中には自分の持って生まれた課題と学びに満ちている。

今すぐに、今いる場所でたくさんの学びと気づきを得ることができる。

この世とは、つくづく面白い世界だと思う。





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今どきの人

2019-12-20 17:22:29 | 日記

20代の後半になる長男は結婚はまだだが、長男の友人たちがぽつぽつ結婚し始めている。

話を聞くと、親戚や友人知人を招いて大々的に結婚披露宴をする人は、今、とても少ないそうだ。

大規模な披露宴をすると、お金がたくさんかかる上に招待客にも負担をかけてしまう。それならば互いの身内だけでこじんまりと式をあげて食事会をする方がいい。そして披露宴にかけるはずだったお金で、二人もしくは両親を連れて好きな所へ新婚旅行へ行く方がいいという考えだそうだ。

これは、私の周りでもよく聞く。

友人の娘さんは、花嫁衣裳は着たいというので衣装を着て神前で式を挙げてから、両家の親族だけで食事会を開いたそうだ。

披露宴にかけなかったお金は、将来二人がやりたい夢の為に貯金するそうだ。

また別の友人の息子さんは、両家でハワイへ行き、両家の親兄弟だけが見守る中で式をあげたそうだ。家族だけで親交を温めて、とても良かったそうだ。もちろん披露宴はしなかったという。

そして式に出席してもらわなかった友人たちには、飲み会的な軽い感じで報告をして祝ってもらったのだとか。

こうした流れを、私はとても好ましく思って聞いていた。

私が結婚した80年代は、会費制の結婚式が多くて合理的と言われた北海道でさえ、大勢のお客を招いてホテルで披露宴をするのが当たり前だと思われている時代だった。

その頃は、私も友人たちの結婚式には数知れず出席してきたし、自分の時も当然のようにそうしたのだったが、もう義理と人情の世界で近所のおばさんから私の知らない父の仕事の関係者まで(親が)披露宴に招待していた。

今思えばそういった方々には、たいへんな負担をかけてしまったと思う。

そして、今やこうした式典の縮小は結婚式だけではなく葬儀にも表れている。

やはり80年代に亡くなった母の葬儀の時は、広い会場に立派な祭壇を作り、多くの方に来て頂いた。

大勢の方に見送ってもらうことが最善と考えた父が、母に対する最期の愛情表現として大金をかけて執り行った葬儀だった。

しかし、当時は身内だけでする家族葬という考えがなくて、亡くなったら多くの方にお知らせして葬儀に来て頂くというのが一般的だったというのもある。

今は夫の職場の話を聞いても、家族葬が多くなっているようだ。

私の父や義父の時も家族葬にしたが、それほど親しい間柄でもないのに、義理でわざわざ来て頂く方に時間的、金銭的な負担をかけたくないというのが家族葬にした一番の理由だった。

家族葬は寂しいという声もあるが、親しい身内だけで静かに最期のお別れをするという葬儀本来の目的が達せられていて、私はとても良かったと思っている。

それにしても、イケイケドンドンだった80年代を生きてきた者として、あの頃と今を比べてみると、社会全体の勢いは無くなったが、若い人の結婚式のやり方にも表れているように慣習や物に囚われることが少なくなって、自分らしく、自分たちの好きなようにできる時代になってきたのではないかと思う。

それは、ストレスのない本来の姿なのだろうと思う。

息子や娘など若い人達を見ていると、節約できるところは節約をしている子が多い。無ければ買えばいい、いや特に必要ってわけでもないが買っておこうという時代を生きてきた私たちが、同じ年頃だった時には考えられなかったことだ。

ただし節約はしても自分がやりたいこと、好きな事にはお金をかけているし、友人が行きたい場所があるから一緒に行こうと言われても、そこが行きたくなければ普通に断ることができているのがすごいと思う。

だから自分も友人が行きたくないと言えば、「そうなの」という感じで納得して一人で行ったりしている。

双方が納得して自己主張できているというのは、本当にうらやましいくらいだ。

私もこうしておばさんになってからは、行きたくない事ややりたくない事はすこし断れるようになったが、若い頃はそれができず結構なストレスになっていた。

しかし、慣習や物に囚われる時代を過ごして来た私の同世代の人たちも、今の流れに徐々に乗り始めていると思う。

余計なストレスはためない。無理して人に合わせるくらいなら独りを楽しんだ方がいいとか・・・

これは多分、いやかなり良い傾向なのではないかと密かに思ったりしている。

 

 


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歯の矯正治療

2019-12-17 15:39:47 | 健康

最近また歯医者さん通いをしている。と言っても診てもらうのは私ではなくて長女。

しばらく行っていなかった定期健診を受けることと、長女の歯並びが気になっていたので、それも診てもらいたかった。

定期健診は特に問題なかったが、やはり歯並びについては「できれば早いうちに矯正をした方がいいですね」と言われた。

長女の下の前歯の一本は、他の歯に押されて内側に移動している。

それで押された歯と押し出した歯の二枚の歯が重なってしまった。

また内側になった歯は内側過ぎて、食べ物を噛むということができていないらしい。

二枚の歯が重なっている為、歯ブラシが届かず今後虫歯になるリスクが大きいそうで、虫歯になる前に抜いて矯正をした方がよいでしょうということだった。

長女は顔がとても小さい。他の家族はみんな大きいのに、なぜ長女だけ顔が小さいのか分からないが、とにかく顔が小さいのでアゴも小さく、したがってすべての歯が口の中におさまりきらずガタガタしている。

本当はもっと小さな頃に矯正をしておけば良かったのだが、小さい頃の長女は、歯医者さんに行くと怖がって上手く治療ができなかったので、ここまで放置してしまった。

しかし、長女もさすがに成長した。

今回は自分から「矯正したい」と言ったのでやってもらうことになった。

矯正するのは下の歯だけで、まず内側に押し出された歯一本を抜き、それからワイヤーをつけて歯並びを整える。

上の歯も本当は矯正が必要なのだが、長女の場合アゴが小さいので、アゴを切開して隙間を広げるという治療になるそうで、歯医者さん曰く「けっこう大変な治療なので、上の歯はやめておきましょう」と言って頂いた。

そして抜歯当日。長女よりも私の方がドキドキしていた。

最近の抜歯は痛みが少ないようだが、私はどうしても子供の頃に強烈に痛かった歯の治療のイメージが甦ってくる。

子供の頃の抜歯は痛かった。

特に麻酔注射が痛かった。

歯茎に注射をされるくらいなら、代わりに腕に10本くらい注射してもいいと思ったくらい痛かった。

子供の頃に通っていた歯医者さんは太平洋戦争で従軍した元「軍医」さんで、そこで同じく治療を受けていた両親が「軍医さんだったから治療が荒っぽくて」とよく言っていた。

なぜ荒っぽいとわかっている歯医者さんに通うのか、子ども心に不思議だったが、両親はこの先生を非常に信頼していて、当たり前のように家族みんなで通っていた。

しかし治療が荒っぽかったかは別にしても、ここでの抜歯及び治療体験は大人になってもトラウマになるほど痛かった思い出だ。

まあ50年近く前の歯の麻酔注射は、どこでも痛かったのかもしれないが・・・

今の歯の治療は痛みが少なくて、本当にいい時代になったと思う・・・とかなんとか思い出していたら、長女が抜歯を終えて治療室からケロッとした顔をして出てきた。

「痛かった?」と聞いたら「ううん痛くなかった。でも、ここしびれている」と言って唇を指さしたが、わりと簡単に抜けたようで一安心。

虫歯は無いので、抜歯後の傷が治るまでしばらく歯医者さん通いはお休みすることになった。

昔まだ子どもが居ない頃、もしも自分に子どもが生まれたら、絶対に虫歯にさせないと思っていた。

これは、自分が歯医者さんでずっと痛い目にあってきたので、子どもには絶対に同じ想いをさせたくないと思ったからだ。だから長男が生まれて小さな歯が生えてからは毎日歯磨きをしてきた。

幼稚園に入る前までは、歯磨きの度に大泣きして暴れるものだから、長男の両手を自分の足に挟んで動かないようにして歯を磨いた。

長男は足をバタバタさせて泣いていたが、大泣きしてくれる方が、口が大きく開いて都合がよいと思った。

第三者から見れば、あれは虐待に見えただろうか(汗)

その後、長女と次女にも自分で磨けるようになるまで同じように歯磨きをしたが、上の子が磨いてもらうのを見ていたせいか、長男のように暴れて嫌がることはなかった。

子どもを虫歯にさせない為に定期的に歯医者さんへ通ったり、三歳までは親が口にしたスプーンで食べさせないなど、他にも気をつけていたことはあったが、私の虫歯菌がほとんど移っていなかったこともあって20代になった今も三人の子に虫歯はない。

私としては、虫歯にさせないという作戦は大成功に終わってよかったのだが、嫌がるのを無理やり押えて歯磨きをさせられた長男のトラウマになっていないか気にかかる。

(長男にそのことを聞いたら、すっかり忘れているようだったが・・・)

というわけで、親が管理できる時代はあっという間に過ぎてしまった。

あとは、自己管理をするもしないも自分次第・・・なのだが、長女だけはもう少し見守りが必要かな~


 


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独り銭湯

2019-12-13 15:45:15 | 日記

gooブログは、一年前に自分で書いた記事がメールで送られてくる。

先日も送られてきたので読み返してみたら、銭湯へ行った話を書いていた。

そう言えば、あの頃は銭湯が好きでよく行っていたわ・・・って、今もまったく変わっていない。

相変わらずの銭湯好きで、少なくても一週間に一度は必ず銭湯へ行っている。

少し変わったのは、行く銭湯が二つになったことかな。

最近、車を長く運転するのが億劫になったので(夫が)、前に行っていた銭湯よりも距離が近い銭湯を加えた。

億劫な時は近い方、気力がある時は以前から行っている銭湯と使い分けている。

どちらでも温冷浴をするのは相変わらずで、「冷たい風呂に入るなんてとんでもない」と言っていた夫も今やすっかり温冷浴にハマっている。

そう言えば息子の職場の50代だという上司が「水風呂に入らない銭湯なんて、〇〇ー〇のないコーヒーみたいだ」(古い)と言っていたとか。

うん、わかるわ~その気持ち。その上司の方は、きっと違いのわかる男なのだろう。ダバダ~ダバダ~♪

違いが分かるのは、お風呂から出たあとで、温冷浴をせずに出た時よりずっと身体が温まっている。

というわけで、どちらの銭湯でもサウナか熱いお風呂→水風呂→サウナか熱いお風呂→水風呂。。。を繰り返す中高年の多いこと。みんなハマったのね・・・(なぜか若い人はいない)

ところで二か所の銭湯を交互に行って気づいたことがある。

それはお客さんの雰囲気がぜんぜん違うということ。どちらも年齢層は同じくらいなのだが、一方はわりとフレンドリーな方が多く、もう一方はどこか閉鎖的な印象がある。

フレンドリーな方の銭湯は、目と目が合えばにっこり笑うとか、知らない者同士でも世間話が始まるとかで、会話に加わらなくてもなんだかとても居心地がよい。

片やもう一方は、顔見知り同士では話が弾んでいるが、そこにたまにしか行かない人間が入る余地はないという雰囲気が漂っている。と言っても、別に話に入りたいという気はまったく無いのだが・・・

先日も閉鎖的な雰囲気のある方でサウナに入っていたら、私の隣に座っていた女性のそばに、サウナに入って来た別の女性が座った。

どうやらお二人は顔見知りのようで、あとから入ってきた女性が私の隣の女性に話しかけた。

ちらっと見たら、顔をよせてひそひそと話始めたその女性の醜いこと。

誤解を生むといけないので補足するが、醜いというのは顔の造作の美醜ではない。明らかに誰かの悪口を言っている時の醜さが、そのまま顔に現れていた。

聞きたい話ではなかったが、近くなので所々耳に入ってくる話によると、どうやらこの銭湯内で何かトラブルになっているようだった。

そして、彼女の気に食わない相手もこの銭湯に来ているようで、その相手の悪口を銭湯仲間にあれこれ言っている、というのがなんとなくわかった。

せっかくリラックスしているというのに、隣の悪口を聞いているのが嫌なので、お湯に浸かろうとサウナを出たら、お湯の中に真っ暗なオーラをまとった女性が先に入っていた。

「なにかあったのかな、この人」と思ったら、なんとその方がサウナで悪口を言われている女性だった。

それが分かったのは、サウナで悪口を言っていた二人とは違う女性がサウナから出てきて、この女性に話しかけたことだった。

「ねえねえ、知ってる?」とお湯に入っている女性に向かって話し始めたことは、誰かがこんなことをしたそうだという、サウナでたった今聴いた悪口の話だった。

黙って暗い顔で話を聞いていた女性が、突然「それ私のことだよ!」と言って、今度は強い口調で反撃し始めた。

「ねえねえ知ってる?」と言った女性が驚いている。

この人はサウナで聴いた悪口の相手が、この女性のことだと知らなかったようだ。

やんや~もう泥沼だわ。いい歳になってもまだ小中学生みたいなことしていると思った。

なんだかこの銭湯に行く気が失せてしまった。

やっぱり独りがいい、なんてことを思う。

居心地のよい銭湯のように他愛のない世間話をするくらいならいいが、あんまり親しくなって群れを作ってしまうと、このようなことが起きることもある。

仕事じゃなければ、群れるより独りで行動した方がよほど精神的にもいい。

私が友人たちと会うのは、年に一度、会うか会わないかくらい。

それくらいが、私にも友人たちにも丁度いい。

親しき中にも礼儀あり・・・ん?ちがうか。

というわけで、なんだか話がずれて来てしまったが、今週はまた以前から行ってる銭湯に行こうかな~と思っている。

 



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善と悪

2019-12-11 14:55:50 | 日記

新しい御札を頂きに久しぶりに相馬神社へ行ってきた。

神社へ行く前は緊張する。

特にこの相馬神社は一段と緊張する。

非常に厳格な存在が、じっと厳しい目で見ていらっしゃって、善人風を取り繕ってもすべてを見透かされているような気がするから。

神さまの前では何一つ隠し事ができない。

果たして自分にやましい所はなかっただろうか、内在神に沿った生き方をしているだろうか。

相馬神社に参拝する時は、いつもそのように思う。

ところで、このところずっと人の心の中にある善と悪について考えていた。

それは、新聞に載っていた小さな記事に知人の名前を見つけたことからだ。

知人が、ある事をして逮捕された。

本当にくだらないことで、知人はこれくらいなら刑罰にはならないだろうという軽い気持ちだったのかもしれない。

でも、それはあまりにも代償が大きすぎた。今まで築いてきた人生を棒に振ったようなものなのだから。

地位も名誉もお金もあって、多くの人が羨むような立場にいるのに、なぜそんなことをしたのか。バカだ、バカだ、大馬鹿もんだ。

人間は弱い存在だから、心が弱くなっている時に優しい笑顔で近づいてくる悪魔にコロッと騙されてしまうことがある。

また、欲望が抑えきれず悪いことだと分かっていても突っ走ってしまうことがあるかもしれない。

善い人なのに、まさかあの人がそんなことをするとは信じられない、、、と犯罪を犯した人の知人がテレビで言っているのを聞くと、普段、表に見せる顔はきっと善い人だったのだろうと思う。

そうなのだ。人の心の中には善と悪の二つがある。

多くの人は善が圧倒的に大きいのだが、何かの時に悪が顔をのぞかせる。

小さなことで言えば「他人の悪口」も悪だし、実際に悪口を言わなくても心の中で他人を呪えば、それもまた悪が大きくなっている時だ。

もちろん私の中にも悪がある。

自分の中の悪が出て来た時、それに気づくことができるかどうか。

それを悪とは思わずにやってしまう前に、立ち止まって考えてみる習慣。

それがあるかないかで、人生は大きく変わるのかもしれない。


 


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休日の過ごし方

2019-12-06 17:28:26 | 日記

新しい職場で働き始めて10日あまりが経った長女だが、今は仕事に行くのが楽しくて仕方がないようだ。

帰宅してから、今日やった仕事を事細かに教えてくれる。

今はまだ仕事を教えてもらっている最中なのだが、やること全てが長女にとっては新鮮に映るらしい。

「仕事は楽しい?」と聞くと「そりゃもう楽しいよ~ん」と、ふざけながら答える。

この返事は楽しい証拠。楽しく仕事できることが一番なのでよかった、よかった。

ところで一般就労できたことは本当に良かったが、就労支援事業所に通っていた頃と違って休みが増えてしまったことが、今までの生活のサイクルと大きく変わったことだ。

会社での長女の扱いは「契約社員」なのだが、健康保険料などを自分で納めると手取り額が少なくなってしまうので、今まで通り主人の扶養でいられるように労働時間を調整しながら働くことになった。

もちろんたくさん働きたいと言えばできるそうだが、まだ入ったばかりなのでと会社の方から言われて、しばらくはこのまま様子を見ることになった。

さて、たくさん増えた休日をどうやって過ごさせたらよいものか。。。

一日をただテレビを観たり寝たりだけに過ごさせるのはもったいない。

習い事でもやらせようかと思ったが、仕事がシフト制で休める曜日が決まっていないので、今は難しい。

そこで家事の手伝いをやってもらうことにした。

今までも多少やってもらっていたが、長女に家事を教えるのはかなり根気がいることだった。

何度教えても間違えるのは当たり前。

そこでか~っとなって怒ると、長女は逃走して二度と戻ってこなくなる。

怒らずに褒めておだてて家事をやってもらうのは、かなりの忍耐がいる。

もう自分でやった方が圧倒的に早いのだが、そこは忍の一字のみ。手伝ってもらうという感覚は、きっぱりと捨て去らなければいけなかった。

・・・というのが今までのパターンだったが、あれっ、なんかできてるかもしれない?と思うことが最近ずいぶん多くなった。

前は、やった後に必ず私がやり直しをしなければいけなかった事、例えばお風呂掃除や雪かきや部屋の掃除が、ほとんどやり直しをしなくてもよくなったり、調理の時に野菜を切ってもらうのだが、それも丁度よい厚さにカットできるようになったりと、かなり家事の戦力になってきている。

むしろ長女がいてくれて助かると感じるようになってきた。

ところで、学力でも勉強をしているのになかなか成績が伸びなかったのに、ある時から急に伸びるというのがあるそうだ。

これは、子どもそれぞれの潜在能力の違いから成績に結びつくまでに時間がかかるということもあるが、精神的な成長ということも大きいそうだ。

勉強をすることの大切さが理解できるようになると、意気込みや責任感などが増して子どもが変わってくるという。

これを長女に当てはめてみても、以上のようなことは正しいような気がする。

今まで何度も繰り返し教えてきたことが、長女なりの能力でやっと今になって身についてきたのかもしれない。

また職場で責任を持って仕事をする大切さを、就労支援事業所でたたき込まれて理解してから就職したことで、精神的にすこし成長したのではないかと思う。

とは言え、何でも楽しくできることが一番なので、これから家事以外でも色々と趣向を凝らして休日を過ごさせたいと思う。

ちなみに今日は長女の休日だったが、一緒に図書館へ行き長女が自分で読む本を借りてきた。

また家事以外に学力を伸ばすために計算問題と漢字の練習もした。

そして、これから家にある音読用の本を読むことを日課にしようかなと考えている。

私も長女と一緒に脳トレだ。

怒らず焦らず、家事も脳トレも、それ以外のこともたくさん楽しめたらいいなと思っている。



 


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お姑さん、病院をかわる

2019-12-03 16:25:29 | 介護

前に嬉しかった事として、寝たきりで点滴を外せないお姑さんが、食べ物を少し口から食べてくれるようになったと書いたが、今日はその続きを・・・

お姑さんは、口から食事をすこしだけ食べてくれるようになったものの、医師によると「これだけでは栄養がまったく足りないので点滴は続けます」とのことだった。

さらに現在行っている点滴は、両手両足と場所を変えながら針を刺しているのだが、いずれどこからも点滴を入れられない状況になるとのことだった。

そうなった場合、次の方法としては、心臓近くの血管まで針をいれて高カロリーの栄養を送る中心静脈栄養という点滴になるそうだ。

そして最終的には胃ろうをするかどうか、または胃ろうと点滴を組み合わせる方法にするか、いずれにしろ近いうちにその選択しなければならない状況になるので、今のうちに家族は決めておいて下さいと言われた。

ナースステーション内の窓の無い部屋で、ほとんど一日中、体を拘束されて点滴しているお姑さんは本当に痛々しかった。

夫もそれはとても感じていて、もうこれ以上母親につらい想いはさせたくないという気持ちで「点滴が入らなくなったら、口から食べられるだけにできますか?」と医師に聞いた。

すると医師は「それはできません。病院に入院している以上は、点滴を止めて干からびて死んでいくのを、何もせずに見ているわけにはいきません」とおっしゃった。

たしかにその通りかもしれない。

ただ身体の拘束だけでも外せないものだろうか。もう弱っていて自分ではあまり動けないと思うのだが。。。というのは夫と私の願いだった。

それを医師に聞いてみると、「完全に外すことは難しいです」とおっしゃった。

拘束を外してしまうと、目を離した隙に怪我をしたり、最悪命を落としたりするかもしれない。(その時に病院の責任になるということ)

また、(人手不足で)ずっと見ていることはできないとのことだった。

そして医師は苦渋に満ちた顔で「我々も本当は拘束はしたくないのです。ご家族のおっしゃる通り最期まで人間らしい生活を送ってもらいたいと思っているのですが、現実問題としては難しいです」とおっしゃった。

最後に夫が「何かあっても責任を追及したりしませんから、少しの時間でもいいですから拘束を外してください」とお願いして、なんとか看護師さんがそばに居る時だけ拘束を外してもらえることになった。

家に帰ってから、夫はしばらく考え込んでいたが「身体拘束をしない病院に変える」と言って病院を調べ始めた。

しかし、いくつもの病院に問い合わせをしたものの、どこでも「拘束はあります」との返答だった。

私が聞いた病院では「どこの精神科でも拘束はしています。そのような状況では、むしろしていない病院は少ないのではないでしょうか。日本中を探せばいくつかあると思いますが、でもなかなか無いでしょうね」とのことだった。

夫も最後は諦めたようだったが、今の病院は満室のところを無理に入院させてもらったこともあって窓のない部屋にいるが、せめて陽の光の入る窓のある部屋にしたいと転院させることにした。

次の病院はまだ決まっていなかったが、「転院させます」ということを夫が医師に伝えに行く日のこと。

夫が出かける直前まで、私は拘束していない病院を探していた。

「ないだろう」と言って夫はあきらめたが、私は「絶対に見つかる」という根拠のない確信があった。

「じゃ行ってくる」と言って夫が玄関を開けた時、やっとここは!という病院を見つけた。

「あった!ここいいかもしれない」と出かける夫に叫んだが、夫は聞こえなかったようで出かけて行ってしまった。

夫が出かけた後、ゆっくりとその病院を調べてみたのだが、病院のホームページには拘束しませんとは書かれていなかった。

そこで病院へ電話で問い合わせをしてみると、非常に親身になって話を聞いてくれた後に「うちは、よほどのことじゃない限り拘束はしていません。一度見学に来られてはいかがですか?」と言ってくれた。

そこで夫にそれを伝えると、すぐに夫はその病院へ見学に行き、そして入院の手続きまでしてきた。

夫によると、やはり拘束されている患者さんはいなかったそうだ。

先日、お姑さんが新しく移った病院へお見舞いに行ってきた。

病院内はどこも同じなのだが、雰囲気が非常に明るかった。

何が違うのだろうと思ったら、廊下ですれ違う看護師さん達が皆さん「こんにちは」と挨拶をしてくれる。

あっちからもこっちからも「こんにちは~」と声をかけられて、それだけで病院の印象がかなり違った。

さらに病院の中央に広い談話室があり、ほとんどの患者さんはそこで自由にお茶を飲んだりテレビを観たりゲームしたりして過ごしている。

また食事もここでするとか。

お姑さんも車いすで連れてきてもらって食事をしているそうだ。

談話室から自分の部屋に自由に戻れるが、他の所には行けないように鍵がかけられているのは仕方がないとして、前の病院とは全く違った雰囲気だった。

そして、この日のお姑さんの様子は本当に驚くほど回復していた。

もう身体拘束はされておらず、意識状態は家に居た頃に近いほどクリアになっていた。また食事も食べられているそうで、お姑さん曰く、自分で食べているとか。

ただ、やはりそれだけでは足りないので、時々点滴をするそうだ。

そして「看護師さん達がみんな優しくて」と言って涙ぐんでいた。

お姑さんの病状の回復が拘束されなくなったこととは、あまり関係はないのかもしれない。

お姑さんの病状が突然悪化したように突然回復して、また突然悪化してしまうということも、もしかしたらこの先あり得るかもしれない。

でも、もしかしたら人生最後になるかもしれない時間を、少しでも快適に過ごしてほしいと思うのは家族の願いでもある。

できれば良くなって退院できることが一番なのだが、今はお姑さんが拘束なく過ごせるようになったことが本当にうれしい。

ちなみに、この病院は市内にある。

聞いたところによると、市内じゃなくても近郊に拘束しない方針の病院がまだあるそうだ。

探せばある。


 


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