ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

お姑さんからの電話

2019-06-27 16:33:07 | 介護

家族をみんな送り出して、一人でゆっくり朝食をとろうと思ったら電話が鳴った。

こんな早くに誰かなと出てみると、なんと高齢者住宅にいるお姑さんだった。

私がお姑さんに会いに行かなくなってから半年がたつが、声を聞くのも半年ぶりだった。

認知症が進んでいるので、私のことは忘れたかなと思っていたのだが、お姑さんの第一声は「お母さんかい?」だった。

そう、お母さんとは私のことで、お姑さんからいつもそう呼ばれていた。

お姑さんから突然電話がきたことよりも、私のことを憶えていたことに驚きつつ「そうですよ」と答えると、お姑さんは長らく会っていなかったことなど気にもしていないように、うろたえた声で話し出した。

「今朝、施設の職員さんから今月中に施設を出てくださいって言われたんだけど。急に出てくれって言われたってねえ。今月中って言ったら、もうあと少しでしょ?そんなこと言うもんだから困っちゃって。だからよろしくお願いね。じゃあ、もう職員さんが迎えに来るから」

ガシャン(電話を切る音)

自分の話したいことだけ話すと、電話は切れた。

長く会っていないので、私はすこし話したかったのだが、本当にあっさりとした電話だった。

きっとお姑さんは、職員さんに言われたことを何か勘違いしているのだろう。

「施設から出てほしい」などと職員さんが言うはずがないし、もしそれが本当であっても、まず先に家族に連絡がある。ましてや「今月中に出てください」なんて言うわけがない。

お姑さんが不安そうに話す合間に「わかりました、施設に聞いてみますね」と何度か言ったのだが、お姑さんがそれで納得したとは思えなかった。

お姑さんはひとつのことが気になると、ずっとそればかりにこだわる。

お姑さんの声は、まだ納得できていない声だった。

そして思った通り、翌朝もまた電話が鳴った。

お姑さんは、前日と同じようにうろたえた声で「施設から今月中に出てくれと言われた」と、同じことを訴えた。

ただ前日と違うのは、出て欲しい理由が明らかになったことで「どこも(身体に)悪い所がないから出て欲しいと言われた」とのことだった。

お姑さん、完全に病院と間違えている。

ところで前日は、私の応対の仕方が良くなかったと、電話を切ってから反省していた。

「わかりました。施設に聞いてみますね」と言ってしまったのだが、それだと施設に居られるのか居られないのかわからないので、お姑さんが不安のままなのは仕方がなかった。

ちゃんと安心させるような受け答えをするべきだったと反省した、

今回は、施設に居ることができることを話し、「大丈夫、安心して」と繰り返し言ったのだが、それを聞いたお姑さんは「安心していいんだね、安心していいんだね」と「安心」という言葉を繰り返していた。

お姑さんの、この声を聞いて、私も一安心。すこし納得してくれたかな。

そして三日目の今朝。もしもまたお姑さんから同じ電話があれば、今度こそ施設に電話をして、施設の職員さんから「施設を出なくてもいい。ここに居られる」と、しっかり言ってもらおうと思っていたのだが、今朝はお姑さんから電話がくることはなかった。

歳をとって身体が若い頃のように動かなくなり、耳も聞こえにくくなり、記憶もおぼろげになって、まして自分の意思に反して自分の家ではない場所に住まいを移して、不安にかられることがあっても仕方がない。

「人間、年老いて人生の最期のステージというのは悲しいものだなあ」と言ったのは夫だった。

年老いてますます強くなる頑固さや猜疑心。子どもとして、親の嫌な面に向き合わなければいけない夫のやるせない心の内なのだと思う。

でも、親が身をもって子供に最後の教育をしてくれている、年老いていく姿を見せてくれていると、亡き父やお姑さんをそばで見ていて思う。

年老いて行く親たちを見て、こういう風にはならないようにしようとか、ここは見習おうとか、若くして亡くなった実母の時には私もまだ20代と若かったせいか思わなかったが、自分も老年期が目の前に見えてきた今はそう思う。

久しぶりに聞いたお姑さんの声は、懐かしいというにはまだ早いが、嫌な気持ちは不思議なほど消えて、むしろ元気でよかったと安心した。

 


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筋トレ中

2019-06-25 14:36:10 | 健康

足を骨折してスクワットができないので、せめて上半身だけでも鍛えようと、気づいた時に力こぶを作っている。

やり方は簡単。

両手で握りこぶしを作って内側に向け、ガッツポーズをするように両腕を身体の横で構えたら思いっきり力を入れる。

腕がプルプル震えるくらい力を入れること5秒以上。

これに慣れたら、次は力こぶを作る時に両胸(大胸筋)にも力を入れる。

腕と胸筋を同時に鍛えることができる。

続いて、首の両側にある肩の筋肉(僧帽筋)を意識して力を入れる。

これは、両腕を横であげたポーズではなくて、空手の押忍(おす)の構えのように、両腕を前に出して力こぶ。同じく5秒以上力を入れる。

これができたら、このポーズのままで今度は腹筋に意識を集中して力を入れてみる。

ぽっこり出たお腹をへこますつもりで、やはり5秒以上。

ただこれだけなのだが、真剣にやるとうっすらと汗をかく。

これは静的筋トレと言って、「筋肉は最大負荷の八割以上の力を、五秒以上加えると、急速に発達する」という運動生理学でも認められている原理だそうだ。

いまさら筋肉ムキムキになってボディビル大会に出たいなどという夢はなく、できれば死ぬまで元気に生きたいという希望だけなので、これくらいの筋トレで十分。

とはいえ、きちんと続ければ、こんな簡単な筋トレでもちゃんと筋肉がつくそうだ。

ジムへ行くお金も時間もかからず、家事の合間に手軽にできるスクワットや力こぶの筋トレは、今や日常生活の一部になっている。

ところで、若いと老けたの差は、筋肉量だという研究発表がある。

最近の研究では、筋肉からは、さまざまな生命活動物質が出ていることがわかっているそうだ。

それらは筋肉ホルモン(マイオカイン)と呼ばれ、別名「若返りホルモン」と呼ばれている。

筋トレによって若返りの効果があるだけではなく、他にも色々な効果が期待できるそうだ。

例えばガン予防などもそうで、運動して筋肉を使ったマウスは、発ガンが三分の一に減ったそうだ。

さらに筋トレで筋肉から分泌されるマイオカインによって、糖尿病や心臓病、脳卒中の予防と改善や認知症にも効果があるそうだ。

それにしても足の方がまだ治らないので、スクワットが出来ず、さらにずっとギブスをしているせいで、すっかり足が細くなってしまった。

これはいかん。。。使わないとすぐに無くなるのが筋肉。

でも、筋肉はいくつになっても増えるのだとか。

昔、一斉を風靡した100歳の双子の姉妹、きんさんとぎんさんという方々がいらっしゃったが、当時、ぎんさんはスタスタ歩けたのに、きんさんは車椅子じゃなければ移動できなかったそうだ。

負けず嫌いのきんさんは、それが悔しくて何とか歩けるようになりたいと思ったそうだ。

そこで結成されたのが、トレーナーチームによる「きんさんを歩かせるプロジェクト」で、筋トレを続けるうちに、最初は筋肉がほとんどなく、お箸のように細かったきんさんの足が、次第に筋肉がついて太くなっていき、ついにはスタスタと歩けるようになったそうだ。

100歳を越えて歩くことができなかった超高齢者が、筋トレで歩けるようになったという事は、いくつになっても筋トレをすれば筋肉がつくという証明がされたということで、筋トレに遅すぎるということはないということだ。

筋肉は裏切らない・・・(どこかで聞いたフレーズ)

というわけで、力こぶを作る日々です。早くスクワットもやりたい~



 



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料理をしながら

2019-06-20 15:42:13 | 日記

最近、またお菓子作りにハマっている。

お菓子作りは、子どもたちが小さい頃にハマっていたのだが、子どもが大きくなって長男と次女が家を出ると、滅多にお菓子を作らなくなっていた。

ところが、この春に次女が帰ってきてから、またお菓子を作り始めた。

ヨーグルト風味のスポンジケーキやアップルパイ、バナナケーキ、レアチーズタルトにサツマイモのタルトなどなど・・・次女は何を作ってもよく食べてくれるので、はりきってどんどん作ってしまう。

そして、どんどん食べさせる。すると、どんどん次女が丸くなっていく。。。

今朝もまた朝食の片づけが終ってから、ドーナツと全粒粉のパンを作ってしまった。(外出できないので、時間はたっぷりある)

生地に豆腐を使ったので、次女が帰って来るまでに、冷めても固くなりにくいかな~

もうひとつの全粒粉パン、写真を撮ることをすっかり忘れてしまいました。

今回は、パンの材料をすべて入れたあとにイースト菌を切らしていることに気づき、急遽ベーキングパウダーで作ってみたところ、少し固めになってしまったが、なんとかパンらしきものができた。

明日の朝食に、全粒粉のパンが好きな次女に出そうと思う。

ところで私は料理が好きなので、わりと台所にいる時間が長いのだが、料理をしながら、いつも見ているのは窓からの景色。

 

緑が濃くなりましたね・・・木々がまるで生き物のように動くのが面白くて、ついつい料理の手を止めて、じい~っと見入ってしまう。

ちなみに窓にぶら下がっている物は、弟が中国へ出張に行った時に買ってきてくれたお土産。ガラスでできた赤い唐辛子が可愛いので、ずっと飾ってある。

50を過ぎたおじさん(弟)が、同じく50もかなり過ぎた姉(私)と妹にも、忘れずにこんな可愛いお土産を買ってきてくれたかと思うと可笑しいやら嬉しいやら。

ガラスの赤い唐辛子を見るたびに弟を思い出す。

そうそう、窓の外の景色の話でした。

目の前に見える大きな木は、冬になると野鳥たちがたくさんやってきて何かをついばんでいる。きっと野鳥の餌になるようなものがあるのだろう。

今は葉っぱが繁りすぎて、小鳥のきれいな声はするものの姿は見えないのが残念。

・・・と、窓の下を見ると、そこは花壇になっているのだが、しばらく外に出ない間にずいぶんと雑草が伸びていた。

あぁ、草取りがしたい・・・そういえば、義母もよく草取りをしていたことを思い出した。

義母は、今の私のように一人で外出ができないので、窓から外を眺めていることが多かったから、きっと雑草が気になったのだろう。

義母は施設で元気で暮らしているかな?もうひとりで階段を下りて行ったりしていないかな・・・

先日、珍しく義母の夢を見た。

義母が階段から落ちる夢だった。義母の身体を掴もうとした私の手は宙を掴み、義母は階段を転がり落ちて行った。

動かない義母の横で、慌てて救急車を呼ぼうとしている夢だった。

現在、義母が暮らしているのは、高齢者住宅の二階で、普段はエレベーターを使っているのだが、廊下に面している金属の重たい扉を開けると階段がついている。

初めて高齢者住宅を見に行った時、膝の悪い義母がひとりでこの階段を下りるのは危険だなぁと思った記憶がある。

しかし高齢者の力では、なかなか開けられないような扉なので、夫は母が行くことは無いだろうが、一応行かないように注意はしておくと言っていた。

なんとも気になる夢だったので、夫に話したところ、夫も気になって義母に「階段は使っていないか」と確認したそうだ。

すると、なんと義母は時々、重たい扉を開けて階段を下りていたことが判明した。

そこで義母には、階段をひとりでは使わないようにと何度も言い聞かせてきたそうだが、まさかあの重たい扉をひとりで開けていたとは、、、これもご先祖が知らせてくれたのかもしれない。ありがたいことだ。

ドーナツとパンを作りながら、思考はとりとめもなく頭の中を流れていく。

さてと、すこし筋トレをしましょうかね・・・では、筋トレのお話はまた。

 



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松葉杖生活

2019-06-17 16:33:47 | 日記

骨折してから一週間が過ぎ、また病院へ行ってきた。

足の甲を押されて痛みを確認してもらった所、順調に回復しているそうだ。とはいえ、ギブスが外れるのはまだ先のようで、松葉杖も相変わらず使うように、とのことだった。

松葉杖を使って日常生活を送ることは非常に不便だが、それも一週間を過ぎると徐々に慣れてきた。

松葉杖を使って歩く時は、悪い方の足と同時に松葉杖も前に出すのだが、これが慣れないうちは逆に出してしまう。「??・・なんか変だにゃ」と立ち止まって考えるので歩くのも遅くなる。

しかし、今は間違えることも無くなってスムーズに移動できるようになった。

そこで松葉杖生活も慣れてきたので、家族と一緒にスーパーへ買い物へ行ってきた。

私が買うものの指示を出して、買い物カートを押す家族に商品を選んでもらったのだが、久しぶりの外出なので、大根やジャガイモを買うことさえ嬉しかった。

ところで松葉杖をつきながら買い物をしていると、道を譲ってくれる方々がいることに気づいた。

それも何気なく道をあけてくれる。見ず知らずの人たちが足が不自由なのを見て、道をあけてくれる心遣いが本当にありがたく嬉しく思った。

これは骨折しなければ経験できなかったことだし、私自身も足が治ったらそのような心遣いができるようになろうと思う。

さて、家事の方も片足で行うコツをすこしずつ掴んできた。

料理は、前にも書いたが椅子を調理台の前に置いて、皮をむいたりするのは椅子に座ってやっているし、煮たり炒めたりの調理は重心を傾けながら足に負担をかけないように行っている。

またトイレ掃除で床や便器回りを拭く時は、膝をついて四つん這いになって拭く。

こうすると足先への負担はゼロで、しかも腹筋にも効いて運動不足解消にもなる。

しかし、やはり家族の助けなしではやっていけない。

以前は、家族に頼むより自分でやった方が早いと、何でも自分でやってしまう方だったが、骨折をして家族に頼むことが増えた。

そうか、これって頼んでもよかったことだったのか・・・と思うことが多くあって、ちょっと目からウロコの気持ちにもなった。

教訓、なんでも自分だけでやろうとしない。子どもや夫に手伝ってもらうこと。今後の為にも、家族に家事を覚えてもらうことは大切なことだった・・・

外出することができないので、読みたかった本を読んだり、窓からの景色を眺めたりしているが、ここ数日の間、懐かしい友人と電話で話す事が急に増えた。

もちろん私が骨折したことなど誰も知らないのだが、たまたま電話をくれた友人と話したことがきっかけで他の友だちとも久しぶりに話す事になった。

中には40年ぶりに話した友だちもいて、外出できず暇かと思いきやなかなか忙しい。

それにしても、骨折したことで家族の優しさをあらためて思い知ることができ、また友人の優しさや、見ず知らずの方々の優しさを思い知ることができた。

やはり起こることには無駄がないのだなぁと思う。

私の心の奥が体験したかったことに、もしかしたら今回のこともあったのかもしれない。

「令和元年6月某日、足を骨折すること。それによって思い知ることになるのはカクカク云々」とかね。

とは言え、この経験を踏まえて、今後は十分に気をつけようという気持ちになっている。もっと高齢になってから、足にひびくらいではなく大腿骨を骨折なんてことになっては大変なので。

皆様も正座から立ち上がる時には、どうかお気をつけください・・・





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療養中

2019-06-12 17:13:31 | 健康

生まれて初めて骨折してしまった。

骨折したのは左足の甲。通称「下駄ばき骨折」と言うらしい。

その日は来客があって、二時間くらい正座をしていた。

普段そんなに長い時間、正座をしていることがないので足がしびれていたようだ。

しびれていたようだ・・・というのは、自分では我慢できないくらいのしびれでは無かったので、途中で体勢を変えるなどせずに座り続けていたのがまずかった。

お客様が帰ることになり立ち上がった瞬間、よろよろとよろけてしまい、足を床に着いたと思ったら、なんと足の裏ではなく足の甲だった。

ぽきっと音がして、嫌な予感がした。

お客様が帰ったあと、痛みは治まるどころか、足を床につけることもできないくらい痛みだしてしまった。

単なる捻挫だったとしても痛みが尋常ではなかったので、これはすぐに病院へ行った方がいいだろうと思った。

と言っても痛みのある足を引きずって病院まで運転して行く自信がなく、申し訳なかったが仕事中の夫に電話をした所、すぐに帰って来て病院へ連れて行ってくれた。

そして、整形外科でレントゲンを撮ったところ、一か所にひびが入っていることが分かった。

さらにレントゲンに映っていない所も、もう一か所骨折している可能性があるとのことだったが「一か所だろうが二か所だろうが、治療法は変わりませんから」と言われて湿布薬を患部に貼って脛の高さまであるギブスで固定された。

ひびは入っているものの幸い骨にずれはなく、これがもしもずれていた場合、入院→手術のコースだったらしい。

ギブスをしている間に看護師さんが松葉杖を持って来てくれた。

お医者様に「今まで松葉杖を使った経験は?」と聞かれて「ないです」と返事をしたら、松葉杖の使い方を習う為にリハビリ室へ行くことになった。

リハビリ室は五十肩の治療で幾度となく通った場所だったが、五十肩がすっかり良くなった今、ふたたび戻って来ることになろうとは予想もしていなかった。。。

作業療法士さんから松葉杖での歩き方、階段の上り下りを教えてもらい、さらに骨折をした方の足にかける荷重が体重の三分の一になるように、体重計に片足をかけながら感覚をおぼえた。

「いいですか?骨折したんですよ。氷でしばらく冷やして、これからできるだけ足に負担をかけないように生活して下さい。もちろん家の中でも松葉杖は使ってください。お風呂はシャワーだけ。ギブスの足にビニール袋をかけて入ってください。くれぐれも痛みが無くなったからと言って無理をしないように!完治してもまだ痛みが続くという人は、大抵痛みが無くなったからと言って無理をした人ですから」

ちょっとコワモテのお医者様に、そのように言われてしょんぼり。

ちょっとした不注意で、こんなに大ごとになってしまうとは・・・

あの時、もっと気をつけて立ち上がっていれば・・・

用意してあった車椅子に乗ってロビーに出て行った時の夫の驚いた顔。私と同じく骨折したことが無い夫も、こんなに大ごとになるとは思っていなかったようだ。

というわけで、現在療養中のために外出もできず、買ったばかりの自転車でサイクリングなんて夢のまた夢。大好きな温泉もしばらく行くことができなくなった。

それにしても、片足が使えない、両腕に松葉杖を持って移動というのは本当に不便だ。今更ながら両足で何不自由なく歩いて、家事ができていたことが、なんてありがたいことだったと思い知らされる。

そう、私は家事がやりたくて仕方がない。と言うか、気になる・・・特に掃除が好きなので、掃除ができないことがつらい。

掃除機がかけられないので、松葉杖を小脇に抱えて、落ちている糸くずや髪の毛を拾っていたら、夫に叱られた。

そこで夫や娘たちに甘えて掃除洗濯、ゴミ出しは家族に任せることにした。部屋が少しくらい汚れていても目をつぶろう。今は療養優先だ。

洗濯物の干し方が気になっても目をつぶろう。今は療養優先。

「料理もしなくていいから。今晩は何がいい?牛丼買ってくる?それとも、みよしの?」と夫に聞かれ、娘たちの意見で牛丼になった。(みよしのは本州にもあるのだろうか?ちなみに、みよしのとはチェーン店で、札幌市民にはおなじみの餃子とカレーのお店である。カレーライスに餃子がトッピングされている。もちろんライスと餃子もしくはカレーいうメニューもある)

牛丼でも餃子カレーでもいい。野菜が足りなくても目をつぶろう。今は療養優先。

・・・とは言っても、テイクアウトばかりでは飽きるので、台所に椅子を持ち込んで、疲れたら座るということをしながら料理は作っている。

というわけで、骨折したことで色んな方にご迷惑をかけてしまったり、家族に甘えて家事をやってもらったりして申し訳なく思っているが、しばらくは安静にして早く治したい。


 


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不本意なことは

2019-06-09 12:41:21 | 日記

先日のブログ記事で、長女が高等養護学校を卒業して就労支援の作業所に通っていることを書いたが、長女には、世間で言うところの知的障害がある。

今は、それもまた長女の個性だと思っているが 、昔はまったくそうは思えず、娘が幼稚園から小学校卒業まで(障害の認定を受けるまで)、ほかの子どもと比べて落ち込んでばかりいた。

普通はこうあるべきという価値観が私の中に根を下ろし、自分自身もそのような価値感の中で育てられてきたので、まさか自分の子がその価値観に当てはまらないというのは、どうしても受け入れられなかった。

なんとか自分の価値観に娘を当てはめなければと、あの頃は娘を連れて右往左往していたが、本当はそのようなことをしていることが、精神的にとてもつらかった。

娘は普通学級で普通にやっていける、、、そう思って自分を奮い立たせていたが、それは娘を苦しめることにもなった。

多分、娘にとって学校の授業は、まるで外国語を聴いているかのようだったと思う。先生が話すことはチンプンカンプンだっただろうし、周囲の友だちに溶け込むことができず、いつもポツンとひとりぼっちだった。さらには、いじめも始まってしまった。

中学で支援学級を勧められた時、あぁ、この子はついに普通というレールから外れてしまうのかという絶望感が湧いたが、それ以上に、これでよかったという安堵感が湧いた。

私の間違った価値感と、どうしても普通だと思いたいという自我で、自分はおろか娘にまでつらい思いをさせてしまった。

しかしながら、あの頃の右往左往して苦しんでいたことは、決して無駄ではなかったと思う。

それらがあったからこそ今があると、娘には心から感謝している。

私の偏った価値観は木っ端みじんに打ち砕かれ、生きているだけでどんな人もすごいんだと思うようになった。

また、そのおかげで先祖供養や神祀りをしようという気持ちになり、まるで心が長い旅をしているかのように、自宅に居ながら多くのことを見て、感じて、考えて、学ばせて頂くことができた。

この先も続くであろう旅では、これからもまだまだたくさんの学びに出会えるだろうという期待と喜びでわくわくしている。

起こることに無駄はないというのは本当のことだと思う。

たとえ、それが自分自身にとっては不幸だと思うことでも、必要だったから起きたのではないだろうか。

その出来事を見て感じて味わって、なんとかしようとジタバタして、苦しんで、悲しんで、怒り狂うこともまた必要なことだった。

自分の奥深い心の中では、本当は望んでいたことであり(多くの反論がありそうですが)、それらが起きたことは全てよしとする事なのだ。多分・・・

自分の表明意識、自我からすれば、よしとするには時間がかかる。

どうして私だけがこんなつらい目に遭わなければいけないのかと思うだろうし、人によっては死ぬまでよしとできないかもしれない。

ただ自分にとって不本意なことが起こった場合、嘆き悲しんで暗いトンネルの中に迷い込んでしまったとしても、その出来事もまたよしなのかもしれないと少しでも思えたら、そこから抜け出すきっかけになるかもしれない。なかなか難しいですが・・・

というわけで、この記事を書くのに非常に時間がかかってしまった。何日もかけて書いては消して、書いては消してを繰り返していたが、それでも上手く自分の言いたいことが書けたかどうか自信が無い。

このように書き直しを繰り返していたら、まさに私の身に不本意なことが起きてしまいました。

もう一度、身をもって知りなさいということだろうか。

というわけで、その話はまた。

 

 


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うれしかったこと

2019-06-03 16:18:20 | 日記

お天気が良かったのでドライブに行ってきた。

向かった先は、新冠町(にいかっぷちょう)

こちらは競走馬の産地で、道沿いにはたくさんの牧場が道の左右に連なっており、サラブレッド銀座と呼ばれている。

昭和の名馬ハイセーコーと、平成の怪物と言われたオグリキャップのゆかりの地だそうで、将来名馬になるかもしれない美しいサラブレッドたちの姿を見ることができる。

のんびりと草を食むお馬さんを見た後には、おきまりの「温泉」へ行った。

ドライブの時に、行った先で良い温泉があることを見越して、車の中にはお風呂セットを常備している。

行ったのは地元の方が多い温泉だったが、ロビーに備え付けのテレビが二台置かれていて、そのうちの一台は競馬番組専用のテレビだった。

テレビの横には「チャンネルは変えないでください。電源は切らないでください」と書かれた貼り紙がされて、テレビの前におじちゃんが一人座って、腕組みをして画面を凝視していた。

このおじちゃん、馬券を買った人というより馬を育てた人なのかもしれない。

我が子が運動会で走るのを、ドキドキしながら見守っているような心境なのだろうか・・・なんてことを想像する。

銭湯に競馬番組だけを流すテレビが置かれているほどなので、いかにサラブレッドを育てている方が多いかが分かる。

ちなみにこちらの地域の生花店では、大きな競馬の祭典が開かれる時には、時折、花の注文が殺到するのだとか。育てた馬が勝ったら、さぞや嬉しいことだろう。花束なんてばんばん届くのだろう。

ところで馬ではないが、うちの長女にも嬉しいことがあった。

先日、通っている就労支援の作業所で、職員さんと私たち親子での懇談があった。

懇談は年に一度行われて、一年を通して長女がどれくらい成長したか、またどのような課題があるのかを話し合う。

高等養護学校を卒業して入った作業所なので、もうかれこれ今年の春で6年が経ったのだが、なかなか課題が多くて、職員さんに褒められることよりも「今年は、これを克服できるように頑張りましょう」と言われることの方が多かった。

しかし、今年はちがった。

なんと!べた褒めされた~うれしい~~

「ここでの仕事はもう完ぺきにできます。次に何をしたらよいのかを考えて自分で動くことができますし、困ったことがあれば自分から伝えることができます。作業所内ではエースですよ。この作業所で完ぺきに仕事ができれば、一般就労でどこへ行ってもやって行けます」

こそばゆいほど褒められて、長女も嬉しそうだった。

今後は就職に向けて準備を始め、遅くても再来年までには就職しましょうと言っていただいた。

さてさて、長女はどんなところで働くようになるのか、今から楽しみだ。

昔ならば職員さんにそうは言われても、人見知りの長女が新しい職場になじめるのか・・・などと、まだ来てもいない未来の事を心配していたものだが、今は全く心配していない。

きっと長女に合った良い職場に入るだろう。そんな確信しかない。

といっても、その根拠はどこにもないのだが、ダメならダメでその時に考えればいい。

このように前向きに考えることができるようになった自分自身の変化にも驚く。

というわけで、我が子が自分の道を歩いて行くのを、ちょっとドキドキしながらも楽しみに、そして必要な時は手助けしながら、見守っていこうと思う。

 

 


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