ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

家族

2016-12-30 16:46:45 | 日記
大学生で家を離れていた長男パインと次女ピーチが帰って来てから家の中がまたにぎやかになっている。

階下からは「孫いのち?」の義母の大きな笑い声が聞こえてくる。

パインとピーチが義母の部屋にいるのだ。

夫の両親と同居を始めたのは今から11年ほど前だが、子どもたちは毎日一日に一度、必ず義父母の部屋に行って話をしてくる。

私たち親が行くようにと言ったわけではないが、おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだった子どもたちが自主的に行くようになって、その習慣は大きくなった今も続いている。

「いつもいつも同じ話しかしないだろ?」と夫が子どもたちに聞くと「うん、まあね」と言葉を濁すが、同じ話を聞かされることは、子どもたちにとっては当たり前のことで、それほど嫌ではないようだ。

おばあちゃんの部屋で、おばあちゃんの昔話を聞きながらもらったおやつを食べ、それが子供たちには心安らぐ時間になっているのだろうと思う。

「年寄りっこは三文安い」とも言われるが、同居してよかったと思えることの一つが子どもたちに老人のいる生活を体験させることができたことで、お年寄りをいたわる優しさがすこしは身に着いたのではないかと思っている。

歩くのが遅い祖父母に合わせてゆっくりとした散歩に付き添ったり、話し相手になったりすることをごく自然にやっている子どもたちを見て、老人に優しくできる人になってくれたことが嬉しいなぁと思う。

ところで、今日は道が悪くてしばらく行っていなかった父の所へ久しぶりに行ってきた。

今日はパインやピーチも一緒で、食堂で車いすに乗ったまま退屈そうにしていた父を驚かせようと、「来たよー!」とみんなで一斉に顔を見せた。

すると父の顔がパッと輝いたように笑顔になった。

父がこんなにうれしそうな顔になったのを見たのは久しぶりで、レビー小体型認知症のためか、最近は顔の表情が乏しくなっていた父だったので本当にびっくりした。

また驚いたことはそれだけではなく「よく来たなぁ」と父が喋ったことも驚きだった。

父が声を出したことだけでも驚きなのに、孫たちが来ていることをちゃんと理解していた!

最近は親戚の人が来てくれてもまったく反応がなく、親戚が帰ってから「来てくれたことわかる?」と聞いても首をかしげて分からないようだったので、久しぶりに会った孫たちのことを覚えていたことはびっくりだった。

今日は調子のよい日だったのか、久しぶりに孫たちの顔を見たからなのか、それからは私たちと会話もすることができた。

これは最近の父の状態からは信じられないような出来事だった。

「もう卒業したのか?」と父がパインに向かって話しかけ、パインが「まだだよ。来年3月が卒業で、4月からは北海道で働くよ」と言うと「そうか、それはよかった」と父が笑顔で言った。

「外は雪で道が狭くなっていて大変だよ」と言うと、「そうか。家の周りも排雪はしていないだろう。あそこはいつも狭くなるんだ」と父が答えた。

また父の方から「おばあちゃんは元気か?」と義母のことを夫に聞いた。

夫が「元気ですよ。来年はもう90歳になります」と答えると「ほォ~」と言って父は驚いたような顔をしてから「それは、まだまだ生きるな」と言って「カッカッカ」と笑った。

豊かな顔の表情も会話の内容も、今日はすべてが元気だったころの父に戻ったかのようだった。

たまたまだったからなのか、久しぶりに会った孫の力なのか分からないが、こんなに元気になった父を見て今日はずっと嬉しい気持ちが続いている。

孫たちから元気をもらう義母や父、そして元気に明るくしている義母や父を見て嬉しいと思っている夫と私。

「家族」とはいなくなると絶対的に寂しいものであるが、また居ることが当たり前になって、近すぎる関係性ゆえに、時には煩わしくさえ思ったりもするものだが(あくまでも私の場合ですが)、家族の力はすごいなぁと思う。

互いにべったりと依存しあう関係はたとえ家族であっても私は望まないが、何かあった時には助け合ったり、またその存在が力となる家族の関係っていいなぁと今日はそんな思いが湧いてきた。

これが私が経験したかったことのひとつだったのかもしれない。









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雪がふる

2016-12-26 15:26:22 | 日記
先週22日からの大雪の影響が思いのほか大きくて、公共機関であるバスがずっと止まっている。

バスが運休してから今日で4日目になるが、いまだに動く気配なし。

今日は月曜日で夫が出勤のため、バスが動いている所まで車で送って行ったが、どこも道幅が狭く、道がつるつるなので怖かった。

そして、作業所へ通う長女チェリーは今日は休ませてもらうことにした。

それにしても、ここへ引っ越してきてこんなに長くバスが止まるなんて初めてのこと。

それほど沢山の雪が一度に降ったということなのだけど、今年は雪が降ることも、それに伴って雪かきをしなければならないことも、なぜかあまり気にならず嫌ではない。

例年ならば、「うわ~また雪かきだわ、嫌だなぁ」と思っているはずなのだが、今年は不思議と大雪も自然の現れなのだと思っている自分がいる。

異常気象なのかもしれないが、これも天と地の自浄作用なのだと思うと「よく頑張っているね」と大地をなでなでして労をねぎらいたくなる。

とは言え、雪かきは重労働。

夫と一緒に家の周りの雪かきをしたのだが、全ての雪かきを終えるまでほとんど休まずに働いても3時間かかった。
本当は身体の為に休憩を入れながらやった方がよいのだろうけど、一旦、雪かきを始めるとやめられなくなるのが夫と私の悪い癖。

しかし雪かきが終わり、夫が汗を拭きながら「雪かきは大変だけどいいもんだなぁ。身体を動かすと気分がいいし、やり終えた充実感がある」と言った。

そうそう、私も同じことを思っていた。

これから年々歳を取って雪かきが辛くなり、雪かきのないマンションへ移る日が来るかもしれないが、まだしばらくはイケそうな気がしている。

ところで、今年もまた庭のエサ台に野鳥の餌を置き始めた。

今年一番のお客様は、この辺りでは珍しい「スズメ」



スズメは住宅街には多いが、この周辺は森林なので、他の野鳥は見てもスズメはほとんど見かけることがなかった。きっと離れた場所の住宅地から飛んできたのだろう。

ここまでブログを書いて、ふと窓の外を見ると、またしんしんと雪が降り始めている。
時々、野鳥の鳴き声が聴こえるが雪の降る日はとても静か。
穏やかな午後です。








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クリスマスの贈り物

2016-12-21 16:46:55 | 日記
今日は家事を早めに切り上げて買い物へ行ってきた。

買いたかったのは長女チェリーと次女ピーチへのクリスマスプレゼント。

我が家では、イヴの夜、子どもたちが寝静まった後にそっと枕元にクリスマスプレゼントを置くことが恒例になっている。

私も子供の頃に親からそうしてもらって、クリスマスの朝がとても楽しみだったので、同じことをしているのだが、この習慣、すこし長く続けすぎているかもしれないかな・・・とは自覚している。

長女はもう22歳、次女は20歳になった。

長男パインからは中学生の時に「もうクリスマスプレゼントは置かなくてもいいよ」と言われて止めたが、長女と次女へはまだ贈っている。

今でもサンタクロースが本当にいてプレゼントを置いていくとは、長女も次女もまさか信じていないだろうけど、クリスマスの朝に部屋に置かれたプレゼントの包みを開く時、二人はいつもとてもうれしそうな顔をしている。

私はこの嬉しそうな顔を見るのが楽しみで、いまだにクリスマスプレゼントを置くことが止められないのかもしれない。

ところでクリスマスプレゼントはいつも何にしようかと悩むだのだが、二人とも大人になったので最近は身に着けるものや化粧品などにすることが多い。

今年も悩んで、長女には暖かそうなパジャマを、次女には良い香りのハンドクリームとソックスを買った。

そして、このプレゼントはクリスマスの日、まだ夜が明けない頃に、それぞれの部屋の前に置いてくる。

これは二人に気づかれないように置くのだが、多少の物音では目を覚まさなかった小さい頃と違って、最近は少しの音でも目を覚ますようになったので、物音を立てないようにそ~っと忍び足で行かなければならないのがスリリングでもあり大変でもある。

毎年のことだが、夫からはあきれたように「ごくろうさん」と言われている。

もしかしたら二人とも目を覚ましているのかもしれないが、それについては何も言わない。
というか、知っていて母の毎年のクリスマスイベントに付き合ってくれているのかもしれないが・・・

私も幼いころは本当にサンタクロースがいて、プレゼントを置いて行ってくれるのだと信じていた。
プレゼントをもらった朝は、弟と一緒にサンタクロースを探しに家の外まで行ったものだった。

そして、新雪の積もった家の前の道に足跡を見つけて、弟とふたり「サンタさんの足あとだ!!」と言いながら興奮したことを覚えている。

今思えば、あの足あとは新聞配達さんのものだった。

だから、サンタクロースがいないことを知ってしまった時にはとても落胆した。

そして、サンタクロースが父母だと知った年から枕元にクリスマスプレゼントが置かれることはなくなった。

ただサンタクロースの存在を信じていた頃のことは、今でも私の中でとても大切な、まるで夢の中のような良い思い出になっている。

ところで「サンタクロースの部屋」(松岡享子さん著)の中にこのような文がある。

「幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。
わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力ゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」

最近は子どもへの誘拐や犯罪などがあり、簡単に人を信じてはいけないよと教えなければならない時もあるが、大きな意味で「信じる」という力はやはり大切だと思う。

幼いころに親からたくさんの愛情をもらって育った人は、まず親の愛情を信じ、それから周囲の人たちを信じるようになり、最終的に自分自身を信じる人になっていくのだそうだ。

これは一般論としてであって、親から十分な愛情を受けずに育った人であっても、ランドセルを養護施設に贈り続けた方のように、自分を信じて愛情深い行動する人になれるのだと思うが。

自分を信じられる人は強いと思う。

自分を信じて生きることのできる人間に育てることができるかどうか、子どもを育てるということの重大さをあらためて感じる。

さてと、クリスマスのプレゼントは買ったし、家族が久しぶりに揃う年末が今からとても楽しみです。
また忙しい日がやってきます。






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カタツムリの殻

2016-12-19 15:39:27 | 日記
今年も残り少々になってきた。

少し早いが私にとっての今年がどのような年であったかと言うと、今年は近年になく「苦しい」と感じることが多い年だった。

色々な面で「試されている」ような年だったと思う。

ひとつは父の介護問題と、それに伴って姉妹間での意見の違いの葛藤。

父に最適な介護をしてやりたいと思うのは、妹も私も同じ思いだが、時に意見が違うこともあった。

お互いに話し合って決めていくのだが、それは時に大きなストレスになった。

たまに子どもが自分だけで、一人で老親の面倒を見なければならないと嘆く人もいるが、ほかの姉弟と意見をすり合わせることなく、自分の考えだけで決めていけることは、逆にうらやましいことだと思える。

一人っ子であろうが姉弟がいようが、良いこともあればそうでもないこともありで、どっちが良いなんてことは言えないのだと思う。

そしてまた、同居する義母のことも今年は悩むことが多い一年だった。

義母の認知症だが、慣れた家の中では少しの手助けだけで普通に生活をすることができる。

まだ料理も作れるし、トイレも自分で行くことができるので、義母に関しては介護というほどのものは無いのだが、最近、物をよく失くしてしまう。

その最たるものが「薬」であり、一日ごとにまとめてある薬がなぜか足りないという事態が毎日のように発生した。

多分、義母が多く飲んだか、どこかに仕舞いこんだかなのだが、義母はデイサービスに行っている時に部屋の掃除をする私が怪しいと思ったようだ。

まさか義母の薬を私が飲むわけはないし、まして隠したり捨てるなんてこともするわけはない。
なぜなら薬が足りなくて困るのは義母だけではなく、義母の薬をもらいに病院へ行かなければならないのは夫や私なのだから。

そこで夫が一日の中で朝昼夕と分かれた薬ケースを買ってきて、そこに薬を入れたらやっと薬が足りないことは無くなったのだが、今度は庭の木を切ったのが私だと義母は思い込んだ。

去年、夫が大切にしている木を切ったことを義母はずっと怒っていたのだが、その時のことと混同しているのかもしれない。

それは義母が一番大切にしている木であり、もちろん私は指一本触れていないのだが、バラなど他の木を剪定している私が切ったと思っている。

あとで私は切っていないと説明したのだが、それを覚えているかどうかは不明・・・

あ~ぁ、なんだかこうして書き並べていると薬のことも、木のことも、他愛無いことばかりだと可笑しくなってきた。

今は「そんなことで苦しむなんて馬鹿みたい」と思っているのだが、その時々は悲しくなったり、腹を立てたりでとても苦しくなった。

「人はみんなカタツムリのように大きな殻を背負っている」と何かの本で読んだことがあって、その時に「本当にそうだなぁ」と思ったことがある。

他の人は何の問題もなく幸せそうに暮らしているかのように見えるが、実はみんなそれぞれに大きさや模様は違っても背中に大きなカタツムリの殻を背負って生きている。

その殻こそが自分自身を成長させるものなのだろうと思う。

重たいし苦しい時もあるし、できることならばすぐにでも殻を外したいけど、もしかしたらそれは自分で望んで背負ってきた殻だったのかもしれない。

前世というものがあるのならば、私にとって今世の殻の模様の一つが「家族」だった。

一人で生きるのはもう十分に経験したから、今度は家族というものが欲しかった。

「家族が欲しかった」と熱望した前世を、ゆめか幻か、うっすらと憶えている。

このカタツムリの殻は自分が死ぬときに外れるのだろうか。それとも・・・

「殻のない人生なんてクリー〇を入れないコーヒーのようなもの」(古!)

ほろ苦いコーヒーを味わいながら歩いて行けば、いつか「最高に美味しいコーヒーだった」と思える日が来るのかもしれない。







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ない、ない、

2016-12-13 15:18:36 | 日記
先週末からの大雪の影響がまだ続いていて、長女チェリーなどはバスが来なくて昨日は仕事を休んだ。

今日はもう大丈夫だろうと朝チェリーを送り出したが、それから一時間近くたって全身真っ白の雪だるま状態で鼻水まで垂らしたチェリーが帰ってきた。

「今までバスを待っていたけど来ないの。寒いから帰ってきたよ~」

横殴りの吹雪の中で、ずっとバスを待っていたらしい。

しかしバスは待てども待てども来ず、あまりの寒さにあきらめて帰ってきたそうだ。

雪になれた北国とは言え、今回は想像以上の大雪だったから、除雪が追い付かず道路は狭いままの所が多い。

乗用車同士でもすれ違うのが大変なのに、ましてや大きなバスが通るのは大変だろうと思う。

そんなことで、なかなか山奥まで来れないのかもしれない。

さてさて、長女チェリーだが昨日は休んでしまったので、できれば今日は仕事へ行かせたかった。

幸い晴れてきたので、これならなんとか車でチェリーを送っていくことができるかもしれないと思い、チェリーを職場まで送ったのだが、やはりどこの道路も渋滞がひどく、ノロノロ運転で、いつも以上に時間がかかってしまった。

そして、チェリーを送り届けたついでに、私は行かねばならない場所が二か所ほどあった。

それは銀行。

昨夜、自分の通帳を何気に見ようといつもの場所を見たら、通帳がなかった!

最後に通帳を見たのはいつだっただろうか?と考えた。

(思い出せ、思い出すんだー!!)脳みそはフル回転。

そういえば、先月の中ごろに支払いの用事があって、二冊の通帳を持ってATMへ行ったのだった。

一つの通帳で支払いを済ませ、入金予定のものがあったので別の通帳で確認しようと思ったら、まだ入金予定日ではなかったので、そのままカバンに入れた。

あれから家に戻って、カバンから通帳を出したような記憶はあるのだが定かではない。

一冊はほとんどお金は入っていないのだが、もう一冊は多少の金額が入っている。
見つからないと非常に困る。

それから昨夜は大捜索だった。

すでに私のいつもの就寝時間10時は過ぎていたが、このままでは眠れない。

「通帳だけだろう?じゃあ、明日もう一回さがしてなければ再発行してもらえよ」と夫に言われたが、いやいや、今どうしても見つけたい。

・・・で11時半まで探していたのだが、結局見つけることができなかった。

今朝もまた探したのだがやはり無く、仕方がないので再発行の手続きをするのに銀行へ行こうと思っていた。

落としたとは考えにくいし、まさか盗まれたとも考えにくいので、たぶん私が無意識にどこかへ仕舞ったのだと思う。

しかし仕舞った場所が皆目わからない。

あ~お姑さんって、こういう気持ちなんだなぁと思った。
お姑さんは「ない!ない!ない~」と言いながら、いつも何かを探している。
「また無いんですか~?」とお姑さんに言うのは、これからはやめよう・・・

一応、行く前に銀行に電話をかけ、一か所の銀行は通帳の払い出しを停止してもらった。
もう一か所は、ほとんどお金が入っていない通帳なのでそのままにしておいた。

さて、渋滞でノロノロ運転の道が今朝ほどまどろっこしいと思ったことは無いが、なんとか銀行で再発行の手続きを済ませることができた。

一か所の銀行につき1時間から1時間半ほどかかり、ほぼ午前中はこれで時間がつぶれたが・・・

それにしても、忙しい時期に行員さんには大変なご迷惑をおかけしてしまったので、帰り際に差し出されたポケットティッシュは受け取らず丁重にお断りしてきた。
ご迷惑をかけたのにテッシュまで受け取れない。

ところが二か所目の銀行では帰りにミカンをひとつ差し出され、それは思わず受け取ってしまった・・・

「うちで扱っているミカンです。甘いですよ。味見してよかったら売ってますのでど~ぞ!」

家へ帰ってから頂いたみかんを食べた。

ホッとした安ど感もあって、みかんは最高に美味しかった。

それにしても、これからは何でも意識して、特に大切なものを扱うときには、丁寧に仕事をしようと心に誓った。

師走はなにかとせわしない気持ちになるものだが、こんな時こそゆっくり丁寧に・・・ですね。








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肩が・・・

2016-12-12 17:33:02 | 日記
年末の大掃除を意識して掃除をしているわけではないのだけど、今日はなんとなく家の床をきれいにしたくなって、いつも通りに掃除機をかけた後、フローリングの床をタオルで拭き、それからワックスをかけた。

床を拭くと右肩が痛い。

なんとな~く嫌な予感。

そう・・・以前にもなった「五十肩」になりそうな気がしている。

前はどちらの肩だったかもう忘れてしまったが五十肩になり、あまりの痛さに耐えきれず病院へ行った。

病院では痛み止めの注射をされ、あとは自分でできるリハビリ体操を教えてもらって終了だった。
飲み薬も湿布薬もナシ。

これは自然に治るのを待てと言うことだなと思ったものだったが、その時は自分でリハビリのためにプールに泳ぎに行った。

クロールは腕を回すので痛みのある時には無理だったが、平泳ぎなら痛みも感じず、病院で教えてもらった体操と動きが似ていた為、ひたすら平泳ぎをしていたらそのうちに治ってしまった。

今回もあの時と同じような痛みが来そうな予感がしている。なんとか今のうちに軽く済ませたい・・・

そのような気持ちが、今日の床磨きになったのかもしれない。

床磨きも平泳ぎの手とすこし似ている?部分があって、床もきれいになるし、これで肩の痛みが軽減されれば一石二鳥。

というわけで、汗をかきながら床掃除をしたら床はピカピカになったが、はたして肩は?

う~ん、あんまり変わっていないような気もするなぁ。

そのあと、雪かきで肩を使ったのがいけなかったのかしらん。

本格的に雪が降り積もり、いよいよ雪かきシーズンがやってきた。

雪かきもかなりいい運動になって、一仕事終えると汗びっしょりになることも少なくなく、あえて運動をしにどこかへ出かける必要もなくなる。

雪かきが運動不足の解消に役立つと考え方を変えれば、雪かきもまんざら嫌なだけのものではなくなる。

あとは五十肩が悪化しないように、教えてもらったリハビリ体操もしようかな。

そうそう、先日家族で行った健康ランドがすごくよかったから、今度は一人で行ってこようと思っている。

岩盤浴に薬湯、身体が温まってとてもよかった!肩の痛みにも良いかもしれない。

楽しみがまたひとつ増えたかな~







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ひとりごと

2016-12-08 11:46:52 | 日記
うちの「次男」P太郎は歌が好きです。

気分の良い時は一人でこうして歌っています。

観客(私ですが)がいると、もっともっと張り切って歌います。



P太郎の十八番は「鳩ぽっぽ」♪

P太郎流にアレンジして歌うのが得意です。

キーが外れるのは当たり前で、「この歌もしかして鳩ぽっぽかな?」とかろうじて推測できるのが、最初の「ぽっぽぽ~」の部分だけ。
あとはまったく別な曲になっていますが、そんなことはおかまいなしで、P太郎はいつも気持ちよく歌っています。





窓の外を見れば野鳥たちが仲良くつがいになって、餌をついばんだり、さえずったりしている。

P太郎も鳥として生まれてきたのに、自由に大空の下を飛び回ることもできず、狭いかごの中で一日のほとんどを過ごし、日に2回だけこうして歌ったり遊んだりすることが許されている。

可愛そうだなと思う分、たくさん愛情をかけてあげようと思う。

鳥も愛情をかけると、その表情や仕草で喜んでいることがわかる。

これは植物でも毎日声をかけると、その愛情に応えてよく育つことは聞いたことがあるので、P太郎が可愛いあまりの親バカだけではないと思っている。

愛情をかける、慈しむということは人間にできる高度な能力なのだろうと思う。

反対に憎しみや怒りなどネガティブな感情もあり、このように高度な感情からネガティブな感情まで、幅広い精神状態を持っているのは人間だけなのかもしれない。

ネガティブな感情はあまりに強すぎたり長く続きすぎたりすると、自分の生命力さえも脅かす。

時には他人を傷つけたり、他の動植物に危害を加えたり、また大きな視点では開発という名目で地球を破壊したり、そんなことを思うと人間とはこの地球や他の生物からすると、なんとはた迷惑な生き物なのだろうと思ったりもする。

しかし、他の生物を救ったり地球を良くしていけるのもまた人間。

せめて愛情や慈しみをできるだけ出せるように、他者を元気にさせられるような気を出していけたらと、今日はそのようなことをP太郎を見ながら考えていました。








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いつか戻るまで

2016-12-05 15:23:42 | 日記
北海道に住んでいるせいなのか、新聞やテレビなどで北方領土に関する報道を目にすることが多い。

特に最近では、プーチン大統領の訪日を前に普段よりも多くの報道がされていると思う。

そしてまた元島民の方々が数多く住んでいる北海道では「北方領土の返還」への関心が他県よりもずっと高いと思う。

以前、北方領土が見える町へ行った時、道路に設置されているスピーカーから「北方領土は日本固有の領土です。国民の総意で返還しましょう・・・」と言ったアナウンスが繰り返し流されていた。

たぶんこれは特別なことではなくて、日常的にこの町では流れているアナウンスなのだろうと思う。

ところで、前に北方領土で暮らしていたという90歳近い女性からお話を聞いたことがある。

ソ連が突然に侵攻してくるというので、着の身着のままで逃げた話だった。

当時は二十代とまだ若かったその女性はソ連兵からの暴行を恐れて、長い髪を切って坊主頭になり顔中に炭を塗って逃げたそうだ。

ほかの娘たちも皆、そのようにして逃げたという。

家財道具も大切にしていたものも、何もかもそのままに、北海道行きの船に乗るために港へ向かったそうだ。

港は避難する多くの人でごった返していたが、船に乗れるのは老人と女こどもだけ。

男はそのまま島に残るしかなく、その時、島に残った女性の父親とはそれっきり会うことはなかったそうだ。

「そりゃあ戻りたいよ。戻りたいけどもう無理でしょ・・・」と言っていた女性の言葉が、今も忘れられない。

ところで、かつて北方四島にも多くの神社があり、旧ソ連侵攻後の混乱の中、元島民たちが決死の思いでご神体を持ち出していたことはあまり知られていない。

北方四島に祀られているのは金比羅神社(ことひら神社)が多く、かつて江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛が1806年に北洋漁業の守護神を祀ったのが始まりとされている。

1945年8月から9月にかけて旧ソ連軍の侵攻が始まり、島々では「ご神体を守ろう」と神社から持ち出す動きが起きたそうだ。

ご神体は鏡や剣など神社によって様々だったが、ご神体を持ち出すときの様子が調書にまとめられているそうだ。

調書によると、歯舞群島水晶島の「水晶島金刀比羅神社」では、日本人が島から強制退去させられる日に氏子総代夫婦が「大人だとソ連兵の監視を逃れられないだろう」と思い、二人の幼い娘に持ち出させたとある。

姉妹は監視のすきに神社に忍び込んだが、持ち出すことに時間がかかり、船の出航時間が迫る中、夫婦が気をもんだと調書には書かれている。

また、一方では持ち出せなかったご神体も多くあり、別の金刀比羅神社では、島民が社殿に近づくとソ連兵に銃口を向けられ、持ち出すことができなかったと書かれている。

このように元島民たちが必死に持ち出したご神体は、現在、根室の金刀比羅神社で「仮住まい」をしているそうだ。

根室の金刀比羅神社では、日課の祭事に続き、「いつか大切に預かっているご神体を元にもどしたい」という想いで北方領土返還の願いを込めた祝詞を毎朝読み上げているそうだ。

元島民の方々も高齢になり、徐々にその数も減っている。

生まれ育った地へ帰りたいという想いはきっとまだまだ強く持たれているのだろう。

できることなら返還してもらえれば、こんな嬉しいことはないのだけど、実際はどうなのだろう・・・

私も通りがかりに返還の署名活動を見れば署名をしたりもするのだが、いくら署名をしたところで返還はなかなか難しいのだろうという気はしている。

ただ、ソ連軍が侵攻する中、神社のご神体を必死に持ち出した島民の姿を知り、とても感動している自分がいる。

これからの北方領土問題に注目したいと思う。








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