ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

身も心も温かく

2018-02-26 17:03:42 | 日記
休日に近場の温泉に行ってきた。

市内近郊には銭湯料金(400円~)で入ることができる天然温泉がいくつかあり、最近は毎週のように温泉へ出かけている。

今回行った温泉は、露天風呂が天然温泉になっていて、お湯の温度が低めなのと広々としているのが気に入っている。

そこの露天風呂は男湯と高い壁で仕切られているのだが、上部が開いている為、話し声がよく聞こえる。

湯船に漬かっていると、男湯から夫と長男がぼそぼそと話している声が聞こえてきた。

一緒に入っていた長女に「ちょっと呼んでみて」と言ったら、「恥ずかしいから嫌だ~」と言われた。
それもそうだね。
23歳の娘が、男湯に入っている父親と兄に大声で呼びかけるのは、さすがに恥ずかしいだろう。
私だって恥ずかしい。

突然、夫と長男のぼそぼそと話す声が、にぎやかな声にかき消された。

男湯に、二人の小さな男の子たちが入ってきたようだ。
声からすると、年の頃は幼稚園ってところだろうか。

「お風呂おっきいね~、すごいね~」という嬉しそうに、はしゃぐ男の子の声のあとに、「あぁ、いいお湯だ。あったかい。ちゃんとあったまってね」というお父さんらしき人の声がする。

お父さんが子どもたちを連れてお風呂に来たんだなぁと思いながら、しばらくにぎやかな声を聞いていたら、子どもがひときわ大きな声で「おかあさーん」と言った。

「おかあさーん」と呼びかけられて、女湯に入っていた一人の女性が、遠慮がちに小さめの声で「はーい」と返事をした。

「あぁ、この人がお母さんなんだな」と思っていたら、お母さんの返事が聞こえたので、隣から子どもたちが次々に話しかけてきた。

「おかあさーん、気持ちいい?」
「うん、気持ちいいよ」

「おかあさーん、あったまってね」
「うん」

「おかあさーん、ゆっくり入ってもいいからね」
「うん、わかった」

微笑ましく親子の会話を聞いていたら、最後に「おかあさーん、大好き!」と子どもたちから口々に熱い呼びかけがきた。

「大好き」と言われたお母さんは「ありがと」と言って、本当に嬉しそうな笑顔になった。

子どもたちからお母さんへ呼びかける声がした途端、それまで聞こえていたお父さんの声がぴたりとしなくなったのは可笑しかったが、子どもたちの可愛くて温かい呼びかけを聞くことができて、私も身体だけではなく心まで温かくなった。

さて、お風呂から出てホールに行くと、先ほど呼びかけられていた「おかあさん」がいた。
なんとまだ歩くことができない乳児を抱いている。
女性は、お風呂では赤ちゃんを連れていなかったので、おばあちゃんとかが一緒に来ているのかなと思ったら、夫が「あ~、あの人がおかあさんか」と言った。

夫によると、小さな男の子ふたりと乳児一人の計三人の子どもを連れたお父さんが男湯に入っていたそうだ。

小さな男の子というのは、もちろん「おかあさーん」と女湯に向かって呼びかけていた子どもたちで、それ以外にもう一人赤ちゃんをお風呂に入れていたとは、お父さんはさぞや大変だったことだろう。

今日は子育てに忙しいお母さんを、一人でゆっくりとお風呂に入れてあげようと言う、お父さんの優しい心遣いだったのかな。

「いいお父さんだね~」と言うと、夫が「うん、昔の俺のようだ」と言った。

そうそう、そういえば一度だけ乳児だった長男を温泉に入れてくれたことがあったっけ。

脱衣所で動き回る長男におむつをしようと悪戦苦闘していたら、「お前も大変だな」と言う声がして顔をあげたら、目の前に職場の上司がいたっていう話。
なんでこんな時に、こんな場所で会うんだと、夫は思ったのだとか。

でも、乳幼児三人を一緒に入れたことはないけどね・・・とは、決して口には出さず「そうだね」と言っておく。
夫にとっては、温泉で乳児を入れることは、とても大変だった出来事だったのだろう。

大変だったけれど、それ以上に子どもからは宝物をもらっている。
笑顔も泣き顔も、あの時の会話も、みんな宝物。

温泉での「おかあさーん、大好き」という子どもたちからの言葉は、あのお母さんにとっての宝物になるのかな。







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なぜ女性はおしゃべりなのか

2018-02-21 17:37:54 | 介護
お姑さんがデイサービスから帰ってきた時、付き添いの職員さんから「今日は微熱がありました」と言われた。

朝から37度2分くらいの熱があって、食欲はあるのだけれど、入浴はやめましたとのことだった。

そういえば二日前、やはりデイサービスから帰ってきたお姑さんの声がガラガラ声になっていて、それが続いていたので「風邪を引いたかな?」と思っていた。

ただ、本人はいたって元気で「買い物へ行きますけど、一緒に行きますか?」と聞くと「行く、行く」と二つ返事で付いて来ていた。

しかし元気そうにしているとは言え、90歳という年齢を考えると、微熱があると言われたら病院で診てもらった方がいいだろう。

デイから帰宅した日は病院が終了している時間だった為、翌朝、お姑さんを連れて病院へ行ってきた。

お姑さんの声はまだガラガラだったが、熱があるようには見えなくて元気そうだ。

しかし、しつこいようだがお姑さんは90歳という高齢であり、何かあってはいけないので病院へ連れて行った。

病院へ着くとすぐに検温されたが、やはり熱はなくて平熱の36度だった。

看護師さんから「インフルエンザの検査をしてもいいですか?」と聞かれたので、そちらもお願いした。

インフルエンザの検査後、診察まで待合室で待つことになった。

お姑さんの行ってる病院はいつも混んでいて、この日もたくさんの患者さんが待合室にいた。

念のためにお姑さんにマスクをかけさせ、自分もマスクをする。

そしてお姑さんには「今日は声がかすれているから、喉に負担をかけないようにして、あまりしゃべらずにいて下さいね」と言っておいた。

すると、お姑さんはうなずきながら、「わかった。喋らない方がいいんだね。私、風邪ひいたからね。変だね~、風邪なんてめったにひかないのに、どこで移っちゃったのかね~、あんまりしゃべらないほうがいいよね。声がガラガラだからね。ところで、今日はいつもの先生なのかい?いつもの先生じゃないと嫌だわ。でも仕方ないよね。飛び込みだから、ところで・・・」以下話は続く。

まだまだ話が続きそうだったので、途中で「喉に悪いから喋らない方がいいですよ」と話を遮った。

お姑さんは「そだそだ。喉に悪いんだった」と話を止めたのだが、しばらくすると、今度は隣に座ったおじいさんに話しかけた。

話題はいつも同じで、まず夫に先立たれて一人になって寂しいという話をする。

相手が相槌を返してくれて、この人は話に乗ってきてくれる人だと分かると、次は自分の出身地の話をする。

ここで相手が同じ出身地もしくは住んだことがあると言った時にはもう大変で、次々と出身地の話題が出てくるのだが、いつもお姑さんの話を聞いている私にとっては、毎度おなじみの話ばかり。

しかし隣の席のおじいさんが良い方で、ニコニコしながらずっとお姑さんの話を聞いてくれていた。

延々と話し続けるお姑さんを、どうやって連れ出そうかと考えながら、私は後ろの席で身を乗り出しながら話を切るタイミングを狙っていた。

・・・と、ちょうどおじいさんが診察室から呼ばれ、席を立って行った。

私はお姑さんの隣の席に移ると「あんまりしゃべると喉に悪いから、声は出さないようにしてくださいね」とかる~く注意を入れた。

「そだそだ。声が出なくなったら困るしね」と言って納得してくれたように見えたお姑さんだったが、しばらくすると暇そうに周囲をきょろきょろし始めた。

後ろの席には高齢の女性が座っている。ま、まずい・・・

お姑さんは振り返ってニッコリ笑うと「混んでますねえ」と声をかけた。

このようにお姑さんと公共の場に行くと、だれかれとなく話しかける。

嫁の立場ではもう制止しきれない。

最初のおじいさんのように、にこにことお姑さんの話に付き合ってくれる人もいれば、迷惑そうに離れていく人もいる。

あからさまに迷惑そうな顔をされれば、もう話しかけるのを止めるのではないかと思うのだが、お姑さんはそんなことには全くめげていない。

次なる「獲物」を探し始める。
話に乗ってくれそうな人を探して辺りを見渡し、そしていざ見つけると、獲物に向かって満面の笑みで近づいていく。

私が看護師さんと話をして、ちょっと目を離したすきにお姑さんの姿が見えなくなって焦ったら、なんと病院の受付に座っている中年女性の所へ行って話しかけていた。

獲物は来ている患者さんだけではなく、病院関係者もだったか・・・元気すぎるお姑さんに感心してしまう。
すごい行動力。。。

お姑さんもちゃんと分かっていて、あまり若い人には話しかけず、ある程度の年齢がいった人を選んでいる。なぜかというと、若い人より高齢の人の方が話につき合ってくれるから。

しかし、病院などでは具合の悪い人が大多数なわけで、体調が悪いのに見知らぬ婆さんの出身地や生い立ちなど聞きたいと思う人は、そういないはずだ。

「こうなったら人のいない席に連れて行こう」と、お姑さんを連れて人けのない場所に移動していたら、やっと診察室から呼ばれた。

診察室に入ると医師が開口一番「インフルエンザですね」とおっしゃった。

「インフルエンザー!!!」私はあまりの衝撃に口がぽかーんと開いてしまった。

「インフルエンザですか!?こんなに元気なのに?熱もたった37度で、もう下がってるんですけど」と言うと、医師は「そういう人もたまにいるんですよ。軽くすんじゃう人が・・・でも、間違いなくインフルエンザB型の陽性です」と言われた。

熱もなく元気なので薬はナシ。

結局、インフルエンザだったということを確認しに病院へ行ったようなものだった。
(あっ、あとお姑さんのおしゃべりによるストレス発散ね)

お姑さんが話しかけていた方々にインフルエンザが移っていなければいいのだけれど、心配です。

お姑さんおそるべし・・・

ところで、本を読んでいたら興味深いことが書かれていた。

「なぜ女性は男性よりおしゃべりなのか」という内容で、最近の研究によると、女性は生科学的に、男性より他人とのつながりを求める傾向があるというのだ。

男女共にストレスを感じるとアドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンを分泌するのだが、女性の脳はさらにオキシトシンを放出しようとする。

オキシトシンは「結びつきのホルモン」と言われ、女性が落ち込んだ時に友だちと集まっておしゃべりをしたり、ペットに接したりしてオキシトシンの分泌を促し、心を穏やかにしてストレスを消していこうとしているのだそうだ。

ちなみに男性はオキシトシンの量が少なくなっている為に、人間関係にさほど注意を払うことはなく、女性のようにおしゃべりや愛情を与える行為でストレスを解消しようとせず、問題解決や克服などの行動に出ようとするのだとか。

女性でも問題解決や克服に向かう人もいれば、男性でもペットに愛情をかけることで癒されようとする人もいると思うので、これらは一概には言えないが、お姑さんの場合は明らかにオキシトシンが大量に放出されているような気がしている。

それにしても、インフルエンザのお姑さんの方が私よりよほど元気。
疲れましたわ・・・






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心の操縦

2018-02-15 16:51:05 | 日記
車で出かけた時のこと。

途中で私の車の後ろに大型の四駆車がついた。(たまたま同じ方向へ行くのだと思われる)

バックミラーを見たら40代くらいの女性が運転していた。

後ろに四駆車がついたまま、交差点で直進の車を三台やり過ごしてから右折した。

三台の車が通過する間に、無理すれば行ける瞬間もあったのだが、直進車のスピードが思ったよりも速かったことと路面が夏と違って滑るので、無理せずに通り過ぎるのを待ってから車を発進させた。

交差点を右折すると再び交差点があり、見るとその交差点の信号は黄色だった。

私のすぐ前を走っていた車は、信号の黄色が点滅する中を走り抜けて行き、私は交差点に入る前に信号が赤に変わったのを見て止まった。

これがまだ黄色の最中であれば私も行ったかもしれないが、信号は明らかに赤になっていた。

無理して(信号無視して)行ったとして、もしも警察がいたら絶対に捕まるパターン。
(最近パトカーがよく町中を走っているので油断はできない。。。)

「信号が赤なんだから、当然止まるでしょー!」と思うのだが、突然、後ろの四駆がクラクションを鳴らしたかと思ったら、脇にあった店舗の駐車場をすごいスピードで通り抜け、信号を待たずに道路に出ようとしていた。

クラクションを鳴らされて、一瞬、私の頭の中は???となったが、もしかしたら交差点で行かなかったことに腹を立てているのかな?と思った。

きっと前の交差点でも「行けよ」と思っていたのだろう。

それを思った瞬間、私もムッカ―となった。

「どこ見てんだよ。信号は赤だろーが!止まるのは当然だろーが!」

心の中で四駆に向かって悪態をつく。

あ~ムカつく。

ふと我に返る。

いかんいかん、この悪態が高じると、魔物に憑りつく隙間を与えてしまう。

冷静になろう、心を静めよう。

「無理な運転で事故を起こさないでね」
車の流れが途切れないために、まだ行けずにいる四駆に向かって、そう想ってみる。

しかし・・・あ~だめだ。やっぱり腹立つわ~

私はよく他人に「いつも穏やかな人」などと言われることがあるのだが、これは自慢でもなんでもなく、元々持っている私の気性は穏やかさとはかけ離れた激しいものなので、穏やかと言われると「そうでもないのになぁ」と思ったりする。

だから、自分で自分の心を制御できなかった若かりし頃は、納得がいかないことは上司でも大喧嘩をした。

6歳下の妹が、中学生の時に集団いじめに遭って泣きながら帰ってきた時には、いじめた子らの家を一軒ずつ回って話をつけようと真剣に思ったことがある。

「話つけてくるから、そいつらの家を教えなさい」と妹に聞いていたら、母にきつく止められて、仕方なく行くのを断念した。
その後、母が解決したらしいが、怒りに任せて浅はかなことをしなくて良かったとつくづく思う。

他にもいろいろあるが、いつも思うのは怒りを爆発させたあとのなんとも言えない後味の悪さで、自分にも悪いところがあったなぁとか、妹にもいじめに遭う原因があったのかもしれない、などなど反省をして、(多分)良心というものにさいなまれることになる。

しかし最も怖いのは、自分の心の内をかえりみることなく反省もなく、負の感情だけを持ち続けていると、同じような存在が寄って来ることだ。

試しに怒っている時に、自分の顔を鏡に映してみるといい。

まるで般若のごとき顔になっていると思うが、私は般若の顔になった自分の横に、見るも恐ろしい魔物の姿を見たことがある。

もしかしたら過去にブログ記事で書いたかもしれないが、あまりにもはっきりと見えるので、そのような生物?は間違いなく存在しているのだろうと思っている。

そして、自分では制御不能などうしようもない負の感情を持ち続けていると、一番苦しいのは自分だったことに気づく。

だから、自分の心の内を見つめる。
自分の心は自分で操縦するしかない。

それができるようになるためにやっていることは、私の場合は神仏への参拝であり、掃除ということになるだろうか。







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健康ネタ

2018-02-13 14:00:20 | 健康
同年代の知人友人と集まると、必ずと言っていいほど「健康」の話題になるのは50代に入ってからだろうか。

若い頃はまったく関心のない話題だったはずなのに、人間、歳を取るにつれて興味のある話題も変わっていくものだ。

しかし義母世代(90歳ですが)に比べれば、お互いの病気自慢をするほどまでは至っていない。

57歳とは言え、80代や90代から見れば「小娘」のようなものであり、まだまだ病気自慢ができるほどには、悟っていないということかもしれない。

さて、そんな私たち同世代の話題はと言うと、これから年齢を重ねていくにつれて増えていく体調不良の予防と治療について・・・というのが多い。

ちなみに最近友人たちの間で多いのが、指の関節の痛みというもので、これは以前、私もブログ記事として書いたことがあって、数少ない訪問者数を誇る私のブログの中でも1、2位を争うほど訪問者数がある。

つまりは、それだけ指の関節のトラブルに見舞われている方が多いと言うことだろうか。

その記事がこちら⇒「ガングリオンの治療」


2013年、今から約5年前に中指の第一関節が腫れて痛みが出たことがあった。

腫れた部分が何かに当たるとかなり痛んだため、病院へ行ったのだがなかなか治らず、結局3軒の病院を渡り歩いてやっと治すことができた。

再発することも多いと言われたが、幸い今も再発することなく過ごせている。

当時は3軒の病院とも、原因はまだよくわかっていないということで、年のせいだとか手の使い過ぎということだったが、なんと近年、その原因のひとつが明らかになってきたそうだ。

それは更年期に伴う女性ホルモンの分泌の乱れ。

手指の腫れや痛み、こわばりなどの症状は、45歳以降の女性に多く見られるそうだが、実はこれ、更年期に女性ホルモンの「エストロゲン」が減ることによって起こることが分かったそうだ。

エストロゲンには、腱を保護したり、関節を包む「滑膜」の腫れを取る作用があり、エストロゲンが減ると腱や関節に炎症が起こりやすくなるそうだ。

更年期症状というと、のぼせやほてり、発汗やイライラなどが知られているが、手指の痛みや変形は、このようなメジャーな更年期の症状が起こらない人にみられるケースが多いという。

思い起こせば、私も更年期と言われる時期は、ほとんど更年期らしい症状に悩まされることなく過ぎていた。

私の場合は指に強めの痛みがあったので病院で治療してもらったが、手の痛みやしびれが軽い場合はマッサージや手作業後に冷やすなどするのが良いそうだ。

ただ症状が進んでいるのに何もしないで放置しておくと指が変形していくので、やはり受診が安心かもしれない。

現在はエストロゲンに似た働きをする「エクオール」の摂取で、手の痛みや軽度の変形があった患者さんの8割に効果があったこともわかっている。
(エクオールは大豆由来のもののみ有効とのこと)

更年期だけではなく、授乳期や生理前にも手の痛みやこわばり、けんしょう炎などが起こりやすくなるのはエストロゲンの減少が影響しているとのことなので、若い人も注意が必要かもしれない。

また更年期を過ぎると新たな発症率は低くなるそうだが、手の変形などで悩まない為にも症状があれば早めに受診するのがよいそうだ。

というわけで、次の友人たちとの会話ではエストロゲンが話題になる?かもしれない・・・








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法事

2018-02-05 16:39:54 | 日記
93歳で昨年亡くなった伯母の法事に行ってきた。

伯母は父の兄のお嫁さんで、私が最後に伯母に会ったのは自分の結婚式の時だから、伯母とはもう30年近く会っていなかった。

しかし、昔よく家に遊びに来ていたので、伯母の顔も声も話し方もいまでもはっきりと思い出すことができる。

その伯母の一周忌法要ということで招待状を頂いた。

父が生きていた頃は、父が代表して親戚の冠婚葬祭に出席してくれていたのだが、父がいなくなり、今度は私が代表して出席することになった。

会場へ入り伯母の遺影の前で焼香をした。

伯母にはしばらく会っていなかったが、遺影に写った笑顔は昔とちっとも変わっていなかった。

焼香後、ゆっくりと会場内を見回すと、なんと周囲は見知らぬ方ばかりで、一瞬「会場を間違えたか?」と焦ったが、祭壇に置かれた遺影は伯母なので、そこで間違いはなかった。

周囲は親戚のはずだが知らない顔ばかりという、なんだか浦島太郎になったような心境で、どこに座ったらいいのかと迷っていたら、知った顔のいとこが挨拶に来てくれた。

父方のいとこなのだが、父は6人姉弟の末っ子だったので、いとこたちはみんな私たち姉弟よりも年齢が高い。
そのため、子供の頃にいとこたちと遊んだ記憶は全くない。

挨拶に来てくれたいとこも、昔の面影はあるものの、すっかりお年を取ってしまっていた。

昔はいとこと会っても歳が違いすぎて遊ぶことはおろか、話をすることもなかったのだが、今やっといとこたちと対等に話ができる年齢になった。

今回はいとこのお嫁さんである方と隣同士で席に座り、色々なお話をした。

この女性は、農家をやっていたイトコと結婚して、すぐに義父母と同居を始めて家事や農作業などにいつも忙しそうに働いていた。

子供の頃に家族で遊びに行くと、私の伯父と伯母が「〇〇ちゃん、お茶出して」とか「果物出して」などとお嫁さんに指図するので、「私たちのせいで忙しい想いをさせてかわいそうだなぁ」と思っていた記憶がある。

伯父も伯母もずっと前に亡くなり、旦那であるいとこも亡くなったので、今は息子と二人でのんびり野菜を作っているそうだ。

「農家に嫁いで、すぐに同居して、家事や農作業もやって大変だったでしょう?」と言ったら「ううん、あの頃はみんなそうだったから、それが当たり前だと思ってやっていたの。別に大変だったと思ったことはないよ」と言った。

「でもね、今はそんなこと言ってたら嫁が来ないんだよ。農家って言うだけで、嫁が来ないのに、同居して農作業も手伝わされるなんてこと言ったら、ますます嫁のなり手がいないんだから」と教えてくれた。

そんなわけで、40歳になる息子さんにまだ結婚相手が見つからないとこぼしていた。

ずっと年上のお姉さんで話したこともない方だったが、今回は昔からの知り合いのようにたくさんお話をすることができた。

ところで、見たことのない親戚の方々は一体どちらの方なのかと思ったら、今日の「主人公」である伯母の孫たちとその伴侶&子どもたちだということがわかった。

こちらはみなさん、まだお若くて30代と思われる方々ばかり。

連れている子どもたちもまだ小さくて、会場内を元気いっぱいに走り回っていた。

そして、若い方たちともお話しすることができた。

「この前、友だちの家の近所に同じ苗字の家があったんです。友達から親戚なの?って聞かれたけど、分からなくて・・・でも、やっぱり親戚だったんですね!」

若い奥様からそう言われて、「そうそう!それ、うちの実家」と私が答えた。

実家の苗字つまり私の旧姓だが、めずらしいというのかあまり見かけない苗字なので、彼女は友だちから「親戚?」と聞かれたのだと思う。

そこで母から聞いていたルーツを若いご夫婦に伝授してあげた。

「私のおじいちゃん、つまりあなたたちの曾おじいちゃんが、20歳の時に関東から船で北海道に来たんだって。新しい土地で一旗あげようと思って来たらしいけど、結局あげられなかったみたいだね(笑)」

「苗字だけど、こちらではあまりない名前だけど、おじいちゃんの出身地の村には多くいるそうだよ。源氏の由来らしいけど、その辺はもうよく分からない」

そんなことを教えてあげたら、「へ~そうだったんだ」と目を輝かせて聞いてくれた。

会ったこともなかった親戚や話したこともなかった親戚と話すことができて、本当に楽しい法事だった。

(楽しかったなんて言ったら伯母さんに怒られるかな?)

伯母さんもお話し好きの人だったから、もしかしたら一緒に話に加わっていたのかもしれない。

今から100年以上前、一組の男女が結婚して子供を産み、さらにその子供たちが結婚して家族を持ち、そしてまたその子供たちが子どもを産んで・・・

最初は二人の男女だったのに、たった100年ちょっとの間にどれだけの人間が増えていったのだろうか。

一組の男女の結婚が、いつしか色々な家系とまざりあって、織物を織るようにどんどん広がって行く。

当たり前だけれど、なんだか不思議・・・

今、おじいちゃんとおばあちゃんが、こんなに子孫が増えたことを知ったら、びっくりして腰を抜かしちゃうかもしれない。

それを想うと、おじいちゃんやおばあちゃんのずっとずっと前には、一体どれほどの人たち(先祖)がいるのだろうかと思う。

きっと数も分からないほどすごい人数のはず。

だから、その人たちに感謝をしたいと心から思う。

あなた達がいてくれたお陰で、私がいます・・・







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