ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

エアコン初稼働

2024-07-18 18:06:45 | 日記

今年の春、我が家でもやっとエアコンをつけた。

これでいつ暑くなっても大丈夫。

もう昨年の夏のような暑さが来ても怖くはない。

ところが、、、暑くなるのを今か今かと待っていたが、一向に暑くならない。

いや、暑くはなっている。

七月になって30度を越えた日が、三日くらいあったと思う。

ところが昨年のような暑さではない。

窓を開ければ涼しい風が入ってくるので、それほど暑さを感じない。

ところで昨年から今年にかけて、エアコンの売れ行きが異例とも言えるくらい多かったらしい。

昨年の夏は、大型家電店に行くと、エアコン売り場が一目でわかるほど、人だかりができていた。それは秋になっても続いていた。

「今、注文されても来年の夏に間に合うかどうか」なんて脅す店員さんもいて、一刻も早く注文しなければと焦る気持ちになったが、蓋を開けてみれば、今年春の注文で、四月にはエアコンがついた。

実はエアコンの台数は十分足りていたが、取り付けてくれる業者さんの数が足りなかったらしい。

しかし、それも本州から応援が来てくれたので、それほど待たずにつけることができたとか。

というわけで、今年エアコンを初めて稼働させるのを楽しみにしていたが、(暑い地域の方には申し訳ないが)エアコンをつけたいと思うほどの暑さが感じられなかった。

ところが、今日はいつもより暑く感じた。

室内の温度計を見ると29.6°となっている。

エアコンは、室温が30°以上になったらつけようと思っていたが、早く使ってみたくてうずうずしていたので早速つけてみた。

とりあえず26°に温度を設定して、説明書を読みながらスイッチオン。

涼しい風が出てきて汗が引いていく。

ところが、しばらくは涼しくてよかったのだが、だんだん寒くなってきて、温度を1°ずつ上げて行った。

しかし29°にしてもまだ寒く、ドアを開けて他の部屋にも冷風を送るようにしてみたが、じっとしているともう寒くて仕方がない。

エアコンをつける前の室温より高い30°に設定するのは、ちょっと違うような気がして、29°で我慢していたのだけど、あまりに寒くてエアコンが効いていない部屋に避難すると、もわっと暖かくてホッとした。

しばらくそこで温まってから、またエアコンがかかっている部屋に戻り、寒くなったら、また暖かい部屋に行って暖をとるということをやっていたが、「もしかして間違っていることをしているのではないだろうか」ということに気づいた。

寒ければエアコンを切ればいいだけと気がつき、エアコンを切って室温が上がってきたところで、窓を全部開け放った。

外から暖かい風が入ってきて気持ちがいい。

それほどの冷え性というわけではないが、今回はエアコンの風に当たると軽く頭痛がした。

昨年のようにもっと気温が上がると、より効力を発揮してくれるだろうと思うが、まだエアコンをつけるのは早かったようだ。

ちなみに家族は、扇風機もエアコンのない部屋で、外からの風だけで過ごしていた。

我慢できないほどの暑さになるまで、しばらくは自然からのクーラーでいいのかもしれない。

森林が近いので、より涼しいかも、、、

ちなみに今日の道内は気温が高く、熱中症になった方もいたようなので、これから気をつけて夏を過ごしたいと思います。

 


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富良野

2024-07-14 15:33:24 | 旅行

日帰りで富良野へ行ってきた。

そろそろラベンダーも終盤だが、とてもきれいだった。

写真の場所は、ラベンダー畑で有名な「ファーム富田

平日にも関わらず、多くの人で賑わっていたが、今はそのほとんどが海外からの観光客。

多くはアジア系の方だが、日本人より外国人の方が多いほどで、あちこちから韓国語や中国語が聞こえてきて、園内のお土産店も飲食店も混んでいるし、ラベンダー色のアイスクリームを販売している店の前にも長い行列ができていた。

行列に並んで買ったアイスクリームを食べながら、ツレと話をした。

「ほとんどが外国人だね」

「そうだなぁ、でも外国から観光客が来ないと、こういう観光施設はやっていけないんじゃないか?」とツレが言った。

たしかに、ここから外国人観光客がいなくなった事を想像してみたら、園内は、がらがらに空いているだろうと思う。

見学する側からすれば、その方が良いのだけど、お店のことを考えると、それでは経営が成り立たなくなるのかもしれない。

それにしても円安だからなのか、久しぶりに行った富良野は、これまでにないくらい外国からの観光客が多かった。

この後、富良野のとある町でお昼ご飯を食べようと、小さな食堂に入ったのだけど、いきなり英語で話しかけられて驚いた。

話しかけてきたのは、日本人の店員さん。

返す言葉に詰まっていたら「あ、日本人のお客さんね」と言われて、日本語での応対をしてもらったのだが、席についてから英語で話しかけられた意味がわかった。

そこは、とにかく外国人観光客が多い店だった。(もしかすると、海外のガイドブックに紹介されているのかも?)

入ってくるお客さんの半数以上が外国人観光客で、日本人の店員さんは皆カタコトの英語で接客していた。

こんな小さな町の小さな食堂でも、外国人観光客がいることにちょっとびっくりだったが、やはり外国人観光客が来てくれることで、ずいぶん助かっているのかもしれない。

「外国から観光に来てくれるのは、ありがたいことだね」と話していたが、良いことばかりではないらしい。

オーバーツーリズム(観光公害)と言うそうで、京都でも問題になっていたが、函館では観光客が多すぎて、市民の足である市電が大混雑しているのだとか。

外国人の団体客が市電になだれ込み、身動きができないほど混雑して、後方に押し込められた人が、降りられない事態になったこともあるそうだ。

「降りまーす、通してくださーい」と声を張りあげても、周囲に日本語が通じず、運転士さんが気づいて後方の扉を開けてくれたため、やっと降りることができたとか。

また立ち入り禁止の場所に入るというマナー違反も問題になっているそうだ。

外国からたくさん観光に来て欲しいけど、来過ぎるのもまた問題というので、なかなか難しい問題だと思う。

とはいえ北海道を観光するなら、個人的には今が一番よい季節ではないかと思う。

富良野では、ラベンダー以外にも美しい景色をみてきました。

まるで黄色の絨毯のような菜の花畑。

 

新富良野プリンスホテルのニングルテラス。


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ゆる〜く生きて

2024-07-09 21:21:59 | 日記

6月に漬けた梅干しの様子を久しぶりにみたら、なんと白カビが点々と出ていた。

塩分14%にしたのに、なぜカビが出たのだろう?

シソを入れるまでは大丈夫だったから、シソを入れた時にしっかり梅酢に漬け込まなかったのが原因かな、、、とりあえずカビが広がらないうちになんとかしなければと焦る。

取れるカビは全部スプーンで取り除き、梅とシソを全部出して焼酎で消毒し、梅酢の方は鍋に入れて煮立たせた。

そして終了したのが、写真左側の瓶に入った梅干し。

もしもまたカビが出たらすぐに対応できるように、いつでも目に入る場所に置いた。

そして右の瓶は、砂糖と塩と酢に漬け込んだ「さしす梅」、こちらは梅が程よくシワシワになり順調にできているようすで一安心。

これでも十分に食べられそうなのだけど、毎年外に梅を干しているので、今年も良い天気が続く日に干そうと思う。もうひと頑張りだな〜

さて今日は、この梅干しのカビ取り作業のほかに庭の手入れもした。

咲き終わった花殻を摘んだり、混み合ってきた枝を切ったりと、庭仕事は、やり始めると次々とやることを思い出すのでキリがなく、やり過ぎて腰が痛くなることもある。

でもこちらも好きな仕事。終わったあとは、気分爽快になれる。

というわけで、今日も平和な一日を送ることができたことに感謝したい。

最近は、歳のせいか?こうした当たり前の日を送れることに、感謝したくなることが多い。

いつもと同じような番組がテレビから流れているのを観て、今日も平和でよかった、ありがたいと思うし、スーパーでたくさんの食材が並んでいるのを見て嬉しいと思う。

そして、それらを買うことができて、ガスや水道が使えて調理ができて、今日も美味しいご飯を食べられることに、感謝の気持ちが湧いてくる。

どんなに辛いことがあっても、心配事があっても、そればかりに囚われているのはもったいないと思う。

人生は思っているよりずっと短く、せっかく命を頂いたのだから、楽しまないともったいない。

そして楽しむというのは、別に仲の良い人たちとワイワイ騒ぐことではなくて、一人でもできることなのだと、この歳になってやっとわかった。

好きな本を読んだり、散歩をしたり、もちろん好きな仕事に打ち込むことでもいいし、楽しいと感じるならお金をたくさん稼ぐことでもいい。

考え方ひとつで見える景色が変わる。

時には心配事や体の不調に心乱されたとしても、そんなみっともない自分がいることも受け入れて、ひとつのことに執着せず、ゆる〜く生きていきたいと思う。


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オベリベリ(帯広)

2024-07-04 15:41:07 | 旅行

用事があって一泊二日で帯広へ行って来た。

十勝地方は毎年一度は行くので、十勝の中心都市である帯広も毎年のように訪れている。

食料自給率1200%以上という日本最大の食料基地 十勝地方は、広大な大地に豊かな大地の恵みが感じられる土地で、札幌で森林そばに住んでいると言うのに、帯広の方が自然を身近に感じられるのは何故なのだろうと思う。

さて朝に家を出て、帯広に着いたのがお昼を過ぎだったため、有名なインディアンカレーで遅い昼食を摂り、次にどこへ行こうかと連れと相談した。

用事があるのは夕方で、時間はたっぷりあると言うので、帯広市内の銭湯へ行くことにした。

オベリベリ温泉 水光園。

源泉掛け流しの茶褐色のモール温泉で、驚いたことに洗い場のシャワーや蛇口から出てくるのも茶褐色の温泉水。

お湯から上がった後は、お肌がツルツルになり、これで入浴料が480円とは、帯広の人がうらやましい。

ちなみにオベリベリとは「おびひろ」の意味で、元々はアイヌ語の「オペレペレケプ」がなまって「オベリベリ」になり、最終的に帯広となったのだそうだ。

そして翌日。朝食はホテルで摂らず、車でパン屋さん「麦音」へ行った。

こちらはすべて十勝産小麦粉を使ったパンで、他の食材も十勝でとれた食材を使っている。

有名なのか外国人の方もいらしていて、皆さん外で朝ごはんを食べていた。

私も小麦畑を眺めながら、美味しいパンを頂いて来ました。

さて帯広最後は、行きたかった六花亭の施設で「六花の森」

六花亭が好きで、どこへ行っても六花亭があると、必ず入るほどの六花亭ファン。

ちょっとした贈り物は六花亭でお菓子を買うし、自宅でたまに食べるおやつも六花亭。お茶を飲みに行くのも六花亭のカフェが多い。

このように六花亭はほとんど行ったが、唯一行ったことがなかったのが「六花の森」だった。

100,000平方メートルの広大な土地に、六花亭の包装紙に描かれている山野草が植えられていて、坂本直行さんの絵が飾られたギャラリーが点在している。

坂本直行さんといえば坂本龍馬の子孫であるが、それよりも画家というイメージの方が強い。

北大農学部を卒業後、一旦は就職したものの開拓農民となって十勝の原野に入った。

その後三十年あまりの開拓者としての生活は、想像を絶する厳しさで離農。晩年は画業に専念したそうだ。

坂本直行さんの絵は、山野草と日高山脈が多い。

「自然というものは 人間を簡単に殺しもするし 生かすこともある。また暖かく抱いてもくれるし 冷酷極まる圧力で迫ってくるが 要はそれを受けとめる 人間の考え方次第である」

野原に咲く草花と山。

どちらもちょっこうさんが愛したものだったことが、絵からもその言葉からも伝わってくる。

ちょっこうさんの絵を鑑賞しながら六花の森を歩き、どうしてこんなに六花亭が好きなのか、わかった様な気がした。

お菓子の包装紙から、六花亭の各店舗の庭から、自然が感じられるからだった。

妖精が居そうな六花の森でした。

 


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ゲゲゲの鬼太郎

2024-06-28 17:43:36 | 日記

映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」を観た。

子どもの頃は、テレビの前でゲゲゲの鬼太郎が始まるのを、楽しみに待っていたものだったが、あれから五十年以上が経ち、再び新しい鬼太郎を観ることができるとは嬉しいことだ。

映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」は、鬼太郎がメインではなく、主に鬼太郎の父がストーリーの中心になっている。

鬼太郎の父と言えば「目玉おやじ」

その目玉おやじが、まだ目玉じゃなかった頃の話だが、この映画はとても考えさせられる内容だった。

子どもの頃は、人間に対して悪事を働く妖怪がただ怖くて、妖怪を退治する鬼太郎や仲間の妖怪たちをかっこいいと思って観ていたが、ではなぜ妖怪は人間に悪事を働くのか、人間の側にも問題があったのではないかという事は考えたこともなかった。

でも今回は、それをとても考えさせられた。

映画の舞台は昭和31年。

日本が敗戦から高度成長期へと変貌を遂げた時代だが、南方の戦場からやっと帰ってきたもう一人の主人公の水木が、鬼太郎の父と出会って変わっていく姿が興味深かった。

出世してお金持ちになりたい、人生で大切なものは地位や名誉、そしてお金。

最初は水木もそうだったが、鬼太郎の父と行動するうちに変わっていく。

金品や地位をチラつかせて命乞いをする金持ちに「くだらない」と吐き捨てるように言う水木。

作者の水木しげるさんの言いたかったことが、よく表れている部分だと思った。

人間の欲望は果てしなく、自然を始めとして大切なものを、どんどん破壊していった。

その自然の中にいたのが妖怪で、もっと可愛らしい言葉を使えば、妖精ともいうが、そうした妖精たちも自然破壊とともに数を減らしていったのではないかと思う。

そして今、妖怪や妖精、動植物だけではなく、自らも数を減らすために地球環境を破壊している。

つくづく愚かで非道だと思う。

ところで妖怪や妖精は、実際にいると思いますか?

すでにいると言う前提で、この記事を書いてしまっているので、今更言うこともないですが、私は間違いなくいると思っている。

もう何年前のことだが、自宅のお風呂に浸かっている時に、浴槽の角に20センチくらいのキツネを見たことがあった。

和服で袴をはき、上半身には武士が着けるようなカミシモを着ていた。

かしこまった姿で正座をして、ちょこんと座っているキツネに、驚いたと言うより興味があって、マジマジと見てしまった。

見ているうちに、それはすぐに消えてしまったが、今思えばあれは妖怪、、いや妖精と言われるものだったのではないだろうか。

太古の頃は、こうした妖精もよく現れていたのかもしれない。

その頃のようにもう一度、美しい地球に戻すことはできるだろうか。

それはきっと個人でも、力が無くてもできる。

一人一人が意識を変えること、本当に大切なものを、思い出すことなのではないか、、などと鬼太郎の映画を見ながら考えていた。

 


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