ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

なんも

2020-08-30 12:24:24 | 日記

うっかりやってしまった。

通販で商品を頼んだ時に、うっかり違えて留守の日を時間指定してしまった。

気づいたのは、帰宅してポストに入っていた不在通知書を見た時。

あーやっちゃった。もうばかばかばか、私のばか。

常々、再配達をしなければいけなくなった配達員さんが気の毒だなあと思っていたので、自分が頼む時は必ず自宅に居て受け取るようにしていた。

それなのに時間指定を間違えてしまうとは、、、

仕方なく不在通知書を見ながら、電話で再度の配達を申し込んだ。

そして再配達を指定した時間。

玄関前にトラックが停まる音がしたので、チャイムが鳴る前に玄関の灯りをつけて、さらにドアに手をかけてスタンバイする。

そして、チャイムが鳴るか鳴らないかで速攻ドアを開ける。

すると、目の前に頼んだ荷物を持った配達員さんが立っておられた。

すぐに「手間をかけてしまってごめんなさーい」とあやまると、「なんも、なんも」と配達員さんがおっしゃってくれた。

ちなみに「なんも」と言うのは北海道や東北地方の方言らしく、意味は「気にしなくて大丈夫ですよ」といったニュアンスで使う。

普段、私もよく使っている言葉なのだが、これが方言だと知ったのは数年前のことだった。

長く東京に住んでいる高校時代の友人と電話で話している時に、友人から「なんもなんもって、すごく懐かしくて癒される。いい言葉だねー」と言われたことがあった。

いつも何気なく使っている言葉だったので、友人にあらためてそう言われても、その時はあまりピンとこなかったのだが、今回は「なんもなんも」にとても癒された。

荷物を受け取りながら「本当にごめんなさいね。時間指定までしていたのに留守にしちゃうなんて」と再び配達員さんにあやまると、「なんもなんもなんも。いやー留守なんて珍しい事もあるなと思っていたんですよ」と配達員さんがおっしゃってくれた。

そこで「それがうっかり日にちを間違えていて、留守の日に時間指定しちゃったんですよ。本当にすみませんでした」

そう言うと、、、

「なんもなんもなんもなんもなんも」

なんと、なんもの五連発!続けて「何度でも来ますから」とおっしゃって帰って行かれた。

友人が言っていた通り「なんも」って、とても優しくていい言葉だなあ、、、と、配達員さんのたくさんの「なんも」を聞いて思った。

ところで、こうして言葉には救われたり癒されたりする事があるが、反対に言葉によって傷つけられることも多くある。

特に最近はネット上での非難中傷で、自ら命を立ってしまうという話も聞く。

私の好きな中島みゆきさんが子どもの頃に、産婦人科の開業医だった父親から言われた言葉があるそうだ。

「刃物で切った傷なら薬で治せるけれど、言葉で切った傷につける薬はない」

そう言われて「切る言葉があるなら、傷を治す言葉もあるのではないか」と思ったことが、中島みゆきさんの歌作りの原点になっているそうだ。

「なんも」は傷を治す方の言葉だな、、、きっと。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水と炎

2020-08-25 16:20:12 | 旅行

何年かぶりでキャンプをしてきた。

キャンプは、子どもたちが小さかった頃はよく行っていたのだが、大きくなってからはすっかり行かなくなっていた。

行かなくなった理由は、次女が虫嫌いでキャンプは行かないと言い始めたことや、長男が友だちと行くようになったことなどだが、一番の理由は年々夫と私が(キャンプは)大変疲れるようになったということ。

昔キャンプに行くと、いつもテントやタープの設営だけで体力の大半を使い果たした。

何度も設営しているはずなのに、なぜか毎年手順を忘れて四苦八苦する。

設営も大変だったが、それを片付けるのもまた大変で、次第にテントは張らずロッジに泊まるようになり、やがてキャンプは行かなくなった。

それが、なぜ今更またキャンプなのか。

それは、夫が再びキャンプに目覚めてしまったことと、長女の為に行く・・という理由がある。

長女は次女と違ってキャンプが好きだが、一緒に行く仲間がいない。

今も兄が友だちとキャンプへ行くのを羨ましそうに見ているので、ずっと連れて行ってあげたいと思っていた。

また夫が60歳を過ぎて再びキャンプに目覚めたのには、テントの進化がある。

今のテントは昔と違って、とても楽に建てられるようになったらしい。

ワンタッチテントとは一瞬にしてテントが広がるそうで、なんと2秒でテントが建つのだとか。

しかし2秒とは、いくらなんでも早すぎやしませんかと疑いの目で見ていたら、本当に2秒くらいでテントが広がって出現した。

ただしテントは現れたのだが、そのあと杭を打って紐で固定して・・・なんてことをやっていたら、20分くらいはかかるのではないかと思う。

それでも四苦八苦して建てていた昔に比べれば雲泥の差。これだけでずいぶんキャンプのハードルが下がった。

というわけで、簡単に建てられるテントを持ってキャンプ行ってきた。

行った場所は、穂別町営キャンプ場。

このキャンプ場がある「むかわ町」は、全長8メートルの恐竜(学名カムイサウルス・ジャポニクス)のほぼ全身の化石が発掘されたことで有名。

キャンプ場の中には、サヌシュペ川という名の小さな川が流れている。

浅瀬で澄んだ水がさらさら流れる川では、小さなお子さんたちが水遊びを楽しんでいた。

穂別町営キャンプ場に行ったのは今回初めてだったが、うちも子どもたちが小さい頃に来てたら、もっと楽しませることができたのに残念だったと思う。

さすがに26歳の娘は、もう水遊びはしなかったので・・・

それにしても大昔、この辺りにもカムイサウルスが歩いていたのかもしれないと思うとわくわくした。

ところでわくわくと言えば、もう一つキャンプでのお楽しみがあった。

それは焚火で、夫などは焚火がしたくてキャンプに目覚めたと言っても過言ではない(らしい)

そばを流れる川のせせらぎを聞きながら、焚火の炎をじっと眺めていると、不思議と心が静かに落ち着いてくる。

いつの間にか、家族三人無言になってひたすら炎を見つめていた。

炎を見ていると、いつの間にか無思考になっている。一種の瞑想状態というものだろうか。

それにしても、水と炎はひとたび荒れ狂うと非常に恐ろしいものだが、反対に人の心を癒してくれるのも水と炎だと言うのは不思議なものだと思う。

ところでこの日は晴天だったので星空が素晴らしく、天の川まで見えたのには感激した。

最初は億劫だと思っていたキャンプだったが、これはけっこうハマるかもしれない。

次はどこへ行こうかと、家族で話し合っている。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディカルウォーキング

2020-08-21 20:38:00 | 健康

普段、野山に囲まれた所で生活しているせいか、たまに都会(街の中心部)へ行くとワクワクする。

華やかでおしゃれな店が並び、ライトに照らされてキラキラ輝いているショーウィンドウは、見ているだけでも楽しい。

とは言えワクワク感も最初だけ。

次第に人波に疲れ、人工的な光に疲れてしまう。

たまに出てくる鹿を見ながら、家の周辺を散歩していた方がよかったと思ってしまうのは、歳をとったからだろうか。

ところがなんと、よく見ると歩いているのは高齢者が多い。(平日の昼間だったからかもしれないが)

杖を持った方もいれば、リュックを背負ってウォーキングスタイルの方もいらっしゃる。

特に地下歩道空間のチカホなどは、天候に左右されず歩きやすい事もあって、ウォーキングをするには絶好の道かもしれないと納得する。

また誰にも会わない野山を散歩するのとは違って、おしゃれにも気を使って歩くのも刺激になって良いかもしれない。

なんて事を思いながら、久しぶりに街中を歩きまわっていたら疲れた。

一緒に行った家族が万歩計を付けていて、歩いた歩数は一万歩だったそうだ。

ところでウォーキングでもリラックスして長時間歩くのでは負荷が少なく、筋肉が蓄えられないのだとか。

最近、筋肉を増やすことを目指しているので、せっかく長く歩くのなら筋肉がつく歩き方をしたい。

という訳で調べてみると、筋肉に効果的な歩き方と言うのが見つかった。

それはメディカルウォーキングと呼ばれているもので、腰からひねり、かかとから着地して、歩幅を広く、早足で3分、ゆっくりで5分の繰り返しを一日20分以上、週4日以上続けることだそうだ。

うーん、歩き方もさる事ながら、20分以上を週4日というのも難しそう、、、

でも年老いて寝たきりにだけはなりたくない、、、これはお姑さんや父の最期をみてそう思う。

歳を取って、寝たきりにならないポイントは筋肉。

筋肉を作るタンパク質をしっかり食べて、筋トレをして筋肉貯金を増やすことで寝たきりの予防ができるそうだ。

という訳でメディカルウォーキングも、次から意識してみようかと思いつつ、今日は疲れたので早寝しようと思います。。。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンさんの野菜

2020-08-18 14:00:08 | 日記

ご近所の方から野菜をいただく事が増えてきた。

「食べきれないから食べて」と言って持ってきてくれる。ありがたや、ありがたや。

家庭菜園で作った野菜が、そろそろ収穫時期を迎えたようだ。

我が家の庭でもミニトマトがどんどん色づき、今は無農薬の新鮮なミニトマトが毎日食べられるという幸せなのだが、残念なことに他の野菜のできが良くない。

ミニトマトとプランターで育てたリーフレタスはたくさん採れたが、他はダメだった。あとは青じそとパセリがボチボチ。

特に枝豆がダメで何がいけなかったのか、芽が出なかったのが大半で、何とか成長したものもあるが、実入りが良くない。

それからズッキーニも失敗。

これは植える場所が良くなかったのではないかと思っているのだが、カビが発生して、せっかくできた実が次々と腐ってしまった。

そんな訳で自家栽培は期待できないという状況のため、ご近所さんから採れたて野菜を頂くと本当に嬉しい。

今日もご近所のワンさんからゴーヤとトウガラシを頂戴した。

大きなゴーヤとトウガラシ。ぴかぴか光ってきれい。

ところでワンさんと言えば、これまで野菜を育てるのは私と同じく素人だったが、昨年から本格的に野菜作りを始めたそうで「野菜栽培の事を色々勉強している」と語っていた。

頂いた野菜を見てのとおり、勉強の成果は現れている。ゴーヤは食べきれないくらい実ったそうだ。

「ゴーヤ、炒めて食べたですよ。苦味が無くて美味しかったね。トウガラシも一緒に炒めて食べたけど、あまり辛くなかったですから、一緒に炒めてくださーい」とワンさんは教えてくれた。

ワンさんによると、中国では野菜は炒めて食べることが多いのだとか。

どおりでたまにワンさんの家のそばを通りかかると、家の中から炒め物の香ばしくて良い匂いが漂ってくることがある。

ワンさんも普段の料理は、ほとんど炒め物をするそうだが、すこし困った顔で「でも、娘が日本の料理の方が好きと言うね」とおっしゃった。

ワンさんの娘さんは、日本で生まれて日本で育った。

ワンさん同様とても優秀な娘さんで今は大学生なのだが、日本で育ったせいか、家族の中でも決して中国語を話そうとはしないそうだ。

三年前に本州の大学に合格して出発する前日、偶然娘さんと道で会ったことがある。

関西の大きな都市に行くという娘さんに、その街の印象はどうだったかと聞くと、「よかったですよ。でも中国人が多くて・・・」と、とても嫌そうな顔で言ったのにはちょっと驚いた。

「だって〇〇ちゃん(娘さんの名前)の祖国の人たちでしょ?」と言うと、きっぱり「違います」と言った。

「人種は中国人でも、心は日本人ですから。祖国は日本です」と言い切る娘さんに嬉しい気持ちがしたが、少し複雑な気持ちもあった。

彼女は、小さい頃から日本人になり切ろうと努力してきたのではないか。だから決して中国語を話そうとしないし、中華料理より日本料理の方が好きというのではないだろうか。

そう考えると、かわいそうになった。

「今度むすめが帰って来るね。だから日本の料理作らないと」と言ってワンさんは帰って行った。

大丈夫。久しぶりに食べるお母さんの料理は、何を食べても美味しいって思うよ。しかもお母さんの育てた新鮮野菜を使った料理なら尚更・・・そう言ってあげればよかったと後から思っていた。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市内観光

2020-08-14 12:13:43 | 日記

今、札幌では「さぁ!回ろう SAPPORO~見どころ施設無料化月間」と題して、市内の代表的な施設が8月末日まで入場料が無料になっている。

札幌時計台を始め、札幌オリンピックミュージアム、大倉山展望リフト、さっぽろテレビ塔展望台や美術館など10か所で、市民・道民以外でも無料で利用できる。

そこでさっそく行ってきた。

行ってきたのは「もいわ山ロープウェイ」と「羊ケ丘展望台」

もいわ山ロープウェイの方は、お盆時期と重なったせいか、駐車場から長い列ができているという混みよう。

やっと駐車場に入れたかと思ったら、今度はロープウェイ乗り場の建物の入口から外にまで長い列ができていた。

係員さんの説明によると待ち時間は、およそ一時間半だという。

「どうする?待つ?」と家族会議の結果、せっかく並んで駐車場に入ったので待つことにした。

その日は、晴天で外の気温は30度越えだったが、並んでいる方々は全員マスクをして、じっと耐えていらっしゃった。

たしか「マスク着用のお願い」という貼り紙があったので、仕方なくマスクをつけていたが、炎天下の中でのマスクというのは、想像以上に気持ちのいいものではない。

口の周りが蒸れてくるので、時々マスクを外してハンカチで拭いていたら、ちょうどマスクを外している時に、前に並んでいた女性と目が合って嫌な顔をされた。

さらには危ないウイルス保持者から距離を取るように、あからさまに前に移動したのには、ため息しかでなかった。(そこまで気にするなら、こんなとこに来るなと言いたいが・・・言えない)

インフルエンザが流行っている時でさえ、これほど過剰に反応することはなかったはず。

一体どうなってしまったのかと思うが、これまでの報道で恐怖心一杯になっているので仕方がないかと思う。予防するのに越したことはないのだし。

とはいえ、やっと乗ったロープウェイとミニケーブルの混んでいたことと言ったらなかった。

「密だ、密だ」と乗っていた誰かが言っていたけど、本当にそうだった。

混んでいるので、隣の人と密着して乗らなければならず、気にする方なら乗れないのではないかと思う。

もしも行かれるなら、時期と時間帯を考えて行った方がいいかもしれない。午後の方がすこし空いていたかも・・・

しかしロープウェイとミニケーブルカーを乗り継いで、やっと登った山頂は、風がとても気持ちがよかった。今度は、夜景を見に登りたいなんて思う。

そして別の日に行った「羊ヶ丘展望台」。こちらは、駐車場もスイスイ入れて、それほどの混雑はなかった。

広々とした草原の中、羊さんたちがのんびりと草を食む。のどかな風景。

そして園内のレストランでは、羊料理のジンギスカンが味わえる。

(羊を見ながら羊を食べるというのは、かなり複雑な心境)

羊ヶ丘展望台で有名なのが、こちら↓

「ボーイズ・ビー・アンビシャス」少年よ、大志を抱けのクラーク博士。

クラーク博士の像は、北大構内など他の場所にもいくつかあるが、有名なのが、この右手をあげている像。

これは意味があって「遙か彼方にある永遠の真理」に向かって、少年よ、大志を抱けということなのだとか。

この像の下では、像と一緒に写真を撮ろうと、たくさんの方が並んでいた。

それにしても面白いのは、写真に写るほぼ全員が像と同じポーズをするということ。

そして、ほとんどの男性はなんの恥じらいもなく、像の下に行くや否や右手をあげるのだが、多くの女性は右手をあげることを恥ずかしがっている。

これは、写真を撮るために待っている人の視線が恥ずかしいということだと思われる。(私ならそうだけど)

もしもクラーク博士が「少女よ、大志を抱け」とおっしゃってくれていたら、状況は変わっていたのかもしれない・・・なんてね。

というわけで、二つの施設に行ってきたのだが、なんだかすごく観光してきた感がある。

生まれてからずっといる街なのに、まるで遠くへ旅行に行ってきたような気がする。

そうか!

代表的な観光施設が無料になったのは、「札幌市民、道民は遠くに行かず、無料にしてあげるから近場で観光していなさいよ」ということなのかしらん。

とかなんとか、その辺はよくわかりませんが、まだ行ってみたい施設があるので、時期を見て行ってこようと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクササイズ

2020-08-11 22:11:28 | 健康

毎日のラジオ体操と週6日の筋トレは相変わらず続けているのだが、最近そこにボクササイズを加わえた。

ボクササイズと言うのは、ボクシングのパンチやフットワークを取り入れた運動で、エアロビクスのように音楽に合わせて身体を動かす。

全身を鍛えるのに良いことと、持久力はもちろん体力もつくそうだ。

鋭いパンチに軽快なフットワーク、、、と言いたいところだが、実際はヘナヘナパンチにリズムが掴めず時々よろけながらのフットワーク。(悲しい、、)

でも爽快感はかなりある。終わった後のスッキリ感はやみつきになるかも。

だから身体の為と言うより、この爽快感を感じたい為にボクササイズをやっていると言っても過言ではない。

実はずっと前からボクササイズに興味があって、ボクササイズをやっているボクシングジムに入ろうか迷っていた。

ところがホームページを見たら、いかにも強そうな強面のおじさんやあしたのジョーのような精悍な若者がパンチを打っている動画が載っていて恐れをなして入るのをやめた。

でもボクササイズはやりたい。

そこで自宅でもできないかと調べると、あったあった、、、、ネット上にボクササイズの動画がたくさんある。

その中から出来るだけキツくなさそうなのを選んでやり始めたのだが、始めてから数日間はかなりキツかった。もうヘロヘロのヨロヨロという感じ。

今は少し慣れてきて、何とか最後までやり通すことができるようになった。

ところで、なぜこんなに身体を鍛えるのか。

それは、最初は年々衰えてくる体力筋力を維持したいというのが理由だったが、今は精神面にも良いからという理由でやっている。

筋トレやボクササイズをした後のスッキリ感もそうだが、気持ちが前向きになるような気がする。

特に女性は更年期を過ぎると不眠やうつなどの症状に悩まされることがあるとか。

身体を動かすことで、そのような事が軽減されればと思う。

また来年はいよいよ還暦を迎えるのだが、60代は見た目や生活スタイルに大きく差がつき始める年代なのだそうだ。

見た目はある程度、からだの中と一致するので、60代でしっかり老化を食い止めることが70代、80代を健やかにすごせることにもつながるようだ。

というわけで暑い日が続きますが、水分を補給しながら汗を流す日々です。

シュッ、シュッ、シュッ(パンチ音)笑

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人

2020-08-08 20:24:01 | 日記

6月に乳がんの手術をした友人と久しぶりに会った。

元気な時は毎日のように庭仕事をしていたのに、手術前に会ったきり外に出ている彼女と会うことがなくなり、もしや具合が良くないのだろうかと心配していた。

しかし、今日は初めて外にいる彼女を見かけた。

彼女が外にいるということは、少し元気になったのではないだろうか。

そう思ったらもう嬉しくて嬉しくて、すこし離れた場所に居たのだが駆け寄ってしまった。(本当は抱きしめたいくらい嬉しかったのだが、彼女に何かうつしては大変なので、自制してすこし距離を開けた。。。)

満面笑みでバタバタと駆け寄って行く私に、心優しい彼女もまた笑顔で迎えてくれた。

彼女の話によれば、やはり体調が悪かったそうだ。

しかし、やっとすこし体調が戻ってきたらしい。

今は通院で放射線治療を受けているそうで、日光に当たってはいけないとか蚊に刺されないようになどの制約があって、戸外には出ないようにしているのだとか。

突然彼女が「見て。胸がなくなっちゃった」と言った。

一瞬見てもいいものだろうかと迷ったが、彼女が見てほしいというので見せてもらった。

彼女の胸は想像していたよりずっときれいだった。

傷跡もほとんど目立たない。

ただ身体に書かれた線だけが、彼女がいま闘病中なのだということをあらためて思い知らされる。

「放射線治療で皮膚の色が変わっちゃって」と彼女は言った。

そう言われるとかすかに肌の色が濃くなっていると分かるが、気にするほどではない。

とは言っても本人にとっては、とても気になることだろう。

そして焼けた肌の痛みはつらいことだろう。

副作用による身体のだるさは、私が思う以上にしんどいことだろう。

それでも彼女は終始笑顔を絶やさず、別れ際に「私は発見が遅れてしまったけど、今は治療法も進歩して初期なら簡単に治るんだって。だから検診は毎年行ってね」と言ってくれた。

今や二人に一人が罹るという癌。また癌の治療による副作用の辛さも聞く。

医学の進歩で治癒率は上がってきているのだろうが、やはり怖い病気には変わりない。

でも、将来は治る病気になるのではないだろうか。

また、そうなって欲しいと心から思う。

よく聞くのは、傷ついた細胞が癌化して増殖するのが癌なのだとか。

もしも癌化した細胞をすっかり取り替えることができたら・・・なんて、そんなことはとうに考えられているのだろう。

細胞を替えることができればどんな病気でも怪我でも治ってしまう。そうすると寿命は果てしなく伸びる。

ただ今の人類にとって、それが良いことなのかと考えると、決して良いとは言い切れない。

お金のために戦争を起こし、正しい発明や研究による進化を妨げる。

この状態で人類の寿命だけが伸びることは、地球上すべての生物にとって不幸だ。

混沌としたこの時代を抜けたあとにどんな時代が来るのか。

楽しみでもあり怖くもあるが、それは決して人ごとでは無い。

ひとりひとりの意識にかかっている。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑顔

2020-08-04 15:41:05 | 日記

年に一度、毎年夏に集まっている学生時代の友人達との集いが、今年は中止になった。

理由はもちろんコロナ。

再び感染者が増えてきたこともあり、大人数で食事会を開くのはどうかというのが皆の意見だった。

また東京から来る友だち二人が、今年は来ることができないというのが決定打になり「今年はやめましょう」ということで話はまとまった。

今回夫の方は故郷で友人と会ったが、それは友人の方から会おうと言ってくれたからだそうだ。

もしも言ってくれなければ、夫は友人とは会わなかったという。

同じ道内でも感染者数が多い札幌から感染者の少ない地域へ行くのは、気が引ける。万が一、会った後に友人が感染していることが分かったら、自分が移してしまったのではないかと思うからだと夫は言った。

コロナが流行り始めてから、みんな人と会うことに非常に敏感になったと思う。

知人や友人に会うのはできるだけ避けるようになり、どうしても行かなければいけない買い物や病院ではマスクが必須になった。

出かける時に財布・携帯電話のほかにマスクも絶対に忘れてはいけない物の仲間入りをしたのは、マスク無しでは入店お断りという店もあるからで、せっかく行ったのにマスクが無くて入れないのは悲しい。

マスクで自分を守ることはもちろんだが、最近ではどちらかと言うと他人の目を意識してマスクをつけることの方が大きいと、私自身は感じるようになってしまった。

ところで外出する時、唯一マスクをせずに出かけるのが近所の散歩で、周りは野山が多く、人ともあまり会わず会話をすることもない為マスクはしない。

また歩いて心拍数が上がってくると、マスクをしたままでは苦しくなる。

というわけで、今朝もマスクをせずに散歩へ行ってきた。

今日は、すこし遠くの公園まで歩くことにした。

着いた公園は歩く人の姿もなく静まり返っていたが、ちょうど入口から入ってくる親子連れが見えた。

ベビーカーを押して3~6歳くらいの小さな女の子二人を連れたお母さん。

ふたりの女の子は、それぞれ手に小さなバケツを持っていた。

「今日は暑いから水遊びかな?」と思いながら親子とすれ違った時、若いお母さんが笑顔で「こんにちは」と挨拶をしてくれた。

マスクをしていないのでお顔がよく見える。

親しみのある、とてもいい笑顔の方で、思わず私も笑顔になって「こんにちは」と言ったら、小さな女の子たちが口々に「こんにちはー」と挨拶をしてくれた。女の子たちも、とっても可愛らしくていい笑顔だった。

マスクをしていたらわからなかった笑顔だったかもしれない。

今後、この状況はどうなっていくのだろう。

もしかしたらこの先もずっとマスクでの外出や、人とは直接会って話をしないということが習慣になるのかもしれない。

そうしたら互いの顔が分かる状況で笑顔で挨拶を交わしたり、直接会って話をするということは、とても貴重で稀なことになるのかもしれない。

そんな未来にならないことを願いながら、あの親子の素敵な笑顔を思い出していた。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする