ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

水道水

2019-03-28 15:08:33 | 日記

進学で4年間、家を離れていた次女が水道水を飲みながら「う~ん水がおいしい!」と言った。

ところで水道水がおいしいと言ってくれた次女だが、いつからだろうか、自宅で水道水を飲まなくなって久しい。

夫はすぐに飲めるのが便利でたまに水道水を飲んでいるが、家族みんな大体いつもは災害時の為に買ってあるミネラルウォーターや浄水器の水を飲んでいる。

水道水が不味いと思ったことはあまりないが、買ってきた水や浄水器の水の方が身体にも良さそうだし美味しそうに思えるから、なんとなく水道水を飲まなくなってしまった。

確かに塩素の臭いはかすかに気になるが、日本の水道水は世界でもトップレベルの安全な水だとか。

水道水をそのまま飲める国は、世界中でもそう多くないと聞くと、水道水を飲むのを避けていたことがなんだか申し訳なく思える。

地域ごとに味の違いはあるが、日本中どこでも蛇口からきれいな水が出てくるなんて、本当はすごいことだったんだとあらためて思う。

ところで札幌市の水源は、冬の間に山や森に降り積もった雪。

市内を流れる豊平川上流の定山渓渓流からの水はとてもきれいなため、消毒の塩素はあまり必要がないそうだ。

雪解け水は、地面にゆっくりとしみ込んでミネラルを含んだ美味しい水になるのだとか。

そして、一年で一番おいしい水になるのがまさにこれからで、雪解けが始まった今の時期から初夏にかけてがミネラルが豊富で一番おいしい水だそうだ。

そうと聞けば、ぜひ味わいながら水道水を飲んでみようかなとも思う。

市内にある豊平峡ダム。もうひとつ定山渓ダムというのもあるのだが、ここから各家庭へ水道水となって流れてくる。

さて、水道水が美味しいと飲んでくれた次女だが、4月から地元で働くことになった。

次女は、やりたい仕事があると言ってずっと勉強していたのだが、最終段階でわかったことは勤務先が地元ではなく首都圏になるだろうという事だった。就活の面接で「片道切符ですが(帰れませんが)大丈夫ですか?」と聞かれて「大丈夫です」と答えたものの悩んでいた。

何年かしたら地元に戻れるだろうと考えていた次女にとって、片道切符というのは予想外のことだったらしい。

何日も部屋にこもって悩んだ末、次女が出した答えは「地元で働く」ということだった。

決めた当初はまだ未練があったようだが、今は吹っ切れたように4月から始まる社会人生活に向けた準備や中高生時代の友だちと会ったりと楽しそうにしている。

親としては正直ホッとしているのだが、これから自宅から通うと言っているので、私もまだまだ食事作りに励まねばならないかな・・・

さて、暖かくなったらダムを見せに次女を連れて行こうかな。

「これが美味しいと言った水道水の元だよ」と教えてあげよう。

 

 


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知らなかったもの

2019-03-25 14:47:16 | 日記
ソファに座り本を読んでいた時のことだった。

足を組んで座っていたのだが、本からふと目をあげると組んだ足の膝から白い煙が立ち上っているのが見えた。

まるでお線香の煙のように一筋の白い煙が膝から出ている。

それもかなりの量の煙がモクモクと出ていた。

「なんだーこれは?もしかして足が火事?」

訳の分からない現象を前にして、ただただボー然と見ていること5秒くらい。

突然、白い煙は消えて見えなくなってしまった。

何?何?今のは何?

頭の中は、はてなマークで一杯だった。

その当時、室内では煙の出ているものは何も無かった。

お線香も焚いていなかったし、お湯も沸かしていなかったし、熱い飲み物を飲んでいたわけでもない。

私も家族もタバコは吸わないし、家でひとり私はただ本を読んでいただけだった。

とにかく見回しても煙が出ているものは周囲には見当たらなかった。

おかしいなぁと思いながら、そういえば以前、自分の手の指先から同じような白い煙がシューっと勢いよく噴き出しているのを見たことがあるのを思い出した。

この白い煙は誰の指先からも出ている。

これは普段は見えないが、見ようと思って意識を集中すると見ることができるし、きっと見える人はたくさんいらっしゃるのではないかと思う。

一時期、自分の指先から渦を巻くように立ち上って行く煙が面白くて、時々見ては楽しんでいたが、そのようなことをしなくなってからもうずいぶん経つ。

多分、見過ぎて飽きたのだと思う。

見ようと思う気さえ起らなくなった。

しかしながら、自分の膝から同じような煙がモクモクと上がっているのは初めて見た。

それも意識を集中するようなこともせずに見えるのは初めてだった。

足のヒザは手の指先よりも大きいので、白い煙の量も立ち上る高さもずっと大きい。はっきりと煙だと分かる。

だから、けっして夢や幻ではない。

これは何なのだろう?よく「気」というのは聞くが、それなのだろうか?

今まで知らなかったものが自分から出ていることを知ってしまうというのは、たかが煙であってもちょっとした衝撃だった。

そういえば長男が1歳後半だった時のこと。

まだオムツをしていた長男のオムツが汚れたので、替えようとオムツを外したところ、長男はオムツが取れて解放感を感じたのか、お尻を出したまま逃げ出してしまった。

オムツを持って急いで長男を追いかけたら、長男は急に下を向いて立ち止まってしまった。

どうしたのかな?と思って見ていると、長男は下を向いたまま叫んだ。

「なんだーこれは?」

長男の視線の先には長男の股間があり、そこには小さな可愛らしい生殖器がついていた。

生れてからずっと大人にオムツを替えてもらっていたので、長男は自分の身体を見ることはなかった。

というか、まだ自分の身体という認識もなかったのかもしれない。

生れて初めて見る自分の生殖器に、長男はびっくりしたようだった。

そのあとも長男は「なんだ、なんだ?」と言いながら、いつまでも不思議そうに見ていたのを憶えている。

その時の長男も、今の私のように自分の身体から自分の知らなかったものが出ていることに衝撃を受けたのかもしれない。

ありゃりゃ・・・白い煙の話から長男の話にと話が逸れてしまった。

とにかく、このようなもの(白い煙)が身体から出ているということも、いずれは長男の股間に生殖器がついていたことと同じくらい当たり前の事として認識される時代がくるのかもしれない。

あれ以来、私のヒザやその他から白い煙がモクモクと出ていることを見ることはないけれど、なんだかとても面白い時代になってきたなぁと思う。

今まで見えなかったもの、認識されなかったものが次々に目の前に現れるようになる時代がもうすぐ来るのかもしれない・・・なんてね。








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彼岸の入り

2019-03-18 15:22:28 | 日記
朝方、久しぶりに父の夢を見た。

父は困ったような顔をして、私に話しかけてきた。

父からたくさん話をしてきたのだが、その中で非常に印象に残っているのは、「死んでみて、今生きている時にしたことをとても後悔している」ということだった。

「自分は我が強すぎた。他人の言葉に耳を傾けることをしなかったことを後悔している」ということを父は話していた。

確かに生前の父は、他人に対して少し見下すような所があり、会話でも一方的に話しまくるという、最も会話したくないタイプの人間ではなかったかと思う。

夢の中で後悔していると言いながら話す父の言葉を聞きながら、私もまた「困ったなぁ」と思っていた。

「今頃そんなことを言われてもなぁ。もう過ぎたことだしなぁ。でもどうにかしないとなぁ」
と思っていた。

生きている時、そんな父が嫌だと思っても、子供として親に忠告するようなことはできなかった。

またできたとしても、それを言うことで父を傷つけてしまうことが嫌だったから、また始まったかと思いながら、一方的に自分の話しかしない父の話を黙って聞いていた。

他人には何でもズバズバと物言う父だったが、内面はとても繊細な人だったから、一応、大好きな父だったので、苦々しく思うことはあっても父を傷つけるよりは黙っている方が気持ち的には楽だった。

生きている時に、ちゃんと言ってあげればよかったのだろうか?

いやいや、やっぱりできなかったなぁ・・・

夢の中で、父が話す後悔しているという事を「うんうん」と聞いている途中で目が覚めた。

まだ夜が明けきらない暗闇の中で、布団に横になったまま、今見た夢の事を思い返すと、父の困ったような顔がやけに鮮明に思い出された。

「そう言えば、今日は彼岸の入りじゃなかっただろうか」とふと思った。

母が亡くなったのも春のお彼岸の最中で、もうすぐ母の命日が来るのだが、それに合わせて、いつもあげているお線香よりも長い長寸のお線香を買っておいたことを思い出した。

そのお線香を早く父にあげたくて、明るくなるのが待ち遠しかった。

今朝の父の夢は、単なる夢でしかないのかもしれない。

しかし、こうして父の事を思い出していると、すぐ近くに父がいるような気がする。

父の場合は、早くに亡くなった母と違って87歳という寿命を全うしたと思っているので、私たち家族にとっては未練も後悔もないのだが、父本人が後悔しているのであればなんとかしてあげたいと思う。

たとえ、これが私の思い過ごしの夢であったとしても、父が困った顔をすることなく笑顔になれるまで供養をしたいと思う。

今日はお彼岸にふさわしい春の陽気。

この陽気で雪解けも一気に進むだろう。

私も亡くなってから後悔をしないように前へ前へ進もう・・・そう思ったお彼岸の入りでした。








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人間的魅力

2019-03-14 16:27:28 | 日記
「人は死なないんだね。いや正確に言えば魂は死ぬことなく、ずっと生き続けるんだね」と夫が言った。

突然なにを言い出すのかと思ったら、あーた、そんなマニアックなことを・・・驚いた。

夫と言えば、結婚してからわかったことは超現実主義者だったということで、夫曰く「非科学的なことは一切信じられない。えっ?幽霊はいるかって?自分が見たことがあれば信じもするが、見たことも無いのだから信じられない」と言っていた。

それが年を追うごとに変わっていき「幽霊?いるかもしれないし、いないのかもしれない。あの世?あるのかもしれないし、ないのかもしれない」というように意識に変化が表れ始め、ついに昨日は「魂は生き続けるんだね」の発言になった。

ここまでの道のりは長かった(涙)

なーんてね、別に私が夫を洗脳しようと思ったことはないのだけれど、夫自身が科学では証明できないことを目の当たりにしたり、自分の父親の死に直面したりして意識が変わって行ったのだろう。

と言う私も、若い頃から魂は生き続けると思っていたのかと言えばそうではない。

そのような世界は私にはわからないことだったし、だからと言って自分で調べるほどの興味もなく、また幼い頃に不思議なことを言うと親に叱られるので、そんなことを口に出すのは恥ずかしいことだという刷り込みがあった。

それが少し変わったのは、母が亡くなってからで、母恋しさから神経が研ぎ澄まされると、母がそばにいることを感じることができるようになった。

母を想い出す時、どこからもなく漂ってくるお線香の良い香り。あぁ今そばにいるなと思った。

本当に困った時、これは実家の家族のことに限られるのだが、母が夢を使ってメッセージをくれた。

すると不思議なことに、その後すぐに問題が解決していった。

またさらに不思議な事では、第三者にもはっきりとわかる形で写真に映ったことがあって、この時は「これ、お母さんも頑張ったんだろうなぁ」と、写真にまで出てきてもらったことが申し訳なく思った。

写真に出てきたのは、やはり家族を心配してのことで、母を失い私たち残された家族の悲しみが、あまりにも大き過ぎることを心配して、「身体は無くなっても、ここにいるよ」という事を伝えるために渾身の力で?写真に映ってくれたのだと思う。

そして、それがさらに変わって行ったのは、やはり先祖供養をするようになってからだと思う。

自分にしかわからない気づきがたくさんあった。

供養を続けるうちに夫が言った「人は死なない。魂はずっと生き続ける」ということが、徐々に揺るぎのない確信になっていった。
(ちなみに夫も、信じられないことに昨年秋から先祖供養と神祀りをするようになった)

そう確信することで何かが変わるの?と聞かれたら、見た目は何も変わらないと思う。

見た目は何も変わらないが、人間としての深みや優しさが出てくる。

これは自分自身のことではなく、夫をずっと見てきて感じることだ。(ノロケではなく)

人間としての深みがある人は男女ともに魅力がある。

実際に会わなくてもブログなどに書かれた文章を読むと「この人は魅力的な人だな」と思うことがよくある。

逆に有名人のことをボロクソに言い合って、自分のストレスを解消するようなサイトなどを覗くと、まるで地獄のような雰囲気を感じる。

人間的魅力は微塵もなく、感じるのは悪意のある薄笑いをした顔、顔、顔。

まるで地獄の底からの阿鼻叫喚を想像してしまう。

魂は死なずに生き続けるものだと仮定すると、この方々は死後も同じような地獄世界で罵詈雑言を言い合っているのだろうと思う。

その方々には、なにか満たされない想いがあるのかもしれない。

なにか辛いことを抱えているのかもしれない。

かと言って、それを他の人間がなんとかしてあげることはできない。

自分で気づいて一歩一歩進んでいくしかないのだろうと思う。

まさに今、私も夫も一歩ずつ亀の歩みよりも遅く、ゆっくりと歩いている最中だから。

本当は別の事を書くつもりでいたのに、今日はなぜか途中で別の方向に行ってしまったような気がする。
まあいいか・・・









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旅行者

2019-03-11 16:02:21 | 旅行
週末に登別温泉へ行ってきた。

今回は次女の卒業と就職のお祝いを兼ねての旅行で、次女が行きたいと言っていた登別第一滝本館へ泊まった。

ところで、こちらのお宿はお風呂がすごい。

何がすごいのかと言うと、まずその広さで男女の浴室を合わせて広さはなんと1500坪あり35もの湯船がある。

そして数が多いのは湯船だけではなく、泉質の数が五種類もあり、これは日本の10ある泉質の半数を占めるのだとか。

もちろん源泉かけ流しであり、泉質が良いので入浴後は、はっきりと違いが分かるほどお肌がすべすべになる。

またお風呂からの眺めも良く、男湯からは宿の目の前にある地獄谷を見ることができるそうだ。

(残念ながら女湯からは地獄谷は見えませんので、地獄谷の一部を写真に撮ってきましたが、実際の地獄谷は遊歩道がありかなり広いです)



週末という事でホテルは満室状態で、大浴場はかなり広いのでさほど混んでいるようには感じなかったが、ロビーや宴会場などは大勢のお客さんであふれていた。

ところで大勢のお客さんだが、そこから日本語が聞こえてくることはあまりなくて、聞こえてくるのは中国語、韓国語、そしてたまに英語が少々といった感じで、特に中国と韓国からの観光客が多いようだった。

宿のエレベーターに乗った時に、ドアを開けて待っていてくれた年配男性に「すみません。ありがとうございます」と言ったら、「やっと日本人に会えた」と喜んでもらえて複雑な気持ちになった。

その方がおっしゃるには、宿の中は中国人と韓国人ばかりで、日本人客はいないのではないかと心細くなっていたそうだ。

今は日本中の観光地はどこも同じなのかもしれないが、こうした有名な観光地は日本人より外国からの観光客の方がずっと多いように思える。

登別温泉は中国や韓国などからの観光客が多かったのだが、同じ道内でもニセコは欧米人が多いと聞く。

スノーボードを持ってニセコへよく行く長男によると、「あそこはもう日本とは思えない」という。

歩いている人達もお店の店員さんもみんな外国人で、外国へ来たような錯覚をおぼえると言っていた。

確かに外国から観光客が来てくれることで、観光収入などで地域の活性化や経済効果が期待できるのだろうし、特に北海道は外国からの観光客を積極的に誘致しているので、そういう意味では成功しているのかもしれない・・・が、日本人が少ないのは、エレベーターで会ったおじさんじゃないがさみしさも感じる。

ただ一時期よく言われていた外国人観光客のマナーの悪さだが、今回の宿泊ではそのようなことを感じる場面はなくて快適に過ごすことができた。

というか、マナーが悪いのは日本人でもいるので・・・

ところで今日は忘れられない3・11東日本大震災の日。

8年前の3月11日。

その日の早朝に、青森に向かう夫と長男を駅まで送って行ったことを憶えている。

一浪の末、晴れて大学に合格した長男の入学手続きの為に青森に向かった夫と長男だったが、まさかその日の午後に、あのような大惨事が起こるとは予想もせず、長男をはじめ家族みんなが上機嫌で迎えた3月11日だった。

青森も揺れは大きかったそうだが、幸い被害は少なかったものの水道や電気、また交通網がすべてストップしてしまい、一体なにが起こっているのか、二人ともしばらくの間、状況がわからなかったらしい。

携帯電話の充電が切れ、大学から非常食用にもらっていたおにぎりを食べてしまうと、旅行者でもあった夫と長男は避難所へ行くことをせず、映画「サバイバルファミリー」のように帰宅することを選んだ。

そして途中で公衆電話を見つけると、電話をかける為に並んでいる人たちの長い列に加わって、私に電話をかけてきた。

私はインターネットを見ながら、動いている交通機関を探して夫と長男に知らせ続けていた。

当時は函館までの列車も運休していたが、奇跡的に動いた列車に乗ることができて帰って来ることができたが、これはまだ国内であったからで言葉の通じない外国でこのような状況になったらどうなっていたのかと思う。

実際に昨年9月の胆振東部地震では、外国人観光客への避難誘導の対応ができないとか、避難所へ入ることを断られた観光客もいたとか。

非常事態の時に多くの観光客をどうするのかということも、これからの問題なのかもしれない。

とはいえ、多くの命が犠牲になったあの日。思い出すと、また悲しくなる。

多くの方と同じように、私も3月11日を決して忘れることはないだろう。






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シコを踏む

2019-03-07 16:01:41 | 健康
しばらく太ももの軽い痛みが続いている。

病気などのせいではなくて、単なる筋肉痛なのだけど。

これまで自宅のスクワットマシーンを使って筋トレをしていたのだが、マシーンを使わずにやってみたらどうだろうと思い、四股スタイルでスクワットをやってみたところ、これがマシーンを使うよりずっと効いた。

スクワットマシーンでは50回やっても筋肉痛になることはなかったのに、初めて四股スタイルでスクワットをした時は、5回ほどしかしていないのに翌日には座るのもつらいほどの筋肉痛に襲われた。

今は慣れてきたせいか、もう少し回数を増やしても大丈夫だが、毎日続けているせいか、常に軽い筋肉痛がある。

とは言え、この筋肉痛も今や心地よい痛みにかわってきた。

やり始めると、どんどん身体を動かしたくなってきて、最初は四股スタイルのスクワットだけだったのが、今はお相撲さんのように片足ずつ上げて四股を踏むこともやるようになった。

テレビでお相撲さんの四股を見ると、綺麗に足が上がって安定感がある。

なんだか自分にも意外と簡単に出来そうな気がしたのだが、観るとやるとでは大違い。

片足を高く上げることもできないどころか、足を上げただけでよろけてしまった。

筋力の無さなのか体幹の衰えなのか、多分どちらもなのだろう。

でも毎日続けていると、少しずつよろけない日が出てきたことはうれしい。

まさに継続は力なり?

実は、これはあまり口外していなかったのだが、父方の祖父の叔父が本物のお相撲さんだったと伝え聞いている。

祖父の叔父さんなので、私は会ったこともないのだが、お相撲の北海道巡業の時に叔父さんに会ったという祖母の話によると、あまりの大男に腰を抜かすほどだったとか。

祖父は私が幼い頃に亡くなったのでよく覚えていないのだが、写真で見る限り骨格のしっかりとした体格に見える。

また父に関しては、間違いなく大男だと思う。

さらに、その娘である私の妹は、神社のお祭りの時に行われていた「子ども相撲大会」で毎年優勝するほどの猛者だった。(私は大きい割にやせっぽちの虚弱体質だったため、いつも初戦で敗退していましたが・・・)

やはり血のつながりで、どこか体格も行動も似ているのかもしれない。

ところで先祖にお相撲さんがいるという事は、ふだん話題にすることはないのだが、何かの話のきっかけで話したことがあって、その話をすると必ずと言っていいくらい聞いた人が笑った。

「お相撲さんがいる?な~るほど・・・だから家族みんなが大きいのね」
(実家の家族は親兄弟みんな大きい。大男と大女)

口には出さないが、そう思って笑っていることは想像に難くなく、だから恥ずかしくて口に出さなかったということがある。

しかし今は大きかろうが小さかろうが、そんなことはまったく気にならなくなり、それよりもこの身体を最期までどうやってもたせようかとの方が気になる。

そのためにもシコを踏むことは、自分に合っているし最適だと感じる今日この頃なのだが、それはさておき、最近はわくわくとした心が弾むような気分が多くなった。

もしかして毎日シコ踏んでいることも関係があるのだろうか・・・

というわけで今日もまた、顔も知らない祖父の叔父さんを想いながら、床を踏み抜かないように気をつけながら、シコ踏んできました。






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同期

2019-03-05 13:03:16 | 日記
何年ぶりだろうか。

学校を卒業してすぐに就職した会社員時代の同期から電話をもらった。

当時、たくさんいた同期の中でも親しくしていたのが彼女だったが、私が結婚退職してから数回会ったものの子供が生まれてからはほとんど会うこともなかった。

ちょっと緊張している声で「○○です」と言った彼女の声は昔と変わらず若々しく、すぐにそれが彼女だとわかった。

「久しぶりに同期会をすることになったのだけど来ない?」というお誘いだった。

私たちの同期の中でまだ会社に残っているのは、男性の同期たち。

そして、女性の同期はほとんどが結婚退職して、会社に残っているのは電話をくれた彼女ともう一人くらい・・・だと思っていたら、なんと彼女は去年退職をしたのだと言う。

60歳の定年まであと少しなのになぜ?と驚いたが、理由については「親の介護と仕事の両立が難しくなって」という事だった。

今は一人暮らしをしている90歳を越えたお父さんの所に毎日のように通って、家事を含めた介護をしているのだそうだ。

「でも父としか話さないと、自分がボケてしまうような気がするから、集まりには積極的に顔を出そうと思っているの」と言い、実はこの同期会も彼女が幹事役なのだとか。

積もる話をしているうちに会っていなかった長い時間は無かったかのように、まるであの頃のように会社のお昼休みにご飯を食べながら話しているような感覚になった。

徐々に昔に戻って打ち解けてくると彼女が教えてくれた。

「会社を辞めた理由、介護もそうだけど、まだあるんだ」

「そうなの?」

「ほら、この年齢になると会社では同期とか数年の入社の違いなら差が出て来ちゃうじゃない?」

「差って?」

「役職の差とかお給料の差。真面目に働いてきても、結局、私は会社にとって必要とされていない人間なんだって思っちゃったのよね。そう思ったら、もういいかな~と思ってね」

彼女が辞めようと思ったのは最近のことではなく、何年も前からずっと考えていたのだそうだ。

彼女の場合、仕事を辞めてもお金の心配がないことと、養う家族がいないことも早期退職を決断した理由なのだと思う。

「で、辞めて気持ちがラクになったのだけど、生活が落ち着いてきたら、これから何をすればいいだろう?と思うようになってきてね。失業手当をもらうためにハローワークに行って思ったんだけど、私って長く会社勤めをしていたけど、実はな~んにもできなかったんだなってことを思い知ったわ」

会社では長く事務仕事をしていた彼女だが、事務系の仕事はもう就く気はなく、思い切り別の事をやってみたいと思っているそうだ。

「でも、まずは家の中の片づけかな」と、電話の向こうで笑いながら言った。

今までは、仕事と介護で毎日が精一杯、ヘトヘトになって部屋に帰ってくる生活で、ここ数年の間は自分の家を片付ける気力さえ湧かなかったそうだ。

「孤独死して発見されて、その時にこんな汚い部屋を誰かに見られたら恥ずかしいって思うようになったの・・・でも死んだら意識がないわけだから、恥ずかしいなんていう想いも無いんだろうけど」

そう話す彼女に「そんなことないよ。死んでも意識は残ると、私は思うよ」と言いそうになって言うのをやめた。

彼女の言った「孤独死」という言葉、そのあと何度も彼女は「孤独死」という単語を口にしたことが引っかかっていた。

賢い彼女の事だから、ちゃんと考えているとは思うが・・・

たくさんおしゃべりをして、最後に「同期会は行けないけど、こんどは昼間にお茶しようね」と約束して電話を切った。

今度は電話ではなく、会ってたくさんおしゃべりをしたい。






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