ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

旅日記②

2022-03-29 16:34:22 | 旅行

旅日記の続きです。

美味しいカレーと五平餅と甘酒で英気を養い、街歩きを満喫した岐阜をあとに名古屋に戻って来て一日目を終了。

明日はいよいよ伊勢神宮だと思うと、わくわくで眠れなくなりそうだったが、疲れたせいかすぐに眠ることができた。

さて翌日は申し分のないほどの晴天で、よく寝たせいか体調も良く、ついに伊勢神宮だと思うと嬉しさが込み上げてくる。

家を出てからずっと心の中でつぶやいていた感謝の言葉を、また呟きながら伊勢神宮の外宮に向かった。

外宮に着いたのは午前10時前と決して早い時間ではなかったが、思っていたよりずっと人出が少なく、想像通り伊勢神宮の中は清々しい気で満ちていた。

正宮の前に立つ時にゴオーという音と共に突風が吹いたので驚いたが、それもまた神聖で、かつ畏れ多い気がした。

とにかくとても気持ちが良くて、参拝後もしばらく正宮の鳥居の前にいたら、参拝を終えた夫に「何を願った?」と聞かれた。

「何も願っていないよ。感謝しただけだよ」と言うと、突然夫がハッとした顔になり「もう一度、参拝し直して来るわ」と言う。

どうしたのかと思ったら「さっきは我欲てんこ盛りで願い事をたくさんして来てしまった。もう一回行って感謝だけしてくる」と言って、夫は参拝の仕直しに行ってしまった。

これまで地元の神社へ行っても、夫はいつも感謝だけしかしていなかったのに、伊勢神宮ではここぞとばかり願い事をたくさんしたそうだ。

何時間もかけて日本で一番有名な神社へやってきて、これが最初で最後の参拝かもしれないと思うと、たくさんのお願い事をしたくなるというのもわかる気がするが、、、

きっと夫と同じような人は、大勢いるのだろうなと思う。

外宮前からバスに乗って内宮に着いたら、時間帯のせいか、とても多くの参拝客で賑わっていた。

鳥居をくぐり大勢の方々と一緒に参道を歩いて行ったのだが、徐々に身体が重くなってきてしまった。

昨夜はしっかり休んだはずだけど、疲れが溜まっているのだろうか、、、と思いながら五十鈴川で手を洗ったら少し楽になった気がした。

ここでずっと川を見ていたいと思った五十鈴川。身心が洗われるようだ。

さて、とにかく正宮に行かなければと、また参道を歩き始めたのだが、身体の重さは相変わらずで、ついには頭痛までし始めてしまった。

ここは神域なのにおかしいなあと思いながらも、体調が悪くて徐々に無言になる。

やっと正宮前に来たら、夫が写真を撮るから鳥居を前に並べという。

その頃には頭痛がますます強くなっていたので、写真は撮られたくなかったのだが、渋々並ぶと横にいた女性が「写真撮りましょうか」とご親切に言ってくださった。

せっかくおっしゃってくれたので、家族で並んで写真を撮ってもらうことになったが、頭が痛くて笑顔もひきつってしまった。

写真を撮り終わり、やっと正宮を参拝。

手を合わせ感謝を述べたら少し頭痛が治り、しばらく正宮前で休んだらすっかり治ってしまった。

アレは何だったのだろうと、今でも思う。

ホテルに帰って撮ってもらった写真を見たら、私だけ肩から首にかけて黒いものが写っていたので、もしかしたら単なる影かもしれないが、すぐに削除した。

不思議なことに旅行中、体調が悪いと思ったのはこの時だけで、あとは元気に過ごせたので、かなり気になってしまった。

とはいえ、伊勢神宮は神聖で別格だと思う。またぜひ参拝させて頂きたいと思う。

きれいなつがいのニワトリさん。最後に会えて良かった。


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旅日記①

2022-03-27 21:28:46 | 旅行

楽しみにしていた伊勢神宮へ参拝と観光へ行ってきた。

23日の早朝に家を出て、昨日26日の夜に帰宅という三泊四日の旅だったが、心残りなく十分に満喫した旅ができた。

満喫し過ぎて疲れがなかなか取れず、ずっと眠い、、、

さて一日目は、名古屋で電車を乗り継ぐと、まっすぐ岐阜へ向かった。

岐阜は夫もまだ行ったことがない土地だそうで、夫婦ともにぜひ行ってみたかった。

車窓から見える景色が、北海道とはまるで違うのが興味深い。

瓦屋根の家並み、細い道、そして黄色の実がなっている庭木と黄色い菜の花。

住んだことはないのに、どこか懐かしいと感じる景色を見ているうちにあっという間に岐阜駅に着いた。

到着したのがお昼だったので、まず向かったのはカレーとアジアン料理のお店「ラサマンダ」

安心安全な食材と調味料を使っているそうで、味も美味しいと評判が高いく、岐阜へ行ったら是非行ってみたいと思っていたのだが、食べてびっくりのカレーだった。

いくつかあるカレーの種類の中から二つを選び、辛さを聞かれて「普通」をお願いした。

でてきたカレーは、辛いのが苦手な私や長女でも平気で食べられる辛さで、味の方も評判通りとても美味しかったのだが、驚いたのは食べ終わった後。

お腹の方から頭に向かって徐々に熱さが昇ってくる。これは初めての経験だった。

カレーは辛くなかったのに、額にはうっすら汗まで出てきて、身体中がぽかぽかしてくる。

私と同じように感じたのが長女で「お腹から温かくなってきた」と言う。

この日、長女は生理痛があったのだが、なんとカレーを食べた後に痛みが嘘のように消えたそうだ。

「またカレーを食べに岐阜に来たいなぁ」というほど長女は気に入ったようで、いつかまた食べに来たいと思うが、かなり遠いので、できれば北海道に支店を出してほしいと思う、、、無理か。

さて店を出たあとは、行きも徒歩だったが、帰りも徒歩で駅まで戻った。

いつものようにGoogleくんの道案内で行ったのだけど、どうしていつもGoogleくんは、ディープな道ばかり教えるのだろうと思う。

まるでそこの住人のように住宅地の細い通りを歩き回り、決して団体旅行では見ることのできない景色に出会い、とても楽しかった。

さて駅に戻ると市内を走るバスに乗り、昔の町並が残ると言われている川原町へ行くことにした。

ところでバスの中からみた町の風景もまた懐かしかった。

個人でやっているような小さな本屋さん、薬屋さん、文房具屋さんを見ることができる。

これは本州では当たり前の風景なのだろうか。

今から50年くらい前、小学生の頃は札幌にもたくさんあったが、今は大型店ばかりになって、そのような小さなお店はほとんど姿を消してしまった。

大型店は便利だけど、やっぱりこのような小さなお店のある風景が好きだなぁと思う。

下は川原町の景色。時代劇のセットのよう!

川原町を通り過ぎて、岐阜公園まで歩き、それから金華山ロープウェーで岐阜城を見学したが、歴史でさらっとしか習っていない織田信長のことが詳しく説明されていて面白かった。

見学した後は、前より少し織田信長さんが身近になった気がした。

そして、たくさん歩いて一休みに頂いた甘酒と五平餅。美味しかった〜

上の写真が甘酒。お茶碗に入って真ん中にお箸が一本。

お茶碗に入っているというのも面白いが、箸が真ん中に置かれているというのも面白い、、、

はて?どうやって飲むべきかと考えた。

このように置かれているからには、何か作法があるのかもしれない、、、

まずお箸で仕切られた片側から口をつけ、さらに半分お茶碗を回して、別の方から口をつけるとか?

甘酒を前にして色々と考えていたら、横で夫が言った。

「箸で混ぜるんだろ」

多分、夫が正しいと思う。。。

風情のある場所に行ったので、特別な飲み方をするのかと思ったわ。

というわけで、まだ旅は続くのだけど、長くなるのでまた今度。

 


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楽しい計画

2022-03-22 15:31:59 | 日記

子どもの頃から何か楽しい予定があると、楽しみ過ぎて前日は眠れないということがよくあった。

例えば修学旅行。

もう楽しみで楽しみで、前日はほとんど眠れないまま朝を迎えて参加した。

しかし、ほとんど眠っていないのだから、あとから眠くなる。

寝台列車で夜中までおしゃべりをして過ごす予定だったのが爆睡してしまい、気がついたら朝だった。

「いくら起こしても全然起きなかったんだから」と、後で友だちから言われて落ち込んだのは遠い昔、、、

しかし、それは今も変わっていないかもしれない。

前日どころか数日前から、楽しみで楽しみでよく眠れないのだ。

ついに伊勢神宮へ行くことになってから、寝不足が続いている。

伊勢神宮は、これまで何度か行く予定を立てたことはあったが、一度も実現しなかった。

それはコロナの流行で止めたこともあったが、それ以上に自分の中にどうして行きたいという熱い想いが湧いてこなかったというのが、正直なところかもしれない。

だから、まだ行く時期じゃないんだなと思っていた。

やはり伊勢神宮は特別な場所。

熱い想いが湧いてこないのに、物見遊山で行っては失礼だという考えがどこかにあった。

しかし、今年になってからふつふつと行きたい気持ちが湧いてきた。

コレコレ、この熱い想いを待っていたんだーと一人で盛り上がっていたら、それを察したのか、はたまた偶然なのか、夫から「休みが取れたから伊勢神宮へ行くか?」という提案があった。

もちろん二つ返事で賛成した。

行くと決まってからは、伊勢神宮について書かれたネットの記事やガイドブックや写真集などを見て勉強している。

せっかくなので、今まで行ったことがない県も観光しようと計画をしているが、旅の計画を練るのはとても楽しい。

もしかしたら、旅をしている間より計画を立てている時間の方が楽しいかもしれない。

というわけで、ここ最近ずっと寝不足が続いているが、せっかくのお伊勢参りなのに、寝不足でふらふらしながらの参拝をしたくない。

なんとか今晩こそは熟睡したいと思っている。無理かな(ウキウキ。。)

 

 


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肩の力をぬく

2022-03-18 15:56:38 | 日記

お彼岸なので、納骨堂のあるお寺へ行ってきた。

持ってきた花を花瓶に生けようと給水場へ行くと、すでにお二人の女性が花を生けていた。

そして、そばにはお坊さんがいて、三人でにぎやかにおしゃべりをされている。

「こんにちは」と三人に挨拶をしてから、おしゃべりには参加せず花を生けていたのだが、近くで話しているので三人の会話が聞こえてくる。

「この前、三回目打って来たんですけど、混んでいてすごく待たされました」ひとりの女性がそう話すと、お坊さんが「私は○○病院で三回目を打ったんですが、すぐに打ってくれましたよ」とおっしゃった。

すると、別の女性も「あら、私も○○病院で打ったんですよ。早くてよかったですよね、あの病院」と続けた。

二人の話を聞いていた女性は、「じゃあ、四回目はその病院で打つことにしようかな」とおっしゃったのには、思わず(四回目も打つんかーい)とツッコミを入れたくなった。

とはいえ、これは私の考えなので、自分の意見が正しいのだと相手に、、それもいい歳をした大人には、押し付けるようなことはしてはいけないと自分を戒めている。

私は専業主婦なのであまり他人との関りはないが、でもこれが同じ職場で、このような会話がされていたら、私はどのように会話に参加していただろうと思う。

三人の方々は、さらにどこのメーカーを打ったかということまでおしゃべりされていた。

もし会話に参加していたら、当然、私も聞かれるだろう。

聞かれる前に、その場を離れられることができればよいが、それができなかった場合、「打っていない」と言うべきか「打った」と噓をつくべきか。

嘘はつきたくないので、「打っていない」と答えるだろう。

それを聞いた三人は、目を丸くして一斉に後ずさりして・・・とか、花を生けながら想像がふくらんでしまった。

最近では、みんなコロナの話題も飽きてきたようで、打ったとか打たないとか、そんなことは会話に上らなくなった気がしていた。

テレビでコロナをやっていても「また同じこと言ってる」と思う人が増えて来たように思う。

しかし、それに代わって今は戦争のことが多くなった。

内容はほとんど同じで、ロシア(プーチン)は残虐で頭がイカれている悪党であり、ウクライナは正義であり、かわいそうな被害者だという報道。

今朝のラジオで、海外のニュースからプーチンは「生粋の悪党だ」と言ってるのを聞いて、思わず笑ってしまった。「生粋」って、英語でなんというのだろうかと・・

ウクライナの庶民は、本当に気の毒でたまらない。

とにかく早く戦争が終わってほしいと願うばかりだが、コロナの時の報道もあって、どうも素直にメディアの言ってることをそのまま受け取ることができなくなってしまった。

昔から日本人は、特に古い世代の道民はロシアが嫌いな人が多いので、どこをどうみても悪いのはロシアとしか思えない人が多く、そんな時に「自分は中道だ」なんて言ったら袋叩きに合うかもしれない(冗談)

今はあまりメディアを観ず、難しいけど感化されず、自分の心を守ろうと思う。

・・・で最近笑ったのが、こちらの写真

これは私が用意した朝食のおかず。

種類ごとにきれいに並べたはずなのに、いつの間にか顔ができてる~!

犯人は夫で、遅くまで寝ている長女のお皿のおかずをいたずらしたらしい。

ちなみに朝は忙しいので、朝食は作り置きしたものをお皿に並べている。

この時は、大根とさつま揚げの煮物、ブロッコリーの塩昆布和え、茎昆布の煮物、紅大根の酢漬け、にんじんとレーズンのサラダだった。

これに卵料理をつけたりスープをつけたりする。また主食はご飯でもパンでも家族の自由にしている。

くだらないと言えばくだらないことだが、クスッと笑うだけでも肩の力が抜けていく。

 


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二匹のキツネ

2022-03-14 15:20:55 | 日記

窓の外を見ていたら二匹のキツネがいた。

二匹も同時に見るなんて珍しい。

キツネを見かける時はいつも一匹だけだったが、どちらを見ていたのだろう?

多分両方だったのかもしれない。キツネという括りで見ていたので、見分けがつかなかった。

でも実際に二匹を比べると、違いがはっきりとわかった。

全体的にふっくらとしたキツネは丸顔で、まだ幼さが残る顔をしている。

そのキツネに比べて少し痩せて小さめの方は、毛並みからして歳をとっているように見えた。

見ていると、年上のキツネが何か獲物を捕まえたらしいのだが、それに気づいた若いキツネが、獲物を奪おうと年上キツネに向かって突進していった。

二匹はぎゃんぎゃん鳴きながら取っ組み合いをしていたが、あっという間に勝負はついて、若いキツネが獲物を奪った。

年上のキツネは、それを奪い返しに行くわけでもなく、またエサを探して歩き回り、エサを探す年上キツネのそばでは、若いキツネが悠々と獲物に食らいついていた。

キツネに聞いた訳ではないが、この二匹は親子ではないかと思う。

巣立ち前か巣立って間もなくなのかは分からないが、親キツネは子キツネに獲物を盗られても仕方がないか、、とでも言ってるように見える。

これまで親キツネは、子キツネに何度も餌を運んで育ててきたのだろう。

大きくなって独り立ちして、ついに親の獲物を奪うまでになった。

「お母さんキツネ(もしかしたらお父さん?)は痩せていて可哀そう、、少しは分けてあげなさいよ、今まで育ててもらったんでしょ?」と思うのは人間だからなのか。

野生動物の世界は、なかなか厳しい。

でも人間世界であってもキツネ以下の親は多いし、親の獲物ならぬ資産を狙って酷いことをする子もいる。

そういう意味では、野生動物より人間の方が始末が悪いかもしれない。

ところで「長男は親の面倒をみるのが当たり前だ。早く一緒に暮らそう」と、顔を見るたびにご主人の親からそう言われているという知人が、暗い顔をして話してくれた。

うちもそうだったが、田舎の人は子どもは親の面倒を見るのが当たり前だと思っている人は多く、一緒に暮らせば老後は安心だと思っている。

でも昔はそれが当たり前だったが、今は違う。

子どもは自分の生活で精一杯だし、昔と違って老人が家でする仕事は少ない。

果たして、突然一緒に暮らしても幸せなのだろうかと思う。

一人で暮らす孤独より、家族の中で感じる孤独の方がつらいのではないだろうか。

でもそれは決して他人事ではなく、うちはまだ先の話と思っても、いずれそれは訪れる。

できれば最後まで子どもに頼らず、自力で暮らしたいと思っているが、それには健康でいることが第一。

そして健康と同じくらい大切だと思うことは、孤独であっても、いや、、逆に孤独であるからこその楽しみを見つけて、幸せに生きる術を身につけることではないかと思うようになった。

とかなんとか、二匹のキツネちゃんから話が飛躍してしまったが、やっぱりキツネは可愛いわ、、、と思う。

 

 


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胃カメラ

2022-03-10 17:38:06 | 健康

健診の胃カメラ検査で病院へ行ってきた。

それにしても病院は混んでいた。

9時半の予約で、名前を呼ばれたのは一時間後の10時半。

患者さんの殆どは高齢者だが、このような時期に病院で健診を受けるのはまずかったかしら、、、と後悔したが後の祭り。

申し込んでしまったので受けるしかない。

実は、今回は少し眠くなる鎮静剤を使ってもらうことにしていた。

昨年まではなんとか鎮静剤なしの通常健診で受けていたが、今年はなんとなく自信がなかった。

もともと喉が敏感でうがいをしても吐き気がするのだが、ここ最近はずっと決死の覚悟で鎮静剤なしの胃カメラを受けていた。

その時々によってとても楽な時と、もう二度と受けたくないと思うような辛い時があるのは、担当医師の腕の違いなのか、自分の体調のせいなのかわからないが、どちらにしろ本当は胃カメラなんて受けたくない。

しかし、どの医師からも毎年受けた方が良いといわれているので仕方がない。

というのは、既に治っているが過去に慢性胃炎で胃の内部にその痕跡が残っていることと、母方の家系に胃がんが多く、母も胃がんで亡くなっているというのが理由。

母の苦しむ姿を見ていたので、胃がんだけはなりたくない。

さてやっと名前を呼ばれて検査室に入ると、まず腕に点滴をつけた。

何を入れているのかと点滴の袋に書かれた文字を読むと、生理用食塩水と書かれていた。

しばらくその状態で待機した後「胃の中の泡を消す薬です」と看護師さんから渡された紙コップ半分ほどの液体を飲んだ。

周囲を見回すと、私と同じように点滴を腕につけた方が数名いて、鎮静剤を使う人が他にもたくさんいることに少しホッとした。

昔の軍隊じゃないけど、胃カメラごときで鎮静剤を使うなんて恥ずかしいと思っているところがちょっぴりあったので、そうではなかったことがわかって良かった。

ちなみに鼻から入れるカメラの場合は、もっと楽にできるそうなので、鎮静剤を使うのは口からの胃カメラが多いのだと思う。

そうしているうちに次々に点滴をつけた人が、胃カメラ検査室に呼ばれて行く。

救いなのは、検査室の中からオエ〜っと言う声が聞こえてこないことと、看護師さんの励ます声が聞こえてこないことで、鎮静剤のおかげで、楽にできているんだなとわかって安心した。

しばらくすると、私にもお迎えが来た。

看護師さんが喉に麻酔薬を吹きかけてくれて、点滴を持ったまま検査室へ入り、「少し眠くなりますよ」と言いながら、点滴の中に鎮静剤を入れてくれた。

イメージでは、すぐに意識を失うくらいの眠気がくるのかと思っていたが、いくら待っても眠くならず、その状態で胃カメラ検査が始まってしまった。

喉を通る胃カメラの苦しさは、鎮静剤を使っていない時より少しマシだったが、これくらいなら使わなくても大丈夫だったかもしれない、、、ということを検査中ずっと考えていた。

というわけで、胃カメラ検査は無事に終わり、終わった途端、急激な眠気に襲われて、もうちょっと待ってから検査をして欲しかったと、薄れる意識の中で思っていた。

鎮静剤のおかげで気持ちよく寝た後は、医師からの説明があり「異常はありませんでした。じゃあ、また一年後に受けてください」と言われた。

あ〜やっぱり受けた方がいいのか、でも受けたくない、、、一年後に胃カメラを受けるべきか否か、終わったばかりなのにもう葛藤が始まっている。

ところで余談だが、医師の説明を受けるために一緒に待っていた女性から話しかけられた。

その方は、毎年あらゆるがん検診を受けているそうで、この胃がん健診が終わったら、次は大腸カメラを受けるそうだ。

がん検診だけでお金もかかるし、時間もかかるんだけどね。でも怖いから毎年受けてるの。去年から今年にかけて、周りで元気だった人が三人も癌になって、あっという間に亡くなったの。お酒もタバコも飲まない人ばかりだったのに、ショックだったわ」

うーん、、、やはり胃カメラは受けようかなと気持ちが傾いている。

 


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心の声

2022-03-07 08:32:37 | 日記

テレビもネットも、それから読書もやめて一人静かな時間を持つようにしている。

目を閉じて呼吸に意識して、自分の心の声に耳を澄ます。

最初は、気になっていることや夕飯のおかず何にしようとか(これはしょっちゅう)浮かんでくるが気にしない。

また時には気持ちよく寝てしまうこともあるけど、それも気にしない。

ひとときだけ自分の内面に意識を向ける。

自分の真我が、何を発しているのか知るために。

こうしていると、その時は何も浮かばなくても、何かしている時にふと気づいたり、夢で教えてもらったりすることがある。

そして真我が教えてくれる事は、大抵自分も他人も嬉しくなることで、自分の利益だけのためであることは無い。

例えば、過去に自分がしたことで本当は謝りたい人がいるけど謝っていないとか、優しい言葉をかけてあげた方が良いのはわかっているけど、かけてあげられないとか、普段は忘れていることでも、真我はそれをずっと覚えている。

こうした事をいざ実行しようとすると、易しいようでとても難しい。

特に家族や親しい友人なら尚更、照れや意地があってできない。

会社の上司に対しても、時期を逃すと気まずくて謝ることができない。

でも勇気を出して、真我に従ってみると、心の中に天国が現れる。

自分が期待していたような反応が、相手から返ってこなくてもかまわない。

勇気を出して行動した自分自身に納得できる。

そして心の底から喜びが溢れてくる。

ごく私的なことなので、ここに書くことはしませんが、自分に起こった出来事から思ったことを書き綴ってみました。

 

 


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同じ一日を過ごすなら

2022-03-02 16:52:26 | 日記

現在の我が家の庭は、子どもがそり遊びできるくらいの雪山ができている。

今シーズン除雪をしてせっせと運んだ雪の山。

こんなに運んだのかと思うと感慨深い・・・

というわけで、庭で野菜や花を育てるのは、雪が融けて暖かくなるまで、あと二か月は待たなければいけない。

そこで今は、家の中で野菜を水耕栽培している。

と言っても、わざわざ苗や種を買ってくるわけではない。

おかず用に買った野菜の捨てる部分を、水に漬けておくだけなのだけど、これがまたちゃんと収穫できるのだから、今まで捨ててしまった多くの野菜がもったいなかったと思う。

今育てているのがこちら↓

とても分かりにくいが、水耕栽培ではおなじみの豆苗、大根の葉、そしてえのきの寄せ植え。

えのきは初めての挑戦だが、切り口をよく見ると小さなえのきが出てきているような気がする。

温かい室内に置いているため、水は毎日取り替えているが、水を替える度に成長しているのが確認できて、それを見ては、ささやかな喜びをかみしめている。

どんな小さなことでも喜んだり笑ったりすることが、日常生活の中ではどんなに大切なことなのか・・・

それをあらためて教えてもらったような気がするできごとがあった。

友だちから届いたというメールを、夫が見せてくれた。

そこには「同じ一日を過ごすのなら、少しでも多く笑っていたいよね」と書かれており、友だち自身がいたずらをしたという写真が添付されていた。

自宅トイレの便器に細工をして、なんと便器が可愛らしい動物になっていた。

それを見て、思わずクスッと笑いが出てしまった。

他にもどこで見つけてくるのかユニークな写真の数々や、時にはお手製の料理の写真なども送られてきて、夫の友だちから送られてくるメールが、私までも楽しみになっている。

夫の友だち(男性)は、五年前に癌に罹った。

これまで何度か大きな手術を乗り越えて、今のところ再発は無いが、それ以来いつまで生きられるだろうかと自分の命の期限を意識して生きるようになったそうだ。

海外に支店がいくつもあるチェーン店の経営者で(業種を書くと分かってしまうので)東京都心にビルも持っているそうだ。

元気な時は、仕事で海外を飛び回っていたが、病気をしてからは、自宅で療養しているのか、在宅で仕事をしているのか不明だが、こうして楽しいメールを度々送って来てくれる。

夫曰く、友だちは仕事の話は一切しないそうだ。

そのかわり「コロナ終わったら、ハワイで一緒にヨットで遊ぼうぜ」などという誘いが頻繁にくるらしい。

夫の学生時代の友だちとはいえ、どこでどう道が違ってしまったのか、うちはハワイでヨット三昧できるほど余裕はない。

でも夫は誘ってくれる友だちの言葉が嬉しくて、「ハワイでヨットか~行きたいなぁ」とにこにこしている。

そんな時の夫の幸せそうな顔と言ったらない。

夫の友だちは自分を楽ませるだけではなく、他の人まで楽しくさせてくれる。

見習うことばかりだと、夫の友だちのメールを見ながら思う。

 


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