ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

サバイバル

2018-08-31 15:46:29 | 日記
2017年に公開された映画「サバイバルファミリー」のDVDを借りてきて観た。

思っていた通り面白かった。(あくまでも私の感想)

ストーリーは、東京で暮らすごく普通の一家が、ある日突然電気が止まり、それまで当たり前に電化製品に囲まれていた生活が一変するという所から始まる。

公共機関が動かなくなり、ガス電気水道が止まる。

スーパーからは飲み水や食べ物があっという間に無くなり、常備していた食料も底をつく。

やがて食べ物や飲み物が残っている店に人々が列をなすのだが、そこは物々交換の世界であり、もはやお金もブランド品も通用しない。

またお金で買えたとしても、考えられないほどの高い値段がつけられていた。

そこで一家は東京を脱出して妻の実家がある鹿児島を目指すのだが、飛行機が動かないので、仕方なく自転車で行くことにする。

しかし、そこからがサバイバルで、川の水を飲んでお腹を壊したり、お腹が空きすぎて放し飼いになっていた豚を捕まえたり。

そんな一家と同じように食べるものを求めて田舎を目指す大勢の人々の中で、まるでこのサバイバルを楽しんでいるような家族に出会う。

その家族は食べられる野草や飲むことのできる湧き水を知っていて、まるでアウトドアのキャンプを楽しんでいるかのようだ。

非常時さえも楽しんでいるような家族とは対照的に、一家はどんどん悲惨な状況になっていくのだが、それまで関心があるのは自分の世界だけで家族には無関心だった大学生と高校生の子どもたちが、少しずつ変わって行くのがよかった。

片時もスマホを手から放そうとしなかった大学生の息子はスマホを捨て、わがまま高校生だった娘は徐々にたくましくなっていく。

そしてなんとか鹿児島へ辿り着いて・・・あとはネタバレになるので書きませんが。

このような世界がまったく来ないとは限らない。

その時、自分ならどうやって生き抜くことができるのかと考える。

とりあえずあるだけの野菜や魚を天日干しにして、少しでも長く持たせるようにするか・・・

それから、野菜を植える?
いや、苗が売っているとは限らないし、野菜が育つまで待っていられない。
やはり野山へ入って食べられる野草を摘んでくるかな。

水は川から汲んできて、煮沸消毒してろ過してから飲むとか・・・

映画に出てきたアウトドア一家のように、楽しむ気持ちにまでなれるかはかなり疑問だが、それでも何とか生きようとするだろう。

そして一家の子どもたちが変わっていったように、我が家の娘も変わるだろうか。

我が家の娘、次女は映画の大学生と同じで、片時もスマホを手放さない。

友人からのラインが入るようで、頻繁に確認しては返信している。

「えーい!うっとうしい!どうでもいいような話してるんじゃないっ!いちいち返事を打ち返すな!」

何度口から出そうになることか・・・(でも、言えない)

相手に簡単に連絡を取れるようになったことは、非常に便利な世の中になったと思うが、若い人たち(もしや中高年もだったりする?)がずっとスマホを見ている姿は、あまり生命力に溢れているようには見えないなぁ。
な~んて、時代の流れについていけないおばさんの戯言と言われるかもしれないけどね。

そして、望むものがほとんど手に入る暮らしに慣れ切った我が家のこどもたち、そして私自身も含めて、時々こんなサバイバル生活を仮定して暮らしてみるのも悪くないかもと思ったりもする。

でも、猛反対の声がたくさん聞こえてきそうですが(笑)

食べるものに不自由のない暮らしに感謝です。




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なつかしい友人

2018-08-27 16:56:52 | 日記
近所のスーパーへ買い物に行ったら、向こうの方から見たことのある女性が歩いてきた。

きっと向こうもそう思ったのだろう。こちらをじっと見つめながら歩いてくる。

もうすれ違うと思うくらいの近くになった時に、その女性と私は、ほぼ同時に気が付いた。

「〇ちゃんだよね?」と私が先に声をかけると、「そう、えっ、そうなの?」と女性が答えた。

きゃ~懐かしい!なんと彼女は小学校の時の友だちだった。

子供の頃、彼女とは家が近くだったので、一緒に通学もしたし、お互いの家を行き来して毎日のように遊んでいた。

だから、お互いの親から姉弟に至るまで知っていたし、書道教室も一緒に通っていたくらい仲良しだった。

それが中学へ進んで別々の友だちができると、特に喧嘩したわけではなかったが、徐々に距離が開くようになり、高校短大は別だったので、以来ずっと音信不通になっていた。

しかし、こんな所で、こんな年齢になって、ばったりと再会するとは思わなかった。

それにしても50年近く会っていなくても、人ってわかるものなんですねー。

小学校時代の面影がそのままで、一瞬にして小学生の頃に戻ったようだった。

彼女と少しだけ立ち話をしたのだが、今日は一人暮らしをしている91歳のお母さんの家へ行ってきたそうだ。

「91歳で一人暮らしができるってすごいね」と言いながら、小学生の頃に彼女の家へ遊びに行くと、いつも昆布茶を出してくれたおばさんの顔を思い出していた。

静かな口調でお話をする優しそうなお母さんだったっけ・・・

「うん、でもね、もう母も私も限界よ。私としては母に施設に入ってもらいたいのだけど、母がうんと言わないの。(死ぬまで)あと少しだから、このままでいいわって言って。あと少しって言いながら、ずっときているけどね」と彼女は困ったように笑った。

どこもかしこも、同年代の人たちはただいま親の介護真っ盛りのようだ。

それからお互いの両親の事や、姉弟の事、現在のことなど簡単に報告し合った。

明るく話す友人にも、会っていなかった長い時間の中で、もしや苦労もあったのだろうと思う。

「そうそう一緒に行ってた書道教室は、もう昔の面影もなくすっかり変わってね、ビルが立ち並んでるよ」と教えてあげると、「ほんと?もう行っても分からないかもね」と友人は驚いていた。

「人生あっという間だね~」と言うと、彼女も「ほんの少し前に小学生だったような気がするけど、驚くほど早かったね、人生あっという間!」と言って一緒に笑いあった。

そして、最後にまた会おうと約束をして別れた。

人生あっという間・・・20代30代の頃は思わなかったが、50代も半ばを過ぎると、ますますそう思うようになった。

先日は家事をしながら、自分でも思ってもいなかったような感情が湧き上がって来た。

「人生を生きるのはおもしろい。飛び上がるほど喜んだり、お腹を抱えて大笑いしたり、胸が引き裂かれるほど嘆き悲しんだり、頭から湯気が出るほど怒りに震えたり、そんないろいろな感情を味わうことのできる人生を、生きることはおもしろい」

「こんな多くの感情をもう一度味わうことができるのならば、死んだ後にまたこの世に生まれて来たいと思うかもしれない」とも思った。

これは私にとって考えてもいなかったことで、少し前までは「こんな苦しい人生、もう一度最初からやり直せると言われても二度とごめんだ」と思っていた。

今、冷静になってみても、やはり「もう一度赤ちゃんに戻って、同じ人生を生き直すのは嫌だな」と思う。

あの時の自分の心情は一体何だったのだろうと思うが、ほんのちょっぴりだが、人生を生きることは楽しくておもしろいと思えるようになった自分もいる。








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お姑さんのこと

2018-08-22 14:49:22 | 介護
高齢になり、いろいろな事が難しくなってきたお姑さん。

最近では、料理の火の始末が心配になってきた。

もともと料理をするのが好きな人なので、火が危ないから料理をするなと言ってもなかなか聞き入れてもらえない。
私が家にいる時ならばいいのだが、外出時に火事になったらと思うと心配でお姑さんが自宅にいる時はできるだけ早く帰るようになった。

また失禁の問題もさらに多くなり、お姑さんの部屋に入ると異臭がすることが多い。

「自分で始末をしている」と言うのだが、果たしてどのように始末しているのか・・・

女性はいくつになっても女性で、シモのことは隠したがると、介護を経験した先輩が言っていたが、息子である夫にはもちろんだが、私にも失敗したことは教えてはくれない。

そこで紙パンツの着用を勧めているのだが、やはり頑として受け入れてはくれないのが困りものだ。

また、以前とは変わってきたのが顔の表情で、最近とてもきつい表情をするようになった。

そんな表情を見せた時は、また何かを私に盗られたと思っているのかなと憶測して気が滅入る。

「物が無くなった」と言ってもらえれば一緒に探すこともできるのだが、頭から私が盗んだと思い込んでいるので、こちらも難しい。

「また言ってるわ」と、あきらめるしかない。

そこで夫と相談して、たまには夫の姉たちの家へ泊りがけで遊びに行ってもらったらどうかという事になった。

実の娘の家に遊びに行けば、お姑さんの気分も変わるだろうし、娘たちから紙パンツを履くように勧めてもらえば、お姑さんも受け入れるかもしれないという淡い期待もあった。

しかし、二人の姉たちはお姑さんを預かることに難色を示した。

実の母親とは言え、長く一緒に暮らしていないので、家に来るとなったらどうなることかと不安に感じたのだと思う。

これは私もじゅうぶん理解できるので、断られても当然かと思った。

あの時・・・何から何まで介助が必要になった実父を自宅に預かることができたかと言われたら、やはり二の足を踏んだと思う。

お姑さんは父よりもずっと元気で、お風呂は無理だがトイレだって失禁はあるがスイスイ一人で行けるのだが、それでも自宅に高齢の母親がいるというだけで、今までとは違う不自由さが起こることは明らかだ。

お姑さんの介護の問題点は、失禁はたまにあるものの身体的な介護ではなく、時々突拍子もないことをするので目を離せないという事と、同じ話が延々と繰り返されるマシンガントークを聞いていなければいけないということだろうか。

「ショートステイを利用したらどう?」と義姉に言われて、ケアマネージャーさんに聞いたところ、高齢者のショートステイは、空き部屋のある特別養護老人ホームを利用するのだとか。

私も介護の資格を取る時に特別養護老人ホームで少しの間働いたことがあるが、まだまだ元気なお姑さんが見たら「絶対にここには入らない」と言うだろうと思う。

もちろんほとんどの特養の施設はきれいだし、職員さんも優しいのだが、入所している方々はお姑さんよりもずっと症状が重いので、お姑さんがショックを受けるのではないだろうかという心配があった。

ケアマネさんも家族が長期で旅行へ行くとか必要に迫られてじゃなければ、気分転換に行かせることはしない方がいいとおっしゃった。

「それでしたら、グループホームへの入所も検討してみたらいいと思います」とのことで、いくつかのグループホームのパンフレットを頂いた。

グループホームとは9人ほどの少人数で認知症の高齢者が共同で暮らしている施設だ。

父が入っていたサービス付き高齢者住宅は、まだ自立できている高齢者が入る施設なのだが、グループホームは認知症だという診断をもらっていなければ入ることはできない。

お姑さんの場合、自立は難しいのでグループホームになるのだが、それには病院で認知症の診断書をもらってこなければいけなかった。

グループホームに入所という事になれば、短期ということではなく余生をそこで暮らすことになる。

まだ元気だという自負があるお姑さんは、絶対に施設は嫌がるだろう。

そこを無理に入所させてもよいものかと悩んだ。

しかし夫が「もう限界が近いかもしれない。今すぐじゃなくても、近いうちに入所を考える時期は必ず来るから」と言うので、とりあえず診断書をもらう為に病院へ行った。

「何を診てもらうの?」と不審がるお姑さんを連れて、夫と私が付き添いケアマネージャーさんに紹介してもらった病院へ行った。

そこで認知症かどうかを調べる検査をいくつか受け、結果は夫と私が聴いた。

医師からの診断は「中度後半から重度の認知症」とのことだった。

そんなに重いの?というのが正直な感想だった。

すると医師は「一緒に暮らす家族というのは慣れてしまうのと、親がそんなに重いわけはないという思い込みで、まだそれほどでもないと思ってしまうんです。でも検査結果はかなり進んだ認知症です。施設の入所を考えてもいいと思います」とおっしゃった。

私の隣で話を聴いていた夫が、ショックから呆然としているのが分かった。

医師には最近のお姑さんの様子を細かく説明したのだが、顔の表情がきつくなったのも認知症の症状のひとつで、「疑心暗鬼」の妄想がそのようにさせるのだとか。

診察室へお姑さんが入った時にすぐに分かったそうだ。

診察室で一体なにをされるのかというお姑さんの疑心暗鬼が、そのような表情に現れたらしい。

医師は私の方に体を向けると「お嫁さん、よく頑張りましたね」とおっしゃった。

こんな時、涙のひとつでもこぼれるのだろうかと思ったが、涙の代わりに湧き上がって来たのは「まだそんなに頑張っていない」という想いだった。






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認知症予防のための9つの習慣

2018-08-18 12:31:03 | 日記
父やお姑さんが認知症になり、元気だった頃には考えられないようなことをしたり、また当たり前にできていたことができなくなるのを見ていると、私も他人事ではないと思う年齢になった。

認知症は脳の生活習慣病と言われているそうで、認知症を遠ざける為の9つの習慣というのがあるそうだ。

これらの習慣は国内外の研究で予防効果があったと証明されたものなので、やってみる価値はありそうだ。

習慣その1

日常生活の中で有酸素運動をする。
ウォーキングなどの有酸素運動をすると、神経細胞に働きかけるBDNF(脳由来神経栄養因子)が増えて、認知症が発症しにくくなる。
ちなみに買い物や通勤など日常生活の中で40~60代なら1日5000~1万歩、70代なら5000歩以上、80代以上なら4000歩以上歩くのが良いそうだ。

習慣その2

1日3食バランスよく食べ、血糖値は低めにキープする。
これはちょっと意外で、私など最近はますます食べられなくなって、一日2食でいいわと思っていたのだが、ポイントはバランスよく3食食べるということで、例えば朝食を抜いて昼食にたくさん食べると、血糖値の乱高下を繰り返して、脳の神経細胞にダメージを与えるそうだ。
つまり少量の食事でもバランスよく分けて食べて、血糖値を急上昇させないことが大切ということだろうか。

習慣その3

筋肉をしっかりつけて転びにくい体にする。
転倒して頭を打ったことによる脳のダメージが、将来認知症を引き起こす可能性もあるそうで、スクワットなどをして日々筋肉をつけることが大切。
また65歳以上になったら、肉や魚などのたんぱく質を多めにとることも大切だそうだ。

習慣その4

お酒はほどほどにして、喫煙は厳禁。
赤ワインなどの適度な飲酒はまだしも、過度な飲酒は脳の前頭葉を委縮させアルコール性認知症を引き起こす。
また喫煙は言うまでもなく体に悪い。神経細胞や血管にダメージを与え、認知症の原因となる。


習慣その5

自分の歯は15本以上残そう。
東北大学が70歳以上の高齢者を対象に行った調査では、認知機能が正常な人は14・9本、認知症の疑いのある人は9・4本で、自分の歯を失った本数が多いと認知症になりやすいという結果になったそうだ。ちなみに父は自分の歯は4本程度で、お姑さんに至ってはゼロという状況です。

習慣その6

生きがいを作り、いくつになってもときめくこと。
趣味やボランティアなど、楽しみながら続けられる生きがいを持つと、脳が活性化されて認知症の発症を遅らせる効果があるそうだ。
特に予防効果が高かったのが、フォークダンスや社交ダンスで、これらは異性と交流しときめきながら楽しめるということで効果が大きいそうだ。


習慣その7

仲間とのコミュニケーションで脳を活性化する。
人とのコミュニケーションは脳への刺激となり、脳内のネットワークを活発にする。
人との交流が多いと、すでに脳にアミロイドβが蓄積されていても、認知症の発症が遅いという報告があるそうだ。
やはり趣味やボランティア活動などを通して、人と交流することが大切なんですね。

習慣その8

ぐっすり眠って脳内のゴミを除去する。
アルツハイマー認知症の原因物質であるアミロイドβは、眠っている間に脳の中で掃除されて蓄積が抑えられる。

習慣その9

薬の副作用に注意する。
薬によって、あるいは複数の薬の相互作用によって、認知症と間違えるような症状を引き起こすことがあるそうだ。
抗不安剤や風邪薬などで薬剤誘発性認知症、薬剤性せん妄と呼ばれる状態になることがあるそう。
注意が必要な薬は以下。
ベンゾジアゼピン系の抗不安剤や睡眠薬・パーキンソン病の治療に使われる抗コリン薬・風邪薬やアレルギーの薬に含まれる抗ヒスタミン薬・シメチジンなどの一部の胃潰瘍薬または胃腸薬・ステロイド剤・抗うつ薬。

認知症を遠ざける習慣のポイントは、生活習慣を改善して脳をいたわること。そして、適度な刺激を加えて脳をいじめることだそうだ。

認知症になると、どうしても周囲の人に迷惑をかけるので、そうならないように今からできることはやっていきたいと思うが、それにしてもフォークダンス、社交ダンスが効果絶大だとは知らなかった。

フォークダンスはまだしも、社交ダンスというと私の身長に合うパートナーを見つけるのが難しいかもしれない。

ヒールのある靴を履いたら175~6センチくらいになるしね・・・それ以上の身長があるおじいさんを見つけるのが大変かもしれない。

いっそ宝塚のように男役になってみようか・・・





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父の話

2018-08-15 16:36:42 | 日記
明け方近く、久しぶりに父の夢を見た。

父が86歳で亡くなった時には痩せて身体が小さくなり、どこからみても立派な老人だったが、夢に出てきた父は60代前半くらいまで若返っていて、昔から見慣れているがっしりと大きな身体をした父だった。

夢の中で父は、元気だった頃に好んで着ていた水色のポロシャツとベージュのスラックス姿で、にこにこしながら何か話をしていた。

私は長い時間、父と話をしていたような気がするのだが、話の内容はまったく思い出せない。

しかしあまりにリアルな夢で、目を覚ました瞬間も部屋の中にまだ父が居るような気がして、父の姿を探してしまった。

父の夢の余韻はとても心地よかった。父の笑顔だけが鮮明に脳裏に残っている。

今年の春に実家を片付けた時に見た夢では、父がとても怒っていて、同じ日に妹も父が家を片付けたことを怒っている夢を見たと言うのでなんとなく気になっていた。

家の中の物を全部捨ててしまって申し訳ないという後ろめたさが妹にも私にもあって、あのような夢を見たのかもしれないが、父の後年の性格や言動などからして、家の物を全部捨ててしまったことは、父にとっては耐えられないことだったように思う。

なぜなら父が一生をかけて築き上げてきたものを捨ててしまったのだから。

父は、子供の頃から、そして成人してからもいつも空腹だったという極貧生活を送ってきた人だが、なんとか自力で大学を卒業すると、絶対に高い地位についてやるという野心を胸に仕事を頑張ってきた。

50代半ばで妻を亡くす不幸にも見舞われたが、努力が実り60代でなんとか満足できる地位につくことができた。

そして今朝の夢に出てきた父は、その頃の父の姿だった。

仕事一筋で生きてきて、やっと目指して来たものをつかみ取った頃の、たぶん仕事に関してだけで言えば、一番あぶらがのった時期だったと思う。

父には、父の娘としてたくさんお世話になり、今は感謝しかないが、その頃から私は父と話をするのが苦痛で仕方がなかった。

父の話はいつも自分がいかに力を持っているかという自慢が大半と、表面上は出世には関心を示さない男(私の夫ですが)に対する腹立たしさからくる悪口が少しで、たまに夫が昇進したりすると、大喜びをするような父だった。

まさに「男は(地位が)偉くなってこそ価値がある」というのが父の持論だった。

これが私にとっては理解できないことであり、やはり聞くに堪えなかったのは延々と続く自慢話だった。

苦労してつかみ取った地位がよほど嬉しかったのだろう。

母によれば、30代の頃の父は「仕事を辞めたい、辞めたい」と言っていたそうで、私たち子どもにはそのような姿は決して見せなかったが、厳しい仕事の世界では計り知れない苦労があったのだろうと思う。

それを理解したうえで、亡き母の代わりになって「そうなんだ、お父さんすごいねー!」と話を聞いてあげればよかったと今なら思うが、その頃はただただ嫌だった。

父の自慢話は亡くなる前、まだ話ができる頃まで続いた。

実は亡くなる時に心配だったのが、父の執着心が強すぎてすんなりと良い世界に行けないのではないかという事だった。

だから…と言うわけではないが、父が亡くなる直前に枕元で「おじいちゃん、ありがとう。今までありがとう」と声をかけ、家族がみんなで父に感謝することで、少しでも父が執着を断ち切って良い世界に昇ってくれるのではないかと思った。

父の死後、一時期は「大丈夫かなぁ」と心配したが、でも今朝の父を見て安心した。
もう大丈夫だと思う。

私自身も父の自慢話が懐かしいと思えるようになった。

お父さん、ありがとう。私たちも頑張るから見守っていてね。






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自分の時間

2018-08-10 16:33:52 | 日記
朝6時前、リビングから音が聞こえて目が覚めた。

この音・・・霊の仕業ではなくて長男が起きてきた音だ。

長男は会社の近くに部屋を借りたにもかかわらず、なぜかウチに帰って来る。

何日むこうに泊まった?と思ったら、ほとんど泊まっていない。

しかも今日から夏休みだそうで、ウチに帰ればごはんもあるしで、まだしばらくウチにいるのだろうかと思う。

それにしても今日は休みのはずではなかったのか?

いつもは長男の出勤時間に合わせて5時過ぎには起きなければならないが、休みというので6時過ぎまで寝てようと思ったのに、「なぜこんなに早起きするの?」と思って起きて行くと、長男はすでに自分で用意した朝食を食べていた。

なんと、これから出かけるという。しかもテントやら寝袋やら着替えやらを持って・・・

「ライジングサンに行くから。7時に友だちが迎えにくる」

よく知らなかったが、ライジングサンというのは夜通しコンサートなのだそうだ。

で、徹夜するためテントと寝袋を持って行くそうだ。

徹夜でコンサート?
おばさんはとても無理だわ。徹夜なんてできない。

「若いってすばらしい~」
昔々、聞いたことのある歌のメロディーが頭の中に流れる・・・

「寝袋ってどこに仕舞ってあったっけ?」
朝食をほおばった長男に聞かれた。

「たしかロフトにあったはず」と言いながら、本当にあっただろうかと心配になりロフトに上って寝袋を探しに行く。

ロフトは荷物置き場になっていて、梯子を使わないと上がれないので滅多に行くことはないのだが、私が片付けた寝袋が必要というのなら仕方がない。

「寝袋は出すけど、テントは自分で出しなさいよ!」と長男に言いながら寝袋を出して来た。

そうこうしていると、夫が起きてきたので朝食の準備をし、さらに次女が起きて来た。

次女は今日やっと大学のある町へ帰って行く。思えば何か月うちにいたのだろう。

しかし、やっとやっと帰って行く~ルンルン

次女がいると昼食も考えなければならなかったので大変だったが、それから解放されるぅ~
さみしいよりも嬉しいかも。

就活中だった次女は、本命の合否はまだ出ていないものの、とりあえず行くところがキープできたので本命の合否が出るまで戻ると言う。

今朝は次女を空港そばまで車で送ることになっていた。

作業所へ行く長女も起こし、家族に朝食を食べさせ長男、夫、長女を送り出してから、今度はお姑さんをデイサービスに送り出す。

「この格好でいいかい?」と、お姑さんは出かける前にファッションチェックを求めてくるのは、いつものこと。

「そっちは暑いから、こっちの方がいいですよ」とか「それは季節的に冬に履く靴ですから、こっちの靴がいいですよ」と一応アドバイスをするのだが、「やっぱりこれでいいわ」と、必ず自分が選んだものを身に着けて行く。

それは出かける前の一種の儀式のようなものなので、何を言っても自分の思った通りにすることは分かっているが、よほど忙しくない限り儀式には参加するようにしている。

お姑さんも送り出すと、今度は次女を車で送り、戻ってから急いで家事をする。

家事をしていると、長女から電話が来た。

「具合が悪くて、今日は早退する」とのこと。

長女は昨日身体の調子が悪くて作業所を休んだので、まだ今日もしっかり治っていないのかもしれなかった。

というわけで、今度は長女を迎えに行く為に車を出した。

長女を連れて帰宅してから、途中になっていた家事を済ませ、夫に頼まれた用事をしたりしていたら、あっという間にこの時間になってしまった。

なんだか私はいつも家族のことばかりで忙しいなぁと思った。

そういえば近年は、自分の事で忙しいと思ったことは無いかもしれない。

「家族がいて、忙しいと思ううちが花だよ」と年配の方に言われたことがあるが、本当にそうなのかもしれない。

歳を取って、家族の為に働く必要がなくなったら、きっとさみしく思うのだろう。

とはいえ、そればかりではストレスもたまりそうなので、自分の時間とお楽しみは大切。

それがあるから、また頑張ろうと思える。

まずは、こうして家族も知らないブログを書いて、自分のお楽しみ時間を満喫している。






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見立て

2018-08-06 17:08:40 | 日記
社会人2年目の長男が一人暮らしを始めるというので、先週は引っ越しの手伝いに行ってきた。

長男の勤務先は同じ市内なのだが、札幌市と言えども広くて、我が家から長男の勤務先まで1時間半かかるそうだ。

東京などでは、それくらいの通勤時間は当たり前なのかもしれないが、長男は「不便だから会社の近くに部屋を借りたい」と言う。

それを聞いていた夫は「お父さんなんて、それを何年続けていると思うんだ。通勤のバス時間を合わせたら、何年間もずっとバスの中にいた計算になる・・・」と言いながら、私の方をちらっと見た。

私はすかさず「ご苦労様です」と言った。

↑これを聞きたくて夫は私をチラ見したのだ。

山あり谷ありの長い結婚生活を経て、やっと夫が何を言ってほしいのか分かるようになりましたがな(汗)

話が横道にそれましたが、とにかく長男は一人で賃貸アパートを探していたが、やっと良い物件が見つかったというので引っ越しをすることになった。

引っ越しをするにあたっては、色々とお金がかかる。

長男の安いお給料で、あれもこれもと揃えるのは大変だろう。

とりあえず生活に必要な家電は買って、他は家で使っているものを持って行くように提案した。

また欲しいなと思っても、しばらくの間は無い生活を送ってみて、やっぱり必要だと思ってから買っても遅くはないからと言うと、長男は「それは分かってるよ」と言った。

ところで20代半ばの長男もしかりだが、長男の友人たちの話を聞いても、今の若い人は金銭的にしっかりとしている人が多いように思う。

バブル崩壊後の親の苦しい生活を見ているからなのかもしれない。

長男の大学時代は、100円の特売の卵を買う為に友人たちとスーパーで並び、赤札がついて値下がりになった食品を買うというのは当たり前だったそうで、驚いたのはハンバーガーショップでハンバーガーをひとつしか注文しないということだった。

「飲み物は?」と聞いたら「水をもらう」と答えたのには、さすがに可哀想になったが、長男たちは恥ずかしくもないようで「水が一番飲みたかったから水をもらうだけ」とあっけらかんとしている。

たくましいというのか、自分の心に忠実というのか。

ただ、欲しいと思ったものにはポンとお金を出すという思い切りの良さもあるようで、バブルに浮かれてブランド品と聞けば血眼になって買いあさっていた私たちの若い頃より、今の若者の方がずっと好感度が高いと、私なんぞは思う。

そんなわけで長男が持って行くために、私たち夫婦の部屋で使っていたチェストをカラにして、物を置くために使っていたテーブルもきれいにした。
テーブルは細長い形なので、そこで食事もできるし、余った場所にはパソコンやプリンターなどを置いておくこともできる。

私たちも有れば使うが無くても困らないので、長男が使ってくれるのなら喜んで持たせたい。

「あれは使わない?そうそう、これも持って行かない?」とかなんとか、思いつくものを持たせようと長男に言っていたら、「もしかして、家の要らないモノを持たせようとしてない?」と言われてしまった。

あちゃー、バレたか。

ところで禅に「見立て」という言葉があるそうだ。

昔のお寺には石臼があって、それは食事の支度をする為にはなくてはならない道具だったそうだが、石とは言え30年も40年も使っていると割れてしまうことがある。

割れた石臼をどうするのか。

もう石臼としての役目は終わってしまったが、次にこれを何かに使えないかと考えるそうだ。

すると、割れた石を漬物石にしようという考えが湧いてくる。

漬物石にして更に30年40年使っていると、いつの間にか角が欠けたりして小さくなってくる。

重みも足りなくなった漬物石を、何とか活かすことはできないものだろうかと、また僧侶たちは考える。

すると、それを庭の水はけの悪い所に設けてはどうかという案が湧いてくる。

または飛び石のように使えば、庭に新しい表情も生まれる。

以上のように一つの役割を終えたものを、別のものに「見立てて」使い続けていくことを「見立て」というそうだ。

それにしても現代の私たちは、物を持ちすぎているのではないだろうかと思う。

亡き両親の家を片付けた時も、あまりの物の多さに驚いた。

少ない物で暮らしてみると、意外と何でもすぐに買おうとは思わずに、他の使い道を色々と考えるようになるのではないかと思う。

これは自戒を込めて・・・これからは見立てのできる生活をしていきたいなぁと思っている。




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後悔

2018-08-01 17:40:21 | 日記
昨日はブログ記事「涼しくなる?話」を書いたが、書いた後しばらくの間、供養を求めてやってきた霊の方が頭から離れなくなってしまった。

多分、まだ完全には成仏されていないのだろう。

頭から離れなくなると、私の場合、その霊に同調してしまう。

その方が、自分がどうして死んだのかということを教えてきた。

自殺だった。人間関係の苦しみだったのか。

ここまでわかって、やっと頭の中から消えてくれたのだが、忘れていた時にまた現れた。

その霊は男性で、亡くなってから数年くらいの比較的新しい仏様だった。

そして、ここからは詳しくは書けないが、革靴で歩き回っていたわけが分かった。

また、なぜ家に来たのかも分かった。

自殺をしてはいけなかった。

どぶのような悪臭を放ちながら這いずり回って、今も苦しんでいる。

人は身体は無くなっても魂は生き続ける。

自殺をしてまったら、ずっと地獄の苦しみの中にいなければならない。

だから、絶対に自殺してはいけない。

苦しくても生きてさえいれば、時間の経過と共に必ず変わって行く。

自殺だけは絶対にしてはいけない。






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