町内会の新役員を決める会議に参加してきた。
会議に参加とは、つまり我が家は来期の役員候補になったわけで、それは順番なので仕方がないが、思うに、ここの町内会は役員の数が多いのではないかと思う。
班長、副班長以外に会長以下30名近い役員がいるのだが、そのためか平均すると4〜5年おきに何かしら役員がまわってくる。
今まで住んできた町は一度役員を経験すると、その後は10年くらい役員になる事はなかったのだが、ここは「この前やったばかりの気がしますけど、また?」と思うほど早く回って来るように思う。
新しい町なので、住民たちに「良い町にして行こう」と言う意識が高いからかもしれない。
それはそれでとても良いことだと思うのだが、町内会役員ともなると、毎月の会議に参加しなければならないとか、町内会行事のお手伝いもやらなければならないなど負担もかなりある。
今回の会議で決められるのは、班長、副班長より重責?と思われる役員で、順番が来た世帯は必ず役員にならなければいけないと言う。
会議参加依頼の手紙には、「できない場合は、同じ班の住民に代わってもらうように頼むこと」となっていた。
また、役員が決まらない場合は抽選になること、欠席の場合は代理人がくじを引くことになるとも書かれていた。
くじで決められるのは嫌だし、どうせやらなければならない役員ならば、さっさと自分で選んで立候補した方がよいと思って会議に出席した。
ところが、です。
皆さん同じことを考えているので、どれでも好きなものに立候補できるほど甘くはなかった。
まず一番大変な会長を決めることになり、当然立候補する人がいない訳で、くじ引きとなった。
自慢じゃないが、私はくじ運と言うものが全くない!
今まで、豪華賞品など当たったことは皆無で、良くても参加賞しかもらった事がない。
私と同様にくじ運のない母が、くじにハズレた悔しまぎれに「バチさえ当たらなければいいのよ」と言っていたことをよく思い出す。
しかし、今回のくじは当りたいのではなくてハズレたいくじ。
こういう時に限って当たっちゃったりするのかもと思いながら引いてみたら、やっぱりハズレで、くじ運の無さは健在だった。
ほっとしたのもつかの間、その後も責任の重い役員の順にクジ引きをしていったのだが、私は見事にハズレばかりで、この時だけはクジ運がない事が初めて良かったと思えた。
ところで、この時に不思議だと思う事があった。
30人近い人が一本ずつくじを引いて行くのだが、なんと最後の一本まで当たりが出ないということが4回も続いたのだ。もちろん八百長ではない。
結局、残ったくじを引く人が当たってしまうわけだが、最後まで当たりが引かれないということが4回も続いたのは、すごい確率なのではないかと思う。
会場の部屋の中には、この役職だけはなりたくないという住民の意識が充満していた。
30人くらいの人数でも、みんなが一斉に同じことを想うと、誰も当たりくじを引かないという事が起こるのかもしれない。
人間の集団意識とはすごいものだと思った。
というわけで、私は最後までくじに当たりそうになかったので、途中で出来そうな役員に立候補した。
同じ町内でも今まで面識の無かった方とお話ができたりして、町内会役員もやってみたら意外と面白いかもしれない…なんて今は考えている。
会議に参加とは、つまり我が家は来期の役員候補になったわけで、それは順番なので仕方がないが、思うに、ここの町内会は役員の数が多いのではないかと思う。
班長、副班長以外に会長以下30名近い役員がいるのだが、そのためか平均すると4〜5年おきに何かしら役員がまわってくる。
今まで住んできた町は一度役員を経験すると、その後は10年くらい役員になる事はなかったのだが、ここは「この前やったばかりの気がしますけど、また?」と思うほど早く回って来るように思う。
新しい町なので、住民たちに「良い町にして行こう」と言う意識が高いからかもしれない。
それはそれでとても良いことだと思うのだが、町内会役員ともなると、毎月の会議に参加しなければならないとか、町内会行事のお手伝いもやらなければならないなど負担もかなりある。
今回の会議で決められるのは、班長、副班長より重責?と思われる役員で、順番が来た世帯は必ず役員にならなければいけないと言う。
会議参加依頼の手紙には、「できない場合は、同じ班の住民に代わってもらうように頼むこと」となっていた。
また、役員が決まらない場合は抽選になること、欠席の場合は代理人がくじを引くことになるとも書かれていた。
くじで決められるのは嫌だし、どうせやらなければならない役員ならば、さっさと自分で選んで立候補した方がよいと思って会議に出席した。
ところが、です。
皆さん同じことを考えているので、どれでも好きなものに立候補できるほど甘くはなかった。
まず一番大変な会長を決めることになり、当然立候補する人がいない訳で、くじ引きとなった。
自慢じゃないが、私はくじ運と言うものが全くない!
今まで、豪華賞品など当たったことは皆無で、良くても参加賞しかもらった事がない。
私と同様にくじ運のない母が、くじにハズレた悔しまぎれに「バチさえ当たらなければいいのよ」と言っていたことをよく思い出す。
しかし、今回のくじは当りたいのではなくてハズレたいくじ。
こういう時に限って当たっちゃったりするのかもと思いながら引いてみたら、やっぱりハズレで、くじ運の無さは健在だった。
ほっとしたのもつかの間、その後も責任の重い役員の順にクジ引きをしていったのだが、私は見事にハズレばかりで、この時だけはクジ運がない事が初めて良かったと思えた。
ところで、この時に不思議だと思う事があった。
30人近い人が一本ずつくじを引いて行くのだが、なんと最後の一本まで当たりが出ないということが4回も続いたのだ。もちろん八百長ではない。
結局、残ったくじを引く人が当たってしまうわけだが、最後まで当たりが引かれないということが4回も続いたのは、すごい確率なのではないかと思う。
会場の部屋の中には、この役職だけはなりたくないという住民の意識が充満していた。
30人くらいの人数でも、みんなが一斉に同じことを想うと、誰も当たりくじを引かないという事が起こるのかもしれない。
人間の集団意識とはすごいものだと思った。
というわけで、私は最後までくじに当たりそうになかったので、途中で出来そうな役員に立候補した。
同じ町内でも今まで面識の無かった方とお話ができたりして、町内会役員もやってみたら意外と面白いかもしれない…なんて今は考えている。