ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

くじ運

2018-01-30 15:48:10 | 日記
町内会の新役員を決める会議に参加してきた。

会議に参加とは、つまり我が家は来期の役員候補になったわけで、それは順番なので仕方がないが、思うに、ここの町内会は役員の数が多いのではないかと思う。

班長、副班長以外に会長以下30名近い役員がいるのだが、そのためか平均すると4〜5年おきに何かしら役員がまわってくる。
今まで住んできた町は一度役員を経験すると、その後は10年くらい役員になる事はなかったのだが、ここは「この前やったばかりの気がしますけど、また?」と思うほど早く回って来るように思う。

新しい町なので、住民たちに「良い町にして行こう」と言う意識が高いからかもしれない。

それはそれでとても良いことだと思うのだが、町内会役員ともなると、毎月の会議に参加しなければならないとか、町内会行事のお手伝いもやらなければならないなど負担もかなりある。

今回の会議で決められるのは、班長、副班長より重責?と思われる役員で、順番が来た世帯は必ず役員にならなければいけないと言う。

会議参加依頼の手紙には、「できない場合は、同じ班の住民に代わってもらうように頼むこと」となっていた。

また、役員が決まらない場合は抽選になること、欠席の場合は代理人がくじを引くことになるとも書かれていた。

くじで決められるのは嫌だし、どうせやらなければならない役員ならば、さっさと自分で選んで立候補した方がよいと思って会議に出席した。

ところが、です。

皆さん同じことを考えているので、どれでも好きなものに立候補できるほど甘くはなかった。

まず一番大変な会長を決めることになり、当然立候補する人がいない訳で、くじ引きとなった。

自慢じゃないが、私はくじ運と言うものが全くない!

今まで、豪華賞品など当たったことは皆無で、良くても参加賞しかもらった事がない。

私と同様にくじ運のない母が、くじにハズレた悔しまぎれに「バチさえ当たらなければいいのよ」と言っていたことをよく思い出す。

しかし、今回のくじは当りたいのではなくてハズレたいくじ。

こういう時に限って当たっちゃったりするのかもと思いながら引いてみたら、やっぱりハズレで、くじ運の無さは健在だった。

ほっとしたのもつかの間、その後も責任の重い役員の順にクジ引きをしていったのだが、私は見事にハズレばかりで、この時だけはクジ運がない事が初めて良かったと思えた。

ところで、この時に不思議だと思う事があった。

30人近い人が一本ずつくじを引いて行くのだが、なんと最後の一本まで当たりが出ないということが4回も続いたのだ。もちろん八百長ではない。

結局、残ったくじを引く人が当たってしまうわけだが、最後まで当たりが引かれないということが4回も続いたのは、すごい確率なのではないかと思う。

会場の部屋の中には、この役職だけはなりたくないという住民の意識が充満していた。

30人くらいの人数でも、みんなが一斉に同じことを想うと、誰も当たりくじを引かないという事が起こるのかもしれない。
人間の集団意識とはすごいものだと思った。

というわけで、私は最後までくじに当たりそうになかったので、途中で出来そうな役員に立候補した。

同じ町内でも今まで面識の無かった方とお話ができたりして、町内会役員もやってみたら意外と面白いかもしれない…なんて今は考えている。






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熟成時間

2018-01-25 15:50:43 | 日記
朝食後、家事を始めようとしていたらメールが届いた。

開けてみると「お誕生日おめでとう」の文字が目に飛び込んできた。

送ってくれたのは、もう一年以上会っていないママ友だった。

長男パインが0歳だった頃からのつきあいなので、かれこれ26年経つのだが、子どもたちが大きくなるにつれそれぞれが忙しくなって会わなくなった。

それにしても、よく憶えていてくれたと感激だった。
そういえば、彼女から何度かお誕生日メールを頂いたことがあったっけ・・・

さすがに自分と家族の誕生日は忘れてはいないが、友人や知人の誕生日は徐々に記憶が薄れてきている。

多分、歳と共に自分の誕生日も、他人の誕生日も興味が無くなってきたからだと思う。

でも、こうしてわざわざお祝いしてくれたママ友からのメールはとても嬉しかった。
長い間会っていなくても、気にしてくれていると思っただけで、彼女の誕生日を忘れている事がなんだかとても申し訳なく思える。
「ごめんね。そしてありがとう」返信はしたが、こうしてもう一度書かずにはいられないほど申し訳なさと嬉しさがこみ上げる。

ところでママ友からメールを頂く前に、「そういえば誕生日だった」と思った時、一枚の写真が思い出された。

その写真は生まれたばかりの私を嬉しそうに抱く母の写真で、これまで何度も見ていた写真のはずだが、今日はなぜかその写真のことばかり思い出していた。

写真にうつった母の嬉しそうな笑顔は、私が憶えている母の笑顔の中でも1~2位を争うくらいだと思う。

私を生む前に事故で最初の子を流産していた母は、無事に赤ん坊を産めたことがとても嬉しかったのだろう。

今なら母のその時の気持ちがわかる。
というか、なぜ今まで何も思わずにその写真を見ていたのだろうと思う。

こんなに喜んでくれていたのかと思うのと同時に「産んでくれてどうもありがとう」としみじみ思える写真だった。

時間が経たなければ分からない事ってあると思う。

時間をおいて、熟成させて、やっとそうだったのかと思う事ことが・・・

本当はすぐにわかってあげて、感謝を伝えられたらよかったのにと思うが、やはり私自身もこの年齢になるまで時間をおかなければ分からなかった。

時間を置いてわかること・・・そういったことがあると、最近は特にそう思う。

そうだったのか・・・と非常に感動したのは、昨年末に行った神社への参拝だった。

毎朝、神棚への参拝は欠かさず、自分自身の中に神様はいらっしゃるのだと思って、何年も生活してきた。

感謝の気持ちだけを捧げ、それ以上のことは求めず淡々と手を合わせるだけだが、昨年の参拝に行った時に初めて感じたのが「深い愛情」だった。
まるで父母のような深い深い愛。
これまでもずっと注がれていたのに、私は気づかなかった。

私の両親はもうこの世にはいないが、肉体の両親以外に、生まれる前からずっと深い愛情を注ぎ続けてくれる存在があったことを心から知った瞬間だった。

それもずっと私のそばにいたのだった。
生まれる前からも、そして死後は帰る場所であり存在であること。

こんなにも深い愛情の存在が、私の肉体の中にいらっしゃることを、頭だけではなくやっと心の底から腑に落ちた出来事だった。

まだまだ分からない事や知らなかった事が、この先わかったと思うようになるのかもしれないし、ならないのかもしれない。

でも、それでいい。

今まで通り、淡々と神祭りと供養を続け、良心に沿った生き方をしていきたいと思う。

これが誕生日を迎えて思ったことです。









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鳥たち

2018-01-23 13:05:24 | 日記
最近、なんだか野鳥の数が減ったような気がしている。

野鳥の餌が少なくなる冬は、毎年庭のエサ台に餌を置いているのだが、10年前から比べるとやってくる野鳥の種類も、そして数も少なくなった。

何年か前までは「シメ」が来ていたが、今はその姿を見ることはない。

また何という鳥なのか分からないが、瑠璃色をした美しい鳥も見かけたことがあったが、その鳥も今は見ない。

シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヤマガラはまだ時々やってくるが、それでもその数は以前よりもずっと少なくなった。
みんなどうしたのだろう・・・

現在多く来ているのが常連さんのヒヨドリで、ヒヨドリはここ2~3年真冬でも多く見かけるようになった。

ヒヨドリは日本各地で見られる鳥だと思うが、本来は渡り鳥なのだとか。

ちなみに暖かい季節に北海道で繁殖したヒヨドリたちが、10月から11月にかけて1000羽以上の集団になって、北海道南端の岬から本州を目指して津軽海峡を渡るのは、毎年ニュースになるほど有名だ。

途中で待ち構えているハヤブサに襲われないように、海面すれすれを命がけで渡って行く姿は感動的でさえあるそうだ。

しかし、環境に順応して留まるヒヨドリもいて、今年は真冬にもかかわらず10羽ほどの集団で飛ぶヒヨドリを家の近辺で見かける。
きっと渡らなかったヒヨドリたちなのだろうが、元気でこうして飛んでいる姿を見ると安心する。

それにしても毎年、野鳥を眺めるのが楽しみだったのだが、もしもその数が減っているとしたら非常に残念なことだと思う。
そういえば昨年はPM2・5がかなり高い日があったし、そのような環境汚染もあって減っているのだろうか・・・

ところで、昨年就職をして6年ぶりに自宅から通うようになった長男パインが、オカメインコのP太郎を見ながら「鳥ってこんなに感情のある生き物だったのか」と驚いたように言った。

P太郎は本当に感情豊かな鳥だ。というか、どんな鳥にも感情はあるのだろう。

ただ近くに鳥がいなかったり、興味が無かったりすると、それが分からないというだけで・・・

P太郎を見ていると本当におもしろい。

嬉しい時は全身で喜びを表現してくれるし、怒っている時は目が吊り上がって、いかにも「怒ってます!」という表情をする。

だから、もしかして、この子は人の言ってる言葉がすこし分かるのかなと思う時もある。

放鳥していた時、窓の外を大きなカラスが横切ったことがあった。
それを見たP太郎は驚いたような叫び声をあげて、家中を狂ったように飛び回ったのだが、P太郎を手の中に入れて落ち着かせようと「大丈夫だから、何があっても守ってあげるから。安心していいんだよ」と何度も語りかけると、やっと安心したように笑顔になった(←うそではなく本当に笑うんです)

以来なにか怖いことがあると、必ず家族の中で私を探して飛んでくるようになった。

「守ってあげる」と言った約束をP太郎が憶えているからだと、私は勝手に思っている・・・



そばに私がいることを確認しながら遊ぶP太郎。

私の姿が見えないと不安そうに遊ぶのを止めてしまうので、今日もP太郎のそばにいて、見守りながら1時間の遊びタイムを終了した。
(忙しい時は時間短縮になりますが・・・)

環境を汚した人間には、野鳥たちが元気でいられるが環境を守っていく義務がある。

野鳥が住めない環境は、人間も住むことができなくなるのだから。





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野菜

2018-01-18 11:46:51 | 日記
野菜の価格が高い。
昨今の異常気象のせいなのだろうが、それにしても高すぎる・・・

価格が安定しているモヤシやキノコ類を除いて、野菜は軒並み値段があがっていて、いつも野菜の値段が上がる冬季間には我が家の救世主だった豆苗も今年は値段が高くなっていて驚く。

健康のためにも野菜は毎日食べたいが、こう高くてはメニューの変更も仕方がない。

ところで近隣のスーパーでは値段が高い野菜も市外の小さな農村町へ行くと、びっくりするくらい安い値段で売られていることを発見した。

先日の休日、ドライブ途中に立ち寄った町でのことだが、道の駅的な店舗に入った所、中くらいの大きさの白菜まるごと1個がなんと税込み300円、小ぶりの大根が1本100円で売られていて嬉しくなった。(もちろん即購入)

あとは海外資本のスーパー(コスト〇)の野菜も安いことが多いので、今年は何年かぶりに会員になった。
会費は必要だが、たくさん買う場合は会費を支払ってもお得のような気がする。

また、めずらしい海外の洗剤など見て歩くだけでも楽しいので、「コスト〇は大人のディズニーランド」と言われるのもわかるような気がする。

ただすべての量が多いので、少人数の家庭だと使いにくいのが難点。

とは言え、どちらも家の近くじゃなければ、そこへ出向くためのガソリン代と時間と労力を考えると、少しくらい高くても近くのスーパーで買った方がずっとお得かもしれない。

ところで今朝の北海道新聞に、暖房費が高額になる厳冬期のビニールハウスでの野菜の栽培が、無暖房でも可能になる技術を開発したと載っていた。

以下 北海道新聞1月18日付朝刊より

道立総合研究機関上川農試では、厳寒期に氷点下20度を下回る道北でも暖房を使わずに野菜をハウス栽培する技術を確立した。
4重のビニールで作物を覆い、日差しや地熱を最大限利用する。
設備の初期投資は必要だが、苗の移植から収穫までの2か月間でビニールハウス1棟当たり10万円前後かかる燃料費も不要になる。

上川農試が開発したハウスは、外側のビニールを2重にし、その間に外気を取り込んで空気の層を作り、断熱効果を高める。
雪の重みに耐えられるよう、ハウス内部もテント状のビニールで補強。
さらに地上にも小さなトンネル状のビニールを張って、苗を覆う。

暖房機器と燃料の費用がかからず、その経費節減分で、ハウス1棟当たり30万円から40万円のビニール資材の費用は初年度で回収できると言う。

このビニールハウスで実験を重ねた結果、厳冬期でも氷点下1度前後、地温はプラス2~3度に保つことができることがわかったそうだ。

またリーフレタス、チンゲンサイ、ワサビナ、小松菜の葉物野菜4種類が耐冷性に優れ、昼夜の寒暖差で、野菜の甘みも増す効果があったそうだ。

今後、実用化されれば農家にとっては安定した収入が見込まれるし、消費者にとっては安定した価格で冬の間も美味しい野菜が食べられるという、生産者にも消費者にも嬉しいニュースだった。

ちなみに道内の比較的温暖な地域では冬も暖房を使わない野菜のハウス栽培の実践例があるそうだが、寒さが厳しい道北地方でこの技術が開発されたというのは画期的なことだと思う。

早く実用化されて、真冬にも安定した価格で野菜がたくさん食べられるといいですね。








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何をやりたい?

2018-01-16 13:37:02 | 日記
合同企業説明会へ行ってきた次女ピーチから話を聞いた。

「いくつか話を聞いてみて、興味がある企業が見つかった」とのことだった。

次女の第一志望は公務員だが、前回も書いたように民間企業も受けるつもりで企業説明会へ参加した。

次女が興味を持ったのは水産関係の企業だそうで、次女から「水産」と聞いた時には「これから魚が獲れなくなるかもしれないのに・・」と思ったが、そこは養殖をした海産物を海外へ輸出したりしているそうだ。

海外取引をする仕事を、次女がやりたがっていることは知っていたので興味を持ったのだろう。

「ここはね、入社後の研修が変わっていて、漁師さんの家にホームステイするんだって!一緒に漁に出るわけじゃないけど、朝1時に起きて仕事を手伝うらしいよ。ほかにも浜辺で昆布拾いをするんだって!なんだか面白そう~」

次女が今までやったことのない肉体労働の仕事を嫌がるどころか楽しそうに思っていることが意外だったが、思えば小さい頃はなにか学校行事があると、率先して楽しそうに走り回ってやっていたので、漁師さんの手伝いも昆布拾いもきっと嫌いじゃないな・・・と納得した。

「いいな~と思っても選ぶのは向こうだから、ピーチが選ばれるかどうかは別として、できるだけ自分がやりたいと思える仕事につけたらいいね」と答えた。

ところで子育てを終えた主婦や定年退職をした男性が、暇になった時間をどう使ったらよいのか分からない、自分が何をやりたいのかわからないという人をたまに見かける。

たまに電話で話す同年齢の友人も同じで「みんな何をしているのだろう?・・・かと言って、今更働きに行くのも嫌だしね」と言う。

働かなくてもよい環境にいられることはとても幸せだが、暇な時間がありすぎるのも精神状態にはよろしくないようだ。

これと言って趣味もなく、気がつけば気力も体力も落ちた年齢になり、あっという間に人生の幕が降りてしまうというのでは、あまりにももったいない。

自分が何をやりたいのだろうかと考えた時、案外子供の頃に好きだったことをやってみると楽しめたりする。

これが分かって始めたのが、私の場合「ホームヘルパー」(今は介護職員初任者と言うのかな?)だった。

信じられないかもしれないが、私が子供の頃に好きだったのが掃除で、畳やゴザの目に詰まった細かいゴミをつまようじでかき出したり、廊下をピカピカに磨き上げたりすることに喜びを感じていた。

今考えると、ちょっと、いや、かなりの不思議チャンな子どもだったと思う。

専業主婦になり、思う存分に掃除ができるようになったが、それだけでは飽き足らなくなってホームヘルパーの資格を取った。

他人の家でも、きれいに掃除するのが楽しかったので、趣味と実益を兼ねたヘルパーの仕事は、けっこう楽しむことができた。

また読書は子供の頃からずっと好きなことだし、文章を書くことは得意ではないが、日記を書いたり、たまに物語を作ってみたりしていたので、こうしてブログを書くことも楽しい。

今はホームヘルパーを辞めて塾で働いているが、子どもと接するのが好きだったので、こちらも楽しく働かせて頂いている。

これしかないと言うくらい好きな趣味もしくは仕事があれば、それはとても幸せな事だと思うが、そういうことが無くても、興味のあることをどんどんやってみると良いと思う。
(これは自分自身に言い聞かせるつもりで書いている)

実は今また、なにか面白そうなことはないかなと探している最中で、今年は障害のある長女と一緒に楽しめることをぜひ始めたいと思っているのだが、まだこれはと言うものに出会っていない。

長女が好きなのは絵を描くことだったが、最近あまり描かなくなったので、絵を一緒に描いてみるのもいいかな・・・
でも私としては身体も動かしたいし・・・などと考えつつ、とにかくチャレンジしないと何も始まらないので、これはもうやるしかないと今年の目標にしたほどの決意で探そうと思っている。←大げさ~









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働く場所

2018-01-10 14:51:25 | 日記
冬休みで帰省していた次女が大学のある町へ戻って行った。

約2週間の帰省だったが、スーツケースの中に本をぎっしり詰めての帰省だった。

大学3年の次女は就活真っ最中で、昨年就職した長男と同じく道内での就職を希望している。

そして持ち帰った本とは公務員試験用のテキストらしい。

先日、北海道庁の内定者の6割が辞退しているとニュースになり、いまなら道職員が狙い目なのではないかと思ったが、次女の働きたい所は別にあるのだそうだ。

今や労働力不足が叫ばれ、新卒の就職も売り手市場で入りやすいのかと思いきや、学生に人気の職種は殺到するため、やはり難しいそうだ。

というわけで、帰省中は受験生のように(就活受験生なのだが)毎日机に向かって試験勉強をしていた。

公務員が第一志望の友人は、一日に13時間も勉強していると次女が教えてくれた。

どうしても公務員になりたい学生は浪人をしても挑戦するそうだが、次女は浪人までは考えていないらしく、試験勉強の合間を縫って民間企業の説明会にもせっせと足を運んでいる。

教官に「公務員一本に絞れ」と言われたそうで、しばらく次女は悩んでいたが、今は公務員と民間の「二刀流」で行くと決めたようだ。

それにしても、日々の生活を送る中で「人手不足」というのをひしひしと感じることが多くなった。

以前、東京に行った時、たまたま入ったコンビニの店員さんがみんな外国人だったことに、とても驚いたことがある。
道内はまだそれほど外国人が多くないせいか、コンビニで外国人の店員さんに会ったことはないが、店員さんの高齢化は進んでいると思う。

一昔前なら学生アルバイトが多かったが、今はシニア世代の店員さんも珍しくない。

先日も次女が行きたいというので、某有名ハンバーガーショップへ行ったのだが、カウンターで接客している店員さん全員が私と同世代、もしくはそれ以上の年齢と思われる方々だった。

しかも店内に貼られていた「アルバイト募集」のポスターに驚いた。

この店には、もう何年も前からアルバイト募集のポスターが貼られていることは知っていたが、じっくりと見るのは初めてだった。

そのアルバイト募集のポスターに描かれたイラストは、明らかにシニア世代を意識したものだった。

イラストの店員さんの顔にくっきりと描かれた「ほうれい線」がそれを物語っていた。

それは若い人ではなく、まさしく高い年齢層に向けてのメッセージであると理解できた。

私がハンバーガーショップに行くのは、子どもが食べたいと言った時で、一人の時にハンバーガーが食べたくて行くことは無かった。
どちらかと言うと、そこは若者の行く場所だと思っていたが、いつの間にか店員さんの年代が高くなっていたとは知らなかった。

つまり、若い人はアルバイト募集をかけても集まらないと言うことかもしれない。

しかし自分と同世代の方が店員さんだと、ちょっと行って食べてこようかしらん・・・と思う中高年層も、もしかしたら増えるのかもしれない。

人生100年時代と言われる日も近い現代、まだまだ元気で働く気があるシニア世代にとって働ける場所が増えてきたことは良いことなのだろう。

「明日は東京へ行ってくる」と次女が言った。

なんでも東京で道内企業が集まった説明会があるのだとか。

二刀流がんばれと心の中で応援している。







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洗うべきか、洗わざるべきか

2018-01-04 16:34:44 | 日記
今年のお正月は喪中ということもあって、家族そろって静かに過ごしていた。

私は自分が過去に書いたブログを読み返すことは滅多にしないのだが、毎年お正月明けにはどんなことを書いていたのだろうかと気になって、めずらしく読み返していた。

例年、あまり変わらない暮らしを送っているように思っていたが、家族のこと、自分自身の内面的なことなど、毎年少しずつ変化していることがわかる。

ちなみに昨年から大きく変わったことは、父がこの世界からいなくなったことだろうか。

時々ふと、高齢者住宅へもう行かなくてもいいんだと思うことがあって、そんな時は寂しさと安堵感が混ざり合った感情が湧き上がる。

そして、もうひとつはお姑さんの認知症状が昨年より進んできたことだろう。

昨年の今頃よりもずいぶん進んできた。

今日からお姑さんもお正月休みだったデイサービスが始まったが、デイへ行く準備をしていたお姑さんが「家の鍵が無いんだけれど誰か持って行かなかった?」と聞きに来た。

お姑さんがデイサービスに行く時間に、私が家に居ないこともあるので、いつも自宅の鍵を持たせているのだが、なんとその鍵が無いと言う。

「お母さん(私の事)が持って行ったの?」と言うお姑さんに「いえいえ知りませんよ。デイに持って行くカバンの中に入っていませんか?」と聞くと、「何度も探したけれど見つからない」とお姑さんは言った。

「子どもだ。子どもが持って行ったんだ」と、今度は孫たちが鍵を持って行ったと言い出した。

「子どもたちはそれぞれ自分の鍵を持っているので、おばあちゃんの鍵を持って行くことはありませんよ」と、それも違うことを説明すると、今度は「デイの人が持っている。朝、迎えに来たら聞いてみる」と言う。

記憶をたどってみても、どうしてもデイサービスの方が持って行ったとは考えられない。

やはりお姑さんがどこかに仕舞ったのだろう。

「ちょっと探してみましょうね」と言って、机の上や引き出しの中などお姑さんが鍵を置きそうな場所を探し回った。

するとお姑さんがいつも持ち歩いている布製ポーチの中から鍵が出てきた。

「こんなとこにあったんだね~」とお姑さんは何事もなかったようにカバンに鍵を仕舞いこんで、私もほっとすると同時に疲れがどっと出た。

「誰かが持って行った」と言うのは最近よくあることで、自分がどこかに仕舞ったのかもしれないとは決して思わないようだ。
これも認知症の症状なのだろう。

その後、お姑さんをデイサービスに送り出して、お姑さんの部屋の掃除を始めたら、今度はベッドの下からお姑さんのパジャマが出てきた。

お姑さんはいつも脱いだパジャマは押し入れの中に仕舞うはずなのに、なぜ今日はベッドの下に入れたのだろう?とベッドの下からパジャマを引っ張り出してみたら、なんと濡れていた。

おもらししてしまったようで、咄嗟にベッドの下に隠したのだろう。

濡れたパジャマを前にしばし考えた。

「このパジャマを洗濯すべきか、このままにしておくべきか・・・」

「パジャマを洗濯すれば、留守の間に私が部屋の中を物色したとお姑さんは思うかもしれない。何か無くなったものを私が盗んだと言われるのは嫌だなぁ。
でも、もしかしたらお姑さんはパジャマのことなどすっかり忘れているかもしれない。そうすると、この濡れたパジャマはこのままここで放置され、悪臭を放つことになる・・・」

いろいろと想定した結果、やっぱりパジャマは洗っておくことにした。

お姑さんが帰ってきたら、偶然見つけたので洗濯したと正直に話そう。

ところで、私の内面で昨年までとすこし変わったことは、お姑さんと同じ土俵に上がらなくなったことだろうか。

昨年までは、お姑さんに対してムカッとすることもしばしばあったが、今はまったくと言っていいほど腹が立たなくなった。

それは、お姑さんは自分の姿なのだと思うようになったから。

いつか自分が年老いた時、もしかしたら私も認知症になっているかもしれない。
そして、その時に今のお姑さんと同じことをしていないとは言い切れない。
できる限り認知症にはならないように健康管理をしていくつもりだが、絶対にならないということはないので・・・

うまく書けないもどかしさはあるが、お姑さんは自分なのだから腹も立たないのだ。

内面的にもうひとつ、実は昨年とははっきりと違うことがあるのだが、それはまたいつか書く機会があればにしようと思う。










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