ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

動物園

2022-08-28 20:28:08 | 日記

朝から天気がよかったので、長女を誘って円山動物園へ行ってきた。

動物園に行くのは三年ぶり。

行くたびに、どこかしら園内が変わっている様に思うのは、気のせいなのだろうか。

三年前に来た時に見たレッサーパンダが、どうしても見つけられなかった。

その代わり三年前には行かなかったぞう舎へ行ってきた。

ぞう舎が新しくできたのは2018年で、2018年秋にミャンマーからやってきた四頭の象が公開されたのが2019年3月のことだそうだ。

当時、動物園にぞうが来たことは、地方ニュースでわりと大きな話題になっていたのに、なぜか前回は象を見に行かなかった。

で、今回初めて行ってみた。

生息地にできるだけ近い環境に似せて作られたというぞう舎の中で、二頭の象さんがのんびりと過ごしていた。(他の二頭は、どこにいたのかな?)

象の取引はワシントン条約で厳しく制限されていて、現在では動物園が象を新規導入することが難しく、日本国内でも象は年々減っているそうだ。

象など絶滅が危惧される動物を呼ぶには、動物たちが快適に暮らせるように生息地に近い環境を用意し、学術研究を行い、種の保存に貢献することを証明しなければならないのだとか。

四頭の象がやって来た円山動物園でも、米国の象の専門家やミャンマーの森林局、また北海道大学の獣医学部が協力して繁殖を目指していると知って、昔の動物園のイメージとはずいぶん変わったなあと思う。

一昔前の動物園といえば、動物たちが狭い檻や囲いの中に入れて展示されていた。

子どもの頃は、当たり前のように動物を見て喜んでいたが、考えてみればずいぶん可哀想なことをしていたと思う。

もちろん今もまだ多くの動物が、狭い檻の中で展示されているが、未来の動物園は、動物たちがストレスなく暮らす姿を見ることができるようになっていればいいなと思う。

ところでレッサーパンダは見つけられなかったが、イグアナは居た!

前回、見た時は思わず目がハートになったくらい可愛いと思ったが、今回見てもやっぱり家に連れて帰りたいくらい可愛い。

さらに円山動物園では、ひぐまや鹿も見ることができる。

ひぐまと鹿を見た時には、まさか動物園の裏山で捕獲して来たのだろうか?と思ったが、そんなわけは無いでしょうね、、、

歩道を疾走する鹿。車に乗っている時に見た。

やっぱり自然の中にいる鹿の方が、いきいきしている。


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バカくさい

2022-08-24 14:51:37 | 日記

「ああ、バカくさい」

余命三ヶ月の母が、病院のベッドの上で呟いた言葉だ。

母が亡くなってから、三十年以上経ってもなぜか時々思い出される。

この短い言葉に、母が言わんとしていた言葉を付け加えるなら、それは「貧乏に耐え、三人の子を育て必死に生きてきて、今やっと少し余裕ある暮らしができるようになって、これから楽しもうと思ったのに死んでしまうなんて。ああ、バカくさい」だったと思う。

私が働くようになって、それまでずっと働いてきた母は、やっと仕事を辞めた。

そして、やりたかった絵画教室(市でやっていた安く習える教室)に通うようになり、父と二人で二度目の海外旅行(一度目は、私が連れて行った)にも行き、これからもっと楽しもうと思っていた矢先に病気が発覚した。

母はまだ52歳と若かったので、やりたいことはたくさんあったのだろうと思う。

そして、この母の言葉を時々思い出しながら、二十代だった私も母の歳を超えて六十代になってしまった。

二十代からつい最近までは、この言葉を思い出すたびに、これから楽しもうとしていたのに死ななけれならなかった母がかわいそうで仕方がなかった。

だからせめて自分は習いたいこと、やりたいことは事情が許せば迷わずやろう、行きたい所も事情が許せば迷わず行こうと思っていた。

それができる時もあれば、もちろんできないこともたくさんあった。

でももし今、母と同じような状況に置かれたとしても「ああ、バカくさい」と思うことは無いと断言できる。

やりたいことも、行きたいところに行くことも十分できたから?

いや、そうではない。

やりたかったことができたこと、行きたかった場所へ行けたなどということは、実は自分の中ではそれほど重要なことではなかった。

もちろん自分がやりたいことを、他人の迷惑にならない限りできるのは良いことだが、たとえ希望が叶わなくても、これまでの人生がバカくさかったとは、今なら決して思わない。

六十年余りの長い人生で、ひとり涙を流したつらい思い出も、怒りに震えた思い出も、何気ない日常生活の楽しかったことや嬉しかったことも、みんな意味のあることだったと思える。

むしろ私にとっては、そちらの方がずっと得ることが多かったように思う。

楽しむというのは、何かをしなければいけないものでは無く、何処かへ行かなければできないものでも無い。

日々、生きている生活の中で感じるものなのだと思う。

そして今がつらくても、それを誰かのせいにして憎しみを持たなければ、いつか必ず自分に必要な出来事だったと思える日がくると思うようになるだろうと思う。

なんて、そのように考えが変わってきたということは、歳をとったということかもしれない、、、

 


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絆創膏

2022-08-20 18:27:14 | 日記

いつもの温泉へ行った時のこと。

露天風呂を出てサウナへ行こうとしていたところ、湯船の淵に腰掛けて一生懸命に足の指にタオルを巻こうとしている高齢女性がいた。

一瞬何をしているのかなと思ったが、特に気にせずにそのままサウナへ向かったら、サウナの入り口にいた別の女性から声をかけられた。

「そこ気をつけて。血が落ちてるから」

足元を見ると、床のマットに二か所ほど血の跡が見えた。

「サウナのドアの角に足をぶつけて怪我したみたいなの。他にも落ちてるから気をつけて」と女性は教えてくれた。

「(教えてくれて)ありがとうございます」とお礼を言ったら、「早く掃除をしてもらわなきゃ。掃除の人がいないか見てくるわ」と言っていなくなった。

私はそのままサウナへ入ったが、そう言えばさっきの足にタオルを巻いていた人が、怪我をした人だったのではないかということに気がついた。

連れの人もいないようで、おひとりだったと思ったら急に心配になり、急いでサウナから出て、さっき見た高齢女性の所へ戻った。

すると、その女性はまだタオルを巻いている最中だった。

「怪我されたんですか?大丈夫ですか」と声をかけると、驚いて顔をあげた女性は「そこのドアで足をぶつけてしまって」と答えた。

「お店の人、呼んで来ましょうか」と言ったら「いいの、呼ばないで。こうしてタオルで止血すればいいから」と言う。

でもさっき見た血の跡の状況では、傷は深いのではないかと思うと、このまま「そうですか」と去る気持ちにはなれず、なおも「何か出来ることありますか」と聞いたら、やっと「じゃあ、絆創膏をもらってきてもらえますか」と言ってくれた。

そしてさっきまで「大丈夫」と気丈に繰り返していた女性が、急に手を合わせて「ありがとう。ごめんなさいね、せっかくお風呂に来たのに、時間を取らせて嫌なものを見せちゃって」とおっしゃった。

怪我をしている人がいたら、ほとんどの人は何か手助けしようと思う筈で、それはごく当たり前のこと。

すぐに絆創膏を貰うためにお店の人を探しに行ったのだが、いつもなら浴場内で掃除をしている姿をよく見かけるのに、その日に限っていない。

さらに脱衣所まで行ってみたが、そこにもいなかった。

ということは、受け付けまで行かないといけないということで、これから洋服を着ていたのでは時間がかかり過ぎる。

誰かいないかと脱衣所の入り口でウロウロしていたら、まさに出ようとする人を見つけた。

そして、その方に事情を話すと、「それは大変!わかりました。すぐに行ってきます」とおっしゃってくれて、受け付けまで行ってもらうことになった。

絆創膏を頼んだ方が戻ってくるまで待っていたら、先ほど「血が落ちてるから気をつけて」と教えてくれた女性がやって来た。

その方は「店の人は何をぐずぐずしているのか、掃除をしてくれと言ったのに全然こない」と、とても怒っていた。

そして顔見知りの人を見つけては、怒りながら掃除がすぐされない事を話すのだが、その中に一言も怪我をした人を心配する言葉がないのが少し悲しかった。

「これで足りますか」と絆創膏を頼んだ人が帰って来たので、お礼を言って怪我をした女性の所に戻り絆創膏を渡すことができた。

ところで掃除が遅いと怒っていた女性。

脱衣所から戻って来ても、まだ怒りが収まらない様子で「こんな時(コロナ禍)なのに掃除が遅い。血が落ちてるなんて気持ち悪い」と言いたい放題で色々な人をつかまえては、文句を言っていた。

すぐ近くには怪我をしている人がいるのに、その人が聞いていたらどんな気持ちになるだろうと思った。自分のせいでと思ったら、いたたまれないのではないか。怪我をしているのに気の毒にと思った。

でもきっと怪我をした女性は聴いていたのだろうと思う。

だから私に嫌なものを見せてしまって、、、とおっしゃったのだ。

その女性は絆創膏を付け終わると、足を引きづりながらそっと出て行かれた。

もともと日本人は清潔好きな人が多いと言われているが、この3年近いコロナでさらに潔癖症に磨きがかかってしまったのかもしれないと思う。

たしかに公共のお風呂など裸足で歩く場所に血液が落ちていたら嫌だが、それで直ぐに何かがうつるとは思えない、、、まあ、感じ方は人それぞれなのでしょうが。

大きな声で文句を言う女性の話に、周囲の人はみんな同意するかのように聞いていたが、その中の一人の女性が言った。

「ところで怪我をした人は大丈夫だったのかな」

その言葉に救われたような気がした。

 


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ソフトクリーム

2022-08-15 14:49:05 | 日記

家族で美味しいと評判のソフトクリームを食べに行った。

ソフトクリーム(アイスクリーム)を販売するお店は、道内には沢山あって、家から近い場所でも有名店を含めて4軒ある。

もしかしたらまだ知らないお店があるかもしれないが、その4軒でさえ行ったことがない店があるので、他を探そうなどと思ったこともない。

ところが夫は違う。

アイスクリームに限らず、美味しいと評判のお店を探して食べに行くのが好きで、今回行ったソフトクリームのお店もユーチューブで見つけたそうだ。

早速、夫に連れられて行ったお店は、暑かったせいかお客さんがたくさん来ていた。

私は定番、バニラのソフトクリームを注文する。

確かにミルクの味が濃くておいしかった。

でも今はどこのお店でソフトクリームを食べても、どれも濃厚でおいしいと思う。

どこが人気店でと言われても、どこもみんな美味しく思うのは、私の舌が鈍感なのかもしれない。

せっかく美味しいソフトクリームを食べに連れて行ってくれたのに、リアクションが薄いとガッカリさせるかと思い、ややオーバーに「うん、おいしい!やっぱり人気店のソフトクリームは違うね」と言ったら、夫はそうでもなかったらしく「うん、普通だね」と言った。

なーんだ、気をつかうことはなかったか、、、

ところで、ソフトクリームを含めてアイスクリームにはあまりこだわりの無い私だが、今まで食べた中で一番美味しかったソフトクリームは?と聞かれたら、真っ先に思い浮かぶものがある。

それは子どもの頃に食べたソフトクリームで、近所の小さな商店で売られていた。

昭和40年代。子どもだった頃のアイスクリームといえば、カップに入ったり、木の棒が刺さった硬いものだったが、それがある日、いつも行く商店にソフトクリームを作る機械が置かれた。

ソフトクリームの値段はひとつ100円くらいだったと思うが、当時アイスクリームが50円もしなかったので、それに比べてかなり高価だった。

味はとてもあっさりしていて、あっさりしすぎて水っぽいくらい。

また舌触りもクリーミーじゃなくて、小さな氷の粒が舌に残るような粗さがあった。

このように書くと、とても美味しいとは思えないが、当時はもうびっくりするくらい美味しいと思った。

高かったのであまり買ってもらえなかったが、たまに銭湯の帰りに買ってもらったソフトクリームの味は、今でも思い出せるほどで、できることならもう一度食べてみたいと思う。

、、、と言うようなことを、ソフトクリームを食べた帰り道で夫に話したら、「きっとそう言うことなんだろうな」と夫が言った。

「忘れることができないほどうまかった味って言うのは、滅多に食べられないものを食べた時の喜びがあるからなんだろうな。いつもうまいソフトクリームを食べていたら、どれもそれほどうまいとは思わない」

子どもの頃は、今よりずっと質素な食生活だったが、もしかしたら今よりも小さなことに幸せを感じることができたのかもしれない。

 

 


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お盆

2022-08-10 11:45:00 | 日記

朝からお墓参りをしてきたと言う息子夫婦が、遊びに来てくれた。

そういえば昨年のお盆にも、それぞれに関係あるお墓にお参りに行ったと言っていた。

去年も今年も息子らが行ったお墓は4ヶ所で、お嫁さんのお父さん側とお母さん側の両家のお墓。

そして我が家と私の実家のお墓で計4ヶ所になる。

みんな別の場所にあるので、周るのはさぞかし大変だっただろうと思う。

もうそれぞれが苗字を受け継いだ家の方のお墓だけでいいんじゃないかと思いもするが、やはり実家のお墓までお参りしてくれるのは嬉しい。

また先祖に想いをはせてくれる気持ちが、とても嬉しい。

ところで息子たちが行ってくれたからではないが、私たちも私の実家のお墓に行ってきた。

いつも夫の方はお盆の初日に行くが、実家のお墓はお盆前に行く。

本当はお盆中に行くものなのだろうが、お盆のシーズンには墓地周辺が大渋滞になり、入るのも出るのも大変なことになるので、毎年そのようにしている。

まだあまり人が来ていないお墓で静かに手を合わせ「迎え火を焚きますから、どうかウチにも来てください」と話しかけてきた。

お盆には迎え火を焚いて、ご先祖の霊に帰ってきてもらうと言うと、怖がりの次女はビクつくが、私は逆にみんなが来てくれると思うと嬉しくて仕方がなく、お迎えに張り切ってしまう。

と言っても、生きている人たちをもてなすわけではないので、ごちそうの準備をすることもなく、いつものお線香を長めのお線香に替えるくらいだが、ゆっくりとくつろいで欲しいという気持ちが強くなるのは、やはりお盆だからかもしれない。

そういえば学生時代の友人にお寺の娘がいたが、彼女がよく言っていた。

「お盆になると、霊が帰ってくるというのは本当だよ。お寺もね、お盆は賑やかになるんだよ」

日中にたくさんの参拝者が来て賑やかになるという意味もあるが、彼女が言っていたのは、誰もいなくなって静まりかえった夜のこと。

夜、誰もいないのにお寺の周りに敷かれた小石を歩く音が聞こえたり、壁に吊るした巻き物が勝手に揺れたり、本堂や納骨堂から音がするのは、お盆には当たり前のことだったそうだ。

当時は怖い話として、今の次女のようにびびりながら聞いていたが、今になれば、お寺に帰るしかなかった霊の方々を思うと、かわいそうでならない。

さて、、、先祖霊の皆様が帰ってくるので、少し玄関のタイルを磨いておこうかな。

なかなか億劫で後回しにしていたので、この機会にちょっと頑張ろうかなと思う。


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戦後77年

2022-08-06 22:15:02 | 日記

戦後77年が経った。

98歳になる作家の佐藤愛子さんが、戦争中の話をよく本に書かれている。

「バケツリレーで爆発した焼夷弾に見立てた焚き火の上に、バケツの水をぶち撒ける。それで爆発した焼夷弾が消えるわけはないと、ホントは思っているくせに、誰もが必死の形相でやっていた。それから竹槍訓練。ルーズベルトの似顔絵を貼り付けた藁人形を立てて、金切り声上げて、走って行って竹槍を突き刺す。みんなアホになっていたんやねー」

バケツリレーと同じく竹槍一本で勝てるとは、誰も思っていなかったということだろう。

でも、当時はそんな事は間違っても口に出せなかった。

万が一でも口に出したら、非国民、国賊と言われ憲兵が飛んできたとか。

会ったことは無いが、私の祖父の弟が(大伯父?)憲兵だったそうだ。

制服姿で写真に映った、その顔は、睨まれたらもう縮み上がりそうなほど怖い。

あんなに怖い憲兵に連れて行かれるくらいなら、黙ってバケツリレーでも竹槍訓練でもやっていた方がマシだと思う。

でも今は、非国民、国賊と言われることもなく憲兵もいない。

何を言っても自由!、、、になったのだろうか?

あまり変わっていないのではないかと言う気がしてならない。

私は未接種だが、専業主婦なので受けていなくても別に困ることはない。

でも家族は違う。

周囲のほとんどが接種済みで、うっているのが当たり前という前提で話をされると、未接種だとはなかなか言いにくいようだ。

「この前なんか、二回うちましたって嘘ついちゃった」と言うので、笑ってしまったが、一方で苦労してるんだなと不憫になってしまった。

かたや別の家族の職場では、社長の方針で未接種者に接種の強要をしたり、差別をした者には罰則を与えるというお達しがされているそうで、未接種でもコソコソしている必要はまったく無いのだそうだ。

とはいえ、それは特別で、すでに絶滅危惧種に近い未接種者は、周囲に知られないように、息を潜めてひっそりと生きている人が多いのではないだろうか。

ところで、そんな息苦しい世の中に、風穴が開いたような話題を知った。

札幌市内の幾つかの大きな病院が、「四回目の接種の実施はしません」と宣言し始めたこと。

これまでの接種で、何か感じたところがあるのかもしれない。

みんな一斉に同じ方向を向くと言うのは、良いこともあるが、そうじゃないこともたくさんある。

注射については、良いことも悪いことも、もっともっと自由に意見を言える世の中であれば良かった。そして、それらを知った上で、自分の意思でうつかうたないかを選べる社会だったらよかったのに、、、と思わずにはいられない。

 


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好きなことを思い出す

2022-08-02 20:51:26 | 日記

買い物に行ったら花の苗がたくさん売っていた。

「もう植える場所が無いから、苗は買わない」と思ったのは、つい最近のことなのに、ちょっと見るだけ、、と売り場を見て歩いたのがまずかった。

気がつけば手に苗を持っていて「これは宿根草ですか?」とお店の人に聞いていた。

「はい!宿根ですよ」と言われ、しばし悩んだが、やっぱり家に連れて帰ることにした。

エキナセア

写真は買った苗ではなくて借りてきたものだが、写真のエキナセアと同じピンク色の花をつけた苗を買った。

家に帰って、さっそく育て方をネットで調べてみたら、たしかに宿根ではあるのだけど、どうも冬にマイナス10度以下になる場合、ダメになることもあると書かれている。

何年かに一度くらい、マイナス10度以下になる冬がある。

えー越冬できないのーとショック。

でもよく調べると、雪が降る前に保温の為に苗の上に藁や腐葉土などをかぶせると良いそうだ。

さらに心配な場合は、鉢に植え替えて室内に入れるとよいとか、、、

植え替えて室内に入れるのも大変なので、上にかぶせる事にしようと思う。

というわけで買ってきたエキナセアについて、あれこれ調べていたら時間を忘れてしまうくらい熱中する。

それを見ていた夫から「本当に草花が好きだね」と言われた。

そして「好きなものがたくさんあっていいね」と言う。

そういえば先日も外で梅を干していたら、夫に「よくめんどくさくなく作るね。でも、本当は作るのが好きなんでしょ?」と言われたのだった。

それは半分は違って、半分は当たっている。

梅干し作りは毎年やっているが、まったくめんどうじゃないかと言われたら嘘になる。

やはり面倒くさいなと思うこともたまにある。

でも、それ以上に梅干しを作ることが好きだから作っている。

店先に梅が並び始めると、わくわくしてくるのだ。

ちなみに今年は梅のジャムも作って楽しかった。(ジャムを作るのも好き)

ところで、シリーズもののアメリカのドラマを観ていたら、ちょっと興味を惹かれた部分があった。

ストーリーは省くが、悪魔的存在から狙われた少女が、悪魔の手から逃れる方法に気づくというシーン。

それは、楽しかったことや好きなことを思い出すこと。楽しかったことや好きなことを思い出している限り、悪魔は少女の思考の中に入ることができず、手を出すことができないと言うものだった。

これは確かにあると思う。

楽しかったことや好きなことなど、自分が夢中になれた状況の感覚を、いつでも思い出すことができれば、負の状況を遮断することができる。

まさしく悪魔は手を出せない。

その感覚は、自分自身を守ってくれるのではないかと思う。

2年ほど前に、胸の中で「楽しめ」という声が聞こえたことがあった。

この時は、まだあまりよく理解できていなかったが、今はわかる。

ささいなことでも、他人にはつまらないことでも、自分がそれが好きなら楽しめばいい。

ちなみに夫は、小旅行をして車中泊を楽しんでいる。

私は車中泊はあまり好きではないが、夫が好きで楽しいのなら、それはそれで良いことだと思っている。

楽しめ、楽しめ

 


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