ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

涼しくなる?話

2018-07-31 17:37:37 | 日記
暑い・・・じっとしていても暑い。

さっき外出したら外の温度計が33度になっていて、暑いはずだわと思った。

でも連日猛暑に見舞われている地域に比べれば、これくらいで暑い暑いと騒いでは申し訳ない。

少しでも涼しくなるように、つい先日経験した不思議な出来事を書こうと思う。

さて、私は毎日先祖供養をしているのだが、それとは別に床供養というのもやっている。

これは家族がいない時だけ行っているので、先祖供養のように毎日と言うわけではないが、家族がいない日はするようにしている。

ちなみに床供養は土地や家に関係する(入って来た)霊や土地の精霊などに向けての供養です。

その日はいつものように朝に先祖供養を済ませ、床供養を午後2時頃に行った。

本当は午前中に床供養も済ませたかったのだが、用事があって午後になった。

午後2時頃というのは一番気温が上がる時間帯で、いつも床供養をしている一階は窓をあちこち開け放していた。

その日も暑い日で窓を閉めると室温が上がる為、できれば窓を閉めたくなかったのだが、一応供養をする付近の窓は閉めて、他の窓は開けたままにして床供養をした。

でも、これが間違いだった。

床供養をしている間、二階のリビングにいたのだが用事ができたので一階へ降りて行くと、急に鳥肌が立ち始めた。

気温は高いはずなのに、なぜか寒くて全身に鳥肌が立った。

「この感覚は・・・」と思って、ふと床供養をしている短冊を見ると、短冊の周囲に黒いもやがかかっているように見える。

慌てて開いている窓を全部閉めたのだが、もう床供養のお線香は燃え尽きる寸前になっていて窓を閉めるのが遅すぎた。

周囲には、燃え尽きたお線香の香りに混ざって、どぶのような臭いが漂っていた。

こんな臭いがするのは私が床供養をしてから初めてのことであり、なにかが外から入ってきてしまったことがわかった。

しかしその日は何事もなく終わり、翌日は家族がいたので床供養はしないつもりでいた。

翌日、いつも床供養をしている家の一階にいたのはお姑さんで、私は二階のリビングで本を読んでいたのだが、しーんと静まり返った家の一階で急に音が鳴り始めた。

誰かが靴のまま床を歩いているような音。

いそいで二階から音がした玄関付近(いつも床供養をしている場所)をのぞいたが、お姑さんは部屋にいて物音ひとつしない。もちろん誰かが歩くような音もしない。

大丈夫だと思って、読書に戻ろうとしたら、また歩くような音がし始めた。

男性が履く革靴のような固い靴底で一歩一歩ゆっくりと歩くような音だった。

「外の音だろうか」と思って外を見たのだが、歩いている人はいないし、その時には音も聞こえなくなっていた。

何だろう?と不審に思いつつ、また本を開いたらふたたび誰かが靴のまま家の中を歩く音がした。

「どろぼうだ!」と思った。
この時は霊などということはまったく思わず、誰かが家に侵入したのだと思った。
それほどはっきりとした音だった。

もう怖かったが、様子を見に行かねばと思った。

何か武器になるものを持って行こうと掃除用モップを手に取り、階下を覗いたら音はぴたりと止んで、ちょうどお姑さんが部屋から出てきてトイレに入って行くところだった。

この時初めて、人間ではないモノの出していた音だと理解した。

時計を見ると、午後2時を過ぎていた。昨日、窓を開けたまま床供養をした時間と同じだった。

また供養をしてもらえると思って、この時間に待っていたのだろうか。

しかし、いつまで待ってもお線香の灯りも煙もなくて、探して歩き回っていたのだろうか。

そう思ったら気の毒で仕方がなかった。

しばらくして夫が帰ってきたので、それまでの出来事を話すと、「供養をしてやってくれ」と言った。

夫は、昔は目に見えない世界などと言うものは非科学的だと言って信じていなかったのだが、最近はずいぶん理解を示すようになった。

そこで家人はいたが、床供養をして差し上げた。

それからは、あの足音は聞こえない。成仏してくれたのなら嬉しいと思う。

ここで誤解されると困るので付け加えるが、床供養は全く怖いものではないと思っている。

むしろ縁あって家に入って来てしまった方や土地の精霊を癒すことができる素晴らしい方法だと思う。

先祖供養を始めとする方法に出会うことができて、私の人生観は大きく変わったし、それはもう感謝しかない。

本当に知ることができてよかった。毎日、供養をさせて頂いていることが私の学びにもなっている。

ここまで書いて、最初に涼しくなる話と書いてしまったが違ったかもしれない。

涼しくなるどころか、私の気持ちはほっこりと温かくなったので。










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自分が投げたもの

2018-07-27 15:09:47 | 日記
毎月一度、お姑さんのケアマネージャーさんが家に来てくれる。

お姑さんが介護保険を利用するようになってから、今のケアマネージャーさんは三人目なのだが、一番長くお世話になっていて、お姑さんも優しいケアマネージャーさんのことをとても気に入っている。

そして、大体いつも一時間程度、お姑さんと会話をして行かれるのだが、私は最初だけ同席してお茶を出した後に、連絡したいことなどを少しお話してから席を外す。

そこでお姑さんはたっぷりとケアマネージャーさんにお話を聞いてもらうのだが、十八番の昔話をしたり、時には家族の愚痴を聞いてもらっているらしい。

後でケアマネージャーさんから家族に話した方がいいと思ったことは教えて頂いているのだが、今回はたまたま暑くて部屋のドアを全開にしていたものだから、お姑さんの大きな話し声が丸聞こえになってしまった。

お姑さん「この前、息子に叱られちゃって」
ケアマネさん「あら、どうして?」
お姑さん「何だか分からないけど、きっと虫の居所でも悪かったんでしょ」

この会話を聞いて、そういえば先日、夫がお姑さんに注意をしていたことを思い出した。

お姑さんは肌が弱くて、とくに植物を触ると肌が真っ赤にただれる(と、先月皮膚科で言われた)

しかし、暇があれば庭に出て花を触ったり雑草を抜いたりするので、夫はお姑さんに植物を触ってはいけないと注意し続けていたのだが、その日は何度注意しても雑草を抜くことを止めなかったので、ついに夫が怒って説教をしたのだった。

でも、お姑さんには怒られたということしか残っていない。
なぜ、怒られたのかということが分かっていなかった。

これは注意の仕方を考えないとダメかもしれないと思っていたら、今度は、急に声をひそめたお姑さんが「お母さんがね・・・」と話し始めたのが聞こえてきた。

「えっ、わたし?」と思って聞いていると「お母さんが私の物を勝手に持って行くの。この前はパンツが無くなっていて、きっとお母さんが持って行ったんだわ」と言っているではないの。

それを聞いて、思わず吹き出しそうになった。

「おばあちゃんのパンツは、いくらなんでも持って行かないでしょう。あげると言われても断りますし・・・」と心中で思いながら、もう腹が立つより可笑しさの方が先になった。

お姑さんは意地悪な女子になって(笑)さらに話を続ける。

「私のいない間に部屋に入って、なんでも盗って行くの。何でもだよ(←ここは強調する)よく物が無くなっていてね。お母さんだよ。お母さんが盗って行くんだ」

それを聞いたケアマネージャーさんは、決してお姑さんが自分でどこかへ仕舞ったのではないかなどという事は言わず、「パンツは、今はどこでも安く売ってますしね・・・」と言葉を濁しておっしゃった。

つまりケアマネージャーさんは「パンツは安く買えるから、盗むことはしないんじゃないか」と、私をかばって言ってくれたわけだが、私が盗んでいくと思い込んでいるお姑さんには、そんな言葉は聞こえないようだった。

今度はしおらしく「でも、いいの・・・私もお姑さんと一緒に暮らして苦労したからね。盗まれたことは黙っていようと思う」と言った。

黙っているわけはない。現にケアマネージャーさんに喋っている。
きっと色々な所で喋っているのだろう。

盗んだのではないかと疑いをかけられ始めた頃は、かなり腹立たしかったけど、今は哀れというのか、可哀そうというのか、悲しいというのか、とにかくそのような気持ちになる。

いい修行をさせて頂いています・・・

投げた想いは必ず自分に返って来る。

良い想いを投げれば良いものが、悪い想いを投げれば悪いものが。

それは、今ひしひしと感じている。本当に怖いくらいに必ず返って来る。

私自身も注意しようと思う。







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かみ合わせ

2018-07-24 16:47:21 | 健康
昨年から通っている歯医者さんだが、お口の中の大工事の終わりがやっと見えてきた。

長かった・・・(まだ終わってはいないが)

当初は4月頃に終わる予定だったが、それが5月が過ぎ、6月も過ぎても終わらず、今や7月も下旬。

なぜこんなに長くかかったのかと言うと、治療する歯が多すぎたということが一番の理由だが、二番目の理由はなかなか予約が取れないこと。

住宅街にある小さな普通の歯科医院なのだが、いつも予約がいっぱいで次の予約がすぐに取れない。

行き始めた時はわからなかったが、実は人気の歯医者さんだったらしい。

だいたい月に2回から3回程度しか診てもらえない為、治療が進まないような気がする。

ただ一回の治療時間は長くて、一時間の予定でやって頂けることもあるので、やはり私の歯の大工事のせいで長引いているのだろう。

そして長くかかっていたもう一つの理由は、仮歯を使って長期間放置し、かみ合わせなどの様子を見ていたからだと思う。

奥歯が差し歯だったので、これをセラミックに変える治療をしていたのだが、いきなり変えるのではなくて、仮の歯を入れて何か月間も様子を見ていた。

このような治療は、他の歯科医院でもやっているのだろうと思うが、少なくとも私が今まで通った歯医者さんではなかった。

土台が入ったら、すぐに本歯を入れる!

これが当たり前だったので、今の歯医者さんで、仮歯のまま数か月放置には「まだですか?」と、ややイライラする気持ちもなかった訳ではない。

しかし、先生には先生のお考えがあっての事だろうと治療を受けてきたのだが、それがここにきて、やっと本歯が入り始めた!

かみ合わせOK、その他不都合なしという事で、やっとやっと本歯が入った。

ところが、これが長く待たされたお陰なのか、大変調子がいい!

仮の歯で長期間お試しをして、調整を続けてきたからだと思う。

どのように調子がいいかと言うと、食べ物をしっかり噛んでいるという感じがする。

今までもちゃんと噛んで食べていたつもりだが、時々口の中のお肉を噛んでしまったりして、なんとなくしっかり噛めていなかった。

特に現在の歯に比べると、その差ははっきりと実感できて、やはりかみ合わせが悪かったのだと分かる。

全てがそうではないが、かみ合わせの悪さが四十肩や五十肩、腰痛や片頭痛など身体の痛みに関係しているそうだ。
かみ合わせが悪い⇒身体のバランスが悪くなる。

また、めまいや自律神経失調症なども、もしかしたらかみ合わせの悪さが原因かもしれないとか。

毎回先生から聞かれる「調子はいかがですか?」という質問に、嬉しすぎて「先生すっごくいいです!よく噛めます!」と元気に答えたら、先生も嬉しそうな笑顔で「そうですか。それはよかった」とおっしゃってくれた。

ちなみに「3か月ごとの定期健診を受け、しっかり歯磨きをしていけば、このまま20年以上は自分の歯で食べられます」とのことだった。

よし!これまで以上に歯磨きするぞーということで、新たにマウスウオッシュ液も買って使い始めた。

実は洗口液は、以前は歯科医院で勧められたものを使っていたのだが、500mlが2000円もした。

家族みんなで使うと一ケ月持たずに無くなってしまうので、もう少しお安いものは無いものかと探していたところ、これを見つけました。⇒クチュッペ

菌という言葉に弱い私。

乳酸菌L8020の働きに期待しているのだが・・・







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ほどほどがいい

2018-07-19 17:20:31 | 日記
毎年、梅干を漬けているのだが、昨年初めて作った「干さない梅干」がとても気に入ったので、今年もまた同じレシピで梅を漬けた。

正確には、干さないので梅干とは言わず「甘梅漬け」と言うらしい。

ちなみにレシピはこちら⇒甘梅漬け

毎年、梅を漬けているのに、実は私はそれほど梅干を食べない。

酸っぱい物は嫌いではないのだが、梅干のように酸っぱさとしょっぱさがダブルになったものが苦手で、しょっぱい梅干を食べると、思わずブルっと身震いしてしまう。

で、極限まで塩を減らして梅干を作っていたのだが、やはり一定量の塩を加えないとカビが生えるので、毎年梅干は作るが、自分はほとんど食べていなかった。

ところが、昨年漬けた甘酢漬けは、ブルっと震えることもなく、初めて「梅干が美味しい」と思えた。

たしかに酸っぱさとしょっぱさはあるのだが、甘みがあって美味しかった。

これは氷砂糖が梅3キロに対して600gも入っているからなのだが、甘すぎることなく丁度いい塩梅になった。

しかも干さなくても、ちゃんと梅干になっているのが嬉しい。

思えば、梅を干すのが大変だった。

天気予報で晴れの日が続くのを調べてから、ザルの上に一粒ずつ梅を並べていく作業が地味に根気がいる。

父が元気だった頃、毎年、父が実家の庭で育てた梅の実を、ミカン箱にいっぱい届けてくれた。

量が多いので、梅を洗う作業もヘタを取るのもなかなか大変だった。

父が持ってきた梅の一部で梅ジャムや梅酒、梅ジュースなどを作り、そのほかの大量の梅で梅干を作った。

そして、できあがった梅干やジャムは、楽しみにしてくれる友達の母上に届け、さらに妹や父にも届けた。

「おいしかったよ」と言ってもらえると、作った甲斐があったと嬉しかったが、次第に毎年の「梅仕事」が苦痛になってきて、父から「梅を持って行くぞ」と連絡が来ると、「また梅の時期が来てしまったか、憂鬱・・・」と、思うようになってしまった。

最初は楽しかった「梅仕事」が、だんだん苦痛な作業に変わって行き、「梅の木が枯れてしまった」と父から連絡が来た時には「これでやっと梅仕事から解放された~」と嬉しかった。

実家の梅は、老木だったので寿命だったのかもしれないが、父が梅を持ってこなくなってからは、しばらく梅干作りから遠ざかっていた。

それが、ある日八百屋さんに並んだ大粒の南高梅を見て、また作りたいという気持ちが湧いてきて、ほんの少しだけ作ることにした。

ジャムや梅ジュースなどはやめて、作るのは梅干のみ。

最初は梅5キロで作った。

父が持ってくる量に比べたら5キロなんてほんのわずかな量だったが、それでも多いと感じたので、今は3キロにしている。

生の梅の実3キロだと、我が家では家族で食べてちょうど一年分くらいになる。

本当は3年くらい寝かせると、より美味しくなるのだが、あまり多すぎる量を作ると、また大変だと感じて作るのが嫌になる。

だから3キロがちょうどいい。

梅干は、美味しいものがたくさんお店に売っているので、わざわざ手作りにこだわらなくてもいいと思っている。

でも、手作りするのは自分が楽しいからというのもある。というか、義務感よりそっちの方が大きいかな。

無理をせず、自分に合った量を作る。

何でもほどほどがいい。


今年の甘梅漬けです。











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七夕みたいな会

2018-07-13 17:20:33 | 日記
年に一度、高校時代の友人たちと会うようになって、もう10年以上になるだろうか。

結婚して本州へ行った友人が、毎年夏に里帰りをするので、友人が帰省した時に集まっている。

最初は帰省した友人ともう一人の友人、そして私の3人で会っていたのだが、徐々に他の友人たちも加わって、今は7~10人くらいで会うようになった。

まるで七夕みたいに、会うのは年に一度だけ。

あとは特に集まることも無く、電話でおしゃべりすることもない。

みんなそれぞれ家庭や仕事に忙しいので、普段は何か用事がない限りは連絡し合うことはしない。

だから、この日をみんな楽しみにしている。

またおしゃべりだけではなく食事も楽しみたいので、会う時はほとんどホテルでランチと決めている。

昨年は都合が悪くて行くことができず、私がみんなに会うのは二年ぶりだが、今年もホテルのラウンジに7名が集まって食事に行った。

二年ぶりに会った友人たちは、少し老けたが(他人のことはけっして言えない私・・・)みんないい感じに歳を取って落ち着いたおばさま方になっていた。

食事をしながら、なんとなく近況報告をした。

今年の秋に子どもが結婚するという人、もうすぐ孫が生まれるという人、そして産休が明けて職場復帰する娘に頼まれて孫の面倒を見ることになったという人、などなど、役割が母親から祖母の立場へとシフトしてきているのがすごい。

思えば40年前、私たちは箸が転がっても可笑しい女子高生だったのに、今は孫の話をしているなんて、まったく時のたつのは信じられないほど速い。

また独身で仕事一筋の友人もいるのだが、彼女はそろそろ定年後の人生を考え始めている。

ところで人が放つエネルギーとか、もしくは、それをオーラとでも言うのかもしれないが、そういうものがあるとしたら、今回の集まった友人たちのエネルギーは非常に落ち着いていて静かだった。

そして、いい意味での重みが感じられた。

重たい障害を持つお子さんを育てている人、親の介護に奮闘している人、離婚してシングルマザーで頑張ってきた人、ご主人を早くに亡くされた人など、結婚しているしていないに関わらず、それぞれが苦労して人生の大波小波を乗り越えてきた友人たち。

涙することもたくさんあったと思うが、年に一度の集まりでは、そういった話はさらっと笑い話にしてしまう。

また、互いにそれを深く聞き出そうとはしない。さらっと聞く。

高校時代の友人たちと会う時は、心だけでも笑い転げていた高校生に戻りたいから楽しい話をしようと、他の人に聞いたわけではないが、みんなそう思っているのかもしれない。

だからこそ、こうしてずっと年に一度の七夕を続けていられるのだと思う。

「あー楽しかったねぇ!食事も美味しかったし、たくさんおしゃべりできたし、満足~」

「さてと、帰ったら夕食の支度だわ。お腹いっぱいで作りたくないけど、家族には食べさせないといけないしね」

「来年も元気で会おうね。バイバ~イ」

「バイバ~イ」なんて、この歳になって言いあえるのは学生時代の友人たちだからかな。

みんなで元気になって、またそれぞれの役割へ、そして生活へと戻って行った。

人生は短い。この年齢になると、ますますそう思う。

振り返ってみると、右往左往しながらも人生は何とかなってきた。

もうだめだと思うようなことが起こっても、時間の経過と共に生きてさえいれば必ずなんとかなっていく。
・・・ということが、友人たちの笑い話からもわかる。

だからこそ、これからも明るく生きて行くべと思う。






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命を守る

2018-07-09 14:41:08 | 日記
まず、この度の豪雨で被害を受けられた方々、無念にも亡くなられてしまわれた方々に対して心からのお見舞いとお悔みを申し上げます。

テレビをつけるたびに死者の数が増えている西日本の豪雨被害。

それを見ると、胸が締め付けられるように悲しい。

大切な家や車だけではなく、最も大切な家族を失った悲しみはどれほどのものだろうか。

あまりにもつらい現実にかける言葉も見つからない。

昨日は日曜日だったが、我が家では家族がそれぞれに分かれて出かけていた。

長男は、お昼過ぎまでの予定で仕事をするために会社へ、長女と次女は、二人で仲良く街の中心部までお買い物へ行った。
お年頃なので、洋服を見たり化粧品を見たりしたいのだそうだ。

そして、残った私と夫は久しぶりに北海道神宮へ行ってきた。

普段と変わらない生活・・・穏やかな時間が流れていく。

北海道神宮には、新車のお祓いをしてもらう人やアジアから来た大勢の観光客、そして一般の参拝客で賑わっていた。

また、本殿前では結婚式を終えたばかりの新郎新婦がちょうど写真の撮影をするところで、大勢の人が遠巻きに笑顔で見ていた。
見ず知らずの新郎新婦であっても、幸せそうな若い二人を見ると、なぜか周囲の人も幸せな気持ちになって、笑顔になってしまうものだ。

さて、北海道神宮で感謝だけの参拝を済ませ、周囲に広がる森林の中を散策したのだが、私の心は晴れなかった。

ここはいつもと変わらず平和で笑顔がたくさんあるのに、一方では大きな災害で大変な状況に置かれて悲しんでいる方がたくさんいる。こんな風に楽しんでいていいのだろうか?

そんな思いが湧き上がってきて、せっかくの参拝だったにも関わらず、心から楽しむことなく神宮をあとにした。

その後は家族全員で待ち合わせをしてから、久しぶりの外食へ行くことになっていた。

食事に行ったお店が、休日で混みあっていることも、にぎやかで笑い声にあふれていることも、いつもの日曜日と何ら変わらなかった。

しかし、やっぱり私の心の隅では、こんな風に何事もなく美味しいものを食べて申し訳ないという気持ちで心がチクチクと痛かった。

帰宅後、テレビをみながらくつろいでいると、夫が撮りためていたテレビ番組の録画をつけた。

夫がつけたのは、映画「君の名は。」だった。

この映画は映画館でも観たし、テレビ放送でも観た。

しかし、何度観ても引き込まれる。

さて、夫はビデオで 「君の名は。」をつけたのだが、なぜか場面は最終に近い部分から始まっていた。

夫は特に巻き戻すことをせずに、そのまま流し続け、私もそのまま見続けていた。

場面は、彗星が地球に落ちてくる所からで、糸守町に落ちて町が無くなってしまうことを知っている主人公の三葉と友人たちが町民たちに避難するように呼び掛けるのだが、だれも本気で避難しようとしない。

もうこれまでかと思ったが・・・(あとは書きませんのであしからず)

夜寝ようと布団に入った時に「これがメッセージなのかもしれない」とふと思った。

「だれも避難していないから、大丈夫だろう」という根拠のない安心感が、災害が起こった時には危険なのだということを教えてくれている。

実は今から二~三年くらい前だろうか。何度も何度も繰り返し、脳内で同じ映像を見ていたことがある。

これは夢ではなく、寝ぼけているわけでもなく、しっかりと目が覚めている時に起こる。

ちょうど自分の額の辺りに巨大なスクリーンがあって、そこに見たことも無い映像をみることがある。

このようなことは子供の頃からなので、私にとってはご飯を食べるくらいに、ごく普通のことである。

この時に見た映像と、現在テレビから流されている災害現場の様子が、とても似ている。

とても似ているのだが、実はちょっと違う。私が見た方が、今よりもっとひどい。

額のスクリーンに映る映像では、家々の屋根が見えなくなるほど泥水の水位が高く、かろうじて高い木の上の枝葉が水面から顔を出していて、それがまるで茶色の海に浮かんだ緑色の小島のように見える。

私の目は空の上から、まるで鳥の視線のように陸上を見下ろしている。家は?人は?と探してみるものの、何もない。あるのは泥の海と緑の島のような木だけ。

しばらくすると場面が変わった。今度は水が引いた場面だ。

水は引いているのだが、地面は泥だらけで、誰もいないし建物もない。
唯一、赤い車がぽつんと止まっているのが見えた。すべて流されたのか?

以上が繰り返し見ていた映像です。不快になった方がおられましたらごめんなさい。

災害はいつ起こるかわからない。今回よりももっと大きいのが起こる可能性だってあるのかもしれない。

めんどくさくても、これくらいなら大丈夫と思わず、避難を早めに始めることが大切な命を守るのだと思います。

というわけで、数日間テレビ報道を見ていて恐怖や不安、悲しみなどといった感情にすっかり染まっていた私だが、昨晩は久しぶりに怖い魔物らしきモノの訪問を受けた。

たぶん彼らの好きな感情に同調してしまったのだと思う。

魔物って、あんた頭は確かなの?・・・と、どうぞ笑って下さいな。

自分でも、なんてぶっとんだことを書いているのだろうかと思っているので・・・

これ以上書くと、ますます飛んでいきそうなので、今日はおしまいにします。チャンチャン






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ありがたい

2018-07-03 16:56:59 | 日記
最近、家事をしている時や休んでいる時に大祓祝詞を口ずさんでいたり、声には出さずに心の中でつぶやいていることがある。

けっこう長い文章なので、まだ全部は暗記出来ておらず、途中で「あれっ、次は何だっけ?」と考え込むこともしばしばで、そんな時はやっていることを一時中断して大祓祝詞が書かれた紙を読みに行く。

「そうだ、そうだ、次はこれだった」と確認できる時はよいのだが、場合によっては確認しに行けない事もあって、そんな時は次の言葉がどうだったかと気になり、なんとか思い出そうと試みて脳みそはフル回転する。

これが昼間であればいいのだが、夜に布団に入ってからもやってしまう為、頭が冴えわたり眠れなくなることもある。

いけない、いけない、もう考えないようにしよう・・・と思うのだが、どうしても次の言葉が知りたくて、わざわざ布団から起き上がって灯りをつけて大祓祝詞を確認しに行くこともある。

こうなったら、もうだめだ。眠れない・・・

まったく我ながら何をやっているのかと思ってしまう。
しかし、やっぱり暗記したい。

初めて大祓祝詞というものを読んだのが今年の二月頃だったが、その時に「これを暗記したい。暗記しよう」と思った。

それまで祝詞などというものは読んだこともなく、またほとんど聞く機会もなかったので(自分の結婚式では神主さんに祝詞をあげてもらったのだが、忘れてしまった)お経と同じように一般人には何を言っているのかさっぱりわからない言葉なのだろうと思っていた。

しかし大祓祝詞は違った。理解不能どころか、一つの美しい物語になっていた。

それは読めば読むほど、まるで物語の情景が目に浮かぶかのようだ。

初めて大祓祝詞を読んだ時から、毎朝必ず神棚の前で祝詞を読み上げるようにしているのだが、先日、自分の心の中でちょっとした変化があった。

それまでは間違えずに読み上げることだけに心を奪われていたのだが、次第に読むことに慣れてきて、物語の情景を思い浮かべながら読むようになったからだと思うが、大祓祝詞を読みながら「なんとありがたいことか」という想いが心の底から湧き上がってきた。

これほどまでにして、神様は私たちの為に罪を祓って下さっているとは、ただただありがたいとしか言いようがなかった。

祝詞を聞いて下さった天津神さまは幾重にも重なった雲を押し分けかき分け、国津神さまは高い山低い山に登られて、罪と名がつくものの一切を残らず消え去られるようにしてくれる。
そして、数名の神様たちが出て来られて、色々なことをしてあらゆる罪を浄化してくださる。

私の拙い文章では、これだけでどうしてありがたいという強い想いが湧き上がってきたのか分からないかもしれないが、何度も何度も読んでいくうちに、そのような想いが湧き上がってきた。

過って罪を犯してしまった私たちの為に、そしてその罪を浄化して下さるために、神様たちは雲をかき分けたり、山に登られたり、罪を大海原に持ち去ってくれたり、がぶがぶと飲み込んで下さったり、息を吹いて吹き去って下さったり、どこかに持ち去って封じ込めてくださったりと、大変なご苦労をしていらっしゃる。

このようなことをして頂けるとは、なんとありがたいことだろう。

大祓祝詞を読み上げることで、自分でも気づかなかった想いが湧き上がってきたことが、意外でもあった。

というわけで、まだ全部暗記できるまで時間はかかりそうだが、地道に憶えていこうと思う。

ただし、寝る時はできるだけ止めておこうと思う・・・






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